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水戸地方裁判所土浦支部 昭和34年(ワ)12号 判決 1962年8月31日

原告 服部信吉 外一二〇名

被告 国

国代理人 川本権祐 外三名

主文

被告は原告百二十一名に対し別紙第二目録支払金額欄記載の金員とこれに対する昭和三十四年三月十八日以降完済に至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

原告等のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告等訴訟代理人は「被告は原告等に対し別紙第一目録請求金額欄記載の金員とこれに対する昭和三十四年三月十八日以降完済に至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求める旨申し立て、その請求の原因として、

「一、原告等は石岡市大字石岡字鹿の子九千九百五十番地の柏原池に源を発して南東に流れ、常磐線高浜駅附近で霞ケ浦に注ぐ山王川の流水を灌漑用水に使つて稲作栽培をしている農家である。

二、被告国は二十数年前から石岡市常磐線石岡駅の東北約六百米の台地にアルコール工場を設置し主として甘藷、澱粉、糖密等を原材料としてアルコールの製造を続け、アルコールを抽出した廃液を山王川に流してきた。

三、この廃液中には多量の窒素分が含まれているのでこの廃液の流された山王川の流水を稲の灌漑用に使うと稲は窒素分過多のため徒長甚だしく出穂成熟をまたずに倒伏するため普通作程度の収穫を得ることさえ不可能で一度強風雨にあうと収穫皆無に近い惨状を呈する危険があつた。故に国としてはアルコール製造過程から生ずる廃液は稲作上有害かどうかを十分研究調査し、有害であるとすれば山王川に放流することは避けねばならぬし、己むを得ず放流するときは廃液を無害なものにする処置を当然構ずべき義務がある。然し被告は何等かような処置を講じなかつた。

四、ところが昭和三十三年度は原告等の住む地方では稀にみる旱天が続き稲作に必要な時期に降雨がなく、従つて原告等は山王川の流水を全面的に灌漑水として用いねばならなかつた。その結果山王川に含まれている多量の窒素分のため稲は徒長し出穂成熟をまたずに倒伏を始め、結実期に折悪しくおそつた台風(二十一、二十二号)のため、他の田ではそれ程ではないのに山王川流域の原告等の田の稲は殆ど未成熟のまゝ倒伏し、稲の減収は著しく、普通に稲が成熟したならば当然得ることの出来る利益を失つた。

五、そこで原告等は山王川の流水が廃液の流入により稲作栽培に適しなくなつた以上灌漑用水を得るには深井戸を掘る以外に方法はなかつたので、昭和三十四年度から昭和三十六年にかけて次のような四本の探井戸を掘つた。

