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津地方裁判所 昭和47年(行ウ)1号 判決 1981年5月21日

原告

長岡博行

右訴訟代理人弁護士

田中英雄

秋田瑞枝

松崎勝一

被告

東海郵政局長永岡茂治

右指定代理人

山野井勇作

(ほか一四名)

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が原告に対し昭和四六年九月一四日付けでした原告を懲戒免職とする処分を取消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張(略)

理由

一  本件処分の理由について

本件処分の理由とされた事実が、被告の主張1記載のとおりであることは、原告において明らかに争わないからこれを自白したものとみなす。

しかして、(証拠略)によれば、本件処分の根拠法令は国家公務員法八二条とされているところ、右事実に徴すれば、本件処分は、本件処分事由1並びに同2の各所為のうち、傷害、暴言、暴力的行為及び通行妨害の各行為については国家公務員法九九条に違反したとして同法八二条一号及び三号に、職務命令違反行為については同法九八条一項に違反したとして同法八二条各号に、欠務行為に該るものについては同法九八条一項及び一〇一条一項に違反したとして同法八二条各号に、それぞれ該当するものとしてなされたものと認められる。

二  本件処分の理由となった事実の存否について

1  背景

(証拠略)を総合すれば次の事実が認められ、他にこの認定を左右するに足りる証拠はない。

郵政当局と全逓との関係は、東海地区において、昭和四四年ころから、円滑を欠くようになり、同四五年三月ころ、岐阜県下の郵便局において第二組合が結成され、全逓から脱退者が生じて以来、東海地方全域において脱退者が相次ぎ、そのころ東海地区において二万四〇〇〇名位であった全逓組合員のうち、三〇〇〇ないし四〇〇〇名位が脱退するに至ったため、全逓は、右脱退者の増加は当局の組織切り崩しに基づくものとして、当局と交渉する一方、脱退者増加を防止するだけでなく、積極的に脱退者に説得活動を行い、全逓復帰を促すこととした。そして脱退届が提出された場合には、全逓中央本部に脱退理由、脱退の背景及び問題点等を報告し、中央執行委員長の承認を得て、脱退を認めることにしていたため、全逓の各支部及び分会としては、脱退の意思を表明した者に対して脱退理由を明らかにするよう求めていた。

ところで、鳥羽局においては、昭和四二年五月同局がいわゆるストライキ拠点局となった際、数名の者が全逓組合員でありながら右ストライキに参加しなかったため、参加組合員らが右不参加者らに対し、集会等において説明を求めたりするなどしたことがあったが同四六年四月ころにおいても、局員六一名のところ、労務担当主事及び会計主事を除いた主事及び主任の全員が全逓組合員であって、組合員数は五四、五名にも及んでおり、なお同四四年ころまでは三重県下の各郵便局に比べて局長及び管理職らと職員との関係がとりたてて悪化していたという程ではなかった。

神田局長は、昭和四四年七月に鳥羽局に赴任したが、その際、前任地において同局については、同四二年五月のストライキ拠点局になった際に数名のストライキ不参加者があって、その者らに対するいやがらせなどがあり、同局が混乱したと聞いていたことのほかは、前任局長から労使関係について特に問題がある旨の報告を聞いていなかった。

しかしながら、前記のごとき、東海地区の当局と全逓との関係悪化に伴って、鳥羽局においても、神田局長赴任後、同局の管理職らと組合所属職員との関係にとかく円滑、円満を欠くような傾向がみられるようになった。

2  当事者間に争いのない事実

(一)  請求原因1の事実。

(二)  原告が、鳥羽郵便局長から被告主張の事実を理由として、昭和四五年三月二〇日に訓告処分、同年六月二五日及び同四六年六月二日にいずれも戒告処分にそれぞれ処せられたこと。

(三)  昭和四六年四月二三日、原告が奥田郵便課長に対し、原告の同日の年休請求が不承認になった理由を聞いたこと。

(四)  右同年四月二七日、原告は午前七時から午後三時五分までの勤務であり、市外三区(答志島)の担当であったこと。

(五)  右同年五月一日、原告は午前八時二三分ころ、勤務時間外の職員約二〇名と共に鳥羽局通用門入口付近に集まり、そのころ、神田局長が出勤して入局しようとしたこと。

(六)  右同年五月二日、山本主事(同年四月末ころ全逓脱退)が、午前八時五九分ころ、就労するため郵便外務事務室に入室し、同室の中央部付近まで来たが、そのとき原告は道順組立中の郵便物を手に持っていたこと。

右同日、神田局長は、午前九時ころ、局内巡視のため在室していた郵便外務事務室から退室しようとしていたこと。

(七)  右同年五月四日、原告は、午前八時四〇分ころ、鳥羽局通用門付近機動車置場の棚の上に携帯用スピーカーを置き、マイクを使って通行人に対し、神田局長をエロ局長と形容した発言をしたこと及び同日午後零時一七分ころ石飛主任(同年四月ころ全逓脱退)と食堂において吉崎局員と共に会ったこと。

(八)  右同年五月五日、原告は、奥田郵便課長に対し、午後四時二〇分ころ、組合員約四〇名と共に、郵便課窓口係の経理処理のことについて説明を求めたこと。

(九)  右同年五月六日、石飛主任は、午後六時ころ、休憩時間に入り、郵便内務事務室内の長椅子に腰かけたこと。

(一〇)  右同年五月八日、原告は、午前八時三一分ころ、鳥羽局構内の奥から通用門入口付近まで業務のためスクーターに乗って運転したこと。

原告は奥田郵便課長に対し右同日午後零時二四分ころ、当日の朝、同課長に請求した四時間の年休が不承認とされたことについて抗議をしたこと及び同時刻から午後一時四一分ころまで就労しなかったこと。

(一一)  右同年五月九日、原告は年休であったが、郵便外務事務室に入室したこと。

(一二)  右同年五月一三日、原告は鳥羽局職員らに対し、ビラを配布したこと。

(一三)  (1)右同年五月一八日、鳥羽局郵便課職員西岡晃が奥田郵便課長に対し、午前七時五五分ころ、慢性血膜炎のところ同日の朝、ものもらいができて前が見にくいので、医者に行きたい旨の申し出をした際、同課長は右西岡に対し、午前九時三〇分ころまで道順組立を行い、その後診察を受けるよう指示したこと。

右同日、原告は奥田郵便課長に対し、午前八時三分ころ(勤務時間中)、同課長席において、「課長は病気の者を使うつもりか」と抗議したところ、同課長は、「君に関係ない、就労しなさい」と言ったため、原告は郵便外務事務室で作業中の同課職員らに向って、「みんな聞いてくれ、課長は病人に仕事をさせようとしている」等と発言し、更に右課長に対し、「仲間のことだ、関係がある」と言い、この間、午前八時三分から同八時一二分まで九分間が経過したこと。

(2) 右同日、吉崎局員が、午後五時ころ、同局通用門付近において、古森主任の定期券入れを同人から取り上げ中味を見たことから、古森主任と全逓組合員との間にやりとりがあったこと並びに加藤庶会課長はこのころ右組合員ら(但し、同組合員らが、このとき何をしていたかについては争いがある。)を撮影しようと、カメラを構えたところ、早田支部長がこれに抗議をし、同課長と同支部長との間に、右カメラをめぐる応酬があり、同課長はその間、右カメラを右ポケットに納めたが、再び右手で右ポケットから出し、左手に持ちかえたりしたこと及び原告が右カメラを手にして裏蓋を開けてフィルムを感光させたこと。

