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東京高等裁判所 昭和63年(行ケ)199号 判決 1991年5月28日

イギリス国

ロンドン エヌ ダブリュ1ユーストンロード 183-193

原告

ザ ウエルカム フアウン デーション リミテッド

代表者

ミッチェル ピーター ジャクソン

訴訟代理人弁理士

浅沼皓

西立人

小池恒明

歌門章二

長沼暉夫

岩井秀生

東京都千代田区霞が関3丁目4番3号

被告

特許庁長官

植松敏

指定代理人

井上彌一

茂原正春

加藤公清

宮崎勝義

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

この判決に対する上告のための附加期間を90日と定める。

事実

第1  当事者の求めた裁判

1  原告

「特許庁が昭和62年審判第2834号事件について昭和63年5月10日にした審決を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決

2  被告

主文1、2項と同旨の判決

第2  請求の原因

1  特許庁における手続の経緯

原告は、昭和53年2月24日 名称を「9-ヒドロキシェトキシメチルグアニン誘導体およびその製造法」とする発明(以下「本願発明」という。)について1977年2月24日のアメリカ合衆国への特許出願および1977年12月24日のイギリス国への特許出願に基づく優先権を主張して特許出願(昭和53年特許願第20778号)をしたが、昭和61年10月23日拒絶査定を受けたので、昭和62年3月2日これを不服として審判の請求をした。特許庁は、この請求を昭和62年審判2834号事件として審理した結果、昭和63年5月10日「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をした。

2  本願発明の要旨

(1)  式(Ⅰ)

<省略>

〔式中、WおよびZは水素原子または医薬的に受容されうるカチオンを表し、そしてWおよびZの一方は医薬的に受容されうるカチオンである〕で示される9-ヒドロキシェトキシメチルグアニン誘導体。

(4)  式(Ⅰ)

<省略>

〔式中、WおよびZは水素原子または医薬的に受容されうるカチオンを表し、そしてWおよびZの一方は医薬的に受容されうるカチオンである〕で示される9-ヒドロキシェトキシメチルグアニン誘導体を医薬として受容されうる担体と一緒に含有する医薬組成物。

3  審決の理由の要点

(1)本願発明の要旨は前項記載(特許請求の範囲(1)および(4)の記載に同じ。)のとおりである。

(2)これに対して、原査定の拒絶理由に引用された本出願前に頒布されたことが明らかな西ドイツ特許公開第2539963号明細書(以下「引用例」という。)には、抗ビールス活性を有する化合物として、下記の一般式

<省略>

〔式中Xは酸素またはイオウを、R1は水素、水酸基等を、R2は水素、アミノ基等を、R3は水素等を、R4は水素等を、R5は水素、水酸基、ベンゾイルオキシ基、ホスフェート基、アセトキシ基等を、R6は水素等を示す。〕で表される化合物またはその医薬的に許容される塩が記載されている。

(3)そこで、本願の特許請求の範囲の第1番に記載された発明(以下「第1発明」という。)と引用例の技術とを対比して検討すると、両者は、いずれも抗ビールス活性を持つ化合物に関する技術であり、その構造は、いずれもプリン骨格を持ち、その2位にアミノ基を、6位に水酸基を持つ点で変わるところがなく、9位の置換基についても、末端にホスフェート基を有するエトキシメチル基である点で一致している。ただ、9位の置換基の末端のホスフェート基について、本願第1発明においては、医薬的に許容されるカチオンとの塩を形成する場合に特定されているのに対して、引用例には、ホスフェートの塩に関する記載はないが、引用例には、前記したとおり、前記一般式で表される化合物が、医薬的に許容される塩を形成する場合についても、一般的に開示されている。そして、ホスフェートが塩を形成することは当業者に自明のことである。

(4)したがって、引用例には、ホスフェートの医薬的に許容される塩についても開示されているというべきである。

(5)なお、請求人(原告は)は、引用例には、ホスフェートの塩について、具体例が示されてなく、そして、本願第1発明は、ホスフェートの塩を選択したことにより格別の効果を奏したものである旨主張する。しかしながら、明細書等の記載を検討したが、ホスフェートの塩を選択したことにより、予測できない優れた効果を奏したものとは認められない。

