大判例

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東京高等裁判所 昭和53年(ネ)1986号 判決 1990年12月07日

《目次》(編集部において付したも。)

事実

第一 当事者の求めた裁判

第二 当事者の主張

一 原告の請求原因

1 原因によるエマホルムの服用とスモンの罹患

2 エマホルムの服用と本件疾患の罹患との因果関係

3 被告によるエマホルムの製造、販売

4 本件疾患の発症に関する被告の責任

5 被告の不当抗争

6 原因の被った損害

7 原告の請求

二 請求原因に対する被告の認否及び 主張

第三 証拠関係《略》

理由

第一 本判決で判断する原、被告間の争点

第二 スモンとその類似疾患

一 はじめに

二 スモンの臨床及び病理

1 [見出しなし]

2 スモン調査研究班昭和五一年度研究報告による類似疾患

3 椿忠雄、豊倉康夫、塚越広の研究報告による類似疾患

4 高崎浩、森本稔夫の研究報告による類似疾患

5 高橋晄正の研究報告による類似疾患

6 [見出しなし]

三 スモンの類似疾患

第三 スモンとその類似疾患との鑑別診断

一 スモンの鑑別診断と「スモンの臨床診断指針」

二 スモンの鑑別診断とキノホルム服用の情報

三 スモンの鑑別診断のための検査方法及びその実施時期

1 [見出しなし]

2 鑑別診断の方法ないし進め方

3 鑑別診断のための臨床検査方法

4 鑑別診断のための観察、検査等を行うべき時期

四 スモンの鑑別診断とスモン患者の 早期救済

第四 スモンの鑑別診断の困難性

一 スモンの鑑別診断の困難性についての識者の意見

二 スモンと誤診

第五 本件疾患発現の経緯及びその後の経過

一 本件疾患発現の経緯

二 その後の経過

第六 社会保険中央総合病院における診断の結果について

一 はじめに

二 本件疾患と「スモンの臨床診断指針」との合致性

1 [見出しなし]

2 腹部症状

3 神経症状

4 参考条項

5 [見出しなし]

三 キノホルム以外の原因又はスモン以外の疾患の可能性

1 [見出しなし]

2 スモン以外の代謝障害ないし栄養障害

3 脊髄前柱細胞の障害

4 キノホルム以外の薬剤投与等の影響

四 臨床検査の要否

1 [見出しなし]

2 右病院で実施された臨床検査

3 臨床検査等に対する疑問

五 以上のまとめ

第七 その余の病院における診断の結果について

一 社会保険横浜中央病院における診断

二 川崎幸病院における診断

三 都立府中病院における診断

四 以上のまとめ

第八 原審鑑定の結果について

一 原審鑑定の結果及びその鑑定資料

二 原審鑑定資料の作成過程及び記載内容

1 [見出しなし]

2 風戸医師作成の病状記録

3 銅直医師作成の病状記録

4 本多医師作成の診断書

三 原審鑑定の結果の当否

1 鑑定資料の記載内容の当否についての審査

2 「スモンの臨床診断指針」との合致性についての判断

3 スモンの類似疾患との鑑別診断

4 本件疾患の症度についての判定

5 まとめ

第九 結論

[付属文書]《略》

「臨床研究」豊倉康夫

「病理研究」江頭靖之

昭和五三年(ネ)第一九八六号事件控訴人同第二一二一号事件被控訴人

第一審被告 田辺製薬株式会社

右代表者代表取締役 千畑一郎

右訴訟代理人弁護士 石川泰三

同 青木康

同 丁野清春

同 美作治夫

同 大矢勝美

同 伊東真

同 吉川彰伍

同 榎本昭

同 大久保均

同 野村弘

同 羽田野宣彦

同 塩川哲穂

昭和五三年(ネ)第一九八六号事件被控訴人同第二一二一号事件控訴人第一審原告 古賀照男

右訴訟代理人弁護士 大津卓滋

同 三木正俊

同 長谷川純

同 土屋耕太郎

主文

一  昭和五三年(ネ)第一九八六号事件について原判決中、控訴人敗訴の部分を取り消す。

被控訴人の請求を棄却する。

二  同第二一二一号事件について

本件控訴を棄却する。

三  訴訟費用について

訴訟費用は、第一、第二審を通じ、昭和五三年(ネ)第一九八六号事件被控訴人、同第二一二一号事件控訴人の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  昭和五三年(ネ)第一九八六号事件の控訴の趣旨

1  原判決中、控訴人敗訴の部分を取り消す。

2  被控訴人の請求を棄却する。

3  訴訟費用は、第一、第二審とも、被控訴人の負担とする。

二  右控訴の趣旨に対する答弁

本件控訴を棄却する。

三  同第二一二一号事件の控訴の趣旨

1  原判決を次のとおり変更する。

被控訴人は、控訴人に対し、金六〇〇〇万円及び内金五〇〇〇万円に対する昭和四七年七月二二日から、内金一〇〇〇万円に対する昭和五二年七月一八日から各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は、第一、第二審とも、被控訴人の負担とする。