(一四)  右同年五月二七日午後零時二五分ころ、中東松己局員の年休不承認に関し、中東、吉崎局員及び原告が郵便経理室に入室し、執務中の奥田郵便課長に理由の開示を求め、被告主張のごとき(被告の主張2(一五))抗議と指示のやりとりがあったこと。

(一五)  右同年六月二日の神田局長から原告への処分書等の手交及びこれに対する原告及び組合員らの対応が「被告の主張2(一六)」に記載のとおりであったこと(但し、原告らが庶会課事務室に入室した態様が乱入であったこと、原告らの神田局長に対する抗議の声が大声であったこと及び同記載の各暴言を吐いたことを除く。)。

(一六)  右同年六月三日局内食堂において郵便外務の組合集会が開催されていたこと及び加藤庶会課長が松本直局員に対し庁舎使用許可時間を経過している旨通告したこと。

(一七)  右同年六月九日、原告は奥田郵便課長に対し、年休請求書を提出したこと。

3  本件処分事由1について

(一)  前記争いのない事実に、(証拠略)を総合すると、後記(1)ないし(3)の事実を認めることができ(但し、<人証略>のうち、後記措信しない部分を除く。)、他にこれを左右するに足りる証拠はない。

(1) 昭和四六年四月三〇日、それまで鳥羽局における全逓組合員であった山本主事、古森主任及び石飛主任の三名は、早田支部長に対して連名で全逓脱退届を提出した。

そこで、早田支部長らは、右同日開催された全逓春闘決起大会において、右同年五月一日から右三名に対し、全逓復帰のための説得活動を行うことを決議し、後記認定のとおり、原告をはじめとする同局全逓組合員(以下、単に組合員という。)らは右同日から右三名に対し、脱退届について説明を求め、あるいは抗議をするなどし始めたが、これに対し神田局長ほか同局管理者らはこれら原告らの行動を正当な説得活動ではないとして、制止しようとしたため、同人らと原告を含む組合員との間に連日のように紛争が生じるようになった。

(2) ところで、右同年五月一八日午後五時過ぎころ、鳥羽局通用門入口付近において、原告を含む組合員らが帰宅しようとした古森主任を取り囲み、脱退問題について話し合うよう求めていたが、そのうち、吉崎局員が同主任のポケットに手を入れて同主任の定期券入れを取ろうとしたため、同主任がこれを拒み争っているうち、吉崎局員は右定期券入れを取り上げ、同主任がこれを返すように求めても応じぬままかえって中味を調べるに至り、これを阻止しようとする同主任ともみ合っていた。

このころ、加藤庶会課長は古森主任が帰宅するに際して、組合員らともめごとが生じないように右通用門付近に出ていたところから、吉崎局員の右行為を現認したので、これを非違行為と判断して後日の証拠とする目的で、所持していたカメラで写真撮影しようとし、通用門入口右脇(同入口から通路奥に向って右側)のコンクリート段に上ってカメラを構えた。

ところが、早田支部長は加藤庶会課長の右撮影行為を見つけると、これに抗議しながら加藤庶会課長の所へかけ寄ったため、同課長は撮影を中止し、通路奥に逃げようとして、通路の出入口の所に行ったが、同支部長は同課長に対し、体当りをして、右出入口の扉に同課長を押し付けた。

そして、早田支部長は加藤庶会課長の腰のあたりを両手で抱え込み、同課長から右カメラを奪い取ろうとしたため、同課長はとっさにカメラを上着の右ポケットに入れ、右手でそのポケットの上から押えて、これを拒んだが、同支部長が組みついて来ると同時に原告が同課長の右側に来て、同支部長と一緒になって同課長のポケットの中からカメラを取ろうとしたため、同課長はきき手である左手にカメラを持ちかえようと右ポケットからカメラを出して、早田支部長に押しつけられながらも背後で持ちかえた。

ところが、加藤庶会課長が左手にカメラを持ちかえると、原告も早田支部長の背後を回って、同課長の左横に行き、両手で同課長の左手を左前方に引っ張り出すようにひねり上げたため、同課長の左手はねじ曲げられたかっこうとなり、同課長は激痛を覚えるとともに原告にカメラを奪取された。

原告は、右のとおり、カメラを奪うと直ちに右通用門入口から同局の側溝付近に行って、カメラの裏蓋を開き、中のフィルムを感光させたうえ、同課長にカメラを返した。

(3) 加藤庶会課長は、原告の右暴行のため、左小指から出血し、しかも左腕が痛むため、右同日、鳥羽市内のヨモヤ外科において四方谷儀助医師から治療を受けたうえ、翌五月一九日、右四方谷医師から右症状について診断を受けたところ、同医師から、「左小指擦過創、左肩胛部左上腕~前腕筋肉痛(捻挫による)」によって右五月一八日から二週間の加療を要すると診断された。

加藤庶会課長は、その後、右四方谷医師から五月二二日、六月一日及び六月一八日にそれぞれ治療を受けたが、六月一八日の診断は、「左小指擦過創、左肩胛部左上腕~前腕筋肉痛(捻挫による)左尺骨神経不全麻痺」により五月一八日から五〇日間の加療を要するというものであった(ちなみに<証拠略>を総合すると右傷害は五月一八日から五〇日を経過したころには治癒しているものと認めるのが相当である。)。

なお、原告は、右加藤庶会課長に対する傷害行為について告訴されたが、昭和四七年六月三〇日付けで津地方検察庁検察官により不起訴処分にされた。

(人証略)中、右認定に反する部分ことにカメラの争奪に関する部分は、前認定の加藤庶会課長の傷害の部位、態様と必ずしもマッチせず、右部分は(証拠略)と対比するとたやすく措信できないものである。

(二)  ところで、吉崎局員の前記行為が古森主任に対する説得行為の範囲を超えたものであることは行為の態様からして明らかであるから、加藤庶会課長が吉崎局員の右行為を撮影することもその証拠を保全するという目的からして相当と認むべきである。したがって、早田支部長や原告の前記加藤庶会課長に対してなした行為は、その目的及び態様からして正当行為として許容さるべきものでないこともまた明らかである。

4  本件処分事由2について

前記争いのない事実に、(証拠略)を総合すると、昭和四六年四月二三日から同年六月九日までの間に原告がなした行為として次の事実が認められ、他にこれを左右するに足りる証拠はない(以下の事実は右のとおり昭和四六年四月二三日から同年六月九日までに鳥羽局内で生じたことがらであるから、月日のみを記し、場所も特に記さない限り全て同局内のものを示すものである。)。

(一)  四月二三日関係

(1) 原告は、奥田郵便課長に対し、四月二三日の支部執行委員会に出席するため、前日の四月二二日午後三時ころ(原告はこの日も友人の結婚式に出席するために年休をとっていた。)、局外から他の職員を介して右二三日は年休をとる旨伝えたが、同課長は、二日後に鳥羽市市会議員選挙の投票日を控えている関係から、選挙関係の郵便物が増加しているため業務に支障があることを理由に、原告に対し、四月二二日に原告の母親を介して、右年休請求を承認しないこと及び他日に振替えるが、その日が都合悪ければ申し出て欲しい旨伝えた。

