大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

松江地方裁判所 昭和33年(わ)67号 判決 1959年8月25日

被告人 稲田輝正

昭三・六・三生 司法書士

主文

被告人を無期懲役に処する。

押収に係る手斧の頭一箇(証第一号)、細引一本(証第三号)及び麻繩一本(証第四号)は、いずれもこれを没収する。

訴訟費用は、全部被告人の負担とする。

理由

(被告人の生立、経歴、性格及び家庭の状況)

被告人は、南満洲奉天府において、当時南満洲鉄道株式会社に勤務していた父経之、母愛子の弐男として出生したが、昭和六年即ち被告人の数え年四歳の頃一家が肩書本籍地に引揚げて居住することになつたので、被告人は居村で成長して直江小学校を卒業し、昭和一九年中、大社中学第三学年終了後、志願して予科飛行練習生として航空隊に入隊し、終戦後昭和二〇年一〇月復員して両親の許に帰り、昭和二一年七月、松江地方裁判所に雇として入り、翌昭和二二年六月、司法事務官に任命せられ、松江司法事務局平田、今市各出張所を経て、昭和二四年三月から松江司法事務局に勤務していたが、(昭和二四年六月一日官制の改正により、松江司法事務局が松江地方法務局となると共に、被告人は、法務府事務官となつて、引続き同法務局に勤務)婦人関係で身を持ち崩したため、昭和二六年四月、依願免官の形式で退職するの余儀なきに至り、一時益田市方面に逃げて化粧品販売の外交等に従事しながら女と同棲していたが、刑務所を出所した女の先夫に脅迫されたため、程なく女と別れて両親の許に帰り、爾来肩書住居居宅において司法書士を開業し今日に至つたが、(同年七月三日付司法書士の認可)その間兄統正に勤務先の公金を費消する等の不始末の外、昭和三〇年頃、他に女を拵え、妻子を捨てて家出して仕舞う等の重なる不行跡があつたため、これに失望した両親より、被告人は格別の寵愛を受け、兄に代つて一家の跡取りとして将来を期待されるようになり、昭和三二年五月には妻幸子と結婚し、翌昭和三三年一月長男厚を儲け、結局居宅において両親、妻子及び弟晴正と同居して暮していたものであるところ、被告人は、司法書士を開業するや、一時はかなりの成績を挙げたこともあつたものの、生来虚栄心が強い上に、酒好きであり、而かも、金銭的に放縦な性格であつて、昭和三〇年頃、父親が収入役を最後に元直江村吏員を退職した際の退職金の一部で預金していた二〇万円全部を無断で引出した上、これを遊興費に充てて仕舞つたこともある位で、司法書士としての仕事振りは、次第に不真面目になり、従つて収入も減少の一途を辿り、一家の生計は、右僅かばかりの収入の外、父経之の恩給、小学校教員たる妻幸子及び養蚕技術員たる弟晴正が母に差出す給料並びに父経之の栽培する一反余りの茶畑の収穫によつて、漸くこれを支えることができる有様であつたのである。

(罪となるべき事実)

被告人は、肩書住居居宅において、司法書士を開業してから、昭和三〇年春頃、当事出雲市の「常盤商事」なる金融会社に勤務し、その後自ら金融業を始めるようになつた簸川郡大社町大字杵築西居住の板倉郁郎(明治三二年二月一八日生)と知合い、爾来同人と昵懇に交際を続けていたところ、昭和三一年八月頃、被告人の小学校時代からの友人であつて、肩書居村の直江町で電気器具商を営む旧姓大国こと錦織和夫は、被告人の斡旋で、右板倉から運転資金として金四万円を借受けたが、その後、錦織は漸く利子のみを支払い、元金は、これが返済をなし得ず、更に、昭和三三年五月中旬頃、再び被告人の斡旋で、板倉から重ねて金一五万円を借受けたが、その際これと従前の金四万円及び利息未払分を合せ、新なる元金を金二〇万円と定め、これを一〇日間で支払うべく約束ができたけれども、錦織において当てにしていた山陰合同銀行直江支店よりの借入れが一向に捗々しくないため、ここにおいて被告人は、錦織と相談の上、板倉に頼み込んで、錦織のため、右支払につき、小刻みに延期を重ねていたところ、その後同年六月一六日頃、錦織の銀行借入れの見込があることを聞知せる板倉が被告人に対し、二二万五、〇〇〇円なる金額を記載せるメモを渡した上、「返済金額は、元利合計で二二万五、〇〇〇円となるから、錦織が銀行に出かける際、君も一緒に赴いて、直接現金を受取つて置いて呉れ。金というものは直ぐ他所に逃げるものだからなあ」とて右取立方依頼するや、これを承諾せる被告人は、

