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東京高等裁判所 昭和62年(ネ)1768号 判決 1988年2月17日

控訴人(被控訴人・第一審原告)(以下第一審原告という。)

深田せつ子

被控訴人(控訴人・第一審被告)(以下第一審被告という。)

一木昌秋

同 豊田重光

右両名訴訟代理人弁護士 石田 享

主文

一  第一審原告の控訴に基づき、原判決を次のとおり変更する。

1  第一審被告らは、第一審原告に対し、各自、金六三九万一六五二円及びこれに対する昭和五六年二月一八日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  第一審原告のその余の請求を棄却する。

二  第一審被告らの控訴を棄却する。

三  訴訟費用は、第一、二審を通じ、これも四分し、その三を第一審原告の、その余を第一審被告らの各負担とする。

四  この判決は第一項の1にかぎり仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  第一審原告

1  原判決を次のとおり変更する。

第一審被告らは、第一審原告に対し、連帯して、金二五一四万三一九六円及びこれに対する昭和五六年二月一八日から支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は第一、二審とも第一審被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

4  第一審被告らの控訴を棄却する。

二  第一審被告ら

1  原判決中、第一審被告ら敗訴部分を取り消す。

2  第一審原告の請求を棄却する。

3  第一審原告の控訴を棄却する。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  第一審原告の夫深田益弘は、昭和五三年一月二日午後五時三〇分頃普通乗用自動車(以下、被害車という。)を運転し、静岡県袋井市山科三二九三番地の一の道路上において停車し信号待ちをしていたところ、第一審被告一木の運転する第一審被告豊田所有の普通貨物自動車(以下、加害車という。)に追突された。

2  右事故は、第一審被告一木の過失により発生したものである。すなわち、同被告は、被害車の後方から進行して来たのであるから、このような場合、自動車運転者として絶えず前方を注視して先行車に追突することのないようにし、もって安全に走行する注意義務があるのにかかわらず、これを怠り、運転席の下に落した吸いかけの煙草を探しながら前方を十分注視しないまま運転を継続した過失により追突したものである。

3  右事故により、被害車の左後部座席に同乗していた第一審原告は、頸部挫傷、背部挫傷等の傷害を負った。その治療関係は次のとおりである。

(一) 昭和五三年一月四日から同年一月七日まで静岡県磐田市所在の同市立磐田病院に通院した(治療実日数二日)。

(二) 昭和五三年一月一一日から同年二月一〇日まで同県天竜市所在の浅井整骨院に通院した(治療実日数一五日)。

(三) 昭和五三年一月二五日から昭和五七年二月一二日まで、同県浜松市所在の静岡労災病院に通院した(治療実日数三四日)。

(四) 第一審原告は、昭和五七年六月一六日静岡労災病院佐藤正泰医師から、第五-六頸椎間前方固定術が必要であり、手術後神経症状が消退した場合は、「せき柱に奇形を残すもの」(第一一級七号-自動車損害賠償保障法施行令二条別表後遺障害別等級表、以下級・号のみで表示する。)に相当する障害を残すとの診断を受けた。そこで、第一審原告は、同年八月二〇日同病院に入院し、同月三〇日第五-六頸椎椎体間の骨移植術を伴う前方固定術を受け、同年一〇月三一日まで同病院に入院し、その後同年一一月一日から同年一二月一〇日頃まで通院した。

(五) 後遺症

第一審原告は、前記手術にもかかわらず、神経症状も完全には消退せず、現在の症状として、頸部・腰部に鈍痛が、首に圧迫感が、左肩・腕・大腿部に重圧感があり、軽易な労務以外の労務には服することができない。したがって、第一審原告の後遺症は、第一一級七号と第七級四号の併合として第六級に相当する。

以上により、第一審被告一木は不法行為者として民法七〇九条により、第一審被告豊田は加害車の保有者として自賠法三条により、右事故により第一審原告の被った損害を賠償する義務がある。

4  損害

第一審原告は、昭和五六年二月一七日第一審被告両名との間で、右同日までの治療費・休業補償費・慰藉料等の損害賠償につき和解したので、本訴において、それ以後に発生した損害の賠償を求めるものである。

(一)(1)  右和解成立の日の翌日である昭和五六年二月一八日から後遺症固定時(労災病院手術後通院終了時)の昭和五七年一二月一〇日までの六六一日間の休業損害。

月収-昭和五六年賃金センサスによる女子労働者平均賃金四三歳、四四歳の月額を一・〇七〇一倍した金額金一八万二五〇〇円(日弁連交通事故損害額算定基準九訂版)-を基礎として以下のとおり計算する。