原告は奥田郵便課長に対し、同月二三日午前七時四〇分ころ、同課長席において、当日の年休請求が承認されない理由について説明を求めたところ、同課長は右のとおり選挙郵便物等の関係で業務上支障があるから承認できない旨説明したが、原告は右説明に納得せず、なお説明を求めているうちに、原告の就業時間である午前八時になった。そこで、奥田郵便課長は原告に対し、勤務時間になったから就労するように命じたが、原告はなおも同課長に対し、年休を承認するよう求め、同課長席の前を離れなかったため、同課長は更に数回就労するように命じたところ、午前八時七分ころ、原告は同課長席前から退去し同時刻から午後二時五〇分までの間、原告が当日就労すべきであった郵便外務事務室を不在にした(なお、原告の勤務時間は午前八時から午後四時五分までである。)。その後、原告は奥田郵便課長に対し、支部執行委員会が終了した午後二時五〇分になって、就労する旨申し入れ、同課長は原告を一二分待機させたうえ、三時二分から翌日配達分の郵便物の道順組立作業に従事させたが、そのときには、すでに、当日原告が担当すべき配達作業は奥村主事が代って行ってしまっていた。なお奥村主事は原告に代って右作業に従事したため、本来同主事が行うべき書留郵便の授受及び転居処理等を行うことができず、これらの仕事が残ってしまった。

鳥羽局では、当日は、市会議員選挙を二日後に控えていたのにすでに年休一名を承認ずみであったため、週休二名のところ、うち一名に対し休日労働を依頼したうえ、非常勤職員を二名雇用し、通常は配達区域を七区画に分担しているが、一区画増やして八区画にして右選挙関係の郵便物の配達に支障がないような体制をとっていた。

(2) ところで、原告の右年休請求については郵政省就業規則八六条により四月二二日の正午までに年休希望日である四月二三日の年休請求書を提出しなければならないから、原告の年休請求は所定の方式を欠くものというべきである。

しかしながら、右のとおり、奥田郵便課長は原告に対し、右請求手続の方式違背の点を指摘することなく、業務支障の点のみを説明したことからすると、当時、鳥羽局においては年休請求の方式については所定どおりのものではなくてもこれを認める取扱いが慣行上なされていたものと推認されるので、以下、原告の右請求を認めると業務の支障となるとして時季変更を求めた奥田郵便課長の措置の当否について検討する。

四月二三日が鳥羽市市会議員選挙の二日前であることから選挙関係の郵便物が増加することは容易に予想されるところ、鳥羽局においても、右のとおり、右増加に備えて配達に支障のないように人員等について配慮していたこと、また、年休請求における業務支障の判断は、その性質上、年休請求日以前になされるものであるから、右判断時に諸般の事情を考慮して業務に支障があることの蓋然性が認められれば、右判断は合理性を有するものというべきであることなどからすると、奥田郵便課長が原告の右年休請求に応じなかったことも合理性を欠くということはできず、また前記事実からすれば同課長が原告に対し、一方的に右年休請求日の振替え日を指定したと非難することもできない。

したがって、四月二三日の原告の就労すべき勤務時間は、午前八時から午後四時五分までであったところ、原告は午前八時から午後二時五〇分までの間欠務したものというべきである。

また、原告は奥田郵便課長、中井課長代理らに対し、右年休請求が不承認となった理由の説明を受けるに際して、「おれは郵政職員じゃない、組合員だ」、「てめえらは書く暇があったら人を探してこい。がん首をそろえて犬畜生にも劣るな、てめえらは」などと発言したことが認められ(<証拠略>)、右発言はその内容及び発せられた状況からして、暴言に該ることはいうまでもない。

(二)  四月二七日関係

(1) 原告は、当日午前七時から午後三時五分までが勤務時間であって、市外第三区である答志島(同島へは船で行く。)を担当していた。

奥田郵便課長は、午前八時一五分ころ、原告担当の市外第三区の組立状況が遅れているように思えたので、中井課長代理に対し調べてくるように指示し、中井課長代理が原告の作業状況を調べたところ、原告はそのときまでに当日の市外第三区の配達数の三分の一程度である同島和具地区までしか道順組立を終えていなかった(ちなみに、同島は同姓の者が多く誤配のおそれがあり、配達のための道順組立作業も他地区に比べて困難な地区ではあったが、原告は、当日まで、月二、三回の割合で二年間にわたって右地区を担当したことがあり、同地区は平均三二〇通の郵便物があるが、原告には過去何回かこれを全部配達した実績がある。)。

奥田郵便課長は、原告の右作業状況を神田局長に確認させるため、直ちに中井課長代理に神田局長を呼んでくるように指示し、原告に対し、道順組立作業が遅れている理由を聞いたが、原告はこれに対し、「さあ」と明確に答えないまま、同八時二〇分ころ(答志島への出航時間は午前八時四〇分であった。)郵便物の道順組立を終了して、出発準備にかかり、同島への小包を入れる郵袋を取りに行った。奥田郵便課長は右郵袋を持って来た原告に対し、なおも道順組立が全部できなかった理由を尋ねると、原告は、「言う必要がない」と言って答えないため、更に答えるように求めたところ、原告は大声で「何を言っている、やっているではないか。ごたごた言うな」と返答した。

原告は、午前八時二五分ころ、右道順組立の完了した分並びに小包及び書留等を鞄に収納し、自転車の方へ向ったが、このとき、神田局長及び加藤庶会課長らが入室したので、奥田郵便課長は同局長に対し、原告の作業能率の程度を見せるため、原告に鞄を渡すように求めたところ、原告は乗船に遅れると抗議したが、結局は同課長に渡したので、中井課長代理が調べると、当日の市外第三区の配達を要する郵便物数一九四通のところ、原告が道順組立を終え、持出した数は七三通であり、その内訳は和具町の一般宛四七通のほか、中学校宛八通、小学校宛六通、郵便局宛七通及び医院宛五通というものであった。

奥田郵便課長が、右調査が終った郵便物を鞄に入れ、原告に差し出して出発を命じたところ、原告は、「おれが自転車につけようとしたのを取り上げたのだから、てめい自転車につけてこい」と言って受け取らなかった。そこで奥田郵便課長が更に出発するよう命じたところ、原告は、「おめいが自転車につけて来たら出発したる」と言って依然として受け取らず、なお同じようなやりとりが続いたが、同八時三一分ころ早田支部長が原告に対し、出発を促したので原告は右鞄を受け取り、自ら自転車につけて出発し、ようやく乗船時間に間に合った。

(2) ところで、当日の原告の作業程度は前認定のとおりであるから、奥田郵便課長が原告に対し、平常より作業能率が下っている理由を問いただしたのも職務上当然であり、原告がこれに対して答えなかったことは理由がないものであったというべきである。

しかしながら、原告が配達のため乗船しなければならない時間が差し迫っているにもかかわらず、同課長が神田局長に対し、原告の作業能率の低下の実態を見せるため、原告の鞄を渡させ、中味について取調べたのは、他に原告の作業能率の低下を調査する方法(残数からの把握及び帰局後の原告からの事情聴取等)がないわけではないのに、あえて配達作業が遅延する危険をおかすものであって、いささか妥当を欠く措置というべきであるが、このことは、原告が右配達作業の遅延について注意を促して、抗議するならば格別、そうではなく、前認定のような言辞を弄して、同課長の職務命令である出発命令に対し従わなかったことを当然に正当化するものではないから、原告は右出発命令に理由なく従わなかったとのそしりを免れず、また右言辞はこれを暴言と評されてもやむをえない。

(三)  五月一日関係

(1) 原告は、当日行われるメーデー集会に参加するため、早田支部長ら勤務時間外の組合員約二〇名と共に通用門入口付近に集合していたが、午前八時二三分ころ、神田局長が出勤したので、右組合員らが同局長に対し、「局長、お早よう」と声をかけたところ、同局長はこれを無視するかのように入局しようとしたので、原告は同局長に対し、「こら局長、お早ようも言わんのか。馬鹿野郎」と声をかけたことが認められる。