3  仮執行の宣言。

四  右控訴の趣旨に対する答弁

本件控訴を棄却する。

第二当事者の主張

(以下、「昭和五三年(ネ)第一九八六号事件被控訴人、同第二一二一号事件控訴人」を「原告」と、「昭和五三年(ネ)第一九八六号事件控訴人、同第二一二一号事件被控訴人」を「被告」という。)

一  原告の請求原因

1  原告によるエマホルムの服用とスモンの罹患

原告は、昭和四二年五月二〇日以降、社会保険中央総合病院(東京都新宿区西大久保三丁目三七番地所在)において、慢性胃腸炎の治療薬として、キノホルム製剤であるエマホルムを投与され、その後同年六月一五日ころまでの間ほぼ毎日、一日当り一・五グラム(キノホルム量に換算すると、一日当り一・三五グラム)を服用していたところ、同年六月一五日ころ、スモン(右病院での診断病名は、「腹部症状を伴った脊髄炎症」。)に罹患するに至った。そして、原告が右日時ころ罹患した疾患がスモンであることは、その発症の経過とその症状の内容及び推移に照らして明らかであり、原告は、その後も各病院において、右疾患がスモンである旨の診断を受けている。(以下、原告が右日時ころに罹患したという疾患を「本件疾患」という。)

2  エマホルムの服用と本件疾患の罹患との因果関係

スモンの発症の一般的な原因がキノホルム製剤の服用にあることは、わが国における最高水準のスモン研究者によって構成された厚生省スモン調査研究協議会及び厚生省特定疾患スモン調査研究班による各種の調査、研究の結果や、昭和四五年九月に厚生省が行ったキノホルム製剤の販売中止の行政措置によってわが国におけるスモンの発症が激減した事実等に照らして、明らかである。また、本件疾患の罹患が右1に述べた原告によるエマホルムの服用によって発生したものであることは、本件疾患の発症の経過に照らして、明らかである。

3  被告によるエマホルムの製造、販売

原告が社会保険中央総合病院で投与され、服用したエマホルムは、被告がそのころに製造、販売したキノホルム製剤である。

4  本件疾患の発症に関する被告の責任

(一) エマホルムのような合成医薬品には、本質的に、それを服用した者の生命、身体に重大な危害を加える可能性が内在しているが、その可能性は、その医薬品の大量の製造、販売によって一層増大する。ところで、被告のような製薬会社は、その製品である医薬品の安全性を確保するための調査、実験の知識、情報、手段等を独占的に保有しているのに対し、原告のような医薬品の一般服用者は、そのような知識、情報、手段等を全く有していない。そこで、利潤の追求を至上目的とする、被告のような製薬会社が、その製品である医薬品の安全性を無視しつつ、その大量の製造、販売を行った結果、その医薬品によって本件疾患のような薬害が発生した場合においては、その製造、販売体制自体に重大な瑕疵があったというべきであるから、その製薬会社は、過失の立証がないときでも、その薬害に関する損害賠償義務を免れない。

(二) 製薬会社の製造する医薬品は、民法七一七条一項にいう「土地ノ工作物」の中に、動的危険の一態様として包含されると解すべきであるから、キノホルム製剤であるエマホルムを製造した被告は、右条項の類推適用により、エマホルムの服用の結果原告に発症した本件疾患に関する損害賠償義務を負わなければならない。

(三) 被告は、キノホルム製剤であるエマホルムを販売するに当り、その能書に、副作用のない安全な医薬品であることを表示し、それによって、その服用者に対しエマホルムの無害性を担保したものであるところ、原告は、その表示を信じてエマホルムを服用した結果、本件疾患に罹患するに至ったものであるから、被告は、原告に対し、本件疾患に関する損害賠償義務を負うべきである。

(四) 仮に被告には原告の本件疾患の罹患に関する無過失責任が認められないとしても、被告は、医薬品の製造、販売に当り、その医薬品の安全性を確認すべき高度の注意義務を負っていたものである。すなわち、被告は、医薬品の製造、販売に当り、内外の文献等の調査、各種の毒性試験、薬理試験等を十分に実施して、その医薬品の安全性を確認すべき高度の注意義務を負うとともに、もしその安全性に疑いが生じたときには、その医薬品の製造、販売をしてはならない注意義務を負っていたものである。特にエマホルムのようなキノホルム製剤については、被告による製造の開始時点において、文献等の調査のみによっても、人及び動物に対して神経障害等の副作用の発生することを予見することが可能であったのであるから、被告としては、更にその余の各種試験等をも実施することにより、右副作用の発生を予見することが一層容易であったものである。しかるに、被告は、これらの注意義務を尽くすことなく、安易にエマホルムを製造、販売した結果、本件疾患のような重大な薬害を発生させたものであるから、被告は、原告に対し、本件疾患の罹患に基づく損害の賠償について過失責任を負うといわなければならない。

(五) 更に、被告は、エマホルムの製造、販売の開始後においても、右(四)で述べたような注意義務を尽し、もしその安全性に疑いが生じた場合には、その製造、販売を中止するとともに、その製品を回収するなどの措置を講じ、エマホルム服用による薬害の発生、拡大を未然に防止すべき注意義務を負っていたものである。そして、その段階においては、文献等の集積により、キノホルム製剤の副作用の発生を予見することが一層容易であったものである。それにもかかわらず、被告は、右注意義務を怠り、エマホルムの製造、販売を継続した結果、右のような重大な薬害を発生させたものであるから、この点からしても、被告は、原告に対し、本件疾患の罹患に基づく損害の賠償について過失責任を負うというべきである。

