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横浜地方裁判所 昭和40年(ワ)1021号 判決 1968年10月31日

東京都国分寺市泉町三丁目一番二号

原告 田中い子

<ほか五名>

右原告ら六名訴訟代理人弁護士 笠利進

横浜市中区日本大通一番地

被告 神奈川県

右代表者知事 津田文吾

右訴訟代理人弁護士 山下卯吉

右当事者間の昭和四〇年(ワ)第一、〇二一号損害賠償請求事件について、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

1  被告は原告田中い子に対し、金一、八六六、六六六円、同田中治美、同田中剛治に対し、各金一、六六六、六六六円、同田中徳、同田中ナミに対し、各金三〇〇、〇〇〇円宛、同米沢リツに対し、金二五〇、〇〇〇円、および、右各金員に対する昭和三七年八月二六日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  原告米沢リツを除く原告らのその他の請求を棄却する。

3  訴訟費用は、原告米沢リツと被告間に生じた部分は被告の負担とし、その他の原告らと被告間に生じた部分はこれを三分し、その二を被告の、その一をその他の原告らの各負担とする。

4  この判決は第一項にかぎり、仮に執行することができる。

事実

第一当事者双方の求める裁判

一  原告ら

(一)  被告は原告田中い子に対し金三、八五三、一二五円、同田中剛治、同田中治美に対し、各金二、八五三、一二五円、同田中徳、同田中ナミに対し各金五〇〇、〇〇〇円、同米沢リツに対し金二五〇、〇〇〇円および右各金員に対する昭和三七年八月二六日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

(二)  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決並びに仮執行の宣言を求めた。

二  被告

(一)  原告らの請求をいずれも棄却する。

(二)  訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決を求めた。

第二原告らの請求原因

一  昭和三七年八月二六日午後二時頃田中新治、田中健、田中三徳、米沢俊夫の四名は神奈川県相模川流域の昭和橋下流三〇〇メートルの附近で網打による魚取りをしていたところ、相模川水量が急激に増加して押し流され、田中新治は死亡し、田中健、田中三徳および米沢俊夫の三名は行方不明となった(以下「本件事故」という。)。そして、田中健および田中三徳は昭和三九年三月一〇日、米沢俊夫は同年九月四日、いずれも東京家庭裁判所八王子支部で失踪宣告を受け、危難の去った昭和三七年八月二六日に死亡したものとみなされた。

二  本件事故は、被告公共団体の公務員佐野正夫、同近藤力、同平井幸一がその職務を行うについてつぎの過失があり、それが相互に重なったことに基因する。

(一)  本件事故当時の客観的状況はつぎのとおりである。昭和三七年八月二五日の神奈川県相模湖近隣の降雨量は、台風一四号の影響により、その平地帯で日計三〇ないし五〇ミリメートル、山岳地帯で日計一〇〇ないし二〇〇ミリメートルにも達した。もっとも翌二六日午前中は小雨となり午後晴れ上った。

ところで、神奈川県相模えん堤(以下「相模えん堤」という。)を操作しダムから放水する通常の放水量は毎秒八五トンであるが、相模えん堤の操作業務担当者は前記降雨により増加した相模湖の水位を低下させるため相模えん堤を操作し、昭和三七年八月二六日午前一〇時三〇分毎秒一〇八トン、午前一一時毎秒二一〇トン、午前一一時二〇分毎秒三一〇トン、午前一一時三〇分毎秒四一五トン、午前一一時五〇分毎秒五一五トン、正午毎秒六七〇トンを放流し、相模川の流水量の急激な人工増加をもたらした。

相模えん堤から放流された水は放水量が毎秒五〇トンの場合約四時間三〇分、毎秒一〇〇トンの場合約四時間一〇分、毎秒二〇〇トンの場合約三時間四〇分、毎秒三〇〇トンの場合約三時間一七分、毎秒七〇〇トンの場合約三時間で、相模湖より約二〇キロメートル下流の本件事故現場昭和橋附近に到着するから、水量増加による加速度を考慮に入れると、相模えん堤より放流された水は殆ど同日午後二時頃相重って右昭和橋附近に到達したと推定される。

