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東京高等裁判所 昭和56年(ネ)1865号 判決 1983年7月19日

控訴人

辺見寛之

右訴訟代理人

尾崎昭夫

大室俊三

竹内俊文

武藤進

被控訴人

内田定雄

右訴訟代理人

高橋勲

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実《省略》

理由

一被控訴人宅の所有及び居住

被控訴人が千葉市弁天四丁目五番一四号の被控訴人宅にその家族と共に居住していること、付近家屋の位置が原判決別紙第一図面のとおりであることは当事者間に争いなく、原審における被控訴人本人の尋問結果によると、被控訴人は、昭和三六年から被控訴人宅を所有し居住していることが認められる。

二控訴人の本件建物建築

控訴人が、被控訴人の南隣で産婦人科医院を開業している者であること、その所有する本件土地に本件建物の建築を行なうこととし、新日本建設株式会社を施行者として昭和四八年九月二二日ころから基礎コンクリート工事に着工したことは当事者間に争いがない。

三本件建物の概要、地域性及び本件建物の公法的規制への適合性

本件建物の概要、地域性及び本件建物の公法的規制への適合性は、原判決理由説示二の1本件建物の概要(但し、原判決一九枚目裏三行目の「前記一認定の事実」とあるのを、「この判決の前記一、二の事実」と読替えるものとする。)、3地域性、4本件建物の公法的規制への適合性(原判決一九枚目裏二行目から二〇枚目裏六行目まで、及び二一枚目表八行目から二四枚目裏一行目まで)に説示したところと同一であるからこれを引用する(但し、原判決二〇枚目裏四行目から六行目までを「また、成立に争いのない乙第六号証に弁論の全趣旨を総合すると、本件建物は、北側境界線から本体部分で2.84メートル、階段部分で1.88メートル離れていることが認められる。」と訂正し、同二二枚目裏九行目「甲第三号証」の次に「、前出乙第六号証」を加え、同二三枚目表七行目の「三メートル」とあるのを「2.84メートル」と、同八行目の「2.4メートル」とあるのを「1.88メートル」と各訂正する。)。

四被控訴人宅の日照等の被害状況及び被害回避の可能性

1  <証拠>を総合すると、次の事実を認めることができる。

被控訴人は、昭和三五年頃、被控訴人宅の敷地約一五〇坪を買い、翌三六年頃その地に被控訴人宅を建築し、居住するようになつた。被控訴人は明治四二年生れであり、その妻は大正七年頃の生れであり、当時、三年後に定年で勤務先を退職しなければならないことがわかつていたので、老後の生活をも考えて退職後の居宅を建築したものであつた。本件土地と被控訴人宅敷地との境界から約10.8メートルの距離をおき右敷地の北側に寄せ南側に広く庭をとつて建物を建て、建物の南側は全部開口面とし、ガラス戸を入れて日照を十分受けられるようにした。一階部分の南側に居間、寝室、食堂をとり、被控訴人夫婦の日常生活をこれらの部屋中心にできるようにし、北側に玄関、便所、炊事室をとつた。二階部分は子供らの居住を中心に考え、南側に子供部屋二室、寝室を、北側に納戸、浴室、洗面所をとつた。現在は、被控訴人夫婦しか住んでいないが、両名とも健康状態は必らずしもよくなく、被控訴人は、昭和五四年に心筋梗塞で約一か月半入院したことがあり、妻もリューマチの持病があり、日常生活は、専ら一階でしているのが実状である。

以上のとおり認められ、ほかに右認定を覆すに足りる証拠はない。

そうすると、被控訴人夫婦の日常生活が二階を中心にしてなされるならば、相当の日照被害を回避することはできるが、建物建築時から十分な日照を得るため敷地南側を広くとり、建物の構造も南側を全部開口面としたものであり、両名共現在、相当な老齢に達しかつ病弱であることを考慮すると、今後二階部分での日常生活を期待することは困難であり、日照被害については一階部分での日常生活を前提に決定すべきである。そして、その日照(日影)の状況は、被控訴人宅一階居宅床面のほぼ中心点を基準点とするのが相当である(以下一階中央居室の右基準点をA5点、一階西側居室(寝室)の右基準点をB5点、一階東側居室(食堂)の右基準点をC5点という。)。

2  右各基準点における本件建物地盤面からの高さは、前出乙第六号証によれば、A5点において1.08メートル、B5点において1.22メートル、C5点において1.04メートルであることが認められる(乙第六号証は、当審における審理の過程において双方当事者立会のもとで、土地家屋調査士小林広が測量し作成した図面である。)(乙第五号証によると、被控訴人宅一階床面は、本件建物地盤面から1.65メートルの高さにあるとの記載がある。しかし、同書証は一級建築士須田穣の作成にかかるものであるが、同人作成の乙第三号証によれば、被控訴人は被控訴人宅敷地へ立入つて測量することを拒否したため、須田穣は、敷地外からの遠隔測量によつたが、測視線を遮ぎる障害物のため被控訴人宅地盤高及び開口部下端の高さは推定したものとされているので、その数値は正確を期し難く採用しない。)。

