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東京高等裁判所 昭和63年(ネ)727号 判決 1989年11月29日

控訴人 株式会社アートネイチャー

右代表者代表取締役 阿久津三郎

<ほか一名>

右両名訴訟代理人弁護士 高橋剛

伊藤孝雄

被控訴人 株式会社 アデランス

右代表者代表取締役 大北春男

右訴訟代理人弁護士 増渕實

主文

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人から控訴人らに対する、東京地方裁判所書記官が昭和六〇年七月二三日に付与した各執行文の付された同裁判所昭和五五年(ワ)第八六一六号事件の和解調書の正本に基づく強制執行は、いずれもこれを許さない。

3  訴訟費用は第一、二審を通じて被控訴人の負担とする。

事実

第一当事者の求めた判決

一  控訴人ら

主文同旨。

二  被控訴人

1  本件控訴をいずれも棄却する。

2  控訴費用は控訴人らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  被控訴人から控訴人らに対する債務名義として、被控訴人を原告、控訴人株式会社アートネイチャーを被告とする東京地方裁判所昭和五五年(ワ)第八六一六号損害賠償請求事件について、昭和五九年五月一一日に、控訴人株式会社アートネイチャー関西(以下「控訴人関西」という。)ほか一〇名を利害関係人として関与させたうえで成立した、原判決別紙記載の和解条項(同和解条項添付の別紙第一物件目録及び第二物件目録を含めてこれを引用する。以下「本件和解条項」という。)が記載された裁判上の和解調書が存在する。

2  被控訴人は、昭和六〇年七月二三日、東京地方裁判所書記官に対し、控訴人関西において、本件和解条項第一項に違反する事実があったので、同条項第二項の条件が成就されたとして、控訴人らに対する強制執行のため執行文の付与を申請し、同日、同裁判所書記官は、執行文を付与した。

3  しかし、右の条件は成就していないので、前項の執行文が付された右和解調書の正本の執行力の排除を求める。

二  請求の原因に対する認否

請求の原因1及び2は認め、同3は争う。

三  被控訴人の抗弁

1  本件和解条項第一項には、控訴人らが、本件和解条項添付の第一及び第二物件目録記載の部分かつら(以下、「侵害品」という。)を製造、販売しない旨の記載があり、この侵害品は、同目録記載のとおり、ピンが櫛歯状に付いているストッパー(以下、「櫛歯ピン」という。)が付着していることを特徴とする。

2  訴外甲野太郎は、被控訴人の大阪地区の広告担当者である訴外杉本信一の依頼に基づき、昭和六〇年三月八日、控訴人関西本社において、同社との間で、価格金四六万円、内金二三万円を同月末日までに、残額をかつら装着日に各支払う旨の、ストッパー付部分かつらの購入契約を結んだ。

3  訴外甲野は、右かつらの装着日である同年五月七日、控訴人関西を訪れたところ、甲野の注文品として担当者から示された部分かつらは、櫛歯ピンの付着したもの(検乙第一号証。以下検乙第一号証に付着されている櫛歯ピンを「本件櫛歯ピン」という。)、即ち侵害品そのものであったので、これを装着してもらって帰宅し、その後、前記訴外杉本を介してこれを被控訴人に引き渡した。

4  以上のとおり、控訴人株式会社関西が、侵害品を販売したことによって、本件和解条項第二項の条件が成就したものであるから、本件執行文の付与は正当である。

なお、抗弁に対する認否4中の仮定的主張が、検乙第一号証の部分かつらが本件和解条項第一項にいう「部分かつら」と同一であることの自白の撤回を含む趣旨であるならば、その自白の撤回には異議がある。

四  抗弁に対する控訴人らの認否

1  抗弁1の事実中、本件和解条項第一項には、控訴人らが、本件和解条項添付の第一及び第二物件目録記載の部分かつらを製造、販売しない旨の記載があることは認める。

しかし、右和解条項により控訴人らが禁止された行為は、控訴人らが櫛歯ピンを製造し、かつ、そのピンを単体で販売すること、又は、控訴人らが櫛歯ピンを製造し、かつ、そのピンを部分かつらに付着して販売することであり、控訴人らが、被控訴人製造にかかる櫛歯ピンを、控訴人ら製造にかかる部分かつらに付着して販売することまでも禁止したものではない。

