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横浜地方裁判所 平成3年(ワ)2722号 判決 1993年8月26日

原告

上田博明

被告

小口忠臣

主文

一  被告は、原告に対し、七二五万八三四五円及びこれに対する昭和六三年二月二三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを五分し、その二を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

四  この判決の主文一は、仮に執行することができる。

事実

一  当事者の求めた裁判

1  原告

(一)  被告は、原告に対し、二五三一万四八二五円及びこれに対する昭和六三年二月二三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

(二)  訴訟費用は被告の負担とする。

(三)  仮執行宣言

2  被告

(一)  原告の請求を棄却する。

(二)  訴訟費用は原告の負担とする。

二  当事者の主張

1  請求原因

(一)  交通事故の発生(以下「本件事故」という。)

(1) 日時 昭和六三年二月二三日午前一一時五〇分ころ

(2) 場所 山梨県大月市笹子町大字黒野田字向一六八〇番二先中央自動車道上り線(以下「本件事故現場」という。)

(3) 加害車 普通乗用自動車(熊谷五六ま九一五)

(4) 右運転者 被告

(5) 被害車 普通乗用自動車(横浜三三つ四三五三)

(6) 右運転者 原告

(7) 事故の態様 被害車が中央自動車道上り線追越し車線を勝沼インターから大月インターに向かつて走行中、本件事故現場で、同じ道路の上り線を走行していた加害車が被害車の側面に衝突

(二)  責任原因

本件事故は被告の過失によるもので、原告に過失はない。すなわち、被告は加害車を運転して本件事故現場に至る少し前まで右道路走行車線を走行させていたところ、右側追越し車線には被害車がほぼ並行して走行していたのであるから、加害車をいきなり追越し車線に進入させれば被害車に側面衝突することが容易に予想できたにもかかわらず、右方向の安全確認を怠つたまま、前方の軽四輪貨物自動車を追い越そうと考えて加速し、漫然と加害車を追越し車線に進入させた過失により加害車を被害車の側面に衝突させたものである。したがつて、被告は、民法七〇九条に基づき、原告が本件事故によつて被つた損害を賠償すべき義務を負う。

(三)  損害

(1) 原告の受傷・加療及び後遺症

<1> 原告は、本件事故により頸椎捻挫(上肢不全麻痺)・背部挫傷の傷害を負い、その加療のため次のとおり通院した。

ⅰ 昭和六三年三月一日、峰岡クリニツク

ⅱ 同年同月九日から平成元年七月四日まで、三宅整形外科(実治療日数三〇五日)

<2> 原告には、頭痛・頸背部痛等のほか、頸椎部の運動制限が残り(三宅孝彌医師作成の平成二年一月二三日付け「自動車損害賠償責任保険後遺障害診断書」(以下「本件後遺障害診断書」という。)によれば、前屈自動五〇度・他動五〇度〔以下、同様に自動・他動の順で数値を記す。〕、後屈四四・五四、右屈一九・四五、左屈三一・五〇、右回旋三七・六〇、左回旋五五・七五、の機能障害がある。)、レントゲン写真によると、第四・五頸椎間腔に狭窄がある(右主張の障害を、以下「本件後遺症」ないし「本件後遺障害」という。)。これは、少なくとも、自動車損害賠償保障法施行令別表(以下「施行令別表」という。)の第一二級第一二号(局部に頑固な神経症状を残すもの)所定の後遺傷害に当たる。

(2) 治療費 三一七万八九七〇円

(3) 休業損害 七七三万二八〇〇円

原告は、本件事故当時、訴外大成鉱業株式会社(以下「大成鉱業」という。)の専務取締役であり、事故前三か月の間に、同社から一四五万円の報酬(昭和六二年一二月・五五万円、昭和六三年一月・五〇万円、同年二月・四〇万円)を得ていたから、一か月当たりの休業損害は四八万三三〇〇円(一〇〇円未満切捨て)である。したがつて、原告は、治療継続中の昭和六三年三月一日から平成元年七月四日まで一六か月間で合計七七三万二八〇〇円の休業損害を被つたことになる。

(4) 慰藉料 一〇〇〇万円

原告は、被告の一方的な過失に基づいて発生した本件事故により傷害を負い、前記のように峰岡クリニツク及び三宅整形外科に昭和六三年三月一日から平成元年七月四日まで約一六か月間通院し、しかも後遺症として第一二級に該当する障害を残した。これに加えて、次の事情等を考慮すると、その精神的苦痛に対する慰藉料は一〇〇〇万円を下らないというべきである。

<1> 事業中止を余儀なくされたことにより多額の経済的損失を被つたこと

原告が専務取締役をしていた大成鉱業は、砕石・砂利・砂の採取及び販売等を目的とする会社であり、本件事故当時、山梨県東山梨郡大和村日影における山砂採取事業(以下「本件事業」という。)を計画してそのための営業活動を行つていた。

当時大成鉱業で働いていたのは、原告のほか、訴外上田勇(社長。以下「上田」という。)と現地在住の従業員二名であつたが、原告が本件事故に遭い、身体の痛みのため現地まで自動車を運転して通うことができなくなつたため、老齢の上田や現地従業員だけでは事業を進めることができなくなつた。

本件事業は、成功が確実であつたのであり、本件事故さえなければそれは順調に軌道に乗り、原告は、月々の報酬のほか、創業者として種々の有形無形の経済的利益を十二分に受けられたはずであつた。原告は右事業のために昭和六二年九月一日から昭和六三年七月二七日までの間に合計一五〇〇万円を大成鉱業の事業資金として支出してもいたのである。