そうすると、A5点、B5点、C5点の基準点における日照(日影)時間を認定すべき証拠はないが成立に争いのない乙第五号証及び弁論の全趣旨によれば、本件建物地盤面から被控訴人宅床面までの高さを1.65メートルとし、それから0.55メートル下つた1.10メートルの地点を被控訴人宅地盤面として各居室の南側中央から1.5メートル内部に入つた位置での日照時間が算定されていることが認められる。右1.10メートルの地点を被控訴人宅の地盤面としたのは前記須田穣の測量の経緯から正確を期しえないので採用することはできないが、1.10メートルの地点における日照時間の算定は、原審における証人須田穣の証言に照して正確なものと認めることができる(以下一階中央居室の南側中央から1.5メートル内部に入つた位置における本件建物地盤面から1.10メートル高い地点をA3点、一階西側居室の同地点をB3点、一階東側居室の同地点をC3点という。)。

そして、本件建物地盤面から、A5点、B5点、C5点までの高さと、A3点、B3点、C3点までの高さとの間には僅少な差しかなく、その差は、日照時間の算定に殆んど影響がないものというべきであるから、A5点、B5点、C5点の日照時間についてはA3点、B3点、C3点の日照時間によつて被控訴人宅への日照状況を考慮して差支えないと考えられる。

3  前出乙第五号証によれば、本件建物(塔屋も含む。)が計画どおりに建築された場合の被控訴人宅の冬至日の真太陽時による午前八時から午後四時までの間の日照時間は次のとおりであることが認められる。この日照時間は、被控訴人宅建物の構造自体や岩井宅及びときわ荘による日影時間を控除したうえの従前の日照時間から更に本件建物による日照阻害を生じる時間を控除したのちの日照時間である。

A3点  一時間二九分

B3点  一時間一四分

C3点  二時間一七分

4  建築基準法五六条の二は、昭和五二年一一月一日施行され本件には適用されないが、日影による建築物の高さの制限については考慮に価いするといわなければならない。本件土地は住居地域であるが、第一種高度地区に指定された結果第一種住居専用地域とほぼ同じ日照が確保されることが基準になる。原審における証人須田穣の証言によれば、同人が千葉市役所の建築関係担当者に電話で問い合せたところによると、本件地域は日影時間は2.5時間であるとの回答を得たことが認められ、本件は敷地境界線からの水平距離が一〇メートルを越える範囲に該当するので、建築基準法五六条の二の別表第三、一の第一種住居専用地域中(に)の規制値の種別(二)を参考とすべきである。

そして、同別表によると平均地盤面から1.5メートルの高さの地点において2.5時間以上日影となる部分を生じさせることのないようにすべきものとされている。前出乙第五号証によれば、本件建物地盤面から1.65メートル高い位置を被控訴人宅一階床面として各居室の南側から1.5メートル内部に入つた位置の日照時間を算定していることが認められる。右1.65メートルの地点を被控訴人宅一階床面としたとの点は前記のとおり測量の経緯から採用できないが、1.65メートルの地点における日照時間の算定は正確なものと認められる(以下一階中央居室の南側中央から1.5メートル内部に入つた位置における本件建物地盤面から1.65メートル高い地点をA2点、一階西側居室の同地点をB2点、一階東側居室の同地点をC2点という。)。本件建物地盤面からA2点、B2点、C2点までの高さと前記別表第三の1.5メートルとの間には殆んど差はなく、その差は日照・日影の算定上それほど影響がないものというべきであるから、別表第三の1.5メートルの地点の日影時間は、A2点、B2点、C2点の日照時間から算出して差支えないものと考えられる。

前出乙第五号証によれば、本件建物(塔屋も含む)。が計画どおり建築された場合の被控訴人宅の冬至日の真太陽時による午前八時から午後四時までの八時間のうち日照時間は次のとおりであることが認められる。この日照時間は、被控訴人宅建物の構造自体や岩井宅及びときわ荘による日影時間を控除したうえの従前の日照時間から更に本件建物による日照阻害を生じる時間を控除したのちの日照時間である。

A2点  二時間五三分

B2点  一時間五五分

C2点  二時間五六分

したがつて、前同様の八時間のうち、日影時間は次のとおりとなる。これは本件建物による日影を含む複合日影時間である。

A2点  五時間〇七分

B2点  六時間〇五分

C2点  五時間〇四分

前出乙第五号証によれば、右複合日影時間のうち本件建物により増加する日影時間は次のとおりである。

A2点  一時間五四分

B2点  一時間五〇分

C2点  一時間〇三分

5  そこで従前に比してどの程度の日照阻害が生じたかを見るに、A3点、B3点、C3点における測定値を知ることのできる証拠はないが、右A2点、B2点、C2点における測定値が存在する。A2点、B2点、C2点は本件建物地盤面から1.65メートルの高さにあるのであるから、被控訴人宅一階床面からほぼ五五センチメートルの高さである。A3点等における測定値とA2点等における測定値とは厳密には勿論相違するけれども、その差ほぼ五五センチメートルは床面に人が坐したときの胸の高さくらいであるから、その床面に起居する者に対する日照阻害の度合を論じるうえでは、A2点等における測定値を用いることも合理的でないとはいえない。前出乙第五号証(添付図面C)によれば、従前の日照時間は次のとおりである。

A2点  四時間四七分

B2点  三時間四五分

C2点  三時間五九分

したがつて、先に見た本件建物により増加する日影時間を控除すると、本件建物竣功後確保される日照時間は次のとおりとなる。

A2点  二時間五三分

B2点  一時間五五分

C2点  二時間五六分

これらが、先に見たA3点、B3点、C3点における日照時間より大きい値を示すのは、五五センチメートル高い点で測定されたためであり、前示のとおり、床面での日常生活に与える日照阻害感を論じるうえでは、これも合理的であるから、A5点、B5点、C5点に代替するA3点、B3点、C3点における測定値とA2点、B2点、C2点における測定値とを併せ考慮するのが相当である。

