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東京高等裁判所 昭和61年(ラ)63号 決定 1986年12月01日

抗告人

富田真一

外二一名

右抗告人ら二二名代理人弁護士

岡村親宜

山田裕祥

古川景一

相手方

ネッスル株式会社

右代表者代表取締役

エッチ・ジェイ・シニガー

右代理人弁護士

青山周

主文

一  原決定を取消す。

二  相手方は、抗告人らに支給する給与からネッスル日本労働組合(代表者村谷政俊)の組合費を控除してはならない。

三  申立費用は第一、二審とも相手方の負担とする。

理由

第一抗告の趣旨及び理由

抗告状及び抗告理由補充書(昭和六一年二月二八日付、同年五月一二日付)記載のとおり。

第二相手方の抗告の趣旨に対する答弁

及び抗告理由に対する反論

相手方の準備書面(三)記載のとおり。

第三当裁判所の判断

一疎明によれば一応以下の事実が認められる。

1  抗告人らは、相手方との間で原決定添付雇用契約一覧表のとおりそれぞれ雇用契約を締結してその従業員となつたものであり、いずれも相手方霞ケ浦工場において就労している者である。

2  相手方は、肩書地に本社を、全国各地に四工場、一六営業所及び五販売事務所を置き、インスタントコーヒー等の飲食料品を製造販売する株式会社で、その従業員数は約二三〇〇名である。

3  昭和五七年七月当時、相手方には、昭和四〇年一一月相手方従業員らにより結成されたネッスル日本労働組合(以下「ネッスル労組」という。)があり、相手方肩書地に本部を置き、全国各地に八支部、組合員数約二一〇〇名を有していた。

4  ネッスル労組は、昭和五七年七月二〇日第一七回定期全国大会(以下「一七回大会」という。)を同年八月二八日、二九日の両日に開催すること、同大会代議員選挙の投票日を同年八月一一日とすることを決定し、これを公告するとともに、二七名の本部役員候補者名簿を発表した。なお、本部執行委員長には、当時現職の川上能弘と当時姫路支部執行委員長兼本部執行委員の三浦一昭の両名が立候補した。

5  しかるに、同組合本部執行委員会は、同年八月七日前記各選挙に相手方が介入しているので、公正な選挙が行われ難い状況にあるとして、本部役員選挙の中止、一七回大会及び同大会代議員選挙の延期を決定し、この旨公示したところ、右決定に反対する組合員らは、前記三浦一昭らを代表として「本部役員の弾劾、投票の完全実施並びに定期又は臨時全国大会開催」を求める署名運動を各支部で展開し、右署名に応ずる組合員数は全体の約八割に達した。

6  これに対し、本部執行委員会は、同年九月二四日本部役員選挙を同年一〇月三〇日に実施すること、一七回大会を同年一一月六日、七日の両日に開催することを公示する一方、前記署名運動に関与した三浦一昭らを組合員権利停止等の制裁処分に付することを決定し、同年九月三〇日この旨を本部審査委員会に申請した。また、本部選挙管理委員会は、同年九月二五日大会代議員選挙を同年一〇月一八日にあらためて行うことを公示した。

7  右大会代議員選挙の結果、七七名の代議員が選出され、ついで同年一一月三日開票された本部役員選挙では、本部執行委員長に三浦一昭、同書記長に田中康紀ら四名が当選し、獲得票が過半数に達しない上位得票者一〇名が再度信任投票を要する者とされた。

8  同年一一月六日、一七回大会が開催されたが、七七名の代議員のうち現本部執行部役員らに批判的な立場の三五名が欠席した(このことは開催前からある程度予測されていた。)ため、出席代議員が組合規約一八条に定める定足数(議決権をもつ構成員、すなわち大会代議員の三分の二)に達しないという事態が生じた。

ところが、当時本部副執行委員長であつた斎藤勝一らは、欠席した代議員三五名は組合規約上の義務を果さず、代議員たる資格を放棄したものであるから議決権を有しないものとみなして、同大会の成立を認め、出席代議員のみで三浦一昭ら一三名を組合員権利停止処分に付すること、同月一三日に続開大会を開催し、同大会において本部役員を選出すること等を決議し、直ちに三浦一昭ら本部役員二名の解任を相手方に通知した。

9  これに対し、三浦一昭は、同年一一月八日、先に行われた選挙の結果により同人らが本部執行委員長等役職に直ちに就任したことを相手方に通知し、引続き、三浦らに対してなされた前記組合員権利停止処分の効力停止及び本部執行委員長等地位確認を求める仮処分を神戸地裁に申請し(同庁昭和五七年(ヨ)第六九〇号、同第七七一号事件)、同年一二月二日、昭和五八月二月二二日いずれも右申請が認容された。

