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横浜地方裁判所川崎支部 昭和39年(ワ)109号 判決 1969年12月05日

原告 高沢巖(仮名)

被告 高沢宏(仮名) 外三名

主文

被告高沢宏、同渡辺晴夫は別紙目録第二(イ)の地上にある同目録第三(イ)の建物を、同目録第一(イ)の地上の別紙図面移動前の家屋位置とある部分に移築せよ。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、当事者双方の申立

一、原告の申立

(一)  被告高沢宏は原告に対し

(1) 別紙目録第一(イ)ないし(ハ)の土地及び同目録第二(ロ)の持分九分の三につき、山梨県知事に対し、農地法第三条による許可申請手続をなせ。

(2) 前項による県知事の許可があつたときは、同目録第一(イ)ないし(ハ)の土地及び同目録第二(ロ)の持分九分の三につき所有権移転登記手続をなせ。

(3) 同目録第三(ロ)の持分一八分の三につき所有権移転登記手続をなせ。

(二)  被告渡辺晴夫、同渡辺育子は原告に対し、同目録第一(イ)ないし(ハ)及び同目録第二、第三の各(イ)の物件を引渡せ。

(三)  被告高沢宏、同渡辺晴夫は同目録第三(イ)の建物を、同目録第一(イ)の地上に移築せよ。

(四)  被告渡辺育子は原告に対し、同目録第一(ロ)、(ハ)の各土地につき、甲府地方法務局吉田出張所昭和三七年一一月五日受付第六五三三号をもつてした同年同月一日停止条件付所有権の一部(二分の一)贈与契約(農地法第五条の規定による許可があつたときは所有権が移転する旨)を原因とする所有権一部移転の仮登記、同目録第二(イ)の土地につき同出張所昭和三七年一一月五日受付第六五三四号をもつてなした昭和三七年一一月一日共有者高沢宏の持分について停止条件付持分一部(一八分の三)贈与契約(農地法第五条の規定による許可があつたとき所有権が移転する旨)を原因とする共有者高沢宏の所有権持分一部移転仮登記の各抹消登記手続及び同目録第三(ロ)の持分につき所有権移転登記手続をなせ。

(五)  被告石坂進は原告に対し、同目録第一(イ)の土地につき、同出張所昭和三八年五月二二日受付第三三三九号をもつてなした昭和三八年五月一七日停止条件付売買契約(農地法第五条の規定による許可があつたとき所有権が移転する旨)を原因とする所有権移転仮登記の抹消登記手続をなせ。

(六)  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決及び(二)の引渡請求部分につき仮執行の宣言を求めた。

二、被告らの申立

(一)  本案前の申立

原告が当初被告高沢宏に対し、別紙目録第一(イ)ないし(ハ)、第二(イ)の農地につき、単純な所有権移転登記手続を求めていたのを、山梨県知事に対し、農地法第三条による許可申請手続をなすこと(請求の趣旨(一)の(1))、右許可を条件として所有権移転登記手続をなすこと(請求の趣旨(一)の(2))を求めることに訂正した訴の追加変更は許さない旨の裁判を求める。

(二)  本案に対する申立

原告の請求はいずれも棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。との判決を求める。

第二、原告の請求原因

一、原告は訴外亡高沢松男とその妻亡まきの二男であり、被告高沢宏は右訴外人両名の長男亡高沢芳夫と訴外みつの長男であり、被告渡辺育子は原告とその妻ツルの長女であり(事実は亡芳夫の子)、被告渡辺晴夫は被告育子の夫である。

二、訴外亡芳夫は生前川崎市○○に居住し、○○駅附近で食堂を経営していたところ、昭和一九年応召出征し、昭和二〇年一二月五日○○国内で戦病死し、その公報が昭和二五年五月二二日にあり、その後両親である亡高沢松男、同高沢まきの居住する山梨県南都留郡○○村(現○○○町)において葬儀が行われた。

三、亡芳夫の妻である訴外みつは芳夫出征の後も引続き川崎市に居住していたが、昭和二〇年五月強制疎開により、両者の間に生まれた長女文子(昭和一五年六月五日生)と長男宏(昭和一七年九月一七日生)の二人の子とともに右芳夫の両親の許に移転し、終戦後もそのまま同所に居住していたが、芳子葬儀の当夜、親戚一同に対し、扶養の義務のある松男、まきと別居して川崎市に移住したい旨申出た。親戚一同は老齢の両親を見捨てないで面倒をみるよう懇請したが、みつはこれを聞き入れず、あくまで同市に移住することを強く主張した。

四、昭和二六年一月二八日、原告、訴外清瀬すみ、大里茂、牧野誠、藤沢節夫(別名世津夫)らが出席して開かれた親族会議の席上、訴外みつは、自分は○○村にある財産は何人の名義であるを問わず一つも要らないから是非川崎へ行かせて貰いたい旨強硬に申出たので、親族一同もこれに同意し、当時千葉県で教員をしていた原告が帰郷して、松男、まきの両名を扶養することとなつた。そして、その際、訴外みつは当事者兼被告宏、訴外文子の親権者として、原告との間に、川崎市所在の家屋及び疎開当時の家財道具一式は、訴外みつ母子の所有とするが、その他の財産は名義の何人たるを問わず、○○村所在の家屋、宅地、田畑、山林その他全部を原告の所有とすることとし、登記その他必要な手続は責任をもつて必ず履行することを約した。すなわち、被告宏及び文子のすでに相続したものは直ちに原告に贈与し、将来相続すべきものは相続したとき、その持分を贈与すべき旨の相続を停止条件とする贈与契約をしたものである。そして、訴外みつは同年三月川崎に移住した。