(6)してみると、本願第1発明は、引用例に記載された発明というべきであるから、特許法29条1項3号に該当し、特許を受けることができないものであり、したがって、本願は、特許請求の範囲に記載の他の発明について検討するまでもなく特許を受けることができないものである。

4  審決を取り消すべき事由

審決の理由の要点(1)ないし(3)は認める。同(4)ないし(6)は争う。審決は、本願第1発明の奏する作用効果の顕著性を看過し、そのために選択発明としての進歩性を誤って否定し、その結果、本願第1発明が引用例に記載された発明と同一であるとの誤った判断に至ったものであるかち、違法として取り消されるべきである。

(1)本願第1発明は水溶性を目的としてりん酸エステルのモノ塩を規定したことによって、当該グアニン化合物およびその遊離りん酸エステルに比較して格別顕著な水溶解度を達成したのである。引用例に当該化合物のりん酸エステルが開示されているとしても、それをモノ塩にすることは自明ではない。達成される水溶解度の変化は、次のとおり予想の範囲を遥かに越えるものである。

化合物名 室温における水溶解度(%)

9-ヒドロキシエトキシメチルグアニン 0・125

りん酸エステル 0・196

りん酸エステルのモノNa塩(本願第1発明)23・1

こはく酸半エステル 0・19

こはく酸エステルのモノNa塩 2・7

酢酸エステル 0・62

プロピオン酸エステル 0・086

前記の数値から明らかなように、こはく酸半エステルと、そのNa塩との水溶解度の差異が14・2倍であるのに対して、りん酸エステルと、そのNa塩との水溶解度の差異は実に118倍である。こはく酸半エステルでも、りん酸エステルでもほぼ同等の水溶解度を有するにもかかわらず、その相当する各モノ塩との間では、水溶性化の度合いが10倍も異なる。したがって、エステルをナトリウム塩に変換することは当業者に自明であっても、エステルの種類によって、モノナトリウム塩化がかくも水溶解度に顕著な差異を生ずることは当業者の予測し得ないところである。引用例記載の当該化合物のりん酸エステルに対し、本願第1発明の当該化合物のりん酸エステルモノ塩が100倍以上の水溶解度を有することは当業者の予想外の新規な知見である。このことは、リリア・マリー・ビューチャンプの宣誓供述書(甲第7号証)によっても立証される。すなわち、前掲甲第7号証の水溶性に関する比較試験結果によれば、9-(2-ヒドロキシエトキシメチル)グアニンモノホスフェート(前記一般式のR5はホスフェート、すなわち、遊離りん酸エステル)と、そのモノナトリウム塩とジナトリウム塩との水溶性は、1:62:120と顕著な差異を示している。化合物の審査の運用基準においても、構造が類似していても、その性質が顕著に(質的または量的に)異なるときは発明として進歩性を有するものと認める旨の定めがあることからみても、まして、本願第1発明は、前述したとおり100倍以上の水溶解度を有する新規化合物を提供するという予想外の効果を達成したものであるから、本願第1発明は選択発明として特許されるべきものである。特に、医薬は完全に同一でなければ同一薬効を奏するものとはいえないのであって、少しでも物質(たとえば塩の種類)が異なれば、医薬としては薬効(副作用の多少を含め)が異なる扱いを受けている現状からしても、引用例からは、本願第1発明の化合物に相当する化合物が抗ビールス活性を有し、かつ前記のような優れた水溶解度をもつことは容易に予測できないことというべきである。

(2)被告の主張(1)(2)は認めるが、(3)ないし(6)は争う。被告は、乙第2号証(特開昭51-63180号公開特許公報)および乙第3号証(特開昭51-59880号公開特許公報)から、りん酸エステルをナトリウム塩にすることによる水溶解性の改善の効果は明らかであると主張するが、前掲乙号各証の化合物は、本願第1発明の化合物とは構造が異なるものであるから、この化合物と本願第1発明の化合物とを比較するのは不適当であり、これらの乙号証から、本願第1発明の化合物の水溶性の改善が自明であるとみることもできない。また、被告は、本願第1発明のグアニン化合物のりん酸エステルのナトリウム塩以外の塩は水溶解度が良くないと予想されると主張して乙第7号証(化学大辞典796頁)および乙第8号証(昭41-19342号特許公報))を提出するが、いずれにもりん酸エステルのアルカリ金属塩から予期されるような水溶性のレベルについては何も示されていないのであるから、被告の前記主張を裏付け得るものではない。

