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横浜地方裁判所 昭和60年(ワ)1815号 判決 1989年11月30日

原告 甲野花子

右訴訟代理人弁護士 吉永多賀誠

同 吉永彦

被告 乙山春子

被告 株式会社 丁原

右代表者代表取締役 甲野一郎

被告両名訴訟代理人弁護士 高井伸夫

同 末啓一郎

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告乙山春子は原告に対し、別紙物件目録一記載の建物を明渡し、かつ、昭和六〇年七月一日から右明渡しずみに至るまで一か月五万七二三七円の割合による金員を支払え。

2  被告株式会社丁原は原告に対し、別紙物件目録二記載の建物部分を明渡し、かつ、昭和六〇年七月一日から右明渡しずみに至るまで一か月一万〇五六一円の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告らの負担とする。

4  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する被告らの答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  別紙物件目録一記載の建物(以下「本件建物」という。)は、もと原告の夫甲野太郎(以下「太郎」という。)が所有していた。

2  太郎は、昭和五九年四月一六日、公正証書により、遺産の全部を原告に相続させる旨の遺言をし、昭和五九年一〇月一八日死亡した。

3  被告乙山春子(以下「被告乙山」という。)は、昭和四四年一月一〇日から本件建物を占有している。

4  被告株式会社丁原(以下「被告会社」という。)は、昭和五六年八月ころから、別紙物件目録二記載の建物部分(以下「本件建物部分」という。)を占有している。

5  本件建物の相当賃料額は、一か月五万七二三七円である。

6  本件建物のうち本件建物部分の相当賃料額は、一か月一万〇五六一円である。

よって、原告は、本件建物の所有権に基づき、被告乙山に対しては本件建物の明渡及び昭和六〇年七月一日から右明渡しずみに至るまで一か月五万七二三七円の割合による使用損害金の支払を、被告会社に対しては本件建物部分の明渡及び昭和六〇年七月一日から右明渡しずみに至るまで一か月一万〇五六一円の割合による使用損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する被告らの認否

(被告乙山)

1 請求原因1及び3の各事実はいずれも認める。

2 同2の事実中、太郎が原告主張の日に死亡したことは認めるが、その余の事実は否認する。

3 同5の事実は知らない。

(被告会社)

1 請求原因1及び4の事実はいずれも認める。

2 同2の事実中、太郎が原告主張の日に死亡したことは認めるが、その余の事実は否認する。

3 同6の事実は知らない。

三  被告らの抗弁

(被告乙山)

1 賃借権

被告乙山の夫である亡乙山春夫(以下「春夫」という。)は、昭和四〇年八月ころ、太郎から本件建物を賃料月額五〇〇〇円で賃借した。

春夫は昭和四三年一月一四日死亡し、被告乙山は相続により本件建物の賃借権を承継し、春夫の他の相続人乙山夏夫は、これに異議をとなえず、成年になって右承継を追認した。

賃貸借契約成立の事情は、以下のとおりである。

昭和三九年九月ころ、原告の弟である丙川秋夫(以下「秋夫」という。)夫婦が、原告の母丙川冬子(以下「冬子」という。)の世話をするということで本件建物に入居し、同女とともに生活しながら、所有者である原告の夫太郎に賃料月額五〇〇〇円を支払っていた。

その後、秋夫が他に転出することになったので、兄弟で協議し、原告の妹である被告乙山夫婦が、本件建物に居住して冬子の世話をすることになり、被告乙山の夫春夫は昭和四〇年八月ころ太郎と話し合い、秋夫と同様本件建物を賃料月額五〇〇〇円で賃借することになった。

2 使用借権

仮に賃借権が認められないとしても、被告乙山は、昭和四〇年九月一日、太郎から本件建物を無償で借受けた。

3 権利濫用

原告は、本件建物を被告らに明渡してもらったうえ、太郎の意思に従い、本件建物を外務省の外郭団体に寄付すると言うが、実際には、被告乙山が、原告と被告会社の代表者甲野一郎との間の離縁訴訟に関して、原告に不利な内容の陳述書を作成したことを恨んで、本件建物の明渡を求めている。現に、被告乙山は、冬子死亡の後、本訴提起まで一六年間余にわたって明渡を請求されたことはない。

他方、本件建物部分で営まれているお好み焼き屋「戊田」では、被告乙山のみならず、太郎の姪である甲野夏子、原告の弟の妻である丙川竹子も働き、それを生活の糧としている。