五、ところで、右贈与契約当時別紙目録第一(イ)ないし(ハ)の土地は亡芳夫の所有名義であつたから、芳夫の死亡により、すでに被告宏及び訴外文子において相続していたものである。また、同目録第二(イ)の土地及び第三(イ)の建物は松男の所有名義であつたが、松男は昭和二六年二月一三日死亡したのでその遺産を妻まき、二男原告、長女訴外清瀬すみ及び長男芳夫の子である被告宏と訴外文子において共同相続し、次で右まきも昭和三一年八月一九日死亡したので、同人の遺産を、原告、清瀬すみ、被告宏及び訴外支子の四人で共同相続したから同目録第二(イ)の土地及び第三(イ)の建物に対する右相続人らの持分は、原告及び清瀬すみが各九分の三、被告宏及び文子が各一八分の三となつた。そして、これらの土地建物は、原告と訴外みつ間の前記贈与契約の対象となるべきものである。

六、ところが、被告宏は第四項記載の約束を知つているに拘らず昭和三七年一〇月二六日、不法にも原告に無断で別紙目録第一(イ)ないし(ハ)の土地につき、自己のために遺産相続登記をなすとともに、同目録第二、第三各(イ)の土地及び家屋につき、原告及び清瀬すみに無断で、ほしいままに前記まき、原告、清瀬すみ及び被告宏の四名で共同相続した旨の登記と右まきの持分を清瀬すみ、原告及び被告宏の三名にて相続した旨の登記を同時になし、次いで被告育子に対し、同年一一月五日同目録第一(ロ)、(ハ)及び第二(イ)の各土地につき請求の趣旨(四)記載のような各仮登記、ならびに同目録第三(イ)の家屋につき自己の持分の半分である一八分の三を贈与したものとしてその旨の登記をそれぞれ経由し、他方第一(イ)の土地については、昭和三八年五月二二日被告石坂進に対し、請求の趣旨(五)記載の仮登記を了した。

七、別紙目録第一(イ)ないし(ハ)の土地及び第二(ロ)、第三(ロ)の各持分については、前記のとおりすでに原告に贈与がなされているので、被告宏は原告に対し、右第三(ロ)の持分については直ちに所有権移転登記をなすべき義務があり、第一(イ)ないし(ハ)の土地及び第二(ロ)の持分については、これらはいずれも農地であるから、農地法第三条により山梨県知事に対し、右土地に対する所有権移転につき許可申請手続をなし、その許可があれば直ちに所有権移転登記手続をなす義務があり、被告育子は原告に対し、別紙目録第一(ロ)、(ハ)、第二(イ)の各土地につき同被告のためになされた前記各仮登記及び同目録第三(イ)の家屋の持分につき同被告のためになされた、贈与を原因とする前記所有権移転登記の各抹消登記手続をなすべき義務があり、また、被告石坂進は原告に対し、同目録第一(イ)の土地につき同被告のためになされた前記仮登記の抹消登記手続をなすべき義務がある。よつて、原告は右被告宏に対し、請求の趣旨(一)記載の如き判決を、被告育子に対し、請求の趣旨(四)記載の如き判決を、被告石坂に対し、請求の趣旨(五)記載の如き判決を求める。

八、原告は、被告晴夫、同育子が、昭和三〇年一月二八日結婚した際、適当な住居がなかつたので、同人らを留守居として別紙目録第三(イ)の家屋に無償で居住させるとともに、原告が帰郷し、農業を営む際は何時でも返地する約束のもとに右第一(イ)ないし(ハ)及び第二(イ)の各土地を無償にて耕作せしめていたが、昭和三三年八月一七日に至り、同人らは原告に対し、昭和三四年三月三一日限り右家屋及び各土地を引渡す旨を約束した。しかるに同被告らは右期限に至るも原告に対し、右土地及び家屋を原告に引渡さないから、原告は右契約に基き、同被告らに対しこれが引渡しを求める。

九、被告高沢宏、同渡辺晴夫は、昭和三八年五月頃、別紙目録第三(イ)の建物を別紙図面の如く、ほしいままに同目録第一(イ)の地上から、第二(イ)の地上に移築したので、原告は同被告らに対し右建物を再び同目録第一(イ)の地上に移築することを求める。

一〇、よつて、原告は被告らに対し、請求の趣旨記載の如き判決を求めるとともに、請求の趣旨(二)の不動産の引渡しを求める部分につき仮執行の宣言を求める。

第三、被告らの本案前の抗弁、請求原因に対する答弁及び抗弁

一、本案前の抗弁

原告は、当初、被告宏に対し別紙目録第一(イ)ないし(ハ)、第二(イ)の農地につき、単純な所有権移転登記手続を求めていたのを変更して、新たに山梨県知事に対し農地法第三条による許可申請手続をなすこと、及び許可を条件とする所有権移転登記を求めるに至つたが、これは不当な訴の変更であり、かつ、弁論終結の直前になつて新たに審理を必要とするような変更をなすことは著しく訴訟手続を遅滞せしめるから許さるべきではない。

