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東京高等裁判所 昭和55年(う)37号 判決 1983年5月23日

主文

本件各控訴を棄却する。

理由

本件各控訴の趣意は、検察官川島興作成名義の控訴趣意書及び同棚町祥吉作成名義の控訴趣意書補充書(その一)各記載のとおりであり、これに対する答弁は、被告人髙田勝次郎、同建部清一の弁護人出射義夫、同坂上寿夫共同作成名義の答弁書、同弁護人坂上寿夫、同出射義夫、同冨田康次、同小野直温共同作成名義の控訴趣意書補充書(その一)に対する答弁書及び被告人青島實の弁護人真鍋薫、同新井旦幸共同作成名義の答弁書二通各記載のとおりであるから、いずれもこれらを引用する。

論旨は、要するに、本件新四ッ木橋(右岸)下部工事の第七号橋脚仮締切構造物(以下、P7と略称する。)の倒壊の原因は、その第六段目リング・ビーム(以下、R6と略称する。)が四波の面外座屈により破壊したことにあるが、右座屈の発生原因である座屈耐力超過の要因には、大別して、(一)作用軸力を増加させる可能性のある要因と、(二)座屈耐力を低下させる可能性のある要因とがあり、さらにこれらの二つの要因中に、それぞれ数個の発生要因が考えられるところ、そのうちいずれかの一あるいは二以上の要因が複合して本件座屈が発生したものであり、これらの要因は、本件P7の設計者でありかつ技術指導者であつた原審相被告人舘三二(本件控訴申立後昭和五七年七月三一日死亡)はもとよりのこと、P7の設計及び右工事の施工監督の業務に従事していた株式会社間組国道荒川出張所長であつた被告人髙田、同出張所土木係であつた被告人建部ならびに右工事の構造図、施工計画書などの承認、工事施工上の現場監督業務に従事していた建設省新四ッ木出張所長であつた被告人青島らにとつて、すべて予見可能な範囲にあつたのであるから、被告人らには右の予見に従い、座屈の発生を回避、防止する安全確保のため最も重要で実効性のある措置である面内座屈の安全率を1.5以上に設計上の注意義務があり、加えて被告人青島については、原判決が付加して説示するように単なる請負契約上の注文者の立場で責任を負うにとどまるものではなく、国の事業として行なう工事の監督員としてこれを安全に遂行する職務をもつて関与していたのであるから、右工事の設計の安全性について監督する注意義務があり、被告人らはいずれもこれを怠つて、安全率不足のままの設計により工事を進めた過失があるにも拘らず、原判決が被告人らに対する右設計上の過失を否定したのは事実を誤認したものであり、また被告人青島については、これに加えて右設計に関する監督上の過失について法令の解釈適用を誤つたものであつて、これらの誤りは、いずれも判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄を免れない、というのである。

そこで、記録及び証拠物を精査し、当審における事実取調の結果をもあわせて以下検討する。

一原審で取調べられた新四ッ木橋事故調査技術委員会報告書、証人福岡正巳及び同奥村敏恵の原審各証言、その他関係各証拠によれば、被告人らの設計上の過失を否定した原審の判断は優に肯認できるのであり、所論が本件と同様のリング・ビーム工法を用いた他の土木工事における事故例の検討結果や、これに関する文献の記載等を挙げて種々主張する点は、結局原審の右判断を左右するには足りないといわざるを得ない。以下所論にかんがみ、必要な限度で判断を示すことにする。

二(一) まず、関係証拠中、右新四ッ木橋事故調査技術委員会報告書について考えてみるのに、同委員会は、本件事故直後に本件事故の原因と対策等について検討すべきことを目的とし、建設省内に設置され、委員長である原審証人福岡正巳は建設大臣によつて任命された公的機関であつて、約一年余に亘り、前記両証人ら我が国有数の土木工学関係専門家を中心として、建設省特に土木研究所に多数のスタッフを動員し、本件でばらばらになつたリング・ビームを水中から引上げ、実際に組み立て直したり、実験を行なつたりして調査研究を遂げた末、その結果を右報告書に取りまとめた公的なものであつて、本件事故のようにその原因を解明するために極めて高度な土木工学上の知識を必要とする場合には、被告人らの過失の有無を検討する上で最も重要な証拠というべきであるから、その調査内容、検討過程などに格別の問題がない限り、その調査結果や結論に対してはこれを尊重すべきものと考える。現に検察官も、原審においては右報告書に対して種々の疑点を挙げ、例えば本件事故の原因を右報告書に反して面内座屈であつたとし、あるいは作用軸力の計算について検討過程に問題があるなどと指摘していたが、当審においては、本件の最も基本となる事故原因がR6の四波の面外座屈であることを認めるなど、一応右報告書にそう立場をとるに至つている。

