大判例

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横浜地方裁判所 平成6年(ワ)3539号 判決 1995年7月14日

横浜市中区簑沢一九番地

原告

田城勇

横浜市西区みなとみらい二丁目二番一号

被告

横浜エフエム放送株式会社

右代表者代表取締役

上野豊

横浜市中区山下町六九番地の一

株式会社テレビ神奈川

右代表者代表取締役

吉田次郎

右訴訟代理人弁護士

森英雄

水地啓子

田上尚志

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

一  原告の求めた裁判

1  原告の事件調査過程における実演にかかる音楽著作権等を侵害する、被告らの双方向通信等の手段を用いた共同不法行為の差止を原告は求める。

2  被告らが不正な手段をもって原告の営業秘密を取得、開示し被告らの営業に利する不正競争の差止を、不正競争防止法第三条に基づき請求する。

3  被告らが不正な手段をもって原告の営業秘密を取得、開示し被告らの営業に利する侵害行為に供した設備を、被告らは具体的に特定せよとの命令を求める。

4  原告の加工した被告らの著作物に、原告の実名の名義の登録をしろとの中間判決を、著作権法第七五条に基づき請求する。

5  損害賠償額算定のため、被告らは、損益計算書、貸借対照表、出入金を明らかにする商業帳簿を一九九三年四月以降現在に至るまでの分を提出しろとの命令を求める。

6  立証責任を被告ら側の負担とするとの判決を求める。

7  訴訟費用は被告らの負担とするとの判決を求める。

二  被告らの答弁及び主張

1  被告横浜エフエム放送株式会社

主文同旨

2  被告株式会社テレビ神奈川

請求の趣旨のうち、四項、六項を却下し、一項、二項、七項を棄却する。

なお、三項、五項は求釈明又は訴訟指揮に関する上申と解されるので、請求の趣旨に対する答弁はしない。

三  当裁判所の判断

原告の求めた裁判は、前記のとおりであるが、原告が命令を求めるとしている部分は判決を求めたものと解したとしても、原告のいう、音楽著作権、営業秘密及び原告の加工した被告らの著作物などが具体的に何を指すのか、訴状及び他の準備書面等を検討しても判然とせず、また、それらに関する請求の原因並びに商業帳簿の提出を求め、立証責任を被告らに負担させることを求めている部分に関する請求の原因も理解することはできず、したがって、本件においては、その請求自体が特定されているとはいい難いが、その理由があると認めることは到底できない。

すなわち、原告の主張は、別紙のとおりであるが、要するに、

原告は、自宅において所有する音響機器類等を使用して、コンパクトディスク、レコード及びラジオ放送等を音源とする音楽(楽曲)について、原告の音楽的判断によりその音程等を変化させるなどして、これとは異なる音楽に創造することができ、これをレコード会社等に提供していたところ、このように原告が手直しすると当該音楽は著しく内容が良くなって売上ものび、売上ランキング等でも上位にランクされるに至ったため、放送局等の関係者は原告がどのように手直しするのかに注意を向けるようになり、原告の自宅における言動、独り言等をなんらかの方法により探って、原告の手直しした楽曲を入手しては勝手に使用するようになった。また、テレビ・ラジオ等の番組についても、原告が視聴し、その内容のうちどの部分を手直しすればよいかを指摘すると、たちまちに内容が良くなって視聴率も向上するため、放送関係者は原告の動向に注意し、なんらかの方法で原告方を探るようになり、赤外線等を使用するなどして原告の視線が番組のどの部分に向けられたかを調査するなどして、原告がどの部分に関心を向けているかなどを探ったりして、その指摘する内容・関心の対象等を勝手に利用するようになり、その結果、原告は手直しした楽曲についての著作権侵害による被害、平穏な生活を妨害された人権侵害による被害、被告らの調査、盗用の心労による被害、右赤外線等による調査実験により視力低下等の被害など種々の被害を受けたとして、被告らに対し、原告の音楽著作権の侵害行為の差止等を求める。

というものであると思われる。

これからも明らかなように、原告が主張している音楽著作権、営業秘密、原告の加工した被告らの著作物等が具体的になんであるかは判然とせず、しかも商業帳簿の提出を求め、立証責任を被告らに負担させる理由も理解できないことは明らかであり、なにより被告らの不法行為又は不正競争防止法違反行為等の内容とされているものが余りに不自然かつ不合理なもので到底理解し難いものであって、原告提出の補正命令に対する補正書と題する書面及び報告書二通(甲一、二号証)を検討しても、この点は変わりがない。

結局、原告の主張するところは、独自の見方、考え方に基づくもので、他の者にとっては到底理解することができないものである。そうすると、原告の請求は、その余の点を検討し判断するまでもなく、いずれも理由のあるものとは認められないから、これらを全部棄却することとする。

よって、訴訟費用の負担について、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 秋武憲一)

請求の原因

被告らは、少なくとも一九九三年四月から、原告の自室、原告の居住する家から発生するや原告の加工する音楽の収集を行った.

原告は、自室に備えてあるソニー製の「STR-V550」製品番号265721、「HC-V550」製品番号同じく26721、二台のスピーカー「SS-V550AV」かなるオーディオ機器を使用して音楽の編曲、作曲等を行った、また、これらの機器で、テビ番組の音楽の編曲、作曲も行った。

何を編曲、もしくは作曲をなしたのか

編曲、作曲の土台となったものは主として次の四つである。

一 原告所有のコンパクトディスク(以下CDと略すこととす)を再生する時に発生する音源を土台とした場合

二 原告所有のカセットテープを再生する時に発生する音源を土台とした場合

三 原告の家族の所有するCD、カセットテープ、レコードを各々、原告の機器で再生する時に発生する音源土台とした場合

四 横浜エフエムと首都圏エフエム放送四局(「株式会社 エフエムサウンド千葉」、「株式会社 エフエムジャパン」、株式会社 エフエム東京」、「特殊法人 日本放送協会」の四つのエフエム放送局を以降総称し「首都圏エフエム放送各局」と略すこととす。)の放送物を土台とした場合

加工(編曲、作曲等)の方法

どの様な方法で原告は主として加工を行、たのか

一 「STR-V550」の音量ダイヤルを、その曲その曲がもつ雰囲気、リズム、音の高低、歌手の声質などを原告が聞き分けて判断し、瞬間瞬間に操作する事によって加工した場合

二 同様にして原告が判断しながら、「STR-V550」のグラフィックイコライザを操作する事によって。

具体的にはどの程度の編曲、作曲等がおこなわれたのか

通常のステレオコンポならば、音量ダイヤルを操作するとただ単に音の大きさが変化するだけである。

しかし、原告が原告所有の機器を用いて、かつ原告が適切に音楽的判断を下しながら音量ダイヤルを操作すると、歌手の歌声が別人のように高くなったり低くなったり声質自体が変化する。また、背景に流水る伴奏を原告の思うままに全く違ったものに変えていくことができた。

ここに二つの例を挙げてみることとする.

例えば伴奏でいえば、トランペットならトランペット、バイオリンならバイオリンの旋律を原告は音量ダイヤルを使うことで操作することができた。また、伴奏全体を音の高さ低さ、大きさについて操作することができた、例えば、主旋律についていえば、歌手の歌声が多かったのだが、その歌手の声がのびる長さや、高さ低さを、原告は音量ダイヤルを使うことによって操作することができた.

したがって、一般に市場に流通している曲とは、たとえ同一歌手の同一歌詞の同一曲であっても、原告の加工した曲はその声質や長さ、曲想、リズム、伴奏の中身等が変化させれているもので、大きく異ったものに仕上がった.このことは、つまり原告身身の新しい音楽が創造されたことを意味するものである.

グラフィックイコライザの操作では、右記「一」の中でも主として伴奏、それも特定の楽器の音を強めて他の楽器の音に比べて強張したり、歌手の歌手では、他の楽器の音に比べて歌声を強張するだけでなく、声質も操作によって変化、変項できた.