二、答弁

(一)  請求原因第一、二項の事実は認める。

第三項の事実は、訴外みつが川崎市に移住したい旨申出たことは認めるが、その他は争う。

第四項の事実は、親族会議が開かれたこと、その際被告宏訴外みつらが川崎市に移住するについての話があつたことその後訴外みつが川崎市に移住したことは認めるが、その余は否認する。

第五項の事実は、原告主張の土地、建物が、原告と訴外みつ間でなされた贈与の対象となるべきものであるとの点は否認し、その余は認める。

第六項の事実は、被告宏が原告主張のような登記をなしたことは認める。

第八項の事実は、被告晴夫と同育子が婚姻したこと及び別紙目録記載の物件を同被告らが占有していることは認めるが、その余は否認する。

被告晴夫、同育子は単なる留守番として別紙目録記載の物件を占有使用しているのではなく、訴外みつが川崎市へ移転後、原告が約束に反して帰郷しないので、松男の相続人らとの間の合意に基き祖母まきを扶養し、かつ、松男夫婦の行つていた農業を継続して行うため、期間の定めなき使用貸借契約を結んで各物件を適法に占有使用してきたものである。

第九項の事実は、原告主張の建物を被告宏、同晴夫が原告主張の時期に主張の場所に移築したことは認めるが、その余は否認する。

(二)  被告宏及びその母訴外みつらが川崎市に移住した経緯は次のとおりである。

訴外みつは夫芳夫の両親である松男、まきの懇望により昭和二〇年五月、長女文子(当時四歳)と長男である被告宏(当時二歳)を連れて、右両親のもとに移り、ひたすら夫の帰還を待ちわびながら終戦後の苦難な生活と戦つていたが、昭和二五年五月二五日、芳夫は昭和二〇年一二月五日○○において戦病死した旨の公報を受取り、落胆のあまり病を得て、同年夏から三か月余安静療養する身となつた。加うるに、父松男はすでに昭和二三年秋から中風にて病床につき一家の生活はいよいよひつ迫したので、原告に対し、速やかに○○○町へ帰郷して両親を扶養し、家業を継ぐよう懇請したが、原告は容易に応じなかつたところ、漸く昭和二六年一月原告の姉清瀬すみ、その親戚牧野誠、みつの姉の夫大里茂、原告の妻の弟藤沢節夫らが会合の結果、原告が○○○町へ直ちに移住して両親を扶養すること及びみつは二子を連れて川崎市へ移転し自活の途を開くことの諒解ができた。しかるに、父松男は昭和二六年二月一三日死亡し一家の生計はもはや一刻の猶予もできない苦境に陥つたが、原告はなかなか帰郷しないので、訴外みつはやむを得ず、母まきの世話を被告育子に頼み、同年三月七日川崎市に移住し、すし屋で働いて自活することになつたのである。

要するに訴外みつが川崎市へ移転したのは原告初め親戚一同の諒解があつたもので、原告主張の如く訴外みつが扶養の義務ある両親を見捨てて移転したものではない。元来長男芳夫死後はその実弟である原告こそ先ず両親を扶養すべきであり、窮迫せる芳夫の遺児に対しても進んで何分の援助をなすべきであるのに、事実はむしろ、原告が両親や実兄の遺族を見捨てて何ら世話しなかつたのである。

(三)  原告主張の昭和二六年一月二八日の親族会議においては、原告の帰郷と訴外みつ親子の川崎市移転が講ぜられただけで贈与の事実はなかつた。

原告提出の甲第一号証は、昭和二六年五、六月頃原告がすでに川崎市へ移転していた訴外みつを突然訪問し、「○○へ帰る準備のため必要であるから」といつて、右みつから認印を受取り、内容も示さないで原告が予かじめ作成してきた文書に押印したものと思われ、みつは昭和三八年六、七月頃、原告の申立による調停が行われた際、初めて右文書の内容を知つたものであるから、右証書は贈与の事実を示すものではない。

(四)  原告は、被告宏が原告主張の請求原因第六項記載の各登記を不法になしたというが、相続登記は保存行為として当然のことをしたまでのことであり、被告育子に対する贈与登記は祖母まきや訴外みつのかねての意思に従つて実行したものに過ぎない。すなわち、被告育子は祖父松男、祖母まきらと永年同居し、芳夫出征後は訴外みつとともに一家の生計を守り、殊にみつが川崎市へ移住後は綿糸工場に勤めたりして祖母まきの扶養看病を一手に引受けていたが、原告の帰郷も扶養も絶望となつたので、祖母らの勧めに従い昭和三〇年に被告晴夫と結婚し家業を継いだのである。このような事情で祖母まきは勿論祖父も常々原告を親不孝者とののしり、遺産は育子夫婦に渡すと話していたし、訴外みつもこれを諒承していたので、被告宏は被告育子夫婦が家業を営む必要上自己の単独所有たる亡芳夫の遺産(別紙目録第一(ロ)、(ハ))及び原告らと共有の亡松男の遺産(同目録第二、第三)を右被告育子に贈与したのである。

かような次第で被告宏と同育子間の贈与は、先祖の遺思にかない、極めて自然であり、何ら非難すべき点はない。これに反し、親兄弟の遺産を労せずして独占しようとする原告の行為こそ醇風美俗に反し許せないものである。

