大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和57年(ネ)203号 判決 1982年11月29日

控訴人

財団法会道博物館

右訴訟代理人

中村稔

熊倉禎男

被控訴人

有限会社書芸文化新社

被控訴人

飯島稲太郎

右両名訴訟代理人

田宮甫

堤義成

斎喜要

坂口公一

鈴木純

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴人

1  原判決を取消す。

2  被控訴人らは、昭和五五年八月三〇日発行に係る編集兼発行者被控訴人飯島稲太郎、発行所被控訴人有限会社書芸文化新社の和漢墨宝編集第二四巻「顔真卿楷書と王〓臨書」を販売してはならない。

3  被控訴人らは、前項の書籍中「顔真卿自書建中告身帖」の部分を廃棄せよ。

との判決

二  被控訴人ら

控訴棄却の判決

第二  当事者の主張及び証拠関係

次のとおり付加するほか、原判決事実摘示と同一であるからこれを引用する。

一  控訴人の補足主張

1  美術の著作物の場合は、文芸の著作物等と異なり、原作品そのものに財産的、美術的価値があり、著作権の本質をなす複製権は二次的な価値しかもたないのが通常であり、その点に美術の著作物の他の著作物とは違つた特徴があるところ、美術の著作物の原作品の所有者は、他の所有者と同様、所有権の範囲を逸脱し、もしくは他人の権利・利益を侵害する結果となるような場合を除き、この美術の著作物の原作品を利用して使用収益をはかることができるわけであるが、これが美術の著作物の原作品であることから、著作権の存続期間中は、その利用について著作権法上の制約に服する。しかし、著作権の存続期間が満了すれば、美術の著作物の所有者は、著作権による制限を受けなくなるので、その所有物である原作品を自由に利用して使用収益をはかることができることとなり、そうした利用行為の中には、その原作品の影像や写真の製作、販売やその許諾も含まれる。

換言すれば、この場合、著作権の存続期間が満了すれば美術の著作物はいわゆるパブリック・ドメインに帰することとなるが、それは、単にその無体財産権の権利者が有していた無体財産権法上の専有権が消滅したというにとどまり、直ちにその著作物を何人も自由に利用できることになつたということを意味するわけではなく、その利用にあたつては当然美術の著作物の原作品の所有者が有する使用収益権の制約を受けるのであつて、著作権の存続期間満了後その原作品の所有者が有することとなつた原作品の影像や写真の排他的支配権を侵害することは許されないのであり、第三者による右作品の影像や写真の利用が右原作品の所有者が有する使用収益権を害する結果となるときは、所有者は、その所有権に基づきこれを差止めることができるのである。

2  控訴人の右見解は、著作権法中の著作権者と美術の著作物の所有者との関係についての規定に照らしても何ら矛盾するものではない。

すなわち、美術の著作物の原作品の所有者は、著作権の存続期間中は同法四七条の場合を除き、当該の美術の著作物の「複製」権を支配できないし(同法二一条)、一方美術の著作者が同法二一条及び二五条に基づいて有する著作物の複製権並びに展示権は、同法一八条二項、四五条一項及び四七条に規定するとおり、美術の著作物の原作品の所有権により制限されている。

したがって、著作権の存続期間中は美術の原作品の所有者といえども、著作権法四七条の場合を除き、著作権法にいう「複製」を自ら行つたり他に許諾したりすることはできないが、右期間が満了すれば、全く自由にその原作品の所有権に基づく使用収益権を支配できることとなるから、その原作品の影像や写真も排他的に支配できることとなる。

3  尤も、控訴人は、無体物である著作物の排他的な支配権を控訴人が所有権に基づいて有する、などと主張しているわけではなく、第三者による所有物の影像や写真の利用がその所有物の使用収益権を害するような結果となるときは、所有者はこれを差止めることができると主張しているのであつて、本来その所有物が美術の著作物であろうとなかろうと関係ないことである。