完成度について

どの程度の完成度を原告が加工し、編曲をなした曲はもっていたのか

横浜エフエムと首都圏エフエム放送四局の放送する音楽や曲に、原告が編曲、作曲等をなたものについて次の三つの場合に分けて述べる.

一 原告が一曲に付一回のみ加工をほどこした場合

横浜エフエムと首都圏エフエム放送四局の放送する音楽を土台として、原告が一曲に付一回のみ加工した場合で、原告の調査によればその八割は多少の調整をするだけで新しい音楽として完成品の状態にあり、一割五分はそのまま新商品として売り出せる状態にあり、どちらの両者も、売り出せばヒットするであろう確実の高い利用価値の高い作品であった。残りが、多少の手直しではヒット曲になりえないだろうものであった.

つまり、一部音のひずみを微調整するだけでヒット曲となりえるだろう新商品としての完成度のものと、そのまま再放送するなりCD化するなりすればヒット曲となるだろう新商品の完成度のものと、一部修正だけではヒット曲となりえず、商品化してもヒット曲にはつながる見込みのないものができた.ただし、ここでいう「多少の調整をするだけでヒットする曲」、いいかえれば、「一部音のひずみを微調整するだけでヒット曲となるもの」は、その調整の度合という見地からすれば、音の主旋律や伴奏に手を加える必要はなく、単に音と音のひずみが気になる一部を修正すれば十分であったので、横浜エフエムや首都圏エフエム放送四局やレコード会社にとっては、きわめてたやすい作業であった.

二 原告が一曲に付二回以上の加工をほどこした場合.

横浜エフエム及び首都圏エフエム放送四局は、原告の一回のみの加工にあきたらず、さらによりよき原告の編曲、作曲を求め期待して、原告が一度加工した曲をそのまま、あるいは一部修正したものを再び放送した.

原告がこうした曲に再び加工をし、原告のなした一曲あたりの加工の回数が合計二回におよぶ曲、さらには三回、あるいはそれ以上の加工がなされた曲があった。

なお、横浜エフエムや首都圏エフエム放送四局の放送する曲を、原告が一曲に付複数回加工する場合、最初に原告が加工をした時と、二回目の加工をする時とは、四日あるいは五日といった程度の日付けの間隔が、彼らの側から空けられることが多かった.ただし、このような形で原告が一曲に付複数回加工をなすことは、次の理由などからそれほど多くはなかった.

(一) 横浜エフエムや首都圏エフエム放送四局が放送する曲は、そもそもレコードとして発売後の形式的ではあっても完成品であったものがほとんどであった.そうした曲を原告は異った曲に加工した.加工をした張本人である原告にとって、原告の加工前の曲と加工後の曲との違いははっきりとしていた.であるからして、四日あるいは五日といった短期間のうちに、その加工された曲を横浜エフエムや首都圏エフエム放送四局が再び原告に向けて放送することは、原告の加工した音楽を彼らが使用しているということを原告に明々白々に知らせ気付かせろものであった。また、原告の感情するものだった.

(二) 原告の加工は、一回であっても、十分加工前の物とは異なって.良くなっているのが常であった.したがって、横浜エフエムや首都圏エフエム放送四局は、原告が仮に被らの流している曲の途中でチャンネルをかえて、その、曲を原告が途中から加工する場合、彼らは早めにその曲を打切るこで、その次の曲を、冒頭から原告に加工させることが期待できたから.

ちなみに、原工がある曲を途中から加工する場合、横浜エフエムや首都圏エフエム放送四局の側からその曲を打切りにすることが実際多かった.そして、できるだけ早く別の曲を冒頭から放送していた.このことは、曲のこもはじめの伴奏や歌の入り方などが、どの曲についても重要なものだったので、彼らが意図的に原告に曲の出はじめから加工させ、作曲や編曲を原告に全て請負わせようとした事を示すものである.

三 原告所有のCD、レコード、カセットテープもしくは、告の居住する家にあるCD、レコード、カセットテープを各々再生する時に発生す日源を使って編曲、作曲を行った場合

この場合、一曲に付、原告は何回でも加工する事が可能であったし、実際何回も加工されて、いろいろなバクエーツョンのある曲となっていった。これは、原告の所有するCD、レコード、カセットテープに収められている曲は、原告が気にっているものであった事と再生される機会が多かった事から、一曲に付十数回以上の加工をするまのがほとんとであった.また.原告の家族の所有する音も同程度の多さで加工されたものが多かった.

原告かが一度加工をなした曲を、再び原告が加工する際、その曲は原告の前回の加工に沿う曲が流れた。

こうして.原告所有等の曲は.原告の加工につぐ加工で、一曲あたりについて、それがあたかも変奏曲であるかのようにバリエーションの豊んだものとなった、別のいい方をすれば、一曲についていろいろな演奏が出来る曲となった。

告が加工し、編曲.作曲を行った曲のその後の行方について

横浜工エフエムと首都圏エフエム放送四局の放送する曲を土台とした原告の加工物の場合

横浜エフエムや首都圏エフエム放送四局が原告に向けて放送する曲は、大方がリリース前の曲か発売間もない新曲であった.

原告は、これらの曲を仮らの放送で聴いた際、これは売れないだろう、良くない曲だといった曲が放送されると、原告はいやけしてずじに曲の途中であっても他のチャンネルに変えることにしていた。原告がこれらの新しい曲を聴いて、をれを途中で他のチャンネルに切り換えた場合、その曲に対して、被告らもレコード会社側も積極的に放送したり、宣伝したり販売することはなかった。裏がえして言えば、原告が加工しない場合でも、原告が曲の始めから終りまで聴いた曲は、被告らもレコード会社側も、この曲は売れるとの印象を受けていた.このことは、フォサ売り出し前の曲や売り出し間もない曲の販売戦略に原告の判断が使われていたことを示すものである.事実として、原告が途中で他のチャンネルに切り換えた曲は、総じて放送されることも少なかつたしCD等の宣伝をあまりなしていなかった.それに比して、原告が始めから終りまで聴いた曲や原告が加工した曲は、特に原告が加工した曲などCD等の宣伝を活発にしていて.また被告らの放送でもょく流されたり、後にそのCD等の歌手の特集番組を組んだり、ゲストとして被告らの番組に出演することが多かった。

リリース前の曲や、発売問もない新しい曲に原告が加工をなした場合、加工以前とは曲の印象がずっと大きく変化し、加工前にくらべるとかなり良くなっているのが常だった.つまり、原告によって加工された曲は、原告自身の感性と才能と技術のおかげで遙かに素晴らしい曲になっていた.

原告の加工した曲は、レコード会社が製品化し、売り出す様になった.そして、それらの曲は、レコード会社側がだまって売ってもヒットするといった状態にほとんどがなってしまっ全米ヒットチャートやビルボードといったCD等の売り上げランク付からみても、上に原告加工の曲が入ることも珍しくはなかった.こうした原告の加工した曲のヒットというものは洋楽のみならず邦楽でも同様であった.お陰で、横浜エフエムや首都圈エフエム放送四局の番組出演者やテレビ神奈川や首都圈テレビ放送各局(「特殊法人 日本放送協会」、「日本テレビ放送網株式会社」、「株式会社 束京放送」、「株式会社 フジテレビジョン」、「全国朝日放送株式会社」、「株式会社 テレビ東京」、「放送大学」の七つのテレビ放送局を以降総称して「首都圈テレビ放送各局」と略すことする)の番組出演者等から、原告は一目置かれる存在となった。しかし、原告の知的産物である原告加工の音楽や曲は、原告とは無関係にどんどんCDやレコード化されていってしまうといった具合で、原告の収入は、原告の働きや貢献とは関係なく「無」であったままであった.