一八万二五〇〇円×一二×六六一÷三六五=三九六万六〇〇〇円

(2)  後遺症による逸失利益

症状固定時の年令四四歳、就労可能年数二三年、新ホフマン係数一五・〇四五、労働能力喪失率六七パーセントとし、前記の月収とこれらの数値を基礎として、以下のとおり計算する。

一八万二五〇〇円×一二×〇・六七×一五・〇四五=二二〇七万五五二八円

(二) 治療関係費

(1)  治療費 二五万四三三八円

(2)  付添看護費 一七万七五〇〇円(二五〇〇円×七一日)

(3)  入院雑費 四万二六〇〇円(六〇〇円×七一日)

右合計四七万四四三八円

(三) 慰謝料

(1)  (一)(1) の治療期間中一日三〇〇〇円の割合にて六六一日分計一九八万三〇〇〇円の入通院慰謝料

(2)  後遺症六級相当に基づく慰謝料八〇〇万円

以上の総合計金三六四九万八九六六円である。

5  第一審原告は、自賠責保険から金五六万円の支払を受けたので、これを前記損害金額から控除すると金三五九三万八九六六円となる。

よって、第一審原告は、第一審被告らに対し、右金三五九三万八九六六円の内金二五一四万三一九六円及びこれに対する昭和五六年二月一八日(前記和解成立の日の翌日)から右完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実は認める。

3  同3の(一)及び(二)の事実、(三)のうち昭和五五年七月四日までの治療関係は認めるが、その余の事実は知らない。(四)及び(五)の事実は否認する。仮に第一審原告主張のような症状が存在するとしても、本件事故との間に相当因果関係がない。

4  同4の事実は否認する。

5  同5の事実は認める。

三  抗弁

1  本件事故については、昭和五六年二月一七日に当事者間に、本件事故による第一審原告の損害額(治療費、休業補償費、慰謝料等)が一〇八万一〇七六円である旨の和解(以下「本件和解」という。)が成立したが、右和解条項中、「示談条件」欄の(3) 項で「向後もし乙(第一審原告)に後遺障害が出て、医師が当該事故に起因する後遺障害と認めた場合には、甲(第一審被告ら)の自賠責保険にて請求受領するものとする。」と合意されている。

2  右合意の趣旨は、後遺障害が右和解後に出た場合は、自賠法施行令二条及びその別表に基づく金額の限度で支払うということである。

3  昭和五八年二月に第一審原告は後遺障害一四級一〇号と認定されたため、本件事故発生日である昭和五三年一月二日当時の右施行令第二条及びその別表の後遺障害一四級の補償金額に従った金五六万円の給付がなされているから、右合意は履行されているものである。ゆえに、第一審被告らにはその余の支払義務は存しない。

四  抗弁に対する認否

抗弁事実中、1は認め、2は否認し、3のうち第一審原告の後遺症が一四級一〇号であることは否認するが、五六万円の給付の事実は認める。

五  再抗弁

仮に、第一審被告ら主張の和解契約がその主張どおりの趣旨のものであるとしても、第一審原告は、本件和解契約当時これは右和解の日までの損害に関するものであり、右期日以降に発生する損害はすべて新たに支払を受けられるものと誤信していたから、本件和解は錯誤により無効である。

六  再抗弁に対する認否

再抗弁事実は否認する。

七  再々抗弁

仮に第一審原告に本件和解につき錯誤があったとしても、第一審原告は和解契約に立ち会った自動車運転歴の長い夫深田や第一審被告側の保険会社(大東京火災海上保険株式会社)の担当社員らから、充分和解の内容について説明を受けているから、第一審原告には重大な過失がある。

八  再々抗弁に対する認否

再々抗弁事実は否認する。

第三証拠関係<省略>

理由

一  請求原因1及び2の事実(本件事故の発生、加害車の所有関係及び第一審被告一木の過失)については、当事者間に争いがない。

同3の事実(第一審原告の入通院治療関係)中、(一)及び(二)の通院治療関係、(三)のうちの昭和五三年一月二五日から昭和五五年七月四日までの通院治療関係については、当事者間争いがなく、<証拠>を総合すると、第一審原告主張どおり、請求原因3の(三)のうちのその余の事実(昭和五五年七月五日から昭和五七年二月一二日までの通院治療関係)及び同(四)の事実(第一審原告の手術の施行、入通院治療関係)が認められる。

