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東京高等裁判所 昭和54年(う)767号 判決 1981年1月22日

労働組合役員

甲野一郎

右の者に対する威力業務妨害被告事件について、昭和五四年二月九日東京地方裁判所が言渡した判決に対し、弁護人から適法な控訴の申立があったので、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、被告人本人並びに弁護人尾崎陞外六名連名提出の各控訴趣意書に記載のとおりであり、後者に対する答弁は検察官提出の答弁書に記載のとおりであるから、ここにいずれも引用する。

当裁判所の判断は控訴趣意を便宜一ないし七に分かって以下に示すとおりである。

一  訴因逸脱の主張(弁護人の論旨第二点)について

所論は、いわゆる「少額預金振込カンパ活動」自体は本件の訴因たる「威力」に含まれない旨検察官の釈明があったという前提にたって、原判決を論難する。けれども、記録上明らかなとおり、原審公判廷における検察官の釈明(昭和五一年一一月八日付釈明書記載を含む)はそのようなものではなく、かえって、本件における具体的事実関係のもとでは「金一円ないし一〇円の極めて少額の預金振込を多数回にわたって行うこと」自体も「多数人が多数回グループで振込手続を行うこと」自体も共に違法である、また被告人らの店内での「蝟集」も本件威力業務妨害の態様のひとつである、という内容のものである。もとより、右釈明内容が起訴状記載の公訴事実を逸脱しているとは解されない。従って、この点の論旨は前提において失当である。

また、原判決の事実記載によれば、いわゆる事前共謀の事実が認定判示されたものとは解されないから、この点についての論難も同様に失当である。

二  構成要件事実の誤認の主張(同第三点の二、三)と法令解釈適用の誤りの主張(同第七点)について

所論は、原判決において威力業務妨害罪の構成要件に該当するとされた事実につきその誤認をいい、かつ、原判決における刑法二三四条の解釈適用に誤りがあるというものである。

1  たしかに、原判決一二丁裏末行から一三丁表六行に被告人の行為として摘示された罵詈については、録音された語調、声色自体からそのすべてが同一人のものであると聴き分けることはいささか困難であり、録音録画された喧騒状態からして、被告人以外にも銀行の対応に不満を唱え大声で抗議を行った者のあったことが窺われ、これに当公判廷における被告人の供述等をも参酌して考えると、右の罵詈のすべてが被告人によるものだとする原認定には一部誤りがあるとされてやむをえない。もっともそれと共に、その中に二、三被告人自身の発言が混っていることは当公判廷でその自認するところであるし、それ自体がかなり大声の、かつ、罵詈と称しうる語調のものであることもやはり否定しがたいところである。

次に、ビデオテープに録取された画像と音とをみると、まず、被告人が右手に紙束を持ちこれを町田一夫の前のカウンターに打ちつける動作とその音とが明瞭に認められ、またこれに僅か先立って、被告人が右腕の肘から先を振り上げて同じくカウンターに振り下ろす動作と、恰もこれに符節を合わせて生じた硬質の打撃音とが録取されているものである。すなわち、右硬質の打撃音に酷似するスタンプ音も同じビデオテープに録取されていること、被告人の前記各動作がいずれも一六ミリ写真中には写されていないこと、前記町田一夫もこれを記憶していないということ等所論指摘の事情にも拘らず、右のような動作が少くとも二回あったという客観的事実自体は疑い得ないのであって、被告人がカウンターをたたいたとする原審関係証人の供述は、これらの動作をとらえていうものと認められる。この点に関する原審関係証人の証言中に誇張的表現ととれるものがあるのは確かであるが、結局、被告人が「数回手でカウンターを叩くなどした」旨の原認定は、これを是認することができるものである。

2  そして、原判決の罪となるべき事実として判示された被告人らのその余の外形的行動の存在もそのままこれを認めるにかたくない。若干補足すれば、預金口座の新規開設をめぐる紛糾において原判決一四丁表三行から一〇行に判示されたような喧騒状態が生じたことも、それ自体は所論第三点の三の2の所論にも拘らず確かなことであるし、営業時間終了時にハンドマイクを使った挨拶とこれに対する拍手があったこと、その後警察官とのトラブルに際して喧騒状態が生じたことも原判示のとおりであると認められる。