第一、同日夜、錦織に対し、右メモを渡した上、板倉からの依頼の趣旨を伝え、次で翌一七日頃、再び錦織方に赴いたところ、同人は既に銀行借入れを済してはいたが、現実に入手した金額は、僅か一〇万円余りであつたとのことであつて、錦織が被告人に対し、現金一〇万円を差出した上、「板倉に一応これだけ返して置いて、残額は一箇月位期限を延して貰つて呉れないか、できれば残額は毎月一万円位宛払うように頼んで呉れないか」とて右内入弁済の取次及び残額の延期斡旋方依頼するや、被告人はこれを承諾し、一応板倉のため右現金一〇万円を受取つたが、一家の生計が前記の如き有様で、飲み代に事欠くのは勿論、日常の生活必需品の買掛金の支払さえ滞り勝ちであつたところから、右現金一〇万円を板倉に渡さない侭、その頃擅にこれを着服し、先ず諸所の買掛金の支払を済し、次で、出雲市内に赴き、二、三日間盛り場を飲み歩き、該金員の大半を費消し果した上帰宅したところ、この事実を知り、極度に憤激せる板倉が錦織に対しては貸金の支払を、又、被告人に対しては右費消金額相当金員の調達を強く請求するに至るや、被告人としては、彼此金策の方途を考えてみたものの、何等見込もなく、同じく金策のつかない錦織と共に口裏を合せ、板倉の請求がある都度その場を糊塗するに努めていたが、同年七月六日頃、被告人方において、被告人、板倉及び錦織の三者が会合した際、板倉が錦織に対する貸金を以て、元利合計で二三万五、〇〇〇円になる旨告げた上、錦織に対してはこれが支払を、又、被告人に対しては前記費消金額相当金員の調達をいずれも同月二五日までに必ず履行すべく請求するや、被告人は、錦織と共にこれを約束し、板倉は、重ねて「二五日の期限はもう一日も延ばすことはできない。今度こそ容赦はせん。お前等二人を生かすか殺すかだから、その積りで間違なく用意して呉れ」とて極めて強硬な態度を示したが、被告人は、翌七日頃、かねて金策を頼み一縷の望をかけていた出雲市居住の兄統正より到底金策の見込がない旨告げられるに及ぶや、期限の二五日までに金策のできる当ても全く絶え、この侭行けば、板倉が錦織に対しては強制執行を以て臨み、或いは、被告人を横領の犯人として告訴することもあるべく、斯くては司法書士たる被告人自身の体面のみならず、嘗て父親が村役場で収入役として勤め、部落内の旧家と目されている一家の面目をも失墜して仕舞うことを恐れ、これを苦慮する余り、この窮状を打開する方法が結局他にないとすれば、寧ろ板倉を亡き者にするに如かずと考えるに至り、これに備えて、翌八日頃、肩書居村の直江町なる黒田金物店において、手斧一挺を購入し、密かに居宅裏の物置にこれを隠して置いたが、その後二、三回に亘り、被告人の金策の模様を窺わんがため来訪せる板倉の態度が益々強硬であつて、も早や手段を選ばず場合によつては、被告人の妻幸子の実家に赴いて、被告人の悪事を暴露した上、同家にこれが始末を求め兼ねない意向であることを察知するに及び、被告人としては、愈々窮地に陥ると共に、これが打開の方途はも早や全く杜絶されたものと考え、期限の切迫と共に、次第に板倉殺害の決意を固めるに至つたが、同月二二日、板倉が被告人方に来訪した際、被告人は、偶期限の前日たる同月二四日には、小学校教員たる妻幸子が児童を引率して海水浴に行き、終日留守になることを想起し、右殺害の実行につき、当日以外絶好の機会なしと考え、板倉に対し、「今日は松江に行く用事があるから、二四日午前中に来て呉れ。それまでに金を拵えて確実に支払う」旨詐言を弄し、以て、同人をしてその旨誤信せしめ、よつて、同月二四日当日午前一一時過頃、板倉が被告人方に来訪したところ、被告人は、上八畳の間の西側縁側に板倉を招じ入れ、同人と対談するうち、午後二時頃に至つて遂に、同人殺害の切掛を作るべく、故ら同人の意に逆うかの如き言辞を弄し、同人をして激怒せしめ、同人が矢庭に被告人を縁側より地面に突落すや、被告人は、これを奇貨として、恰も足を洗いに行くかの如き風を装つて居宅の裏手に廻り、物置よりかねて隠して置いた手斧を取出し、これを右手に握り、両手を腰に組む格好で背中に隠し持つて、直ちに右縁側に引返して飛上り、矢庭に板倉の後頭部を目掛け、右手斧を振つて一撃を加え、続いて、逃れんとする同人の後頭部を二、三回強打し、よつて、同人をして外傷性脳震盪により即死せしめ、以て、同人に対する前記費消金額相当金員の支払を免れて財産上不法の利益を得、

