大判例

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東京高等裁判所 昭和59年(う)184号 判決 1984年8月27日

本店所在地

東京都新宿区歌舞伎町一丁目一一番一一号

有限会社ゼネラルリース

右代表者取締役

倍賞実

本籍

埼玉県坂戸市鶴舞二丁目六番

住居

同県同市鶴舞二丁目六番一号

会社員

衣川哲夫

昭和九年二月二四日生

本籍

山口県防府市大字西浦二〇一四番地

住居

東京都新宿区大久保一丁目三番三号 セイントマンション三〇五号

会社員

益田直通

昭和一八年一月二六日生

右の者らに対する各法人税法違反被告事件について、昭和五八年一二月一四日東京地方裁判所が言い渡した判決に対し、弁護人から各控訴の申立があったので、当裁判所は、検察官鈴木薫出席の上審理し、次のとおり判決する。

主文

本件各控訴を棄却する。

理由

本件各控訴の趣意は、弁護人鈴木博名義の控訴趣意書に、これに対する答弁は検察官鈴木薫名義の答弁書にそれぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。

所論は、要するに、被告人有限会社ゼネラルリース、被告人衣川哲夫及び同益田直通に対する原判決の各量刑はいずれも重過ぎて不当である、というのである。

そこで、検討すると、本件は、被告人有限会社ゼネラルリース(昭和五八年一月一一日以前の商号は有限会社ジョイフルであった。以下被告会社という。)の実質上の共同経営者である被告人衣川、同益田が共謀の上、被告会社の業務に関し、法人税を免れようと企て、売上の一部を除外するなどの方法により所得を秘匿した上、三事業年度において、それぞれ虚偽過少の法人税確定申告書を提出し、法人税合計八九二九万二〇〇〇円を免れたという事案である。本件の犯情は、原判決が(量刑の理由)として説示するとおりであって、その要点を摘示すると、本件の逋脱率は高く、昭和五六年六月期分についてはその前期分の申告に関し税務調査を受けたこともあって五八パーセント余りにとどまったものの、同五五年六月期及び同五七年六月期分についてはいずれも九〇パーセントを超えており、この外形的事実だけからみても、被告人らの納税意識は稀薄であったといわざるを得ない。しかも、本件の動機、経緯をみると、被告人両名は、被告会社の営業がわいせつ図画の販売という反社会的行為と結びつき易いことから、将来の営業不能の事態に備えて個人資産を蓄積するため大幅な脱税を行っていたものであり、被告会社の営業利益はほとんど被告会社に留保することなく、被告人両名において分配していたものである。本件脱税の手段は、実際売上高の記載された日計表を被告人両名が利益を分配した後破棄してしまい、申告しようとする虚偽過少の売上高の記録として、あるいは決算期に一挙に現金納帳を作成し、あるいは実際の売上げの前に公表用の日計表を作成するなどしていたもので、計画的である。ことに、被告会社は、昭和五六年四月所轄税務署の調査により実際売上を記載した日計表の一部等が発見されたため、同年六月に前期分の所得申告漏れとして一七〇〇万円を追加した修正申告をした直後から、またもや本格的な脱税工作を行ったものである。以上のような本件の動機、経緯、犯行の態様及び結果に徴すると、被告会社並びに被告人両名の刑事責任は軽視することができない。更に、被告人衣川は、被告人益田より多くの収益の分配を得ており、昭和四六年、同五一年及び同五六年に各一回わいせつ図画販売罪等によりそれぞれ罰金刑に処せられていること、被告人益田は、昭和五六年中に二回わいせつ文書所持罪により罰金刑に処せられた後更に同種犯行を繰り返し、昭和五七年三月一六日懲役一年六月に処せられ、その執行を四年間猶予されたものである(同年同月三一日判決確定)。そうして、租税逋脱犯はその性質が単に国庫に損害を与えることに尽きるものではなく、国民相互の租税負担均衡の利益をも侵害するものであることを考えると、所論の刑罰の謙抑性等を考慮に入れ、被告人両名のこれまでの生活態度、被告会社がわいせつ文書販売罪を犯し易い営業を止め、被告人らが本件についての国税庁の査察に協力し、修正申告をして本税及び地方税を完納し、第一審判決後更に重加算税及び延滞税の相当部分を納付した上その完納に努めているなど反省の実を示していること、被告人益田が年老いた両親等の扶養に力を尽しており、被告会社から分配を受けた収益で購入した不動産及び株券は第一審判決後その物自体あるいはそれを売却して得た金員を被告会社に引き渡していることなど所論の指摘する被告人らに有利な諸事情を十分斟酌しても、(一)被告会社を罰金一二〇〇万円に処し(逋脱税額に対する罰金の率は約二三・四パーセントにあたる。)、(二)被告人衣川を懲役一年二月及び罰金一〇〇〇万円に処し、その懲役刑の執行を四年間猶予し、(三)被告人益田を原判示第一及び第二の各罪について罰金四〇〇万円に、原判示第三の罪について懲役六月に処し、懲役刑について再度の執行猶予を付すべき情状は認められないとしてその執行を猶予しなかった原判決の各量刑が重過ぎて不当であるとはいえない。論旨はいずれも理由がない。