右技術委員会報告書のほか、原審で取調べられた労働災害科学調査団作成の新四ッ木橋第7橋脚工事における労働災害に関する報告書も、労働省に設置された右調査団が、原審証人奥村敏恵を団長として、労働者の安全確保という観点から本件事故の原因及び対策を公的に調査報告したもので、本件事故の原因を四波の面外座屈による公算が大きいとするなどの点で右技術委員会報告書の結論と一致しており、これまたそれ相応の証拠上の評価を与えるべきものであるが、調査検討の規模、方法及び内容などの点で技術委員会報告書の方に重点を置くべきことは、双方に関与した右奥村の証言からも明らかである。

(二) ところで、右技術委員会の委員長であつた証人福岡正巳は、その後も東京大学教授として我が国における土木工学、特に土質関係の最高権威者であり、また証人奥村敏恵は、右技術委員会の委員であるとともに、右労働災害科学調査団の団長でもあり、当時東京大学教授として構造力学、特に本件事故で最も問題となつた座屈の研究を中心的に行つてきた権威者であつて、右両名はいずれも前述のように本件事故原因の究明に実際にたずさわり、その学識経験を活用して研究検討を進めていたのであるから、その各証言の評価については、本件が極めて高度で複雑困難な土木工学上の知識を必要とする点で正確な理解を超える部分があることはやむを得ないとしても、十分信頼するに足りるものと認められ、右各報告書の補足ないし説明としてこれまた極めて重要な証拠というべきである。そして、右各証言によれば、前記技術委員会報告書の調査内容、検討過程、調査結果などに疑点をさしはさむ余地はないのであるから、右報告書及び右各証言を前提とし、これを中心に関係証拠をてらし合せ、所論の主張する被告人らの設計上の過失の有無を検討するほかないと考える。

なおこのほか、本件事故の原因について、捜査官からの再三にわたる嘱託により、本件P7の倒壊の原因を調査した原審証人久宝保も、日本大学教授をつとめる土木工学の研究者であつて、同証人の証言及び同証人の作成した鑑定書(第一ないし第四)もまた重要な証拠であるが、同証人が本件事故現場を調査する機会に比較的乏しかつたことや、本件事故原因の解明に不可欠な座屈理論の専門家でないため、これら各証拠にあらわれた本件の具体的現象についての見解や説明が、右技術委員会報告書や奥村証言などに比べて説得力を欠くことは、原判決が指摘するとおりであり、またその証言の内容も、右福岡、奥村各証言にてらして必ずしも納得しえないところがあり、たやすく採用しかねる部分があるといわざるを得ない。

三(一) 右技術委員会報告書の要旨は、次のとおりである。

(1)  本件R6の作用軸力は約二一〇ないし二四〇トンであり、面外座屈耐力は約二三〇トン、面内座屈耐力は約三六〇トンであつたと推定される。

(2)  右面内座屈耐力は、本件設計でとられた安全率の前提となつたM・レビーの計算式によつて求めると約一九八トンとなるが、実際に仮設されたR6では、周囲の土の拘束力などが加わり、右のようにこれよりもかなり大きなものになつている。

(3)  本件R6には四波の波形で面外座屈が生じており、R6の作用軸力がその面外座屈耐力を超過したため右面外座屈が生じ、本件事故が発生したものと考えられる。

(4)  その原因としては、仮締切り内の水中の軟弱粘土の急激な強度低下がR6の作用軸力を急激に増加させて破壊するに至つた公算がきわめて高い。

(5)  今回の原因究明の結果からみて、軟弱地盤、特に水中の軟弱地盤に施工する仮締切りについては、内側地盤の抵抗力が低いことを十分考慮すべきであることが明らかとなつたが、この点は、従来、世界的にも明確にされていなかつた。