したがって、本件明渡請求は権利の濫用である。

(被告会社)

1 賃借権

被告会社は、昭和五六年五月、太郎から本件建物部分を賃料月額三万円で賃借した。

2 使用借権

仮に賃借権が認められないとしても、被告会社は、昭和五六年九月、太郎から本件建物部分を無償で借受けた。

3 権利濫用

原告は、被告乙山と被告会社の代表者甲野一郎に対する個人的な恨みで本件建物部分の明渡を求めているもので、右明渡請求は権利の濫用である。

四  抗弁に対する認否

(被告乙山の抗弁に対するもの)

1 抗弁1の事実中、賃貸借契約の成立は否認し、その余の事実は知らない。太郎及び原告に対し、冬子の存命中は冬子名義で、死亡後は被告乙山名義で、月額五〇〇〇円の金員が支払われているが、これは、本件建物使用の対価ではない。

太郎にとって、妻の母冬子を本件建物に居住させたのは、全くの好意によるものであって、対価を得るなどという意識はなく、丙川家が太郎の好意に対する謝意を示す意味で、月々五〇〇〇円を交付していただけである。一か月当たり五〇〇〇円という金額は、昭和四〇年当時における本件建物の相当賃料月額三万二五〇〇円に対比すると、約六・五分の一に過ぎないし、その後相当賃料額との隔たりは更に大きくなっているから、客観的金額からしても、五〇〇〇円の支払は本件建物利用の対価とはいえない。

2 同2の事実は認める。

3 同3の事実は否認する。

(被告会社の抗弁に対するもの)

1 抗弁1の事実は否認する。

太郎は、被告乙山が本件建物部分でお好み焼き屋を営むことを承認しただけで、被告会社が本件建物部分を利用することを認めていないし、毎月三万円ないし三万五〇〇〇円の振り込み送金も、甲野一郎が一方的にして来たものである。

太郎は、税務署に対する申告に際しても、右金員の支払人は甲野一郎としているのであって、被告会社を支払人とはしていない。

2 同2の事実は認める。

3 同3の事実は否認する。

五  再抗弁

(被告乙山に対するもの)

1 抗弁1(賃借権)に対し

仮に原告と被告乙山との間に賃貸借関係が存在していたとしても、

(一) その賃貸借関係は、賃料が月額五〇〇〇円と低額であるうえ、被告乙山と原告、太郎が実姉、義兄という関係にあって、主観的な信頼関係に全面的に依存したものである。

しかるに、被告乙山は、本件原告と太郎を原告とし、甲野一郎と夏子を被告とする当庁昭和五九年(タ)第一二三号離縁請求事件に関して、原告を一方的に非難する陳述書を提出した。

これは、原告に対する背信行為であり、賃貸借関係の基礎にある信頼関係を破壊するものである。

そこで、原告は被告乙山に対し、昭和六一年一一月一一日の本件第一〇回口頭弁論期日において、右信頼関係の破壊を理由として賃貸借契約を解除する旨の意思表示をした。

(二) また、被告乙山は、太郎に無断で、昭和五六年夏ころ本件建物部分を被告会社に転貸し使用させている。

そこで、原告は被告乙山に対し、平成元年九月一九日の本件第二七回口頭弁論期日において、右無断転貸を理由として賃貸借契約を解除する旨の意思表示をした。

2 抗弁2(使用借権)に対し

(一) 原告と被告乙山間の使用貸借は、被告乙山が、本件建物にその母冬子と同居して、同人の看護をすることを目的としたものであるところ、同人は昭和四四年一月一〇日に死亡したから、契約所定の目的に従った使用は終了し、使用貸借は、同日をもって終了した。

(二) 原告は被告乙山に対し、昭和五九年一二月三〇日、本件建物の返還を請求した。

(三) 被告乙山は、昭和五六年八月ころから、本件建物のうち本件建物部分を被告会社に使用させている。

そこで、原告は被告乙山に対し、昭和六〇年一一月一日の本件第三回口頭弁論期日において、無断転貸を理由として本件建物の使用貸借契約を解除する旨の意思表示をした。

(被告会社に対するもの)

1 抗弁1(賃借権)に対し

仮に賃貸借契約が成立していたとしても、

(一) 合意解除

被告会社の代表取締役甲野一郎は、昭和五九年三月一七日、太郎を病臥中の自宅に訪れて離縁の申出をしたさい、原告を使者として、また、太郎も原告を使者として、相互に、本件建物部分の賃貸借契約を合意により解除する旨の意思表示をした。