(2) 右によれば、原告が神田局長に対し、右発言に及んだのも同局長の右のような態度に反発したものと推認され、同局長の右態度はそれ自体をみる限りでは礼を失するものというべきであるが、これに対する原告の右発言もまた穏当を欠き、上司に対する発言として暴言というべきである。

(四)  五月二日関係

(1) 午前八時五九分ころ、原告は市内三区を担当し、郵便外務事務室において郵便物の道順組立をしていたが、誤って区分された郵便物があったため、その郵便物を同室中区分台へ持って行こうとしたところ、山本主事が奥田郵便課長に伴われて入室し、同室を通って郵便経理室に向ったので、原告と交差する形になった。すると原告は山本主事に対し、「裏切者が来たぞ」と発言し、その場から退かなかったため、あたかも山本主事の通行を妨害するようなかっこうになった。

そこで奥田郵便課長は原告に対し、出勤の妨害をしないで、仕事をするように言ったところ、原告は同課長に対し、「こら、暴力課長」と発言した。

その後、山本主事は自席で就労し、奥田郵便課長も自席に行ったが、折りから郵便外務作業室に巡視に来ていた神田局長が退室しようとしたところ、原告は、「暴力団が一匹おるぞ、職場は急に暗くなった」と発言し、同局長が右発言を無視して右室から通路に出ると、同局長が右室の入口の戸を開いたままで退室したことに対し、「局長、戸を閉めんか、便所へ行っても尻もふかんのか」と発言した。

ちなみに、神田局長は右室に入った際、右入口の戸が開けたままになっていたため、退室するときも、そのままにして出たものである。

なお、前記認定のとおり、山本主事は、石飛主事及び古森主任と共にかつて全逓組合員であったが、四月三〇日に三名の連名で、早田支部長に対し全逓を脱退する旨の届出をしたため、奥田郵便課長は、山本主事の出勤及び入局に際し、全逓組合員らとの間において混乱が生じないように山本主事につきそっていたものである。

(2) ところで、原告が山本主事に対し、前記発言をなしたのは、山本主事が脱退届を提出したことに端を発したものと認められるが、原告の右発言が勤務時間内にしかも局内で前認定の態様の下になされたものであることからすると、単に組合からの脱退者に対する批判として許容される限度を逸脱しているものというべく、右状況下において、奥田郵便課長が制止行為をなしたのも当然であるというべきである。

したがって、原告の奥田郵便課長に対する発言は、上司に対する暴言と認められる。

また、原告が、右のとおり、「暴力団が一匹おるぞ。職場が急に暗くなった」と発言したのも、右発言時の状況からすると、神田局長に対して向けられたとみるべきであり、右発言内容からして、同局長をひぼうするものであって、とうてい許容することができない発言というべきである。

そして、原告の神田局長に対する発言のうち、戸の開閉についての部分は、同局長の退室の仕方をとがめたものともみられるが、それがなされた状況を考えれば、戸を閉め忘れたというさ細な行為に藉口して同局長をさげすむ発言というべきであり、その直前の発言とあいまって、暴言にあたるというべきである。

(五)  五月三日関係

神田局長が局内巡視のため、午前八時四二分ころ、郵便外務事務室へ行ったところ、原告が同局長に対し、突然、「こら、畜生」と発言した。

原告の右発言は、当然に神田局長に向けてなされたものであり、同局長をひぼうするものであることが明らかである。

(六)  五月四日関係

(1) 午前八時四〇分ころ、原告は、構内通用門入口付近の車両置場の柵の上に置いた携帯用スピーカーマイクを使って通行人に対し、「市民の皆さん、ここに立っているのはエッチ局長で女性のスカートを捲くったりするエロ局長です。その隣りに立っているのは暴力課長の郵便課長です。三匹の侍でなく三匹の悪徳管理者です。よくご覧下さい」と発言し、原告のこの発言を聞いた通行人のうちには、けげんそうな顔をして立ち止まって見ている人もいた。そこで、神田局長がこれを制止したにもかかわらず、原告は、更に、「今文句を言ったのがエロ局長だ」などと発言をつづけた(右事実のうち前記争いのない部分のほかは、原告において明らかに争わないから、これを自白したものとみなす。)。

(2) 午後零時一七分頃、原告及び吉崎局員が同局食堂で食事をしようとしている石飛主任に対し、肩をおさえつけるようにして椅子に座わらせ、同主任が食事をするのを妨害していたので、奥田郵便課長がこれをやめるように制止すると、原告は、「何を抜かすか馬鹿野郎」と発言し、同課長を身体で押して同食堂入口から押し出した。また、神田局長が同主任を追いまわしていた吉崎局員に対し、「止めないか」と言ってこれを制止したところ、原告は同局長に対し、「このあほんだら局長」と暴言を吐き、腕組みした肘で同局長をぐいぐい押して同食堂内入口隅へ押しつけたうえ、同局長に顔をくっつけるようにして大声で、「馬鹿野郎、でくの坊」といったりなどして、その間約一〇分間同局長の行動を妨害した。

(3) ところで、原告が通行人に対し、神田局長が女性のスカートをまくったエロ局長である旨の発言をなしたことは、たとえ同局長に右のような事実(本件全証拠によるも、この事実は認定することはできない。)があったとしても、部外者である不特定多数の通行人に対して、同局長を示してなした点でその名誉を害し、ひぼうするものであることは明らかであり、暴力課長及び悪徳管理者等の発言も右同様、管理者らに対するひぼうであることは明らかというべきである。

また、原告等の石飛主任に対する右行為が、たとえ脱退者に対する説得活動として行われたとしても、食事をしている石飛主任に対し、無理矢理押えつけるようにして椅子にすわらせて、食事を妨害したり、追いかけまわしていやがらせをするような態様で行われる場合は、正当な説得活動とはいえず許されないものというべきであるから、奥田郵便課長及び神田局長が、右行為をなした原告らに対し、右行為を制止したのも原告らの説得活動に対する介入ないし妨害ということはできず、原告が奥田郵便課長及び神田局長に対してなした言動もまた許されないものであることは明らかである。

(七)  五月五日関係

(1) 午前八時五五分ころ、原告は早田支部長らと共に、通用口入口付近において、山本主事及び石飛主任が出勤してくるのを待ち受け、右両名が出勤してくるや、これを取り囲み、裏切者などの罵声を浴びせて右両名の入局を妨害していたため、神田局長、加藤庶会課長及び奥田郵便課長らがこれを制止したところ、原告らは神田局長らに対し、出勤時間になっていないこと等を理由に組合活動に介入しないように抗議した。ところが、その間に山本主事及び石飛主任が入局し、郵便課更衣室に入室してしまったため、原告は神田局長に対し、「こら、局長。女子高校生のスカートをまくりやがって、このエッチ局長」と発言した。

(2) 午後四時二〇分ころ、原告は組合員ら四〇名位と共に郵便経理室に赴き、早田支部長ら七、八名と奥田郵便課長を取り囲み、同課長に対し、石飛主任が郵便課窓口係を担当した際に生じた欠損金の事後処理方法について説明を求めたところ、同課長は早田支部長らに対し、右の問題についてはすでに前日、組合側の西井副支部長及び松岡分会長に対して説明をしているし、当日の午前一〇時ころ右両名が再び説明を求めに来た際、他局の組合員ら一〇名位も抗議に押しかけたりしたため、右説明が中断したという経緯もあり、しかも右のように集団で押しかけていることから、何ら説明することなく、話し合う必要がないから直ちに退去するように命じた。これに対し各組合員らは奥田郵便課長に対し、次々と罵声を浴びせ、原告も同課長に対し、「でくの坊」「馬鹿野郎」と発言した。