5  被告の不当抗争

本件訴訟が原審に係属した後の早期の段階において、スモン・キノホルム説が学問的にほぼ確立され、一方、スモン・ウイルス説は多くのスモン研究者によって否定し去られていたにもかかわらず、被告は、キノホルム製剤による薬害発生の責任を回避し、訴訟の遅延を図るため、原審での結審の直前に至り、スモン・ウイルス説を主張するとともに、裁判官の忌避申立をするなどして、不当に抗争し、更に、当審においても、最後までスモン・ウイルス説の主張を固持して、原告をはじめとするスモン患者に対し、多大の精神的苦痛を与えているものである。そこで、被告のとった右のような応訴態度は、反社会的、反倫理的なものというべきであって、それ自体、不法行為を構成する。

6  原告の被った損害

(一) 本件疾患の罹患による損害

原告は、本件疾患に罹患した結果、長年にわたり病院への入通院を繰り返すことを余儀なくされるとともに、現在においても、両下肢の足底部から大腿部にかけての知覚障害及び運動障害、視力の低下、直腸及び膀胱の障害等により、多大の精神的苦痛を被っている。また、原告は昭和二年一月五日生まれの男性であるところ、本件疾患の発症前は、そば店の売店責任者として勤務し、相当額の収入を得るとともに、老後の安定した生活の実現を期待し得たものであるが、本件疾患に罹患したため、右収入と期待とを共に失い、その後僅かばかりの年金、講師謝金、妻の収入等のみに頼って生活していかざるを得ない状態に陥り、老後の生活についての不安におびえている。このようにして、原告は、本件疾患の罹患により精神的及び財産的に多大の苦痛、損害を被っているのであるが、これらの事情に、被告による本件の加害行為が医薬品及び商品による加害行為であるという特異性、被告による医薬品の安全性確保義務の懈怠の態様、その他本件の薬害発生に関する一切の事情を総合して考慮すると、本件疾患の罹患により原告が被った損害額は、本件訴訟についての弁護士費用を含めて、金五〇〇〇万円を下回ることはあり得ない。

(なお、参考までに、原告が被った損害額を、交通事故による損害賠償額の算定基準に従って算定してみると、本件疾患罹患後昭和五二年一二月末日までの逸失利益が金一〇一五万八七一一円、昭和五三年一月一日以降の逸失利益が金一八三六万四五三四円、入通院による苦痛に対する慰謝料が金二三〇万二〇〇〇円、後遺症に対する慰謝料が金四一八万円、これらに対する本件疾患発症時から原審口頭弁論終結時までの遅延損害金が金一七六七万〇四五五円となり、その合計額は金五二六七万五七〇〇円となる。従って、本件疾患の罹患による原告の損害額金五〇〇〇万円が高額にすぎるということはあり得ない。)

(二) 被告の不当抗争による損害

被告の不当抗争により原告が受けた精神的苦痛に対する慰謝料の金額は、少なくとも金一〇〇〇万円とするのが相当である。

7  原告の請求

よって、原告は、被告に対し、本件薬害及び本件不当抗争による損害賠償請求として、合計金六〇〇〇万円及び内金五〇〇〇万円に対してはその損害発生の後である昭和四七年七月二二日から、内金一〇〇〇万円に対してはその損害発生の後である昭和五二年七月一八日から各完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払うことを求める。

二  請求原因に対する被告の認否及び主張

1  請求原因1の事実のうち、原告がエマホルムを服用した結果本件疾患に罹患したこと及び本件疾患がスモンであることはいずれも争い、その余の事実は知らない(但し、エマホルム一・五グラム中に含まれるキノホルム量が一・三五グラムであることは認める。)。

本件疾患は、その症状が厚生省のスモン調査研究協議会設定の「スモン臨床診断指針」等に合致しないから、スモンであるとは認めがたいのみならず、その神経症状等の内容及び治療の経過等から見て、ビタミンB12欠乏症やアルコール性ニューロパチー等である疑いが濃厚である。なお、原審で行われた本件疾患についての鑑定は、その基礎資料が不備、不足であるとともに、その判断過程も全く示されていないから、その証明力を有し得ないものというべきである。

2  請求原因2の事実及び主張は争う。

スモン調査研究協議会等が行ったスモンについての調査、研究の結果には、今なお検討を要する種々の疑問点があって、そのとおりに採用することはできないから、キノホルム製剤の服用とスモンの発症との間に因果関係があるという原告の主張は理由がない。のみならず、スモンは、いわゆる井上ウイルスによって発症し、増悪する神経疾患と解するのが相当である。