原告は、右による損害についてはあえて逸失利益として請求することは控えるが、このような事情は慰藉料の算定に当たり重要な事情として斟酌されてしかるべきである。

<2> 被告の不誠実な態度

本件事故は被告が一〇〇キロメートルを超える高速度で運転中の加害車が被害車に側面衝突した事故であるにもかかわらず、被告が保険契約をしていた損害保険会社(以下「保険会社」という。)は、非常識にも原告の受傷後三か月で治療費と休業損害の支払を打ち切つた。同会社は、それ以降の治療を詐病によるものと決めつけているが、ようやく軌道に乗りかけた山砂採取事業が中止となることは原告らにとつて重大問題であり、原告が病気を装つて治療を続なければならない動機は何もない。また、原告の後遺症については、平成二年六月、その等級事前認定手続において「非該当」とされたが、原告としては納得がいかない。

これらは、本件事故が一旦物損事故として扱われたことを重視したためであるかもしれない。しかし、一旦物損事故として扱われたのは、事故直後、被告が土下座をして「誠意は尽くすから、おおごとにしないでくれ」と哀願したのに原告が同情し、被告が誠意をもつて事後処理をしてくれるものと信じて、その申出に従つたからである。

本件事故の態様及び事故直後の経過を少しでも調べれば、原告の傷害が三か月で治癒するものでないことは明らかであるし、被告が保険会社に誤つた情報を与え、自らとつた態度を忘れているのは背信的である。

前記三宅医師は、治療費の支払を保険会社より打ち切られたため、未回収の医療費二七五万三四五〇円を原告に請求している。被告と保険会社の、手のひらを返すような冷酷な態度のため、原告は正当な治療も十分に受けられず、今日まで苦しんできたのである。

(5) 逸失利益 三五一万五二三〇円

原告は本件後遺症のため得べかりし利益を失つた。本件事故前の一か月当たりの収入は前記のように四八万三三〇〇円であるから、得べかりし年収は五七九万九六〇〇円となる。本件後遺症による労働能力喪失割合は一四パーセント、右の労働能力の喪失期間(後遺症の存続期間)は五年とするのが相当である。五年のライプニツツ係数は四・三二九四である。そうすると、原告の本件後遺症による逸失利益は三五一万五二三〇円となる。

(6) 損害のてん補 一四一万二一七五円

本件事故による損害について原告は次の支払を受けた。

<1> 昭和六三年三月三日 三万円(被告より)

<2> 同年 三月一四日 一〇万円(同右)

<3> 同年 四月四日 三〇万円(保険会社より、休業損害として)

<4> 同年 五月二〇日 三八万二一七五円(保険会社より三宅整形外科へ)

<5> 同年一二月一九日 三〇万円(保険会社より休業損害として)

<6> 平成元年 二月一四日 三〇万円(保険会社より休業損害として)

(7) 弁護士費用 二三〇万円

以上により、原告の支払を受けていない損害の額は二三〇一万四八二五円であるところ、原告は本件訴訟の提起・遂行を原告訴訟代理人に委任し、その費用・報酬として損害額の一〇パーセントを支払う約束をしているから、弁護士費用は二三〇万円となる。

(四)  よつて、原告は、被告に対し、本件事故に基づく損害賠償として、二五三一万四八二五円及びこれに対する本件事故発生日である昭和六三年二月二三日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

2  請求原因に対する答弁

(一)  請求原因(一)(二)は認める。

(三)  同(三)について

(1) (1)は、原告が本件事故により頸椎捻挫の傷害を負つたこと、峰岡クリニツク及び三宅整形外科に通院したことは認めるが、受傷後三か月を超える治療期間については因果関係を争い、後遺症の存在は否認する。

(2) (2)は、額を争う。

(3) (3)は、単価及び期間を争う。

(4) (4)は、全体として、争う。なお、<1>は不知、<2>は、保険会社が受傷後三か月以降の治療費と休業損害を支払つていないことと、原告が後遺障害の等級事前認定において「非該当」となつたこと、は認め、その余は否認ないし不知。

(5) (5)は、否認する。

(6) (6)は、認める。

(7) (7)は、因果関係を争う。

3  被告の主張

(一)  治療期間について

原告の負つた頸椎捻挫については、外傷による異常所見はなく、レントゲン上にみられる第四・五頸椎間腔の狭窄は加齢現象によるもので、本件事故と因果関係はない。したがつて、原告は長期治療の必要を主張するが、整形外科医学界では、他覚的所見のない頸椎捻挫は通常三か月程度で治癒ないし症状固定になるというのが支配的見解であるところから、原告の負つた頸椎捻挫は、本件事故日から三か月を経過した昭和六三年五月末日までには治癒ないし症状固定になつたものと判断され、それ以降の治療と本件事故との間に相当因果関係はないと考えられる。

仮に、原告主張のとおり平成元年七月四日までの治療と本件事故との因果関係が認められるとしても、その治療費の算定については次のような事情が考慮されなければならない。すなわち、「複雑かつ長時間を要する運動療法」とは、機械・器具を用いた機能訓練、水中機能訓練、温熱療法、マツサージ等を組み合わせ、総合的に個々の症例に応じて、一人につき四〇分以上の運動機能回復訓練を行うものであり、その実施に当たつては、徒手筋力検査基準の定期的な運動機能検査をもとに運動療法実施計画を作成する必要がある。ところで、診療報酬請求における点数の算定については、運動療法と消炎・鎮痛を目的とする理学療法(マツサージ等の手技による療法及び電気療法、赤外線治療等の器具等による療法)を併せて行つた場合は、運動療法の所定点数のみによつて算定されることとなる。したがつて、本件においても、電気療法(温熱、極超短波、ラウス)については別に算定することはできず、別紙のとおり、右電気療法の点数計四万一一三〇点に一点単価二五円を乗じた一〇二万八二五〇円が減額対象となるべきである。

