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横浜地方裁判所 昭和25年(わ)785号 判決 1959年6月15日

被告人 滝口秀夫

大五・四・二五生 会社員

主文

被告人は無罪

理由

本件公訴事実の要旨は「被告人は昭和二十五年三月十三日頃横浜市中区石川町一丁目十四番地越後屋旅館こと阿部恵三方において麻薬(ヘロイン)約二百二十二グラムを所持していたものである」というのである。

よつて審究するに阿部恵三、鈴木義明の検察官に対する各供述調書および極東軍犯罪調査実験所作成にかかる実験所報告書と題する書面写(訳文付)によれば、昭和二十五年三月十三日昼頃横浜市警察本部捜査一課勤務麻薬係巡査鈴木義明外一名が犯罪捜査のため横浜市中区石川町一丁目十四番地越後屋旅館こと阿部恵三方に臨み折柄同旅館に宿泊中の被告人およびその内妻西山美智子ならびに柴田良夫の居室とこれに続く鐘年藩、林栄成の居室に至つたところ、右被告人等三名の居室火鉢の脇に刃先に白い粉末が附着したナイフのあるのを発見したので直ちに所携の試薬で右粉末を検査した結果、麻薬の反応を呈したところから当時外出中の柴田を除く被告人等四名を即時尋問したところ前記林において右麻薬は同人のものである旨申し出、かつ押入内の布団の間から右粉末と同種のものを包んだ紙包二個を取り出し、なお同人着用の洋服ポケットおよび柴田の鞄の中からもそれぞれ約〇・五グラムの粉末が発見されたので、前記鈴木義明等は急拠その旨をC・I・D(検察庁)に通報するとともに林を麻薬事犯々人として其の場において逮捕し、かつ前記紙包二個を極東軍犯罪調査実験所に送付し同所においてその粉末を検査したところ、右粉末は百五十六・三グラムと六十五・八グラムの重量を有し、しかも定量分析の結果いずれも純度九十一・六パーセントのヂアセチルモルヒネ・ヒドロクロライドを含有する麻薬であることが判明するに至つたことが肯認される。ところが、被告人および小野万吉の米軍憲兵裁判所における各証人尋問調書(各訳文付)によればそれから一週間位後に至つて被告人はC・I・Dに出頭し、前記麻薬は林のものでなく被告人のものである旨申し述べて自首し、同年四月六日開かれた米軍憲兵裁判所における林に対する麻薬事件公判においても雇人小野万吉とともに証人として出頭し、重ねてその旨を証言し、そのいきさつについて、被告人は同年三月初頃から鐘、西山と共に前記越後屋旅館に投宿していたが、同月五日頃大阪市北区梅田町の当時の自宅妻宛に手紙で被告人が常時使用している薬を雇人をして同月九日夜九時大阪発の列車で横浜駅まで届けさすように依頼し、同月十日午前七時頃鐘とともに横浜駅まで出向いたが右雇人と会うことができず、却つて鐘がかねて同人と知り合いの間柄で被告人の自宅附近で酒場を経営している林栄成と会い、同人は同日夜から前記旅館の二間続きの部屋に被告人等と同宿するようになつたがその際同人が携帯していた鞄が被告人のものに酷似しているところから被告人はその引渡を林に要請したか、同人は右鞄は大阪で三田某から預つたものであつて同人とはぐれたため同人に会つてから渡すと言つて被告人の再三の要求にも応じなかつたので、同月十三日朝被告人は林の外出中に右鞄を開けてみると風呂敷に包まれた紙包二個があり、その一つを開いて検分したところ被告人が常用している咳の薬が入つていたので、右鞄および薬は被告人のものであり、林が預つたという三田某なる者は被告人方の雇人に外ならないと考え、ナイフで右紙包の中から少し粉末を取り出したうえその紙包は押入の中に蔵い、同日午前十時頃帰館した林にその旨話したが、同人はあくまで鞄は三田某に会つてから渡すと言い張つて渡さないまま同日午後一時三〇分頃に至り警察官の捜索を受けたのであつてその際右紙包は被告人のものでありながらその旨警察官に申し出でなかつたのは前述のように林がそれを渡してくれないので被告人のものであることは大体知つていたがなお判然としなかつたうえ、当時事件そのものを差して重大なものと考えなかつたこととC・I・Dえ連行されるのが恐しかつたことによるが、その後大阪に帰つて林の妻及び鐘年藩等に会いその紙包は小野万吉が被告人に手交するため大阪から持参したものであつてもともと被告人のものであることが確認されたので前記のように自首するに至つたのである旨を述べておりなお右取調にあたり検察官の昭和二十五年三月十三日の捜索を受ける前においてその薬を使用しそれが麻薬だつたことを知らなかつたかとの趣旨の質問に対し、「それが麻薬だということは判つきり知りませんでしたが麻薬が入つていることは少しは感じました」と答え、かつ被告人はその薬ではないがそれに似た薬を約十年間に亘つて専らふくらし粉のようなものと混ぜて用いており、最近では煙草の先に少しつけて吸つていると供述している。一方小野万吉も同日の同法廷において、昭和二十五年三月九日の夜大阪の被告人の自宅において被告人の妻から鞄を渡され横浜駅で被告人が待つているからこれを同夜九時大阪発の列車で持つて行つて貰いたいと頼まれその後普段から行きつけの店でそこでは三田といつて呼ばれていた前記林栄成の経営する酒場へ酒を飲みに行つたところ、同人も所用で東京まで行くため林と同道することとなり同夜右鞄を携えて前記林の酒場附近に行つたところ同人に路上で会つたがその際小野は煙草とシャツを忘れたので右鞄を林に預けたまま家に帰り再び駅に赴いたが同人と会うことができず又車中にも見当らないまま発車真際の列車に飛び乗り、翌朝横浜駅に到着したが林に会えなかつたところから同駅で下車することなく東京駅まで至り、同駅で林を捜し尋ねたが遂いに同人を発見し得なかつたため直ちに横浜駅まで引き返したが被告人にも会えなかつたところから止むなく大阪に帰つたのである旨供述し林栄成も検察官に対する同年五月一日付供述調書において右被告人等の供述にほぼ照応する供述をしている。しかも当時被告人等と同宿していた柴田良夫は検察官に対する同年五月十二日付供述調書において前記被告人等の供述の真実性をあたかも裏書するような供述をしているのである。すなわち柴田は偶々同年三月十日頃から予て顔見知りの被告人等と前記越後屋旅館に同宿するようになつたが、被告人、鐘、林の三名は旅館で毎晩のように何か煙草の先に白い粉をつけて吸つていて柴田にもこれをつけて煙草を吸うと気分がよいからとしきりに勧め、特に被告人は「自分は大阪にいるときも始終これをきらさぬように持つている。家内は非常にやかましいので家内の前では吸わない」と言い、右三名は外出の際はその薬を鴨居に隠して行き、ある時鐘が薬を出してくれと言うのに応じ被告人が敷きつ放しの布団の間から粉薬を出すのを見たことがあり、柴田も林から父の咳の薬として一服分を貰つたが自分が外出中その薬は刑事に鞄の中から押収された旨供述している。