(二)  被告の機関である神奈川県企業庁は、相模えん堤の維持及び発電、上水道、工業用水道等の確保を図るえん堤事業を行い、佐野正夫は相模えん堤操作主任者、近藤力は神奈川県企業庁電気局津久井事務所長兼相模えん堤副主任として、相模えん堤操作業務に従事していた。佐野正夫、近藤力は、前記(一)記載の降雨により増加したえん堤から放水するには、えん堤の通常の放水量である毎秒八五トンを超える放流をすると、右降雨により相模川流水量も増加している折柄、その下流に急激な水量増加をもたらすから、このような場合えん堤操作業務担当者として、これによる災害を生ぜしめないように、少なくとも津久井地区警察署長及び相模川水系各水防機関である厚木、津久井、平塚の各土木事務所、相模川砂利管理事務所ほか一四ヵ所の関係機関に対し、右放水量の増加する以前に、各放水時刻と各放水量を連絡通告した上(このことは相模えん堤操作規程(以下「操作規程」という。)第七条でも規定しているし、第一一から第一三条でもその趣旨が明らかに表われている。)相模川下流に放流による危険のないことを確かめた後に急激な増水をひき起さないよう徐々に放流すべき職務上の注意義務があるのにこれを怠り、昭和三七年八月二六日午前六時五五分頃近隣の津久井地区警察署相模川派出所巡査平山綾一に対し「午前一〇時頃から毎秒五〇トンを放出する。」と連絡したのみで、その後の毎秒八五トンを超える放水につきその放水時刻と放水量をその都度あらかじめ連絡せず漫然と(一)記載の各放流をした過失がある。

(三)  操作規程第二条には「神奈川県企業庁電気局津久井事務所にえん堤主任者(以下「主任者」という。)一人、副主任者二人及び補助員若干を置く。」と規定されている。しかるに、主任者である神奈川県企業庁電気局土木課企画係長佐野正夫は横浜市の本庁に常駐し、従って、昭和三七年八月二六日も右津久井事務所に不在で、副主任者近藤力がえん堤操作に従事していた。しかし、副主任者が主任者の職務を代行しうるとの操作規程はなく、むしろ、主任者一人と副主任者二人を置くと規定しているのは、主任者も特別の事情がない限り、常駐者たるべきことを予定し、かくて主任者、副主任者は相謀り相助けてえん堤操作に万全を期せんとするものにほかならない。昭和三七年八月二六日、もしも副主任者近藤力のほかに主任者佐野正夫が共にえん堤操作に従事していれば前記(一)記載の連絡を容易に取り得た筈であるのに、右佐野正夫は津久井事務所に常駐し自ら相模えん堤の操作に当らなかった過失がある。

(四)  平井幸一は本件事故当時被告の機関である相模原警察署麻溝巡査駐在所に勤務する巡査であって、本件事故当日午前一一時二〇分頃その受持地域を警ら中、民間人の鈴木六郎から「午前一〇時二五分にえん堤で五〇トン乃至一八五トン放流する。」旨聞知したので、放流と前記(一)記載の降雨により相模川流域における水量増加をもたらすことがあるから、かかる場合警察官として、これによる災害を生ぜしめないように、少くとも受持地域である昭和橋附近の相模川の川中に居る釣人等に対し、現場に赴き警告を発し川中から退去させる等して人命の危険のないよう措置すべき職務上の注意義務があるのにこれを怠り、同日午前一一時二〇分頃より正午までの間昭和橋の相模原寄りの堤防の上から釣人等に対し、「放流だから引揚げろ。」と警告を発しただけで正午過ぎより午後二時までの間一度も昭和橋附近の釣人等に対し警告を発するため現場に赴かなかった過失がある。

三  原告らは本件事故により、つぎの損害を被った。

(一)  田中新治の逸失利益金八、五五九、三七五円

田中新治は本件事故当時二五才(昭和一一年一一月三〇日生)で株式会社田中新治商店の代表取締役をしており、本件事故がなかったならば、将来なお厚生省人口問題研究所第一五回簡速静止人口表(生命表)による二五才の男子の平均余命四四年間は生存でき、この期間右代表取締役として得られる毎年金八三、〇〇〇円(月額五二、五〇〇円)、半期分手当金一〇〇、〇〇〇円の収入から年間生計費をその四分の一として金二〇七、五〇〇円(昭和三七年一二月現在の東京都標準世帯家計調査報告書中市部居住者の右収入に応ずる者の生計費の額を上廻る額)を控除した金六二二、五〇〇円による純利益合計金二七、三九〇、〇〇〇円を得られる筈のところ死亡によってこれを逸失した。