一号井-石岡市字関場所在、昭和三十四年六月二十五日着工、七月二十五日完成、工事費合計三十四万六千円、内石岡市補助十八万八千二百三十七円

差引原告等負担額十五万七千七百六十三円

二号井-石岡市字大谷津所在、昭和三十四年七月十二日着工、八月十五日完成、工事費合計三十四万六千円、内石岡市補助二十万円

差引原告等負担額十四万六千円

三号井-石岡市字浜崎下所在、昭和三十六年四月十八日着工、五月五日完成、工事費合計三十七万円、内石岡市補助二十万円

差引原告等負担額十七万円

四号井-石岡市兵崎下所在、昭和三十六年四月二十五日着工、五月二十日完成、工事費合計六十万円、内石岡市補助三十万円

差引原告負担額三十万円

右のように減収により原告が失つた得べかりし利益と深井戸掘りに支出した費用とが原告等の蒙つた損害であるが、昭和三十三年における稲作実収高を平年における稲作の基準収量から控除し、これに昭和三十三年度産米の政府買入価格石当り九千七百五十円を乗じたものが右減収による損害額である。原告等はその後農業災害補償法による共済金を受け取つたのでその分は損害額から控除する。以上の損害額の詳細は別紙第一目録記載のとおりであるが右損害は被告が前述のようにアルコール廃液をその中に含まれる多量の窒素分を除去する設備を施さないでそのまゝ山王川に放流したことに原因があり、つまりアルコール工場設置の瑕疵から生じたものであるから被告は国家賠償法第二条、民法第七百九条の規定により原告の蒙つた損害を賠償すべき義務がある。よつて被告に対し別紙第一目録請求金額欄記載の金額とこれに対する本件訴状送達の翌日である昭和三十四年三月十八日以降完済まで民法所定の年五分の損害金の支払を求めるため本訴に及んだ。」とのべ、被告の主張に対し、「被告がメタン醗酵装置を昭和三十一年四月に設備したことは認めるがこの装置は魚族に有害な有機物を除去するのが主目的でこれによつてはアルコール廃液を稲作に無害なものにすることは出来ない。この装置によると廃液中の窒素分は分解されてアンモニア態窒素となり、稲が吸収し易い状態となるから、従来以上に含有窒素分を除去し廃液を無害にする処置を講ずべきである。被告は本件被害発生に驚きその後曝気槽を設置したが、当時はこの設備さえもなかつた。そして廃液を灌漑用水として無害にするには地下水等多量の真水を流しこんで薄めるとかイオン交換樹脂を使用するとかの方法が存在するのであり、仮に廃液を無害にすることが困難であるとすれば、原告等のために灌漑水用の深井戸を掘ることも容易に出来た筈である。」とのべ、証拠として甲第一乃至第三号証、第五乃至第十号証、第十二、十三号証、第十五乃至第二十一号証、第二十二号証の一乃至百二十五号証、第二十三乃至第四十一号証を提出し、甲第七乃至第十号証は昭和三十三年度の山王川流域水田被害状況の写真、第十八乃至第二十号証は深井戸の写真、第二十一号証は深井戸の水を灌漑した稲作の写真、第二十三乃至第二十六号証は山王川流域水田の写真であるとのべ、証人山本浩吉、海老坪蔵之助、加藤三郎、石橋保、鈴木竜彦(第一、二回)、森田潔、飯塚安司、田口徳太郎、井坂庄吉、椿菅太郎の各証言、検証、鑑定人辻村克良、室島錚一郎の各鑑定の結果並びに原告駒田助左衛門、服部信吉各本人尋問の結果を援用し乙号各証の成立を認めるとのべた。

被告訴訟代理人は請求棄却の判決を求め、答弁として「請求原因事実一、のうち山王川に関する主張は認めるがその余は不知。同二は認める。同三、のうち廃液中に窒素分が含まれていることは認めるがその余は否認。同四、のうち昭和三十三年度に旱天が続き結実期に台風があつたことは認めるがその余は不知。同五、のうち昭和三十三年度産米の政府買入価格は認めるがその余は不知。被告のアルコール工場廃液中に含まれる窒素分は稲作に何等有害な影響を与えていない。

廃液は約十倍の作業用排水と共に放流されているから、それにより十倍程度に稀釈され、ついで山王川の水量により更に薄められる。従つて降雨が順調であれば肥培管理に意を用いることにより稲作に必要な窒素が供給され、有害でないばかりかかえつて窒素肥料を全く必要としない結果となる。

工場設置以来二十有余年になるがその間工場廃水による水田の被害を訴えられたことは一度もなく、係争地域の水田の地力等級、標準反収は廃液の流入しない山王川上流の水田より上位にあり、十年前反当り六俵であつた収穫が現在では八、九俵になつていることは係争地域の稲作が順調で廃液による被害を受けていないことを物語るものである。若し従来も廃液による相当の被害があつたならば異常な渇水の年であつた係争年度において原告等は当然山王川の流水を灌漑に用いることは避け、当時石岡市が農村振興事業補助規程、昭和三十三年度旱害応急対策施設事業補助要綱に基づき補助金を交付して灌漑用井戸の掘さくを奨励していたところに従い、灌漑用井戸を掘つたであろう。これをしなかつたということは従前みるべき被害がないので原告等が山王川流水に危惧の念を抱いていなかつたことを物語るものである。