2  抗弁2の事実は認める。

3  抗弁3の事実は否認する。

もっとも、検乙第一号証のうち、本件櫛歯ピンを除く部分かつら本体が、控訴人関西が訴外甲野に売り渡したものであることは認める。控訴人関西が訴外甲野に販売した部分かつらに付着していたストッパーは、3Sピンと称しているもの(以下、「3Sピン」という。)であって、本件櫛歯ピンではない。検乙第一号証に取り付けられている本件櫛歯ピンは、3Sピンを取り付けた時の穴を利用して、被控訴人によって取り付けられたものである。

なお、検乙第一号証の部分かつらが本件和解条項第一項にいう「部分かつら」と同一であることは認める。

4  抗弁4は争う。

右3のとおり、控訴人関西が訴外甲野に検乙第一号証を売り渡したことはなく、また、仮に、本件櫛歯ピンを付着した状態の検乙第一号証を控訴人関西が訴外甲野に売り渡したものとしても、本件櫛歯ピンは被控訴人製造にかかるものであり、控訴人関西の行為は、右1記載のとおり、本件和解条項第一項によって禁止された行為ではない。したがって、いずれにしても本件和解条項第二項の条件は成就していない。

五  控訴人らの仮定再抗弁

1  仮に、控訴人関西が、本件櫛歯ピンを付着した状態の検乙第一号証を訴外甲野に売り渡したものとしても、いわゆる用尽の理論により、控訴人関西の右行為は、本件和解条項第一項に違反するものではなく、本件和解条項第二項の条件は成就していない。

即ち、本件櫛歯ピンは、被控訴人が製造し、正規の流通経路に乗って販売されたものであるから、被控訴人の特許権に基づく追求権は消滅しているところ、控訴人関西は、そのような本件櫛歯ピンを適法に入手し、かつ、それらを部分かつら本体に付着したのが検乙第一号証であるから、検乙第一号証を訴外甲野に売り渡した控訴人関西の行為は、被控訴人の特許権を侵害するものではなく、本件和解条項第一項に違反するものではない。

もっとも、本件櫛歯ピンの具体的入手経路は不明であり、明確にすることはできない。

2  仮に、右の主張が認められないとしても、控訴人関西の訴外甲野に対する検乙第一号証の販売行為には、本件和解条項違反の違法性を阻却されるべき理由があるから、本件和解条項第二項の条件は成就していない。

即ち、訴外甲野の検乙第一号証を購入するに至る経緯についての原審及び当審における証人甲野の証言が信用できるとすれば、訴外甲野は、控訴人関西の担当者訴外堀川に対し、被控訴人の製造販売した部分かつらにはストッパーの不具合等の問題があったと申し向け、被控訴人からの乗換客のように装って訴外堀川をその旨誤信させて、本件部分かつらを発注し、しかも、部分かつら本体の完成後において、換言すれば、キャンセル申し入れを受けた控訴人関西の担当者が極めて困惑する時期まで待って、キャンセルの申し入れをし、意図的に控訴人関西の担当者を窮地に陥れ、嫌な気分に陥らせた上、控訴人関西が被控訴人製造の櫛歯ピンを使用することによって、注文した本件部分かつらを問題なく購入する旨申し向けて、控訴人関西の担当者の困惑に付け込み、本件櫛歯ピンを流用させて、検乙第一号証に付着させたものである。そして、訴外甲野は、被控訴人から対価(少なくとも、五〇万円前後の価格の部分かつらを対価として得たことは甲野証言に表れているが、その他に、個人的にも、同人の在籍する会社としても、より多額の対価を被控訴人から得ているものと思われる。)を得て、控訴人関西の担当者との交渉の経過を逐一被控訴人の担当者に報告し、その指示を受けて、控訴人関西が本件櫛歯ピンを使用するように仕向けたものである。

右のようないきさつを見れば、控訴人関西の検乙第一号証の販売行為は、被控訴人の依頼を受けた使者若しくは代理人である訴外甲野の執拗な要求に基づいてなされたものであるから、被控訴人の教唆あるいは同意に基づく行為というべきである。

なお、「同意は不法行為の成立を阻却する。」とはローマ法以来の原則であり、この点からすれば、本件において和解条項違反を主張する被控訴人即ち被害者自身が権利侵害をすすんで引き受ける場合、控訴人らにつき民事上の責任は必ずしも認める必要はないから、いずれにしても、控訴人関西の検乙第一号証の販売行為は、本件和解条項第一項違反の違法性が阻却されるものである。

