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東京高等裁判所 昭和63年(行ケ)305号 判決 1989年10月31日

大阪府大阪市阿倍野区長池町二二番二二号

原告

シヤープ株式会社

右代表者代表取締役

辻晴雄

右訴訟代理人弁理士

杉山毅至

木下雅晴

深見久郎

森田俊雄

東京都千代田区霞が関三丁目四番三号

被告

特許庁長官

吉田文毅

右指定代理人通商産業技官

森田允夫

今井健

同通商産業事務官

柴田昭夫

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者が求めた裁判

一  原告

「特許庁が昭和六一年審判第八七六号事件について昭和六三年一一月一〇日にした審決を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決

二  被告

主文同旨の判決

第二  請求の原因

一  特許庁における手続の経緯

原告は、昭和五四年七月一七日、名称を「複写機の定着装置」とする発明(以下「本願発明」という。)について、昭和五一年五月六日にした昭和五一年特許願第五二三九一号の分割出願として特許出願(昭和五四年特許願第九二四七七号)をし、昭和六〇年一二月一七日拒絶査定を受けたので、昭和六一年一月一四日審判を請求し、昭和六一年審判第八七六号事件として審理された結果、昭和六二年二月一八日特許出願公告(昭和六二年特許出願公告第七五四八号)されたが、特許異議の申立てがあり、昭和六三年一一月一〇日、特許異議の申立ては理由がある旨の決定と共に、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決があり、その謄本は同年一二月七日原告に送達された。

二  本願発明の要旨

複写機の電源投入に応答して加熱源を制御し、定着装置そのものを定着可能な温度に制御する加熱源制御手段を備え、該加熱源制御手段は前記複写機自体が複写可能となつた待機状態時に前記定着装置を定着可能な温度に維持するための電力を前記加熱源に供給して制御し、待機状態時から一定時間内に複写動作が開始しないときは前記加熱源を前記供給電力より低い消費電力によつて駆動するブレヒート手段を有したことを特徴とする、複写機の定着装置(別紙第一図面参照)。

三  審決の理由の要点

1  本願発明の要旨は、前項記載のとおりと認める。

2  これに対して、昭和四五年特許出願公告第三六八〇〇号公報(以下「引用例」という。)には、

複写機20の主スイツチ34を入れることによつて、加熱源264、266を二三〇〇ワツトに制御し、溶かし器組立体64を迅速に操作温度に達するようにすること、操作温度に達すると二三〇〇ワツトの制御が終了して六〇〇ワツトに落ちるが、これは希望する操作温度を維持するのに十分であること、複写を作りたいと思うときは始動スイツチ357を押して加熱源264、266を九〇〇ワツトに制御すること、そして、一定の不使用の時間の後(すなわち最後の複写要求からあらかじめ定められた時間の後)に、前記六〇〇ワツトの準備状態に戻ることから成る複写機20のフユーザ

が記載されていると認められる(別紙第二図面参照)。

3  そこで、本願発明と引用例記載の発明とを比較するに、引用例の「主スイツチ34を入れること」及び「フユーザ」は、本願発明の「電源投入」及び「定着装置」にそれぞれ該当するものと認められる。

また、引用例記載の「複写を作りたいと思うときは九〇〇ワツトに制御する」とは、フユーザが定着可能な温度に維持され複写機が複写動作可能である制御と認められるから、本願発明における「定着可能な温度に維持するための電力を加熱源に供給して制御」している待機状態時の制御に相当するものと認められる。

さらに、引用例記載の発明においては複写要求によつて九〇〇ワツトに制御している状態で一定時間不使用の後には六〇〇ワツトの準備状態に戻るのであるから、右「準備状態」は、本願発明において待機状態時より低い消費電力によつて駆動している「プレヒート」の状態に相当するものと認められる。

そうすると、本願発明と引用例記載の発明は、

複写機の電源投入に応答して加熱源を制御する加熱源制御手段を備え、該加熱源制御手段は、複写機自体が複写動作可能となつた待機状態時に定着装置を定着可能な温度に維持するための電力を前記加熱源に供給して制御し、待機状態時から一定時間内に複写動作が開始しないときは加熱源を前記供給電力より低い消費電力によつて駆動するプレヒート手段を有する定着装置

である点において一致しており、

本願発明においては、複写機の電源投入に応答して、定着装置を定着可能な温度に制御しているのに対して、引用例記載の発明においては、二三〇〇ワツトによつて操作温度に達するように制御した後、六〇〇ワツトに落としてその温度を維持するように制御している点

