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浦和地方裁判所 平成元年(ワ)641号 判決 1993年3月22日

原告

林勝江(X1)

林登美江(X2)

林敏子(X3)

原告ら訴訟代理人弁護士

山越悟

奥村一彦

伊藤明生

島田浩孝

中村明夫

被告

大滝村(Y1)

右代表者村長

山口芳夫

右訴訟代理人弁護士

岡村茂樹

被告

国(Y2)

右代表者法務大臣

後藤田正晴

右指定代理人

若狭勝

橘善行

小柳稔

菅村敬二郎

萩原一夫

山畑正

脇雅史

石渡静

渡邊裕

小島康良

坂上正弘

長谷川健

福島民也

小笠原智宏

藤田林三

中村修也

理由

一  きよ美が昭和六三年五月四日南側遊歩道から秩父湖に転落し、死亡したこと及び南側遊歩道が被告国によって設置され、被告村によって管理されている公の営造物であることはいずれも当事者間に争いがなく、本件事故の発生に関するそのほかの事実については、〔証拠略〕によりこれを認めることができる。

二  〔証拠略〕を総合すれば、次の事実が認められる。

1  秩父山塊の甲武信岳を水源とする一級河川荒川はその上流部である埼玉県秩父郡大滝村大字大滝地内において大洞川と合流しており、二瀬ダムは昭和三六年一一月「荒川総合開発計画」の一環として、右合流点をせき止めて建設された、洪水調節、灌漑及び発電を目的とする多目的ダムであって、右ダム建設に伴って出現したのが秩父湖である。ダム建設により、大滝村二瀬の集落は湖中に水没し、荒川左岸から二瀬橋を渡り大洞川右岸を経て三峰橋に至り、さらに三蜂神社へと通じる村道も水没した。このためその補償として、荒川左岸に位置する地区から大洞川を渡らないで二瀬ダム天端を通り三峰神社へ通じる道路が建設された。南側遊歩道は、この村道付替により荒川右岸と大洞川左岸とに挟まれた白石山北東麓へ通じる手段がなくなるため、地元住民の要望に応えて山林管理及び一般歩行を目的として新たに設置されたものである。

2  南側遊歩道は昭和三五年右付替道路と同時に、被告国によってその建設工事が着工され、翌三六年完成後直ちに被告村に事実土引き渡され、昭和四六年九月二九日の村議会議決により村道として認定されたものである。この遊歩道は、荒川右岸に位置する白石山山腹を削って建設されたものであり、工事延長一七二八メートル、平均幅員一・八メートル、平均地盤高、標高五五二メートルを設置基準として設置された。周囲には人家、その他の建物は全くなく、南側遊歩道に進入するためには別紙図面表示のとおり、荒川左岸から荒川つり橋を渡るか、大洞川右岸から大洞川つり橋を渡らなければならず、南側遊歩道は落石等の危険があるときは臨時に、冬期は凍結の危険があるため全面的に、通行止めの措置がとられている。

3  秩父湖は秩父多摩国立公園内にあり、公園内の観光地の一つとして、四季を通じて多くの観光客がここを訪れている。別紙図面表示のとおり、秩父湖湖畔沿いには国道第一四〇号線、北側遊歩道、南側遊歩道、前記付替道路及び二瀬ダム天端がこれを取り囲むようにして巡っており、これが秩父湖一周ハイキングコースとして大滝村役場発行のパンフレットや湖畔に設置された案内板などで紹介されている。そのため、観光客やハイカーのなかには荒川つり橋又は大洞川つり橋を渡り、南側遊歩道に進入する者も少なくない。右ハイキングコースのうち北側遊歩道は舗装され、手すりや柵が設けられていて、観光客は、ここを散策しながら山や湖の景観を楽しむことができるように施設されているが、南側遊歩道にはそのような施設はなく、設置当時の山道のままの状態であり、ただ、転落の危険がある箇所には鉄製の柵が設けられているが、その保守管理は十分でなく、倒れたままとなっているものもある。

