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横浜地方裁判所小田原支部 昭和49年(わ)310号 判決 1975年10月20日

主文

被告人を死刑に処する。

押収してある刺身包丁一本(昭和四九年押第四二号の2)およびサラシ一枚(同押号の7)はこれを没収する。

理由

(事実)

第一、被告人の経歴・性格および本件犯行の動機

被告人は、東京都江東区亀戸町三丁目五四番地で書店を経営する父保明の次男として出生し、昭和二〇年三月同都千代田区神田所在の旧制錦城中学校を卒業後終戦まで父母らの疎開先であつた山梨県北都留郡上野原町の軍需工場に勤務し、同二二年五月国鉄国立駅の職員となつたものの、競輪に凝つて切符の売上金を使い込むなどして同二五年に退職せざるを得なくなり、それからは都内および神奈川県内の会社など職場を転々と変え、同三四年に他家の婿養子となつたが間もなく離縁・離婚し、同四〇年四月守屋富子と再婚し、同四五年四月からは住居地の神奈川県営横内団地三四棟四階四〇六号室に入居し、同四八年七月以降は無職となり失業保険給付金などで暮し、同四九年七月頃には手持ちの生活資金にも窮しはじめていたものであるが、その間の同一三年頃近所の吃りの子供と遊びその真似をしているうちに自からも吃るようになり、以来無口で内向的になり、親元を離れて生計をたてるようになつてからは肉親と殆んど音信不通の生活を続け、都内で労務者などをしていた同二八年頃から神経性の頭痛持ちとなつたほか、八王子市内のアパートに住み日野自動車に二交替制で勤務し早朝就寝することの多かつた同三八年頃から右アパートに住む心ない隣人の行動などで特に周囲の音に敏感になりだし、同四〇年頃には神経過敏になつて早朝さえずる雀の鳴き声もうるさく感ずるようになつた。

昭和四五年六月奥村正が妻八重子長女まゆみ二女洋子と共に前記県営団地の被告人方居室の階下である三階三〇六号室に入居したが、その際同人らは被告人に入居の挨拶をしなかつたため、被告人は、同人らを礼儀作法をわきまえない非常識な家族と思つていたところ、その後間もなく右奥村方では日曜大工を始めて金槌の音をたてるようになりベランダ側のサッシ戸のあけたても静かにしなかつたためかその音が気になり出し、右金槌の音があまりにもひどいと感じた時に一度自宅から階下の右奥村方に向かつて「うるさい」などと怒鳴つたこともあつた。

しかも右団地に住む近所の人々が自分に対して冷たい態度をとると感ずるようになつた矢先に、他人に対しては人付き合いのよい右奥村八重子が被告人と会つても挨拶をしなかつたことがあつたため、被告人は、同人が近所の者に自分の悪口を言いふらしているものと思い込み、次第に同女に対し憎しみを覚えるようになり、同四八年一一月同女方でピアノを購入し長女まゆみがこれを弾くようになるやその音が気になり出し、同四九年四月頃一度妻を遣わし自分が在宅している間はピアノを弾かないよう申入れたこともあつたが右奥村方ではピアノを弾くのをやめなかつたため、終いにはピアノを叩くのは自分に対する嫌がらせのためではないかと思い込むようになつた。そして、同年七月三日頃からは持病の偏頭痛が再発し耳鳴りがするなどのほか就労意欲がなく、生活費にも窮しはじめたためか自暴自棄になり出し、同年八月一日頃になると右ピアノを弾くのをやめない限り右奥村方の八重子とその子供達を殺害しようと考えるようになつた。