3  請求原因3の事実のうち、エマホルムが被告の製造、販売に係るキノホルム製剤であることは認める。

4  請求原因4の事実及び主張は争う。

医薬品の安全性は、最終的には、多数人に対する臨床的使用によってはじめて確認され得るものであるところ、キノホルム製剤は、長年月にわたり世界の各国において使用され続けてきた医薬品であるが、その間にさしたる副作用は発生しなかった。むしろ、被告がエマホルムの製造、販売を開始した時点においては、キノホルム製剤が安全で著効のある胃腸薬、抗アメーバ剤であることは、世界の医学、薬学界における常識であった。また、キノホルム製剤は、日本薬局法に収載された医薬品であるから、いわば国によってその有効性と安全性とが保証されていたものというべきである。従って、エマホルムの製造、販売につき、被告には、原告の主張するような注意義務の違反は存在しない。なお、仮にスモンの発症の一般的な原因がキノホルム製剤の服用にあるとしても、その服用につき製薬会社以外の第三者である医師の投薬行為が介在している場合においては、製薬会社の責任の有無を判断するに当り、その投薬行為をした医師の注意義務違反の有無が考慮されなければならない。

5  責任原因5の事実のうち、被告が、本件訴訟において、スモン・ウイルス説を主張していること、原審の裁判官の忌避申立をしたことがあることは認めるが、その余の事実及び主張は争う。

6  請求原因6の事実及び主張は争う。

第三証拠関係<略>

理由

第一本判決で判断する原、被告間の争点

一  原告は、本件請求の原因として、原告は、昭和四二年六月一五日ころ、本件疾患に罹患し、以来現在に至るまで、多大の苦痛、損害を被っているものであるところ、本件疾患はスモンであり、かつ、原告が本件疾患に罹患した原因は、原告が昭和四二年五月二〇日以降被告の製造、販売に係るエマホルム(キノホルム製剤)を服用したためであると主張している。そして<証拠略>によれば、原告は、昭和四二年五月二〇日以降、社会保険中央総合病院(東京都新宿区西大久保三丁目三七番地所在)において、慢性胃腸炎(又は慢性腸炎)の治療薬として、エマホルム等の薬剤の投与を受け、その後ほぼ毎日、これを服用したこと、その量は、エマホルムについては一日当り一・五グラム(キノホルム量に換算すると、一日当り一・三五グラム)であったこと、そして、原告は、同年六月一五日から翌一六日にかけて、本件疾患に基づくものと考えられる神経症状等(その症状の詳細は、後記の第五及び第六で認定するとおりである。)の発現を自覚するに至ったことが認められる。

これに対して、被告は、原告が昭和四二年六月一五日ころに罹患したという本件疾患がスモンであることを争うとともに、スモンの発症の一般的な原因がキノホルム製剤の服用にあることをも争っている。そして、被告は、右の前者については、本件疾患は、その症状が厚生省のスモン調査研究協議会設定の「スモンの臨床診断指針」等に合致していないから、スモンであるとは認めがたいのみならず、本件疾患は、その神経症状等の内容及び治療の経過等から見て、ビタミンB12欠乏症やアルコール性ニューロパチー等である疑いが濃厚である、更に、原審で行われた本件疾患についての鑑定は、その基礎資料が不備、不足であるとともに、その判断過程も全く示されていないから、その証明力を有しないなどと主張している。

そこで、本判決においては、まず、原告が昭和四二年六月一五日ころに罹患したという本件疾患がスモンであるか否かの点について判断する。

二  ところで、本件疾患がスモンであるか否かを判断するためには、その前提問題として、まず、スモンが臨床的及び病理学的にいかなる疾患であるかを検討する必要があり、そして、この問題を全面的かつ終極的に解明するためには、更に、スモン発症の一般的な原因がキノホルム製剤の服用にあるか否かについても検討しなければならない。しかしながら、<証拠略>によれば、厚生省のスモン調査研究協議会は、昭和四五年五月八日に、スモンの臨床診断に関する統一的な指針として、「スモンの臨床診断指針」を設定、公表しており、更に、厚生省特定疾患スモン調査研究班の臨床分科会は、昭和五一年三月一八日に開催の昭和五〇年度分科会において、キノホルム製剤の服用によるスモンの診断を明確にするため、右診断指針に、キノホルムの服用に関連する情報と、キノホルム以外の原因による類似神経疾患との鑑別診断とを加えるべきであるとの統一的見解を確認している。従って、わが国において特定の疾患がスモンであるか否かが問題になる場合には、一応、右の診断指針及び統一的見解に基づいて判断すべきものであるところ、この診断指針及び統一的見解によれば、スモンとは、特定の患者の神経疾患につき、その臨床症状(臨床症候)が右診断指針に合致し、かつ、その神経症状(神経症候)の発現前にその患者がキノホルム製剤を服用していたことが証明又は推定され、更に、鑑別診断によってキノホルム以外の原因及びスモン以外の疾患が除外される場合を指すと解すべきことになる。そして、原告も、本件につき、これと同旨の見解に立って、本件疾患がスモンであると主張しており、原審鑑定も、後記認定のとおり、その結果報告書において、スモンとは右のような疾患を指すと定義している。そこで、本判決においても、スモン発症の一般的な原因がキノホルム製剤の服用にあるか否かについての検討は暫く措き、まず、右見解に基づいて、本件疾患がスモンであるか否かを検討する。