において相違するものと認められる。

4  右相違点について検討すると、引用例記載の発明における「操作温度」は六〇〇ワツトの電力によつて維待される「準備状態」の温度であつて、本願発明における「プレヒート」の温度であると認められるところ、複写機の電源を投入し定着装置を加熱して立ち上げる場合に、「プレヒート」の温度まで立ち上げるか、定着可能な温度にまで立ち上げるかは、複写開始時点あるいは消費電力等を考慮して適宜に選択し得る設計事項と認められる。

5  したがつて、本願発明は、引用例記載の発明に基づいて、当業者が容易に発明をすることができたものと認められるから、特許法第二九条第二項の規定により、特許を受けることができない。

四  審決の取消事由

本願発明の要旨は審決認定のとおりであるが、審決は、引用例記載の技術内容を誤つて認定した上で、本願発明は引用例記載の発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたと判断したものであつて、違法であるから、取り消されるべきである。

すなわち、審決は、引用例記載の「複写を作りたいと思うときは九〇〇ワツトに制御する」とは、「フユーザが定着可能な温度に維持され複写機が複写動作可能である制御」であると認定している。しかしながら、引用例記載の発明において「フユーザが定着可能な温度に維持され複写機が複写動作可能である制御」とは六〇〇ワツトの電力による制御(以下「六〇〇ワツト制御」という。)であることを、審決は誤解している。そして、引用例記載の発明における九〇〇ワツトの電力による制御(以下「九〇〇ワツト制御」という。)は、複写動作によつて複写紙等に吸収され失われる熱エネルギを補うために、複写可能状態である六〇〇ワツト制御に更に三〇〇ワツトの電力を追加して複写可能状態の温度を維持しようとするものである。そして、九〇〇ワツト制御のまま一定時間複写が行われないときに六〇〇ワツト制御に戻す目的は、熱エネルギの損失がないことによる過熱を回避することにあることは明らかである。

したがつて、引用例記載の六〇〇ワツト制御は、本願発明の「複写可能となつた待機状態時に定着装置を定着可能な温度に維持するための電力を加熱源に供給して制御」に対応するのであつて、引用例記載の発明には、本願発明の「待機状態時から一定時間内に複写動作が開始しないときは加熱源を前記供給電力より低い消費電力によつて駆動するプレヒート手段」、すなわち複写不能状態に相当するものは存しない。

以上のとおりであるから、引用例記載の九〇〇ワツト制御及び六〇〇ワツト制御はそれぞれ本願発明の待機状態時の制御及びプレヒート状態の制御に相当し、本願発明と引用例記載の発明は「プレヒート手段を有する定着装置」である点において一致するとした審決の認定は、すべて誤りである。そして、本願発明は引用例記載の発明に基づいて容易に発明をすることができたとする審決の判断は、右のように引用例記載の技術的事項の誤つた認定を前提としてなされたものであるから、当然に誤りである。

第三  請求の原因に対する認否及び被告の主張

一  請求の原因一ないし三の事実は認める。

二  同四は争う。審決の認定及び判断は正当であつて、審決に原告主張の違法はない。すなわち、

引用例記載の発明は、左記のように四態様の温度制御を行つている。

a  冷状態にある複写機を始動するとき、主スイツチ34によつて加熱手段264及び266を並列に接続し二三〇〇ワツトを発生させて、トナーが複写紙に結着するには十分であるが複写紙を焦がすことはない所定温度まで迅速に加熱する制御

b  所定温度に達したとき、加熱手段264及び266を直列に切り替え六〇〇ワツトを発生させて、複写機を準備状態に維持する制御(六〇〇ワツト制御)

c  複写を行うとき、複写用スイツチ357によつて加熱手段264のみを接続し九〇〇ワツトを発生させて、トナーを融解する熱を得る制御(九〇〇ワツト制御)

d  トナーが融解されたが一定時間不使用のとき、加熱手段264のみの接続が自動的に解除され、加熱手段264及び266を直列に接続し六〇〇ワツトを発生させて、複写機を準備状態に戻す制御(六〇〇ワツト制御)

右bの準備状態とは、冷状態の複写機を五、六分かけてウオーミングアツプした後の所定温度を維持している、複写不能状態である。cの九〇〇ワツト制御が複写可能状態であつて、この状態は一定時間(九〇秒)維持され、その間に次の複写が来れば一定時間が再設定される。そしてdは、複写が行われないまま一定時閥経過したときに九〇〇ワツト制御から六〇〇ワツト制御に戻つた複写不能状態であつて、複写用スイツチ357による再度の複写要求があれば遅滞なくcの複写可能状態に戻るのである。

