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東京高等裁判所 昭和54年(う)1916号 判決 1980年4月30日

被告人 久保庭利男

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人中村誠一、同臼井義眞が連名で提出した控訴趣意書に、これに対する答弁は、東京高等検察庁検察官検事岡田照彦が提出した答弁書にそれぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用し、これに対して、当裁判所は、次のとおり判断する。

第一理由不備・理由そごの主張および訴因変更手続を経ない違法の主張について

一  所論は、原判決は被告人がいかなる業務に従事中に失火に及んだのか、その業務内容についての判示を欠如している、と主張する。

しかしながら、原判決が罪となるべき事実として認定しているところ並びに弁護人の主張に対する判断において補足説示しているところによれば、原判決は被告人の機械課長としての一般的職責について判示するほか、被告人が職掌上排気洗滌装置の改善方を担当し、試験機の設置工事に伴つて工場内の機械・設備等に発生することあるべき火災の危険を予防すべき業務に従事していた者であることを認定・判示していることが明らかであるから、業務上失火の罪を基礎づける具体的な業務の判示に欠けるところはないといわなければならない。また所論は、試験機の設置工事の際不用意に火気を使用するとラツカー塗料等に着火して火災となる危険性が極めて大きかつたとする原判決の認定については、これを裏付ける証拠がないので、原判決はこの点でも理由不備の違法がある、と主張するが、原判決の引用する関係証拠自体に徴し、右の主張は理由がないことが明らかである。

二  次に所論は、本件においては検察官は、被告人は試験機据付工事の施行についての監督の業務に従事していたと主張していたのに対し、原判決は監督の業務を認定せず、訴因変更の手続を経ることなく、訴因とは実質的に異なつた新たな業務を認定した違法がある、と主張するが、原判決の判文全体を総合考察すれば、その認定した被告人の業務は、試験機据付工事の施行にあたつて工事現場の危険の予防・回避の職務を預かる者の果たすべき監視・監督のそれであるとしたことは明らかであつて、検察官の主張する訴因と実質的に同一内容の業務を認定しているものと認められるので、原判決には訴因と異なる業務を訴因変更の手続をしないで認定した手続上の違法はないといわなければならない。

論旨はいずれも理由がない。

第二事実誤認等の主張について

所論は、要するに、被告人は本件試験機の性能実験のため、これを工場内に設置する工事の施行にあたり、試験機の製作・据付の受注者である大東化工機株式会社の担当者池田智行に対し、事前打合せの際、試験機に通じる管を接続する導管内に可燃性ないし引火性の危険物質が付着していることを説明し、ダクトの内側、ノンダート洗滌機、クローム第二工場二階の危険物・可燃物の存在場所、存在状況を実地に指示していたのであるから、それ以上に、受注側からその行う具体的作業方法を事前に聴取して安全を確認する義務や施工に立ち会つて監督する義務までをも負うものではなく、右のような事前の説明・指示をしておけばそれで足りるのであり、専門業者であり、試験機の受注・据付工事施行者である大東化工機の担当者池田が右の指示・説明に留意せず、また法令等を無視し、災害防止・安全について一顧だにせず、ダクトの穿孔工事に火気を使用するというような行為に及ぶなどということを予見することは不可能であつた、と主張する。

そこで証拠を検討してみると、本件については次のような事実が認められる。すなわち、被告人は、原判示株式会社ニツピ東京工場の機械課長であり、同工場においてボイラー、電気設備、各種機械、装置類の設置、保守、修理などを統括する業務に従事していた者であるが、同工場は皮の鞣し、塗装などを行つており、同工場内のクローム第二工場二階には各種の皮革塗装機械等が据付けられ、ラツカーをその量の約三倍のシンナーで希釈した塗料を皮革に噴霧して塗装する作業が行われていた。ところで塗装の工程では塗料の六割ないし七割が皮革に塗布されずに空中に飛散してしまうため、同工場では、従来、これを排気扇によつて導管(厚さ約〇・六ミリメートルの鉄板製で約六〇センチメートル角のもの)を通して同工場二階の階上に据付けられたノンダート洗滌装置と称する排気洗滌装置に導き、排出されるラツカー塗料中のラツカー分を除去していたが、その洗滌装置が目詰りで排気不良となつたので、被告人は職掌上、排気洗滌装置の改善方を担当することとなり、大東化工機株式会社の池田智行(原審相被告人)に対し、新しい排気洗滌装置の開発を依頼した。そこで同人は同会社の設計製作部門に諮つて湿式スクラバーと称する新式の排気洗滌装置の試験機を製作することとし、被告人との間で昭和五一年三月末ころ、ニツピ東京工場二階の階上のノンダート洗滌装置の脇に製作した右試験機を据付け、塗料機械からノンダート洗滌装置に通じる導管に穴をあけ、そこに試験機に通じる管を取付けて右試験機に塗装機械からの排気を導入し、試験機を運転して実地に性能検査を行うことを取り決め、その施行日は同年四月五日とすることとし、右試験機の設置工事の際も同工場の操業は中止しない旨申合せがなされた。そこで大東化工機の池田は、同会社の下請工事業者である有限会社久保田工業所代表取締役久保田勝(原審相被告人)に対し右試験機の設置工事を発注し、同人は前同日午前一一時ころ、右工場二階の階上において被告人ならびに池田から試験機の設置場所や導管に穴をあける個所につき指示を受けて設置工事を開始し、同日午後一時四七分ころ、久保田工業所の従業員川村貞夫が久保田に命じられた導管の溶断をアセチレン溶接装置を用いて行つたため、右導管内のラツカー塗料に着火し、その火が導管内を伝つてノンダート洗滌装置や工場二階の皮革塗装機械等に燃え拡がり、よつて原判示のとおり機械等を焼燬し、公共の危険を生ぜしめた。そして右試験機を接続すべき導管の内側には引火性危険物であるラツカー塗料がペースト状となつて多量に付着し、これに着火すると容易に燃焼する状態にあつたこと、試験機の性能検査が施行された本件当日は導管の中を塗装機械から排出された火気に危険な霧状のラツカー塗料や同塗料の蒸気の混つた空気が流れていたこと、試験機の設置は導管の一部の切断を含む工事であつたことは、本件試験機の発注者側の担当者であり、かつ、同試験機の設置工事を施行する第二工場の工場設備、機械等を管理する事実上の最高責任者であつた被告人としては、これを十分了知していたものである。