3  仮に、以上の主張が認められないとしても、前項記載のような控訴人関西が検乙第一号証を販売するに至ったいきさつからすれば、控訴人関西の販売行為は、被控訴人の執拗な教唆行為に惹起されたもので、被控訴人自らが原因を作り出したものである。

被控訴人自身において控訴人関西が本件和解条項第一項違反を行う原因を作出しておきながら、その違反行為の責任を控訴人らに対して追求することは、権利の濫用又は信義則違反に当たるというべきであるから、被控訴人は控訴人関西の前記行為が本件和解条項第一項に該当すると主張することは許されず、本件和解条項第二項の条件は成就されていない。

六  仮定再抗弁に対する被控訴人の認否

1  再抗弁1は否認する。

控訴人らは、本件櫛歯状ピンの入手経路を明らかに主張しないことからみても、控訴人ら主張のいわゆる用尽説を適用するための根拠、要件の存在を否定しているものであり、主張は失当である。

2  再抗弁2、3は否認する。

控訴人らの主張は、自ら和解条項違反の行為をしながら、その事実が発覚するや、自らの違反行為の責任を被控訴人に転嫁しようとするもので、失当である。

およそ、控訴人関西が、本件和解条項第一項に違反する行為をするかどうか調査してみる為には、被控訴人のしたような購入によるしか方法がなく、やむをえない手段である。控訴人関西が違反行為をしたくなければ、訴外甲野の購入希望を拒絶すれば良いのであって、売却についての選択の自由は控訴人関西にあり、制約されているものではない。むしろ、控訴人関西は、訴外甲野が購入を止めようとしたところ、逆に積極的に本件部分かつら即ち侵害品を売却するに至ったものであり、その違反行為は悪質である。

なお、控訴人関西が訴外甲野に本件部分かつらを売却した行為以外に、控訴人関西に本件和解条項第一項に違反する行為があったものではない。

第三証拠関係《省略》

理由

一  請求の原因1及び2は当事者間に争いがない。

二  右請求の原因1によれば、本件和解条項第一項は「被告及び利害関係人ら(以下「被告ら」という。)は、本日以降別紙目録記載の「部分かつら」の製造販売をしない。」というものであり、被控訴人の抗弁1中、本件和解条項第一項は、被控訴人主張のとおり、控訴人らが、本件和解条項添付の第一及び第二物件目録記載の部分かつらを製造、販売しない旨の記載であることは、当事者間に争いがなく、《証拠省略》によれば、本件和解条項添付の第一及び第二物件目録には、それぞれ第1図として部分かつらの表面図が、第2図として部分かつらの内面の周辺部に、ピンが櫛歯状に付いているストッパー(櫛歯ピン)が付着している状況が図示されている、部分かつらの裏面図が各表示されていることを認めうるものであるから、本件和解条項第一項は、控訴人らが、本件和解条項添付の第一及び第二物件目録記載のとおり、内面の周辺部に櫛歯ピンを付着した部分かつらを、製造し、かつ、販売すること及び製造又は販売することを禁止する趣旨と解するのが相当である。

控訴人らは、本件和解条項第一項により控訴人らにつき禁止された行為は、控訴人らが櫛歯ピンを製造し、かつ、そのピンを単体で販売すること、又は、控訴人らが櫛歯ピンを製造し、かつ、そのピンを部分かつらに付着して販売することであり、控訴人らが、被控訴人製造にかかる櫛歯ピンを、控訴人ら製造にかかる部分かつらに付着させて販売することまでも禁止したものではないと主張するが、《証拠省略》によっても本件和解条項第一項をそのように限定的に解釈すべき事由は認められず、他に右主張を認めるに足りる証拠はない。