これをホフマン式計算法により民法所定の年五分の割合による中間利息を控除して本件事故当時の一時払の額に換算すると金八、五五九、三七五円となる。

田中新治の死亡によって原告い子は配偶者として、同剛治、同治美は直系卑属として右損害賠償請求権の各三分の一(金二、八五三、一二五円)を相続により取得した。

(二)  原告田中い子の慰藉料金一、〇〇〇〇、〇〇〇円

右原告は田中新治の妻であるが、本件事故により一挙に最愛の夫を奪われ、幸福平和な家庭より一転して寡婦となり、しかも新治との間に生れた長女原告治美、長男同剛治は未だ幼少で将来の生活の不安を考えるとその精神的苦痛は筆舌に尽し難いものがある。

(三)  原告田中徳、同田中ナミの慰藉料各金五〇〇、〇〇〇円

右原告両名は、田中新治、田中健、田中三徳の実父母であって、本件事故により一挙に最愛の息子三名を奪われたもので、その精神的苦痛は絶大である。

(四)  原告米沢リツの慰藉料金二五〇、〇〇〇円

原告米沢リツは米沢俊夫の母親であるが、夫の死亡後同人を女手一つで一三才になるまで養育して、将来成人を楽しみにしていたところ、最愛の子を奪われその精神的苦痛は大である。

四  よって、原告らは被告に対し、請求の趣旨記載のとおり本訴請求におよぶ。

第三請求原因に対する被告の答弁

一  原告ら主張の請求原因一の事実は認める。

二  同二の事実は争う。

(一)  同二(一)の事実のうち相模えん堤の通常の放水量が毎秒八五トンであること、相模えん堤操作主任佐野正夫が副主任近藤力に指示して、原告主張のような水量を放流し、相模川の下流に急激な人工増加をもたらしたことは認めるが、その他の事実は争う。

昭和三七年八月二五日午後九時までの甲府および横浜各気象台の気象注意報によると、台風一四号は各気象台の西方を通過する見込みで同日夜半より風雨が強く翌二六日まで続き雨量は一〇〇ないし二〇〇ミリメートルに達するであろうということであった。そして神奈川県下にも二六日早朝に降雨があり、相模湖附近の累計雨量は同日午前一時には五二ミリメートル、午前九時には一二三ミリメートル、午後零時には一八七ミリメートル、午後二時には一九一ミリメートルに達した。なお同日午後二時頃相模原地区には瞬間雨量三〇ミリメートルに達する豪雨があった。

(二)  同二(二)の事実のうち被告が主張のようにえん堤事業を行い、近藤力が津久井事務所長兼副主任としてえん堤操作に従事中本件事故を惹起したものであることは認めるが、その他の事実は争う。

近藤力は原告主張のように午前六時五五分頃津久井警察署相模湖派出所に対し、平時の放水量である八五トンに、増水する分として同日午前一〇時から毎秒五〇ないし一〇〇トンの放水予定であること、および今後の雨量により放水量を増加する予定であることを電話連絡したのであって、これは津久井警察署長には右派出所を介して通報され、また爾後午前八時までの間相模えん堤操作規程に定める所謂相模川水系各水防機関である厚木、津久井、平塚の各土木事務所、相模川砂利管理事務所のほか関係機関一四ヵ所(城山開発事務所、小川砂利株式会社、相模川左岸普通水理組合、相模鉄道株式会社、相模鉄道株式会社寒川採取所、相模砕石株式会社、武相砂利株式会社、相模興業株式会社、一宮砂利株式会社、宮代砂利株式会社、山口組、東急砂利株式会社、田所砂利(個人)、中里明司(弁天島観光協会代表))に対しても右同旨の連絡をした。