仮に廃液が稲作に若干の影響を与えたとしても、山王川は石岡アルコール工場附近を流れる唯一の河川で大量の工場廃液の放流場所を他に求めることは不可能でありまた被告は石岡アルコール工場に全国のアルコール工場に先んじて昭和三十一年四月メタン醗酵装置を設備しこれにより廃液中の窒素は約三十八パーセント除去されるに至つたのであるから被告としてはつくすべき最善の手段をつくした訳であり、従つて工場の設置に瑕疵があつたとはいえない。

昭和三十三年度において原告等がその主張のような損害を蒙つたとするならその原因は異常渇水のため山王川が枯渇し廃液の自然浄化が十分行われなかつたことと稲の結実期に未曽有の台風が、襲来したことにあり、被告工場の廃液そのものと右の損害との間には何等の因果関係もない。

よつて原告等の主張は失当である。」とのべ、証拠として乙第一号証、第二号証の一、二、第三乃至第七号証を提出し、証人小野英男、加藤三郎、山本浩吉、桜井祀、横瀬欽一、柴田一郎、辻村克良の各証言、検証、鑑定人辻村克良の鑑定の結果を援用し、甲第一、二号証、第五、六号証、第十二、十三号証、第十五号証、第十七号証、第二十七乃至第二十九号証、第三十七号証の成立を認め甲第七乃至第十号証が昭和三十三年度の山王川流域水田被害状況の写真であり、第十八乃至第二十号証が深井戸の写真であり、第二十一号証が深井戸の水を灌漑した稲作の写真であり、第二十三乃至第二十六号証が山王川流域水田の写真であることは不知、その余の乙号各証の成立は不知とのべた。

理由

被告が二十数年前から石岡市常磐線石岡駅の東北約六百米の台地に石岡アルコール工場を設置し主として甘藷、澱粉、糖密等を原材料としてアルコールの製造を続け、アルコールを抽出した廃液を山王川に流してきたこと、山王川は石岡市大字石岡字鹿の子九千九百五十番地の柏原池に源を発して南東に流れ、常磐線高浜駅附近で霞ケ浦に注ぐ川であることは当事者間に争いがなく、弁論の全趣旨によれば原告等百二十一名は山王川の流水を灌漑用水に使つて稲を裁培している農家であることが認められる。

原告等の主張によると被告の石岡アルコール廃液を山王川に流したため、原告等の稲作に甚大な被害を与えたというのであるから果してアルコール廃液が稲作に如何なる影響を及ぼすかを調べてみる。証人加藤三郎の証言と鑑定人辻村克良の鑑定の結果によるとアルコール廃液はまずメタン醗酵槽に集められてメタン醗酵の処理をうけ(この処理をうけた液をメタン醗酵消化液という)ついでこれを曝気槽に入れて活性汚泥法による処理を施し(この処理をうけた液を曝気液という。)最後に工場の冷却水、原料洗滌水等で薄められて山王川に排出される(これを工場廃水という。)が、工場廃水の成分の中で稲作に対し影響を及ぼすと考えられるのは窒素であり、窒素は植物の必要元素である反面作物は窒素の過剰に弱く窒素過剰は作物の徒長、倒伏、病虫害発生、籾の充実不良等の現象を惹起する。メタン消化液その侭では山王川流水の百五十倍の全窒素濃度を含みこれを山王川流水程度までに薄めることは困難であるが曝気液中の全窒素は約四分の一にへり、更にこれが廃水になる過程において全窒素は三十分の一に減少するから曝気液中の全窒素の減少率は極めて高い。然し曝気槽における処理を経た工場廃水でさえ、一般の灌漑水の窒素容量に比し、全窒素量が多く水田の灌漑水として不適当であり、工場廃水は更に山王川によつて稀釈されるが山王川の流水自体市街地の下水により汚染されて窒素を含み灌漑水として不適当で水量も少いから工場廃水を十分に稀釈できない。かような事実が認められる。