次に、請求原因3の(五)(後遺症)について判断する。

<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

第一審原告は、本件事故後吐き気や頭痛、胸や背中などの痛み、目まい、手のしびれ等の症状があったが、前記磐田病院、浅井整骨院、静岡労災病院に通院して治療を受けたことにより、本件事故後一年位してから少しずつ回復してきたので、生活費に困っていたこともあって保険会社の外交員をしたが、身体の具合が思わしくなく、一年位でやめてしまった。昭和五六年二月当時の第一審原告の症状は、自ら後遺症等級一四級に該当する程度であると思われたので、同月一七日第一審被告らとの間で、本件事故による損害賠償額を一〇八万一〇七六円と確認し、その支払方法のほか、後遺症が出た場合は自賠責保険で処理するとの趣旨の和解契約を締結したが(和解契約締結の点は当事者間に争いがない。)、和解の後第一審原告は、頸部・背部・肩部の各痛み、左上肢のしびれと疼痛、目のかすみ、吐き気、長時間立っていられないなどのかなり増悪した身体症状を感じ、静岡労災病院佐藤医師の診察を受け、通院治療をしていたが、はかばかしくなく、昭和五七年六月一六日同医師から、右症状のうち頭重感や左上肢痛などは第五-六頸椎間の狭小化骨棘形成に起因するものであって、第五-六頸椎々体間の前方固定手術が必要であるとの診断を受けたので、同年八月三〇日右手術を受けたところ、右頭重感や左上肢痛の症状は軽快したが、その後も完治せず、<証拠>によれば、頸椎の左回旋で悪心を訴え、頸椎には叩打痛(悪心をともなう)があるが、椎間孔圧迫試験(スパーリング、ジャクソン試験)は正常であり、僧帽筋は筋緊張と圧痛をみ、左棘下筋及び両大後頭神経に圧痛をみるが、上肢の三頭筋及び二頭筋反射は正常で、ホフマン反射も正常である。又、左前腕から手部にかけて橈骨神経及び尺骨神経領域に軽度の知覚鈍麻が認められ、胸椎は、前屈、後屈に軽度の制限を認めるが叩打痛、圧痛はない。更に膝蓋腱アキレス腱等の反射はいずれも正常であるが、原告は左下肢全体に知覚鈍麻を訴えている。レントゲン所見、CT所見、筋電図所見によれば客観的、他覚的にはほとんど異常が発見できない。そして、これらに精神科による診察の結果(心理テストを含む)を総合すると、第一審原告の自覚症状には心気症の重畳が明らかであり、ロールシャッハ・テストでも「脊柱」の反応を反復し、身体への固着が明らかで、活動エネルギー、他者への共感性、感情表現などすべて低下しており、賠償をめぐる精神障害の存在も含まれており、局部に頑固な神経症状を残すもの(一二級一二号)、脊柱に奇形を残すもの(一一級七号)に該当するものと考えられるが、現在の状態は精神心理面の障害が強く現時点では九級一〇号に該当するともいえる、という趣旨の診断がなされたことが認められ、以上によれば、第一審原告の症状は、心因的要素に起因するものを除いて考えると、一三級以上の等級に該当する後遺障害が二以上存する場合として一一級より一級上位の一〇級に相当するものというべきである。そして、右手術後静岡労災病院への通院終了時である昭和五七年一二月一〇日右症状は固定したものと認めるのを相当する。なお、第一審被告らは、右症状は本件事故との間に因果関係がないと争い、<証拠>にはこれにそう記載があるが、<証拠>と対比してこれを覆えすに足りるものであるとは認めがたい。

以上により、第一審被告一木は不法行為者として民法七〇九条により、第一審被告豊田は加害車の保有者として自賠法三条により、第一審原告の被った損害を各自賠償すべき義務がある。