以上を要するに、本件事故の原因は、面内座屈ではなく、四波の面外座屈によるものと考えられる、というのである。

(二) 福岡証言の要点はおよそ次のとおりである。

(1)  右R6の面外座屈は、調査当初の時点では、事故調査技術委員の誰もが気付いていなかつたのである。初めのうちは、事故原因として三段目のリング・ビームが飛び出して破壊したという意見があり、次いでR6の面内座屈によるものとする見方が有力となつたが、その後前記報告書要旨(2)のように、面内座屈耐力は周囲の土による拘束力などが加わると非常に強くなることが判明し、実際にR6のリング・ビームを水中から引上げて組み立てたうえ、奥村委員ら構造工学の専門家が検討した結果、実際の現象から面内座屈ではないということになり、面外座屈説が最終的に登場してきたのである。面外座屈の現象については未だ技術的に解明されない面が多く、本件事故以前に、一般の土木設計者に面外座屈を防止するための対策を期待することは無理である。

(2)  前記報告書要旨(4)のような、地盤の支持力が急激に低下する現象については、当時一般には知れ渡つておらず、軟弱地盤の力学的性質に関する専門家の間でも議論の余地が十分ある問題という程度にしか知られていなかつた。したがつて本件事故以前に一般の土木設計者においてこれを予期し、その対策をあらかじめ設計上配慮しておくことは難しく、これを求めることは無理である。

(三) 奥村証言の要点はおよそ次のとおりである。

(1)  本件当時、面外座屈という考え方を設計にとり入れるのは大変難しく、未だ研究段階であつた。前記労働災害科学調査団の報告書の段階では時間の制約もあつて面外座屈耐力の計算ができなかつたが、技術委員会の場合には、建設省の土木研究所の優秀な技術者を動員して懸命に計算した結果、ようやく前記技術委員会報告書要旨(1)のとおり、これを約二三〇トンと算出推定することができたのである。面外座屈を体系化する研究自体博士論文のテーマとなるくらいレベルの高い難しいものである。本件当時には、一般の土木設計者は許容応力度により安全性を考えるのが普通であつた。

(2)  面外座屈と面内座屈との関係について、面内座屈耐力を強くすれば面外座屈耐力も強くなるという比例の関係にはない。面外座屈については、リング・ビームの剛性がある程度寄与するけれども、壁側のフランジの拘束状態が重要であり、たとい材質の剛性を強めても、発生する波形が小さくなれば面外座屈耐力も著しく低下するのであり、実際にどのような場合にどのような波形が発生するかということは、拘束条件とからんで複雑困難な問題であつて、十分解明されていない。

四本件報告書及び右両証言によれば、本件事故は、R6が四波の面外座屈により破壊したことに伴い、連鎖的に他のリング・ビーム及び鋼矢板が破壊した結果、P7全体が倒壊して発生したと認められるのであり、この点に関する原判断は相当である。この破壊の原因は弾性変形であり、面外座屈ではないとする前記久宝証言及び同人作成の鑑定書(第一ないし第四)で示された見解が、右認定にてらしにわかに採用しがたいものであることは、すでに述べたとおりである。検察官は、原審においては、技術委員会報告書の結論に反し本件事故の原因についてR6の面内座屈を主位的に主張していたのであるが、捜査機関の嘱託により本件事故の原因を調査した右久宝証人でさえ面内座屈が原因であるとは言つていないのであつて、これを認めるに足りる証拠は全くない。そこで検察官は当審においてはこれを改め、その原因が面内座屈ではなく面外座屈であることを認めたうえ、これを前提としつつ、被告人らにおいて予見できる前記のような複数の諸要因のうち特定し得ない一あるいは二以上の要因が複合して発生したもので、これら全体を含めて面内座屈の安全率を十分とることにより面外座屈に対する安全性をもカバーすることができ、事故の発生を防止できたと考えられる、と主張を再構成するに至つている。しかしながら、本件事故の原因が面内座屈とは異なる面外座屈によるものであるのに、所論がなお面内座屈耐力を前提として計算される面内座屈の安全率の不足を過失の内容として主張するのであれば、被告人らにとつて面外座屈という現象が予見可能であり、かつ面内座屈の安全率が面外座屈とどう関係するのか、またこれを所論主張のように1.5以上とつておれば面外座屈は発生せず、1.0前後にとつていたために面外座屈が発生したという関係にあることを明らかにしなければならないと考える。