(二)  休業損害について

原告は、休業損害の単価として一か月四八万三三〇〇円を主張するが、大成鉱業の賃金台帳によれば、原告の役付手当を除く労務対価部分は月額三五万円であるから、単価を一か月三五万円として計算すべきである。休業期間については、昭和六三年五月末日までと考えるべきである。

4  被告の主張に対する原告の答弁・反論

(一)  被告の主張(一)について

否認ないし争う。

第四・五頸椎間腔の狭窄は本件事故によるものである。本件事故は時速一〇〇キロメートルを超える高速度で走行中の加害車が、時速九〇キロメートルで走行中の被害車に側面衝突した事案であり、衝突の程度等からみて、原告が負つた頸椎捻挫の治療に約一六か月間の通院治療を要し、さらに原告に後遺症として第一二級に該当する障害が残つたことは明らかである。

被告主張の算定基準は保険診療についてのものであつて、治療が自由診療によつて行われた場合には当てはまらない。保険診療における点数基準は、自由診療の場合における診療報酬についてはあくまでも参考資料にすぎない。さらに、保険診療の場合にあつても、改正前は運動療法と消炎・鎮痛を目的とする理学療法の点数は別個独立に算定されていたのであり、現に労災保険では、消炎・鎮痛処置は三か所まで独立に点数が認められている。なお、前記三宅医師は、治療継続中、保険会社に毎月診療報酬明細書を送付しており、その算定方法については保険会社から何らの異議もなかつた。治療費については減額されるべきではない。

(二)  同(二)について

すべて否認ないし争う。

次のとおり、原告主張の四八万三三〇〇円は実質的にみて全額が労務の対価であるから同金額をもつて休業損害算定の基準とすべきである。すなわち、本件事故当時、大成鉱業は、原告が出資した多額の事業資金を元手にようやく山砂採取・販売を行える寸前だつたのであり、その時点までに配当可能利益というものはおよそあり得なかつた。また、原告が本件事故に遭つたため事業を進めることができなくなつたことからも明らかなように、原告は、大成鉱業の業務のほとんどすべてを一手に担つていたのであり、一か月四八万三三〇〇円という金額は、原告が提供していた労務の対価としてはむしろ低すぎるくらいであつた。なお、大成鉱業が役員兼従業員に給与の一部を形式上役付手当として支給していたのは、その者に会社経営者としての自覚をもたせるとともに、一人一人が努力して将来会社に利益が出れば応分の還元にあずかれるのだということで、仕事にやる気を与えるための方策にすぎず、その実質はあくまでも労務提供の対価であつた。

三  証拠関係

記録中の書証目録・証人等目録のとおりである。

理由

一  請求原因(一)(本件事故の発生)及び(二)(責任原因)は当事者間に争いがない。したがつて、被告は、民法七〇九条に基づき、原告が本件事故によつて被つた損害を賠償すべき義務がある。

二  損害

1  事実関係

(一)  受傷の程度とこれに対する治療及び後遺症について

成立に争いのない甲第二号証の六ないし八、第三号証の一ないし一七、第四号証の一ないし一五、第七ないし第九号証、乙第一号証の一ないし三、第二ないし第一九号証の各一・二、第二二ないし第二四号証の各一ないし四、第二五号証、原告本人尋問の結果により成立を認める甲第二二号証、弁論の全趣旨により成立を認める乙第二七号証の一ないし三、証人三宅孝彌の証言、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すると、次の事実を認めることができる。

(1) 原告は、本件事故によつて頸椎捻挫(上肢不全麻痺)の傷害を負い、その加療もしくはそれを契機とする治療のため、昭和六三年三月一日、峰岡クリニツクで診療を受けたほか、同月九日から平成元年七月四日までの間、週に四、五回、ほとんど毎日のように三宅整形外科に通院して三宅孝彌医師による診療を受けた。同外科における実治療日数は合計三〇五日である。右の間の診療内容は、昭和六三年三月九日の初診時における頸椎のレントゲン検査、平成元年三月一三日の頸椎レントゲン検査及び頸椎可動域検査のほかは、鎮痛抗炎剤・自律神経賦活剤等の概ね同一の内服剤及び湿布剤の投与、理学療法としての運動療法(複雑かつ長時間を要するもの)、頸部・背部に対する電気療法、温熱療法、極超短波治療等であり、右医師作成の診療開始から終了に至るまでの毎月の診断書には、いずれも「病名」を「頸椎捻挫」(上肢不全麻痺)背部挫傷」とし、「治療経過及び治療の見通し」ないし「態様」としては、「頭痛(頭重感)、頚~背部痛、上肢のシビレ感及び運動制限等の症状あり。運動療法、電気療法、投薬、湿布処置等の加療にても症状が依然として継続す」(昭和六三年三月)、「頭痛(頭重感)、頚~背部痛、上肢のシビレ感及び運動制限等の症状が運動、電気療法、投薬、湿布処置等の加療にても依然として継続す。特に頭痛は著明である。」(同年五月)、「頭痛(頭重感)、頚部痛・背部痛、上肢のシビレ感及び運動制限等の症状あり。理学療法、湿布処置、投薬等の加療にても依然として継続す。特に頭痛は著明に継続す。」(同年八月)、「頭痛(頭重感)、頚~背部痛、上肢のシビレ感及び運動制限等の症状が加療にても依然として継続す。特に頭痛が著明である。」(平成元年四月)、「頭痛(頭重感)、頚~背部痛、上肢のシビレ感及び運動制限等の症状が加療にても依然として継続す。」(同年七月)といつた同旨の事由が繰り返し、記載されている。そして、本件事故に起因する現在までの原告の治療費は、原告主張の三一七万八九七〇円を下らない。