要点を言えば、原告が加工をした曲は、相当な売り上げ枚枚のCDやレコードになってしまうのが普通であった.原告の加工した曲のCDやレコードが次々に爆発的に売れていくという驚くべき事実は、原告が全面的に加工を中止する。一九九四年六月頃に、ようやく下火となった.

日本国内のヒット曲のランク付けを見ると、売り上げ数のランクでは原告の加工した曲が上位にずらりと並んだり、また株式会社エフエム東京が土曜日の午後一時から放送するカウントダウンの番組では.そのほとんどが原告の曲であることがよくあった.また、横浜エフエムの「ハマラジ電リクチャート」でも原告の加工した曲で、多数が占められていた。

この原告の加工する音楽にまつわる事件は、原告の才能のもたらすレコード市場の異状ともいえる現象と、その犯行手段が密室的であったことから事件が発覚されにくいことで長びいたといえる.

一 原告所有もしくは自宅にあるCD、レコード、カセットラープを土台にした原告の加工物の場合

原告所有のCD、カセットに原告が複数回(あるものは数回)加工をして、編曲、作曲を行ったものと、横浜エフエムや首都圏エフエム放送回局の番組で流された曲と極めて類似していた.あるものは、ほとんど原告加工の曲であった.これらの原告の加工した曲はレコート会社、あるいは 横浜エフエムや首都圏エフエム放送四局に何らかの手段で渡ったという事を示すものである。

作為による加工について

横浜エフエムや首都圏エフエム放送四局の放送物に対する原告の不作為による加工について

横浜エフエムや首都圏エフエム放送四局は、原告がいつ加工をなし、いつ加工を終えたのか、また原告が自宅で発言なる話や姿、原告と横浜エフエムや首都圏エフエム放送四局やテレビ神奈川や首都圏テレビ放送各局番組出演者との対話やりとりを理解できる状態にあった.

そして、原告が自宅もしくは自室で何をしているのか.どのような事を原告が考えているのかということを何らかの手段で理解できる状況にあった。

であるから、原告と横浜エフエムや首都圏エフエム放送四局の出演者との隠語や比喩を用いたコシュニケーションや原告を折り込む番組が、どのチャンネルに切り換えてもすぐさま成り立った.

また、原告がどのチセンネルのラジオ番組やテレビ番組を視聴しているのかという事も理解でき、そうした番組に原告が加工したものさえ聴くことができる状態にあった.

であるから、横浜エフエムや首都圏エフエム放送四局(テレビ神奈川や首都圏テレビ放送各局も含めて)の放送物が、隠語や比喩を用いて、原告に関連性のある番組としてどのチャンネルの切り換えてもストーリー性やテーマ性を持たせることができた。

原告は、横浜エフエムや首都圏エフエム放送四局によって、良き番組視聴率の被験者として、また番組制作における指針として使用された.原告が主として調査番組として視聴する番組はある程度一定していて、そうした番組は、彼らの側から現在もしくは極近いうちに一般視聴率となるだろうさ判断し、またその番組の中で放送される曲になす原告の加工を目当てに、広告業やマスコミ、音楽にたずさわる多くの有力者が注目して視聴したため、番組と番組の間にはさまれるCM料、つまり広告収入が上昇していた、

原告は、音楽的につまらないと感じたり、聞き苦しいと感じた曲は、敏感にすぐほかのチャンネルに切り換えるくせが原告の調査過程においてあった.この原告独特のくせを分析的にとらえることによって、どの曲が一般視聴者に人気がでるだろう曲なのか.どの曲が今後一般視聴者に売れるのだろうかということがわかった。こうしたことから、横浜エフエムや首都圏エフエム放送四局、レコード会社にとって、原告が調査すること自体、大いに利用価値の高いものであった。この原告のチャンネル操作による情報も、彼ら黙示的に原告の価値判断を利用したといえる。

また、横浜エフエムや首都圏エフエム放送四局の放送する曲に、原告がその調査過程において直接加工をしなくても、ある曲がはじめから終りまで原告がとおして聴いたというだけで.原告の良い意味での音楽的判断が下されたと、横浜エフエムや首都圏エフエム放送四局は解釈していた.したがって、原告が始めから終でひととおり聴きおえた曲は

原告は、テレビ神奈川や・・都圏テレビ放送各局の番組・・視聴するにあたって、原告はつまらないと感じた瞬間に他のチャンネルに切り換えたり、もう、CMにはいった方が良いと思った瞬間に他のチャンネルのCMを入れたり他の番組のチャンネルに切り換える事にしていた。よってテレビ神奈川や首都圏テレビ放送各局は、事後的に前述の情報を分析する事によって、番組のどこがおもしろくなかったのか、誰がおもしろくなかったのか、どの画像が番組をしらけた物にしたのか等がわかるようになっていた.これは原告がチャンネルを切り換える直前にそれらの原因がある場合が殆んどで、被告らにとって困難な作業ではなかった。こうした原告の無言の情報や不作為の情報を利用して、原告が主として視聴する番組は優れた画面や構図のものとなっていた。

要約すれば原告が直接テレビ神奈川や首都圏テレビ放送各局の番組制作に携わらなくても、原告は、チャンネル操作によって次回作るべく番組の指針を提示した事になり、また原告が視聴する時間の長さや、主に原告が視聴する番組であったかどうか(これは近い将来の一般視聴率と近似する傾向があった事から)によって、原告の価値判断を被告らは収受していたといえよう。

また、原告がいろいろなチャネルに切り換えても一定のテーマ性やストーリー性や芸術性をもつべく原告が操作した(被告側の事前の準備、努力によるものも無視できない)ことから、テレビ神奈川や首都圏テレビ放送各局、横浜エフエムや首都圏エフエム放送四局の放送物を原告が視聴した番組としてつなげてみると、そこには原告の創造性と芸術性が十分入り込む余地があった。これは、途中で彼らの番組に原告が加工をなしたCMソングや音響なども含めてのことである.

この事実は、被告らが、盗み見、盗み聴きしても一年以上も飽き足らなかった事からも明らかである.

原告が調査のための視聴をする番組というだけで、あたかも一つの映画のような作品となり、広告収入等が他の番組と比べて増加するというメリットがあった。

以上が、原告による不作為による加工とそれに関連する事実を述べた物である.

告の調査、加工の内容と、関連する事実

概略

一九九三年六月以前、原告は、調査のために意図的に特殊な放送を音楽を通じてなしていた.ここでの「意図的な特殊な放送」とは、相手方不明の者を(これは、後に横浜エフエム、首都圏エフエム放送四局、テレビ神奈川、首都圏テレビ放送各局と、彼らと関係の深い業界等と判明)を対象とした、原告が歌詞の一部を音量ダイヤルで強張し、隠語、比喩等を曲の中に折り込むものであったり、原告のその時現在の心情を、原告の選曲によって一連的に音楽で表現するものであった。ただし、原告の心情を音楽で表現する、つまり原告の心情にかなう音楽で表現するといった事(例えば、激しい感情の時には、ブラームスのピアー協奏曲第一番を流したり、ベートベンの交響曲第五番を流したりする事や、上機嫌で上品な、それでいて優稚な感情の時には、バッハのブランデンブルク協奏曲を流したりする事や、気分が高揚してかつ楽しい感情の時には、メンデルスゾーンの交響曲第一番の第四楽章を流したりする事や、原告が哲学的かつ宗教的な意味で深刻な気分の時にはフランワリストのピアーソナタロ短調を流したりする事や、気分が高揚してかつ甘美な心をバイオリンで表現するにはバガニーニのバイオリン協奏曲第一番を使うといった事など.以上は、クラシック音楽分野での引用の一部であるに過ぎない.一九九三年七月以降の加工の形態が進化した時期からは、原告の心情を音楽で表現する事は、技術的進歩のおかげ(機械的意味での)で、より一層豊かなものとなった。))は、習慣的に数年前からのような習慣があった上での延長線上の事実である。

一九九三年七月頃から、原告の加工する音楽は、技術的に従来と異ったものとなった.原告所有のソニー製「STR-V550」等の機器を用いて、その音量ダイヤルを操作することが幅広く編曲、作曲等が可能となった。そして、こうして原告が加工する音楽を、データ化して原告の音楽的ノウハウや音楽技法上の技術を、コンピュータソフト化し、もしくは機械音楽化のようにして、被告らやレコード会社等がとり入れるようになっていった。

これ以後、除々にかつし かりと、原告と被告らとの込物の間における原告の加工物すなわち音楽や曲等が、原告の知的財産権やノウハウ、技術等を侵害することと平行して発展していった。つまり、原告の技術とコンピューター、もしくは被告らの技術との融合から原告の加工する音楽は、こうして飛躍的に向上し、洋楽、邦楽を問わずCDなど製品化されたものの売上げ額は相当なものにのぼるに至った。

原告がどれくらい頻繁に加工をなしたかという事は、当時の原告の生活と平行して述べることとする。ここでは現在「概略」の部分であるので、後で第一期から第四期に分けて詳述することとする.