6  以上認定したところによつて考えてみると、本件建物による被控訴人宅の日照阻害は、A5点、B5点、C5点においては勿論、建築基準法別表第三に照しても、その程度が著しく、受認の限度を超えているものと認めるのが相当である。そして、本件建物を二階建とした場合の被控訴人宅の受ける日照被害が改善されることは明らかであり、これに反し、本件建物が計画どおり建築された場合に、被控訴人において日照被害を回避することは極めて困離であるといわなければならない。

なお、被控訴人は、本件建物が予定どおり建築された場合の圧迫感、通風、プライバシー侵害等を主張するが、検証の結果及び弁論の全趣旨から認められるように、被控訴人宅からの横の視界と通風とは従前からときわ荘、岩井宅によつて制限されていたこと、仰角測定値を記す甲第九号証(原審における被控訴人本人尋問の結果により成立が認められる)は、本件建物と被控訴人宅との地盤の高低差を二〇センチメートルとして作図されているが、前出乙第六号証によつて認められるように、右地盤差は一メートル以上あるのであるから、前出甲第九号証の示す仰角測定値は過大に失すると認められること、後判示のとおり、本件建物北側窓はくもりガラスを使用していること等を総合勘案すると、必ずしも被控訴人主張のように、その程度が受忍の限度を超えているものと認められない。

五加害回避の可能性、交渉経過

加害回避の可能性、交渉経過は、原判決理由説示二の6加害回避の可能性、8交渉経過(原判決三六枚目裏九行目から三九枚目表一行目まで及び同三九枚目裏六行目から四一枚目表五行目まで)に説示したところと同一であるからこれを引用する。

六結論

以上認定した事実によつて、被控訴人が、老後の生活を考慮して日照利益を享受しようと計画・建築した被控訴人宅での長年生活して来た利益が、本件建物の計画どおりに建築された場合の日照阻害等によつて受ける被害、その程度、そして、本件土地の地域性、高度制限との関連、被害回避の困難性、加害回避の可能性、当事者の交渉過程等を総合して考慮すると、控訴人の本件建物の建築目的が医院及び看護婦等宿舎であること、建築過程における設計変更、また圧迫感、通風、プライバシー侵害の程度に関する前示の判断等を斟酌しても、本件建物が計画どおりに建築された場合の被控訴人の被害の程度は受忍の限度を著しく超えていると認めるのが相当である。

土地・家屋に対する日照は、土地・家屋の所有権の一内容として、その妨害が受忍の限度を著しく超えたときはその所有権の行使として妨害の排除又は予防を求めることができるから、被控訴人の本件建物の三階部分の建築禁止を求める本訴請求は理由があり認容すべきである。

よつて、これと同旨の原判決は相当であるから本件控訴を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九五条、八九条に従い、主文のとおり判決する。

(倉田卓次 下郡山信夫 大島崇志)

日照割合表《省略》

<参考・原審判決理由抄>――――――

二 そこで本件建物建築による原告内田の生活利益の侵害が受忍の限度を超えているか否かについて検討する。

1 本件建物の概要

前記一認定の事実並びに<証拠>を総合すれば、被告は昭和四八年四月、第一回目の確認申請を提出したが、近隣者との間の調整がつかず一旦右申請を撤回しあらためて同年八月第二回目の建築確認申請をし、結局同年九月一三日本件建物の建築確認を受けたが、その概要は次のとおりであることが認められる。

敷地面積 786.8平方メートル

建築面積 273.0平方メートル

延べ面積 838.4平方メートル

一階 271.4平方メートル

二階 271.4平方メートル

三階 268.9平方メートル

屋階 26.7平方メートル

用途    医院(病室)及び宿舎

構造    R・C造三階建

屋根葺材  アスファルト防水層

外壁    モルタル塗り

最高の高さ 12.3メートル(ただし<証拠>では12.23メートルとされている)

屋階(塔屋)を除く高さ 9.7メートル

東西の長さ 35.24メートル

南北の長さ(最大) 9.56メートル

また、本件建物は本体部分で三メートル、階段部分では2.4メートルしか北側境界線から離れていないことは当事者間に争いがない。

2 内田宅建物の概要

<証拠>によれば内田宅建物の配置構造等は次のとおりである。

原告内田宅の建物の位置は、別紙付近見取図のとおり、敷地(面積は約一五〇坪)内の南側に広く庭をとり(南側隣地である本件土地との境界線と内田宅建物との距離は10.8メートルある)、建物南側開口部を大きくとり(一、二階とも開口部が各三つあり、いずれもガラス戸となつている)、南からの日照をより多く享受しうるよう設計されている。

3 地域性

本件土地の一般的地域状況として、昭和四八年五月二五日に千葉市によつて都市計画法による住居地域に指定され、さらに同四九年六月一日千葉市告示第三八号によつて第一種高度地区の指定を受けていることは当事者間に争いがない。