二  被控訴人らの反論

1  控訴人は、「美術の著作物は文芸の著作物と異なり原作品そのものに財産的、美術的価値があり、著作権の本質をなす複製権は二次的な価値しか持たないのが通常であり、その点に美術の著作物の他の著作物とは違つた特徴がある。」と決めつけている。

しかし、確かに右のような社会的な取扱いの傾向はあるとしても、これは著作物それ自体に内在する法律的性格の相違に基づくものではなく、右の相違は、単に著作物「複製」の技術上の制約の反射的結果でしかないのである。すなわち、美術の著作物においてはその著作物の性質上、文芸の著作物の場合と異なり、現在の技術水準をもつてしてはこれを精確に複製すること自体不可能に近いか、または極めて困難である。したがつて、著作物それ自体は本来無体なものであり、抽象的価値をその本質とするものでありながら、あたかも、美術等の著作物の原作品が、それ自体「著作物」そのものであるかの如き錯覚を人々に与えることがあるのである。

右の点を考慮すれば、文芸の著作物と美術の著作物を峻別して、「著作権の存続期間が満了すれば、美術の著作物の所有者は、原作品を利用して使用収益をはかることができることとなり、そうした利用行為の中には、その原作品の影像や写真の製作、販売やその許諾も含まれる。」という控訴人の主張は首肯し難いし、著作権の存続期間満了後、所有権の内容として原作品の影像や写真の排他的支配権を有するとすることは、法秩序の整合性のうえで重大な疑問を与えずにはおかないというべきである。

2  本件訴訟の唯一の争点は、被控訴人らが適法に所有している写真乾板の使用収益を、控訴人が所有している原本の所有権によつて差止めうるか否かであるところ、控訴人が所蔵する美術品等のうち、著作権を有しないものについてまでその複製に対して対価を要求し、複製を「許可」せんとする行為は、法的根拠を欠くものである。尤も、新たに、控訴人の所有する原本に接近して写真撮影等を行い複製をする場合は、事実上、控訴人の所有物への物理的接近、並びに所有物の開示を求める必要があるために所有権者たる控訴人にその承諾を得なければならないことがあるとしても、既に、何らかの形で複製のための乾板等を適法に所有する者に対してまで、更に控訴人の承諾並びに対価の支払を要求することは法律上何ら根拠のない明らかに不当な要求というべきである。

なお、仮に控訴人が主張するように、故中村の故七条に対する「自書告身帖」の複製許可が同人に対する専属的なもので、故中村の承諾なく被控訴会社その他の第三者に譲渡しえない旨の約束が故七条との間にあつたとしても、それは債権的効力しか存しないのであるから、被控訴人らの所有物である「自書告身帖」の写真乾板の使用収益行為の一方法としての複製刊行を、控訴人がその原本所有権を理由として阻むことができないことは明白である。

三  新たな証拠<省略>

理由

一当裁判所も、控訴人の被控訴人らに対する請求は、いずれも失当としてこれを棄却すべきものと判断するものであるが、その理由は、原審における双方の主張立証に関しては、原判決理由説示と同一であるからこれを引用する。

二当審における控訴人の主張について判断する。

1  控訴人は、美術の著作物は文芸の著作物と異なり原作品そのものに財産的、美術的価値があり、これを複製することは単に二次的価値しかないことを強調して、著作権の存続期間が満了すれば、美術の原作品の所有者は、原作品の影像や写真の排他的支配権を有することとなる、旨主張する。

しかしながら、まず第一に、美術の著作物と文芸の著作物との社会的取扱いの相違は、文芸の著作物と異なり美術の著作物についてはその精確な複製が不可能に近いことから生ずる事実上のものにすぎないのであつて、美術の著作物も、文芸の著作物と同じく本来無体のものであり、両者の間に本質的な相違はないから、これと異なる控訴人の主張を首肯することはできない。