原告は、一九九三年四月頃からあるテレビ放送局が、原告に関連性のあるような番組を流したことがきっかけで(隠語、比喩もしくはあてこする様な遠回しの放送であった)、以後原告は大学に一応通いつつ積極的に調査をなした.その調査とは、はじめは第三者、のちには、横浜エフエムや首都圏エフエム放送四局、テレビ神奈川や首都圏テレビ放送各局が、原告の自宅及び自室等における会話、独り言、発信等をきいていないかどうかだった.のちには、原告の加工する音楽を第三者「後には横浜エフエム、首都圏エフエム放送四局、テレビ神奈川、首都圏テレビ放送各局と判明)が聴いているのかどうか、その原告の加工した音楽の行方などが、主な調査の対象であった.

調査方法としては次のようなものがある。

横浜エフエム、首都圏エフエム放送四局、テレビ神奈川、首都圏テレビ放送各局の番組出演者をけなしたり、おとしたり、すかしたり、馬鹿にしてみたりすること.

横浜エフエムや首都圏エフエム放送四局には、原告が音楽を通じて彼らとコンタクトもしくはコミュニケーションのアプローチをする事。換言すれば、原告が彼らにとって興味を起こさせる創造力あふれる、かつ魅力ある音楽加工をするなどして、彼らの注意をひいてみること.

テレビ神奈川や首都圏テレビ放送各局には、はじめは原告の心境や感情等を全チャンネルの番組を適当に組み合わせて芸術的に表現した.これは、のちに現在に至るまでテレビ神奈川や首都圏テレビ放送各局の側が、原告の手法・技術に感化されて積極的に、進んで原告と同様の事をするに至った.そして番組においても、原告をテーマにしたもの等が作られるようになった.

主としてテレビ神奈川や首都圏テレビ放送各局への対策として、天野祐吉よろしく広告批評を積極的にすることにした。また批評しないにしても、原告がおもしろいと思ったCMには積極的に笑ったりして反応することにしたり、原告の調査の合間に原告がCM加工(音楽の部分)をなしたりした.CMの背景の音楽加工は、原告が音楽的に実積があったのでかなり喜ばれた。また、自宅で暇があれば、キャッチコピー等と考え出し発言することにした.

原告の切り口や感性でテレビ神奈川や首都圏テレビ放送各局の番組音響や背景に流れる音楽の加工をなす事.これもかなり喜ばれ、後には原告の加工に影響された番組や音楽が放送されることとなった.

相手後にテレビ神奈川、首都圏テレビ放送各局、横浜エフエム.首都圏エフエム放送四局判明)の注意を引くために、芸術、政治、経済、音楽、文学、法律などの話を原告は積極的に発言することにした.

各番組出演者とインタテクティウなコンタクトがある事を確認するために、原告は隠語や比喩等を用いた独特の話法で番組出演者等とコミュニケーションを計った.こうした方法をとったのは、彼らや被告らにとって隠語、比喩等を用いた番組中のコミュニケーションは、一般視聴者にわからないだろうという安心感と、原告とそうした話法を通じて番組中にコミュニケーションすることそのもののおもしろさと、原告の音楽加工を促すためによるものであった.

横浜エフエムや首都圏エフエム放送四局、テレビ神奈川や首都圏テレビ放送各局と、原告とのこうしたコミュニケーションは、上記被告らが一体となって、出演者の話や、適当な歌詞の音楽などを一連としてつなげ合わせた時にできる作品をとおして、原告を困乱困惑させ、原告が提訴に踏み切らないように誘動したり、提訴を遅らせようと誘動する意図が、上記被告らの側にあった。

一九九三年七月頃から、浜エフエムと首都圏エフエム加送四局は、かなり大胆に原告に関連性のある放送をなしたり、原告の右記の調査に大胆に反応するようになった.そこで原告の調査も本格的にかつかなり長時間にわたるようにした。この頃から、原告の調査と比例して原告の加工も飛躍的に増加した、原告は、起床してから、食事や風呂等の時間を除いて、夜遅くまで自室にこもり、ソニー製「STRIV550」をはじめとする機器の前でつきっきりの状態で、調査のための音楽加工をなした。

原告は、自室の布団を敷きっぱなしの状態であったので、それに寝っころがったり、り直したりといった形で調査をなした.ほぼ一日中加工をなすことは、精神的には激しく疲れたが、肉体的には肩がこったり、首筋が少し痛くなったり、頭痛がしたりといった程度であった。ところが後になって視力が低下するという事態に至った.一九九二年春の視力は、右が一・〇、左が一・二一大学での視力検査)であったが、一九九三年の夏(関東病院での視力検査)には左も右も〇・六にまで低下し、一九九四年四月には左〇・四、右〇・五まで低下(視力回復研究所上大岡センター調べ)していた。この視力低下は、被告らの行為によって、原告が一日中調査や加工を必然的になさなければならない状況に追い込まれ、かつ原告が無理な調査を強いられたためであり、原告は被告らの行為によって精神的に疲労し、心労から近視になったと考えられる.また、たった一人で、調査や加工といったものについやさなければならなかった生活は、原告の被害や孤独感もさることながら、およそ非人間的な生活であった.原告は、家族との会話も減っていき、口数も著しく減っていった.

視力の低下は、原告個人にとっては、将来パイロットになる事が長年来の希望であった原告の、職業選択の自由を大きく束縛することになってしまった。

補足的説明となるが、原告の調査の結果、テレビ画面において原告がどこの部分に視線を合わせているのかという事を、テレビ神奈川や首都圏テレビ放送各局知っていたことから、最近のビデオカメラの視線入力(赤外線で撮影者の視線の場所をさぐり、そこにカメラの焦点を合わせる技術)に類似する技術を、被告らは原告に対して用いていた、原告が、そうした技術の被験者、被実験者としての役割を負わされていた事も、原告の視力低下の一因である.

原告は、原告の加工する音楽等が天才的水準にあった事から、「天才とは何か。」という天才研究の実験台として利用された.それだけではなく、被告らによって原告は、衆人環境の状態におかれていた事、特殊なメディア環境の中に置かれていた事などから、医学的、生理学的実験等の被験者としての役割を負わされていた。この件に関しては、事件の解明と平行して、準次明らかにしていくこととする。

産業技術面において、原告が衆人環視の状況の中で生み出した技術が存在した.特に例を挙げれば、一九九三年七月頃から、原告の音楽加工技術をデータ化し、作曲、編曲のために利するコンピューターソフトウェアが存在する事である.この件は、特許権等に関する事柄であるが、合わせて解明していくこととする.その他にも、原告による発明、発見がいくつかあったことをここに主張しておく.

それでは、「概論」をここで括めくくり、原告がどの程度頻繁に加工をなしたのかなどを、第一期から第四期までに区分して、現在に至るまでを原告の当時の生活形態等に照らがら述べていくことにする。

なお、図一は、原告の行動などを略弍年表化したもので、図二は、原告の大学二年次の時間割表である.図二の括弧でくくられた授業は、出席率が種々の事情により二割以下のものである.