三  なお、本判決の事実認定に供した本判決理由説示中に掲記の各書証の大部分については、それらが真正に成立したこと(その書証が写である場合には、その原本が存在することをも含む。以下、同じ。)に争いがなく(各書証の成立の認否については、本判決事実摘示の第三で引用した本件原、当審記録中の書証目録の記載を参照。)、また、その成立の真否が不知とされている各書証についても、いずれも弁論の全趣旨により、それらが真正に成立したことが認められる。そこで、本判決においては、その事実認定の理由説示に当り、その認定に供した個々の書証の成立についての説示は省略する。

第二スモンとその類似疾患

一  はじめに

前記したスモン調査研究協議会設定の「スモンの臨床診断指針」及びスモン調査研究班臨床分科会確認の統一的見解に基づき、本件疾患がスモンであるか否かを検討するに当っては、本件疾患の症状、特に同疾患の発症期からそれが慢性期(固定期)に入るまでの症状が右診断指針に合致するか否かを慎重に検討する必要があるとともに、スモンの類似疾患との鑑別診断を十分に行って、本件疾患につきキノホルム以外の原因及びスモン以外の疾患が除外される場合に当るか否かを的確に判断する必要がある。そして、右のような検討、判断をするに当っては、その前提として、まず、現在に至るまでのスモンの臨床研究及び病理研究の経緯ないし成果を概観しておく必要があるとともに、スモンの類似疾患としていかなる種類、内容の疾患があるかを認識し、理解しておく必要があり、更に、スモンとその類似疾患との鑑別診断に関してどのような問題があるかを検討し、明確にしておく必要がある。そこで、まず、これらの各点について概述する。(なお、これらの各点のうち最後の問題については、第三において検討、考察する。)

二  スモン臨床及び病理

1  スモンの臨床及び病理については、現在までの間に、無数の学者、臨床医家等による莫大な研究が蓄積されているので、これを概観することは容易ではない。しかし、たまたま<証拠略>によれば、スモン調査研究班は、昭和六〇年三月に、それまで同調査研究班及びその前身であるスモン調査研究協議会が中心になって行ってきたスモンに関する研究の経緯ないし成果等を要約、整理したものとして、「スモン研究の経緯とその解析」と題する昭和五九年度研究業績の別冊を公表している。そして、その中の「臨床研究」(執筆者豊倉康夫)及び「病理研究」(執筆者江頭靖之)において、スモンの臨床研究及び病理研究の経緯ないし成果がそれぞれ簡潔に要約、報告されている。そこで、本判決においては、スモンの臨床及び病理につき、右「臨床研究」及び「病理研究」を別紙として引用する。

2 ところで、右の「臨床研究」及び「病理研究」の各説明からも明らかなとおり、スモンは、元来、脊髄(特にその後索及び側索)、視神経及び末梢神経の三部位に病変が発現する中枢性及び末梢性の神経疾患であると解されており、亜急性に右の三部位に病変が発現する疾患であるが故に、Subacute myelo-optico-neuropathy、略して「SMON」と名付けられることになったのである。従って、スモンは、少なくとも典型的なスモンは、病理学的に見て、脊髄、特にその知覚性後索路と運動性側索路(錐体路)に病変が発現することを必要不可欠の特徴とする中枢性の神経疾患であって、主として末梢神経のみに病変が発現する末梢性の神経疾患、例えば後述の多発性神経炎等とは、その性質を異にするというべきである。もっとも、右の「臨床研究」及び「病理研究」の各説明からも明らかなとおり、当初は、スモンにおいても、脊髄のみならず、末梢神経にも顕著な病変が発現し、かつ、それらがいずれもキノホルムの服用に起因するものであると考えられていた。しかし、<証拠略>によれば、その後におけるスモン患者の剖検の結果として、スモンにおいては、脊髄、特にその後索の病変が末梢神経の病変と比較してはるかに高度又は顕著であり、従って、スモンにおける知覚障害の責任病巣の主座は、末梢神経にではなく、脊髄後索にあると解すべきであるとする見解が主張されるに至り、更に、<証拠略>によれば、最近、特に昭和五八年ころ以降においては、わが国内外の学者らによる、犬を対象とした動物実験やスモン患者の末梢神経伝導速度検査の結果等に照らし、スモンは、病理学的及び生理学的に見て、脊髄、特にその後索、側索及び後角に病変が発現する中枢性の神経疾患であることは明らかであるものの、スモン患者の末梢神経に発現する病変がスモンに特異的なものであるか否か、換言すれば、末梢神経の病変がキノホルムの服用によって発現するものであるか否かは、今後更に検討を要する問題であって、現段階では確定しがたいとする見解が強く主張されるに至っている(なお、原告も、平成元年五月二六日付で陳述の最終準備書面において、これらの見解を全面的に支持している。同準備書面六五頁ないし八二頁参照。)。そして、本件の全証拠を検討しても、現段階においては、これらの見解に積極的に反対する見解ないしこれらの見解の結論を左右するに足りる研究結果等は発表されていない。そうすると、スモンにおける責任病巣ないしキノホルムの服用による病変部位に関して右のような見解が強く主張されている現在においては、特定の患者の神経疾患がスモンであるか否かの認定に当っては、その患者に脊髄後索等の病変、すなわち中枢性の病変が発現しているか否かを重視する必要があり、その患者に中枢性の病変が発現しているか否かが不明で、単に末梢神経のみの病変、すなわち末梢性の病変が発現しているにすぎない症例について、その疾患がスモンであると積極的に認定するためには、詳細かつ慎重な鑑別診断を実施する必要があるというべきであろう。