(2) 平成元年三月一三日の前記頸椎可動域検査の結果による頸部運動制限は、前屈后動五〇度・他動五〇度(以下、同様に自動、他動の順で数値を記す。)、後屈四四・五四、右側屈一九・三九、左側屈三一・三二、右回旋三七・五〇、左回旋三八・五三、などというものであつた。なお、右の検査が行われるに至つたのは次のような事情によるものである。すなわち、三宅整形外科に対する原告の治療費については、初診日の昭和六三年三月九日の分は原告が支払つたが、その後は被告の保険契約に係る保険会社に三宅医師から毎月診療報酬明細書を送付して同会社から直接同医師に支払われる方法が採られることとされたところ、同会社は同年四月診療分までは支払つたものの、それ以降の分は打ち切ることとして支払わなかつた。三宅医師は、これを認識しないまま原告に対する診療行為を続けていたが、平成元年三月、確定申告のための準備作業中に昭和六三年五月分以降の治療費が支払われていないことに気づき、保険会社側と連絡をとるとともに、「何かあつたらいろいろと、面倒なことになると困るからちやんと文書に残そうと思つて計測したりいろんな話を聞きました」(証人三宅の証言)ということで、同月一三日、前記の頸椎可動域検査を実施するなどした。

(3) 三宅医師の原告に対する継続的診療は、原告が来院しなくなつたため、前記のように平成元年七月四日が最後であつたが、同医師は、原告の求めにより、平成二年一月一九日、原告を診察し、同月二三日付けで本件後遺障害診断書を作成した。その記載内容の主な点は、次のとおりである。

傷病名:頸椎捻挫(上肢不全麻痺)背部挫傷

既存障害:今回事故以前の精神・身体障害なし

自覚症状:頭痛(頭重感)、頸・背部痛(運動にて憎悪)、上肢のシビレ感(特に両側手掌部)

後遺障害の内容

<1>頸椎部運動制限

<省略>

<2>レントゲン

第四・五頸椎間腔の狭窄

症状固定日:平成元年七月四日

障害内容の憎悪・緩解の見通し…ほとんどない

(4) 原告は、本件後遺障害診断書に依拠して後遺障害等級事前認定を申請したが、平成二年四月、「非該当」の認定がなされた。同認定に係る「後遺障害認定調査書」によると、顧問医の意見は、「レントゲン写真上、外傷性変化なし(外傷による異常所見なし)。第四・五頸椎間腔の狭窄は加齢現象である」旨のものであつた。

(5) 三宅医師は、平成四年六月一二日付け意見書において、本件後遺障害診断書記載の「頸椎部運動制限」及び「第四・五頸椎間腔の狭窄」については、本件事故によつて発生したか、もしくは増悪したと思われると述べている。また、その証言中には次のような供述がある。

<1> 整形医学界の中では、頸椎捻挫というのは、三か月、最長でも六か月程度に至ると九〇パーセントほど治癒するとの見解があるが、それについてどのように考えるかということであるが、それはケースバイケースであり、統計的なことだけでは判断しない。

<2> 原告について三か月を超える治療を必要としたのは、それなりの自覚症状と、運動制限等の他覚症状があり、加療によつて改善がみられらからである、症状の改善というのは一時的な症状の軽減ということもあるが、そのほかに長い目でみれば次第に良くなつてきているということである。

<3> 運動制限については、平成元年三月一三日と平成二年一月一九日の各検査結果を比べると、全体的に自動運動も他動運動も改善されて左右差も大分なくなつたと思われる。これは治療効果が出たからだと思う。

<4> 第四・五頸椎間腔の狭窄については、昭和六三年三月九日(一回目)、平成元年三月一三日(二回目)、平成二年一月一九日(三回目)の各レントゲン写真によつて各当時の狭窄の程度を比較すると、二回目当時は一回目当時に比べて少し改善されたのではないかと思う。これは治療効果が出たのではないかと思う。三回目当時は一回目当時と同じ程度であり、二回目当時より増加したように思われる。これは治療が必要であつたのに中止したためではないかと思う。

<5> 椎間腔の狭窄の原因として考えられるものには、外傷のほかに年齢的なこともある。第四・五頸椎間腔は、原告の「頭痛、頸・背部痛、上肢体のしびれ」いつた自覚症状及び運動制限と、それがすべてではないが、関係があると思う。

(6) 一方、本件訴訟係属後、平成五年二月一日、被告訴訟代理人から、本件事故の概要を示され、かつ原告に対する治療実績について本件で取り調べられた証人三宅孝彌の証言を含む全証拠を提供されて、三宅医師の診断内容等に関する鑑定を依頼された乾道夫医師(前東京都監察医務院副院長、順天堂大学医学部講師、江東病院臨床病理科医長)は、平成五年三月一五日付け意見書で、頸椎捻挫などについての幾つかの見解を紹介したうえ、原告の傷病ないし症状等について、次のような趣旨を述べている。