第二、右犯跡を隠蔽せんがため、一旦、板倉の死体を右縁側の北隅に隠して置き、次で、同日午後九時頃、右死体を古蚊帳及び古毛布に包み、且、細引及び麻繩で絡んだ上、これを居宅横の茶畑に埋没し、以て、右死体を遺棄したものである。

(証拠)(略)

(法令の適用)

被告人の判示所為のうち、第一の点は、刑法第二四〇条後段に、第二の点は、同法第一九〇条に各該当するところ、以上は同法第四五条前段の併合罪の関係にあるが、先ず、犯罪の情状について考察するに、被告人が昭和三三年八月一三日午前一時三〇分頃、出雲警察署直江巡査駐在所に出頭して自首したことは、証人花田武夫の当公判廷における供述及び被告人の司法警察員に対する自首調書によつて明らかである。併しながら、被告人としては、元来、自首の意思はなく、判示第二の如く、板倉の死体を埋没した後も、血に染つた上敷、畳等を取替え、死体埋没の箇所に小豆を蒔き、板倉の所持していた鞄を剃刃を以て細片に切断してミルク罐の中に隠し、板倉の乗つて来た自転車は、これを解体して便所の壼の中に投げ込む等犯跡の隠蔽に狂奔していたところ、警察側において、八月上旬頃には、既に、本件犯行を探知し、捜査に着手しており、も早や逃れられぬものと観念した被告人は、従兄稲田剛明の勧告により、犯行後二〇日位経つてから、已むなく自首するに至つたものであることは、これ亦諸般の証拠によつて明らかである。右自首が真に悔悟した結果なされたものと解し難いことは、自首の際、かなり虚偽の供述をなしている事跡に徴しても容易に窺われるところであつて、本件においては、右自首の事実を以て過大評価することは許されない。その他、犯行の動機、態様、犯行後の行動等一切の事情を考量するとき、判示第一の罪については、所定刑中無期懲役を選択するのを相当とする。よつて、同法第四六条第二項により、判示第二の罪の刑はこれを科さず、被告人を無期懲役に処する。押収に係る物件のうち、主文第二項掲記のものは、いずれも本件犯行に供した物であつて、且、犯人以外の者に属しないから、同法第一九条第一項第二号、第二項により、これを没収すべく、訴訟費用については、刑事訴訟法第一八一条第一項を適用し、これを全部被告人に負担させることとする。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 組原政男 西村哲夫 武波保男)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例