(3)前述のとおりであるから、本願第1発明の9-(ヒドロキシエトキシメチル)グアニンのりん酸モノエステルのカチオンの塩が引用例に開示された一般式で表される化合物またはその医薬的に許容される塩の下位概念に相当する化合物であることは認めるとしても、本願第1発明の奏する作用効果は、引用例からは予測し得ない顕著なものであって、その点で進歩性が肯定されるべきものであるので、本願第1発明は選択発明として評価されるべきものである。したがって、本願第1発明を引用例記載の発明と同一であるとみた審決の判断は誤りというべきである。

第3  請求の原因に対する認否および被告の主張

1  請求の原因1ないし3の事実は認める。

2  同4の主張は争う。審決の認定判断は正当であって、審決には原告主張のような違法の点はない。

3  被告の主張

(1)  特許出願に係る発明が先行の公知となった特許明細書または公知の文献に記載された発明に包含されるときは、その出願発明がいわゆる選択発明として特許され得る場合をのぞき、特許法29条1項3号により特許を受けることができないものである。そして、前記の選択発明とは、先行発明の下位概念に属するものでありながら、先行発明に具体的には開示されていない選択を選び出し、これを結合することにより上位概念に属する先行発明からは予測できなかった特段の効果を奏する場合に特許を与えられる発明である。

(2)  本願第1発明と引用例の発明との関係をみると、引用例に記載されているホスフェート基はりん酸モノエステル基であることは明らかであり、かつ、医薬化合物において、引用例に記載されている「医薬的に許容される塩」に、化合物中に存在する酸性基とカチオンとの塩が含まれることも当業者にとって自明のことであるから、本願第1発明の9-(ヒドロキシエトキシメチル)グアニンのりん酸モノエステルのカチオンの塩は、引用例に具体的には記載されていないにしても、一般式で表される化合物の医薬的に許容される塩に包含されることは明らかである。してみると、本願第1発明の9-(ヒドロキシエトキシメチル)グアニンのりん酸モノエステルのカチオンの塩は、引用例に開示された一般式で表される化合物またはその医薬的に許容される塩の下位概念に相当する化合物というべきものである。

(3)  本願第1発明の化合物は、引用例の発明の化合物と同じ抗ビールス活性を有し、引用例には水溶解度について記載はないが、一般に、りん酸モノエステルの塩にすることにより、その化合物の水溶解度が改善されることは当業者によく知られたことである。このことは、昭和49年3月5日発行の医薬品添加物研究会編「実用医薬品添加物」(乙第1号証)に、難溶性の医薬化合物の水溶性を良くするために、塩基性物質は塩酸塩、硫酸塩、りん酸塩等の塩として、酸性物質の場合はナトリウム塩等の塩とすることが記載されていること(127頁)や特開昭51-63180号公開特許公報(乙第2号証)(6頁左下欄下から1行ないし7頁左上欄下から1行)に、ピリミジン系ヌクレオシドであるN4-アシルー1-β-D-アラビノフラノシルシトシン[引用例の化合物はプリン-非環状ヌクレオシドと表現することができると記載されている(訳文5頁15行ないし16行)ので、いずれもヌクレオシドである点で両者は互いに近似するものである。]の水溶性を良くするためにその化合物をりん酸エステル化し、さらにそれをアルカリ金属塩にすることが記載されていることから明らかである。そして、本願第1発明において達成される水溶解度の改善の程度も次に述べるとおり予想される範囲を越える特段のものでもない。