三、抗弁

(一)  仮りに原告主張のように原告に対する贈与がなされたにしても右贈与は次の理由により効力を有しない。すなわち、

(1) 原告は中央大学法科を卒業し、永年千葉県教員を勤め、相当の恒産を有しながら、かつて一度も両親を扶養しなかつた。これに引きかえ、原告が訴外みつが取得したと主張する川崎市の建物(敷地は借地)は右みつが子供部屋として買入れたもので、移住当時の価格は、せいぜい二、〇〇〇円位のものに過ぎなかつたし、また、疎開の家財道具は、みつの僅少の衣類、タンス、台所用品位のものであつて上記建物も道具類も実質的には、みつの固有財産であつた。従つて、被告宏らにとつては、父芳夫祖父松男名義の本件不動産は唯一の遺産であるのに、訴外みつが自己及び遺児の暗胆たる先途を考えずに一切挙げて原告に贈与するような契約は著しく衡平の理念に反する。

(2) 右贈与は、原告がその姉清瀬すみらと相謀り、訴外みつに松男夫婦を扶養する義務がないのに、あるように強調して右みつを錯誤に陥入れた結果、同人に贈与の意思表示をさせたものであつて、同人の窮迫無智に乗じ、同人及び遺児の相続開始後並に相続開始前の一切の相続財産を無償で放棄せしめるものであるから、このような契約は民法の定める相続放棄制度に照らし、また、公序良俗に反し無効である。

(3) 原告主張の甲第一号証による贈与契約は無効である。およそ贈与の書面は贈与者が自己の財産を相手方に与える慎重な意思を、文書を通じて確実に看取しうる程度の表現がなければならない(最高裁昭和二五年一一月一六日判決)し贈与者が如何なる内容の給付をなす意思があるのかを確認し得ることを要し(東京控訴院昭和七年一一月一一日判決)給付が法律上可能にして内容が公序良俗に反してはならないことも当然であるのに、甲第一号証は右の要件を充たしていない。すなわち、右書面によれば、○○村所在の財産は名義人の何人たるを問わず原告の所有とすると記載されているが、みつは財産の種類名義人等を確知していなかつたから、同人はどのような財産を如何なる資格で相手方に与えるかを知るに由なく、従つて原告主張のような贈与の意思を表示したとはいえないし、また、川崎市○○所在の建物や家財道具は、訴外みつの所有とする旨記載されているが、右財産は芳夫の所有物であつたから、芳夫戦死と同時に相続人である被告宏及び訴外文子の所有となつたもので、これを右相続人らの親権者たるみつの所有とするためには、右相続人らとみつの間に贈与契約がなされなければならず、そのような贈与がなされたとしても親権者みつは無権代理人であるから、贈与は法律上無効であつて、みつの所有とするに由ないからである。

(4) また、前記のように、甲第一号証の記載によつては訴外みつが如何なる内容の給付をなす意思があるのかを確認し難いのであるから、右証書が存在するからといつて文書による贈与とはいえない。従つて、原告主張の贈与は口頭によるものというの外ない。そこで被告宏は本訴において右贈与を取消す。

(5) また、右贈与は、原告が直ちに○○○町に帰郷して家業を継ぎ、両親を扶養することを停止条件としたものである。しかるに、原告は訴外みつらの請求にも拘らず、遂に帰郷せず、父松男は昭和二六年二月死亡し、母まきは昭和三一年八月一九日死亡した。右両親の扶養監護はすべて被告育子、同晴夫及び訴外みつらがなしたのであつて、原告は顧みなかつた。もつとも原告は昭和二六年五月から昭和二七年末頃までの間、金二、〇〇〇円宛数回送金したがこの程度の金額では母まきの薬代にも不足したが、原告は右送金も昭和二八年三月拒絶の通知をなし、爾来何ら援助しなかつた。よつて、遅くとも、前記母まき死亡と同時に条件不成就が確定し、本件贈与は無効となつた。

(二)  原告の被告晴夫、同育子に対する本件土地、建物の引渡請求に対する抗弁

(1) 仮りに、原告と同被告ら間に、昭和三三年八月一七日原告の主張する不動産引渡に関する契約が締結されたとしても右契約は原告と訴外みつ間の前記贈与契約が有効であつて、これにより原告が別紙目録記載の各物件の所有権を取得したことを前提とするものであるところ、前主張のとおり、右贈与契約は無効であるから、右引渡に関する契約も効力を生じないものといわなければならない。

(2) 仮りに原告が訴外みつとの前記贈与契約により右物件の所有権を取得したとしても、原告は被告育子に対し、昭和二八年三月二三日別紙目録記載の不動産のうち、第二(イ)の土地(桃畑)を除くその他の不動産全部を自由に処分せよと申し出、また、原告は被告晴夫に対し昭和三三年八月一七日同目録第二(イ)の土地を贈与したから、同被告らはこれにより右各不動産の所有権を取得し、所有権に基いて占有しているのであり、かつ、原告主張の昭和三四年三月三一日の引渡期日は当事者間の合意により延期され、まだ期限が到来しないから、原告の引渡請求には応じられない。