被告人を含む多数の人間によって交々行われたこれら一連の行為は、全体としてみて銀行業務の日常的かつ正常な運営を阻害する危険性を多分に有するものと認める外はないから、これをもって威力業務妨害罪の外形的事実に該当するに足りるとした原認定並びに法令の解釈を誤りとすることはできない。威力による業務妨害の意義、解釈に関する所論第七点の論旨に対しては、この判断と齟齬するかぎりにおいて当裁判所の左袒しえないところである。

三  威力業務妨害の故意及び共謀に関する誤認の主張(同第三点の四、第四点)について

所論は、本件について被告人らの犯意と共謀が存しない旨主張する。

まず、本件所為に及ぶについて被告人らに事前の共謀があったと認めがたいことは所論のとおりであるが、原判決においてこれが積極に認定判示されたと解しがたいことも前述のとおりである。

しかし、もともと被告人らは、多数人による少額預金振込という銀行にとって迷惑な行為を共同して実行するという共通の目的で参集し、かつ、その実行を始めたものだという事情が本件の基底に存在していて、そのうえで、参集者中の少なからぬ人数が交々断続的に原判示のような喧騒の所為に及んだものであり、この行為を自ら行わなかった者にあっても、具体的細部についてはともかく、眼前に生じた喧騒状態全般については相互に了知認識していたことは疑いがなく、更にこの喧騒状態の動機・誘因となった銀行側や警察官の行動に対する不服、怒り、抗議の念は、参集者のほぼ全員について共通に抱懐されたものであったと推認されるという事情がある。事実、被告人らの指揮者その他参集者中に、この喧騒を制止ないし抑制しようとした者があった形跡もない。かような一連の状態のもとで被告人らは店内に滞留し少額預金振込を実行しつづけたものである。

これらの事実関係のもとでは、被告人は原判示喧騒の行為全体を故意にかつ共同して分担実行したものであると認められるし、その余の参集者中自らは喧騒の行為に加わらなかった者についても、相互に意思の連絡を有していたとする原推認を誤りだということはできない。

四  憲法二八条違反の主張(同第五点)について

所論は、被告人らの本件所為は、浜田労組が三菱銀行に団体交渉を申入れて事実上拒否されたことに対し、交渉応諾と企業再開を要求し、かつ抗議する労働組合の団体行動であり、団結権の行使である旨主張する。三菱銀行が、被告人ら浜田労組員の労組法上の「使用者」だというのである。

けれども、労組法上の「使用者」とは、同法の規制趣旨から合目的的に考えてみても、労働関係の当事者としてこれを発生・存続・解消させ、雇用条件を設定・変更し、労働協約を締結・遵守し、その反面法律上の不当労働行為をなす能力をもつところの、労働法律関係上の権利義務主体を意味すると解され、例えば、団体交渉の拒否がその「雇用する」労働者団体との関係において労働法律関係上一定の意味をもつことは、労組法七条二号の明定するところなのである。当然、名目上の使用者の外に実質上の使用者があるといえるためには、それが労働関係上右に述べたような地位と権能を実質上あわせもつ場合でなくてはならない。

本件の事実関係のもとでは、三菱銀行が被告人らの「使用者」であり、被告人らを「雇用する」ものであるとまでいうのは如何にしても無理である。本件所為について憲法二八条の保障があるとする所論は、前提を欠く。

五  違法性に関する判断の誤りの主張(同第一点、第三点の一、第六点、第七点等)について

所論は、本件所為は銀行側の挑発によって生じたものであり(論旨第三点の一)、かつ、可罰的違法性を欠き(同第六点)、また、原判決には大衆行動の相対的正当権を憲法一三条、二一条に反して看過した違法がある(同第一点)という。