<1> 本件事故により原告の頸部に何らかの外力が作用したことは否めない。受傷直後からの症状は、頸部痛ないし項部痛、頭痛、あるいは手指のしびれ感、背部痛などとされている。このような原告の病状は、年余に及ぶ治療にもかかわらず、いささかも改善されず、むしろ難治性、かつ遷延性に経過しており、このような病態推移の背景には既往症や心因性要因の関与が強く示唆される。

<2> そこで、原告の頸椎レントゲン検査フィルム像を見ると、頸椎第四・五・六の各椎間腔の狭小化と、第七頸椎・第一胸椎々間腔前面の骨棘様骨増生が見られる。これは既往症としての頸部脊椎症を強く疑わせる所見である。なお、頸部脊椎症とは、頸椎の老化、退行変性に基づき中年以降に発症する病変であり、椎間板の変性と椎体及び椎間関節に反応性骨増殖(骨棘形成)を生じ、そのため、神経根圧迫(神経根症)、脊髄圧迫(脊髄症)及び両者の合併(脊髄神経根症)による症状を生ずる比較的頻度の高い疾患とされている。病理学的には、頸椎第五・六、次いで第六、七、第四・五間を中心とした下位三頸椎に生ずることが多く、椎間板変性の進行とともに椎間腔の狭小化を生じ、椎体辺緑部に骨棘を生じる。その臨床的症状としては、ア 頸部痛と頸椎運動制限、(さらに病態の進行に伴つて)、イ 神経根症の症状―上肢のしびれ感、知覚鈍麻、異常知覚、後頭部痛、肩胛部痛、上肢の脱力感、筋萎縮等、ウ脊髄症の症状、などが特徴的症状ないし所見とされている。

<3> そして、頸部関椎症による病態は突如として惹起されるのではなく、その症状、すなわち、肩の凝り、手などのしびれ感、項部の張る感じや項部痛、頭重感や頭痛などは潜在的に存したのであり、本件事故が契機となつてこれらの症状が自覚的、顕在的にクローズアツプされたとしても、ヒト心理の背景を考えれば何の不思議もない。

<4> なお、「背部挫傷」の傷病名は原告による背部痛の訴えによつてつけられた傷病名を考えられるところ、「挫傷」とは、皮膚面には損傷が見られないか、あつても軽度の表皮剥脱を伴つている程度のものであり、しかも、原告の診療録には、皮膚の挫傷に一般に認められる、局所の発赤、腫脹及び疼痛などの症状の記録はないから、仮に原告が背部に挫傷を受けたとしても、三週間程度の局所治療で完治したものと考えられる。

<5> 結局、ア 原告に発症したとされる頸椎捻挫及び背部挫傷の傷病は、いずれも二、三週間程度の通院治療でその病態は改善されるものである、イ 病態の難治性・遷延性に経過した原因は既往症の介在が示唆される、ウ 本件事故によるとされる後遺障害は認められない。

<6> 三宅整形外科においては原告に対して一年四か月余にわたり診療を行つているが、その間診療内容は、長期連用による薬剤の副作用も考慮せず、同一内服剤の連続投与、各種理学療法の漫然とした継続施行が主である。しかも、これらの長期間の治療にもかかわらず、診療録には月一回程度、かつ多くは不特定日時の病状の記載のみであり、むしろ請求医療費の記録が目立つている。また、施行した頸椎レントゲン検査所見の記録やその他の多覚的検査(例えば、ジヤクソンテストやスパーリングテスト、あるいは筋力テストや知覚障害検査など神経学的検査)などを施行した記録は全く認められず、唯一、頸椎可動域検査(平成元年三月一三日付け)の記録を見るにすぎない。なお、この検査値に異常を認めたとしても、ただ一回の検査では病態経過の対比の意味をなさない。また、このように長期に難治性、遷延性に経過する病態に対しては、頸部脊椎症や頸椎椎間板ヘルニアとの鑑別診断を必要とするのはいうまでもなく、そのためには脊髄造影や椎間板造影、あるいは頸椎コンピユータ断層検査や磁気共鳴画像検査等を施行すべきであるが、これらの諸検査の施行された記録は認められない。すなわち、当該医療行為は、極めて漫然かつ杜撰との謗りは免れない。

(二)  収入等について

成立に争いのない甲第一〇ないし第一二号証、第一五証の一ないし四、第一九、二〇号証、乙第二〇号証、第二一号証の一・二、前掲甲第二二号証、原告本人尋問の結果により成立を認める甲第一三号証、第一六号証の一ないし二一、第一七号証の一ないし一三、第一八号証、第二一号証、弁論の全趣旨により成立を認める甲第一四号証、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すると、次の事実を認めることができる。