その後、奥田郵便課長は原告ら組合員に対し、退去命令を発したが原告らはこれに応じることなく、加藤庶会課長が右郵便経理室に赴いて解散を命じたところ、原告は同課長に対し、「馬鹿野郎また出てきやがった。すっこんどれ」と発言した。

(3) 更に、原告ら組合員は右郵便経理室から退去せずにいたところ、山本主事及び石飛主任の勤務が終了したため、原告らは右両名を取り囲み、いやがらせを行った。

午後四時五八分ころ、山本主事は、原告ら約四〇名に取り囲まれ、いやがらせを受けて自席の机に頭をかかえてうつ伏せになっていたため、神田局長及び奥田郵便課長が山本主事に対し、局長室に保護する旨申し出ると、これに応じたので、同局長及び同課長が山本主事の腕を両側から支えて、郵便経理室から局長室へと連れて行こうとすると、原告は早田支部長と共に、同局長らの前に立ちふさがり、同局長らが進もうとする方向にそれぞれ立ち塞がって妨害した。

また、午後五時ころ、原告は西井副支部長と共に、右郵便経理室において、石飛主任に対し、しきりに話しかけていたため、加藤庶会課長が原告らに対し、退去して、石飛主任を帰宅させるよう命じたところ、原告は同課長に対し、「馬鹿ったれ、何をごたごた言ってくる、引っこんどれ」と発言した。

(4) 右(1)及び(3)における原告らの行為は、その態様からして正当な説得活動の範囲を逸脱するものであって説得活動としては許されないものであるというべきであり、右(2)についても、右認定のような状況のもとにおいては、同課長が原告らの説明要求に対して、これを拒み、直ちに退去命令を発したことも理由があるというべきである。

右のとおり、原告の右(1)ないし(3)における行為は、いずれもこれを正当とする理由がなく、職場の秩序を乱す行為であることは明らかである。

(八)  五月六日関係

(1) 午前八時二七分ころ、神田局長は通用門入口付近において、原告らが古森主任の出勤をとり囲んで妨害したので、これを制止したところ、原告は同局長に対し、「こら、エロ局長、おまえはそれでも局長か」と発言した。

その後、古森主任が入局したので、神田局長が二階の局長室に行こうとして、局舎内一階通路を階段に向ったところ、原告が右通路正面から配達に出発するため自転車に乗って通用門入口方向に出てきたので、神田局長と原告とは右階段前の通路で向い合った。ところが、原告は自転車に乗ったまま右足を進行方向右側にある階段に置いて、神田局長の進路を右自転車で塞ぎ、同局長の通行を妨害したので、同局長は原告に対して妨害しないように制止し、奥田郵便課長も原告に対し、出発するように言ったところ、原告は右両名に対し、「うるさい」と発言し、なおも同局長の通行を妨害し続けた。そのため、神田局長は、やむをえず原告が乗っている自転車の荷台を持ち上げて移転させたうえ、階段を昇って局長室へ行った。

(2) 午後六時ころ、原告は、石飛主任が休憩時間になって郵便内務事務室内の長椅子に腰かけると、西井副支部長らと共に、局内の食堂において話しをしようと同主任を長椅子から引きずり出そうとした。しかし同主任は長椅子をしっかりつかんで、その場で休憩する旨告げて、これを拒んだので、奥田郵便課長が原告らに対し、退去するよう命じたところ、原告は他の組合員一名と共に同課長を体で押し、郵便取揃台に同課長の背中を押しつけた。

そして、折りから右同室に来ていた高垣貯保課長が原告らに対し、奥田郵便課長から離れて退去するように命じたところ、原告は高垣貯保課長に対し、「うるさい、われは」と発言した。

その間、西井副支部長らは、石飛主任を引きずっていこうとしたので、同主任は奥田郵便課長に対し保護を求め、同課長が保護するため同主任の所まで近づいたところ、原告は同課長を背後から抱きかかえて、同主任の反対方向に半回転させたうえ、小包保管棚に片足をかけて両手を広げ、「通れるものなら通ってみよ」と発言して同課長の通行を妨害し、更に他の組合員一名と共に同課長をはさみつけたりしたため、同課長は石飛主任の所へ近づくことができなかった。

(3) 以上のような原告らの神田局長らに対する発言及び通行妨害等の所為が正当な組合活動といえないことは明らかである。

(九)  五月七日関係

(1) 午前八時二三分ころ、原告は出勤して来た神田局長に対し、通用門入口付近において、「こらっ、エロ局長」と大声で発言した。

神田局長は原告の右発言を制止して局長室に入った後、加藤庶会課長と共に通用門付近において、原告ら組合員らが古森主任の出勤を妨害するのを制止し、午前八時三〇分ころ、再び局長室に行くため階段下の下駄箱前でスリッパに履きかえようとしたところ、原告は右下駄箱の蓋を背中で押え、同局長がスリッパを取り出せないようにした。そこで、神田局長は原告に対しその場をどくように求めたが、原告はこれに応じなかったため、同局長はやむなく靴のまま階段を昇ったところ、原告は同局長に対し、「こら、局長のくせに土足で上がりやがって、馬鹿野郎」と発言した。

(2) 午前九時二六分ころ、原告は早田支部長らと共に、通路付近において、勤務を終えて帰宅しようとしている石飛主任を取り囲み、早田支部長が同主任を貯金保険課資金室の鉄格子に押し付けていたので、加藤庶会課長が早田支部長に対し、石飛主任を帰すように求めたところ、原告は同課長に対し、「こらっ、また出て来やがった、すっこんどれ」と発言し、肘で同課長の胸部を突いた。

(3) 午後四時五〇分ころ、原告は西井副支部長と共に、無断で庶務会計事務室に入って古森主任に対し同主任の勤務が終了する午後五時から話し合うよう求めたところ、加藤庶会課長は古森主任が勤務中であり、原告らが同主任の業務を妨害しているものと考え、原告らに対し退去を命じたため、原告らは同室から退出した。

その際、右同室の入口の戸が開けたままになっていたため、加藤庶会課長が戸を閉めたが、原告は、同課長の戸の閉め方が強い調子であったため、再び戸を開けて、同課長に対し、「今の戸の閉め方はなんだ、表へ出ろたたんでやろうか、手前のようなやつはたたんでやる」と発言した。

(4) 原告の(1)及び(2)における発言が神田局長あるいは加藤庶会課長に対する暴言というべきものであることは明らかであり、また、右(2)における原告及び早田支部長の行動は正当な説得活動の範囲を超えているというべきであるから、加藤庶会課長がこれを制止するのは当然であって、原告の右、(1)、(2)における行為は許さるべきものではない。

また、右(3)については、原告らが古森主任に対し、同主任の勤務時間中に説得活動に応じるよう求めたことが明らかであるから加藤庶会課長が原告らに退去を求めたのも正当というべきであり、退室後の原告の発言は、同課長の右退去命令に対して腹立ちまぎれに行われたものと推認されるがその内容からみて暴言に該ることはいうまでもない。

(一〇)  五月八日関係

(1) 午前八時三一分ころ、神田局長が通用門入口付近東すみに立って、郵便外務員が出発するのを見ていたところ、原告が右通用門奥からエンジンをかけたスクーターに乗って右通用門付近に来て、同局長に対し、「こらっ、局長、どかんか、どけ」と発言し、同車の前車を同局長に向けたため、同局長はこれを避けるため機動車置場の方へ逃がれた。

