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東京高等裁判所 昭和62年(う)451号 判決 1987年7月30日

控訴人 被告人

被告人 吉田克己

弁護人 伊井和彦

検察官 原武志

主文

本件控訴を棄却する。

当審における未決勾留日数中九〇日を原判決の刑に算入する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人伊井和彦の提出した控訴趣意書に記載されているとおりであるから、これを引用する。

所論は量刑不当の主張である。

先ず所論に先立ち職権をもつて原判示第二の事実につき調査するに、原審記録によれば、原判決は原判示第二の所為(以下「本件損壊行為」という。)当時既に佐々木は死亡していたとして死体損壊罪を認定しているのであるが、原判決が挙示する東京慈恵会医科大学法医学教室医師高津光洋他一名作成の鑑定書によれば、佐々木の死体を解剖した結果、同死体には(一)咽頭喉頭粘膜に発赤、浮腫等の変化を認めず、気管内に煤も存在せず、粘膜は淡黄色を呈し平滑であるが、他方(二)左右心房内血液につき分光光度法により一酸化炭素ヘモグロビンの飽和度を測定したところ左房血は一一・八パーセント、右房血は一〇・七パーセントであつたことが認められ、このことに当審で事実取り調べをした証人高津光洋の証言を参酌すると、右(一)の点は気管支に対する加熱作用の不存在、従つてまた呼吸運動の不存在を推測させるが、他方(二)の点についてみるとその数値自体は可熱作用を受けなくともいわゆるヘビースモーカーから得られる範囲内のものではあるものの、左右心房の測定値に約一・一パーセントの差異があり、かつ左の数値が高いことは生前における加熱作用から生ずる一酸化炭素の吸引、従つてまた呼吸運動の存在を示唆しうるものであり、以上の諸点に本件損壊行為が戸外で行なわれていること、本屍には原判示第一の犯行によつて生じ、かつ死因となつた非常に高度な頭蓋内損傷が存することを考慮すると、本件損壊行為当時佐々木が既に死亡していた可能性は高いものの、未だ死戦期にあつてなお生命維持機能が働き短時間ながら微弱な呼吸をしていた疑いも医学的見地からは否定し去ることができないことが認められるのである。してみると、佐々木が本件損壊行為当時死亡していたとするにはなお右のような生存の可能性についての合理的疑いを払拭できず、結局本件損壊行為当時における佐々木の生死は不明、換言すれば生存の可能性も否定できないのであつて、本件における死体損壊罪の成否についてはなお慎重な検討を要するものがあるといわざるをえない。ところで、原審記録及び当審事実取り調べの結果によれば、被告人は原判示第一の犯行後被害者が前頭部から血を流し微動だにしなかつたことから死亡したものと確信し、その顔面を焼いて身元判別を困難にしようと企て本件損壊行為に及んだものであり、しかも前示鑑定書並びに高津光洋の証言に照らしても、ひとり被告人のみならず、なんぴとも、外見上は佐々木が既に死亡しているものと確信し、これに疑いを容れる余地のない状態にあつたこと、更にこれを医学的見地からみてもその生死の判定に困難を来たし、一見死亡しているとみても不自然ではない程であり、仮に生存していたとしても、非常に高度な頭蓋内損傷の故にその後短時間のうちに死亡することが確実視され、かつ現に死亡し、しかもその死亡が本件損壊行為による燃焼中に招来したことも容易に推認されるのであり、被告人の本件損壊行為が佐々木の死に何ら原因を与えるものでなかつたことも明らかである。このような状況下において、被告人は本件損壊行為に及び、かつ少くもこれによる燃焼中、これとは別の前示頭蓋内損傷により死亡した被害者に対し、その死の前後にわたる燃焼により結局意図したとおり死体損壊の結果を生ぜしめたものであるから、このような場合には、たまたま事後の解剖結果によりその行為時において被害者の生存の可能性を完全には否定し去ることができない所見が見られたとしても、なお死体損壊の責を負うべきものと解するのが相当である。してみると、原判決には、前示のとおり本件損壊行為当時被害者生存の可能性が存していたにもかかわらず、被害者が既に死亡したと認定している点において事実の誤認があるというほかないが、右誤認は死体損壊罪の成否に消長を来たすものではないから、判決に影響を及ぼすことが明らかであるとはいえないというべきである。

そこで論旨につき検討するに、本件は、数日前同じ人夫出し業者に雇われた被告人と被害者が右雇主から酒食の馳走を受けての帰途、被告人がタクシー内で日頃心良く思つていなかつた被害者から悪態をつかれたことに立腹し、宿舎近くで降車し、被害者を引きずり降したうえ、絡もうとして逆に被告人から手拳で顔面を強打され路上に転倒しうつ伏せになつたまま格別の抵抗も出来ないでいる被害者の背中にまたがり、セーターの後ろ襟首付近をつかみ前額部等をアスフアルト路面に三回強打してそのころ殺害したうえ、宿舎から身回り品を持ち出し逃走するに際し身元の判別を困難にして犯跡を隠蔽すべく被害者の顔面等にダンボール等を積み重ねて点火し、少くもその後間もなく先の殺害行為により死亡した被害者の顔面等を焼燬したというものであり、本件の発端が被害者にあるとはいえ、被害者は当時中等度の酪酊状態にあつて防禦能力に乏しく、しかも被告人に顔面を強打され殆ど無抵抗に近い状態であつたに拘らず、圧倒的に体力の優勢を誇る被告人が激情の赴くまま前示殺害行為に及び、更に死体損壊をなしたものであつて、被害者の頭部の損傷の凄惨さは殺意の強固さと加えられた暴力の強大さを示して余りなく、態様は凶器を使用していないとはいえ残虐なものといわざるをえず、これにより一命を奪つた結果の重大さはもとより、更になした損壊行為も非人間的なものであり、妻子に先立たれ身一つで気ままな飯場生活を送るうち些細な原因で惨殺され、剰え顔面等を焼燬されるに至つた被害者の末路は憐れというほかなく、加えてその惨状の故に周辺住民はもとより一般社会に与えたであろう衝撃も無視できないのであつて、これらの諸点に鑑みると、被告人の刑責は重大というほかなく、従つて、被告人が反省悔悟していること、本件犯行は偶発的なものであり、被告人も当時酩酊していたこと、平素粗暴な言動に出ることもなく前科歴はあるものの粗暴犯の前科はないこと、その他所論が指摘する有利な諸事情を被告人のため十分斟酌しても、被告人を懲役一〇年に処した原判決の量刑が重きに失し不当であるとは認められない。論旨は理由がない。

よつて、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却し、刑法二一条により当審における未決勾留日数中九〇日を原判決の刑に算入し、当審における訴訟費用は刑訴法一八一条一項但書により被告人に負担させないこととして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 高木典雄 裁判官 太田浩 裁判官 田中亮一)

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