五所論はまず、面外座屈という現象自体は、本件事故当時すでに平均的土木技術者にとつて知られていたことであり、原審相被告人舘も当然面外座屈の危険性を認識していたのであるから、面内座屈の安全率を十分にとつて、面外座屈についてもカバーできるよう配慮すべきであつたと主張する。

しかしながら、前記福岡、奥村各証言によれば、同じ座屈とはいつても面内座屈と面外座屈とは明らかに異なるもので、本件事故当時、面外座屈という現象のあること自体は土木技術専門家の間において知識として知られてはいたけれども、具体的にどのような場合に、どうしてそれが起こるかということはいまだ解明されておらず、また面内座屈の場合と違つて面外座屈耐力の計算方法が複雑かつ高度であり、多くの仮定を含み、実験による検証も経ていないうえ、本件事故原因の調査の過程ではじめて開発されたものであるというのであるから、当時平均的な土木技術者において面外座屈を具体的に予見し、その防止のための対策を設計にとり入れることを期待するのは到底無理であつたと認められ、この点は、原審証人久宝保、同鈴木庸二の各証言などによつても十分裏付けられている。もとより所論援用の文献中には、面外座屈についても検討すべきであるとしたものや、事故例について面外座屈に対する対策がとられていたという記述などが散見されるけれども、いずれも一般的、抽象的な問題の提起にとどまるものであつて、面外座屈という現象を十分認識し、それがどのような場合にどうして起こるのか、どうすればそれを防止できるのかといつたことについてまでふれているものではなく、あるいは面外座屈に対処するための具体的方策がとられていたというにはほど遠いものであるから、原審相被告人舘が面内座屈については予見しており、また面外座屈についても右の程度の一般的知識ないし認識を有していたことは関係証拠により明らかであるとしても、これをもつて直ちに面外座屈に対する予見があつたとはいえず、右舘よりも一そう右に関する知識が乏しいとみられる被告人らにその予見があつたということはできない。結局、面外座屈という現象のあることが一般的、抽象的にはある程度判つていたとしても、拘束条件との複雑な関係をふまえた具体的な計算化の方法が当時全く欠けており、その具体的な対策が十分解明されていなかつたのであるから、本件P7の設計当時、平均的土木技術者である右舘を含む被告人らに対して、事前に面外座屈を予見しこれを設計上配慮すべきことを要求するのは無理であつたというべきである。

六そこで次に、所論のように面内座屈の安全率を十分とつておけば面外座屈についても十分カバーできるものかどうか、両者の関係についてみるのに、原判決は前記奥村証言を援用し、面内座屈の安全率を1.0前後として設計したことが面外座屈を招いたものとはいえず、かりに右安全率を1.5以上に高めても面外座屈が生じなかつたとは認められないとしている。所論は、右判示はリング・ビームの座屈耐力に影響するH鋼の剛性と拘束条件の問題とを区別して理解していなかつたため右証言の趣旨を誤解して誤まつた判断をしたものであり、右証言は、一般論として面内座屈と面外座屈の拘束条件に違いがあることを述べているにとどまるのであつて、具体的な本件R6についてみれば、三波以下の面外座屈が発生する可能性は殆んどないのであるから、面内座屈の安全率を高め、あるいはその方策としてH鋼の断面積を大きくして剛性を高めておけば、面内座屈のみならず、面外座屈に対する安全性をも高めることになる旨主張する。