なお、<証拠>によれば、国鉄西千葉駅から県立千葉東高等学校正面の前(被告病院に入る道の角)までの主要道路南側地域は若干の幅だけ近隣商業地域であること、右は東高校沿いの南側地域が幅細くかつ長く近隣商業地域とされているにとどまり、その(主要道路沿いの近隣商業地域の)南側(本件土地側)および北側は住居地域がそれぞれ広がつていることが認められる。

次に、具体的地域状況について検討する。<証拠>を総合すると、次のとおり認められる。すなわち、本件土地及び原告らの居住地は国鉄西千葉駅からほぼ東約一キロメートルの地点に位置し、千葉公園、千葉県立千葉東高等学校、千葉商業高等学校、護国神社、千葉競輪場に近く、小規模な小売店舗が点在するほか平家建または二階建の建物が多くを占める比較的閑静な住宅地域を形成している。近隣における高層建物は千葉競輪場、千葉東高校などの公共性の強い建物のほかは出光興産社員住宅がある程度である。以上のとおり認められ、さらに本件土地並びに原告ら居住地域が中・高層化が予定され現に高層化されつつある地域であるとまでは認めるに足りない。<証拠判断略>

4 本件建物の公法的規制への適合性

<証拠>によれば、本件土地上の建物の建ぺい率は六〇パーセント、容積率は二〇〇パーセントであるところ本件建物が計画どおり建築されたときの建ぺい率は34.6パーセント、容積率は106.5パーセントであつて、それぞれの規制値である六〇パーセント、二〇〇パーセントの許容範囲内であることが認められる。

ところで、<証拠>によれば、前記第一種高度地区の高度規制(以下「本件高度制限」ということがある。)によると、高さ一〇メートルの建物を建てるには北側隣地境界から四メートル離れなければならず、その建物の位置も北側境界線から四メートルまでは勾配1対1.25の斜線の内側に、四メートル以上離れているときは勾配1対0.6の斜線の内側に建てなければならないとされている(その結果、第一種高度地区においては、第一種住居専用地域とほぼ同じ日照が確保できるようはかられている)。

ところで、本件建物は、計画どおり建築されると前記認定のとおり北側境界線から、本体部分で三メートル、階段部分では2.4メートルしか離れておらず、高さは12.3メートルとされているのであるから、本来右高度制限に牴触することとなる。もつとも、前記認定のとおり右高度指定は昭和四九年六月一日千葉市告示第三八号によつて同日以降効力を生じたものであるところ、本件建物はそれに先立つ同四八年九月一三日に千葉市建築主事の確認を得て同月二二日頃には着工されているから、形式的にいえば、前記高度地区の高度規制には服さないといえる。しかしながら、<証拠>によれば右高度指定は、告示に先立つ昭和四八年九月一日から一四日までその素案(右素案においても本件土地は第一種高度地区に含まれている)を縦覧に供しており、右以前においても後記のとおり市関係者をまじえて原・被告間では日照問題の交渉を継続していたのであるから、被告の本件建物の建築確認申請並びに着工は、右高度地区指定をまぬがれるために急遽行なわれたものと推測される。かかる場合、公法的規制の上では形式的に違法とはいえないとしても、本来右規制によつて確保しようとした日照は、もともと公法上なんら規制がなかつたときにも私人に保護された利益を公法上の面からも可能な限り保証しようとしたものであつて、公法的規制によつてはじめて発生した法的利益ではないのであり、このような日照は、特段の事情のない一般の住宅地域においてはむしろ私法上最低限度確保されることが当然期待さるべきものといえる。従つて現に公法的規制が生じている事実は私法上の受忍限度を考えるにあたつては、特段の事情の認められない本件については、その最低限の要求と認めるのが相当である。従つて、この点に関する限り、本件建物は少なくとも前記高度地区指定の制限を超える限度では日照阻害の受忍限度を超える被害を原告内田に与えるものというべきである。

5 原告内田の日照等の被害の程度について

(一) <証拠>によれば以下のとおり認められる。

(1) 本件建物が計画通り建築された場合(塔屋部分も含めて高さ12.3メートル)の内田宅一階各居室のA1、B1、C1点の冬至における午前九時から午後三時までの間の日照時間は次の通りである。

測定点       日照時間

A1点(一階中央居室) 五九分

B1(一階西側居室) 一時間三三分

C1(一階東側居室) 二八分

ただし、右各点は内田宅地盤面(本件建物地盤面よりも二〇センチメートル高い地点)であり、かつ内田宅南側側面から1.5メートル屋内に入つた地点で、これは各室の概ね中心部分にあたる(甲第六号証、第七号証、第一一号証、のA、B、C点が右に対応する)。

(2) ところで、内田宅は従前から岩井宅(<証拠>では「山本宅」)、ときわ荘からの日照阻害をうけており、これらの影響による内田宅の日照時間は次の通りである(いずれも午前九時から午後三時までの間六時間)。

岩井宅の存在による場合は、A1点四時間五四分、B1点三時間四九分、C1点五時間四四分、ときわ荘の存在による場合は、A1点六時間、B1点六時間、C1点五時間二五分、岩井宅、ときわ荘の複合による場合は、A1点四時間五九分、B1点三時間五四分、C1点五時間一九分、となる。