二  そこで、抗弁について判断する。

昭和五六年二月一七日当事者間に本件和解契約が成立したことについては当事者間に争いがない。

<証拠>を総合すると、次のとおり認めることができる。

昭和五六年二月一五日ころ、保険会社から田中一夫ほか二名(大石、角替)の担当者が、第一審原告に本件事故後三年を経過しているので示談されたい旨を申し入れたところ、第一審原告は当時事故による身体の症状が未だ回復しておらず、示談には応じたくなかったが、生活費に困っていたこと、右担当者の説明によれば、当時の身体症状が後遺症等級一四級にまでは該当しないが、円満解決のため一四級並みの算定をする旨の説明を受け、症状もある程度回復の方向に向っていたこともあって示談に応じることにした。しかし、万一将来後遺症が増悪した場合のことを慮ってその分の損害賠償金の支払についてどのようにするか右担当者と意見交換したところ、保険会社の担当者は第一審被告らの自賠責保険の被害者請求について説明したが、その際、保険会社の担当者は原告に対し、自賠責保険によって将来の後遺症に関して充分な支払いを得られる可能性があるか否かについて、何ら説明しなかったのであるが、第一審原告は将来後遺障害が予想に反して増悪した場合には、完全な支払を得られるものであり、自賠責保険による金額以外の請求を放棄するものではないとの考えの下に、結局「第一項において本件事故による第一審原告の損害賠償額(治療費、休業補償費、慰謝料等)が一〇八万一〇七六円であることの確認、第二項において右金額の支払方法が記載され、第三項において向後もし第一審原告に後遺障害が出て、医師が当該事故に起因する後遺障害と認めた場合には第一審原告らの自賠責保険にて請求、受領するものとする。」旨の条項を定め、なお、示談書の末尾に双方は右条件で示談解決したので、今後いかなる事情が発生しても双方異議の申立をしない旨の文言が記載された示談書(乙第一号証)に調印して本件和解が成立した。

以上のとおり認められ、<証拠>は、前掲各証拠と対比して容易に信用できない。

以上の認定事実によれば、本件和解の趣旨は、当事者の予想しない後遺症の増悪の場合には、それによる損害を完全に賠償することとするが、その請求方法としては、第一次的に、まず自賠責保険の被害者請求の方法によるべきことを約したものにすぎないと解するのが相当である。抗弁は理由がない(第一審被告らは右判示の趣旨に基づく抗弁は主張していない。)。

三  そこで、次に損害について判断する。

休業損害について

<証拠>によると、第一審原告は昭和一三年一月二九日生れの主婦であることが認められるところ、本件和解成立の翌日である昭和五六年二月一八日から前記症状固定時と認めた昭和五七年一二月一〇日までが家事労働者としての休業期間である(昭和五六年が三一七日、昭和五七年が三四四日)。そして、本件については、昭和五六年度及び昭和五七年度賃金センサス第一巻第一表の産業計・企業計・学歴計・女子労働者の全年令平均の年間賃金額によるのを相当とし、それによれば、昭和五六年度は一九五万五六〇〇円であるから一日当り五三五七円(四捨五入、以下同)であり、昭和五七年度は二〇三万九七〇〇円であるから一日当り五五八八円であり、労働能力喪失率表によれば一〇級は二七パーセントであるからこれに従い労働能力の喪失を二七パーセントとするのを相当とするところ、

195万5600円×317円/365日×0.27(昭和56年度分)+203万9700円×344日/365日×0.27(昭和57年度分)=97万7607円

となる。

後遺症による逸失利益について

第一審原告の前記症状固定時の年令は四四歳であるところ、その後遺症状の性質に照らし、労働能力喪失期間を三年と限定し、喪失率二七パーセントとして計算すると、

203万9700円×0.27×2.723=149万9607円

となる。

治療費について

第一審原告の入通院治療関係は、前認定のとおりであるところ、<証拠>によると、その治療費の合計は和解成立後において少なくとも第一審原告主張のとおり合計金二五万四三三八円であることが認められる。又、付添看護費は一日二五〇〇円の割合により実日数少なくとも七一日間で金一七万七五〇〇円、入院雑費は一日六〇〇円の割合により四万二六〇〇円と認める。

慰藉料について

入通院関係分は前記入通院期間に照らして一〇〇万円、後遺症関係分は前記後遺症の等級を勘案して三〇〇万円と認める。

以上合計金六九五万一六五二円であるところ、第一審原告が自賠責保険により金五六万円の支払を受けたことについては当事者間に争いがないから、これを控除すると六三九万一六五二円となる。

してみると、第一審被告らは、第一審原告に対し、各自右金六三九万一六五二円及びこれに対する昭和五六年二月一八日(本件和解成立の日の翌日)から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払義務がある。

以上により、第一審原告の請求は、右の限度で理由があるから認容するが、その余は理由がないから棄却すべきものとし、理由と結論において一部右と異なる原判決は右の限度で変更するものとする。ゆえに、第一審原告の控訴は右の限度で理由があるがその余は理由がなく、又、第一審被告らの控除はすべて理由がない。

よって、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条、九五条、九六条を、仮執行宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 武藤春光 裁判官 菅本宣太郎 裁判官 秋山賢三)

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