しかしながら、右奥村証言を前提として、所論指摘の点を考慮しつつ本件について具体的にみるに、前記技術委員会報告書など関係証拠によれば、本件R6の実際の面内座屈耐力は、周囲の土の拘束力が予想以上に強かつたなどのため、本件設計でとられたM・レビーの計算式に基づく面内座屈耐力約一九八トンを現実には大巾に上まわり、約1.8倍の約三六〇トンに達していたことが推定されており、作用軸力の推定約二一〇ないし二四〇トンに比べて1.5倍以上になつて面内座屈の発生をみるに至らなかつたにもかかわらず、四波の面外座屈耐力が本件三五〇H鋼の場合に推定約二三〇トンであつたため、右作用軸力を下まわる結果となり、面外座屈の発生をみてR6の破壊を招いたものであることが認められるのである。もともとM・レビーの計算式は、リング・ビームが空中にあるような無拘束の状態で外側から一様な大きさの外力がリングの中心方向に作用している場合の計算式であるから、これをもつて計算すること自体は問題ないとしても、拘束力などが加わるときはこれに基づく計算上の面内座屈耐力が実際のそれと異なることがあるのは当然であり、本件R6の場合も右のように大きく異なつていることからみて、右計算式によつて算出される計算上の面内座屈耐力を前提とし、それから導き出される計算上の面内座屈の安全率の不足のみを手がかりとして被告人らの過失を考えようとすることにはいささか問題があるばかりでなく、本件R6の面内座屈の安全率は、設計時における計算によれば1.0前後であつたとしても、客観的には優に1.5を上まわるものであつたため面内座屈は発生しなかつたと考えられるのに、これとは別の面外座屈が発生して破壊したのであるから、所論のように、単に面内座屈の安全率を1.0前後として設計したことが面外座屈を招いたとみることはできず、また右安全率を計算上1.5以上に高めることが面内座屈のみならず面外座屈の発生をも防止する関係にあるといえないことも明らかである。また検察官は、被告人らがR6に四〇〇H鋼を採用しなかつたこと自体を過失としているわけではないのに、面内座屈の安全率を高める方策として三五〇H鋼に代えて四〇〇H鋼を用いるべきであつたかのようにいうので考えてみるのに、本件の場合、三五〇H鋼に代えて四〇〇H鋼を採用すれば、計算上四波の面外座屈耐力は約四一三トンになり、実際の作用軸力を大巾に上まわることになるので、常識的にはそれだけ丈夫なものとなり、場合によつては面外座屈を発生させずにすんだかもしれないと考えられなくもないことは所論のとおりであるとしても、前記奥村証言など関係証拠によれば、もし四波でなく、三波以下の座屈波形が生じれば、面外座屈耐力は著しく低下し、作用軸力を下まわる関係にあるので、かりに四〇〇H鋼を採用していたとしても面外座屈が生じたかもしれないし、事前にその波数を予測することは困難であるというのであり、本件の場合に三波以下の波形が起こらないとは証拠上断じ得ないのであるから、四〇〇H鋼を採用すれば面外座屈が発生しなかつた関係にあるとは必ずしもいえない。しかも検察官の主張する面内座屈の安化率の面からみれば、現に前述のように、本件R6の実際の面内座屈耐力は三五〇H鋼の場合であつても約三六〇トンに達しており、客観的には作用軸力を優に1.5倍以上上まわつていたと推定されるのであるから、所論のように四〇〇H鋼を用いるべきであつたとまでいえるかどうかは疑問である。したがつて、原判決が、面内座屈の安全率と面外座屈との関係について説示するところは相当であり、その判断に誤りがあるとは思われない。

なお所論は、面外座屈を防止するためには、右のほかに、P7各段のリング・ビームを垂直材、斜材等によつて相互に連けいし、立体的構造にして外力に抵抗させるべきであつたとも主張する。この点は、労働災害科学調査団の報告書でも提案される面外座屈防止策の一つではあるが、原審においては訴因の具体的内容として主張されていないところであるのみならず、右報告書は本件事故原因を究明し、労働安全策を提言するという観点から、今後とり得る防止策を可能なかぎりとりあげているものであつて、本件事故当時、平均的土木技術者に対して、面外座屈と拘束条件に関する高度で複雑な問題を十分認識したうえ、右のような防止策をとるべきことを要求することは、前述のように面外座屈という現象自体についてさえも予見可能性に問題があることもあわせて考えると、到底無理であるといわざるを得ない。