三  スモンの類似疾患

1  スモンの類似疾患としていかなる疾患があるかについて見るに、<証拠略>によれば、スモンの類似疾患としては、各種の代謝障害、中毒性疾患、脱髄疾患、感染症、その他、多種、多様の疾患が存在するとともに、その原因も多種、多様であるのみならず、原因が不明である疾患も少なくないことが認められる。

更に、<証拠略>によれば、豊倉康夫らは、スモン調査研究班の昭和五〇年度研究業績中において、わが国でスモンが多発した昭和四〇年から同四六年までの間に世界の医学生物学定期刊行物に掲載された論文中で報告された中毒性神経疾患の原因物質の種類は、一三五種類に上り、これらの原因物質による中毒報告の頻度(論文数)は、合計三二二回にも達していると報告している(しかも、右論文による中毒症例の報告は、中毒発生の実態とは必ずしも並行せず、新しい種類の中毒や集団発生などが報告され易いであろうと説明している。)。

以上のとおりであるが、本判決において、スモンの類似疾患の種類、内容及び原因につき詳細な認定、説示をすることは困難であり、また、その必要もないので、ここでは、スモン調査研究班による昭和五一年度研究業績中の研究報告のほか、二、三の学者の研究報告等で説明されているところに基づき、その疾患名のみを列挙すると、次の2ないし6のとおりである。

2  スモン調査研究班昭和五一年度研究報告による類似疾患<証拠略>

この研究報告は、スモンの類似疾患を主として発症原因別に分類して、個々の疾患名を挙げ、その各疾患につき、その臨床症状、病理所見及びスモンとの鑑別の要点を説明したものである。

(一) 代謝障害性疾患

ビタミンB12欠乏(悪性貧血)、ペラグラ、脚気、パントテン酸欠乏、アルコール性ニューロパチー、癌性ニューロパチー、アミロイドニューロパチー、腎不全に伴うポリニューロパチー、色素異常、剛毛、浮腫、免疫グロブリン異常などを伴う慢性ポリニューロパチー

(二) 中毒性疾患

(1)  砒素、鉛、アルキル水銀、タリウムによる重金属中毒

(2)  クロラムフエニコール、ジスルフィラム、エンタンブトール、イソニアジッド、ヒドラジン、ニトロフラントイン、サリドマイド、チオフェニコール、ビンクリスチン、経口避妊薬、ペンタゾシンによる薬剤中毒

(3)  アクリルアミド、二硫化炭素、DDT、NIヘキサン、TOCPによる有機溶剤中毒

(三) 脱髄疾患

多発性硬化症、デビック病

(四) 脊髄腫瘍その他

脊髄腫瘍、脊椎椎間板ヘルニア、後縦靭帯骨化症、変形性頚椎症、変形性腰椎症

(五) 免疫、アレルギー疾患

ギランバレー症候群、膠原病に伴うニューロパチー、ワクチン接種後のニューロパチー

(六) 炎症

脊髄炎、脊髄癆、伝染性単核症

(七) 脊髄の血管障害

前脊髄動脈症候群、脊髄血管奇形

(八) 糖尿病性ニューロパチー

(九) 球後視神経炎、視神経萎縮

3  椿忠雄、豊倉康夫、塚越広の研究報告による類似疾患<証拠略>

これは、単に腹部症状と神経症状との合併ということのみに注目して疾患名を集めたものである。

(一) 感染症 急性灰白髄炎、コクサツキーウイルス感染症、エコーウイルス感染症、脊髄癆(胃発症)

(二) 代謝疾患及び栄養障害 悪性貧血、ボルフィリア、アミロイドシス、ペラグラ、スプルー、アルコール中毒、ビタミン欠乏症、糖尿病、パッセンコーンツバイク症候群

(三) ランドリー・ギラン・バレー症候群

(四) 中毒性疾患 砒素、タリウム、鉛、麦角、トリオソクレシールホスヘート等、チックパラリーシス

(五) 脱髄性疾患 傍感染性散在性脳脊髄炎、多発性硬化症、視神経脊髄炎

(六) 膠原病 結節性動脈周囲炎等

(七) 腫瘍、血管性傷害(脊髄)

(八) その他

4  高崎浩、森本稔夫の研究報告による類似疾患<証拠略>

これは、わが国において見られる類似疾患の中で、スモンとの鑑別を要すると思われる疾患名を集めたものである。

(一) 急性灰白髄炎

(二) コクサツキーウイルスの感染症

(三) エコーウイルス感染症

(四) ランドリー・ギラン・バレー症候群

(五) 感染性散在性脊髄炎

(六) 多発性神経炎

(七) 多発性硬化症

(八) 視神経脊髄炎

(九) 悪性貧血

(一〇) アイスランド・デイジイズ

5  高橋晄正の研究報告による類似疾患<証拠略>

これは、スモンとの鑑別診断を行う必要があると認められる主な疾患名を列挙したものである。

(一) 脳脊髄梅毒とくに脊髄癆

(二) 多発性神経炎

(1)  慢性中毒 アルコール、二硫化炭素、ベンゼン、燐、サルファ剤、INH、エタンブトール、その他

(2)  感染 ギラン・バレー症候群、梅毒、その他

(3)  代謝異常 糖尿病、膠原病、ポルフィリン症、その他

(4)  栄養傷害 ビタミン欠乏、その他

(三) 後側索硬化症(ビタミンB12欠乏症)