(一)  ところで、被告人は池田に対し事前打合せの際に、導管内にある塗料ガスや塗料ミストについて一応の説明をしていたことは証拠上明らかであるが、右の説明は、新しい試験機の設計・製作・設置について必要な一般的情報の提供として述べられたものであつて、導管内の物質の可燃性と危険性が特段に被告人の念頭にあつて火災防止のため試験機据付工事には火気の使用を厳に禁止するという観点から特に池田の注意を促す趣旨で述べられたものではない。

この点につき被告人は、本件の一週間前、池田の取付現場の下見や工事の事前打合せの際、穿孔個所や設置場所を指示し、ダクト内のガスミストの状況や塗料かすの付着状況等を見分させたうえ、可燃性のガスだから十分注意してやつてもらわなければならない、ダクトは〇・六ミリのトタンだから鋏で切れると話した旨供述しているが、池田が工場の操業日に据付工事を施行することの危険性に意を用いず、また、下請業者の久保田に対して火気使用の禁止を含め何らの細かい指示をも与えていなかつた事実に徴すると、池田は火気の危険について全く考えていなかつたわけであつて、このことはとりもなおさず被告人の池田に対する本件試験機設置工事の危険性、特に火気使用の危険性について明確・具体的な注意の与え方が不十分で、火気の危険性の周知・徹底に欠けるところがあつたことを推認させるものであり、被告人の前記供述は措信することができない。

また、たしかに、被告人が大東化工機に発注した排気洗滌装置は可燃性、引火性のあるラツカー塗料の排気洗滌のためのものであり、同社が同装置などの設計、製作などの専門業者であること、同社には建設業法、労働安全衛生法、同規則等によつて災害防止のため機械器具設置工事等を業とする事業者として種々の規制に従うべき法令上の義務があることは論旨の指摘するとおりであるが、発注者の被告人としては受注者側に対し塗料ガス、塗料ミストの存在について前判示程度の一般的情報を提供すれば足り、あとの安全確保の措置については全面的に受注者側の適切な行為を信頼してよいとすることは相当ではない。

(二)  新しい排気洗滌装置の設計・製作・設置に関する契約は、試験機のそれも含めて、請負契約の性質を有しているものではあるが、本件試験機の第二工場における据付工事は試験機の性能検査を工場の設備と操業状態を利用して行うためになされたものであつて、作業当日は現に操業中で危険なガスが導管内を流れており、作業場所、作業個所は被告人の管理下にある工場内であつたのであるから、本件試験機の設置は被告人と請負業者らとの共同作業としての性質を失つていなかつたものと認めなければならない。特に前示(一)に述べたように被告人には火気の危険性についての事前の周知・徹底の配慮に欠けるところがあつたのであるから、被告人としては、さらに池田ら請負業者らからその行おうとする具体的作業方法を聴取し、安全を確認する義務があつたものといわなければならない。しかるに被告人は右の義務を尽くさず、作業方法等工事の施行はすべて池田らに任せて関知しようとせず、作業当日に至つたことが証拠上明らかである。

(三)  そこでさらに、被告人には本件作業当日、工事に立会つて火災発生の危険がないように監督・監視すべき義務があつたというべきかどうかについて検討してみるに、本件当日、被告人は、池田や久保田らが試験機の設置工事に使用する電気熔接機、アセチレンガス熔接機等の工事用具を工場内に搬入した際、これを現認しながら作業現場まで誘導し、設置現場では池田から穿孔個所の確認を求められて同人や久保田に指示しているのであつて、このような場合、前示(一)の火気の危険性についての周知・徹底義務や(二)の具体的作業方法の聴取・確認義務を事前に尽くしていない被告人としては、池田や同人が連れて来た下請業者らが溶接器機を用いて穿孔をするなど火気を使用した不適切な作業を行うおそれもあり得るのであるから、このことも予測し、池田に工事の一切を任せたままにせず、自ら現場の作業に立会つて、工事に火気が使用されることのないよう監督・監視する義務があつたものといわなければならない。そしてまた本件において実際に熔断作業を行つた下請業者の従業員がたまたま酸素アセチレンガス熔接等に従事する資格の無い者であつたことや、厚さ〇・六ミリのトタン板(亜鉛引鉄板)をガス熔断することはその切口が汚なくなるなど適当でないために極めて例外的なことであるということにより被告人には火気の使用を予測することを期待し得なかつたとすることもできない。

ところで、被告人の注意義務に関する原判決の判示にはやや明確さを欠く点はあるけれども、原判決では結局、工事の立会、監督の義務が被告人の注意義務として認定されており、この認定・判断は相当であつて支持することができるので、原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認はなく、また、右注意義務の認定に要する証拠に欠けるところもないから、理由不備の違法もなく、所論が、被告人の注意義務は危険の存在を周知・徹底させることで十分であり、被告人はその義務を尽しているとして縷々主張し論述するところは、前述した本件の事実関係に照らし失当であつて採用することができない。論旨は理由がない。

よつて、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 小松正富 寺澤榮 佐野昭一)

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