(2) 原告は午後零時から勤務時間であったが、当日朝、原告が奥田郵便課長に対して年休を請求したところ、業務上支障があるという理由で承認されなかったため、午後零時一六分ころから、郵便経理室において、同課長に対し、右休暇請求が不承認となった理由を明らかにするよう求めた。右同課長は原告の右要求に対し、当日午前中に原告の右年休請求を業務上の支障を理由として不承認にした際、原告が業務上の支障の具体的内容について明らかにするように求めなかったことを根拠に原告の右要求に答えず、原告に対し就労するよう命じた。原告はなおも、奥田郵便課長に業務上の支障について説明を求めたりして、同一時四一分まで就労しなかった。

ところで、奥田郵便課長が、午後一時三分ごろ、神田局長のもとに右状況等の説明に赴いたところ、原告は、同課長席の椅子に腰をかけ、机の上に靴履きのまま足を乗せて、加藤庶会課長に対し、「庶務課長、おれはなあ、時間休をくれるまで帰らんから、記録しておけ」と発言し、同課長がこれを制止しても、なお、「足が重い。おろしてくれ」と発言し、右机の上を足でトントンと二回たたいたりした。

そして、午後一時二〇分ころ、神田局長が郵便経理室に入室し、原告に対し、原告請求の右年休は業務に支障があるから出せない旨説明して奥田郵便課長に局長室に来るよう告げたところ、原告は同局長に対し、「すけべやろうひっこんでおれ」と発言した。

(3) 午後一時二一分ころ、奥田郵便課長が郵便経理室から局長室に行こうとしたところ、原告は早田支部長らと共に同課長の前に立ち塞がったので、加藤庶会課長及び高垣貯保課長がこれを制止したが、原告らは応じなかった。そして、原告は郵便経理室と郵便外務事務室との境にあるドアの所に立って、郵便経理室の方を向いて奥田郵便課長の通行を妨害(なお、郵便経理室から同外務事務室へは、原告が立っていた入口が最も近いものであるが、この入口に接している他の入口もあった。)するようにしていたため、高垣貯保課長が原告に対し通すように求め、原告の脇をすり抜けようとしたところ、原告は同課長に対し背を向けるようにして手を上げたので、原告の左肩が同課長のあごに当った。そこで同課長があごを押えながら、原告が同課長のあごを小突いたと発言したところ、早田支部長らがこれに抗議し、原告は早田支部長らと共に高垣貯保課長を市外第三区道順組立棚と請負区の間に三分間位押しつけ、原告が同課長のあごを小突いたのではなく、単に当っただけである旨抗議し、神田局長及び加藤庶会課長らが高垣貯保課長を通すように求めたが、原告らはこれに応じなかった。

(4) なお、当日の人員配置は、週休者二名、年休者一名及び代休者一名であったため、非常勤者一名が雇用されていたところ、原告の当日の仕事内容は、郵便ポストからの郵便物取集、中の郷郵便局が引き受けた郵便物を取りに行くこと及び速達の配達等であったが、右中の郷郵便局の分は、中井課長代理が行い、速達の内務処理等は奥田郵便課長が応援して処理した。

(5) 以上認定の事実関係からすれば、(1)における原告の言動はもとより許さるべきものとはいえず、当日奥田郵便課長が原告の年休請求に応じなかったことは請求時期や要員事情からみて理由があるものと認められるからこれに対応する(2)における原告の言動、また(3)における同課長や高垣貯保課長の行動に対する原告を含む組合員らの言動が許さるべきものでないことは明らかである。

(一一)  五月九日関係

(1) 午前九時五五分ころ、石飛主任が出勤して通用門付近にくると、原告が西井副支部長らと共に同主任の入局を妨害したため、奥田郵便課長が神田局長及び加藤庶会課長らと共に原告らの妨害行為を制止したところ、原告は奥田郵便課長の右胸のあたりを、腕組みしたままの右腕で突いたため、同課長は通用門入口向って左側の扉にぶつけられた。そこで奥田郵便課長が原告に対し抗議すると、原告は石飛主任が押した旨弁解した。

(2) 午前一〇時ころ、原告は年休を取っていたが、他の組合員一名と共に郵便外務事務室に入室し、居合わせた神田局長に対し、「よう、こんな極悪人が郵便課長とそろったものだ」と発言した。

(3) 午後零時五〇分ころ、原告が吉崎局員と共に、郵便経理室に入室したので、奥田郵便課長が勤務以外の者は退去するように命じたが、原告らはこれに応じることなく、次いで発せられた加藤庶会課長の退去命令も無視した。そして、原告は奥田郵便課長に対し、「てめえの昨日の態度は何だ、余りなめるなよ」と発言し、山本主事にも「責任転嫁するな、なんとか言え」「あんまり人をなめるなよ」などと発言して同課長の退去命令にも従わないままでいたが、午後零時五五分ころ、神田局長が郵便経理室に入室すると、同局長に対し、「女の子のスカートをまくりやがって」と発言し、同局長から退去命令を受けると、更に、同局長に対し、「やかましい、馬鹿野郎」と発言した。原告はなおも、加藤庶会課長及び奥田郵便課長に対し、「よくもでくの坊ばかりそろえやがったな。あほんだら」「おめえらも、そのうちに痛い目に会わせてやるぞ」と発言し、山本主事の耳元で、「大概にしておけよ、またやったる」と大声を出し、同主事の机を激しくたたいた。

(4) 右認定事実からすれば、(1)における奥田郵便課長らの制止行為は職務上当然の措置であり、これに対する原告らの言動はもとより許さるべきものでなく、また、(2)、(3)における原告の言動が許容されるものでないことは明白である。

(一二)  五月一〇日関係

(1) 午後五時過ぎころ、原告は二〇名余りの組合員らと共に、通用門前付近において、石飛主任の出勤を待っていたが、午後五時一五分ころ、同主任が出勤すると、直ちにこれを取り囲み、同主任の入局を集団で妨害したので、神田局長及び各課長がこれを制止した。ところがその際、神田局長が原告らに対し、「局長の体に指一本触れてみよ、告訴するぞ。」と発言したため、早田支部長らはこれに抗議し、早田支部長が同局長を貯金保険課室の腰板に押しつけたりするなど混乱状態となり、早田支部長らは、折りから鳥羽局に臨局していた坂井労務連絡官にも抗議等を行った。

午後五時四〇分ころ、神田局長及び各課長は右労務連絡官も含めて局長室に引き上げたが、原告ら組合員二〇名余りが早田支部長を先頭にして庶務会計課室に入室したうえ、神田局長の右発言に対する回答を求めて、局長室へ入室しようとしたので、加藤庶会課長が解散、退去するよう命じたが、原告らはこれを無視し、強引に局長室に入室しようとして奥田郵便課長らに阻止された。

(2) その後、坂井労務連絡官と早田支部長との間で、神田局長の右発言をめぐるやりとりがあったが、午後六時から石飛主任の休憩時間となるため、奥田郵便課長及び高垣貯保課長が郵便内務事務室に様子を見に行ったところ、原告ら六、七名の者が同室に入室して来たので、奥田郵便課長が勤務時間外の者の退去を命じた。しかし、原告らは右命令を無視して石飛主任に対し話し合いを求め、連れ出そうとしたが、同主任はもう話すことは何もない旨答えて、拒み続けたため、原告は吉崎局員と共に同主任の事務服の左袖を引っ張ったりして、なおも同主任を連れ出そうとした。

(3) そこで、高垣貯保課長は原告らに対し、石飛主任は話し合いに応じない旨答えているから、同主任から手をはなすよう告げ、右吉崎局員の腕を同主任から引き離そうとしたが、吉崎局員に手を振り切られ、原告も同課長に対し、「われは関係ない、あっちへ行け」と大声で発言した。