よって、刑訴法三九六条により本件各控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 海老原震一 裁判官 和田保 裁判官 本吉邦夫)

○ 控訴趣意書

被告人 有限会社ゼネラルリース他二名

右の者らに対する法人税法違反被告事件についての控訴の趣旨は左記のとおりである。

昭和五九年三月一日

右弁護人 鈴木博

東京高等裁判所

第一刑事部 御中

第一点 原判決には明らかに判決に影響を及ぼす量刑不当が存するのでその破棄を求める。

第一、原判決は租税逋脱犯の量刑の考え方について根本的な誤りを犯している。

一、原判決は明言こそしないが、その量刑の理由の全体を仔細に検討すれば、一般予防的、秩序維持的見地から厳罰主義を貫き、犯行の動機、経緯、態様及び結果を重要視して、その全体的犯情が著しく反社会的、反道徳的なものと認めれば、それ相応の徴役刑を科す必要があり、場合によっては実刑を科すことも躊躇しないとの思考方法を前提としていることが明らかである。そして被告人益田直通については執行猶予中であ遊興費、享楽費等の冗費に当てたことはなく、一貫して蓄積その他建設的目的のために用いているものであって、この点も顧慮されてしかるべきである。

二、しかしながら、租税逋脱犯の本質は結局のところ、国家の国民に対する課税債権を侵害するところにあるのであり、それ故に刑事処罰が科せられるものであるからいわば財産犯的色彩の濃厚なものと言うべきである。そして、租税における国家と国民との関係は国家権力の作用(権力的行政)そのものと見るべきではなく、一般私法に類似の債権債務関係としてとらえられるべきである。

そうであるならば、租税逋脱犯の処罰において租税法秩序の維持、すなわち租税法律関係における国家側の公権力作用の確保という公的、権力的立場からの一般予防的見地(みせしめ((一罰百戒))として逋脱犯者を懲役刑に処し、更には実刑という社会的地位ある者にとって昔日の獄門に等しい処分に晒すことによって一般国民をして脱税の応報を知らしめてお上を畏怖させ懲税作用の確保をはかるというもの)ばかりが片面的に強調されて良いというものではない。

むしろ、租税逋脱犯的性格からすれば何よりも被害の回復、法益侵害の回復を重視しなければならないのである。そして逋脱犯にあっては犯情により逋脱税額と同額までの財産刑を科すことができるのであるから、徒らに懲役刑に重点を置く必要はないのであり、又罰金刑という金銭的制裁を加えることによって刑事政策の目的を充分に達成できる点も十二分に考慮されるべきである。

近時、慢性的な国家財政の赤字により徴税作用の確保を至上目的とする考え方からか、租税法秩序維持の視点を殊更に重視し実刑判決を辞さない強権的判決が見受けられるが、これは重く処罰さえすれば犯罪(脱税)が減るだろうという安易な重罰主義に走るものであって、刑罰の謙抑性、租税逋脱犯の本質、更には逋脱犯者の社会内更正という刑事政策的見地を看過するものであり、誠に遺憾である。

三、本件では、原判決が認定しているように、被告人らは起訴された本件三年分について全て修正申告のうえ本税及び地方税を完納しており、併せて今後重加算税を納付する予定であり、更には適正な罰金刑については納付する覚悟を決めているのであるから、国家(地方公共団体)の課税権等は回復されるものである。