尤も成立に争いのない乙第三、四号証と証人辻村克良の証言によると工場廃水は山王川により略五十倍に薄められるとみるべきところ同証人が実験室で実験したところでは、正常に生育した稲にメタン消化液を十倍に薄めたものを添加した場合、草たけ、分けつ、籾の状態は最も良好であり、土を用いず水だけで裁培してみるとメタン消化液を五十倍に薄めたものはむしろ生育促進的な効果をもつという結果が表われており一見前認定と牴触するが如くである。然し同証言からはメタン醗酵を行い曝気槽における処理を経た工場廃水ならば窒素が多いとはいえないという程度の事は認められてもメタン醗酵を行つただけで窒素除去に十分であるとは認められないし、また同証言によつても実験の結果だけから直ちに現地の状況を判断する訳にも行かないことが窺われるから、前記鑑定の結果と考え合わせると少なくともメタン醗酵装置しかなかつた昭和三十三年度における(被告が昭和三十一年四月石岡アルコール工場にメタン醗酵装置を設備したことは当事者間に争いがなく、証人加藤三郎の証言によると曝気槽が出来たのは昭和三十四年四月であることが認められる。)工場廃水の窒素容量は山王川の水量が少なければ稲作に無害な程度には稀釈出来ない濃度であつたと認めざるを得ない。そして成立に争いのない甲第五号証によると昭和三十三年度の五月、六月における雨量は平年に比し相当少なかつたことが認められるので工場廃水が山王川により稀釈される度合も低くこれを灌漑水とした稲作に対し平年にくらべて著しい窒素過剰をもたらしたものと考えられるところ、証人鈴木竜彦の証言(第一回)原告服部信吉、駒田助左エ門各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によると山王川の流水を稲の灌漑水に用いた原告等百二十一名の水田は昭和三十三年度において稲の徒長倒伏がひどく相当の減収を来したことが認められるからこの減収は窒素過剰によるものと考えられ、従つてその原因は石岡アルコール工場の廃水にあるものといわなければならない。

そして被告が石岡アルコール工場に、工場廃水に含まれる窒素分を稲作に害がない程度に除去する装置を施せば工場廃水により原告等の稲作が被害を受けることもなかつた訳であるから結局右の被害はアルコール工場設置の瑕疵から生じたものに他ならないが、石岡アルコール工場は被告国の営造物であると考えられ、国家賠償法による公の営造物の設置又は管理の瑕疵によつて他人に損害を加えた場合国は無過失賠償責任を負うことが明らかであるから被告国は原告等の蒙つた損害を賠償すべき義務がある。山王川のほかに工場廃水の放流河川がなかつたとか廃液中の有害成分の除去のためつくすべき手段をつくしたとかいうことは被告国の責任を否定する理由にはならない。

被告はまた昭和三十三年度は異常渇水により工場廃水が山王川により十分稀釈されなかつたこと、同年九月に未曽有の台風が襲来したことを以て減収の原因であると主張するが、乙第三号証にもあるとおり巾一米、下流でも三米乃至五米、水深五十センチ乃至七十センチの小さな山王川による稀釈を当てにして稲作に有害な工場廃水を流すこと自体既に過失の責を免れず、また台風に関する主張は成立に争いのない甲第十二号証と証人森田潔の証言に徴するときにわかに措信し難く仮に台風による影響があつたとしても前記認定のように窒素過剰により稲が徒長を来したからこそ台風のためたやすく倒伏したものと考えられるから、工場廃水中に含まれる窒素分と稲の倒伏の間には法律的な因果関係を肯定せざるを得ない。