そして、奥田郵便課長が原告及び吉崎局員に対し、退去命令を発し、同人らと石飛主任との間に割って入ったところ、原告は同課長に対し、「うるさい」「黙っとれ」と大声を出し、吉崎局員と共に同課長を郵便物取揃台の所に、体ごと押しつけた。そこで、高垣貯保課長がこれを制止しようとすると、原告と吉崎局員は同課長に詰め寄って抗議した。

午後六時一八分ころ、石飛主任は西井副支部長に対し、「二人だけで話そう」と言って郵便経理室に入室した。奥田郵便課長と高垣貯保課長は郵便内務事務室から全員を退室させるために郵便経理室に入室しようとしたが、原告は吉崎局員と共に同室入口に立ち塞がり、右両課長の入室を妨害し、両課長が妨害せずに退去するよう求めたが、これを拒み、その際、原告は高垣貯保課長の耳元で「うるさい、黙っとれ」と大声でどなった。

午後六時二二分ころ、神田局長が郵便外務事務室に入室し、原告らに対し、勤務者以外の者の解散及び退去を繰り返し命じたところ、原告は吉崎局員及び植村局員と共に同局長に対し、大声で罵声を発し、更に原告は吉崎局員と共に同局長に対し、体当りして郵便外務作業室から通路に押し出し、同室の戸を閉めた。そして原告は、神田局長が右室外から室内を見通せないように内部から雨具を広げて同局長の視界を妨害し、同局長がすきを見て郵便外務作業室に入ると、同室内においても右同様、同局長の前に右雨具を広げて視界を妨げた。

(4) (1)ないし(3)における原告らの行動が石飛主任に対し説得行為をなす目的であったとしても許容し得る説得活動の範囲を超えているものというべきであり、神田局長ほか管理者側において原告らに対し、これを制止し、あるいはその場から退去を命じたのも正当であるというべきである(なお、神田局長が原告らに対し、右(1)のような発言をなしたことは右状況のもとでもいささか穏当を欠き、そのためかえって混乱を深めてしまったという面がないわけではないが、これによって原告らの石飛主任に対する行為及び原告らの同局長の右発言に対する抗議行動がそれぞれ当然に是認されるというものでもないことは明らかであるから、右混乱の結果を、同局長の右発言に帰せしめることはできない。)から、原告の右行為がいずれも正当なもので許されるとすることはできない。

(一三)  五月一三日関係

(1) 午前八時二五分ころ、原告は一〇名余りの組合員らと共に、鳥羽局前付近において、春闘応援の青年部キャラバン隊を待ち受けていたところ、古森主任が出勤してきたので、同局前一〇〇メートル位の路上から同主任を取り囲んで出勤を妨害したため、同主任は就労時間に五分間遅れた。

(2) 午前八時五五分ころ、山本主事及び石飛主任が出勤してきたところ、鳥羽局通用門入口前には服部地区副委員長以下四〇名余りの組合員らが集合し、右両名の入局を妨害したので、奥田郵便課長及び高垣貯保課長が右妨害を制止したが、右組合員らはこれを無視して体で押したりして妨害していた。その際、原告は山本主事に対し、奥田郵便課長が出勤妨害を制止したにもかかわらず、同主事の肩に両手をかけて、同主事の体を揺さ振りながら、「てめえ、昨日の元気はどうした、裏切者、犬畜生に劣る。お前が裏切ったため職場が暗くなった。この責任をどうしてくれる」と発言し、加藤庶会課長がこれを制止すると、更に同主事に対し、「今日の帰りはきついぞ、覚えておけ」と発言した。結局、山本主事は就労時間に四分間遅れた。

(3) 午前九時二〇分ころ、原告は他局の組合員ら二〇名位と共に、郵便外務室にゼッケンを着用して入室しようとしたので、奥田郵便課長が退去命令を発したが、これに応じることなく、かえって同課長を体を使って市内一区の道順組立棚に押しつけ、この間に右二〇名位の組合員らは郵便外務事務室及び同内務事務室に入り込んだ。原告も奥田郵便課長のもとから、右組合員らと共に郵便内務事務室へ入り、同課長の退去命令を無視して、同室において勤務中の職員らにビラを配付したうえ退出した。

(4) 午後四時五〇分ころ、山本主事及び石飛主任の勤務が終了したが、局内通路付近に組合員らが多数集合していたので、奥田郵便課長及び高垣貯保課長は右両名を混乱なく帰宅させようと、郵便経理室に石飛主任を待機させたうえ、山本主事を伴って右通路に行ったところ、青年部交流オルグの組合員らに取り囲まれ、混乱状態が生じた。

そして、石飛主任は郵便経理室において、一〇名位の組合員に取り囲まれ、原告から罵声を浴びせられていたため、加藤庶会課長が原告に対し、同主任を帰宅させるように命じたところ、原告は同課長に対し、「また出て来やがった、てめえに関係がない、すっこんどれ」と発言した。

(5) 右認定の事実関係からすれば、右(2)及び(4)については、石飛主任らに対する正当な説得活動とはいえず、奥田郵便課長らの行動がこれに対する不当介入に該らないことは明らかであり、(1)及び(3)における原告の行動が組合活動として許される範囲を超えていることも明らかである。

(一四)  五月一八日関係

(1) 午前七時五五分ころ、郵便課職員西岡晃は奥田郵便課長に対し、慢性血膜炎であるのに、当朝ものもらいができたため前が見にくいから、医者に行きたい旨申し出た。奥田郵便局長は西岡局員から症状及び作業の支障の具合などを聞いたうえ、午前九時三〇分ころまで道順組立を行い、その後診察を受けるよう指示した。西岡局員は奥田郵便課長から右指示を受けた後、原告に対し、休みがとれないかと相談したところ、原告は同課長に対し、午前八時三分ころ、課長席において、「課長は病気の者を使うつもりか」と抗議した。しかし奥田郵便課長は原告に対し、「君に関係ない、就労しなさい」と言って、原告の右抗議には答えず就労すべきことを命じたが、原告は郵便外務事務室で作業中の郵便課職員らに対し、「みんな聞いてくれ、課長は病人に仕事をさせようとしている」等と発言し、更に同課長に対し、「仲間のことだ、関係がある」などと言って、すぐにはこれに従わず、この間午前八時三分から同八時一二分に勤務につくまで九分間が経過した。

その後、奥田郵便課長は西岡局員から、症状等について再度事情を聞いたところ、同局員は、組立作業に従事したうえ、午前九時ないし九時三〇分ころから医師の診断を受けたいと答えた。

(2) 右のところからすれば、原告が青年部長の役職にあるからといって、同課長の就労命令を無視してまで抗議を継続することは許されないものであり、右欠務は理由のないものというべきである。

(一五)  五月二七日関係

(1) 当日の朝、中東松己局員が奥田郵便課長に対し、当日の年休請求をしたが、同課長は業務に支障があることを理由に他時季変更をした。そこで、中東局員は原告に対し、右年休請求が業務上支障がないにもかかわらず他時季変更された旨相談したため、原告は奥田郵便課長に対し、午後零時二五分ころ中東局員に当日年休が出せない理由を納得できるように説明するよう求めた。しかし、奥田郵便課長は原告に対し、原告には関係のないことであると言って退去するよう命じ、中東局員に対し、年休は承認できないこと及び六月八日に振替えることを言った。その後原告及び吉崎局員は奥田郵便課長の右退去命令に従わず、なおも同課長に対し、他日振替え及び不承認の理由を説明するように求め、同課長が原告らに対し、原告らには関係がないから退去するよう命じたがなおもこれに応ぜず、理由を明らかにするよう繰り返し求めた。