(二) 信頼関係破壊を理由とする解除

(1) 信頼関係の破壊

仮に、原告と被告会社との間に、賃貸借関係が存在していたとしても、その賃貸借関係は、太郎と原告が、被告会社の代表取締役甲野一郎と取締役甲野夏子の養父母であり、監査役である被告乙山の義兄、実姉でもあるという主観的信頼関係に全面的に依存したものであるところ、甲野一郎、夏子夫婦は、昭和五九年三月一七日離縁を申し出て、病臥中の太郎を遺棄して東京都内に転居し、賃貸借関係の基礎にある信頼関係を破壊した。

(2) 解除の意思表示

原告は被告会社に対し、昭和六一年一一月一一日の本件第一〇回口頭弁論期日において、信頼関係の破壊を理由として賃貸借契約を解除する旨の意思表示をした。

2 抗弁2(使用借権)に対し

太郎は、昭和五九年三月一七日、被告会社の代表取締役甲野一郎に対し、本件建物部分の返還を請求した。

六  再抗弁に対する被告らの認否

(被告乙山)

1 再抗弁1の一の事実中、被告乙山が原告主張の訴訟事件に関して陳述書を作成したこと、原告が賃貸借契約を解除する旨の意思表示をしたことは認めるが、その余は否認する。

2 同1の二の事実中、無断転貸の事実は否認し、その余の事実は明らかに争わない。

3 同2の一の事実は否認する。

4 同2の二の事実は認める。

5 同2の三の事実中、解除の意思表示があったことは認めるが、その余の事実は否認する。

(被告会社)

1 再抗弁1の一の事実は否認する。

2 同1の二の事実中1の事実は否認し、2の事実は認める。

3 同2の事実は否認する。

第三証拠《省略》

理由

一  本件建物はもと太郎が所有していたこと(請求原因1の事実)、太郎が昭和五九年一〇月一八日死亡したこと(同2の事実)は、いずれも当事者間に争いがない。

そして、太郎が、昭和五九年四月一六日、公正証書により、遺産の全部を原告に相続させる旨の遺言をしたこと(同2の事実)は、太郎の署名部分を除き成立に争いがなく、太郎の署名部分は《証拠省略》によって、これを認めることができる。

二  被告乙山が本件建物を、また、被告会社が本件建物部分を占有していること(請求原因3、4の事実)は、当事者間に争いがない。

三  被告らの賃借権(いずれも抗弁1の事実)について

被告乙山が本件建物の所有者である太郎及び原告に対し月々五〇〇〇円を支払ってきたことは、当事者間に争いがなく、この事実に、《証拠省略》を総合すると、以下の事実が認められる。

1  原告は、昭和二二年一一月に太郎と結婚して以来、太郎と共に本件建物内で生活し、太郎と原告の夫婦は、原告の母冬子、原告の弟である秋夫、妹である被告乙山らを本件建物内に引き取って、生活の面倒を見てきた。その後、原告の兄弟らは、それぞれ結婚して本件建物を順次出て、昭和三九年八月ころは、原告夫婦と冬子が本件建物で生活していた。

2  昭和三九年八月、原告夫婦は、同じ鎌倉市《番地省略》にある別の家に住むことになり、秋夫夫婦が本件建物内に居住して、当時七七才であった冬子の面倒をみることになった。

秋夫は、昭和三九年九月から本件建物で生活し、太郎に月額五〇〇〇円の金員を支払ってきた。

3  しかし、冬子と秋夫の妻の折り合いか悪く、一年位して秋夫夫婦も本件建物を出ることになったため、太郎や原告らの兄弟が相談した結果、当時借家住まいをしていた被告乙山と夫春夫の夫婦に冬子の世話をしてもらうことになり、被告乙山夫婦は、昭和四〇年九月から本件建物で生活するようになった。

本件建物に入居するに先立ち、春夫は太郎と話しあって、秋夫が太郎に支払っていたのと同額の月額五〇〇〇円の金員を太郎に支払うことにした。

以後、春夫と被告乙山の夫婦は、冬子の世話をしながら本件建物で生活して、太郎に毎月五〇〇〇円の金員を支払っていたが、春夫は昭和四三年一月一四日に死亡し、更に昭和四四年一月一〇日になって冬子も死亡した。