(三)  建物移築請求に対する抗弁

被告宏、同晴夫らが別紙目録第三(イ)の建物を移築した理由は、この建物及び同目録第二(イ)の所有名義人は亡松男であるから、これらの土地、建物はいずれも原告及び被告宏ら相続人の共有であるが、右建物移動前の敷地である同目録第一(イ)の所有名義人は亡芳夫であるから、被告宏の単独所有となつたものである。よつて、共有建物を共有土地上に移動し、建物と敷地の所有者を同一にして権利関係を安定せしめるとともに、移動前は幅一間、長さ三〇間位の道路によつて公道に通じていたのを移動によつて幅四間の中学校道路に接続し、出入の便利を図つたのであるから、移動によつて本件土地建物の処分は容易になり、利用価値が増加することはあつても原告に何ら損害を与えることはないのである。

よつて、旧敷地へ移動を求める本訴請求は失当である。

第四、被告らの抗弁に対する原告の答弁

一、本案前の抗弁に対し、

原告の訴の変更は請求の基礎に何ら変更はなく、かつ、訴訟を著しく遅滞せしめるものでもないから、当然許さるべきであつて、被告らの右抗弁は理由がない。

二、抗弁(一)の贈与は効力を有しないとする仮定抗弁事実中、原告が中央大学法科を卒業して千葉県教員をしていたとの点は認めるが、他はすべて否認する。

三、抗弁(二)の不動産引渡請求に関する抗弁事実は否認する。原告は訴外牧野誠に対し、別紙目録第二(イ)の土地以外の不動産を被告育子にやり、今後は責任を育子が持つこと、なる旨の意思表示をした(乙第五号証)ことはあるが、これは被告育子に対する意思表示ではないから、被告育子に対する贈与の効力は生じない。

四、抗弁(三)の建物移築請求に関する抗弁事実は否認する。

第五、証拠

一、原告訴訟代理人は、甲第一、第二号証、第三号証の一、二、第四号証の一ないし五、第五号証、第六号証の一、二を提出し、証人清瀬すみ(第一、二回)、同藤沢節夫(第一、二、三回)、同船田新助、同中村ふさ子、同大里文吉、同矢野政市、同高沢ツルの各証言、原告本人尋問の結果及び鑑定の結果を援用し、乙第一号証ないし第三号証、第五号証ないし第一二号証、第一六号証、第一七号証、第一九号証の一、二、第二〇号証、第二一号証、第二三号証の各成立は認める、同第四号証は官署作成部分の成立は認めるが、その余は不知、その余の乙号各証の成立は不知、と述べた。

二、被告ら訴訟代理人は、乙第一号証ないし第一二号証、第一三号証の一、二、三、第一四号証の一、二、第一五号証ないし第一七号証、第一八号証の一、二、第一九号証の一、二、第二〇号証ないし第二三号証を提出し、証人船田新助、同大里茂(第一、二回)、同渡辺富男、同柴崎満男、同峰岸いと、同高沢みつ、同松原晃の各証言及び被告本人高沢宏、同渡辺晴夫、同渡辺育子の各尋問の結果を援用し、甲第一号証、第五号証、第六号証の一、二の成立は不知、同第二号証、第三号証の一、二は、渡辺晴夫に関する部分の成立を認め、その余は不知、同第四号証の一ないし五の成立は認める、と述べた。

理由

まず、被告らの本案前の申立につき判断するに、原告は当初、被告宏に対し、別紙目録第一(イ)ないし(ハ)の農地及び同目録第二(イ)の農地の持分につき単純に所有権移転登記手続を求めていたのを、これらの土地につき、山梨県知事に対し、農地法第三条による許可があつたときは所有権移転登記手続をなすことを求める旨訴の追加的変更の申立をなしたが、右は従来の請求の基礎に変更なく、かつ、右のように変更することにより、著しく訴訟手続を遅滞せしめるものとも認められないので、右変更申立を許容することとする。

次に、以下(一)ないし(三)の事実は当事者間に争がない。

(一)  原告は訴外亡高沢松男とその妻亡高沢まきの二男であり、被告宏は右訴外人両名の長男亡高沢芳夫とその妻高沢みつの長男であり、被告育子は戸籍上は原告とその妻つるの長女として届けられているが、事実は右芳夫の子であり、被告晴夫は右育子の夫である。そして、右芳夫は昭和二〇年一二月五日、右松男は昭和二六年二月一三日、右まきは昭和三一年八月一九日それぞれ死亡した。

(二)  右芳夫は生前川崎市○○に妻子とともに居住し、食堂を経営していたが、昭和一九年に応召出征した。芳夫の妻訴外みつは芳夫の出征後も同所に止つていたが、昭和二〇年五月長男宏(昭和一五年六月五日生)、長女文子(昭和一七年九月一七日生)を伴つて山梨県南都留郡○○村(現○○○町)の松男方に疎開した。昭和二五年五月、右芳夫は昭和二〇年一二月五日○○国内において戦病死した旨の公報があり、その後、右松男方において芳夫の葬儀が行われた。