従って、租税法秩序維持の見地を振りかざし、重罰に処すれば良いというものではなく、適正な刑罰の量定、すなわち法益侵害を重視する立場から財政刑に重点を置く量刑が本件においても行ならなければならないのである。

以上の観点からすれば、原判決は租税逋脱犯の量刑について根本的な誤りを犯しているものであり、それは、裁判所に許された裁量の範囲を逸脱するものであって破棄を免れない。

第二、原判決は量刑の事情において左の事情を没却している。

一、被告人益田直通及び衣川哲夫の長年にわたる真面目な営業態度並びに生活態度を無視している。

被告人両名は、学校卒業後何度か職を変えているものの一度として休職し無為徒食したことはなく、裸一貫のところから真面目に営業に励んで来たものである。特に昭和四五年からは一日一六時間以上働き休日も取らずに営業に従事して来たものである。

又、被告人両名の生活態度は逋脱した金銭で華美な生活を送るといったことはなく、普通のサラリーマン並みの生活を維持して来たものである。更に両名は逋脱した金銭を主に蓄積に回して来たものであるが、本当の意味での脱税の恩恵に与らないまま本件起訴となり、又修正申告に基く諸税、罰金刑により永久にその利益を享受する機会を失ったものである。

右の点は被告人両名の検察官調書及び第一審における被告人質問により明らかな事実であり、この点を無視して真の量刑はあり得ないのである。

二、被告人両名に罪証隠滅行為が皆無である点を無視している。

一般に租税逋脱犯においては、自己の刑事責任の免脱ないし軽減をはかる目的から往々にして犯行発覚後罪証の隠滅行為に走るケースがある。否、多かれ少なかれ自己の犯跡を隠し、弁解を構えるのが大半のケースと言いうる。その中にあって本件では国税庁の査察後当初から全面的に自白し弁解せず、罰を反省し改俊の情を示す意味合いからも一切の隠しだてをせず一貫して国税庁、検察庁の捜査に協力して来たものであり、それ故逋脱事件としては短期間のうちに起訴となったものである。又、第一審の公判でも一切事実関係を争わず、裁判の進行に全面的に協力して来たものである。こういった罪証隠滅を行わず更に捜査、裁判の引延しを計らないという両名の態度は、真摯に逋脱行為を反省しているところから来ているものである。

以上の事実は、被告人両名の検察官調書並びに第一審における被告人質問において明白に現われているものであって、逋脱犯の量刑において十分に斟酌されるべきものである。

三、本当の意味での売上除外金の使途配分を無視している。

原判決は、被告会社の営業利益(売上除外金)を被告人両名において分配したと論断し、否定的情状の一つとしているが、売上除外金の使途配分は単にその帰属の名義だけでなく、実際にどのように使われたかも十分に検討されるべきである。法人税の逋脱は多くの場合、法人自身のためではなく個人のために行なわれるものであり、個人に帰属したからといって直ちに不利な情状となるものではない。

本件では関係各証拠により判明するように多くは被告人両名に帰属しているものであるが、両名はそれを遊興費、享楽費等の冗費に当てたことはなく、一貫して蓄積その他建設的目的のために用いているものであって、この点も顧慮されてしかるべきである。

又、被告人益田ついては、同人の被告人質問及び証人益田玉夫により明らかなように、郷里(山口)に在住する両親等の高齢者四名(被告人益田をその生計の唯一の頼りとする)の面倒を見るため除外金の大半を使っていたものであり、真に己むを得ない同情すべき事情として斟酌されるべきである。

第三、原判決は左の情状について量刑の評価を誤っている。

一、税に対する認識の程度について

原判決は被告人両名の税に対する認識について「稀薄」と決めつけている。

しかし、被告人両名の検察官調書並びに被告人質問において明らかなように、両名は個人営業時代から及び両名の共同経営となってからは創業の「パーク」店以来税務署の調査、査察を受けることなく自発的に税金の申告をし続けて来たものである。そして、被告人両名がかつて属していた業界では税務申告をする業者は極めて稀であり、右のように真面目に申告、納税して来た被告人両名は例外的存在であって、むしろ業界内においては模範とも言える存在であったのである。

もとより税に対する認識といっても種々の階梯があり得るのでかるが、少なくともこの種の業界においては税に対する高度の認識を求めるのが困難な環境にあると言えるのであって(期待可能性が小さい)、両名に対する非難可能性は小さいのである。