(四) 多発性硬化症

(五) エコーウイルス感染症

6  <証拠略>によれば、スモン調査研究班は、昭和四七年度及び昭和四八年度の総括報告において、スモンの発症は昭和四五年九月八日のキノホルム発売停止措置によってほぼ終焉したと報告している。しかし、同調査研究班のその後の報告によれば、昭和五〇年以降においても、次のとおり、種々のスモン類似疾患が発生していることが認められる。

(一) <証拠略>によれば、井形昭弘らは、昭和五〇年度研究報告において、最近、その臨床症状がスモンに類似するペンタゾシン(鎮痛剤)中毒の二症例を経験するとともに、同じくその症状がスモンに類似する脚気様症候群が鹿児島県内に多発していることを突きとめたと報告し、これらのニューロパチーは、スモンの鑑別診断上、従来あまり問題にならなかったが、その神経症状から見て、スモンとの鑑別が必要であると述べ、それらの症状の特徴及び鑑別上の要点を指摘している。しかも、<証拠略>によれば、右の脚気様症候群(脚気多発神経炎)は、昭和四八年ころから、鹿児島県のほか、熊本、鳥取両県及び東京都でも多数発生していることが報告されており、その原因は、ビタミンB1の欠乏によるものであるとされている。

(二) <証拠略>によれば、高橋光雄らは、昭和五一年度研究報告において、貧血の程度が軽度であるにもかかわらず、著明な索性脊髄症を呈し、一時的にはスモン類似の亜急性脳脊髄神経炎症の病像を示した悪性貧血の一例を経験したとして、その症状及び経過や各種検査の結果を詳しく報告し、その考案として、本症の病理学的所見はスモンと極めて類似しているとともに、臨床像においても多くの接点をもっており、殊に本症例のごとく貧血が軽度であるにもかかわらず、著明な脊髄症を呈する例では、スモンとの鑑別がまぎらわしいことがあり得ると述べ、その鑑別診断上の問題点を指摘している。

(三) <証拠略>によれば、黒岩義五郎らは、昭和五三年度研究報告において、最近、キノホルムの服用歴は不明確であるが、腹部症状と神経症状とを伴うという点でスモンに類似しながら、脊髄、視神経、末梢神経障害を主とする神経症状がいわゆる典型的なスモンと異っているため、スモンであるか否かを簡単には断定することができない二症例を経験したとして、それらの症状及び経過や臨床検査の結果を説明したうえ、そのうちの一例は、病歴、所見、検査データからスモンであることが否定されて、原因不明の下半身異常として処置され、他の一例は、排尿障害が長く持続していること、髄液検査の結果等からスモンであることが否定され、多発性硬化症近縁の疾患として処置されたと報告している。

(四) <証拠略>によれば、塚越広らは、昭和六一年度研究報告において、近年、小児のみならず、成人にも発症するビタミンE欠乏症の神経症状が報告され、注目されているが、ビタミンE欠乏症の病変の主座は脊髄後索と末梢神経にあり、スモンと類似の神経症状を示すため、スモンとの鑑別が必要であるとして、成人に発症のビタミンE欠乏症の症例一五例を報告し、その神経症状、電気生理学的所見を検索するとともに、過去の報告例をも加えて、スモンの神経症状等と比較検討している。

7  なお、念のため付言するに、前掲各証拠、特に<証拠略>によれば、「多発性神経炎」又は「多発性ニューロパチー」(又は単に「ニューロパチー」)なる病名は、いずれも種々の原因によって発生する(原因不明のものも少なくない。)系統的な多発性末梢神経疾患の総称であって、両者はほぼ同意義に使用されている。そして、これらの中には、通常、炎症性及び非炎症性の双方の疾患が含まれるとともに、前記のペラグラ、脚気、アルコール性ニューロパチー等の代謝障害(栄養障害)、砒素、鉛等の中毒性疾患、多発性硬化症等の脱髄疾患、ギラン・バレー症候群等の免疫、アレルギー疾患、その他の疾患が広く含まれていることが認められる。

また、<証拠略>によれば、ビタミンB12の不足、欠乏等による神経疾患の病名ないし症状については、「亜急性脊髄連合性変性症(又は亜急性連合性脊髄変性症)」、「亜急性脳脊髄神経炎症」、「亜急性脊髄連合症」、「索状脊髄症」、「索性脊髄症」、「索性脊髄炎」、「後側索硬化症」、「亜急性複合変性症」、「悪性貧血(又は巨赤芽球性貧血)」、「悪性貧血によるニューロミエロパチー」又は「ビタミンB12欠乏症」等、種々の呼称の併用されていることが認められる。