第二、罪となるべき事実

被告人は、

一、昭和四九年八月二八日午前七時一五分頃、階下の奥村方で弾くピアノの音で眼が覚め起床したが、前記経緯などからその音が非常に気になり出し、前日階下三〇五号室(奥村方の隣室)に入居した不二由美子が自分のところに入居挨拶に来た時同女に対し前記八重子の悪口を話したことを思い出すや同八重子が右悪口を知つて自分に対する嫌がらせのためのピアノを子供に叩かせるのだと邪推するにいたり同女に対する憤りを抑えることができなくなり、同八重子(当時三三年)まゆみ(当時八年)洋子(当時四年)をこの際一気に殺害しようと決意し、犯行の用に供するため、あらかじめ買求めていた刃渡り20.5センチメールの刺身包丁一本(昭和四九年押第四二号の2)および腹巻用サラシ一枚(同押号の7)と警察に対する通報の妨害をはかる目的で電話線切断に使用するペンチ一個(同押号の6)などをショッピングバッグ(同押号の1)の中にまとめて入れて右殺害の準備をなし、更に同犯行を容易に遂行でるきよう右八重子の夫が出勤して留守になるのと同八重子および洋子が室外に出るのを確認したうえ、同日午前九時一〇分頃前記三〇六号室の奥村方において、まず所携の前記刺身包丁で三畳間で独り立つたままピアノを弾いていた前記まゆみの左胸部などを数回突き刺し、即時心臓刺創等の傷害により失血死させて殺害し、次に室外に出ていた前記洋子と八重子が入室してくるのを同室内の襖のかげに身をひそめて待ち受け、その頃洋子が四畳半の部屋に入室してくるや同女の腹部などを数回突き刺したほか、所携のサラシで同女の首を絞めつけ、次いで子供の名を呼びながら三畳間に入室してきた八重子の頸部などを数回突き刺し、右洋子を大動脈切載等・右八重子を左鎖骨子動脈切断等の傷害により失血死させてそれぞれその頃殺害し、

二、前記犯行後自己の服装をととのえて逃走するため、

(一) 前同日午前一〇時頃、同県高座郡寒川町宮山三四七八番地根岸義次方庭先において、同人所有の作業用ズボン一本(時価五〇〇円相当)を窃取し、

(二) 同日午前一〇時三〇分頃、同町倉見六四八番地の四赤間勲方庭先において、回人所有の作業用上衣一着(時価二、〇〇〇円相当)を窃取し、

(三) 前同月三〇日午前六時三〇分頃、東京都町田市相原町八〇五番地阿部武方庭先において、同人所有の作業用上衣一着ほか一点(時価合計一、〇〇〇円相当)を窃取し、

たものである。

(証拠)<略>

(法令の適用等)

第一法令の適用

被告人の判示所為中、第二の一の点はいずれも刑法一九九条に、第二の二の(一)ないし(三)はいずれも同法二三五条に該当するところ第二の一の各殺人罪の所定刑中いずれも死刑を選択し、以上は同法四五条前段の併合罪であるので同法一〇条三項・四六条一項にしたがい各殺人罪中犯情最も重い奥村洋子に対する殺人の罪で被告人を死刑に処し(他の主刑を科さない)押収してある刺身包丁一本(昭和四九年押第四二号の2)は奥村まゆみ・同洋子・同八重子に対する殺人行為の用に供し、同サラシ一枚(同押号の7)は右洋子に対する殺人行為の用に供したものでいずれも犯人以外の者に属しないから同法一九条一項二号・二項にしたがいこれを没収することとし、訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項但書を適用して被告人に負担させないこととする。

第二刑事訴訟法三三五条二項の主張に対する判断

一弁護人は「被告人の本件犯行は、日曜大工の音およびピアノの音を立てる被害者方に対し極度の憎しみを持ちはじめた矢先に被害者八重子の夫に刃物で刺されるのではないかとの恐怖心にかられるようになつて、それならいつそのこと先に被害者らを殺害しようという気になつて敢行したものである。これは音に対する特殊の恐怖心および憎悪感情が高じて復讐心に変つた結果の犯行であり、正常の心理からすれば理解不可能な異常の精神状態のもとでの犯罪というほかはない。しかも被告人は本件犯行当時情意に欠け、社会倫理規範に違反してはならないという精神的抑制力に欠けた精神病質者であつた。したがつて被告人は本件犯行当時是非善悪の弁識にしたがつて自己の行動を統禦する能力がいちじるしく減弱していたものというべきであるから被告人に対する刑は減軽すべきである。」旨主張する。