(三)  別紙目録記載第一(イ)ないし(ハ)の農地はいずれも登記簿上芳夫の所有名義であつたから、芳夫の死亡により同人の子である被告宏及び訴外文子の両名において遺産相続(旧民法による)によりこれが所有権を取得したものであるが、昭和三七年一〇月二六日被告宏において同人のために単独で遺産相続した旨の登記をなし、更に右のうち、(イ)の農地については昭和三八年五月二二日被告石坂進のために売買を原因とする原告主張の如き所有権移転仮登記を、(ロ)、(ハ)の農地については、昭和三七年一一月五日被告育子のために所有権の一部(二分の一)贈与を原因とする原告主張の如き仮登記をなした。また、別紙目録第二(イ)の農地及び第三(イ)の建物はともに松男の所有であつたところ、同人の死亡により、妻まき、二男である原告、長女清瀬すみ、長男芳夫の子である被告宏と訴外文子において共同相続し、次で右まきも死亡したので、同人の持分を、原告訴外清瀬すみ、被告宏及び訴外文子において共同相続し結局これらの不動産に対する右相続人らの持分は原告と訴外清瀬すみが各九分の三、被告宏及び訴外文子が各一八分の三となるべきところ、被告宏はこれら不動産につき、昭和三七年一〇月二六日原告主張の如き(請求原因第六項)、訴外文子を除外した訴外清瀬すみ、原告及び被告宏の三名で平等の割合(各九分の三)で遺産相続をした旨の登記をなし、更に同年一一月五日被告宏の持分の二分の一につき、被告育子のため、右農地については原告主張の如き仮登記を、建物については原告主張の如き本登記を各経由した。

ところで、原告は、昭和二六年一月二八日訴外みつは当事者兼被告宏及び訴外文子の親権者として原告との間に、親族立会のもとに、○○村にある不動産その他の財産で被告宏及び文子のすでに相続したものは直ちに原告に贈与し、将来同人らが相続すべきものは相続のときその持分を贈与すべき旨の相続を停止条件とする贈与契約を締結した旨主張するので判断する。

甲第一号証中高沢美津名下の印影は証人高沢みつの証言によれば、同人の印章により作出されたものであることが認められるから、同人に関する部分は真正に成立したものと推認でき、同号証中立会人大里茂名下の印影は、同人が昭和四〇年六月八日当裁判所において証人として尋問を受けた際に宣誓書に押した印影と同一であることが、鑑定人小林侑の鑑定の結果により認められるから、同人に関する部分は真正に成立したものと推認できる。また、同証中その他の者の作成名義部分については、証人清瀬すみ(第一回)、同藤沢節夫(第一回)、原告本人尋問の結果によりそれぞれ成立を認めることができる。右甲第一号証に、証人大里茂の証言(第二回)により成立を認め得る甲第五号証証人清瀬すみの証言(第二回)により成立を認め得る甲第六号証の一、二に、証人清瀬すみ(第一、二回)、同峰岸いと同藤沢節夫(第一、二回)、同高沢みつ(ただし一部)、同中村ふさ子、同大里茂(第二回、ただし一部)の各証言、原告本人尋問の結果(ただし一部)及び被告育子本人尋問の結果を総合すれば、訴外みつは松男方に疎開後は、幼い頃より松男及びまきに育てられ、同人方に居住していた被告育子とともに松男夫婦を助けて農業に従事してきたものであるが、昭和二五年五月芳夫死亡の公報が入つた直後頃、松男方において芳夫の葬儀が行われた際、当時松男方の生活は極度にひつ迫していた上に、みつ自身が心臓を患い農業に従事するのが困難であつたため、芳夫の遺児二人を伴つて川崎市の、もとの住居に移つて自活したい意向を親族一同に伝え、更に昭和二六年一月二〇日頃、みつは義兄の訴外大里茂を通じて、訴外清瀬すみ夫婦に対し、「女手で子供二人を養育するのは並大抵ではないから、○○村に預けてある芳夫の物件但し動産物全部を養育料として頂きたい」旨を手紙にて申し送つたところ、右書面を受取つた清瀬すみは、これを芳夫の全財産を子供の養育料として貰いたいとの趣旨と解し、直ちに原告に対し、右書面を同封して、「この文面では到底円満な解決は至難と思うが、○○の家をつぶしたくないからどうせ足りない財政ながら、みつは芳夫の妻なのだから、○○にいて子供の養育をするとともに、松男夫婦の面倒をみるように強く要求するより外に道はない」旨の手紙を送つたこと、その後同年一月二八日に、この件について協議するため松男方に、原告、大里茂、牧野誠、清瀬すみ、藤沢節夫らの親族が参集して親族会議が開かれた結果、みつの川崎に移住したいとの強い希望はこれを変えることができず、結局みつは芳夫の遺児二人を伴つて川崎市の、もとの住居に移転して自活すること、千葉県に居住して教員をしていた原告が○○村に帰つて松男の営んでいた農業を継承し、かつ、両親の面倒を終生みることを協議決定するとともに、これに伴い、みつはその代償として被告宏、訴外文子の親権者兼当事者として原告に対し、名義人の何人たるを問わず、○○村所在の家屋、宅地、田畑、山林その他全部を原告の所有とすることとし、登記その他必要な手続は責任をもつて履行することを約したこと、その後間もなく原告は、右契約の内容を文書に認め、自らこれに契約者として署名押印した上、契約者たるみつ、立会人たる大里茂、牧野誠、清瀬すみ、藤沢節夫(別名世津夫)の各押印を得て契約証(甲第一号証)を作成したこと、右契約における「名義人の何人たるを問わず、○○村所在の家屋、宅地、田畑、山林その他全部を原告の所有とする」とは、原告の主張するように、登記簿上の所有名義が誰になつていても、被告宏及び訴外文子がすでに相続したものは直ちに原告に贈与し、同人らが将来相続すべきものは相続したときその持分を原告に贈与することを約した(相続を停止条件とする贈与契約)ものであること、右贈与契約は、原告が訴外みつに代つて○○村に帰郷して農業に従事し、かつ、両親を終生扶養することの代償として締結されたものであつて、原告の帰郷が贈与の主要な条件とされ、これを停止条件とする贈与契約を締結したものであることなどの事実が認められ、証人大里茂(第一、二回)、同藤沢節夫(第一回)、同高沢みつの各証言及び原告本人尋問の結果中右認定に反する部分は措信しないし、他に右認定を動かすに足る証拠はない。そして、当時、別紙目録第一(イ)ないし(ハ)の農地は登記簿上芳夫名義であつたが、すでに被告宏及び訴外文子において相続により所有権を取得していたもので、同目録第二(イ)の農地及び第三(イ)の建物は松男の所有に属し、将来被告宏及び訴外文子が、原告その他の相続人とともに相続すべきものであつた。