(三)  同二(三)の事実は争う。津久井事務所と本庁間の連絡方法として電話が有線、無線とも設備され、両者は随時これにより必要な連絡ができるので主任者の常駐を必要とせず、副主任者近藤力は独断でえん堤操作をしたのではなく、主任者である佐野正夫に対し連絡のうえ、その指示を得てしたものである。

(四)  同二(四)の主張は、本件が準備手続を経たものであり、かつ原告の故意または重大な過失により時機におくれて提出したものであり、これがため訴訟の完結を遅延せしめるものであるから、却下を求める。

三  同三(一)の事実のうち、田中新治が本件事故当時二五才であり、二五才の男子の平均余命年数が四四年であることは認めるが、その他の事実は争う。

余命年数即就労稼働年数ではない。損害額の算定については次の方法によるべきである。すなわち、収入額から所得税社会保障費等を控除した平均受給月額を基礎とし、更にこれより控除すべき所要生計費として、夫婦および子供二人の四人家族の世帯主である男子の場合は少くとも総収入の三分の一を計上すべきである。現に昭和三九年二月一日から実施の「政府の自動車賠償保障事業査定基準」によると有職者の死亡における財産的損害は年令地位の如何を問わず、現在収入(税控除)からその時における生計費等(内容調査困難なときは収入の二分の一)を差引いた額に就労稼働年数を乗じた額に対するホフマン式による中間利息を控除して算出することになっている。

第四被告の抗弁

仮りに被告に損害賠償の義務があるとしても、前記えん堤の放流の連絡をうけた神奈川県砂利生産組合、相模川水系支部連合会所属当麻一夫が昭和三七年八月二六日午後二時頃、相模川昭和橋下河川敷地内で投網していた田中新治、田中健、田中三徳、米沢俊夫の四名を含む約一〇名の釣人らに対し、右昭和橋からメガホンを使用し、「ダム放水にて危険ゆえ立去れ。」と警告した。そこで右四名は直ちに投網をやめ一度は中州に引揚げながら、再び川中に入り、増水後は川敷内の自己の乗用車内に逃げ込んだが、増水のため運転できないため同車内より出て間もなく遭難したのであるから、本件事故は右四名の右警告を無視し増水を知りながら川中に入った過失によるものである。よって、賠償すべき損害額につき右過失を斟酌されるべきである。

第五被告の抗弁に対する原告らの再答弁抗弁事実は争う。

第六証拠関係≪省略≫

理由

一  原告は本訴請求原因に関する結論的な法律上の見解として、民法第七一五条を主張するかのようであるが、本件は原告主張自体から明らかなように、被告地方公共団体の公務員近藤力、佐野正夫の相模えん堤操作に関する行為、同平井幸一の警察官としての職務執行行為による損害賠償を主張するところ、右各行為は公権力の行使にあたるから被告は民法上の責任を負わず、国家賠償法によってのみその責任を負うものであるし、また、原告は国家賠償法第二条による損害賠償を求めるかの如き口吻をもらすが、同法同条は、公の営造物に関する「人の措置」を理由とする場合を含まないばかりか、管理の瑕疵とは、営造物の「維持、修繕、保管」に不完全な点があることを意味し、えん堤操作に関する過誤を含まないから同条による旨の主張とは解し難く、これら原告の法律上の見解はともに失当であり裁判所はこれに拘束されないので、原告請求原因を国家賠償法第一条の主張と理解し判断する。

二  原告請求原因一の事実は当事者間に争いがない。

三  被告公共団体の公務員佐野正夫、同近藤力、同平井幸一の職務を行うについての過失に関する原告主張について判断する。

原告請求原因二(四)の主張は、未だ時機に遅れた主張とは解されないから、その却下を求める被告主張は失当である。

(一)  相模えん堤の通常の放水量は毎秒八五トンであるが、相模えん堤操作主任者佐野正夫が副主任者近藤力に指示して降雨により増加した相模湖の水位を低下させるため相模えん堤の水門を開き、午前一〇時三〇分毎秒一〇八トン、午前一一時毎秒二一〇トン、午前一一時二〇分毎秒三一〇トン、午前一一時三〇分毎秒四一五トン、午前一一時五〇分毎秒五一五トン、一二時毎秒六七〇トンを放流したことは当事者間に争いがない。