次に、本件建物とときわ荘との日影が複合した場合は、A1点五九分、B1点一時間三三分、C1点二三分、となる。

(3) ところが、右岩井宅、ときわ荘の日影に加えて本件建物が計画通り建築された場合の三者の日影が複合した場合には、A1点〇分、B1点〇分、C1点一二分、となる。

(4) なお、本件建物が現在建築されているままの二階とした場合の内田宅の日照につき本件建物の存在そのものの場合は、A1、B1、C1いずれも四時間三七分(ただし塔屋の部分の影響による各点の差は省略)、ときわ荘の存在そのものの場合はA1、B1点は六時間、C1点五時間二五分、岩井宅の存在そのものの場合はA1点四時間五四分、B1点三時間四九分、C1点五時間四四分となる。そして、本件建物とときわ荘との複合の場合は本件建物のみの場合と同様であり、ときわ荘と岩井宅の複合の場合はA1点四時間五九分、B1点三時間五四分、C1点五時間一九分であるが、本件建物、ときわ荘、岩井宅の複合の場合にはA1点三時間三一分、B1点二時間二六分、C1点四時間三一分となる。

(二) 他方、成立に争いのない乙第五号証によれば本件建物が計画通り建築された場合の内田宅の冬至における日照被害は次の通りである。

(1) 基準点をA1〜C1点(右各点は平面上は前記A1〜C1点に対応するが、立面上はA1〜C1点が本件建物地盤面より二〇センチメートル高い地点であるのに対し、A2〜C2点は、本件建物の地盤面が内田宅一階床面より1.65メートル低いものとしたところから、内田宅の地盤面が本件建物の地盤面より一一〇センチメートル高いものとし、さらに内田宅一階床面上のA2〜C2点は内田宅地盤面よりも五五センチメートル高いものとされているので、結局A2〜C2点はA1〜C1点よりも1.45メートル高い地点となる)とする内田宅一階床面上における各部屋中心点の日照時間はA2点(乙第五号証でいうA点)二時間五三分、B2点一時間五五分、C2点二時間五六分となる(ただし、右日照時間は午前八時から午後四時までの間のもので、かつ内田宅建物の構造自体や岩井宅並びにときわ荘による日影時間を控除したうえの従前の日照時間からさらに本件建物による日照阻害を生じる時間を控除したのちの日照時間である。乙第五号証からは複合日影を考慮せずに、本件建物の存在そのものによる日照阻害を導き出すことはできない。また前記日照時間は、複合日影を前提としての午前九時から午後三時までの日照時間とも一致している)。

なお、内田宅建物の構造自体や岩井宅並びにときわ荘の複合日影を考慮した内田宅の従前の日照時間はA2点四時間四七分、B2点三時間四五分、C2点三時間五九分である。

(2) 次に基準点をA2〜C2点よりも五五センチメートル低い地点(以下「A3〜C3点」という。これらはA1〜C1点よりも0.9メートル高い地点となる。)における日照時間はA3点一時間二九分、B3点一時間一四分、C3点二時間一七分となる(複合日影の関係等すべてA2〜C2点と同様である)。

(三) 次に成立に争いのない乙第三、四号証によれば内田宅の一、二階南側各開口部における本件建物そのものの日照阻害による日照時間(午前八時から午後四時の)は次のとおりである(ただし、測定にあたつては内田宅地盤面は本件建物地盤面よりも四五〜八〇センチメートル高いものとし、二階開口部については内田宅地盤面から四メートルの高さの地点を基準とする)。

(1) 一階中央居室(乙第三号証では「1階開口部」と記載されているが、前記A1〜A3点との対応関係を明らかにするため、「A開口部」という)において日脱(日照)が全くないのは一時間三五分であるから、日照時間は六時間二五分となる。ただし、右時間は証人須田穣の証言及び乙第三号証の「1階開口部日照状態図」から明らかなように、A開口部に少しでも日照があれば日照時間内として算定されている。右図で開口部の図心が日影となる場合は日影時間と扱うものとすれば、午前八時から一一時まで、午後〇時一七分から二時四三分までは日影時間として算定することになり日影時間は合計五時間一六分(従つて日照時間は二時間四四分)となる。

(2) 一階西側居室(乙第三号証では「1階開口部」と記載されているが、前同様「B開口部」という)における日影時間は一時間二〇分となる。しかしこれも(1)同様開口部の図心で算出すれば午前八時から一一時まで、一一時三三分から一二時一五分までは日影となるから、B開口部の日影時間は合計三時間四二分(従つて日照時間は四時間一八分)となる。

(3) 一階東側居室(C開口部)における日影時間は二時間五五分とされているが、開口部の図心で算出すれば午前八時から一一時まで、一二時五五分から午後三時二〇分までは日影となるから、C開口部の日影時間は合計五時間二五分(従つて日照時間は二時間三五分)となる。

(4) 二階西側居室(D開口部)において全く日照を欠く時間は三二分(従つて日照時間は七時間二八分)とされているが、乙第四号証附図1「2階開口部日照状態図」によれば午前八時三二分から開口部西側より徐々に日脱を生じ午前九時になつてD開口部全面に日照をうけることとなるから、D開口部図心(ただし、右図心の高さは本件建物地盤面から約五メートルの地点であることが窺われる)における日影は午前八時三二分から午前九時までの間(その中間である八時四六分に日脱が図心に及ぶとみられる)も考慮して、約四六分(午前八時から四六分まで)と推認される。