ところで、右贈与契約のうち、将来相続すべき物件に関する相続を停止条件とする贈与契約は、相続開始前における事前の相続放棄もしくは事前の遺産分割協議を認めるのと同じ結果をもたらすものである。いうまでもなく、遺産の範囲は相続の開始により初めて確定するのであつて、その相続放棄や分割協議の意思表示は、そのとき以後における各相続人の意思によりなさるべきものであるから、当事者間で事前にこれらの意思表示をなすも何らの効力を生じないものといわなければならない。このことは、吾が民法が、相続放棄は相続開始後一定期間内に、家庭裁判所に対する申述によりなさるべきことを定め(民法第九一五条第一項)、また、相続開始前における遺留分の放棄は、家庭裁判所の許可を受けたときに限り、その効力を生ずると定めている(同法第一〇四三条第一項)ことによつても明らかである。そうだとすれば、前記相続人間における相続を停止条件とする贈与契約は、右相続制度の趣旨に反するものであつて無効といわざるを得ない。従つて、松男の所有に属し、被告宏らのためにまだ相続の開始していなかつた別紙目録第二(イ)の農地及び同目録第三(イ)の建物についての相続を停止条件とする持分の贈与契約は、他の争点の判断を待つまでもなく無効といわなければならない。

次に、右契約当時、芳夫名義であつて、すでに被告宏及び訴外文子が相続により所有権を取得していた同目録第一(イ)ないし(ハ)の農地については、右贈与契約は有効になされたものというべく、なお、いずれも農地であるから農地法第三条による県知事の許可を停止条件としてこれが所有権を原告に移転する旨の停止条件付贈与契約を締結したものとみることができる。これと同時になされた前記相続を停止条件とする贈与契約が無効であるからといつて、そのために、直ちに右第一(イ)ないし(ハ)の農地に関する贈与契約まで無効となるいわれはない。

そこで更に進んで被告らの主張する右契約の無効事由等について順次検討するに、(一)先す衡平の理念に反するとの点は、仮りに被告らの主張するように、当時原告の所有財産と訴外みつ母子らの所有財産との間に、格段の相違があつたにしても、それだけで直ちに衡平の理念に反するとして贈与契約そのものを無効とすることはできない。(二)みつに松男夫婦を扶養する義務がなかつたのに、原告があるように強調してみつを錯誤に陥入れた結果、締結されたものであるから無効であるとの点は、仮りに右の点に錯誤があつたにしても、それは縁由の錯誤に過ぎないから、これだけで無効ということはできない。(三)甲第一号証による贈与契約は、如何なる内容の給付をなす意思があるのかを確認し得ないから無効であるとの点は、前記甲第一号証によれば、「川崎市所在の家屋と疎開当時の家財道具一式以外の財産はその名義人の何人たるを問わず(例えば○○村所在の家屋、宅地、田畑、山林その他)を原告の所有とする」旨記載されているから、少くとも○○村にある高沢家の不動産全部を原告の所有とする趣旨であることが文言自体により明らかであり、その所在、地目、地積、筆数等が明示されていなくても、給付内容は特定せられているということができる。よつて、右主張も採用できない。(四)次に、被告は甲第一号証の記載によつては如何なる内容の給付をなすのか不明確であり、これをもつて文書による贈与契約が締結されたものとはいえないから、贈与の意思表示を取消す旨主張するが、前記の如く給付の内容は特定されているから、当初口頭でなされたものであつても、甲第一号証の作成せられたことにより、文書による贈与契約に変じたものというべきである。従つて、最早右契約は取消し得ないものといわなければならない。

ところで、右贈与契約は前記のとおり、訴外みつに代つて、原告が農業に従事し、かつ両親を終生扶養するため帰郷することを停止条件とするものであつた。そして、訴外みつは松男の死亡した直後の昭和二六年三月川崎市に移転したから、原告は約に従い、速かに帰郷してせつの面倒を見るとともに、農業に従事すべきであつたのに、これをしたことを認めるに足る証拠はない。原告本人尋問の結果によれば、原告は松男夫婦の生存中遂に○○村に帰郷せず、千葉県内に居住したまま現在に至つていることが明らかである。よつて、右条件は昭和三一年八月一九日まきが死亡したことにより、不成就に確定したものというべきである。従つて、同日をもつて右贈与契約は無効に帰したものといわなければならない。