(二)  ≪証拠省略≫を総合すると、次の事実が認められる。

(1)  昭和三七年八月二六日午前五時三〇分の横浜気象台の気象概況では、神奈川県に風雨波浪注意報が発せられ、台風一四号は、当地方の西方を通過する見込みで、全域にわたって風雨が強くなり、今夜半過ぎ弱くなり陸上の最大風速は一〇ないし一五メートルの見込みで総雨量は平地で三〇ないし五〇ミリメートル、山岳地帯で一〇〇ないし二〇〇ミリメートルに達するであろうということであった。そして相模湖附近においても二五日の夕方から雨があり、累計雨量は二四時までに二二・三ミリメートル、二六日の午前九時に一二二ミリメートル、午後二時に一九一ミリメートルに達し、午後二時頃は、本件事故現場でもかなり南西の風も強く、雨も降っていた。

(2)  相模えん堤は神奈川県企業庁電気局津久井事務所が管理し、洪水時の操作主任者は佐野正夫、副主任者は同所長近藤力が兼任していた。相模えん堤の操作は操作規程によるが、同規程では、毎秒八五トン以上の放流については主任者が自ら時期数量を決定し、あらかじめ相模川水系各水防機関、津久井地区警察署長等に連絡し下流の安全を確認した上で放水すべき義務を課している。近藤力は前記台風の影響により二六日の午前零時過ぎから激しい降雨となったので、右近藤は深夜に職員約八人を動員し、雨量や雨水の相模湖への流入量を調査し、同日午前五時までに雨量が七〇ミリメートルに達し相模えん堤保護の必要から、午前五時三〇分頃横浜市に在住する佐野正夫主任に対し、電話で当時の天候、降雨量、相模湖への流入量等について報告したところ、「一時間位様子をみてなお降雨が激しければ、午前一〇時頃から五〇トンないし一〇〇トン放流し、降雨が続けば適宜増量せよ」という指示を受けた。そこで、近藤は午前六時五五分頃、相模えん堤からの放流通報事務担当者山口正治に命じて、津久井警察署相模湖派出所に対し、右決定の趣旨を電話連絡させたが、同人の連絡が悪く、津久井警察署長は右派出所を介して「本日午前一〇時から毎秒五〇トン放流予定」である旨の通報としてこれを受け、以後午前八時頃までの間に相模えん堤操作規定に所謂相模川水系各水防機関である厚木、津久井、平塚の各土木事務所、相模川砂利管理事務所のほか砂利採取業者等一四ヵ所(城山開発事務所、小川砂利、相模川左岸普通水理組合、相模鉄道株式会社、同会社寒川採取所、相模砕石、武相砂利、相模興業、一宮砂利、宮代砂利、山口組、東急砂利、田所砂利、中里明司)に対しても右決定の趣旨を連絡させた。右近藤は、右決定が各水防機関等に連絡されたかどうかを確認しないまま午前一〇時三〇分から、通報した放水量を超える毎秒一〇八トンの放流をした。その後降雨が激しく相模湖への流入量が急激に増加したため、相模湖の水位を低下させるため放水量を増加する必要が生じたが、佐野主任からの前叙の適宜増量すべき旨の指示に従い、近藤が放流の時期、数量を決定し(佐野の事後承諾を後た)、事前の連絡については、厚木土木事務所(相模川砂利管理事務所と同一庁舎で兼務の職員がいる。)に対してのみ、午前九時五五分頃「午前八時、九時の相模えん堤の水位、雨量」を、午前一〇時四〇分頃には「午前一〇時の水位、雨量、放水量八八・四立方メートル、自流一八五・二立方メートル」を、午前一一時四〇分頃にはそれまでに連絡した後の「相模えん堤の水位、雨量、放水量」を無線連絡させ、右内容は右事務所が再び無線で、傍受用受信機を持っている砂利業者その他に対し放送し連絡されたが、津久井警察署(無線受信機がない)には前記の最初の通報を除きその後の増加した放流については何らの連絡もしなかった。佐野、近藤はその連絡が各機関等に行きわたり放流により下流に危険がないかを確認せず、漫然と放流量を前叙(一)のように増加した。