(4)  原告は、本願第1発明の化合物であるりん酸エステルの塩がりん酸エステル化されていない遊離グアニン化合物およびその塩を形成していない遊離りん酸エステルと比較して格別顕著な水溶解度を達成したことは当業者の予想外の新規な知見である旨主張する。しかしながら、前掲乙第2号証の10頁左下欄16行ないし11頁1行の「実施例3 溶解度試験」のデータや昭46-4381号特許公報(乙第4号証)の1欄35行ないし2欄5行の記載、昭和44年6月25日株式会社光琳書院発行「化学調味料」117頁の図6.11 5’-イノシン酸ナトリウムと5’-グアニン酸ナトリウムの溶解度および昭43-11729号特許公報1頁右欄3行ないし10行の記載に基づいて、5’-グアニル酸と5’-グアニン酸ナトリウムの溶解度を比較してみれば明らかなように、難溶性化合物をりん酸エステル化し、さらにそれらをナトリウム塩にすれば、水溶解度はかなり良くなることが知られているので、本願第1発明のグアニン化合物のりん酸エステルのナトリウム塩がグアニン化合物およびそのりん酸エステルよりも水溶解度がかなり良くなることは当然予想され得るものである。なお、甲第7号証の比較試験結果によれば、りん酸エステルと、そのNa塩との水溶解度の差異は62倍であるから、原告主張のように118倍であるとみるべき根拠はない。また、原告は、グアニン化合物のこはく酸半エステルとりん酸エステルでもほぼ同等の水溶解度を有するにもかかわらず、両者のモノナトリウム塩の水溶解度に顕著な差が生ずることは予想し得ないことであると主張するが、前掲乙第2号証に記載された溶解度試験のデータや特開昭51-59880号公開特許公報(乙第3号証)のサクシネート(こはく酸半エステル)のナトリウム塩の水溶解度の試験結果からみても、りん酸エステルのモノナトリウム塩の方がこはく酸半エステルのナトリウム塩より水溶解度が良いことは明らかであるので、本願第1発明のグアニン化合物のりん酸エステルのモノナトリウム塩の方がこはく酸半エステルのナトリウム塩より水溶解度が良くなることは当然予想し得ることである。

この点に関し、原告は、前掲乙第2号証および乙第3号証の化合物は、本願第1発明の化合物と構造が異なるものであるから、この化合物と本願第1発明の化合物とを比較するのは不適当であり、これらの乙号証から、本願第1発明の化合物の水溶性の改善が自明であるとみることもできない旨主張する。しかしながら、水溶性の改善という効果は、医薬における薬効とは異なり、化合物の基本構造全体というよりは、りん酸モノエステルのナトリウム塩、こはく酸エステルのナトリウム塩等の水溶性を付与する基に起因するところが大きいものである。したがって、このような事情を踏まえて検討すると、前掲乙第2、3号証の化合物が、本願第1発明の化合物とその基本構造までが同じでなくとも、両者は医薬化合物であり、しかも、ヌクレオシドである点で近似しているものであることからして、当業者であれば、前掲乙第2号証および乙第3号証からりん酸モノエステルのナトリウム塩およびこはく酸エステルのナトリウム塩による水溶性についての改善の効果は当然に知り得るところというべきである。しかも、前掲乙第2号証にはりん酸モノエステルのモノナトリウム塩によりその溶解度が100倍以上改善されることが示されているのであるから、前掲甲7号証に記載されたような本願第1発明の水溶性の改善は格別のものとは認められない。また、前掲乙第3号証に記載されたこはく酸半エステルのナトリウム塩の溶解度と前掲乙第2号のりん酸モノエステルのナトリウム塩の溶解度を比較すれば、りん酸モノエステルのナトリウム塩の方がこはく酸半エステルのナトリウム塩より溶解度が改善されることが明らかであり、自明なことである。したがって、原告が主張する程度のこはく酸半エステルのナトリウム塩とりん酸モノエステルのナトリウム塩との効果の差は格別顕著なものとはいえない。なお、原告は、本願第1発明の奏する作用効果の顕著性を主張するに当たって、医薬は完全に同一でなければ同一の薬効を奏するものとはいえないのであって、少しでも物質(たとえば塩の種類)が異なれば、医薬としては薬効(副作用の多少を含め)が異なる扱いを受けるのが現状であるとして、引用例からは、本願第1発明の化合物に相当する化合物が抗ビールス活性を有することは予測できないことを併せ主張する。しかしながら、引用例には本願第1発明を包含することが明らかな一般式(Ⅰ)で表される化合物の「医薬的に許容された塩」が抗ビールス活性を有する旨記載されており、かつ、一般に、上位概念で表現された化合物がある薬効を有する旨の記載があれば、特段の事情がない限り、治療効果の大小があるとしても、その下位概念に相当する化合物が同じ薬効を奏する蓋然性が高いことは当業者が良く知るところである。したがって、当業者が、この技術常識を前提として、引用例の記載をみれば、引用例の一般式(Ⅰ)式で表される化合物中、特に本願第1発明の化合物に相当する化合物のみが他の化合物と違う薬効を示す特段の事情があるとはみられないので、本願第1発明の化合物に相当する化合物も抗ビールス活性を有することは当然に予想し得ることであるから、原告の前記主張は失当である。