したがつて、引用例記載の発明のcが本願発明の「待機状態」に対応し、引用例記載の発明のb及びdが本願発明の「プレヒート状態」に対応することが明らかであるから、審決の、引用例記載の技術内容の認定及び本願発明と引用例記載の発明との対比に誤りはない。

第四  証拠関係

証拠関係は、本件訴訟記録中の書証目録記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

理由

一  請求の原因一(特許庁における手続の経緯)、二(本願発明の要旨)及び三(審決の理由の要点)の事実は、当事者間に争いがない。

二  そこで、原告主張の審決の取消事由の存否を判断する。

1  成立に争いない甲第二号証(本願発明の特許出願公告公報。以下「本願公報」という。)及び甲第四号証(昭和六二年一〇月二〇日付け手続補正書)によれば、本願発明は左記の技術的課題(目的)、構成及び作用効果を有するものと認められる(別紙第一図面参照)。

(一)  技術的課題(目的)

本願発明は、電子写真複写機における定着器、特に未定着像のトナーを加熱定着する装置に関する(本願公報第一欄第一一行及び第一二行)。

電子写真複写機は、感光体に形成した静電潜像にトナーを付着させて可視像化し、右トナー像を他の転写紙に転写したうえ定着装置によつて加熱し永久像として定着して複写画像を形成するものであるかち、右定着装置は、熱源によつて、トナーの定着可能温度(すなわち、転写紙が発火することなく、かつ、トナーが定着され得る温度範囲)に制御される。したがつて、定着され得る温度に達していなければ複写可能状態ではないから、電源を投入しても複写機は直ちに複写可能状態とはならず、複写可能状態となるまで数分程度待つ必要がある。そこで、複写機を常に複写可能状態に維持するために、電源を切らないままにしておくことがよく行われるが、複写をしないのに電源を切らないままにしておくと消費電力が非常に無駄である(同第一欄第一三行ないし第二欄第一四行)。

本願発明の目的は、複写可能状態に設定された複写機が複写をすることなく所定時間を経過したときは定着装置に加える電力を制限することによつて、電力の無駄を省くことにある(同第二欄第一五行ないし第二一行)。

(二)  構成

本願発明は、前記課題を解決するために、その要旨とする構成を採用したものであつて、電源の投入によつて複写機が複写可能状態に設定されたときタイマを作動させ、複写可能状態に設定されたが複写が行われることなく所定時間を経過したときは、定着装置に加える電力を制限してプレヒート状態に設定するものである(手続補正書第二丁第二行ないし第一一行。本願公報第二欄第一五行ないし第二一行)。

(三)  作用効果

本願発明によれば、電源を投入し複写可能となつた時点から一定時間内に複写が開始されなければ、定着装置を通常の電力より低い電力によつて駆動するプレヒート状態に設定するから、複写機を放置しておく場合においても消費電力を低減できる。また、複写機の全動作を停止することなく定着装置をプレヒート状態に維持しているため、あらかじめ加熱した定着装置の温度の低下を効果的に抑え、しかも複写機を再度使用する際の待ち時間を極力短縮することができるので、複写機をより便利に操作し得る(同第一六欄第二行ないし第一五行)。

2  原告は、引用例記載の発明においては六〇〇ワツト制御が複写可能状態であつて、引用例記載の発明には本願発明のプレヒート手段に相当する制御は存しないと主張する。

そこで、引用例記載の技術内容を検討するに、成立に争いない甲第三号証によれば、引用例記載の発明は光静電型の自動複写機に関するものであつて(第二欄第一四行及び第一五行)、複写紙が複写機を移動する間に複写紙上の粉末像を加熱融着するためのフユーザが、

ア  複写紙の通路に近接して配置された第一及び第二加熱手段

イ  不使用期間の後に複写機が始動された時に作動し、第一及び第二加熱手段を並列に接続して、粉末像が複写紙に結着するには十分であるが複写紙を焦がすことはない所定温度にまで迅速に加熱する回路

