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横浜地方裁判所 昭和56年(ワ)1517号 判決 1986年2月27日

原告

岡井建設株式会社

右代表者代表取締役

岡井源朗

右訴訟代理人弁護士

長岡邦

被告

宮川子

右訴訟代理人弁護士

小林宏也

本多藤男

長谷川武弘

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、別紙物件目録記載の土地(以下「本件土地」という)について昭和五六年三月二七日付売買を原因とする所有権移転登記手続をせよ。

2  被告が前項の所有権移転登記手続をすることが不能であるときには原告に対し四〇〇〇万円を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  第2項につき、仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二  当事者の主張

一  請求の原因

1  登記請求権について

(一) 原告は、昭和五六年三月二七日、被告から本件土地を代金二億円、内金一億円を同日手付金として支払い、残代金一億円を同年五月二九日に支払い、なお、被告は原告に対し、同年四月二日限り右所有権移転登記手続を行う旨の約定で買い受ける(以下「本件売買契約」という)とともに、同日、両者間において、原告が右代金二億円を支払つたときは、被告は原告に対し、二〇〇〇万円を還元する(以下「本件還元金」という)との合意が成立した。

(二) 原告は被告に対し、昭和五六年四月二日四三〇〇万円、同年五月一三日六七〇〇万円、合計一億一〇〇〇万円を支払つた。

(三) よつて、原告は被告に対し、本件土地につき本件売買契約に基づき所有権移転登記手続をすることを求める。

2  損害賠償請求について

(一) 被告は、本件売買契約後、本件土地の所有権の一部(一七九〇平方メートル)を他に移転し、その登記手続をなした模様である。

(二) 原告は、昭和五六年四月二日、訴外坂本精(以下「坂本」という)に対し、本件土地を二億二〇〇〇万円で転売した(以下「本件転売契約」という)。したがつて、被告が本件土地の一部を他に転売したことによつて原告に対し本件売買契約の履行をすることができないとすれば、原告は本件還元金(二〇〇〇万円)に加え、本件転売契約に基づく転売利益二〇〇〇万円合計四〇〇〇万円の得べかりし利益を失うことになる。

(三) よつて、原告は被告に対し、予備的に被告の前記登記義務の履行が不能な場合には、損害賠償として四〇〇〇万円の支払を求める。

二  請求の原因に対する認否

1  請求の原因1(一)、(二)記載の事実は認め(但し、六七〇〇万円の授受の日は昭和五六年四月一三日である。)、同(三)は争う。なお、被告は原告から受領した一億一〇〇〇万円は内金三〇〇〇万円を昭和五六年四月二五日、残金八〇〇〇万円を同年五月二八日、坂本を介して原告に返還済みである。

2  同2記載の事実のうち、原告が本件土地の一部(一七九〇平方メートル)を他に転売したことは認め、その余は否認する。

三  抗 弁

1  本件売買契約は、被告の錯誤に基づくものであり、無効である。

(一) 本件土地の総面積は五一七八・二六平方メートルであり、また、同土地は都市計画法七条一項所定の市街化区域内にあるから、本件売買契約にあたつては、国土利用計画法(以下「国土法」という)二三条一項所定の届出をしなければならず、これに違背するときは同法四七条一項に該当し、処罰されることになる。

しかるに、原告は、被告に対し、国土法の問題に関してはすべて解決済みである旨申し向けて被告をその旨誤信させ、本件売買契約を締結せしめたものである。

ところが、被告は、昭和五六年四月一七日、鎌倉市役所に呼び出され、係官から、国土法に違反しているので一坪でも売買してはならない等と叱責されたうえ、更に、同月二三日、神奈川県庁に呼び出され、係官から本件売買契約については同法所定の届出をしていないから同法の罰則が適用される旨告げられ、叱責されたのである。

(二) 更に、原告は被告に対し、本件売買契約に際し、二通の契約書を作成することは不動産売買の慣習であり、誰でもやつていることであつて悪いことではない旨告げて被告をしてその旨誤信させ、表、裏二通の契約書を作成させたものである。

しかし、被告はその後右のような行為は脱税をするためになされたことを知つたのである。

(三) よつて、被告が原告となした本件売買契約には、その要素に錯誤があり、無効である。

2  仮に、本件売買契約が無効ではないとしても、被告は前項(一)及び(二)記載のような原告の欺罔行為により、国土法違反に問われることもなく、また、税金も少くなると誤信して本件売買契約をしたものである。