果してしからば以上の各証拠によつて本件公訴事実は容易に認定され被告人の有罪を認めるに足るもののようである。しかるに被告人は、右憲兵裁判所における被告人の証言は林の弟から示唆されて偽証したものである旨強調するとともに小野万吉の前記証言も被告人の右証言に符合するように供述されたものであつて真実に反し結局被告人において本件麻薬を所持した事実はない旨弁疏するのでこの点について以下審按するのに、右被告人等の供述内容についてこれを仔細に検討すれば到底看過することのできない重大な矛盾を内包していることが認められる。先づ本件麻薬が仮りに右被告人等において供述するとおり被告人のものであるとすれば冒頭認定のように巡査鈴木義明等が被告人等の居室において捜索した際林栄成は一言の弁明すらなすことなく自らこれを同人のものとして進んで警察官に引渡した点が理解に苦しむところであつてその際林から該麻薬は他人から預つたもので自分のものではない旨の一応の弁解がなされてもよい訳であり当時かかる弁解を妨げる事情が存したことについて何等首肯し得べき理由はない。また被告人が自ら本件麻薬が自分のものであると申し述べなかつた理由として指摘する点も充分納得させる理由に乏しい。それのみならず被告人は前記のように検察官の質問に対し、本件薬が麻薬であることは判つきり知らなかつたけれども麻薬が入つていることを少しは感じたと述べているが、右薬は冒頭認定のように九十一・六パーセントという極めて純度の高い麻薬であり、しかも被告人が自供するように被告人において過去十年間にわたつてかような薬を常用していたすれば被告人が本件当時使用した薬が麻薬であることを明らかに知らなかつたというのも誠に奇妙なことといわざるを得ない。また柴田良夫は前記のように被告人がこの薬は大阪にいるとき始終きらさぬように持つていて家内の前ではうるさいので吸わないと述べたのを聞いたと言い、如何にも被告人が麻薬の常用者であり被告人の前記供述が真実に合致するかの如き供述をしているが被告人の前記供述によればそもそも本件麻薬は被告人が大阪の妻宛に被告人が常用している薬を雇人に届けさせるように指示した結果被告人が入手したものに外ならないのであつてしかも被告人の供述するところによれば被告人は最近では右薬を煙草の先につけて吸つていたというのであるから、被告人の妻が被告人の常用していた薬を知悉していない筈はなく、したがつて柴田が被告人から聞いたという前記事実もその真偽のほどは極めて疑わしいものといわなければならない。さらにまた林が被告人からの再三の要求にも拘らず鞄を渡さず被告人が鞄の中を見て自分のものだから渡して貰いたいと言うのになお三田某から預つたものだから同人に会つてから渡すと固執した点も理解し難いし何よりも被告人が前記のように鞄の中の紙包から少量の粉末を取り出した後、その紙包を自ら押入の中に蔵つたとすれば当時林着用の洋服ポケットから発見された約〇・五グラムの麻薬は、その以前において既に林が該麻薬を右洋服ポケット内に入れていたものと推定されるのみならず、同宿の柴田が林から貰つたという同量の麻薬も前記のように警察官の捜索が行われた当時柴田が外出中であつた以上、被告人が右紙包を押入に蔵う前に林が柴田にこれを交付したこととなり果たして被告人の前示供述が真に信用に価するものかどうか多大の疑問を抱かざるを得ない。又小野万吉の前記憲兵裁判所における供述にしても同人は列車が横浜駅に到着するまでの間に列車内で林を探し当てる時間的余裕があると思われるのに、殊更かかる行為にでた形跡がなくわざわざ東京駅まで乗り越して同人を探がすような行動に出ているのであるがこの点も常識では全く理解することができないところである。