たゞここで考えるべきはかように工場廃水中に稲に有害な程度の窒素分が含まれていれば原告等の水田には毎年被害が生ずる筈であるのに弁論の全趣旨によるとメタン醗酵装置のなかつた当時でさえ、特に被害があつたという事実は認められないことである。(この点に関する成立に争いのない甲第十五号証の記載証人海老坪蔵之助、石橋保の各証言、原告服部信吉、駒田助左エ門各本人尋問の結果はいかにも誇張された感があつて到底信用出来ない。)恐らく昭和三十三年の五月、六月における雨量が前認定のように少なかつたことが特に昭和三十三年度において被害をもたらした原因の一つではないかと考えられるが一方成立に争いのない甲第六号証によると昭和三十年度における六、七月の雨量は昭和三十三年度よりも更に少なかつたことが明らかであるから本件に現われた証拠だけからは十分な解明は困難である。然し前記認定のように乙第三号証、前記鑑定の結果、証人辻村克良の証言によつてアルコール廃液中に多量の窒素分が含まれていること、メタン醗酵を行つただけではこれを稲作に無害な程度に除去できないこと窒素の過剰は稲の徒長、倒伏をもたらすことが認められる以上、従前みるべき被害がなかつたからといつて昭和三十三年度における被害の原因がアルコール工場の廃水にあることを否定することは出来ない。

そこで損害額につき考察するに昭和三十三年度産米の政府買入価格が石当り九千七百五十円であることは当事者間に争いがなく弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第三十号証によると原告等の所属する共済組合と共済組合連合会と農林省とでは昭和三十三年度における原告等の稲作の減収量の認定がそれぞれ異つているが弁論の全趣旨から連合会の認定が容観性に富むものと考えられるからこの認定によるべきところ、減収により原告等が受けた損害金額と原告等が受け取つた共済金の明細は別紙第二目録記載のとおりである。

更に原告等は灌漑用深井戸を掘るに要した費用も損害として主張するところ証人辻村克良の証言中のメタン醗酵と曝気槽における処理を経れば工場廃水中の窒素量は多いとはいえない旨の部分に徴すると最早深井戸を掘る必要はないかのようにも考えられる。(曝気槽が設置されたのは前認定のように昭和三十四年四月であり原告等が深井戸を掘つたのは後記認定のようにその後である。)

然し鑑定人辻村克良の鑑定の結果によると「曝気液中にはなお多量の窒素が含まれるからこれを稀釈だけで無害にすることは困難であり得策ではなかろう。しかし曝気液中の窒素は恐らくアンモニアとして揮散し易いものの如くであるから窒素の除去と稀釈を併用すれば無害になるであろう。」とあつて曝気槽における処理を経れば十分といえるかどうか必ずしも明瞭でないし、証人鈴木竜彦の証言(第一回)と鑑定人室島錚一郎の鑑定の結果を綜合すると、曝気槽を設置した後である昭和三十六年五月当時において、山王川の水は工場廃水が流入することにより稲の灌漑用水としては適量をこえた窒素量を含むに至つていると認められる以上原告等が灌漑用深井戸を掘つたことは工場廃水による被害を避けるため巳むを得ない措置ということができる。従つて被告国はこの費用も賠償すべき義務がある。そして原告服部信吉本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第四十二号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第三十八乃至四十号証、四十一号証によれば原告等が昭和三十四年七月から昭和三十六年五月までの間四本の深井戸を掘つたこと、これに要した費用、並びに右費用についての原告各自の負担額は別紙目録記載井戸掘負担金の欄記載のとおりであると認められる。(石岡市が原告等に支払つた井戸掘の補助金の額はむしろ被告の抗弁事実であると考えられるから、原告が請求額から控除している補助金の額が果して正しいかどうかを調べる要はない。

以上により原告等百二十一名が蒙つた損害額は別紙目録記載のとおりであると認められるから被告はこの金額とこれに対する訴状送達の翌日であること明らかな昭和三十四年三月十八日以降完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があり、原告等の請求はこの限度において正当であるがこれをこえる部分は棄却すべきである。

よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 福間佐昭)

第一、二目録<省略>

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