図一(略式年表)

第一期

4 一九九三年四月

5 岡村大弁護士へ

7 磯子警察署へ(現在まで、計三日以上)山手警察署へ積極的に原告は音楽加工をなすようになる.

第二期

8 山手警察署へ(現在まで計三回以上)

10

11

12 横浜弁護士会へ(十二月八日)

2 NHK・東京エフエム・全国朝日放送へ話し合いの申し込み状(二月十三日付)

第三期

3 大学へ一回目の休学屈提出(二月十四日付)音楽加工を減らしていく方針へ横浜地方検察庁へ告訴(不受理)

4 フジテレビジョン・全国朝日放送・テレビ東京へ書状出す(四月二十三日付)

5 大学で休学屈受理

6 ほとんど音楽加工をしなくなる.

第四期

7 朝日新聞社へ書状出す(七月九日付)

8 横浜エフエム、エフエムジャパン、エフエム東京へ事実確認の電話エフエム東京へ電話(七月二十六日)エフエムサウンド千葉へ電話(八月四日)

9 テレビ神奈川と一回目の調停(不成立)(七月十四日)

10

図二(原告の大学での時間訂表)

一限8:50 10:20 二限10:30 12:00 三限12:50 14:20 四限14:30 16:00 五限16:10 17:40

月曜日 (日本大学A高田知波) (管理統計学吉川智) 体育実技ⅡB 教育学伊藤隆二

火曜日 (マクロ学内島敏之) 商法Ⅱ吉井淳 (マルクス経済学市川義幸) (ゼミ()西島益)

水曜日 (会計学原論遠藤久夫) 日本経済史本宮一男 心理学B中光子 綜合科目8白井)

金曜日 (独ⅠA本橋右京) 商法Ⅰ川内克忠

士曜日 (英語藤井誠) (英語高橋雄)

第一期

一九九三年四月頃、原告の私生活に関連するようなテレビ番組がちらりと放送されたこときっかけで、原告は調査活動を始めるようになった。

原告は、大学には一年次生の頃はほとんどの授業に出席していた、しかし、一九九三年度の二年次生から、すなわち一九九三年四月からは、調査のために大学では授業の履習申請はるものの、出席はできるだけ少な目に選択的に行うことにした、そして、節約された時間調査に向けるようにした.

調査するようになって、不規則な生活パターンになり朝起きることがつらくなった.以降則正しい生活のパターンを得ることは、事件とのかねあいもあり困難な状態にある。調査はじめるようになって、原告は、大学には遅刻しつつ通うようになった.その後、一九九年の連休明けからは、大学の授業がある日でも、大学へ行かない日が増えていった.

原告は、調査のために時間を割く必要性があった事などから、一九九三年四月当初より大で授業を受ける時間は少なかった.以下、曜日別に原告の出席状況をのべることとする.

月曜日 三限の体育が出席点による単位認定の科目であったので、月曜日は大学の授業のる日は九割以上、大学へ行っていた。この曜日は通年でだいたい大学へ行っていた曜日でる.また、四限の「教育学」も出席をとる授業であったので、四限まで早退せずに大学で強していたことが多かった.一限の「日本文学」は、唯一原告が二年次に二度目の履習とた科目であった事と、事件調査のために朝起きることが難かしくなっていた事などから 年次でほんの数回出席したにすぎなかった。二限の科目は、原告が二年次に履習した中でも苦手と感じた科目で、五月には単位取得をあきらめて出席しないことにした.月曜日は限、四限の二つに出席するというパターンであった。

火曜日、全てが出欠をとらない科目であったため、仮に大学へ行くとしても三限以降が多かった。四限は、嫌いな科目であったので、早退してしまうことが多かった.この曜日は、限に三十分以上出席できそうである時は、退刻しても三十分程席出席し、三限まで授業をけて帰宅するか、あるいは、三限に退刻しながら出席して、四限以降は出席せずに帰宅すかの、二つのパターンが多かった.

水曜日、三限以降から大学へ出ていた.三限の途中からもしくは四限のはじめから(「心学」が授業の冒頭に出欠をとり、出席が足りない学生は試験を受けても単位はやらないと言されていたので)出て、五限まで授業をうけることが多かった。ただし、九月以降は、限まで出ずに四限までで切り上げて帰宅する事がほとんどだった。

木曜日、大学での受講科目がないので毎週休日.

金曜日、二限に出席したのは通年で数回.三限のみ出席するか、大学へ行かない日がアルバイトとの兼ね合いもあり、多かった.

土曜日、三限に一応出欠をとる事にはなっていたが、試験の出来では出席が足りなくてもいとの事だったので、通年で四割ぐらい出席していた.この曜日は原告の得意科目であ「英語」のみであったので、仮に大学へ行けば間に合う時間であっても、行かない日が多あった.

一週間を総じてみると、大学へは、月曜日以外は、午後から適当に行くといった具合だっ.これは、原告による次の考えからであった.

調査に十分時間をとりたかったこと。

調査による不規則な生活と、調査による疲労から、朝は、遅い時間に目覚めることが多かったこと

そもそも原告は、大学二年次に航空大学校を受験し、航空大学校へ進学することが目的で現在の大学へ進学した.だから、航空大学校に合格すれば、現在通っている大学は二年次いっぱい通学するだけで中退し、航空大学校へ進学しようと決めていた.そうした事から、大学の成績は単位さえとれればよいと、原告は思っていたので.

原告は、右の理由などによりできるだけ大学で過ごす時間を減らした.そして節約された間を事件調査に振り向けることとなった.

当時の原告の生活時間について、補足として記さなければならないことに、原告は週一回曜日にアルバイトをしていることが挙げられる。職種は、国語の塾教師であった.勤務時とは別に、生徒に教えるたの事前の教材研究として 曜日に二時間程度割いていた.

金曜日の勤務後、帰宅した原告は、その疲労から、金曜日についてはあまり事件調査をする気になれなかった。一九九三年七月中旬に、そのアルバイトをリストラで解雇されるまで、金曜日における調査・加工等は他の曜日に比べて、事前の教材研究やその他の理由で少ないものだった.原告は解雇された一九九三年七月中旬以降は、金曜日も他の曜日と同様に積極的に一日の大半を調査・加工等に費やすこととなった.

原告が調査を始める様になって以後の外出は、次の主たる理由から、ほとんどなかった.

外出時(通学途中も含めて)に、不審者もしくは被告ら側の者もしくは示談屋と思しき者が出没した事

元来出不精であった事

大学でサークル活動等の課外活動をしていなかった事

友人がもともと少なかった事

第一期は、五月の連休に入る前までは、午前から大学の授業に出席する日もちらほらあっし、大学へ通う日も週四日以上はだいたいあって多かった.しかし、連休明けからは、次の理由から原告が大学へ通う日が激減していった.

事件調査をするため

不審な人々が通学の往路、復路に出没し、大学へ通う事がかなり苦痛になったこと

航空大学校受験が近くなってきたため

第二期

一九九三年六月もしくは七月頃に、原告のそれまでの手作業による音楽加工とは、技術的異なった加工が可能となった.それまでは、単に音量ダイヤルを操作すると、ただ単に音大きくなったり小さくなったりしただけであった.ところがこの頃以降、そうすることにって、声歌ヤ旋律を変えていくことが可能となった。

加工して出来上がる音楽が、コンピュータ音楽の様な、テレビやラジオの普通の音とは少異なるものとなった.それ以降、原告の加工する音楽等は、数と量を増していき、調査のめの加工が増えていった.原告の加工が増えていけばいく程、原告の技術や作品をデータしたコンピューターソフトが発逹していった.これに平行して、コンピューター等を利用した音楽の作曲、編曲のための技術が進歩していくこととなり、原告の加工する音楽等も、容的にも芸術的にも優れたものとなっていった.