(5) 二階中央室(E開口部の図心)における日影時間は右(4)同様に約一時間二二分(午前八時から九時二二分―九時三八分と九時〇七分との中間―まで)と推認される。

(6) 二階東側居室(F開口部の図心)における日影時間は午前八時から一〇時までの二時間と午後〇時四五分から約一時三九分(午後一時一八分から午後二時までの中間)までの約五四分の合計二時間五四分と推認される。

(7) なお、乙第三号証添付四枚目図面によれば、ときわ荘による日影がA開口部の図心では午前八時から八時三〇分ころまで、C開口部の図心では午前八時から九時四〇分ころまで、F開口部の図心では午前八時から八時三〇分ころまでそれぞれ生じることが推認される(同図面のNo.2によれば各正時の日影が及ぶ線しか引かれていないので右各線の頂点をそれぞれ結び開口部図心の時刻を推認するよりほかはない)。また、岩井宅による日影はB開口部の図心においては遅くとも午後一時三〇分ころより終日、A開口部の図心では午後二時四五分ころから終日、C開口部の図心では午後三時五〇分ころから終日、D開口部の図心では午後二時三〇分ころから終日、E開口部の図心では午後三時二〇分ころから終日、F開口部の図心では午後三時五〇分ころから終日、それぞれ生じることが推認される(同図面No.1およびNo.9ないし12参照)。

(8) 右(7)の複合日影を考慮してA〜F各開口部図心の午前八時から午後四時までの日照時間を算出すると次の通りである。A開口部においては午前八時から一一時まで、午後〇時一七分から二時四三分までは本件建物の日影が((1)参照)、午前八時から八時三〇分ころまではときわ荘の日影が((7)参照)、午後二時四五分から四時までは岩井宅の日影が((7)参照)それぞれ生じることになるから結局A開口部の日照時間は一時間一九分(午前一一時から午後〇時一七分の一時間一七分および午後二時四三分から午後二時四五分の二分の合算したもの)となる。同様に算定すればB開口部では一時間四八分((2)および(7)参照)。C開口部では二時間二五分((3)および(7)参照)、D開口部では五時間四四分((4)および(7)参照)、E開口部では五時間五八分((5)および(7)参照)、F開口部では四時間五六分((6)および(7)参照)の日照時間となる(ちなみに、同様の日照時間を午前九時から午後三時までについてみると、A開口部一時間一九分、B開口部一時間四八分、C開口部一時間五五分、D開口部五時間三〇分、E開口部五時間三八分、F開口部四時間六分となる)。

(四) 右(二)および(三)で認定した通り、原、被告がそれぞれ主張する測定点における日照時間は明らかとなつたが、いずれの基準点をもつて測定するのが相当だろうか。ことに内田宅地盤面と本件建物地盤面とは高低差があるが、この高さはいかに考えるべきだろうか。まず、地盤面について検討すると、<証拠>によれば本件建物地盤面とくらべて従前一〇センチメートルから一五センチメートル低かつたが、本件建物の基礎工事をしたため最終的には約三〇センチメートルの段差が生じて内田宅地盤面より低いことが認められる。もつとも、前出乙第五号証中には両地盤面の高低差を1.1メートルと推測させる記載があり(内田宅一階床面は内田宅地盤上五五センチメートル上にあり、本件建物の地盤面は内田宅一階床面より1.65メートル低い位置にある旨記載されている)、他方前出乙第四号証中には両地盤面の高低差を四五センチメートルないし八〇センチメートルとする記載がある(内田宅地盤面は従前、本件建物地盤面よりも0〜0.2メートル高かつたが、本件建物工事にあたつて在来地盤を0.45〜0.6メートル掘り下げた旨記載されている)。ところで乙第四、五号証はいずれも本件建物設計者である訴外須田穣の作成にかかるものであるが、右各号証の記載は一致しないうえ、同人は証人として、建物の高さを沈めるために(従前の)本件建物の地盤面より約三〇センチメートル下げた旨証言していることも勘案すれば、乙第四、五号証の地盤高低差に関する記載はいずれも措信しがたい。

次に、<証拠>によれば、内田宅一階床面の高さは内田宅地盤面より一五センチメートル高く建築されていることが認められる。そうすると、原・被告がいずれも日照時間の基準点として攻防を尽くした一階各居室中心部分にあたるA〜C点(それらの、本件建物地盤面からの高さに争いがあつてA1〜A3点が設定されていたことは既述のとおりである)は、両土地の地盤面の高低差並びに内田宅建物の床面の高さを考慮すると、本件建物地盤面から四五センチメートル(0.45メートル)の高さの地点(かりにこれらの地点を「A4〜C4点」という。)で日照時間の測定をするのが相当というべきである。ところで、A4〜C4点における正確な日照時間のデータは本件証拠上は必ずしも明らかとはいえないが、前記A1〜A3点等は、本件建物地盤面よりもA1点で0.2メートル、A2点で1.65メートル、A3点で1.1メートル高い地点であることから、本件建物地盤面よりも0.45メートル高い地点であるA4点の日照時間はA1点における日照時間を若干上回る程度のもの(A3点の日照時間には、到底及ばない)と推認される。