したがつて、本件売買契約は原告の詐欺に基づくものであるから、被告は、昭和五七年五月二〇日原告に対し本件売買契約を詐欺により取り消す旨の意思表示をした。

3  仮に、被告の前記詐欺の主張が認められないとしても、被告は原告によつて、前記1(一)及び(二)記載のように欺罔され、そのうえ、本件売買契約による手付金の支払さえも約定通りに支払われなかつたために残金の支払に関しても被告の不安が高まり、原告の買主としての信用が失墜してしまつたのである。そこで、被告はやむなく、原告に対し、昭和五六年四月二七日付内容証明郵便によつて本件売買契約を解除する旨の意思表示をし、そのころこれが原告に到達したものである。

4  仮に、被告の前項の解除の主張が認められないとしても、同項記載の事実に照らし、原告の本件売買契約に基づく登記請求は信義則に反し、ひいては権利濫用であり許されない。

5  仮に、被告が原告に対して本件土地について所有権移転登記手続をなすべき義務があるとしても、被告は原告から受領した一億一〇〇〇万円は坂本を介して返還しているのであるから、被告は右登記手続に関し、原告の本件売買契約に基づく売買代金二億円の支払と同時にこれを履行すれば足りる。

6  原告主張の損害賠償の主張は次のとおり失当である。

本件還元金二〇〇〇万円については、原告は被告に対し売買代金二億円を支払つていないのであるから、被告は原告に対しこれを支払う義務は発生していない。また、仮に、原告が被告から坂本を介して一億一〇〇〇万円の返還を受けていないとすれば、本件土地の転売利益二〇〇〇万円についても、原告はこれを坂本に転売し、同人から手付金、中間金として合計一億二〇〇〇万円を受領し、この内金一億一〇〇〇万円を被告に支払い、被告は右金員を坂本に返還したことになり、坂本から原告は右転売に関し何らの請求をも受けていないのであるから、被告に対し右転売差益二〇〇〇万円を請求することは許されないものというべきである。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1(一)記載の事実は否認する。すなわち、本件土地は市街化区域内にはないし、また、国土利用計画法所定の届出をしなかつたとしても、契約の効力に影響がないのである。そのうえ、本件売買契約に関し、原告は鎌倉市役所及び神奈川県庁から呼出しさえも受けていないのである。むしろ、被告が原告からの転売人である坂本と直接売買契約を締結し、大々的に分譲の広告をしたため、被告主張の警告を受けることになつたものである。

2  同(二)記載の事実のうち、本件売買契約に際し、契約書が二通作成されたことは認めるが、その余は否認する。右契約書二通が作成されたのは、専ら被告の便宜のためである。

3  同2記載の事実のうち、被告が昭和五七年五月二〇日本件売買契約を詐欺により取り消す旨の意思表示をしたことは認め、その余は否認する。

4  同3項記載の事実は否認する。

5  同4項記載の主張は争う。被告の主張こそが信義則違反であり、また権利濫用である。

6  同5項記載の事実は否認する。原告は被告から一億一〇〇〇万円の返還を受けていないし、また、本件売買契約においては、代金の支払と所有権移転登記手続とが同時履行の関係にはない。