一九九三年七月の終り頃、大学が夏期休業に入った事と、リストラによるアルバイト解雇より、原告は航空大学校受験を九月五日に控えながらも手持らぶさたに感じるようになっ。そ調査・加工に專念するようになった.この頃から以降、漠然とした調査の対象でったエフエムラジオ放送の番組の中から、原告の主たる調査対象となる番組がいくつか出くる事となった.そうした番組は、女性が司会もしくはアナウンサー、もしくはディスリョッキーであるものが多かった.

一九九三年十月頃までは、「グレース」が出演する番組が、原告の主たるラジオ番組調査対象の一つであった.なお、彼女の番組の中で放送される音楽等を土台にした、原告によっ加工される音楽等の作品の出来具合が良かった.この頃から、第二期を通して、原告の主る調査対象の一つとなる番組がいくつか出てくるようになった.この原告の主たる調査対象の一つとなった番組からは、作品として出来が良い原告加工による音楽等が多く作られ.

ところで、原告の航空大学校受験のための勉強は、一九九三年八月十日頃から少しづつ増、八月二十日頃からようやく本格的になった.それ以前は、原告の気の向いた日に何時間勉強するという具合だった.(なお、大学の昼休みの残り時間や、講義の時間を使って受勉強をする事がかなりあっことを付け加えておく)

さて、第二期のとりわけ航、受験後の九月五日以降から、原告が精力的にエフエム放送分局を調査し、音楽の加工をなした期間で、原告の技術やノウハウが無断でCD等化され、これらが放送された事の最盛期であった.

一九九三年十月頃、それまで原告の加工した音楽もしくはそれに極めて類似した音楽が横浜エフエムや首都圏エフエム放送四局で、放送物として使用される様になっていたので、原告は横浜エフエムや首都圏エフエム放送四局に対し、双方向通信可能な状况を利用し、口で代金を請求した、横浜エフエムや首都圏エフエム放送四局は、これ対し、支払う旨の放送を流したり、原告自身が横浜エフエムや首都圏エフエム放送四局に電話をかけるよう(電話で請求するよう)な旨の放送をなし、その場で原告を信用させる様な行為をなした.

原告は、横浜エフエムや首都圏エフエム放送局側の方から電話するのが常識である旨伝えら側からの連絡を待つ事にした.ところが、一向原告には連絡がなく、十二月に原告側らエフエムジャパンに電話したところ、二時間ほどの間に数回に分けてかけたところ.誰電話に出なかった.結局、横浜エフエムや首都圏エフエム放送四局側からは、一九九四年月現在に至るまで、正式に書面なり電話をかけてくるなり、出向いてくるなりといった事ないままである.

原告は、横浜エフエムや首都圏エフエム放送四局側の誠実な対応を待つ他ない様な状况にい込まれることとなった、横浜エフエムや首都圏エフエム放送四局は以降原告が何度か方向通信可能の状况で支払いの催足をすれば支払う旨の放送をしたり、原告が支払いや連絡のないことをなじれば、それをなだめたりすかしたりする様な放送を、共同でなした.

そして、被告らは、原告の注意を音楽加工に向けるべく誘動し、原告に加工をさせ、それを被告らは収受し、享受した.

第二期は、全体的にみて、ほとんどが横浜エフエムや首都圏エフエム放送四局の調査、及調査のための加工につきっきりで、テレビ神奈川や首都圏テレビ放送各局の調査、及び調査のための加工はあまりなかった.

テレビ神奈川や首都圏テレビ放送各局は、一九九三年八月十五日前後から、大胆に原告に関連性のある事からを折り込んだ番組を、隠語や比喩等を巧みに使いながら放送するようにたテレビ神奈川や首都圏テレビ放送各局の調査は、第三期以降、特に第四期が本格的行われた.なお、テレビ局に対する調査に割く時間と、エフエムラジオ放送局への調査(調査のための加工も含む)は、時間の量からみておそよ反比例の関係にあった.

第三期

一九九四年二月には、原告の加工した音楽がレコード店で多数の目にとまり、原告の加工よってできたCD等が市場に相当ヒット曲として出まわっている事を知った、原告の調査よる加工で出来た音楽で、横浜エフエムや首都圏エフエム放送四局、及びレコード会社がなりの利潤を上げ私腹を肥やしていた事を知った.

ところが、原告には何の支払いもないままだったので、また編曲者、作曲者として原告の名義や支払いがないまま全く別の作曲者、編曲者の名義でCD等出版されていたので、原告は覚え、今後調査による音楽の加工はしないように決意した.ここから第三期に入ことる.

四月に大学から受けとった成績は、取得した単位が二年次でわずか五単位であった.これ、原告が大学一年次に取得した四十三単位とは比べようもないひどい成績であった.このは、原告が苦労して加工した音楽等を原告に何の支払いもなく被告らが不当に放送したりレコード会社がCD化等して発売したり、原告に向けて隠語等を用いた特殊な放送がなされり、特殊な新聞が発行されたりした、そうした特殊なメディア環境下に原告がおかれた結である.また、被告らが原告のプライバシーを侵害しつづけ原告のプライバシー等を放送、新聞に折り込まれ続けたことによって、原告が心理的圧迫下におかれつづけた結果でもる.また、原告が事件の原因や事実関係を調査したり分折したりしなければならなかった担の結果でもある.

被告らが、特殊な放送等を通じて原告を心理的圧迫下に追い込み、そうする事で原告の請を故意にはぐらかし遅らそうとした事実や、原告を心理的圧迫下に追い込むことで、原告がよりよい質のより多くの加工をなすと信じていた被告らの考え方法は、本事件において注すべきことである.

原告は、このままの特殊な環境下では、まともに今後、生生活を送っていく事が不可能である、という思うようになった.それは、主に次の理由からである.

(一) 自宅から大学までの往路、復路に原告の見知らぬ第三者が出没し、原告の私生活等をそれとなく踏まえた言葉を、原告にあびせ、あてこすり、原告が大学の往路.復路を極めて苦痛に感じる様になった事

(二) 被告ら、首都圏テレビ放送各局、首都圏エフエムラジオ放送四局が、原告のプライバシーを折り込む番組を連日の様に放送し.こうした特殊メディア環境を原告が極めて苦痛とする様になったこと

(三) 家庭では、事件調査のための生活をしなければならない負担があった事

(四) 原告の加工した音楽等を不当に得て、それを利用し私腹を肥やしていた者に、代金を請求し.回収しなければならなかった事

(五) 事件の解決なしには、原告のプライバシーや著作権等が侵害され続けるままの生活が続く事

(六) 原告が自宅にいながらにして、原告の著作権等が侵害されつづけるままの、被告らとの双方向通信可能な状態のままであれば、原告は自身の才能や感性によって収入を得る事ができないままである事

(七) 原告の音楽等における加工の実績から、そのヒット曲の多さ、売上核数の多さなどを鑑みると、原告の得べかりし利益はかなり巨額なものであり、もはや大学に通うことはそれほど重要なものと意識されなくなったこと

一九九四年五月には、正式に原告の休学届が受理された、そして事件調査や事件解決における原告側の負担は、それ以前に比べてずい分と楽になった.この頃から原告は事件解決の選択枝の一つとして裁判による解決を考える様になった.そこで訴訟費用をかせぐねらいと、原告自身の将来にわたる安定的収入源を確保するねらい等から就職活動等を行った.本事件に、関係のあるレコード会社等も、調査のため、事件解決のために受験する事にした.原告は、事件関係のある会社を訪門すること等により、その時に相手方が和解等の申し入れをしてくるのではないかという思いで受験したが、結局どの相手方も、何の申し入れもなさなかった、結局、八月になっても就職先はなし、就職はとりあえず二の次とすることにして.原告の得べかりし利益等の回収のために、一九九四年八月から裁判にそなえる準備にいそしむこととした.