(5)本願第1発明における医薬的に許容されるカチオンとの塩としてはナトリウム塩に特定されるものではなく、広く一般にカチオンの塩を包含するものであるが、ナトリウム塩以外の塩については水溶解度のデータが示されておらず、しかも、一般にアルカリ金属塩のりん酸塩は水に溶けるが他の多くのりん酸の塩は難溶であるので(化学大辞典796頁・乙第7号証 昭41-19342号特許公報・乙第8号証にも、ヌクレオシドー5-りん酸の金属塩のうち、ナトリウム塩のようなアルカリ金属は水に解け易いが、そのほかの大部分の金属塩、たとえばマグネシウム、カルシウム、アルミニウムなどの塩は水に難溶または不溶であることが記載されている。)、本願第1発明のグアニン化合物のりん酸エステルのナトリウム塩以外の塩は水溶解度が良くないと予想されるから、本願の第1発明の化合物であるこれらの塩についてもグアニン化合物およびそのりん酸エステルニ比較して格別顕著な水溶解度を有するものとはいえない。

(6)前記のとおり本願第1発明は、引用例から当業者が予測できない特段の効果を奏するものとは認められないから、原告の選択発明の主張は失当である。

第4  証拠関係

本件記録中の書証目録の記載を引用する。

理由

1  請求の原因1ないし3の事実(特許庁における手続の経緯、本願発明の特許請求の範囲(1)および(4)の記載および審決の理由の要点)については、当事者間に争いがない。

2  取消事由についての判断

(1)本願第1発明の特許請求の範囲の記載が請求の原因2の本願発明の要旨(1)のとおりであり、引用例(西ドイツ特許公開第2539963号明細書)に抗ビールス活性を有する化合物として、下記の一般式

<省略>

〔式中Xは酸素またはイオウを、R1は水素、水酸基等を、R2は水素、アミノ基等を、R3は水素等を、R4は水素等を、R5は水素、水酸基、ベンゾイルオキシ基、ホスフェート基、アセトキシ基等を、R6は水素等を示す。〕で表される化合物またはその医薬的に許容される塩が記載されていることおよび本願第1発明のりん酸モノエステルのカチオンの塩が引用例に開示された一般式で表される化合物またはその医薬的に許容される塩の下位概念に相当する化合物であることについては当事者間に争いがない。したがって、引用例には、ホスフェートの医薬的に許容される塩についても開示されているものということができる。

(2)原告は、本願第1発明は水溶性において引用例からは予測できない顕著な作用効果を奏する発明であるから、上位概念で表現された引用例の発明に包含されるとしても、選択発明として評価されるべきものであるのに、審決はその作用効果の顕著性を看過した結果、本願第1発明の進歩性を誤って否定した旨主張する。

(a)本願第1発明におけるグアニンのりん酸モノエステルのカチオン塩は、「WおよびZの一方は医薬的に受容されうるカチオンである。」と定義されているように、ナトリウム塩に特定されるものではなく、広く一般にカルシウム、マグネシウム、アルミニウムなどのカチオンの塩を包含するものである。他方、引用例に記載されているホスフェート基がりん酸モノエステル基であることも明らかであり、かつ、引用例に記載されている「医薬的に許容される塩」に、化合物中に存在する酸性基とカチオンとの塩が含まれることも明らかである。