二、被告人益田の特別の情状を軽視している。

第一審で詳述したように、被告人益田には両親を含め三人の高齢の親族(叔母は第一審判決直前に死去)の生活の面倒を見る義務があり、現に同人は一家の柱石として中学卒業以来活動し扶養し続けて来たものである(長男として弟妹の進学を助けるため自らは高校進学を断念し、又現在も親族扶養のため独身を守っている)。

従って仮に実刑判決を受けると被告人益田の収入が途断え、同人の仕送りを唯一の生活の糧としている両親ら三名は忽ちのうちに生活困窮に陥り、一家は路頭に迷うことになるのである(被告人益田の被告人質問及び証人益田玉夫の証言により以上の事実は明らかである)。

右事情の持つ重みを原判決はどれだけ斟酌したのであろうか。控訴審における再考を求める所似である。

三、被告人益田と被告人衣川との刑の均衡について軽視している。

被告人両名は、昭和四五年以来共同経営者として一心同体の関係を続け、営業活動に従事して来たものである。したがって、昭和四五年以降は両名共通の経歴を持つものである。これは両名の検察官調書及び被告人質問により明らかである。

その間、会社設立後は代表取締役を両名交替で勤めているものであるがこれはあくまで便宜的なものであって実質的には平等の共同経営を行って来たものである。更に両名の前歴を見ると昭和四五年以降両名は罰金刑に処せられているがこれは共同経営の事業からそうなったものである。又、片方だけ罰金刑に処せられているのは全くの偶然によるものであって、実質は両名同じ立場にあったものである。

ところが、たまたま昭和五七年に被告人益田は執行猶予付懲役刑に処せられたものであるが、それも実体は共同経営に基くものであり、被告人益田が一人罪を背負ったとも言い得るものである。

原判決は、右のような状況下において本件につき執行猶予中であるとの一事をもって被告人益田を実刑に処し、被告人衣川を執行猶予としているが、これでは両名間において余りにも刑の均衡を失することになり理不尽の一語に尽きるものである。実刑と執行猶予とでは社会的地位ある人間にとって天国と地獄程の差異があるものであり、本件ではそれだけの差を設けるべき合理的理由は存しない。

しかも、原判決が認定するように本件については、むしろ被告人衣川が主導的役割を勤め、被告人益田は従属的立場にあったとも言い得るのであって、そうすると両名について原判決の如き差異を設けることは益々不当、不合理ということになる。控訴審において再度検討を求める次第である。

第四、結語

以上の諸点を考慮すれば原判決の量刑は明らかに重きに失し、許された裁量の範囲を逸脱していることが明白であるから、破棄されるべきである。

とりわけ、被告人益田の量刑は著しく不当、不合理であり破棄を免れない。ただし、被告人益田の場合、前述の諸点に加え、第一審判決前に関係各証拠により、修正申告に基づく諸税及び本件罰金刑の支払により同人の全ての資産を失い(現在では後述の如く失っている)裸一貫の元の状態に戻ることが予定されていたのである。つまり、被告人益田は全財産を没せられ(かつ、死ぬまで返済しきれない借財を背負う)、実刑判決を受けた以上の刑罰、制裁を受けるつもりであって、その上更に実刑となれば、俗に言う踏んだり蹴ったりといくことになり明らかに刑の均衡を失し、量刑の裁量範囲を逸脱するからである。

第二点 第一審判決後の量刑の事情として、被告人益田は修正申告に基づく諸税支払のため全財産を被告会社に戻している。

被告人益田は、今回諸税支払のため現金(預金)を被告会社に返還し、昭和五九年二月には以下のように現金以外の財産も全て会社に返戻あるいは処分して現金で返還したものである。

(一) 栃木県日光市所野一五四三番二九所在の土地 三〇〇平方メートル

(二) 東京都新宿区大久保一丁目三番三号

セイントマンション三〇五号一室 三九、五平方メートル

(三) 株式会社カネオカ株式 一万五〇〇株

被告人益田には、右の他には財産がないことは第一審の証拠上明らかであり、これにより被告人益田は裸一貫の状態に戻るだけでなく、四、〇〇〇万以上の借金を被告会社に対して負うことになり、終生借金の返済に追われることになるのである。

以上の点については、控訴審において立証する予定である。

如上の第一審判決後の事情をも斟酌すれば原判決の破棄は免れないものである。

以上

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