(1) 原告は、本件事故当時、大成鉱業の専務取締役をしていた。大成鉱業は、昭和五九年一月一二日、鉱山の開発、鉱物の採掘・選鉱・販売・砕石・砂利、砂の採取及び販売等を目的とし、資本金一〇〇〇万円で成立した株式会社であるが、本件事故当時は、専ら、山梨県東山梨郡大和村日影における山砂採取事業(本件事業)を行うための準備活動をしていた。すなわち、同所での山砂採取事業は、当初、訴外山本産業株式会社が手を着けたが資金不足で倒産し、次いで訴外有限会社扶桑がこれを引き継いだが、同社も資金不足のため、現場にプラント設備を放置した状態で倒産した。大成鉱業はこれを引き継ぐこととなり、昭和六二年九月一六日、それまで本店を置いていた栃木県足利市本城から採取現場である前記大和村日影に本店を移転し、同年一〇月ころには、付近地主十数名との間で、畑、山林、雑種地などの土地合計約一万八四〇〇平方メートル(畑約一万二〇〇〇平方メートル、山林約五八〇〇平方メートル、雑種地約六〇〇平方メートル)について地表の山砂採取を目的とする賃貸借契約を結ぶなどした。本件事故当時は、山砂の生産販売開始後における買受け予定者確保のための活動のほか、前記プラント設備の買取りや重機をリースするための費用など事業資金調達の途を探つていた。なお、会社としての事業活動による収入は未だ何もなく、格別の自己資金を有していたわけでもないため、人件費等の経費は、専ら上田から随時借り入れられた金員で賄われていた。

(2) 本件事故当時、大成鉱業の役員ないし従業員として、実際に仕事に当たつていた者としては、原告のほかに、代表取締役社長の上田(原告の叔父であり、原告は昭和二六年同人夫婦の養子となつたが、その後上田が他に実子をもうけたことなどから、協議離縁となつた。もつとも、離縁後も上田と原告とは事実上親子同様の関係にあつた。)と現地従業員二名の三名がいたが、前記準備活動の中心となつて采配をふるい、事実上一人でこれを切り回していたのは原告であつた。

(3) 大成鉱業は、本件事故後もしばらくの間は、それまでと同様、上田から必要経費を借り入れて活動を続けたが、昭和六三年八月一六日をもつてその事業活動を停止し(なお、その時点における同社の資金残額は一五四〇円であつた。)、本件事業計画も実現されずに終わつた。

(4) 原告は、本件事故のあつた昭和六三年二月まで、大成鉱業から報酬を得ていたが、その後は取得していない。また、同社は前記のように昭和六三年八月一六日をもつて事業活動を停止し、そのまま現在に至つているところ、その間原告は他へ勤めるなどして収入を得ることはしていない。原告が事故前三か月間に同社から受領した報酬は、昭和六二年一二月・五五万円、昭和六三年一月・五〇万円、同年二月・四〇万円であり、月平均額は四八万三三〇〇円(一〇〇円未満切捨て)となる。

(三)  以上のとおり認めることができる。前掲甲第二二号証及び原告本人尋問の結果中右認定と抵触する部分は前掲その余の証拠に照らしてにわかに採用できず、他に右の認定を動かすに足りる証拠はない。また、後記2で触れる点を除いては、右認定の程度を超えて本件損害に関する認定・判断の基礎資料とすべき事実関係を認めることもできない。

原告は、「本件事業は成功が確実であつたのであり、本件事故さえなければ順調に軌道に乗り、原告は、月々の報酬のほか、創業者として種々の有形無形の経済的利益を十二分に受けられたはずであつた。原告は右事業のために昭和六二年九月一日から昭和六三年七月二七日までの間に合計一五〇〇万円を大成鉱業の事業資金として支出してもらいたいのである」と主張し、前掲甲第二二号証及び本人尋問の結果中には、これに沿う記載・供述がある。

しかし、まず、「成功が確実であつた」とする点についてみると、これを裏付けるに足りる客観的証拠は何もない。前掲甲第一三号証(「大和村日影山砂採取事業計画書」と題する書面。原告本人尋問の結果によると、昭和六二年前半に原告が作成したものと認められる。)には、開発に要する資金として二〇五二万円を計上したうえ、事業が現実化すれば、年間一億二九六〇万円の売上があり、五二三〇万円の総利益(これについては「税、金利等を含まず」としているが、その趣旨は明らかでない。)を上げることができるかのような記載があるが、本件全証拠によるも、右の資金の調達方法とそれが本当に出捐されたのかどうかすら全く明らかではないし、大成鉱業が専ら上田からの借金のみによつて運営されていたというほかないことを考えると、それは原告らの単なる希望的観測ないしはもくろみの類いにすぎなかつたというべきである。前掲甲第一七号証の一ないし一三(大成鉱業が山砂等の生産販売を始めた場合には、継続的に製品の取引をすることをや約束する旨の覚書)も、この認定を動かすものとはいえない。会社としての自己資金もなく、金融機関からの支援もないと窺われる大成鉱業が、以前手を着けた二社がいずれも資金不足で倒産している事業を成功裡に実現するなどということは、極めて現実性の乏しい話とみるのが相当である。

次いで、「原告が合計一五〇〇万円を大成鉱業の事業資金として支出していた」との点も、到底認めることができない。原告は、前記認定の大成鉱業の上田からの借入金をもつて、実体は原告の出捐に係るものといおうとしているようであるが、右借入金については、前掲甲第一八号証(大成鉱業の「金銭出納帳」と題する書面であり、原告自ら記帳したものと窺われる。)には、紛れもなく「社長(上田)により入金」と記載されている。原告は、前掲甲第二二号証及び本人尋問において、「上田は原告に相続権がないことを慮り、成功間違いない大成鉱業への貸付けという形式を利用することにより、原告に一五〇〇万円を遺産の前渡しの趣旨で贈つてくれたのである。これが、甲第一八号証の各借入金欄の摘要の記載が『原告より入金』ではなく、『社長より入金』となつている理由である」旨供述するが、これを頷かせるに足りる客観的・具体的証拠(例えば、上田の原告に対する贈与についての贈与税の申告書)は何も存しない。仮に原告の主張に沿う上田の供述があつたとしても、それだけでは右の客観的・具体的証拠とするに足りない。