冬子死亡後は、被告乙山が冬子の世話をする必要はなくなったが、太郎が被告乙山に退去を求めることもなく、同被告は、アクセサリーの卸しの仕事をするなどして生活を立てながら、従来通り本件建物内で長男夏夫と共に暮らし、月額五〇〇〇円の金員を太郎に支払ってきた(この事実は当事者間に争いがない。)。

4  ところで、原告と太郎夫婦は、昭和五〇年一〇月二五日、原告の妹乙野松子の娘夏子とその夫一郎(被告会社の代表者)とを養子にとり、昭和五三年一一月からは、鎌倉市《番地省略》の住まいの隣地に建物を建てて住まわせた。

5  被告乙山は、昭和五三年に、弟の秋夫と共に、本件建物部分で喫茶店「お休処戊田」を開いた。

しかし、経営は思わしくなく、昭和五五年六月ころ廃業した。

右喫茶店廃業後、本件建物部分は空いていたが、昭和五六年春ころ、甲野一郎は、被告乙山の生活を助けることにもなるということで、本件建物部分でお好み焼き屋を経営することにし、太郎の承諾を得たうえ、同年九月ころまでに数百万円の費用をかけて、被告会社を営業主体とするお好み焼き屋「戊田」を本件建物部分で開店し、被告乙山は、その従業員として、実質的に同店を切盛りしてきた。

6  昭和五九年三月二四日、甲野一郎夫婦は、原告との間で離縁の話が出て東京都内に転居した。

太郎は同年一〇月一八日死亡し、同年一二月三〇日、原告は被告乙山に対し、本件建物からの退去を申し入れた。

7  被告乙山及びその夫春夫の太郎及び原告に対する毎月五〇〇〇円の支払は、昭和四〇年九月から昭和五九年九月までは、被告乙山が原告宅に持参したりあるいは原告が被告乙山宅に来たときに手渡すという形で、昭和五九年一〇月以降は銀行振り込みの方法によっていた。

これらの支払時期は、必ずしも一定してはいなかったが、毎月分確実に支払われてきた。

太郎は、その支払のため判取り帳を用意し、支払がなされる都度、領収印を押していた。

そして、少なくとも昭和五七年一月から昭和五八年九月までの分については、判取り帳の契約条件欄に、「《番地省略》所在家屋に対する賃料として」、「内店舗分は別冊」との記載をしていた。

被告会社は、太郎に対して、昭和五六年一〇月からは毎月三万円を、また、昭和五八年八月からは毎月三万五〇〇〇円を、概ね会社名義で銀行振り込みの方法により支払ってきた。

また、太郎は、昭和五八、五九年分の所得税青色申告決算書の不動産所得の欄に、他の地代、家賃収入と共に、被告乙山を賃借人として月額五〇〇〇円、甲野一郎を賃借人として月額三万円あるいは三万五〇〇〇円の収入を計上している。

8  本件建物の昭和四〇年当時における相当賃料は、月額三万二五〇〇円を下らないものであり、また、本件建物の敷地である土地の面積は三九六・六九メートルで、昭和六〇年当時の時価は一億円を優に越えるものである。

本件建物及びその敷地の公課は、昭和五三年以降についてみると、年額一一万円以上になっている。しかし、昭和四〇年のそれは、年額一万一三四〇円でしかない。

本件建物は鎌倉市の鶴岡八幡宮に道路を隔てて向かい合い、人通りが多い一方、樹木が繁り環境は優れている。

以上の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》

右認定の各事実によれば、被告乙山と春夫の夫婦が本件建物に入居する際、春夫と太郎との間で支払が約束された月額五〇〇〇円という金額は、当時においても本件建物の家賃としては低額のものと言わざるを得ないが、その支払が毎月のものであること、右五〇〇〇円の支払に関して太郎は判取り帳を用意し、支払があったときにはこれに領収印を押していること、少なくとも昭和五八年ころの判取り帳には、明確に賃料と記載されていること、また、太郎は自らの確定申告に際しこの五〇〇〇円を家賃収入に計上していること、低額でありしかもそれが十数年にわたって増額されていないことについては、原告の母冬子の世話をすべく本件建物に入った秋夫夫婦が本件建物を出てしまい、冬子の世話をする人がいなくなったため、被告乙山夫婦が本件建物に入居することになり、しかも、冬子はもともと原告と太郎夫婦が面倒をみていたという事情から、家賃が低く押さえられ、その後冬子が死亡してからもその額が変わらなかったのは、冬子の死亡前に被告乙山の夫春夫が死亡して、被告乙山の生活が大変になったことに太郎が同情したためと理解できることからすれば、月額五〇〇〇円の支払は、原告が主張するような単なる謝礼と見るよりは、本件建物の賃料の支払としてなされたとみるのが相当であって、昭和四〇年九月被告乙山夫婦が本件建物に入居する際、太郎と春夫との間で本件建物につき賃貸借契約が締結されたと認めるのが相当である。