10  昭和五七年一一月一三日、大会代議員三九名が出席して続開大会が開催され、あらためて三浦一昭らを組合員権利停止処分に付する旨の決議をし、ついで出席の代議員らにより本部役員選挙を行い、本部執行委員長に斎藤勝一を選出したほか、八名の役員を選出した。そして同月一六日斎藤勝一は右本部役員就任を相手方に通知した。

11  右斎藤を長とする本部執行委員会は、同年一二月五日、相手方の意を受けた分派組織(斎藤らのいわゆるインフォーマル組織)が各支部で支部大会や支部選挙を企て強行しようとしているからこれに参加しないようにと呼びかけるとともに、組合員らから右支部大会や選挙に参加しない旨を記された確認書の提出を求めることを決定し、さらに同月二九日右確認書を翌昭和五八年一月九日までに提出した者をネッスル日本労働組合(以下「ネッスル甲労組」という。)の組合員とし、これにより確定した組合員らを構成員とする第一八回臨時全国大会を同月一五日に開催することを決定した。

12  昭和五八年一月一五日開催された右第一八回臨時全国大会において、右確認書を提出した者がネッスル甲労組の組合員であり、これを提出しなかつた組合員らは組合から集団的に脱退したものである旨の大会決議が採択され、これによりその所属組合員を確定した。そして、右確認書を斎藤勝一のもとに提出した者は二百数十名であつた(その後撤回者があり減員した。)。

13  ついで斎藤勝一らは、同年三月二〇日、大会代議員定数二七名中二六名の代議員が出席して第一九回臨時全国大会を開催し、本部役員の再選挙を行つて同人が再び本部執行委員長に選出されるとともに組合規約の改訂を行つた。さらに、同年八月二七日、二八日、同人らは第二〇回定期全国大会を開催した。

14  他方、三浦一昭らは、同年三月一六日前年(昭和五七年)一一月三日行われた本部役員選挙における上位得票者一〇名について信任投票を行うことを公示し、昭和五八年三月一八日から同二四日にかけて右投票が行われた結果、三浦一昭派の九名が信任され、斎藤勝一派の一名が不信任となり落選した。同月二五日、三浦一昭は相手方に右九名がそれぞれ信任、選出された旨を通告した。

ついで三浦一昭らは、同年六月四日、五日第一回臨時全国大会を開催し、同大会で

① 一九八二(昭和五七)年度本部役員選挙において三浦一昭ら現本部役員が選任され就任したこと

② 一七回大会の決議等はすべて無効であること

③ 組合員の斎藤勝一と共にする一部組合員の行動は規約に反する分派行動であることなどを確認する

等の大会宣言を採択した。

さらに、昭和五八年八月二七日、二八日同人らは第一八回定期全国大会を開催した(斎藤勝一らが第二〇回定期全国大会を開催したと同一期日)。三浦は昭和五九年八月二六日退任し、村谷政俊が代わつて本部執行委員長に選出され現在に至つている(以下、右村谷政俊を委員長とする組合を「ネッスル乙労組」という。)。

15  本部役員人事等をめぐつて以上のような軋轢が続いた一方で、ネッスル労組の下部組織である霞ケ浦支部(昭和五三年三月設立、昭和五七年当時の支部執行委員長は溝口栄蔵、組合員数約一八〇名)においても同様の事態が発生した。すなわち、前記斎藤勝一は一七回大会において権利停止処分に付した霞ケ浦支部の溝口栄蔵ら役員四名の解任を昭和五七年一一月一六日相手方に通告した。同月一九日斎藤勝一ら本部執行委員会は、霞ケ浦再建委員会(以下「再建委」という。)の設置を決定し、その代表に井坂正道を任命した。さらに、同月二二日斎藤勝一は、霞ケ浦支部組合員らに、①一七回大会の報告②同支部再建等を議題とする支部全体集会を同月二八日に開催することを公示した。同月二八日、同支部組合員四二名参加のもとに全体集会が開催され、その席上再建委の役員人事などが決定された。

16  再建委は、前記11のとおり、斎藤勝一ら本部執行委員会のなした決定を受けて、支部組合員らに前記確認書の提出を促すとともに、昭和五八年一月五日、参加資格を確認書提出者とする第六回霞ケ浦支部定期大会(霞ケ浦支部再建大会)を同月九日に開催することを公示した。

17  同年一月九日確認書提出者八三名中六四名が出席して前記再建大会が開催され、支部執行委員長に富田真一を選出するなどの支部役員選挙、運動方針の採択、所属組合員が八三名であることの確認がなされた。

18  富田真一は、同年一月一九日相手方霞ケ浦工場に対して一七名の支部役員就任を通告し、さらに翌月一日には「霞ケ浦工場においてはネッスル日本労働組合霞ケ浦支部とは別に、溝口を代表とする組織が結成され、二つの組織によつて今後の組合運営が行われる。」との通告を行つた。