よつて、原告の本訴請求中、原告と訴外みつとの間の前記贈与契約が有効であることを前提とする請求はすべて失当である。すなわち、右贈与により芳夫の相続人被告宏らの有する別紙目録第一(イ)ないし(ハ)の農地の所有権及び同目録第二(ロ)の農地の共有持分が県知事の許可を停止条件として原告に移転すべきものとする、また、同目録第三(ロ)の建物の共有持分が直ちに原告に移転したものとする、原告の被告宏に対する、請求の趣旨(一)の(1)ないし(3)記載の請求、被告育子に対する請求の趣旨(四)記載の請求及び被告石坂進に対する請求はいずれも失当として棄却さるべきである。

次に、被告晴夫の作成部分につき成立に争がなく、証人船田新助の証言及び原告本人尋問の結果により成立を認め得る甲第二号証に、証人船田新助、原告本人尋問の結果及び被告晴夫、同育子の各本人尋問の結果によれば、昭和三三年八月一七日、被告晴夫及び同育子は原告に対し、同被告らが占有使用中の別紙目録第一(イ)ないし(ハ)の農地及び同目録第三(イ)の建物(ただし物置を除く)が原告の所有に属することを当然の前提として、これらを昭和三四年三月三一日限り原告に引渡すことを約したことが認められ、右認定を動かすに足る証拠はない。ところで、証人清瀬すみ(第一回)、同高沢みつの各証言、原告本人尋問の結果及び被告渡辺晴夫、同渡辺育子の各本人尋問の結果によれば、被告晴夫と同育子は、昭和二八年一一月結婚したが、訴外みつが川崎市に移転後は松男亡きあとのまきを助けて農業に従事し、まき死亡後は別紙目録記載の不動産全部を、芳夫、松男、まきらの相続人である所有者全員との間の合意により締結された、期間の定めのない使用貸借契約に基いて適法に占有使用していたものであることが認められ、右認定を動かすに足る証拠はない。従つて、これらの物件に関する前記引渡契約は、右使用貸借契約を合意解除した上で、原告に引渡すことを約したものと認めることができる。

そこで、右引渡契約によつて、被告晴夫、同育子は原告に対し別紙目録記載の物件を引渡す義務があるかどうかについて考察するに、右物件のうち、同目録第一(イ)ないし(ハ)の農地の所有権は前記のとおり、原告と訴外みつ間の贈与契約によつては原告に移転せず、依然として芳夫の相続人である被告宏及び訴外文子の所有するところであつたから、右引渡契約はその前提を欠くものである。従つて、被告晴夫、同育子は原告に対し、右農地につき、右契約に基く引渡義務はないものといわなければならない。

また、同目録第三(イ)の建物(ただし物置を除く)については、高沢まきの死亡により原告が相続によつて九分の三の共有持分を有するに至つたことは前認定のとおりであるが、その後右引渡契約締結時までに右を超える持分を取得したことを認めるに足る証拠はない。ところで、共有物に対する使用貸借契約の解除は、特別の事情のない限り共有物の管理行為と認むべきものであるから、共有者の持分の価格に従いその過半数により決しなければならない(民法第二五条本文)。しかるに、原告の主張によれば、九分の三の持分を有するに過ぎない原告と被告晴夫、同育子との間で右使用貸借契約解除の合意をしたというのであつて、持分の価格に従い過半数となるべき他の共有者との一致した決議により、これらの者が同時または順次に同被告らと解除の合意をした等のことについて何ら主張、立証をなさないから、右建物に対する使用貸借契約解除の意思表示は何ら効力を生じないものといわなければならない。従つて、同被告らには、右引渡契約に基く右建物の引渡義務はない。

更に、同目録第二(イ)の農地及び第三(イ)の建物中の物置については、これらの物件を右引渡契約の対象としたことを認めるに足る証拠はなく、かえつて、前記甲第二号証に、原告本人尋問の結果及び被告晴夫、同育子の各本人尋問の結果によれば、原告はこれらの物件を原告に贈与することとして、ことさらに右引渡契約の対象から除外したことが認められるから、同被告らは、これらの物件についても原告に対する引渡義務はないものといわなければならない。よつて、原告の同被告らに対する別紙目録記載の不動産に対する引渡請求はすべて失当である。

被告宏及び同晴夫が、原告主張の如く、昭和三八年五月頃、別紙目録第一(イ)の地上の別紙図面移動前の家屋位置とある部分にあつた同目録第三(イ)の建物を、同目録第二(イ)の地上の同図面移動後の家屋位置とある部分まで移動したことは当事者間に争がなく右建物につき原告が九分の三の共有持分を有し、被告宏もまた共有持分を有していたことは前認定のとおりである。ところで、共有建物の移動は共有物の変更と認めるのが相当である。そして共有物に変更を加えるには共有者全員の同意を要する(民法第二五一条)のに、被告宏らが右建物の移動につき共有者たる原告の同意を得たことを認めるに足る証拠はない。そうすれば、右移動によつて原告に損害を与えたか否かに拘りなく、原告は、無断で右建物を移動した被告宏らに対し、当然、右建物を移動前の位置に移築すべきことを求め得るものといわなければならず、同被告らは原状回復義務がある。

よつて原告の本訴請求は、被告宏及び同晴夫に対し別紙目録第三(イ)の建物の移築を求める部分は正当であるからこれを認容しその余はすべて失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 山崎宏八)

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