二しかしながら前掲証拠中、第五回公判調書中の証人八幡衡平の供述記載部分・同人作成の精神鑑定書・猪股丈二の司法警法員および検察官に対する各供述調書を総合すると、本件犯行時被告人は前判示第一のとおり神経性の頭痛持ちであつたうえ情意に欠ける異常性格の持主で精神医学上でいう精神病質者であつたことは認められるが、他方脳波検査では異常が認められず記憶力・注意力・理解力とも正常であること、被告人の当公判廷(第八回)における供述・第四回公判調書中の証人藤本捷稔の供述記載部分・被告人の司法警察員(昭和四九年八月三一日・同年九月五日・同年同月一四日付)および検察官(同年九月一一日付)に対する各供述調書・押収してあるペンチ一丁(昭和四九年押第四二号の6)サラシ一枚(同押号の7)ふすまに書かれた文言一枚(同押号の8)を総合すると、被告人は特に音に対して過敏症で、右精神病質のため本件犯行が被害者の発するピアノの音に端を発して犯かされたものということはできるが、殺意の形成過程に特別の突発的な精神異常は認められず、兇器を準備するに際し特に包丁で殺害できない場合を予想し絞殺用のサラシ一枚と警察に対する通報を防害するために電話線切断に使用するペンチまでも準備し、本件犯行前に被害者八重子の夫が会社に出勤して留守となることを予かじめ確認するなど本件犯行が用意周到に計画されているうえ、長女まゆみと二女洋子を殺害した直後自己の犯罪を正当化するため三畳間と四畳半の境のふすまに鉛筆で「迷惑をかけるんだからスミマセンの一言位い言え。気分の問題だ。」などと書き残すなど、本件殺人行為を冷徹なまでに落着いて遂行していることが認められ、以上の事実からみれば被告人は本件犯行当時事理弁識能力がいちじるしく減弱していたものとは認められないから、弁護人の主張は採用できない。

第三量刑の事情

被告人の本件犯行は被害者奥村八重子方で発するピアノの音や日曜大工もしくはベランダのサッシ戸の音などに端を発したものであるが、そのピアノの音は平塚市公害課による音響測定によると被告人宅で聞いた場合四〇ないし四五ホン程度で、神奈川県公害対策事務局が行政指導上の目安として音の人体に対する影響を実験などでまとめた基準例によると右程度の音響は睡眠をさまたげられ病気の人は寝ていられないという程度の音に当り、被害者方真下二〇六号室に居住する者の反応も不快感を与える程の音とは感じなかつたというものであり、しかも早朝や夜遅い時間特に通常人の睡眠時間帯には発しられていない。むしろその影響は、音を感受する被告人が音に対し極度の神経過敏症であつたうえ情意に欠ける異常性格者であつたことと、他人に対しては特に人付きあいがよく社交家肌の右八重子が被告人の日常の行動をみて変人と思つたのか被告人に対してはほとんど近所付きあいをしなかつたという意思の疎通に欠けた点があつたことに由来する。したがつて被告人の本件犯行は被害者方と被告人との間に意思の疎通があれば十分防止し得たともいえる。

しかし右意思の疎通に欠けた点をもつて被害者のみを責めることはできない。まして被害者は、被告人が音に極度の神経過敏症であるうえ異常性格者であつたことを知る由もなかつたからである。そのうえ、被告人はピアノを弾く時間が一定していないので家にも居られない状態であつたと述べているが、被害者八重子方には被告人の側からピアノを弾く時間を制限するよう協定を結ぶことを申入れればこれを拒否したと思われるような事情も認められない。しかるに被告人は前記認定のように直接被害者方に苦情を申し入れたのは僅かに一回だけであつて、騒音問題について被害者側と話し合いをするよう努力した形跡は全く認められない。

被害者を責める限りはこれと同じく被告人の態度も責められなければならない。ところが被告人は、自己の被害者に対する態度を一顧だにせず被害者八重子の自己に対する態度のみを自己流に責め、果てはその報復として本件犯行を用意周到に計画して一片の隣憫の情もなく罪のない幼女二人までも一気に殺害し、その犯行の態様は冷静に致命傷を与える部位を狙つて鋭利な刃物で突き、更にそのうち一名については手ごたえが十分でないとして所携のサラシで首を絞めるなどその残虐性は窮まりないものというほかない。

また被告人は法廷においても全く自己の犯した罪に対し悔悟の情を示していない。

以上の事情に鑑み被告人を死刑に処することにする。

よつて主文のとおり判決する。

(海老原震一 安間喜夫 藤枝忠了)

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