(3)  相模えん堤主任者佐野正夫は、本務が被告の企業庁電気局木土課企画調査係長で、津久井事務所に常駐していない。本件事故当日のように相模えん堤を操作し大量の放流をするのは一年に二、三度に止まり、非常事態であったが、右佐野は前叙(2)のように副主任者近藤から連絡を受け非常事態を予測できたのに、当日も津久井事務所に行かず、前叙(2)の相模えん堤操作の指示を与えただけであった。

(4)  被告の警察である相模原警察署麻溝巡査駐在所に勤務する巡査平井幸一は本件事故当日午前一一時二〇分から一二時頃までの間昭和橋附近を警邏中、津久井事務所より放流連絡を受けた遊漁船業者鈴木六郎から「相模えん堤から午前一〇時二五分に五〇トンから一八五トン放流された。」旨聞いて急激な増水を予測し、河川敷内に居る者に退避させることが警邏職務であることに気づき、同橋の上、下流附近で魚釣等をしている二〇名位の者に対し、上流に向って右岸の堤防上から肉声で早急に退避するように怒鳴って廻り、若干の者が退避したので、駐在所に帰った。しかし、河川敷内には未だ相当数の者が釣等をしており、また、川の流れに急激な増水の気配もなく、その後に来て川に魚取り等に入る人が居た場合その人が危険にさらされることが十分予測できたが、その後何らの警邏も行わず、また、放流状況を確認して万全の警邏方針を立てることができたのにその確認をせず、漫然と、次の警邏は午後二時頃にすればよいものと考え、その間の昭和橋附近の警邏を怠った。

(5)  田中新治、田中健、田中三徳、米沢俊夫は、本件事故当日正午頃昭和橋附近に小型乗用車で来て、河川敷内に駐車し、その頃から、昭和橋下流三〇〇メートル附近で漁網による投網をし魚を取っていたが、午後二時頃相模えん堤で放流した水が相重なって到来し、約二〇分間に約一メートル六、七〇センチメートルも水位が増水し、同人等は広い川幅を逃げ切れずに押流され、本件事故が発生した。

(三)  ≪証拠判断省略≫

(四)  前叙(一)の争いのない事実、(二)の認定事実によると、

(1)  河川法第四八条によるとダムを操作することによって流水の状況に著しい変化を生ずると認められるときは、政令で定めるところによりあらかじめ関係警察署長に通知するとともに、一般に周知させるため必要な措置をとらなければならないのであり、相模えん堤操作規程はその趣旨を具体化した内部規範であるが、相模えん堤操作主任者佐野正夫、および、同人から第二回以後の放水量増加につきその時期数量を決定する権限を委任された副主任近藤力は、相模川下流の急激な増水による災害を生ぜしめないように放流を開始し放流量を増加する都度あらかじめ津久井警察署長及び相模川水系各水防機関等に対し、放水時刻と放水量を連絡し、その通報が到達し下流が安全であることを確認した後、河川状況を十分考慮して下流の急激な増水を起さないように徐々に放流すべき注意義務があるところ、漫然と、右佐野は自ら行うべき放水量の増加時期数量の決定権限を不必要な範囲まで委任してその職務を怠り、右近藤は津久井警察署長に対し、午前六時五五分頃同警察署相模湖派出所を介して「本日午前一〇時から毎秒五〇トン放流予定」と通報したのに、午前一〇時二〇分から通報に反して約二倍の一〇八トンを放流したばかりか、その後正午までの短時間に五回にわたり放水量を急激に増加し、正午にはついに最初の通報の一三倍を超える放流をして下流に急激な増水をもたらしながら、津久井警察署長に対しては、第二回以後の増加放水量の放水時期数量につき何らの連絡をせず、下流の安全を十分に確認しないで放流した過失がある。

(2)  相模えん堤操作主任者佐野正夫が本件事故当日相模えん堤に行きえん堤操作に自ら当らなかったことは、このような非常事態下では、その職務を過失によって怠ったものということができる。もっとも、右佐野が津久井事務所に常駐することは必ずしも必要とはいえない。