三  また、検乙第一号証の部分かつらが本件和解条項第一項にいう「部分かつら」と同一であることは当事者間に争いがない。

控訴人らは、仮に、本件櫛歯ピンを付着した状態の検乙第一号証を控訴人関西が訴外甲野に売り渡したものとしても、本件櫛歯ピンは被控訴人製造にかかるものであり、控訴人関西の行為は、抗弁に対する控訴人らの認否1記載のとおり、本件和解条項第一項によって禁止された行為ではないと主張するが、この主張が、前記検乙第一号証の部分かつらが本件和解条項第一項にいう「部分かつら」と同一である旨自白したことを撤回する趣旨を含むとしても、控訴人らが前提とする、「本件和解条項第一項は、控訴人らが、被控訴人製造にかかる櫛歯ピンを、控訴人ら製造にかかる部分かつらに付着させて販売することまでも禁止したものではない」旨の主張が認められないことは、前記二に判示したとおりであり、しかも、《証拠省略》によれば、前記自白をした、控訴人らの原審における訴訟代理人(弁護士)は、本件和解が成立した東京地方裁判所昭和五五年(ワ)第八六一六号損害賠償請求事件の第一九回準備手続期日に控訴人らの訴訟代理人として出頭して、本件和解に関与した訴訟代理人(弁護士)と同一人であることが認められるし、前記自白が真実に反しかつ錯誤に基づくものと認めるに足りる証拠もないので、右自白の撤回は認められない。

四1  被控訴人が、抗弁2において主張する事実は当事者間に争いがなく、検乙第一号証のうち、本件櫛歯ピンを除く部分かつら本体は、控訴人関西が訴外甲野に売り渡したものであることは控訴人らが自ら認めるところである。

右各事実並びに、《証拠省略》を総合すれば、次の事実が認められる。《証拠判断省略》

(一)  訴外甲野太郎は、昭和六〇年三月初旬頃までに、当時、被控訴人の依頼により本件和解条項違反の事実の有無を調査していた取引上の知人訴外杉本信一から、「控訴人関西が被控訴人の使用しているストッパーと同様のものを取り付けた部分かつらを販売しているはずだから。」とか、「被控訴人の製品であるストッパーの形状のものを使っているのではないかを調べてほしい。」とかの話があり、調査のため控訴人関西の店舗で被控訴人が使用しているストッパーと同様のストッパーを付けた部分かつらを購入するように依頼を受け、これを引き受けた。

(二)  訴外甲野は、昭和六〇年三月八日、控訴人関西の店舗を訪れ、応対に出た控訴人関西の従業員堀川芳男(以下、単に「堀川」という。)に対し、甲野自身が装着する部分かつらの購入を申し込み、控訴人関西との間で、ストッパーを付着した部分かつらを代金四六万円、完成予定同年四月末日の約定で購入する契約を締結し、内金二三万円を支払った。その際、訴外甲野は堀川から右部分かつらに取付けるストッパーの見本を見せられた。

訴外甲野は、控訴人関西の店舗に赴く前に、訴外杉本から調査目的の櫛歯ピンの見本を見せられてはいたが、形状を十分記憶していなかったこともあり、堀川に見せられたストッパーが目的のストッパーであろうと勘違いして、契約をしたものである。

右契約後、即日、訴外甲野は、堀川から受け取った契約申込請書及び堀川の名刺に、堀川から見せられたストッパーの形状の略図を添えて訴外杉本に渡していきさつを報告し、訴外杉本は被控訴人に同様の報告をした。

ところが、被控訴人は、右報告から、訴外甲野が見せられたストッパーは櫛歯ピンではなく、構成の異なる3Sピンであることが分かったため、訴外杉本を介して、訴外甲野に対して前記購入契約を解約するように指示した。

(三)  そこで、訴外甲野は、同年三月一三日、控訴人関西の店舗に電話をかけて、前記購入契約の解約を申し入れたが、当日は堀川がいなかったため、別の従業員に用件を伝えたのみで終わり、数日後、堀川から、訪問販売ではないので解約はできないが再度来社を求める旨の手紙が訴外甲野に届いた。訴外甲野は、同年三月二八日、再度控訴人関西の店舗に赴き、堀川に対し、控訴人らのストッパーは装着した時に浮きやすいとかずれやすいなど不都合であると聞いたので購入契約を解約したい、解約できない場合は被控訴人の製品である櫛歯ピンのようなストッパーを付けて欲しい旨申し入れたところ、堀川は、一旦席を立って、別室から櫛歯ピンを数個持ってきて示したので、甲野はその櫛歯ピンを部分かつらに取付けるよう申し込み、堀川がこれを承諾したので、解約の申入れを撤回した。

(四)  その後、訴外甲野の都合で、完成品の受取日を変更し、昭和六〇年五月七日、甲野が被控訴人関西の店舗へ行き、既にでき上がっていた部分かつら本体を頭に合わせて調髪し、右三月二八日の約定のとおり櫛歯ピンが四個付けられた本件部分かつら、即ち、検乙第一号証の引渡しを受け、残代金を支払った。