4  きよ美は、本件事故当時満二一歳であり、昭和六三年五月三日午後五時ころ、友人の大蔵が運転する自動車で秩父湖に到着したが、宿が満員で宿泊できず、湖畔の駐車場に自動車を止め、車内で夜を明かした。そして、翌四日、朝食の後、湖畔の散策に出かけ、北側遊歩道を通って、荒川つり橋を渡り、南側遊歩道に進入して、本件事故に遭遇したものである。本件事故現場は荒川つり橋から大洞川つり橋へ向って約二二〇・五〇メートルの地点である。本件事故現場付近においては、遊歩道は二二メートルほど手前から進行方向右手にややわん曲して、ゆるやかな下り坂となっており、その幅員は広いところで約二・三〇メートル、狭いところで約一・三五メートルである。本件事故現場における幅員は一・五〇メートルであり、若干の勾配はあるものの、山側と谷(湖)側とはほぼ水平であって、路肩の境(湖側法面との境)も一見して明らかである。本件事故現場は雑木林の中の山道であり、湖の対岸を一望できるような見晴らしのよい場所ではなく、谷側には秩父湖が迫っていることは歩行者には容易に現認できるところである。

本件事故が発生した昭和六三年五月三日は、曇りで降水当日までの降水はなく、同年四月半ば以降、事故量は、四月一三日に一五・四ミリメートルの降水があり、その後同月二八日までは降水はなく、同月二九日に四〇ミリメートルの降水があり、その後は降水はなく、事故当日の現場付近の路面は、乾いてはいなかったものの、ぬかるんで滑りやすいというほどではなかった。

以上の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

右事実によれば、荒川つり橋を渡り南側遊歩道に進入した観光客等の歩行者は、南側遊歩道が山腹を削って造られた山道であり、谷側には秩父湖へ落ち込む断崖が迫っており、北側遊歩道とは大きくその様相を異にしていること、したがって、ここを通行するためにはその状況に応じて相当の注意を払う必要があることを容易に自覚するはずである。本件事故現場付近においては、遊歩道は二二メートルほど手前から右手にややわん曲して、ゆるやかな下り坂になっており、本件事故現場においては一・五〇メートルの幅員が確保され、路面も山側と谷側とでおおむね水平が保たれているのであり、そうであるとすれば、歩行者において、しっかりとした足取りで、前方、左右を注視しながら進行する限り、湖に転落するということは落石など突然の異常な事態に見舞われるのでなければ起こり得ないと推認されるところ、本件事故の際に、そのような事態が生じたことをうかがわせる形跡はない。それにもかかわらず、きよ美が本件事故現場で湖へ転落したことを考えると、事故の際、きよ美には走るとか、跳ぶとか、よそ見をするなど、右のような状況の場所を通行するに際し通常必要とされる注意を欠いた何らかの異常な行動があったのではないかと疑わざるを得ないのであり、事故を知って救助にかけつけた証人山中武三郎の証言中に、同証人が事故現場で衣服をずぶ濡れにして震えている大蔵に対し「どうしてこのようなことが起こったのか」と尋ねたのに対し、大蔵が「ふざけていて落ちた」と答えた、とあるのはこのことをうかがわせるものである。もとより、証人大蔵克之は、その証人尋問(第二回)において、これを強く否定してはいるけれども、事故についての同証人の証言(第一回)は、大蔵が先に立ち、二、三メートル後をきよ美が歩いていたが、本件事故現場に差しかかった際、突然、背後で「キャー」という叫び声がし、振り向いたところ、きよ美が湖の法面に顔を向けるようにして落下していくのが見えた、というものであって、事故原因と係わりがあるとみられる事柄については何も触れておらず、きよ美に同行していた者の供述としては不自然の感を免れない。こうしてみると、前述した本件事故現場の状況からして、南側遊歩道のうち本件事故現場について手すり、柵等、原告ら主張の転落防止施設が設置されていないからといって、南側遊歩道の設置又は管理(二瀬ダム及びその周辺の管理を含む。)上の瑕疵があるということはできないし、本件事故がそのために発生したとみることも困難である。

三  原告らは、被告国が秩父湖の湖畔に設置した案内板等に南側遊歩道の危険な場所についての表示がなかったことを指摘して、右案内板等の設置に従事した公務員の過失を主張するが、前述したとおり、本件事故現場付近はその周囲の状況に応じた相当の注意を払って通行する限り必ずしも危険な場所ではないし、右案内板等に原告ら主張の表示がなかったことが本件事故の原因となったわけでもないから、右主張は理由がない。

四  よって、原告らの本訴請求はその余の点について判断するまでもなく理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 大塚一郎 裁判官 小林敬子 佐久間健吉)

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