七以上のように、本件事故原因が四波の面外座屈であり、被告人らにおいてこれを設計上予見することができず、しかも面内座屈の安全率を高めることが面外座屈を防ぐことになるとの証明がないのであるから、もはや被告人らに所論の過失を問うことはできないのであるが、なお所論は、本件面外座屈が発生したことについては、次のような諸点に問題がある、とも主張するので、若干付言するに、(1)設計軸力が現実の作用軸力より過少であつた可能性があるとの点については、所論は本件設計で作用軸力を求めるためにとられたランキンの土圧式や支点反力計算法などによる計算方法が他の計算法によるよりも安全性が高いとした原判決の説示に疑点を挙げているのであるが、前記技術委員会報告書によれば、全土圧の大きさを正確に求めることは現在のところきわめて困難であるが、設計計算に用いた値は実際のものに近いとみてよいであろう、というのであるから、所論のような可能性をうかがわせる点はないのみならず、所論も、河川中の仮締切りのような横壁に作用する土圧を正確に計算することは困難であるとしながらただ原判示を非難するにとどまり、被告人らが従前から通例用いられている右計算方法によつて土圧等による軸力を計算、設計したことがいけないというのか、あるいはいかなる計算方法によるべきであつたというのか、その主張を明らかにしないうえ、もし右計算方法がおかしいというのであれば所論の面内座屈の安全率の根拠もゆらぐことになりかねないのであつて、前記福岡証言など関係証拠によれば、設計上の作用軸力を求める計算はきわめて難しいものであり、本件設計でとられた計算方法に非難すべき点は見当らないにもかかわらず、後述のように軟弱地盤の抵抗力の急激な低下という予期し得ない原因によつて実際上の作用軸力がこれを上まわつたものと推測されるのであるから、右のような可能性をもつて所論主張の設計上の過失に結びつく要因となるものと考えることはできず、(2)過掘り及びブレストレスの過導入による作用軸力増加の可能性があつたとする点については、検察官は、これら施工上の過失を当審において訴因として主張していないうえ、これが被告人らの設計上の過失とどう結びつくのか主張自体明らかといえないのみならず、関係証拠を検討してみても、その事実を認めるに十分でないとした原判断は容認できるから、これも本件事故の要因の一つとして考えることはできず、(3)仮締切り内部の軟弱地盤の抵抗力の急激な低下という現象については、前記技術委員会報告書においても、本件事故の原因として最も公算が大であると指摘されているように、面外座屈が発生した要因の一つとなり得る現象であり、所論援用の各文献中にも散見されるところではあるが、右報告書及び前記福岡証言によれば、このことは平均的土木技術者にとつて予見可能とはいえなかつたというのであるから、被告人らが軟弱地盤ということについては認識をもつていたとしても、右の現象に留意して防止策をとるべきであつたとまではいえず、これらの所論もまた失当というほかない。しかもこれら所論を含めた検察官の当審における主張は、本件面外座屈は、自然力など不可抗力以外の、被告人らにとつて予見可能な複数の諸要因のうち一あるいは二以上の要因が複合して発生したもので、その要因のうちどれと特定することはできないが、本件リング・ビーム工法は特殊かつ新規な工法であつて、設計の計算も容易でなく、また施工もリング・ビームの真円度、水平度を厳格に保つ必要があるなど至難なものであり、理論的にも実験的にも十分検討を加えないと危険性を伴うものであつたから、被告人らは考えられるすべてにわたつて安全性を配慮し、設計上対処すべきであつたというに帰するのであるが、前記技術委員会報告書によれば、本件と同じリング・ビーム工法はわが国においてもすでに数多くの施工実績があり、建設省関東地方建設局管内においてもほぼ同一規模のもの一二基が施工されているというのであるから、必ずしも格別特殊かつ新規な工法であるといえるかどうか疑問であるばかりでなく、本件事故の原因となつた要因が何であるか不明であるというのに、そのすべての要因について危険を予見し、これに対処しなければならないということは、これをつきつめれば、むしろ本件リング・ビーム工法自体に極めて危険かつ致命的な欠陥があり、これを採用すべきでなかつたというに等しく、全く別個の過失の問題に帰着するものといわざるを得ないのである。