検乙第一号証は、即日、甲野から訴外杉本に渡され、更に、杉本から被控訴人に渡された。

検乙第一号証に付けられた本件櫛歯ピンには、被控訴人が特許権を有する特許第九八六一五〇号の特許番号が刻印されている。

2  右認定の事実によれば、控訴人関西は、検乙第一号証を製造し、訴外甲野に販売したことにより、本件和解条項第一項に違反したものというべきである。

3  控訴人らは、控訴人関西が訴外甲野に販売した部分かつらに付着していたストッパーは、3Sピンであって、本件櫛歯ピンではなく、検乙第一号証に取り付けられている本件櫛歯ピンは、3Sピンを取り付けた時の穴を利用して、被控訴人によって取り付けられたものであると主張し、原審及び当審における証人堀川芳男の証言中には、控訴人関西が訴外甲野に売り渡した部分かつらには、3Sピンが付けてあり、櫛歯ピンを付けたものを売り渡したことはない旨の証言部分、昭和五七年頃と昭和五九年頃上司から櫛歯ピンは使用してはいけない旨の指示があり、訴外甲野に売り渡した当時、櫛歯ピンの在庫はなかったと思う旨の証言部分があり、《証拠省略》中には、甲野に櫛歯ピンを渡したことはない旨の記載があり、また、《証拠省略》中には、昭和五六年一月頃、被控訴人のピンと同形のピンは使用しないよう上司から指示を受け、当時あった櫛歯ピンは上司に渡し、上司が廃棄したと聞いたし、昭和六〇年春頃、控訴人関西で、かつら本体にピンを付ける係は自分一人であったが、控訴人のピン(3Sピン)しか付けたことはないのみならず、検乙第一号証の本件櫛歯ピンを取り付けている釣り糸の、糸の取り方、糸の掛け方、糸の止め方はいずれも自分のやり方ではない旨の証言部分があり、《証拠省略》中にも、被控訴人のピンと同形のピンは、昭和五五年頃までは使っていたが、上司から昭和五六年一月頃、使用中止の通達を受けてから使っていない。訴外甲野に販売した部分かつらに付けたピンは控訴人関西で使用しているクリップである旨の記載がある。

しかし、控訴人らが、控訴人関西が訴外甲野に売り渡した部分かつらに付けたものと同一のストッパーであると指示する検甲第一号証によれば、同号証即ち3Sピンを頭に装着した状態と同じく閉じた状態にして、両端の取付用穴の中央の間隔を部分かつら本体に接すべき側でピンの反りに沿って計ると約三六mmであることが認められるのに対し、前記検乙第一号証によれば、検乙第一号証に付けられた本件櫛歯ピンを頭に装着した状態と同じく閉じた状態にして、その両端の取付糸が通された鳩目の穴の中央の間隔を部分かつら本体に接した側でピンの反りに沿って計ると約三四mmであり、両者の穴の間隔には約二mmの差があるのに、検乙第一号証に付けられた四個の櫛歯ピンの両端合計八箇所の取付部分のいずれにも、部分かつら本体の糸の穴の位置と櫛歯ピンの鳩目の位置の不自然なずれはないこと、現に取付に使用されている糸の穴以外には糸穴の痕跡がないこと、一旦取り付けられた3Sピンを外し、部分かつら本体に開いた元の糸の穴を利用して、糸の取り方も、糸の掛け方も、糸の止め方も異なる方法で櫛歯ピンを取付けたことをうかがわせる、不自然な取付状況は見られないことが認められ、これらの事実に、《証拠省略》を仔細に検討した結果を併せ考えれば、《証拠省略》は、たやすく採用することができない。他に、右主張を認めるに足る証拠はない。よって、控訴人らの右主張は採用することができない。

なお、検乙第一号証に取り付けられた本件櫛歯ピンには、被控訴人の有する特許権の登録番号が刻印されていることは、前記1(四)認定のとおりであり、本件櫛歯ピンは、被控訴人において製造したものと推認される。