2  判断

右1認定の事実関係に基づいて検討すると、次のとおりである。

(一)  治療費

本件事故を起因とする原告の治療費は原告主張の三一七万八九七〇円を下らないところ、その大部分を占める三宅整形外科における診療は、期間的・内容的に、必ずしも真摯な医療行為ばかりではなかつたとの疑いを払拭することはできず、この点からすると、右治療費の全部を本件事故と相当因果関係のある損害として被告の負担とすることには些か躊躇を覚えないではない。しかし、原告がその客観的原因はともかく、本件事故を契機とする各種の自覚症状のゆえに通院を続けたことは事実というべきであり、この点について原告に詐病による利得を図る意図があつたなどとは到底考えることができないから、少なくとも右治療費を本件事故による損害として請求し得ることの可否を論ずる場面においては、右の継続的通院をもつて原告を責めるのは酷である。また、三宅医師においても、なお自覚症状が続いているとして原告から治療を求められた以上、それに対応した何らかの診療行為を行つたのもやむを得ない面がないではなく、あえて不必要な治療に及んだとまでみることもできにくい。一方、いわゆる一括支払の合意のもとに毎月「自賠責診療報酬明細書」を送付されながら、事実上中途で支払を止めただけで、その後の診療に何らの異議も伝えなかつた保険会社はその本来あるべき責務を十分に果たしたとはいい難い。被告主張のように三宅整形外科における治療が必要性・合理性の範囲を超えた期間に及んでいると考えるのであれば、直ちにその旨を伝えるなどして爾後の治療費の支払を拒むことを明らかにすべきであつた。

以上のような事情を総合すると、原告主張の治療費については、損害の公平な分担についての信義則上、その全額である三一七万八九七〇円を本件事故と相当因果関係があるものとして被告の負担とするのが相当である。

なお、被告は、保険診療報酬に関する点数算定基準に依拠して、原告主張のとおり平成元年七月四日までの治療と本件事故との因果関係が認められるとしても、その治療費の算定については電気療法に係る一〇二万八二五〇円は減額されるべきである旨主張するが、原告に対する治療が保険診療によつて行われたものであることを認めるべき証拠はないうえ、前記のように原告の治療については保険会社に毎月「自賠責診療報酬明細書」が送付されて治療費の算定方法が明示されていたところ、それに対する何らの異議も伝えられていなかつたこと等を考えると、本件訴訟における損害額算定の場面で被告の右主張に沿う治療費算定方法を採用するのは相当とはいえない。

(二)  休業損害

原告は本件事故当時大成鉱業の専務取締役を務めて昭和六三年二月分まで同社から報酬を取得していたが、同年三月分以降は取得していない。これは原告が本件事故による受傷のため同社の専務取締役として事故前のように働くことができなかつたことによるものと推認される。事故がなければ、従来どおり働いて一定額の報酬を取得することができたであろうから、本件事故によつて原告に休業損害が生じたことは明らかである。

問題は、本件事故と相当因果関係のある原告の休業損害如何である。当裁判所は、昭和六三年三月から同年七月までの五か月間について、一か月当たり本件事故前三か月間の月平均報酬額四八万三三〇〇円の七〇パーセントである三三万八三一〇円をもつて相当と認める。したがつて、原告の休業損害は一六九万一五五〇円となる。

原告は、昭和六三年三月一日から平成元年七月四日までの一六か月間について一か月当たり右平均報酬額四八万三三〇〇円、合計七七三万二八〇〇円の休業損害が生じた旨主張する。同主張は、原告が本件事故のため右の期間中全く大成鉱業の仕事に従事できなかつたこと、そして本件事故がなければ原告は平成元年七月四日まで大成鉱業から事故前と同様の報酬が得られたはずであることを前提とするものと解される。しかし、大成鉱業は、昭和六三年八月一六日、僅か一五四〇円の資金を残して事業活動を停止し、事実上いわゆる休眠状態となつて今日に至つているのであるから、右停止後の同社に対する関係ではおよそ原告の休業損害はあり得ない(なお、本件事故と右の停止との関係については慰藉料の項で述べるとおりである。)。そして、大成鉱業は昭和六三年七月分までは従業員に給与を支払つたが、同年八月分は全く支払つていない(前掲甲第一八号証によつて認める。)から、原告が同社から報酬を得られたかもしれないのは昭和六三年七月分までといわなければならない。また、原告の受傷の程度・内容と当時の大成鉱業における原告の仕事に照らすならば、原告がほとんど毎日のように通院していたことを斟酌しても、原告が同社の仕事を全くできなかつたとは思えないし、前掲甲第一八号証によると原告は現に前記の活動停止に至るまで同社の活動に関与していたことが窺われる。しかも、同社における原告の地位・立場に鑑みると、原告が昭和六三年三月分以降の報酬を取得していないのは、原告が事故前のようには仕事に専念できなかつたことを慮り、自らの意思でこれを取得しなかつただけのことともみられる。さらには、大成鉱業の活動停止以降平成元年七月四日まで、原告が全く働けないほどの病状にあつたとはいい難いところ、原告が他に収入を得る方途を探すなどの努力をした形跡は全くない。以上のような事情を総合勘案すると、原告の休業損害については前記認定の限度で認めるのが相当というべきであり、原告の主張中これを超える部分は採用できない。