八ところで関係証拠によれば、本件のようなリング・ビーム工法は、従来の伝統的な切バリ式鋼矢板工法に比べれば、仮締切り内部の作業の効率性、経済性が高く、優れた利点をもつているものの、比較的新しい工法であるため設計上の公的基準がなく、本件以前においては本件程度の大規模な施工実績が他の工法に比べて必ずしも多いとはいえなかつたところ、その中でも所論指摘のように新小松川P11工事では座屈により倒壊事故が発生し、また東京電力東部幹線93工事ではリング・ビームに大変形を生じるなどの事故が発生するなど、事故例も少なくなく、これらの事故につき座屈に対する対策にも触れた検討結果が土木工学関係の専門誌に当時すでに公表されていたことが認められるほか、原判決認定のとおり、本件P7設計過程において、被告人青島は同建部に対して、面内座屈の安全率が1.0を割つていても安全なのかどうか再検討を促すとともに、原審相被告人舘に対しても説明を求めており、同髙田、同建部らも、右の点を考慮して右安全率が1.0を上まわるようにリング・ビームのピッチ及び取付位置を定めた計算書を作成して同青島に提出し、また一方、当初の計算書では許容応力度を一平方センチメートル当り一、四〇〇キログラムとしていたのを途中から法定の二分の一である一、二〇〇キログラムにおとして改善したほか、R6の三五〇H鋼を四〇〇H鋼に変更することを検討しているなどのことからみて、右舘を含む被告人らが本件R6の安全率が1.0前後であることについて、いささか気にはしていたことがうかがわれるのであつて、被告人らとしてもそれなりの対策を講じつつあつた矢先に本件事故が発生し、作業員八名の尊い人命が失われるという重大な結果をもたらしたことにかんがみるとき、本件工法の特許権者でありかつP7の設計者である右舘において、あるいはより一層慎重な配慮をしておくことに起したことはなかつたと考えられる面がないではない。しかしながら、関係証拠によれば、右舘は本件P7の設計にあたり、安全性については面内座屈の安全率の観点からだけでなく、許容応力度を十分考慮すべきであると考えていたことが認められるところ、前記福岡、奥村各証言や、証人斎藤二郎の原審証言などによれば、本件事故当時は、本件のような工事を施工するにあたつては、安全性を許容応力度で考えるのが一般的で、これがむしろ普通の設計方法であつたというのであり、本件リング・ビームの使用材料は法定の条件を満たした一平方センチメートル当り二、四〇〇キログラム以上の強度を有し、三五〇H鋼を用いている本件の場合許容応力度の観点からは、一平方センチメートル当り一、二〇〇キログラムと非常に低く押え安全に取つてあり、約四一七トンの作用軸力が許容されるものであつたこと、本件設計当時座屈に対する計算式がいまだ十分確立していなかつたが、右舘は設計上の安全性を考え、右許容応力度のほか、これに加えてM・レビーの計算式を採用し、面内座屈耐力を算出したのであり、そのこと自体画期的といえるかどうかはともかく、面内座屈の現象に対してそれ相応の配慮をしていたこと、また同人は、M・レビーの計算式による面内座屈の安全率が1.0前後であつても、R6の実際の面内座屈耐力は仮締切り周囲の土の拘束力が加わつて設計上のそれよりもかなり大きくなることを経験上承知しており、このことは現に前記技術委員会報告書要旨(2)によつても実証されていること、関係証拠によれば、被告人髙田、同建部はリング・ビーム工法や面内座屈の安全率などについて十分な知識がなく、同青島もまた安全率については関心があつたものの右舘に比べれば知識が十分であつたとはいえないこと、被告人らはそれぞれ程度の差はあれ面内座屈の安全率を気にしながらも右舘の説明をそのまま受け入れて、安全性については心配ないものと思つていたことなどを考えると、前述のように、本件事故が面外座屈という被告人らにとつて予見できない現象により生じたものであり、面内座屈に対する安全率を高めても、それだけでは面外座屈を防ぐことができない関係にあるとみられる以上、被告人らが右安全率を気にしていたことがあるからといつて、直ちに安全性の認識に関する前記認定を左右するものではなく、結局、被告人らには本件設計に関する刑事上の注意義務違反を認めることはできないというべきである。

その他所論の指摘する点を検討してみても、被告人らの設計上の過失に関する原判決の判断に事実誤認があるとは思われず、被告人らには本件工事における設計上の過失が認められないのであるから、被告人青島について原判決が付加して判断している監督上の責任に関する法令の解釈適用の誤りについて判断するまでもなく、同被告人についてその監督に関する責任を問い得ないこともまた明らかである。

結局、前記技術委員会報告書および福岡証言が明らかにしているように、本件P7の工事は、リング・ビーム工法の実績に基づく経験をもとに、従来のものに改良を加え慎重に計画され、施工されたにもかかわらず、当時の段階における土木工学及び座屈工学の水準が十分でなかつたところから本件のような予期し得ない不幸な事故の発生を見るに至つたものも考えるほかないのである。

したがつて被告人らにつき、犯罪の証明がないとしていずれも無罪とした原判断は正当であり、論旨は理由がない。

よつて、本件各控訴は理由がないから、刑訴法三九六条によりいずれもこれを棄却することとして、主文のとおり判決する。

(石田穣一 神垣英郎 原田國男)

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