しかし、《証拠省略》によれば、控訴人関西においては、部分かつら用のストッパーの管理は必ずしも厳格ではなく、書類の記載からはあるべきはずの在庫品と実際に存在する在庫品とが一致しない方が多いことが認められ、かつら本体に取付けるストッパーが消耗品的な性質のものであることを併せ考えれば、被控訴人においても櫛歯ピンの管理の実情は大差がないものと推察されるが、同じく《証拠省略》によれば、控訴人関西の社員として応募してくる理容美容関係の技術者の中には元被控訴人の社員であった者もいることが認められることからすれば、控訴人関西の従業員の中には、元被控訴人の従業員であった者もあり、それらの者が控訴人関西に被控訴人において製造使用している櫛歯ピンをもたらす可能性も全く否定することはできず、また、《証拠省略》によれば被控訴人製の部分かつらの下取りによって、新品同然の被控訴人の櫛歯ピンを控訴人関西が入手することも、数は少いとしてもその機会は十分ありうることであることを認めうるのである。したがって、検乙第一号証に取り付けられた櫛歯ピンが被控訴人の製造したものと推認されることが、前記1認定の事実を左右するものではない。

五  そこで、控訴人ら主張の再抗弁1について判断するに、いわゆる用尽の理論により特許権実施品の販売が適法とされるためには、その物品が、特許権者又は適法な販売権を有する者により譲渡され、正当に取得されたものであることを必要とすると解すべきところ、控訴人らは、本件櫛歯ピンは、被控訴人が製造し、正規の流通経路に乗って販売されたものであると主張するものの、それ以上に本件櫛歯ピンの具体的入手経路は不明であって、明確にすることはできないことは控訴人らの自認するところであり、本件櫛歯ピンが正規の販売経路に乗って販売されたものであることの具体的な主張、立証はないから、本件のように控訴人らの製品である部分かつらに取り付けて販売した場合であっても用尽の理論により適法とされるか否かについて検討されるまでもなく、再抗弁1は理由がない。

六  次いで再抗弁3について判断する。

1  控訴人関西が訴外甲野に検乙第一号証を売り渡した経緯は前記四1認定のとおりであり、さらに、《証拠省略》によれば、次のようないきさつが認められる。これに反する証拠はない。

(一)  訴外杉本信一は広告代理店の営業部長で、被控訴人から広告の発注を受ける関係にあり、訴外甲野太郎は、印刷会社の営業係で、訴外杉本の勤める広告代理店から長年注文を受けて来たものである。訴外杉本が被控訴人から、訴外甲野が訴外杉本から、それぞれ前記四1(一)に認定したように調査を依頼されたのは、右のような取引上の交際に基づくものであった。訴外甲野が前記四1(二)のとおり、控訴人関西の店舗を訪れて、部分かつらの購入契約を締結する前に、訴外杉本とは二、三回打合せをしたが、そのうちの一回のおりには被控訴人の社員亀井とも会い、また、被控訴人の大阪支社に赴いて、被控訴人製の櫛歯ピンの現物を見せられたこともあった。

それらの打合せの際に、訴外甲野は、訴外杉本から、前記四1(一)のとおり控訴人関西の店舗で部分かつらの購入を申し込む際には、真実は訴外甲野はそれまで部分かつらを付けたことがなかったのに、控訴人関西の従業員に対しては、「被控訴人製の部分かつらを使用しているが、ストッパーの具合が悪く、アフターサービスも悪いので、控訴人関西の部分かつらを購入したい」旨嘘を交えた申込をするよう指示を受け、訴外甲野はそのとおり申し込んだものである。また、訴外甲野は、控訴人関西との交渉の状況はすべて訴外杉本に報告するよう指示され、それに従って報告していた。

(二)  訴外甲野は、昭和六〇年三月二八日に控訴人関西の店舗を訪れる前に、訴外杉本から、訴外甲野が同控訴人との契約の際に見せられた形状のストッパーが部分かつらに付けられるのであればあくまでも解約を求め、被控訴人製の櫛歯ピンと同様の形状のピンを付けるのなら解約はしないというように話を進めるよう指示を受け、これに従って前記四1(三)のとおり堀川に申し入れた。

堀川としては、訴外甲野の解約申し入れは理由がないと考えてはいたが、解約をめぐる紛争の処理は前向きの仕事ではなく、一旦計上した売上を減らすことにもなり、部下に対し売り方を指導する立場からも、非常に嫌なことと感じていた。

また、前記昭和六〇年三月二八日当時、訴外甲野の注文に係る部分かつらのかつら本体は既に工場で製作に入りかなり作業が進んでいた。

(三)  訴外甲野が支払った、本件部分かつらの代金は、すべて訴外杉本から渡されたものであるが、被控訴人が出捐したものと推認することができる。訴外甲野は右のような調査をした報酬として、少なくとも、被控訴人製の同人用の部分かつら一個を被控訴人から与えられた。