(b)ところで、原告は、本願第1発明に係る9-(2-ヒドロキシエトキシメチル)グアニンモノホスフェートのナトリウム塩が、引用例の一般式におけるR5がホスフェートの塩以外のもの(グアニン化合物およびその遊離りん酸エステル)と比較して、水溶性において格段に優れていると主張し、成立に争いのない甲第7号証(リリア・マリー・ビューチャンプの宣誓供述書)によれば、9-(2-ヒドロキシエトキシメチル)グアニンモノホスフェート自体より、そのモノもしくはジナトリウム塩の方が、溶解度において優れていることが認められる。しかしながら、成立に争いのない乙第1号証(昭和49年3月5日発行の医薬品添加物研究会編「実用医薬品添加物」)によれば、医薬品においては吸収を促進することを容易にするために、難溶性の医薬化合物の水溶性を良くする必要があるところ、そのための方法として、一般的に、「d)薬効を変化しない範囲で、その構造の一部を変えて可溶性誘導体にする。」方法があり、この「方法としては、酸性物質の場合はナトリウム塩、カリウム塩とするか、または-COONa・・・・PO3Naなどの親水基を導入して可溶性誘導体を合成する。」方法があることの記載が認められる。さらに、成立に争いのない乙第2号証(特開昭51-63180号公開特許公報)の「実施例3 溶解度試験」のデータ並びに同乙第4号証(特開昭51-59880号公開特許公報)1頁左欄35行ないし右欄5行の記載、同乙第5号証(昭和44年6月25日株式会社光琳書院発行「化学調味料」)の117頁の図6.11および同乙第6号証(特公昭43-11729号特許公報)1頁右欄3行ないし10行の記載における溶解度の比較をみても、ホスフェートのナトリウム塩とすることによって水溶性が格段に良くなるということは広く知られていたことということができる。このように、本出願前に頒布されたことが明らかな医薬関連の刊行物に、前記認定のとおり水溶性を付与する手段として、ホスフェートのナトリウム塩とすることが代表的な手段の一つとして挙げられ、かつこれを用いた技術が行われていたことからしても、一般的にホスフェートのナトリウム塩とすることによって水溶性を良くすることができるということは当業者の技術常識であったということができる。したがって、当業者においても、グアニンのモノホスフェートエステルを、ナトリウム塩とすることによって溶解度において優れたものが得られることは当然に予測し得るところであって、前掲甲第7号証に記載された効果が当業者の予測を越えたものと認めることはできず、他にこの効果の顕著性を認めるに足る証拠はない。

(c)さらに、原告は、引用例の一般式においてR5がこはく酸半エステルとりん酸エステルとでは、モノナトリウム塩とした場合の水溶解度に顕著な差が生ずることは予想し得ないことであると主張して、本願第1発明がホスフェートの塩を選択限定した意義を強調する。しかしながら、本願第1発明におけるホスフェート塩が、ナトリウム塩に限定されないことは前記説示したとおりであるが、この点はしばらく措くとして、前掲乙第2号証の溶解度試験のデータ(10頁左下欄16行ないし11頁左上欄1行)および成立に争いのない乙第3号証(特開昭51-59880号公開特許公報)のN1-アシル-1-β-D-アラビノフラノシルシトンのジカルボン酸エステル・アルカリ金属塩の溶解度についてのデータ(8頁右下欄16行ないし9頁左上欄16行)とを比較してみても、ホスフェートのナトリウム塩の方がこはく酸半エステルのナトリウム塩よりも溶解性が高いことは当然予想されることである。この点、原告は、前掲乙第2号証および乙第3号証の化合物は本願の第1発明の化合物と構造が異なるものであるから、これらの乙号証から、本願第1発明についてホスフェートのナトリウム塩の方がこはく酸半エステルのナトリウム塩より水溶性が良いことは予想されないと主張する。しかしながら、前述のとおり一般的な溶解法の一つとして、難溶性薬品について親水基を導入することによって、水溶性を向上させるという手段が確立していることからみて、化合物の水溶性の改善という効果は、医薬における薬効とは違って、化合物の基本構造全体によることではなく、りん酸モノエステルのナトリウム塩やこはく酸半エステルのナトリウム塩など水溶性を付与する親水基に起因するところが大きいものであることが認められる。このことは、前記引用に係る乙第1号証の記述によって明らかである。加えて、引用例の一般式で表現される化合物はプリンー非環状ヌクレオシドと表現される化合物である(前掲甲第6号証訳文5頁15行ないし16行)が、本願第1発明の化合物も、前掲乙第2、3号証の化合物も、引用例でいう広い意味でのヌクレオシドとして、相互に近似した化合物であるから、前記の認定を不合理であるとみるべき程度に基本構造に違いがある化合物とはみられない。このような観点からいっても、原告の前記主張は採用の限りでない。なお、原告は、本願第1発明の奏する作用効果の顕著性を主張するに当たって、医薬は完全に同一でなければ同一の薬効を奏するものとはいえないのであって、少しでも物質(たとえば塩の種類)が異なれば、医薬としては薬効(副作用の多少を含め)が異なる扱いを受けるのが現状であるとして、引用例からは、本願第1発明の化合物に相当する化合物が抗ビールス活性を有することは予測できないことを併せ主張する。確かに、原告主張のように、化合物が少しでも異なれば薬効に違いが生ずることがあることは否定できないがく一般に、複数の化合物を包含する形の上位概念をもって表現された化合物について、ある薬効を有する旨の記載がなされているとき、当業者としては、効果の程度に差異があるとしても、その上位概念に包含される具体的な化合物について薬効のないことを合理的に予想し得る格別の理由がない限り、その下位概念に相当する化合物も同じ薬効を奏するものと推測するものとみるのが自然である。これを引用例についてみるに、引用例に、一般式(Ⅰ)で表された化合物の「医薬的に許容された塩」が抗ビールス活性を有することが記載されていることは、原告も認めるところであるから、この上位概念の発明に包含される本願第1発明の化合物についても当業者は抗ビールス活性を有するものであろうと予測するものとみるのが相当である。そうすると、原告の前記主張は理由がないというべきである。