そして、春夫が死亡したことにより、本件建物の賃借権を被告乙山が相続し、これに甲野夏夫が異議をとなえず、成人になって追認したことは、弁論の全趣旨から明らかである。

次に、被告会社については、甲野一郎が昭和五六年五月ころ太郎に本件建物部分をお好み焼き屋に利用することについて承諾を得、同年九月にお好み焼き屋「戊田」を開店し、同年一〇月から毎月三万円、昭和五八年八月からは毎月三万五〇〇〇円を概ね被告会社名義で銀行振り込みの方法で太郎に支払い、太郎は確定申告に当たってこれを家賃として計上している(賃借人の記載については甲野一郎になってはいるが)のであるから、遅くても昭和五六年九月には、被告会社と太郎との間で本件建物部分につき賃貸借契約が成立したと認めるのが相当である。

原告は、これに反して、太郎が本件建物部分をお好み焼き屋として利用することを承認した相手は被告乙山であり、被告会社が本件建物部分を利用することは認めておらず、甲野一郎が一方的に毎月三万円ないし三万五〇〇〇円を振り込み送金して来ただけで、太郎も三万ないし三万五〇〇〇円の支払人は甲野一郎と税務署に申告していると主張するが、前認定のように太郎の口座に対し概ね被告会社名義で毎月三万ないし三万五〇〇〇円の金員が振り込まれて来たこと、太郎は確定申告の際甲野一郎を賃借人とする賃料収入がある旨記載していることからすると、太郎は本件建物部分をお好み焼き屋として利用しているのは甲野一郎を代表者とする被告会社と認識し、賃料として毎月三万ないし三万五〇〇〇円の振り込みを受けていたと見るのが自然であるから、右主張は採用できない。

四  被告乙山に対する再抗弁1(賃貸借契約の解除)について

被告乙山が、本件原告と太郎を原告とし、甲野一郎と夏子を被告とする当庁昭和五九年(タ)第一二三号離縁請求事件に関して、陳述書を作成したこと、原告が右陳述書の作成を理由として本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をしたことは、当事者間に争いがない。

ところで、賃貸借関係においては、賃借人に賃貸借契約上直接生じる債務の不履行があるとは言い切れない場合であっても、賃借人が賃貸人に対し背信行為をし、そのため、賃貸人に賃貸借関係を継続させることが酷であると考えられる場合には、賃貸人はそれを理由に賃貸借契約を解除しうることがあると言うべきであり、しかも、賃貸借関係が、本件のように、賃貸人と賃借人との特別の人間関係に依存し、賃料が市場価格に比して極めて低額に押えられている場合には、通常の賃貸借契約よりも低い程度の背信行為で解除できると言わなければならない。

しかしながら、原告が問題にする陳述書は、被告乙山が、その姉である原告と甥である甲野一郎及びその妻夏子との間の養親子関係の離縁の事件に関し、事件に密接な関係ある者として作成したものであり、その内容も、確かに甲野夫婦に有利で、原告を批判するものにはなっているが、殊更に原告を誹謗するようなものでなく事件関係者として自ら経験したこと、そこから得た所感を記載しているに止まるものである。それに、賃借人による背信行為ないし信頼関係の破壊といっても、解除の成否について問題とされるべきは、当該貸借をめぐる両者の接触場面でのそれに限られ、当該貸借関係とは無関係な事項は、たとえ一般的、社会的な意味では両者間の信頼関係を破壊するといえるようなことであっても、これを斟酌すべきでなく、このこと自体は、本件のように賃貸借当事者間に親族関係があるなどの事情が認められた場合にも、原則として妥当するものと解すべきことも併せ考えれば、右陳述書の作成は、原告と被告乙山との特殊な賃貸借関係を考慮しても、いまだ賃借人として許されない背信行為をしたとまでは言うことはできない。