2  右1認定の事実及び前記四1認定の事実によれば、「訴外甲野は、一旦控訴人関西と3Sピンの付けられた部分かつらの購入契約を結びながら、部分かつらの製作作業がかなり進んだ状況で、3Sピンを付けるのであれば解約したい、解約できないのなら被控訴人の製品である櫛歯ピンのようなストッパーを付けて欲しい旨申し入れ、堀川を困惑させ、解約を巡る紛争を恐れる右堀川をして、やむなく櫛歯ピンを付けることを承諾させたうえ、本件櫛歯ピン付きの部分かつら(検乙第一号証)の売り渡しを受けたものであり、右のような訴外甲野の行為は、すべて訴外杉本を介して伝えられた被控訴人従業員の指示に基づくもの」と認めることができる。

3  以上、右1、2認定の事実及び前記四1認定のような事実関係の下では、被控訴人において、控訴人関西が検乙第一号証を訴外甲野に売り渡した行為をもって、本件和解条項第二項所定の違約金一〇〇〇万円の支払義務発生の条件が成就したとして執行文の付与を受けることは、信義誠実の原則に反し許されないものというべきである。

4(一)  被控訴人は、控訴人関西が、本件和解条項第一項に違反する行為をするかどうか調査してみるためには、被控訴人のしたような購入によるしか方法がなく、やむをえない手段であり、控訴人関西が和解条項違反行為をしたくなければ、訴外甲野の購入希望を拒絶すれば良いのであって、売却についての選択の自由は控訴人関西にあり、制約されているものではないと主張する。

控訴人関西の行為が本件和解条項第一項に違反するものであることは前記四2のとおりであり、また、前記四1及び六1認定の事実によれば、堀川は、訴外甲野から櫛歯ピンを付けることを解約申し入れの撤回と引換に求められるや、別室から櫛歯ピン数個を持ってきて訴外甲野に見せたのであるから、その時たまたま控訴人関西の店舗に櫛歯ピンが有ったというよりは、控訴人関西の店舗には櫛歯ピンがいくばくか用意されていたものではないかと疑われる。

しかしながら、訴外甲野は、単に櫛歯ピン付きの部分かつらの購入を申し込んでその売り渡しを受けたのではなく、前記のとおり、一旦、3Sピンを付けた部分かつらの購入契約を結んでおきながら、訴外杉本を介して伝えられた被控訴人従業員の指示に基づき、法律上何ら解約の理由もないのに解約を申し入れ、部分かつら本体の製作作業がかなり進んだ段階で、解約できない場合は被控訴人の櫛歯ピンのようなストッパーを付けて欲しい旨申し入れて、訴外堀川の困惑に乗じて櫛歯ピンを付けることに契約を変更させたものであり、のみならず、被控訴人が訴外甲野に対し、控訴人関西から部分かつらを購入すべく訴外杉本を介して依頼した動機についても、そのような行為にして、同控訴人の本件和解条項違反行為を確認すべくやむをえない措置であったと解される事情が存在したこと、たとえば、同控訴人が櫛歯ピンを使用している確たる事実の存在ないしこれを推認させるような事実関係が存在したことは、本件にあらわれた全証拠によってもこれを認めることができないこと(控訴人関西が訴外甲野に本件部分かつらを売却した行為以外に、控訴人関西に本件和解条項第一項に違反する行為があったものでないことは、被控訴人の認めるところである。)を斟酌すれば、被控訴人が訴外杉本を介して訴外甲野をして部分かつらを控訴人関西から購入させた本件行為は、控訴人関西の本件和解条項違反行為の調査あるいは確認というよりは、本件和解条項第一項違反行為を積極的に誘発したものと認められ、このような事情のもとでは、被控訴人において、本件和解条項第二項の条件が成就したと主張することは、契約当事者間を規律する信義誠実の原則に照らして許されないものと解するべきである。してみれば、被控訴人の右主張は採用することができない。

(二)  また、被控訴人は、むしろ、控訴人関西は、訴外甲野が購入を止めようとしたところ、逆に積極的に本件部分かつらを売却するに至ったものであり、その和解条項違反行為は悪質である旨主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。

七  よって、本件異議の訴えは理由があり、これを棄却した原判決は失当であるからこれを取り消し、本件異議を認容することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第九六条、第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 秋吉稔弘 裁判官 西田美昭 木下順太郎)

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