さらにまた、著作権法の規定に照らして右主張の当否を検討してみるのに、美術の著作物の複製並びに原作品による公の展示に関しては、その著作者が排他的権利を独占的に有する旨を規定し(同法二一条、二五条)、一方、未公表の美術の著作物の原作品が譲渡された場合は、その著作物を原作品による展示の方法で公衆に提示することについて、著作者は同意したものと推定され(同法一八条二項二号)、また、美術の著作物の原作品の所有者は、右著作物をその原作品により公に展示することができると定め(同法四五条一項)、そのほか、美術の著作物の原作品の所有者は、これを公に展示するに際し、観覧者のために著作物の解説または紹介を目的とする小冊子に著作物を掲載することができると定めている(同法四七条)。

右各規定によれば、美術の著作者は、著作権の存続期間中無体物である美術の著作物につきその複製権及び展示権を専有するわけであるが、同法一八条二項二号の場合には著作者の同意が推定される結果、同法四五条一項、四七条の場合には著作者の専有する右複製権及び展示権が制限される結果、原作品の所有者による美術の著作物の公の展示もしくは複製が著作権法に牴触せずに許されるとするにとどまるのであつて、著作者ではない原作品の所有者に無体物である美術の著作物の複製権及び展示権を認めたものではないと解せられる。そうして、美術の著作者が専有する無体物たる美術の著作物の複製権及び展示権は、著作権の存続期間満了後においては、いわゆるパブリック・ドメインに帰するところ、この場合、美術の著作物の原作品の所有者が、有体物についてこれを直接かつ排他的に支配する権利である所有権の内容として、無体物たる美術の著作物につき排他的な利用・支配権能を取得して原作品の影像や写真に対し排他的支配権を取得するに至ると解する余地は全くないのである。

尤も、美術の著作物の原作品の所有者は、有体物たる所有物そのものの使用・収益・処分について排他的な権利を有するから、他人(著作権者をも含む。)が、原作品の所有者に対し、著作物の内在する所有物に接近するのを求めたり、その開示、貸出及び写真撮影等を求めたりするのに対し、これを拒むことができるし、また、著作権者の権利を侵害しない限り、対価を得てこれを許すこともできるが、それ以上に無体物たる著作物についてなんらかの権利を主張することはできないのである。

したがつて、控訴人の前記主張は、いずれにしても失当として採用できない。

2  なおまた、控訴人は被控訴人の本件印刷物の印刷・発行により控訴人の「自書告身帖」に対する所有権に基づく使用収益権が害せられたとして、この事実を前提として本件各請求をなしているものであるところ、控訴人の「自書告身帖」に対する使用収益とは、自らこれを観賞あるいは複製しあるいは、他人に対しこれらの行為をなすことを許諾してその対価を得ることなどであるから、控訴人がこれらの使用収益をなす権利が、被控訴人の前記行為によつて物理的に妨げられると解すべき余地はない。もつとも、被控訴人の刊行した複製を入手した者があらためて控訴人に対し、対価を支払つて「自書告身帖」の複製許可を求めたりすることはないであろうから、控訴人が被控訴人の行為により「自書告身帖」を利用しての収益の機会を奪われ、経済上の不利益を受けるであろうことは否定できないから、控訴人の右使用収益権の経済的価値がこれによつて減少したということはいえるであろう。しかしながら、貨幣を媒介とする交換経済のもとにおいては、移転可能なあらゆる法律的権利には経済的価値があり、かつ右経済的価値は各種の要因によつて変動することを免れない(例えば交通機関の整備による近隣地価の上昇、新製品の開発による旧製品の値下り等)のであるが、他人の権利の経済的価値の下落をもたらすような行為も、自由競争の範囲内では当然に許されるから、そのような経果を生じたというだけで違法とはいえないのは当然である。そうして被控訴人の本件印刷物の印刷・刊行の行為についてこれを違法と目すべき特段の事情は、以上認定の事実中に見当らないし、他にこれについての主張立証はない。それ故控訴人の右使用収益権侵害の主張も採用できない。

三それ故、原判決は相当であつて、本件控訴は理由がな<い。>

(石川義夫 寺澤光子 寒竹剛)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例