午後零時三七分ころ、加藤庶会課長が原告らと奥田郵便課長との右やりとりが騒がしかったため、郵便課長室へ行ったところ、原告は加藤庶会課長に対し、「ここは庶務課長の来る所ではない、あっちへ行っておれ、でくの坊。たっているばかりが能じゃない、あほんだら」と発言した。そこで加藤庶会課長が原告に対し、退去するよう命じたところ、原告はこれに従わず、なお同課長に対し、「馬鹿野郎、おれは郵便課長に年休がなぜ出せんかと聞いているんだ、てめいなんかひっこんでおれ」と発言した。

(2) 当日は、前日に配達できなかった郵便物が約八〇〇通あり、当日も平常の郵便物数よりも約四〇〇通多い状態であり、しかも週休者二名、年休者一名、訓練に行っている者一人という状況だったので、非常勤者が二名採用されていた。

(3) 右のとおり中東局員が当日の朝になって当日分の年休を請求したこと、しかも当日の郵便物の量及び人員配置の状況が右(2)のとおりであることからすると、奥田郵便課長の右時季変更は適法であったというべきであるが、原告が青年部長という役職にあったことからすると、中東局員から相談され、同課長に対し時季変更の理由の説明を求めたのもあながち不当ということはできないから、同課長が原告に対し、何ら説明することなく原告には関係がないから退去せよと命じたことにはいささか当を欠く点があったといいうるであろう。しかし右認定の一連の経過からすれば、そのことの故に原告の加藤庶会課長に対する言辞が当然に正当化されるものではなく理由のない暴言といわざるをえない。

(一六)  六月二日関係

(1) 午後二時四〇分ころ、原告は局長室において、神田局長から戒告処分を発令され、処分書及び処分説明書を受領したが、読了後、同局長の机の上にこれを置いて退室した。その後、午後三時四一分ころ、原告は神田局長に対し、右処分書及び処分説明書を受取る旨告げて受領した。

そして、午後五時五〇分ころ、原告は坂倉全逓三重地区委員長及び早田支部長ら二〇名余りの組合員と共に庶会課事務室に入室し、右処分の説明を求めるため神田局長に面会したい旨要求した。これに対し、加藤庶会課長は原告及び坂倉委員長らに対し、解散退去命令を発したが、原告らはこれを無視し、なおも右要求をなした。この際原告は同席していた奥田郵便課長に対し、「自分の部下が聞きに来ておるんだ、取り次げ」「でくの坊」などと発言した。

(2) 右の状況下でなされた原告の一連の発言が暴言というべきものであることは明らかであり、もとよりその場で管理者側において右処分事由について合理的説明をなすべき筋合のものでもないからこれがなされなかったことをもって原告の発言を正当化し得るものではない。

(一七)  六月三日関係

(1) 郵便外務分会の集会が、午後四時一五分ころから食堂において開催されていたが、使用許可時間である午後五時を過ぎても右集会が終了しないため、午後五時五分ころ奥田郵便課長及び加藤庶会課長が右食堂に赴き、同課長が右集会の責任者である松本局員に対し、予定時間を経過したから解散するように命じたところ、原告は同課長に対し、「てめえ、何をごたごた言ってくる。あっちへ行っておれ、この馬鹿野郎」と発言した。

(2) 右の事実からすれば、奥田郵便課長らの右解散命令は庁舎管理規程等の定めにそったもので組合活動に対する不当介入であるとすることはできず、庁舎使用の延長を申し出ることもしないで管理者側の措置を非難することは正当とはいえず、原告の発言はもとより暴言にあたる。

(一八)  六月九日関係

(1) 午前八時四五分ころ、奥田郵便課長は、原告が配達中区分作業を椅子に腰かけながら行っていたので、中井課長代理を介して標準作業方法で行うよう命じた。すると午前八時五二分ころ、原告は奥田郵便課長に対し、仕事に気が乗らないから休ませて欲しい旨申し出たため、同課長は原告に対し、体調が悪いのかと尋ねたが、原告は体調については何ら答えず、気が乗らないためと答えた。そこで、奥田郵便課長は原告に対し、すでに作業が開始されているから就労するように命じた。

原告は、右就労命令が発せられると暫時右作業に従事したが、午前九時一二分ころ、奥田郵便課長に対し、年休請求書を提出して、再び年休を求めた。奥田郵便課長は原告に対し、再度就労を命じたところ、原告は年休が認められない理由を説明するように求め、右説明がなされるまでは就労しない旨告げて外務主事の机の上に腰かけて、午前九時一七分ころまでの間、就労しなかった。

(2) 午前九時一八分ころ、奥田郵便課長は原告に対し、中井課長代理を介して、原告の右年休請求は業務に支障があるから六月一三日に振替えする旨伝えた。

ところが、原告は、午前九時二三分ころ、作業をやめて郵便課長席に来たので、奥田郵便課長は原告に対し、直ちに就労するように命じたところ、原告は同課長に対し、「どれだけ業務に支障をきたすのか、答えてみい。答えられんのか、このどあほう」と発言し、午前九時二六分ころ就労した。

(3) 当日の人員配置は、週休者二名、年休者一名、訓練に出向いている者一名であり、非常勤一名が雇いずみになっており、当日の取扱い郵便物数は約三〇〇〇通であった。

(4) 右(3)の当日の人員配置及び郵便物の状況及び原告の年休請求は作業時間後になされていること、また請求時における言動からすると、奥田郵便課長が原告の年休請求に対し、時季変更をなしたことは正当であるというべきであり、原告の欠務及び発言を正当なものということはできない。

三  非違行為がなかったとの主張について

前記二において認定のとおり、被告主張の本件処分事由1、2の各事実はいずれもこれを認めることができ、本件処分に事実誤認の廉はなく原告の右主張は採用できない。

四  不当労働行為であるとの主張について

本件処分事由1の事実について、加藤庶会課長の撮影行為が正当であり、これに対する原告の行為が許容されるものでないことは前記二・3・(二)で認定説示したとおりであり、被告が原告の右行為を処分対象とすることは当然というべきである。

また、本件処分事由2の事実についても、前記二・4・(一)ないし(一八)で認定説示したとおり、原告の言動はそのいずれをとっても正当な組合活動の範囲を超えたものというほかなく、これを正当として許容すべき事情は見出し難い(もっとも、個々の場合において管理者側の対応にも問題なしとしない点のあったことは既にふれたところであるが、もとよりこのことから不当労働行為意思を推認しうるものではない。)。

しかして、本件処分が被告の不当労働行為の意図、目的をもってなされたものであると認めるべき措信するに足りる証拠はもとよりなく右主張は採用の限りではない。

五  処分権濫用の主張について

前記二・3・(一)・(二)及び同4・(一)ないし(一八)で認定説示した本件処分の対象となった各行為の原因、動機、性質、態様、結果等のほか、同二・2・(二)の原告の処分歴などを総合考慮すると、同二・1で認定した背景事情並びに当事者間に争いのない早田支部長、西井副支部長及び吉崎、植村両局員らに対しなされた各停職処分との権衡の点を併せ考えても、懲戒権者である被告の裁量権の行使に基づく本件処分が社会観念上著しく妥当を欠き、裁量権を濫用したものと認めることはできない。

六  以上の次第であって、被告が原告に対してなした本件処分は適法というべきである。

(なお弁論の全趣旨によれば、原告が本件処分について人事院に対してなした審査請求は、審査請求があった日から三か月を経過しても裁決がないものと認められる。)

よって、原告の被告に対する本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 上野精 裁判官 川原誠 裁判官 秋武憲一)

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