7  同6項記載の事実のうち、原告が本件土地を坂本に転売したことは認め、その余は否認する。

第三  証 拠<省略>

理由

一原告は、被告に対し本件土地につき本件売買契約に基づいて移転登記請求権を有する旨主張するので、検討する。

<証拠>によれば、次のとおりの事実が認められる。

原告代表者岡井源朗(以下「原告」という)と被告との間において、昭和五六年三月二七日、被告は原告に対し本件土地を代金二億円で売り渡すこととし、代金の支払方法は、同日手付金一億円、同年五月二九日残金一億円を支払うこと、右代金の支払が完了したときに同土地の所有権が原告に移転する旨の本件売買契約が締結されたこと、右契約に際し、右両者間において、本件土地の登記簿上の所有名義を原告に変更しておいた方が同土地の転売のためにも都合がよいということから、被告は原告に対し、同五六年四月二日までに本件土地の所有権移転登記手続をすることとし、更に、被告は原告に対し、右代金二億円から本件還元金二〇〇〇万円を支払う旨の合意がなされたこと、しかし、原告には、右代金はもちろん、手付金さえも支払う資力がなかつたこと、そこで、原告は、同年四月二日、坂本との間において、本件土地を代金二億二〇〇〇万円で同人に売り渡すこととし、代金の支払方法は同日手付金五〇〇〇万円、同月一三日中間金七〇〇〇万円、同年五月二五日限り残金一億円を支払うこと、同支払が完了したときに同土地の所有権が坂本に移転する旨の本件転売契約が締結され、そのころ、原告、被告及び坂本の三者間において、本件土地の所有権移転登記手続は、中間省略登記の方法により、原告から直接坂本に移転登記をする旨の合意がなされたこと、同年四月二日、坂本、原告、唐澤恒夫(以下「唐澤」という)、被告らが小沢太兵衛司法書士事務所に集り、同所で坂本は原告に対し、右手付金五〇〇〇万円を支払い、原告は被告に対し、そのうち四三〇〇万円を本件売買契約の手付金内金として支払い、次いで、同年五月一三日、坂本、原告、唐澤、被告らが右司法書士事務所に集まり、同所で、坂本は原告に対し、右中間金七〇〇〇万円を支払い、原告は被告に対しそのうち六七〇〇万円を右手付金残金等として支払つたこと(原告が被告に対し、同年四月二日四三〇〇万円、同年五月一三日六七〇〇万円を支払つたことは当事者間に争いがない。)坂本が原告に支払つた合計一億二〇〇〇万円についても、本件土地に順位一番の根抵当権(昭和五六年四月二日受付第五〇六九号原因同月二日設定、極度額五〇〇〇万円、債務者唐澤、根抵当権者川崎中小企業信用組合)及び同二番の抵当権(同月一四日受付第五六四六号原因同月一三日金銭消費貸借同日設定、債権額八〇〇〇万円、債務者坂本、抵当権者吉田三郎)を設定し、調達されたものであること、原告は被告に対し、右残代金九〇〇〇万円を支払つていないし、原告にはこれを支払う意思さえもないこと、

以上の事実が認められ、<証拠>中右認定に反する部分は前顕証拠に照らして措信し難く、その他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

右認定事実によれば、本件売買契約において、被告は原告に対し、昭和五六年四月二日限り、本件土地の所有権移転登記手続をする旨の合意は存するが、原告は未だ同契約に基づいて本件土地の所有権を取得していないし、同契約上の代金を支払つてこれが所有権を取得する意思さえもないことが明らかである。

ところで、不動産物権の変動(設定、保存、移転、処分の制限または消滅)については、これが公示方法によつて取引の安全と円滑を図ることが必要であるところから、民法一七七条は、「不動産ニ関スル物権ノ得喪及ヒ変更」を第三者に対抗するためには登記を要する旨を定め、不動産登記法一条はこれを受けて、不動産物権の「設定、保存、移転、変更、処分ノ制限若クハ消滅」につきこれを登記すべきものと定め、しかも、同法三六条第一項四号は、登記申請書には「登記原因及ヒ日附」を記載することとし、これに伴ない、同法五一条二項は、「登記原因及ヒ其日附」を登記簿に記載することを要する旨定めていることなどに照らし、不動産登記法は、できるだけ実体的な権利変動を忠実に登記に反映させ、取引の安全と円滑を図ることを目的としているものということができる。

したがつて、不動産登記法上の登記請求権は、実体的な権利変動に即して法律上当然に生ずるものということができるところ、本件においては、前記認定のとおり、原告は本件売買契約に基づいて本件土地の所有権を取得した事実がないのであるから、被告に対し同契約を登記原因として右所有権移転登記を求めることは許されないものといわざるを得ない。

二原告は、被告が本件土地の一部を転売したことによつて原告に対する所有権移転登記義務の履行が不能なときには損害賠償の支払を求める旨主張するが、前記説示のとおり被告にはいまだ原告に対する右所有権移転登記義務は生じていないのであるから、右義務の存在を前提とする原告の主張は、その余の点については判断するまでもなく、採用することができない。

仮に、原告の右主張が、被告において本件土地の一部を転売したことによつて得べかりし利益を喪失した旨の主張を含むものと解して、検討する。

被告が本件土地五二七六平方メートル(一五九九・〇八坪)のうち、一七九〇平方メートルを転売したことは当事者間に争いがないところ、同事実及び前記認定事実に加え、<証拠>を総合すれば、次のとおりの事実が認められる。