したがって、被告乙山が、原告と甲野らとの間の離縁事件に関して乙第四号証の陳述書を作成したことを理由に、本件賃貸借契約を解除することは許されないと言うべきである。

また、原告は、被告乙山が本件建物部分を太郎に無断で転貸したことを理由に解除の主張をしているが、前認定のとおり、被告会社は太郎から本件建物部分を直接賃借しているのであるから、右主張も理由がないことは明らかである。

以上によれば、被告乙山に対する原告の請求はその余の点につき判断するまでもなく、理由がないことに帰する。

五  被告会社に対する再抗弁1の(一)(賃貸借契約の合意解除)について

昭和五〇年一〇月二五日、原告と太郎夫婦が、原告の妹乙野松子の娘夏子とその夫甲野一郎とを養子にとり、昭和五三年一一月からは鎌倉市《番地省略》の住まいの隣地に住まわせたたこと、昭和五九年三月二四日甲野一郎夫婦が東京都内に転居したことは、前認定のとおりであり、《証拠省略》によれば、甲野一郎が昭和五九年三月一七日離縁をめぐる話合いの際に、原告から、お好み焼き屋「戊田」を止めるよう申し渡されたのに対し、「分かりました。」と答えたことが認められる。

しかしながら、《証拠省略》によれば、甲野夫婦が原告の隣地に住んでから、原告と夏子との折り合いは悪く、昭和五八年春ころには、既に原告は甲野夫婦に離縁を求めるなどしてきたが、同年一二月になって太郎が倒れたため、甲野一郎は相続税のことが心配になり、相続税を少なくする方法をあれこれ考え、太郎名義で土地を買うことにし、融資先に対する交渉等を済ませ、昭和五九年三月一七日に原告宅を訪れ、太郎の実印、印鑑証明書を借りようとしたが、原告に断られたこと、その際、原告と甲野一郎との間では、原告が「お前は信用出来ない。夏子とは気が合わない。」などと言い、甲野一郎は「私を信用出来ず、夏子とも一緒に暮らせないなら、ここに居ても仕方がない。」「籍を抜くしかない。」等と言って口論になり、そこでお好み焼き屋を止めるという話がでたこと、その後同月二六日に甲野一郎は親戚の者と共に原告宅を訪れて謝罪したこと、当時お好み焼き屋「戊田」の経営は順調であり、同店では、被告乙山のほか、太郎の姪の甲野明子、丙川秋夫の妻竹子、その他若干の従業員が働き、同年四月以降も被告会社はお好み焼き屋「戊田」を経営し続けていることがそれぞれ認められ(る。)《証拠判断省略》

右認定の各事実によれば、昭和五九年三月一七日に原告と甲野一郎との間でかわされたやりとりはかなり感情的なものであって、そこにおける甲野一郎の言動を捕えて、本件建物部分の賃貸借契約を合意で解除したと認めるのは相当でない。

したがって、再抗弁1の(一)の主張は理由がない。

六  被告会社に対する再抗弁1の(二)(信頼関係破壊による解除)について

前認定のとおり、甲野夫婦は、昭和五九年三月二四日、原告宅の隣地に建ててもらった建物を出て東京に転居し、以後太郎及び原告の世話をすることはなくなったが、こうした状態になったのは、もともと夏子と原告との折り合いが悪かったことや、相続税対策をめぐる感情の行き違いから、原告と甲野一郎との間の人間関係が悪化したためであるが、そのことについては、原告の方にも、人間関係の修復に対する努力が足りなかったことは否定できない。のみならず、本件で問題になっているのは、甲野夫婦が養子縁組をしたことに伴い入居した原告宅隣の建物の使用関係ではなく、もともと被告乙山が賃借使用していた本件建物の一部である本件建物部分に対する被告会社と原告間の賃貸借関係であって、これと原告及び甲野夫婦間の養親子関係の良否とは、既に確定した諸事実からみて、その関連性は薄いとみるべきであるから、甲野夫婦が東京に転居し原告らの世話をしなくなったことをもって、被告会社の代表者である甲野一郎に、賃借人として解除権を発生せしめる程の背信行為があったと言うことはできない。

したがって、このことをもって、本件建物部分の賃貸借契約の解除事由とすることはできず、再抗弁1の(二)の主張も理由がない。

以上によれば、被告会社に対する原告の請求は、その余の点につき判断するまでもなく、理由がないことに帰する。

七  結局原告の本訴各請求はいずれも理由がないことになるから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 佐久間重吉 裁判官 山本博 吉村真幸)

<以下省略>

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