(3)  相模原警察署麻溝駐在所平井幸一巡査は、正午から午後二時頃までの間も引続き昭和橋附近の河川敷内に居る者や新たに川に入って来た者に対し、放水による増水を知らせ退避させる警邏職務上の義務を負うところ、同人はその職務途中で駐在所に帰り、その後に昭和橋附近に来て魚取りを始めた田中新治ら被害者に対し退避を命じなかった過失がある。そして、右佐野または近藤が津久井警察署長に対し、増加した放流の時期数量を通報しなかった前叙(1)の過失が、他方では右平井に、つぎの警邏は午後二時頃で足りるとの誤った判断をさせ、右過失を生じた一因となっている。

(4)  以上(1)の佐野正夫、近藤力の過失、(2)の佐野正夫の過失、(3)の平井幸一の過失等が各競合して、本件事故が発生したものというほかはない。

四  原告らの損害額について、判断する。

(一)(1)  田中新治の逸失利益

≪証拠省略≫を総合すると田中新治は昭和一一年一一月三〇日生れで、昭和三三年七月一〇日原告い子と結婚し、その間に原告治美、同剛治をもうけたが、事故当時新治は二五才で資本金一、〇〇〇、〇〇〇円の株式会社田中新治商店の代表取締役としてガソリンスタンドを経営し、原告い子は二七才で主婦として家事に従事し、治美三才、剛治は本件事故当時姙娠九月半の胎児であって、新治、い子、治美は同居していた。新治の昭和三七年一月から同年七月までの平均給与は月額金五二、五〇〇円で半期分の手当金一〇〇、〇〇〇円の収入を得ていたが、その家族の生活費は新治の小遣を合わせて金五〇、〇〇〇円であったことが認められ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

労働科学研究所の方式による生活費割合の係数は、本件事故当時、事業経営者の新治は一二〇、主婦であった原告い子は八〇、治美は四〇であるから、この割合で計算した新治の生計費は金二五、〇〇〇円となり、右生活費を差引いた新治の逸失利益は一年金五三〇、〇〇〇円である。昭和四二年度厚生省簡易生命表によると、二五才の男子の平均余命は四五年であり、就労可能年数表によると、就労可能年数は三八年であり、右就労可能期間中の総計金二〇、一四〇、〇〇〇円の利益を失ったものというべきで、これをホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を差引いた現在額金一一、一一四、一〇〇円が新活の逸失利益となる。なお、被告は公租公課を控除すべきものと主張しているが、公租公課を生計費と計算すると、死亡者の受ける筈であった利益について損害を生じ(それを認めると本訴から生ずる所得につき二重に賦課される結果を生じ、所定の賦課控除を受けられない)、それが被告の支払免除という利益においてされる結果を生じ、不当であるから、控除しない。

(2)  次に被告の過失相殺の抗弁について判断する。

≪証拠省略≫を総合すると、つぎの事実が認められる。

(イ) 被害者田中新治、田中健、田中三徳の父親の原告田中徳は本件事故当日は台風一四号が接近しており網打ちは危ないから止めるよういったが、同人らはこれを容れずに出かけるというので、原告田中徳は強いてこれを止めなかった。

(ロ) 昭和橋附近で操業中の砂利採取業者当麻一夫、川崎金作の両名が午後一時半頃釣人らに対し放流があるから退避するよう警告を発し、田中新治が駐車した乗用車と並んで駐車し、友人五名と右現場附近で釣をしていた長内金四郎らもその頃水嵩が急激に増加したので危険を感じて引揚げており、通常の注意をすれば増水の異常を感じてから田中新治ら被害者が押流されるまで約二〇分の間があり、田中新治ら被害者が周囲の退避状況に注意すれば、十分に危険を予測し退避できる時間があったのに退避せず、漫然網打ちを続けていた。