第三期のはじめごろから、つまり一九九四年三月はじめごろから原告は調査活動等における音楽加工等を減らしていく方計にした.主として次の理由からである.

(一) 原告が音楽等を加工してできた作品群によって、原告が多数の人々に知られる様になり、原告の音楽加工の主目的は達成され、被告らをはじめ多数の人々に原告の存在を十分アピールすることができたため

(二) 日本の音楽界をはじめとして様々な分野の人々に、原告の才覚などにより十分名声を得けたため.

(三) 原告の加工する音楽等によって、被告らが不当に利潤を上げ私腹を肥やしていた為.

(四) これ以上原告が音楽等の加工をすれば、今後の事後処理がさらに大変な作業となるため.

原告調査のための音楽加工を一九九四年三月から減らしていく方計にしたが、それまでの習慣から抜け切るのに時間がかかり、実際に音楽加工等をほとんど行わなくなったのは一九九四年六月になった頃であった.

第三期以降は、テレビ番組の調査が激増した.

第四期

一九九四年六月はじめ頃には、原告は調査において横浜エフエムや首都圏エフエム放送四局の放送物を土台とした音楽加工はほとんどしなくなった.また、この頃には、原告が第期に加工した多数の音楽等は、ほとんどCD等となり製品化されつくしてしまった、原告が加工した音楽等の在庫をほぼ使い切った事と平行して、シンガルCDやアルバムCD等の製品あたりの売上が減少することとなった.

原告が音楽等の加工をなし、それがCD等の製品となり、量に市場に出まわっていた第二期には、CD等の単品あたり 売上が相当多かった.そう、にことは、原告の才能のおかげで出来た良質のCD等が大量にあった事と関係していた.

しかし、一九九四年六月頃からは、原告加工による音楽が作られない様になり、原告加工のCD等が発売されなくなると、CD等の単品あたりの売上が著しく減少する事となった.この事は、原告の才能による音楽加工物の市場での影響力の当時の大さを示す物である。

この頃も、まだ被告らの、原告のプライバシーや日常生活を折り込む様な特殊な放送は続けられていた。これは、原告と被告らとの特殊な放送のヤリとリ等によると、主として次の理由によるものであった.

(一) 原告側の請求等を遅らせたり、はぐらかせたりするため

(二) 被告ら側が、原告のプライバシーに接触する事柄や日常生活等を折り込む特殊な放送を、「文化活動」と位置づけていたため

(三) 原告に対して特殊な放送をなし、原告を心理的圧迫下に置くことで、これまでに多数の良質な原告の音楽加工がなされた。そうした経移から、これまでと同様の特殊な放送をなし続けることで、原告が再び良質な音楽加工等をはじめ出すだろうと被告側、なかでも横浜エフエムや首都圏エフエム放送四局側が期待していたから.

一九九四年度の航空大学校受験の件は、原告が本事件に巻き込まれる様になった結果、視が悪化し悪くなったため、受験資格の基準に身体的に満たないものとなり、残念ながら受験は見送らざるを得なくなった。

原告の自宅での言葉、挙動、加工した音楽等の作品が収集された結果、原告はどのように利用されたのか

横浜エフエム、首都圏エフエム放送四局の場合

(一) 横浜エフエム、首都圏エフエム放送四局が、原告の加工となす音楽等の十一台となる音楽等の提供者であり、また原告の加工した音楽等の収集窓口の役割をはたした.

(二) 原告の加工した音楽等を入手するためには、まず各々は原告に番組を聴いてもらう必要があった.つまり原告から調査される必要があった事から、横浜エフエムや首都圏エフエム放送四局は、原告の日常生活風景や言動等をそれとなく各々の番組に折り込んで原告の注意をひくように努めていた.

「(一)」に関する被告らの利点

原告に調査をさせながら、原告の加工した音楽等の果実を得つづける双方向通信等の手段用いて。被告らは、原告の加工した音楽等を得ながら、その手段の特殊性を盾にして告に何の対価も支払うことをしに、またそうする事で利潤を得ていた.また、双方向通信るいは盗聴等の手段を通じて、被告らは第三者や一般消費者に知られることなく、発売予の新曲、あるいは発売まもない新曲を原告に加工させて、それを受けとりCD等の製品化でレコード会社と共謀してなしていた.

「(二)」に関する被告らの利点

原告は、個人的特徴として、芸術に関する話題や知識が豊富で、音楽加工の才能にも恵ま、かつ社会の時事的事柄に対するコメントが独特のおもしろみがあり、原告の心情や感情文章だけでなく口頭で表現する事も上手かった。であるから、原告の言葉などを収集しての言葉や発言、コメントを変形したりして番組に取り入れる事で、番組製作の負担が軽くるだけではなく、内容も豊かなものになった.また、原告の関心事を番組に取り入れたり影させることで.現代の若者の流行や、関心事を取り入れた番組を製作することができ、告らは重宝がって、原告の私生活まで立ち入って、原告に関連する情報を収集した、またのようにして収集した情報、、作詞家やシナリオライ漫画家等は、原告をヒントにしたり、イメージしたりする事で、自然に仕事をこなす とができた.

公共放送というパブリックなものに、原告の情報をプライベートに折り込んでいく作業自体が、被告らにとって芸術的欲求を満たすものであったと同時に楽しみでもあった、同時にまた、原告の加工する音楽を聴く喜びも被告らを満足させるものであった。

こうした背景として次の様な事があった。

一 新しい作品を創造するために、ヒントやモデルとなるものを被告ら側が、彼らの創造性の不足から常時必要としていた事

二 双方向通信等を介した被告ら側の者にとって、原告は彼らの作品に敏感に反応し、ある時は率直に批判したりコメントをしたりしてくれる、素晴らしい、理解のある人物であった事

三 原告の加工した音楽等が次から次へと連日、新しいものができ、かつそれらが一般市場で異状な程売れまくったことから、それらの製作者であり、芸術家でもある原告と二十四時間時間を共有することができたから.

四 原告の加工する音楽等を、一般人より早く、作られると同時に聴けることができた事.

いずれにしても、被告らの行為は違法である盗聴行為であり反社会的なもので、かつ、違法行為の手段は双向方通信等のハイテクノロジーを用いて、こそこそとなされたものであり質極まりないものである、原告に許諾を求める事なく、原告の加工物である音楽等の果実を一方的に収受してむさぼり続けて利潤をあげていた事、原告の人権や生活を全く無視して被告ら各々が利潤を追求していた事、原告に対して正式に契約を申し込む等のことを、被告らは意思さえあればいつでも可能であったのにもかかわらず、そうしなかった事などなどを鑑みて、被告らは、こうした行為を悪意で行っていた.

横浜エフエムや首都圏エフエム放送四局が収集した原告加工の音楽は、ヒットがほぼ確実なものとして、レコード会社に売り飛ばされ続けた。また、レコード会社側も、原告が加工した音楽である事を知りつつ、それらをあたかも自ら全て製作したかの様な形で一般消費者に向けて製品化し、発売しつづけた.

原告が加工をなした曲というものは、おもしろい様に大量に市場で売れていく事が常であり、そうした事が止むことがなく続いたので、横浜エフエムや首都圏エフエム放送四局は、れらの曲を積極的に各々自らの番組で使用し放送することで、彼らの番組は質の高い音楽番組となった、またレコード会社側も、原告の加工がほどこされた曲を販売することは、効率良く高い利潤をあげることのできる、収益性の極めて高いものであった。

エフエム音楽雑誌である『FM STATION』(発行人 (株)ダイヤモンド社)、『F FUN』(発行所 (株)共同通信社)も、原告の加工した曲を、積極的かつ大々的に「今の注目CD」や「今月のアーティスト」といった形で取り上げる事により、音楽情報誌とて情報に正確さが加わり、質の良い雑誌作りを行うことがなされた、原告の加工をなしたが、このように大々的に取り上げられた事から、少なくとも前述の音楽雑誌の発行人であ両者は悪意の受益者である。

ラジオ広告も、原告から認められたいが為に、芸術かぶれのラジオコマーシャル(ラジオMと以下略す)を積極的に制作し、原告に聴かせて原告の注意を引きつけようとしたり、告の正常生活等に接触するラジオCMを放送し、原告の気をひこうとした.