19  同年四月一〇日、富田真一らは、組合員四三名の出席のもと、第七回霞ケ浦支部臨時大会を開催した。同大会では、支部規約の制定、支部執行委員長に富田真一を再選するなどの支部役員選挙、所属する支部組合員が五八名であることの確認などが行われた。同月一三日、富田真一は相手方霞ケ浦工場に支部規約を添えて役員変更の通告を行つた。

20  一方、溝口栄蔵は、同年二月七日相手方霞ケ浦工場に対し、富田真一らの前記活動について霞ケ浦支部執行部が関知しない無効なものであり、同支部の執行委員長は溝口自身である旨通知した。

21  溝口栄蔵らは、同年六月一八日第六回霞ケ浦支部定期大会(代議員三六名)を開催し、富田真一らの行動について規約に反する分派行動であること等を決議した。なお、溝口栄蔵らは、同大会前に支部役員選挙を行い、この結果支部執行委員長に遠藤芳行が選出され、同年六月二〇日遠藤は新役員の就任を相手方霞ケ浦工場に通告した。

二以上の認定事実によると、昭和五七年七月ころ、ネッスル日本労働組合内には、次期本部執行委員長のポストをめぐつて、現職の本部執行委員長川上能弘を推す組合員らと当時姫路支部執行委員長であつた三浦一昭を推す組合員らとの間にはげしい対立抗争があつたところ、一七回大会に向けて同年一〇月一八日行われた代議員選挙では七七名のうち、右川上を推す派が四二名当選し、多数派を占めたのに対し、同月三〇日行われた本部役員選挙では、三浦一昭が次期本部執行委員長に当選したのをはじめ、役員の殆どのポストは右三浦派が占めるに至つた。しかるに、同年一一月六日、七日開催された一七回大会では、三浦派の代議員三五名が同大会をボイコットし欠席したため、大会は開会のための定足数を欠き流会とならざるを得なくなつた。しかるに、当時本部副執行委員長であつた斎藤勝一が前示認定の経緯により、川上派の代議員だけで一七回大会を決行し、同月一三日の続開大会では、あらためて斎藤勝一を本部執行委員長に選出し、役員体制を固め、その後、同委員長の方針に同調する組合員らに確認書を提出させて、構成員を確定し、ここにネッスル甲労組の組織を確立し今日に至つているものである。

他方、三浦一昭は、前記本部役員選挙の結果により自分が本部執行委員長に当選したとして、次々と役員体制を固めたうえ、定期大会を招集し、昭和五八年六月四日、五日第一回臨時全国大会を開催し、自分ら役員がネッスル日本労組の正統な本部執行委員長であり、本部役員であるとの大会宣言を採択し、今日に至つている。以上の推移は、相手方においてもその都度通告を受け熟知しているところである。

以上要するに、ネッスル日本労組は、一七回大会を機に組織的同一性を保持し得なくなり、爾後二つの組合として次第に事実上形成され、成立するに至つたものと解するのが相当である。そして、両組合の併存が確定的となつたのは前記認定の経緯からすれば、昭和五八年三月二〇日以降と解せられる。

三ところで疎明によれば、次の事実を認めることができる。

1  ネッスル労組は昭和五七年三月一八日相手方との間で、有効期間を同年四月一日から一年六か月間と定めて、相手方が組合員の給与から組合費を控除してこれをネッスル労組に交付する旨の労働協約(以下「本件協約」という。)を締結した。斎藤勝一はネッスル甲労組本部執行委員長として昭和五八年一月四日相手方に対し本件協約の破棄を通告した。

2  抗告人らは、いずれも斎藤勝一のもとに前記確認書を提出したネッスル甲労組の組合員であるが、昭和五八年九月五日相手方に対し抗告人らが三浦一昭を代表者とする組合の組合員でないとして、給与から組合費を控除し、かつ、村谷政俊を委員長とするネッスル乙労組に右組合費を交付しないよう申入れた。

四しかるに、前記説示のとおり、ネッスル労組には、二つの労組が併存し、それぞれの組合が独自の存在として活動しつつ今日に至つているのであるから、本件協約の効力はもはや抗告人らに及ばないと解するのが相当であり、相手方が抗告人らの賃金から右協約に基づき申請の趣旨記載のような組合費の控除をすることは許されないといわなければならない。

五次に、必要性について述べるのに、抗告人らにおいて、相手方による給与から控除される一人当たりの組合費は多額とはいえないにしても、抗告人らは現に所属する組合に対しては組合費を納入することは避けられず、しかも右納入が一定期間継続することによる申請人らの負担の増大は明らかであり、相手方において従前どおりの控除をすることも十分予想されるから仮処分の必要はあると解される。

六  以上の次第で、抗告人らの本件仮処分の各申請は理由があるからこれを棄却した原決定は失当として取消すこととし、本件事案に徴し保証を立てさせないでこれを認容することとして主文のとおり決定する。

抗告費用の負担につき民訴法八九条適用。

(裁判長裁判官菅本宣太郎 裁判官山下 薫 裁判官秋山賢三)

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