これを要するに以上指摘の諸点からしても被告人等の前記各供述内容は果たして措信するに足るものか甚だ疑問とするところ、さらに医師竹山恒寿作成の被告人に対する鑑定書および曾根崎警察署派遣巡査部長近藤道隆作成の照会に関する件と題する復命書(昭和二十五年五月十日付、滝口みさをの供述書を含む)ならびに証人小野万吉の尋問調書、同人の検察官に対する供述調書によれば、被告人は前記の如く麻薬を約十年間に亘つて常用している旨供述しているにも拘らず本件当時被告人が持続して麻薬を常用していたという諸徴候は何等認められず、したがつて麻薬中毒者でなかつたことは勿論、当時においても麻薬の施用を必要とする状態になかつたことが明らかであり、また被告人の妻においても被告人から薬を横浜まで届けるための依頼の電報あるいは手紙を受領した事実は全くなく、したがつて雇人の小野万吉をして麻薬を被告人に届けさすため横浜にこれを持参させた事実もないのみならず、被告人と七年の長い歳月夫婦として同棲を続けて来ておりながら夫たる被告人から麻薬の話を聞いたことすらないことが認められるのである。それのみならず証人鐘年藩同田辺恒貞の当公廷における各供述前記証人小野万吉の尋問調書同人の検察官に対する供述調書および被告人の当公廷における供述を総合すれば、被告人が小野万吉とともに前記のように憲兵裁判所で証人として供述したところは被告人が弁疏するように同人等の偽証によるものであることが看取されるのであつて、かかる偽証をなすに至つた動機について、被告人は当公廷において、越後屋旅館で林栄成が麻薬所持の嫌疑で逮捕されたのは被告人の官憲に対する密告によるものであるとする林の弟より当時被告人が闇物資や闇ドルを所持していたことについてその事実を密告すると脅迫され、また以前林の紹介で香港からの送金小切手を購入するため相手の男に渡した現金三十万円が同人によつて持ち逃げされ、その結果林において右金員を被告人に返済することを約していたところ同人が本件で逮捕されたためその返済が得られなくなつたところ、もし被告人において林の身代りとなつてくれれば同人が釈放された暁は右金員を確実に返済するのみならず将来の営業資金も用立てる旨勧奨され、またたとえ一時身柄が拘束されても林の親戚の者がC・I・Dの隊長の妾となつている関係から、すぐ釈放されるよう尽力することを約束されその上罪に問われても日本人の場合は第三国人と異り軽い処罰で済む旨努めて示唆されたため浅慮にも被告人はこれを軽信し、その旨自首することを約するとともに林を刑務所に訪れて供述内容を打合わせ、かつ林の本件麻薬は三田某から預つたという弁疏に符合させるため同年三月下旬頃大阪から被告人方の雇人小野万吉を横浜に呼び寄せて同人を三田某に仕立てた旨供述しているのであつてかかる動機といえども被告人が当時C・I・Dに自首するに至つた動機として必ずしも是認し得ない訳ではない。

してみれば以上認定の事実によつて明らかなように前記被告人および小野万吉の米軍憲兵裁判所における各供述は全く虚構の事実であるということができるからこれを採つてもつて被告人に対する断罪の資料とすることは到底できないことは勿論林栄成、柴田良夫の検察官に対する各供述調書もそれ等がいずれも前記の如き矛盾を包含するものである点においてこれまた措信することができないし他に本件麻薬が当時被告人と林栄成の共同所持の関係にあつたことを確認するに足る証拠もない。

さすれば被告人に対する本件公訴事実については結局犯罪の証明がないことに帰するから被告人に対しては刑事訴訟法第三百三十六条により無罪を言い渡すべきものである。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 松本勝夫 三宅東一 神田正夫)

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