次に測定点と日影時間について検討する。まず、建築基準法五六条の二(別表第三日影による中高層の建築物の制限)によると、住居地域においては平均地盤面から四メートルの高さの地点において敷地境界線からの水平距離が五メートルを超え一〇メートル以内では日影時間五時間、敷地境界線からの水平距離が一〇メートルを超える範囲では三時間(いずれも午前八時から午後四時)を超えないことが要求されている。本件土地は住居地域であるが、既述のとおり第一種高度地区に指定されて高度規制をうける結果、建築基準法という行政手続上第一種住居専用地域とほぼ同様の日照が確保されるべきであるところ(これが同時に日照に関する私法上の最小限度の従前からの保護法益と解すべきことは前述した)、測定点、日影時間についても前記別表第三における第一種住居専用地域の制限が当然に参照されるべきである。それによれば、第一種住居専用地域では平均地盤面から1.5メートルの高さの地点において、敷地境界線からの水平距離が五メートルを超え一〇メートル以内では日影時間四時間、敷地境界線からの水平距離が一〇メートルを超える範囲においては2.5時間(いずれも午前八時から午後四時)を超えないことが要求されているところ、既述のとおり内田宅南面は本件建物敷地北側境界線との水平距離が10.8メートルあり、ABC各点は内田宅南面からさらに1.5メートルの距離にあるから、ABC各点は先の敷地境界線からの水平距離が12.3メートルはなれた地点にある。従つて建築基準法の制限に従つて検討すれば、本件建物の日影時間は本来2.5時間を超えてはならないことになる。ところで、この場合の測定点の高さは、本件事案に即していえば本件建物の敷地の平均地盤面から1.5メートルの高さの地点ということになるから、既述のA2〜C2点がこれに近いこととなる(A2〜C2点は本件建物の敷地地盤面から1.65メートルの高さであるから前述した建築基準法の予定した測定点よりも0.15メートル高い)。そして前記認定した事実((二)(1)参照)によれば日影時間はA2点五時間〇七分、B2点六時間〇五分、C2点五時間〇四分であることが計算上明らかである。ただし右の算定数値は複合日影も含むものとなつているため本件建物そのものによる日影時間を把握するには必ずしもその数値の正確性は期しがたい。つぎにABC開口部のそれを検討すると、本件建物そのものの日影時間はA開口部(図心)五時間一六分、B開口部(図心)三時間四二分、C開口部(図心)五時間二五分となる((三)(1)参照)。もつとも右開口部の図心の高さは本件建物の地盤面よりも二メートル強高い地点であることが窺われるのでその数値を建築基準法上の制限を超えているかどうかの判断資料に用いることには多少の誤差があるものといえよう(ただし、右乙第三号証によつても、本件建物の内田宅への日影が本件建物敷地地盤面から高さ二メートルよりも低く投影されることはないことが窺われるから、その誤差は日影時間制限2.5時間の判断に影響を及ぼすには至らないものであると思われる)。また後記認定のとおり原告内田の日常生活が概ね一階部分で行なわれることから考えて、その居室の中心点であるA4、B4、C4点の日影時間に近いA1点の日影時間五時間〇一分、B1点四時間二七分、C1点五時間二二分(ただし、いずれも午前九時から午後三時のもの)ということは、その間ほとんど日照がないに等しいものである。右認定によれば、本件建物による内田宅の日照阻害は、他の複合日影との関係を判断するまでもなく、その程度が著しく、原告内田の受忍の限度をこえるものと認めるのが相当である。

(五) <証拠>を総合すれば、本件建物が予定通り三階建で完成すると、内田宅一階(本件建物地盤面から高さ1.65メートル地点)からの南側への視角は一〇一度四三分、仰角は本件建物の本体部分で三二度五七分、塔屋部分で四三度五二分となるほか、本件建物が東西に長い構造であることから通風にも影響を及ぼす可能性のあることが窺われる。また本件建物の二、三階の北側各部屋の窓はくもりガラスを使用するものの目隠しは設置される計画はなく、また屋上も目隠しがないから、そこから内田宅をのぞくことも可能となりプライバシーを侵される可能性を否定することはできない。

(六) 次に本件建物の設計を一部変更して、本件建物を現在のまま二階建とする場合の内田宅の受ける日照等の被害は既に五(一)(4)で認定したとおりであり大きく改善されることが認められる。