これは、横浜エフエムや首都エフオム放送四局及びテレビ神奈川や首都圏テレビ放送各局番組を、「原告が調査・加工をなし視聴する」という基準でつなぎあわせたものが、マスミの有力者や音楽界、クリエイティヴ産業界の被告側に関連のある者たちの有力者多数にかれていたためでもある.と同時に、純粋にラジオ広告制作者らが、原告とラジオCMをじてコミュニケーションをしたかったという面もあった。

CM制作会社は、原告のプライバシーに接触する事項等を折り込んだラジオCMを制作し故意に原告の怒りを買う様にそれを放送し、その直後に「広告に関する苦情はジロま」というラジオCMを流し、原告を挑発する様な事が何度かあった.よって、横浜エフエム、首都圏エフエム放送四局のCM制作会社は悪意の受益者である.

補足となるが、テレビ神奈川、首都圏テレビ放送各局のCM制作会社も、同様の事実から意の受益者であった。テレビ神奈川、首都圏テレビ、各局の場合

被告らは、原告の流行を半歩先をいく様な、原告個人の特殊な先見性を利用した、この、「原告の流行の半歩先を行く先見性」というものは、音楽でまず実証されたものである.例えば、原告が「この曲は売れないだろう」という旨の発言(ただし、原告の表情その他の暗黙の発言に類するもの含むとする)をすれば、レコード会社が積極的に広告活動を行ったり、レコード店に目立つ様に並べても、その曲は売れない結果に終わってしまい.そうした事が積み重なった事実のことである.逆の場合、すなわち、原告が「この曲は、売れるだろう」という旨の発言をした場合も、原告の情報通りの結果を、一般消費者が示す傾向があった.

テレビ番組等においても、原告の半歩先を行く先見性があてはまった.テレビ番組そのもの、テレビCMそのものも、原告の興味を引く事ができたり、原告の良い意味の評価が得られるものは、現在もしくはごく近い将来に一般人の関心や注意を引く事ができ、一般視聴率が高くなる傾向があった.また、原告がそうした番組やCMにあきてきたら、その時も同様に現在もしくはごく近い将来に一般視聴者もあきてくるという傾向があった.

この原告の類を見ない特性を、被告らは利用し、利潤追求のための手段の一つとして使用した。もっとも、流行に対して敏感なこうした「先見性」というものは、各々のテレビ局等のプロデューサーにとっては一般的に必要とされる資質の一つであるが、原告は若いこともあり、音楽や文芸で優れた感覚や才能を持ち合わせていたことから、被告らに利用されることとなってしまった.

「原告が調査、加工をなし視聴する」という基準でつなぎ合わせたものは、原告のチャンネル操作・選択という行為と被告ら番組制作者側の事前の準備行為等があいまって、結果として原告のその時その時の感情や考え等を象徴した表現物であり、作品としての側面も合わせ持っていた.そうした作品を被告ら側が視聴したいというニーズと、特異な魅力ある原告のパーソナリティが象徴的であるにせよないにせよ表現されているという事実とによって、各関連業界人の視聴率が高かった.

どのチャンネルの番組も何らかの形で原告の情報を折り込んでいたのだが、それらの中でも原告は、特に原告に関連性の深い内容を折り込んだチャンネルを選択する傾向が(目的が調査であったため)あった.よって原告が選択するチャンネルを分折すれば、原告が今おおそどの様な事を考えているのか推察することが容易にできた。

また、テレビ神奈川、首都圏テレビ放送各局は、各チャンネルで、原告が次に考えるだろう場面を象徴するいくつかの異った場面を分散して同時刻に流した。そして、原告が選択したり故意に選択しなかったりした番組の内容や場面の特徴を、原告の表情、その後の発言や行動等を合わせて複合的に分折する事によって原告の考えているだろう事や今後の流行の動向等を推察する事を行った。

原告や原告の調査、視聴する番組を観察して推測する事で被告らは次の様な情報を得ていた。

一 どの番組、あるいは出演者が、現在もしくはごく近いうちに人気を得るのかという事とその逆。

二 番組の中で、どの部分、どの出演者、どの話題、どの様なコメント、どの髮型が良いのかという事とその逆。

三 各々の出演者について、どの髮型、化粧、撮影する角度、服装等が良いのかという事とその逆

四 一般的にみた流行、例えば現在もしくはごく近い将来の流行の音楽、顏型、服装、売れ筋の商品等は何かという事などとその逆.

原告から得られる直接的、間接的な情報は、CM出演者の選定、番組出演者の選定の材料の一つとして使され、高い効果を挙げていた。また、キャッチコピーの文言などを創作するヒントやアイデアとしても利用され、高い効果を挙げていた。こうした原告からの直接的、あるいは間接的な情報は、雑誌や週刊誌の表紙の宣伝文言や、主題として扱う人物の選定をなす際の材料としても利用された。また、創作活動に携わる人々にも、創作活動のヒントやアイデアなどの台材として利用された.

五 コンピューターグラフクスを使用した映像や、コンピューターを使用して制作する音楽(CD等も含む)双方向通信などの新技術の研究において、良きアドバイザ、助言者、被験者として、それらの研究、開発に原告は、被告ら及び被告らの関連業界の者に利用された。

六 どのCMが注目されるのかという事とその逆

七 画面のどの部分に注目、もしくは視線が集まるのかという事

原告を特殊なメディア環境におくことによって、こうした特殊を環境におかれた人間の、心理学や医学等の分野での研究データを被告らは得て、収集していた。

また、原告の脳波も測定し、原告の感情等をさぐった.この脳波の件は、被告らの特殊な放送の中で、「原告が良質の音楽加工をする時や、している時は、(原告の)アルファア波が出る」という趣旨の番組が流された事や、被告らが原告の私生活を折り込んだ放送をなして、そして原告がそれに対して特に怒りを覚えた時、原告が無言であったのにもかかわらず、おお、すごい、すごい(怒っている)」という趣旨の番組を流し、原告がからかわれた事ほどを踏まえたものである。

事件調査過程において、原告が加工等をなすときに目立った物理的現象について

原告が、被告らの放送物に加工をなすときに、次の様な特異な物理的現象があった。

一 一九九三年の六、七月頃以降から、原告が加工してできる音楽や曲の音質は、コンピュウターによって制作される音質と同等のものであった事.

二 「ボッ」という、何ものかを磁気テープ等に録音する際及び録音を止める際に発生する音と同等もしくは極似した音が、原告が横浜エフエム、首都圏エフエム放送四局のラジオチャンネルに切り換え、原告が加工となそうとするその時に、発生した事。

また、そうした「ボッ」という音によって、原告がラジオのチャンネルを切り換えた直後からしばらくの間において被告らのエフエムラジオ放送番組がとぎれとぎれになったこと.この物理現象は、過去から現在に至るまでをふりかえると。原告が音楽加工をなす様になってから以後、数十回と起こった.なお、原告がエフエム放送の番組のチャンネルを切り換えた直後からしばらくの間に発生する「ボッ」という音は、三回程度発生することが多かった。

三 テレビ放送の番組については、原告が様々のチャンネルを組み合わせるなどして、それら一連のものにテーマ性やストーリー性を象徴的に付与した後に、原告がテレビのスイッチを切った直後に前述「二」で述べたのと同様の「ボッ」という音がテレビにおいて一回発生する事が幾度かあった事.

四 「STR-U550」の機器で、原告が六十二チャンネルにしている時に、十二チャンネルの放送が受信された事.

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