なお、被告は「大成鉱業の賃金台帳によれば、原告の役付手当を除く労務対価部分は月額三五万円であるから、単価を一か三五万円として計算すべきである。休業期間については、昭和六三年五月末日までと考えるべきである」と主張する。確かに、原告の本件事故前三か月間の月額報酬について、大成鉱業の賃金台帳(乙第二〇号証)は三五万円を基本賃金とし、それを超える部分を役付手当としている。しかし、大成鉱業は未だ何らの事業収益を上げていたわけでもないことなどを考えると、右の役付手当に利益配当の実質がないことは明らかであり、報酬全額を労務対価性を有するものとみるのが相当である。また、期間の点も、被告主張のように限定的に解しなければならないほどの事由は存しない。

(三)  慰藉料

本件事故による受傷によつて原告が長期間の通院治療を余儀なくされ、それに伴う様々の精神的苦痛を受けたであろうことは推測に難くない。特に、大成鉱業の事実上の主宰者として、成功を目指して事業開始の準備に努めていた原告にとつて、その客観的見通しはともかく、結局右の事業が頓挫をきたし、大成鉱業自体休眠状態となつたのについては、「本件事故さえなければ」といつた無念の思いが強いであろうことは十分理解できるところである。かかる事情や、後記の逸失利益の存否判断において説示するところを含む本件に現れた一切の事実関係を総合勘案すると、本件事故により原告の被つた精神的苦痛に対する慰藉料としては、三〇〇万円をもつて相当と認める。強いて右の内訳を示せば、右のうち一二〇万円いわゆる通院慰藉料であり、その余はそれ以外の事情を斟酌した結果である。

原告は、一〇〇〇万円の慰藉料を主張し、その所以として、「大成鉱業の事業中止を余儀なくされたことにより多額の経済的損失を被つたこと」、及び「被告の不誠実な態度」を強調する。前者は、大成鉱業の事業が成功確実であつたことと、原告がその資金として一五〇〇万円を出捐していたことを前提とするものと解されるところ、それがいずれも認められないことは既に説示したとおりであり、後者は、仮に主張のような被告の対応があつたとしても、それは前記の慰藉料額算定の事情として斟酌した事実関係の範囲内のことである。したがつて、原告の主張は、前記認定の限度を超える部分は採用できない。

なお、本件事故による原告の受傷の故に大成鉱業の事業の推進が図れなくなつたとの観もないではないが、右の事業は、もともとたいした資金力もない原告らが、組織体としての企業というよりは、実質的には個人の事業として企図した程度のもので、その成功は、原告が本件事故に遭おうと遭うまいと、極めて不誠実なものであつたというべきである。原告主張のように成功確実な事業であつたのであれば、大成鉱業の前にこれを手掛けた山本産業株式会社と有限会社扶桑が資金不足の故に相次いで倒産した(これは原告の自陳するところである。)というのは全く理解することができない。本件事故による原告の受傷と大成鉱業による所期の事業の不成就との間に相当因果関係を認めるのは無理である。原告本人尋問の結果中には、本件事故当時必要資金の融資を受ける話が進行中であつたかのような部分もあるが、その実現可能性の程度は明らかでなく、右の判断に消長を及ぼすには至らない。

(四)  逸失利益

原告は、本件後遺症として、頸椎部運動制限及び第四・五頸椎間腔の狭窄を主張し、それが施行令別表の第一二級第一二号に該当する旨主張する。右の運動制限及び狭窄は、これに沿う前記認定の三宅医師の診断結果を否定すべき証拠はないから、それ自体の存在は認めることができる。しかし、それが本件事故による後遺症で、施行令別表の第一二級に該当するとの点は、前記認定の乾医師及び三宅医師の意見を合わせれば、右狭窄は単なる加齢現象にすぎない可能性も強いこと、右の運動制限もそれに起因するものと考えるのを相当とする余地が多分にあること、さらには乾医師が本件事故によるとされる後遺障害の存在を断定的に否定し、後遺障害等級事前認定手続においても、「非該当」とされていること等を総合勘案すると、にわかにこれを認めることができない。原告主張の本件後遺症自体の存在とそれが本件事故と全く無関係とはいえないかもしれないことは、慰藉料算定の一つの要素としてこれを斟酌することをもつて足りるものというべきである。

したがつて、その余の点について検討するまでもなく、原告の後遺症による逸失利益の主張は、その前提において失当であり、採用できない。

(五)  損害額

右(一)ないし(四)によると、本件事故による原告の損害額は合計七八七万五二〇円となる。

(六)  弁護士費用

弁論の全趣旨によれば、原告は本件訴訟の提起・遂行を原告訴訟代理人に委任し、その費用・報酬を支払う約束をしていることが明らかであるところ、本件事案の性質、審理の経過、認容額等に鑑みると、原告が本件事故と相当因果関係のある損害として被告に賠償を求め得る弁護士費用の額は、八〇万円が相当である。

(七)  損害のてん補

原告が本件事故による損害について被告側から合計一四一万二一七五円の支払を受けたことは当事者間に争いがないから、原告が支払を受けていない損害は、(五)の七八七万五二〇円に(六)の八〇万円を加えた八六七万五二〇円から右の一四一万二一七五円を差し引いた七二五万八三四五円となる。

三  結論

よつて、原告の本訴請求は、七二五万八三四五円及びこれに対する本件事故発生日である昭和六三年二月二三日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるから棄却することとし、民事訴訟法八九条、九二条、一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 根元眞)

(別紙) 診療経過分

<省略>

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