原告は不動産業を営んでおり、また、被告は高齢なうえ、病身の娘と二人で暮らしていること、被告は、昭和五六年三月二七日、生活費に充てるために、原告との間において本件売買契約を締結したこと、原告は、同売買に際し、被告が高齢であるのに乗じ、被告に対し、税金が安くなるようにしてやるなどと申し向けて、正規の契約書(甲第一号証、乙第一号証)の外に、売買代金額を八〇〇〇万円と記載した裏契約書(乙第二号証)一通を作成して交付したうえ、本件還元金二〇〇〇万円を原告に支払う旨の合意をさせたり、原告は、本件売買契約によれば、同日、手付金一億円を支払うべきであるのにこれを怠り、同年四月二日に四三〇〇万円、同月一三日に六七〇〇万円を支払うなどの約定に反する行為をしながら、被告に対しては、同月二三日付内容証明郵便をもつて、約定どおり同月二日までに本件土地についての所有権移転登記手続をしないことを理由に厳しくその履行を催告したり、更に本件土地は、都市計画法所定の市街化区域であるから、国土法二三条の規定により、売買契約締結の前に当事者が鎌倉市長を経由して神奈川県知事に届出をし、届出の日から起算して六週間を経過するまでは右契約を締結してはならないところ、原告は、不動産業者でありながら右規定を無視し、右届出をすることなく、本件売買契約を締結し、また、坂本と本件転売契約を締結したこと、坂本が本件土地の分譲広告をしたことから、鎌倉市役所及び神奈川県庁の各担当官が右国土法違反の右各契約締結の事実を知り、被告と坂本の両名が同月一七日ころ同市役所、同月二三日ころ同県庁に呼ばれ、担当官から同法によつて処罰されることになる旨など告げられて叱責され、被告のみならず坂本も非常に困惑したこと、そこで被告は原告に対し右の点について問い質したところ、原告はこれを無視し、何らの関心をも示さないでこれを放置するなどの態度を示したので、被告は原告に対し強い不信感を抱くと共に、原告の前記手付金の支払状況からみて、同年五月二九日の残代金九〇〇〇万円の支払についても強い不安をもつようになつたこと、ところが、同年四月二五日ころ、突然、坂本と唐澤の両名が被告宅を訪れ、被告に対し、「原告に委せておいたら一文も失くなるので、金を返して早く本件売買契約を解除した方がよい」旨告げたので、被告はこれを聞いて非常に驚き、右原告に対する不信感や不安の念が高じ、同月二七日内容証明郵便をもつて、同人らの言うが侭の内容の書面を原告に送付して本件売買契約を解除する旨の意思表示をし、そのころ、二回にわたり、坂本に対し、原告から受領した一億一〇〇〇万円の返還を託し、右金員が原告に交付されたものと思っていること、しかし、右金員は原告には手渡されてはおらず、結局、坂本が原告に支払つた一億二〇〇〇万円のうち一億一〇〇〇万円を事実上回収した形になつたため、原告に対し本件転売契約の履行を求めていないこと、被告は、生活費に困り、右市役所の担当官から六〇〇坪以内の土地なら売却しても構わない旨助言を受けていたので、坂本らの言うが侭に、その後、本件土地の一部(一七九〇平方メートル)を他に転売したが、右代金をほとんど受領していないし、坂本の所在も不明であること、しかも、本件土地には、唐澤を債務者とする極度額五〇〇〇万円の根抵当権設定登記及び坂本を債務者とする債権額八〇〇〇万円の抵当権設定登記がそれぞれ経由された侭であること、

以上の事実が認められ、<証拠>中右認定に反する部分は前顕証拠に照らして措信し難く、その他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

右認定事実によれば、本件売買契約の締結にあたり、原告が被告の無智に乗じて甘言を弄したり、無責任な言動をしたうえ、国土法を無視し、これに違反して本件売買契約を締結したことなどが原因となつて同契約に破綻が生じ、被告はそのため生活に窮したので、やむなく本件土地の一部を他に転売するに至つたものと認めるのが相当である。

したがつて、仮に、被告の右転売行為が原告に対する債務不履行になるとしても、それは、むしろ、原告の責めに帰すべき事由によつて生じたものであるということができるから、被告は民法四一八条の規定により右不履行についての責任を負わないものと認めるのが相当である。

そうすると、原告の前記主張は、その余の点については判断するまでもなく、採用することができない。

三よつて、原告の本訴請求は、その余の点については判断するまでもなく、いずれも理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官古館清吾)

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