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松山地方裁判所 昭和33年(わ)202号 判決 1959年2月23日

主文

被告人を懲役八年に処する。

未決勾留日数中八十日を右本刑に算入する。

押収の自動三輪車一台(証第七号の一)、自動三輪車の鍵一個(証第八号)、木枠一組(証第七号の二)、板四枚(証第七号の三)、木片二個(証第七号の四)、松木台三台(証第七号の五)はこれを没収する。

訴訟費用(証人古泉清重に支給した分)は被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は松山市北宮古町十一番地実兄西本組々長西本信行の許に寄寓し、その若衆として徒食していた者であるが、昭和三十三年六月十日松山市内の愛媛県民館において、兄信行と兄弟分の間柄にあつた北村組々長北村義夫が松下組々長松下篤真の後継者橋本康弘の手によつて射殺されたが、橋本の右犯行は松下の使嗾によるものと考え、爾来同人に対し極度の反感を抱いていたところ、亡北村の輩下に対する復讐の気構えがないのみならず、松下は右事件後の円満妥結方の仲裁を拒否し、かえつて松下側が右信行に危害を加えるやも図り難いとの噂を聞知したたため忿懣やる方なく、遂に右松下を殺害しようと決意し、その動静を窺つていたところ、同人は北村組側からの報復を警戒して、同市南京町一丁目「湯の花湯」に入浴に赴く以外は外出を控えていることを知つたので、その殺害の方法として、自動三輪車一台を購入して荷台に箱枠を取付け、防弾装備を施し、右松下が入浴に赴く途中、又はその帰途を右箱枠内から猟銃で狙撃して殺害の目的を遂げようと企て、同年八月二十日頃自動三輪車一台(証第七号の一)を購入し、同月二十七日頃と同年九月四日頃の二日に亘つて情を知らない建築大工江戸多記男に左右及び天井の一部をベニヤ板で張り後部は開閉のできる杉板四枚(証第七号の三)で塞いだ木枠一組(証第七号の二)、銃眼にするため右杉板の間にはめ込む木片二個(証第七号の四)及び防弾装備として松木台三台(証第七号の五)を作らせ、これを右自動三輪車に取付け、同年九月九日自ら右自動車を運転して前記「湯の花湯」附近道路上に赴き、周囲の状況を偵察して狙撃の場所、往復の道路を選定した、翌十日午後四時三十分頃同市北京町二丁目道路上に赴き、前記松下篤真(当三十四年)が入浴に赴く姿を探し求めたところ、同人が輩下四、五名を引きつれて歩いて来るのを目撃したので、直ちに自宅に引返して、装填した二連銃たる猟銃一挺(証第五号)を取出して携行の上、前記自動三輪車の箱枠内に乗車して、情を知らない伊藤賢をしてこれを運転せしめ、予め選定していた同市北京町二丁目三十八番地青木理髪店(経営者青木貢)前附近道路上に到り、同所で停車せしめて待機中、同日午後五時十分頃入浴帰りの右松下が同理髪店前附近を通りかかるのを認めるや、直ちに同車上の箱枠内の後部から右猟銃を突き出し、約十七米の距離から松下の胸部を狙つて二発発射して散弾を同人に命中させ、同人に対し全治二ヵ月を要する散弾による左前胸部、左側胸部、左側腹部左鎖骨上部盲貫銃創を負わせ、前記青木理髪店の東隣宮城菊丸方室内にいた宮城裕(当九年)及び宮城菊丸(当七十八年)の両名に対し、散開飛散した右散弾の破片によつて、裕に対し全治五日を要する左耳殻上部、上膊外側、頬部、下腿外側及び左肩部擦過傷、菊丸に対し全治三日を要する左前額部及び左上膊下部擦過傷を負わせたが、いずれも殺害するに至らなかつたものである。

(証拠の標目)≪省略≫

(法令の適用)

被告人の判示各所為は刑法第二百三条、第百九十九条に各該当するところ、右の各罪は一個の行為で数個の罪名に触れる場合であるから、刑法第五十四条第一項前段、第十条により犯情の最も重いと認める判示松下篤真に対する殺人未遂の刑に従い、その所定刑中有期懲役刑を選択し、同所定刑期範囲内で被告人を懲役八年に処し、同法第二十一条に則り、未決勾留日数中八十日を右本刑に算入し、主文に掲げた各押収物件のうち自動三輪車の鍵一個を除くその余の物件は判示犯行に供したもので、右自動三輪車の鍵一個(証第八号)は押収の自動三輪車一台(証第七号の一)の従物であり、いずれも被告人以外の者に属しないので、刑法第十九条第一項第二号、第二項により没収し、訴訟費用(証人古泉清重に支給した分)は刑事訴訟法第百八十一条第一項に基いて被告人に負担させる。

(刑の量定の事情)

被告人は判示犯行に至る動機として、北村は兄信行の兄弟分であつて自分を可愛がつてくれたこと、北村組の輩下は復讐の気構えを示さなかつたこと、松下組側が兄信行の生命を狙つているとの噂を聞知したこと、松下は北村射殺事件の円満妥結方を拒否し五友会のメンバーである谷川惣市を堅気にせよと申入れたこと等をあげている。しかし、信行は被告人から生命を狙われていると告げられていても一笑に付しているのであり、北村組の輩下である古泉清重ですら被告人に対し「刑務所に行くのはいやじや」と言つて復讐の意思のないことを明らかにしているのであつて、被告人が判示犯行に出なければならなかつた理由は極めて乏しいといわなければならない。被告人がいわゆる「極道社会」の特殊な価値観、特殊な仁義、特殊な名誉感に動かされて、判示犯行に及んだすれば、時代錯誤も甚しいといわなければならない。このため被告人の行為が毫末も正当視されるものではない。本件は、犯行前三回に亘り浮穴村森松射撃場で射撃練習を行つた上自動車を購入し、箱枠を作り、防弾装備を施し、犯行前日わざわざ現場に赴いて状況を偵察するなど用意周到な計画的犯行であり、自昼公然と猟銃を使用して人の生命を奪わんとした兇悪犯である。このため松山市民の平和と安全をおびやかし、二人の市民の生命を危険にさらしたばかりでなく、第三の暴力殺傷事件(被告人黒田茂人、同加藤利行の殺人未遂事件)を誘発したのである。被告人の刑責は極めて重大であるといわなければならない。しかし、被告人はやくざの世界に入つて日も浅く、思慮分別に乏しいため、周囲の暴力的な雰囲気に馳られて本件犯行を敢てしたと考えられ、その他、被告人には前科のないこと、さいわいに殺害に至らず未遂に終つたこと、被害者松下篤真が宥恕の意思を示していること等を考慮して、被告人に対し懲役八年を量定処断した次第である。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 伊東甲子一 裁判官 若木忠義 阪井昱朗)

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