(d)前述したとおり原告が前掲甲第7号証に基づいてその効果の顕著性を主張する9-(2-ヒドロキシエトキシメチル)グアニンモノホスフェートのモノもしくはジナトリウム塩についてみても、前記認定説示のとおり本出願当時の技術常識もしくは技術水準に照らしてみると、本願第1発明における水溶性の改善の効果は当業者が予測できる域を越えたものとは認められない。加えて、本願第1発明におけるグアニンのりん酸モノエステルのカチオン塩はナトリウム塩に特定されるものではなく、広く一般にカルシウム、マグネシウム、アルミニウムなどのカチオンの塩を包含するものであるのにかかわらず、本願明細書には、ナトリウム塩以外の塩についての水溶性に関する記載がなく、他にもナトリウム塩以外の塩である場合の効果を裏付ける資料の提供もない。翻って、本願第1発明におけるホスフェートの塩がナトリウム塩以外の塩の場合について検討するに、成立に争いのない乙第7号証(化学大辞典796頁)には、「アルカリ金属(ナトリウムはこれに属する。)のリン酸塩は水に溶けるが、他の多くのリン酸塩は難溶」と記載されており、また、成立に争いのない乙第8号証(昭41-19342号特許公報)にも、ヌクレオシド-5'-りん酸の金属塩の水溶化法に関して、「ヌクレオシド-5'-りん酸塩はそのリン酸部分の酸性のため各種金属と安定な塩を形成し、これらの金属塩のうち、ナトリウム塩のようなアルカリ金属塩は水に溶けやすく特有の旨味を呈するが、そのほかの大部分の金属、たとえばマグネシウム、カルシウム、錫、アルミニウム、亜鉛、銅、鉄などの塩は水に難溶または不溶性」(1欄下から9行なし3行)であることが記載されていることから、本願第1発明のグアニン化合物のりん酸エステルのナトリウム塩以外の塩は水溶解度が良くないと予想されるところ、この推測を左右し得るだけの証拠もない。このようにみてくると、本願第1発明のうち、ホスフェートがナトリウム塩である場合の水溶性が良いという効果は従来の技術常識もしくは技術水準からみて予測され得る範囲のことであり、格別顕著なものではなく、また、ホスフェートの塩としてナトリウムやカリウムなどのアルカリ金属以外の他の金属を用いたときには、高い水溶性は望めないものと推測されるのであるから、原告主張のように本願第1発明が水溶性の点において顕著な効果を奏するものとは到底認められない。これを前提とする選択発明の主張は採用の限りでない。

したがって、「ホスフエートの塩を選択したことにより、予測できない優れた効果を奏したものとは認められない。」とした審決の認定判断は正当であり、審決には原告主張のような違法の点はない。

3  以上のとおりであるから、その主張の点に認定判断を誤った違法があるとして審決の取消を求める原告の本訴請求は理由がないので、これを棄却することとし、訴訟費用の負担および上告のための附加期間の付与について行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条、158条2項の規定をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松野嘉貞 裁判官 舟橋定之 裁判官 田中信義)

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