右認定を左右する証拠はない。

右認定の事実によれば、田中新治ら被害者が父親原告田中徳の注意もあり、台風一四号が接近し極めて危険な気象状況下で網打ちによる魚取りに行くべきではなく、あえて行ったことにも過失があり(原告田中徳、同田中ナミは親権に服する子三徳の出漁を同人の意に反してまで止めるべき注意義務があったのにそれを怠った。)、網打ちをしている際にも、台風情報、水流および附近の状勢等に十分注意すれば危険を予測できたのであるから、水量が少しでも増せば現場から早目に引揚げるなどの注意をすべき義務があったのに、これを怠り、漫然網打ちを続けた過失があり、それが本件事故発生の一因をなしているものというほかはないから、新治の右過失を斟酌すると、新治の逸失利益による損害は金五、〇〇〇、〇〇〇円と認めるのが相当である。

(3)  原告田中い子、同田中治美、同田中剛治の相続による承継

≪証拠省略≫を総合すると、原告い子は昭和三三年七月一〇日新治と婚姻し、その妻であり、原告治美は昭和三三年一二月二八日に生れた新治の長女であり、原告剛治は本件事故後の昭和三七年九月二九日に生れた新治の長男であることが認められる。右事実によると、原告剛治は民法第八八六条により本件事故当時すでに生れたものとみなされ、原告い子、同治美とともに、田中新治の相続人となるから、右(2)の損害賠償債権を法定相続分の各三分の一宛相続したものということができる。従って、右原告三名は、それぞれ金一、六六六、六六六円(円未満切捨)の損害賠償債権を取得したものである。

(二)  原告田中い子の慰藉料

≪証拠省略≫を総合すると、田中新治は前叙認定のように原告い子と婚姻し、その間に長女原告治美をもうけ長男原告剛治を姙娠中で、幸福な生活を営んでいたところ、原告い子は本件事故によって最愛の夫であり、また一家の経済的支柱である新治を奪われ悲嘆のどん底におちいり、日々の生活にも不安を覚え、子供らの養育と一家の生活維持のため昭和三七年一一月二六日から株式会社田中新治商店(資本金一、〇〇〇、〇〇〇円)の代表取締役として働くこととなり、以後一ヵ月金八〇、〇〇〇円の収入を得ている。被告から新治、健、三徳の見舞金として合計金一〇〇、〇〇〇円を受取ったことが認められ、右認定を左右する証拠はないが、前叙(一)(2)のとおり本件事故の発生につき新治の過失もその一因をなしていること、および、本件にあらわれた諸般の事情を斟酌すれば、原告い子の右精神的苦痛を慰藉する慰藉料は金二〇〇、〇〇〇円が相当である。

(三)  原告田中徳、同田中ナミの慰藉料

≪証拠省略≫を総合すると、原告田中徳、同田中ナミは田中新治、田中健、田中三徳の実父母であり、本件事故により最愛の息子三名を一挙に失い、その苦痛は絶大であることが認められるが、前叙(3)の見舞金、右三名および原告徳、同ナミの前記(一)(2)の各過失その他諸般の事情を斟酌すると、右原告両名の精神的苦痛を慰藉する慰藉料は各金三〇〇、〇〇〇円宛とするのが相当である。

(四)  原告米沢リツの慰藉料

≪証拠省略≫を総合すると、原告米沢リツは米沢俊夫の母親であり、夫実の死亡後四男である同人を女手一つで一三才になるまで養育し、将来を楽しみにしていたところ、その最愛の子を失い、その苦痛は大である。被告から金三〇、〇〇〇円を見舞金として受取ったことが認められる。米沢俊失の前記(一)(2)の過失その他諸般の事情を斟酌すると、原告米沢リツの精神的苦痛を慰藉する慰藉料は金二五〇、〇〇〇円が相当である。

五  以上により、原告らの本訴請求は、原告田中い子が前叙四(一)(3)、四(二)の各損害額合計金一、八六六、六六六円、同治美、同剛治が前叙四(一)(3)の損害額各金一、六六六、六六六円宛、同徳、同ナミが前叙四(三)の慰藉料各金三〇〇、〇〇〇円宛、同米沢リツが前叙四(四)の慰藉料金二五〇、〇〇〇円、および、右各金員に対する本件不法行為による損害発生の日である昭和三七年八月二六日から右各支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で正当として認容し、原告らのその他の請求はいずれも失当として棄却を免れず、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第九二条、第九三条、第八九条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条第一項を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 吉田良正 裁判官 高木積夫 裁判官 青木正範)

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