ウ  右所定温度が達成されたときに作動し、第一及び第二加熱手段を直列に接続して、複写機を準備状態に維持する熱感応手段

エ  複写機を複写動作に設定するスイツチ

オ  右スイツチの作動に応答して第一加熱手段のみを付勢し、粉末像を融解させる熱を発生させる第一手段

カ  粉末像融解後の所定時間に、複写機を準備状態に戻す第二手段

から成ることを要旨とするものと認められる(第二一欄第二〇行ないし第二二欄第一六行。別紙第二図面参照)。

そして、前掲甲第三号証の第一四欄第一四行ないし第二〇行によれば、右ウ及びカにおいて行われている制御が六〇〇ワツト制御であり、オにおいて行われている制御が九〇〇ワツト制御であることが明らかであるところ、原告は右ウ及びカの状態(引用例の表現によれば「準備状態」)が複写可能状態であつて引用例記載の発明には本願発明のプレヒート手段に相当する制御は存しないと主張するのに対し、被告はオが複写可能状態であつてウ及びカは本願発明のプレヒート状態に相当する複写不能状態であると主張するのである。

しかしながら、前掲甲第三号証によれば、引用例の第一七欄第四四行及び第四五行には「複写をつくりたいと思うならば、始動スイツチ357を一時押し」と記載されて、複写可能状態を実現するためには前記エのスイツチを作動させる必要があり、かつ、第一八欄第一行ないし第二一行によれば、始動スイツチ357の機能は「九〇〇ワツトの熱を発生するための(中略)加熱素子264への回路を完成する」ことにあるのであるから、引用例記載の発明における複写可能状態は前記オの「第一手段」、すなわち九〇〇ワツト制御を行うことによつて実現することが明らかである。そうすると、右「第一手段」の前段階として引用例の第一七欄第二九行ないし第四二行に記載されている「加熱素子264と266(中略)は直列に接続され、それによつてワツト出力は六〇〇ワツトに落ちる」六〇〇ワツト制御によつてもたらされる前記ウの状態、すなわち、「希望する操作温度を維持する」、「操作温度に達するやいなや、機械20はいつでも使える状態に自動的に置かれる」、「その状態では多くの回路成分は起動をとかれ」、あるいは「機械はいつでも複写をつくれるように準備状態に待機する」状態は、複写不能状態であると考えざるを得ない。そして、引用例の第一八欄第一行ないし第六行及び第二〇欄第二一行及び第二二行によれば、始動スイツチ357によつて起動される継電器358はおよそ九〇秒間付勢されているが、継電器358の付勢が解かれると複写機は準備状態に戻るというのであるから、結局、引用例に記載されている前記カの「第二手段」は、正しく本願発明の「プレヒート手段」と技術的意義を同じくするものであることが明らかといわねばならない。引用例の記載はその趣旨が必ずしも明確でない箇所もあるが、「この機械は温め状態に(ウオーミングアツプ)にされて系統は迅速に操作温度までになりまた一定の不使用の期間の後に自動的に準備状態に戻る」(第三欄第四〇行ないし第四三行)、あるいは「準備状態に於ては、この複写機の多くの部材は起動されていない状態にあり」(第四欄第七行及び第八行)、「複写の製作が所望される時この回路は自動的に起動された状態に切換えられそして溶かし電力は複写を効果的に加熱するように増加される。予め定められている不使用期間の後、この回路は自動的にその準備状態に戻る。」(第四欄第一〇行ないし第一四行)との記載は前記認定を裏付けるに十分であつて、原告主張のように引用例記載の発明においては六〇〇ワツト制御が複写可能状態であると解することは余りにも不自然というべきである。

この点について、原告は、引用例記載の発明における九〇〇ワツト制御は複写動作によつて失われる熱エネルギを補うために複写可能状態に更に三〇〇ワツトの電力を追加して複写可能状態の温度を維持するものであると主張する。しかしながら、右主張に沿う記載は引用例には認めることができないのであつて、引用例記載の九〇〇ワツト制御に関する原告の右主張は採用することができず、したがつて、引用例記載の発明においては六〇〇ワツト制御が複写可能状態であつて引用例記載の発明には本願発明のプレヒート手段に相当する制御は存しないとする原告の主張は根拠がないというべきである。

3  以上のとおりであるから、審決は引用例記載の技術内容を誤認しているとする原告の主張は理由がなく、本願発明は引用例記載の発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたとする審決に原告主張の違法はない。

三  よつて、審決の違法を理由にその取消しを求める原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条の各規定を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 藤井俊彦 裁判官 春日民雄 裁判官 岩田嘉彦)

別紙第一図面

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別紙第二図面

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