5 加害回避の可能性

被告の従来の建物が老朽化していて千葉市消防局から耐火性建物への改修を勧告されていたこと、ならびに既婚看護婦の定着化をはかるために二DK、バス、トイレ付の宿舎を提供することを理由として本件建物の建築が計画されたことは当事者間に争いがなく、右争いない事実と<証拠>を総合すれば次のとおり認められる。すなわち、被告は昭和三六年六月から現在地で産婦人科医院を開業していたが、その建物は昭和三八年に一部増築を加えた木造二階建建物(敷地九五坪)であつたため、医院兼居宅としては手狭となり、また建物自体老朽化したことから昭和四五年頃消防署から耐火性建物に改善するよう勧告を受けるに至つた。そこで昭和四六年四月頃から新しい建物を建設する計画を企図し、同四八年四月頃、具体的な設計図が完成した。それによれば、新建物は、敷地二五〇坪上に建築することとし、その建物は一階部分に入院室、手術室、調理室を、二、三階部分に従業員の宿舎、家族の居住部分を設け、従来の建物は改造のうえ、分娩室、薬局を残し両方の建物を継続して使用することとした。しかし後記認定のとおり、右新建物の建築と関連し、附近住居との調整の結果、あらためて昭和四八年八月本件建物のように設計変更をして建築確認を受け同年九月中旬頃本件建物の建築に着手したが、右建築にあたつては、近隣の日照被害を防止すべく、当初の設計よりも1.8メートル低くし、また屋上のフエンス部分も低くし、地盤を掘り下げ、建物の位置も最大限南側に寄せて建築した。また、北側窓は見通しのできないガラスを使用して内田宅のプライバシーに対する配慮を施した。建築途中、前記仮処分決定に従い、本件建物は二階部分まで完成されて、三階部分の工事は停止した状態となつている。その後被告は旧建物の増改築を行なつた結果、旧建物は一階部分に待合室、診察室、受付、薬局、分娩待機室、分娩室、沐浴室、応接室、病室が、二階部分を家族の居住用に使用しているほか、新旧建物は渡り廊下で接続されている。被告医院は、現在、医師一名(被告本人である。ただし、さらに一人緊急応援医という形で月一回程度千葉大医局の岩沢医師の応援をえている)、正看護婦一名、准看護婦一名、助産婦一名で構成されている。被告としては将来は、現在医学部在学中の娘とともに医院を運営する計画がある。ところで、本件建物の設計図によれば本件建物の一階は手術室、分娩待機室、倉庫、当直室(六畳間、洗面・トイレ付)のほか病室(六畳間、洗面・トイレ付)五室、二階、三階は各室独立した二DK四室計八室(一戸あたり和室六畳間二間、八畳大のリビングルーム、バストイレ付)となつているところ、建築が二階でストップした現在、本件建物の実際の利用につき、一階部分は病室六室(当直室は病室と同じ構造になつている)を各個室として使用し、二階は、下門看護婦、久本助産婦、岩沢医師がそれぞれ家族とともに2DK部分に居住し、残る一室は被告の自宅用としている。以上のとおり認められる。右事実によれば被告医院の現在の規模からすれば、近隣の日照を阻害してまでさらに三階部分に二DK四室を建築する必要性は窺い得ない。

7 被害回避の可能性

<証拠>によれば、内田宅は一階部分に食堂、台所、居間、寝室、洗面所、二階部分に子供室二室、寝室、納戸、浴室、洗面所があり、現在は定年後の内田夫婦二人が居住している状態であることが認められ、スペースのうえではかなり余裕があるから二階部分を主に利用することにすれば相当日照被害を回避することが可能といえる。しかし、他方前掲証拠によれば、原告内田夫婦は老齢であり(原告内田は明治四二年生、妻は大生七年頃の生まれである)、健康状態も必ずしも良好とはいえない(内田は昭和五四年に心筋梗塞で約一か月半入院し、妻はリューマチの持病がある)から、日常生活はもつぱら一階で過しているのが実状であることが認められ、右の点を考慮すると、日照被害回避は必ずしも容易とはいえないというべきである。

8 交渉経過

被告が原告らを含む付近住民と本件建物の建築に関し交渉したこと、昭和四八年五月三一日以降は千葉市日照問題等調整委員会の調整をうけることとなつたこと、しかし結局その調整は成立するには至らなかつたことは当事者間に争いがなく、右争いない事実と<証拠>を総合すると次のとおり認められる。

被告が昭和四八年四月に三階建建物の確認申請を出したのち、原告らを含む付近住民は、被告建物建設による日照等被害回避に関して被告側(もつぱら本件建物の設計担当者須田穣がその任にあたる)と直接交渉を行なつたほか、昭和四八年五月一二日以降千葉市環境調整課長らの指導のもとに交渉を重ねた。さらに同年六月四日以降千葉市日照問題等調整委員会の調整をうけた。この調整の過程で調整員側から建物を二階建としたらどうか、との調整案が提示された。原告らは右調整案を直ちに承諾したが、被告側は一旦はこれを受けいれる意向は示したものの結局は応じられないとしたため、八月六日、右調整は不調に終つた。もつとも、被告は原告らとの間の調整委員会による話し合いがはじまつてまもない昭和四八年六月一二日頃には、千葉市建築主事が建築確認申請を留保していたのを不服として千葉市建築確認審査会に対して審査請求を申し立てるとともに、千葉市長に対して行政不服審査法に基づく異議申立を行なつていた。その後右審査請求に対しては公開口頭審査会を経て七月二三日確認申請受理の許可がなされた。その後八月九日に被告は前記認定のとおり三階建は維持しつつ、建物の東西の長さを2.5メートル短縮して延面積を二二坪縮少し、屋上に設置を予定していたコンクリート壁を鉄製フェンスに設計変更するなどしてあらためて確認申請をし(これが前記本件建物である)、右申請は九月一三日確認を受けた。なお、原告らと被告との間の交渉の過程で、本件建物による電波障害の点については被告が日本放送協会千葉放送局にテレビ受信調査を依頼し、終局的な解決をみた。以上のとおり認められる。

9 以上認定した事実によると、原告内田が昭和三六年以降享受していた日照利益、本件建物が現在のまま、また計画どおりされたときの日照阻害の程度、本件土地周辺の地域性、高度制限との関連、加害回避の可能性、被害回避の困難性、被告と原告との交渉過程における不誠実な態度等を考慮すれば、被告の建築目的が医院及び看議婦宿舎であり、また建築設計において当初の設計を若干縮少し位置を変えるなど被告の配慮がみられる等被告に有利な事情を十分斟酌しても、なお本件建物が建築確認申請どおり建築されるときには原告内田の蒙るべき右日照阻害等の程度はいわゆる受忍の限度を著しく超えていると認めるのが相当である。

別紙

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