たしかに、既に業績不振の事態に陥っていたものとはいえ、浜田精機が遂に破産宣告にまでいたった直接の原因は、三菱銀行が昭和四九年四月以降同社に対する融資をほとんど打ち切ったことにあると認められるし、また、所論労働金庫手形との関係でも、右銀行の融資を得られなかったため浜田精機においてこれを決済することができず、ひいて浜田労組において約五〇〇〇万円という巨額の債務を背負い込む結果になったものである。これによって職を失い、それまでの収入の途を断たれる等、生活上に甚大な影響を蒙る労働者が、融資再開のため交渉を求め、或は銀行側の一連の対応を不当として抗議しようとすることそれ自体はいわれのないことでなく、その反面、銀行側においては、社会通念の範囲内でその忍受を求められる場合もあるであろう。本件における問題は、その要求なり抗議なりが威力業務妨害罪の構成要件に該当するまでにいたった場合、なおかつ社会通念上許容される限度内にあって違法でないと認められる具体的事情があったかどうかである。

そして、本件の喧騒行為は、当日の銀行側の新規対応に触発され、これに対する不服、抗議の表明としてなされたものなのであるから、その新規対応の当否如何が喧騒行為の当否の判断に大きい意味をもつ。

これを具体的にみると、まず三菱銀行本所支店に対する関係だけでも、本件に先立って既に四回の集団振込が行われており、その経緯は原判決五丁裏から六丁表にかけて判示されたとおりのものであって、当然のことながら、本件当日においても一時に多数の者が窓口に集中して多数回の少額預金振込等の行為を行うことが予想され、場合によってはそれ以後にも同種行動の反覆が予想される状況にあったわけである。このことが銀行側にとって業務上迷惑な事態であることはいうまでもなく、当面いつ果てるともないこの事態を全面的に、被告人らのなすがままの形でひたすら忍受しなければならないとまで極言しては条理と権衡を失するから、せめて少額預金振込を一人一回程度に限り、かつ、新規口座の開設を断わるという程度のことは、それなりに合理的な業務関連行為だといわなくてはならない。これを被告人らの立場からみても、このような銀行側の対応を仮りにそのまま受け入れたとしても、本件当日でいえば一人一回として約九〇口という少額預金振込が可能だったわけであって、多数人による多数回の少額預金振込という行動の趣旨は貫きえ、それによって意図する直接目的即ち銀行に抗議し圧力をかけるという目的の実現が大きく妨げられるというわけのものでもないのである。してみると、本件当日における銀行側の対応は、その趣旨自体においても双方の利益の比較衡量においても、社会通念上特に非難されるいわれのない正当なものであったということができる。それならば、銀行側の対応に対する不快・不満と抗議を多数の者が交々勝手に表明するとしても自ずから限度があり、銀行の通常の窓口業務においてなされる程度の域を著しく逸脱するにいたった本件の場合には、もはや社会通念上容認される限界を越えるとされてやむをえない。まして、被告人らと直接接触した個々の銀行員の応接態度には、前記の対応の趣旨を越えてことさら非礼・無作法であるとか、大声で罵詈を吐くとかの行動があったわけではないから、被告人らの本件言動はこれとの対比権衡においても著しく粗暴過剰に失するものであったとされなくてはならない。

結局、被告人らの本件所為に実質的な違法性があるとした原判断は所論にも拘らず肯認されるものである。本件当日の銀行側の対応には本件所為を正当ならしめもしくはその違法性を減弱せしめる事情という意味での挑発があったとすることはできないし、憲法一三条、二一条は、犯罪を組成する行為につきそれが集団的行動であるというだけの理由で違法性を喪失・減弱させることを認める規定ではもとよりない。また、犯罪が発生したと考えた警察官が採証のため写真撮影をすることは適法正当な捜査活動である。その余の関連論旨のすべてを総合考慮しても、違法性に関する原判断を誤りであるということはできない。

六  公訴権濫用(同第八点)の主張について

検察官に委ねられた訴追裁量権は大幅なものであって、所論にも拘らず本件の訴追行為自体が犯罪を組成するような極限的に不当なものであるとは認められないから、原判決に本件公訴を棄却しなかった違法があるとする所論は前提を欠く。また、公訴権濫用の主張に対し、いちいち裁判所の判断を明示することは法律上要求されていないところである。

七  被告人の控訴趣意に対する判断

被告人の控訴趣意が理由のないことは、上来説示した趣旨に徴して明らかである。

八  以上のとおりであって、論旨はその余の点をも含めてすべて理由がないから、刑訴法三九六条、一八一条一項本文により、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 菅間英男 裁判官 柴田孝夫 裁判官 松本光雄)

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