第三スモンとその類似疾患との鑑別診断

一  スモンの鑑別診断と「スモンの臨床診断指針」

1  前記第一の二で認定したとおり、スモン調査研究協議会は、昭和四五年五月八日に、スモンの臨床診断に関する統一的な指針として、「スモンの臨床診断指針」を設定、公表しており、更に、特定疾患スモン調査研究班の臨床分科会も、昭和五〇年度分科会において、スモンの診断については、患者の臨床症状が右診断指針に合致することを一つの要件とする旨の統一的見解を確認している。そこで、まず、スモンとその類似疾患との鑑別診断に当り、右診断指針が現実にいかなる意義ないし機能を有するかについて考察する。

2  まず、<証拠略>によれば、「スモンの臨床診断指針」の記載内容は、次のとおりである。

(一) 必発症状

(1)  腹部症状(腹痛、下痢など)おおむね、神経症状に先立って起こる。

(2)  神経症状

a 急性または亜急性に発現する。

b 知覚障害が前景に立つ。両側性で、下半身、ことに下肢末端につよく、上界は不鮮明である。とくに、異常知覚(ものがついている、しめつけられる、ジンジンする、其他)を伴ない、これをもって初発することが多い。

(二) 参考条項(必発症状と併せて、診断上きわめて大切である。)

(1)  下肢の深部知覚障害を呈することが多い。

(2)  運動障害

a 下肢の筋力低下がよく見られる。

b 錐体路徴候(下肢腱反射の亢進、バビンスキー現象など)を呈することが多い。

(3)  上肢に軽度の知覚・運動障害を起こすことがある。

(4)  次の諸症状を伴なうことがある。

a 両側性視力障害

b 脳症状、精神症状

c 緑色舌苔、緑便

d 膀胱・直腸障害

(5)  経過はおおむね遷延し、再燃することがある。

(6)  血液像、髄液所見に著明な変化がない。

(7)  小児には稀である。

3  そこで、「スモンの臨床診断指針」の記載内容ないしその性格について考察するに、ここには、スモンの必発症状二項目と参考条項七項目とが列挙されているが、いずれもその説明中には、「おおむね」、「することが多い」、「よくみられる」、「ことがある」などの概括的な表現が多いとともに、必発症状とされる腹部症状及び神経症状の説明もかなり抽象的なものにとどまっているから、臨床像の必ずしも一定しない個別的具体的症例の診断に適用しなければならない診断指針としては一義的な明確性に欠けるといわなければならない。また、右診断指針の中には、スモンの臨床診断の決め手となるべき客観的指標(だれが診断しても同一の結論を導き得るための指標)やそれを把握するための臨床病理学的検査方法等は記載されていない(もし、スモンにはこのような診断指標や検査方法が存在しないというのであれば、スモンの臨床像は必ずしも特異的なものであるとはいえないことになるであろう。)。しかも、スモンの類似疾患認定のための前記第二の三1に掲記の各証拠に照らして考えると、右診断指針に必発症状又は参考条項として列挙されている症状は、そのうちの緑色舌苔、緑便等の二、三の特異な症状を除き、多かれ少なかれ、スモンの類似疾患の多くにも見られる症状であるといわざるを得ない。従って、特定の患者に右のような症状の出現が認められたとしても、ただそれだけの事実から直ちに、その患者の疾患はスモンであり、それ以外の疾患ではあり得ないと断定することは困難であると思われるが、右診断指針の中には、そのような場合に、いかなる診察、検査方法等によって、スモンとその類似疾患との鑑別診断を行うべきかについての指針は全く示されていない。

(因みに、<証拠略>によれば、「スモンの臨床診断指針」の設定、公表前には、スモンの診断についての統一的な診断指針ないし診断基準はなく、ただ昭和三八年以降、多数の学者ないし病院の研究班がそれぞれ独自の診断基準を設定して、これを利用していたが、これらの診断基準の相互間には微妙な差異が存在したところ、全国におけるスモン患者の発生状況を正確に把握するためには、これを統一する必要があるとして、右診断指針が設定、公表されるに至ったものであること、従って、右診断指針は、スモンの臨床診断のための診断基準というよりは、スモン患者の発生状況を把握することを第一の目的とした、文字どおりの診断指針にすぎないこと、そして、スモン調査研究協議会が右診断指針の中に類似疾患の除外に関する項目を加えなかった理由は、もしそのような項目を診断指針の中に加えると、これを利用する一般の臨床医師に対して類似疾患に関するすべての知識をもつべきことを要求することになるとともに、診断指針の中に類似疾患との鑑別診断に関するすべての事項を列挙しなければならないことにもなるが、そこまでするのは大へんであるとして、右診断指針の中には、スモンの特徴だけを列挙するにとどめたためであることが認められる。)

4  また、<証拠略>によれば、当然のことながら、スモンの中には、「スモンの臨床診断指針」に必発症状及び参考条項として列挙された症状ないし特徴のすべてもしくはその大部分を具備する定型的スモン、又はこれらの症状ないし特徴を重度にもしくは鮮明に具備する重症スモンが存在する反面、これらの症状ないし特徴の一部分しか具備しない非定型的スモン、又はこれらの症状ないし特徴を軽度にもしくは不鮮明に具備するにすぎない軽症スモンも存在することが認められ、同じくスモンといっても、その臨床像は、症例によってかなりの幅があり、複雑である。そして、このような臨床像の複雑さは、スモンに限らず、その類似疾患についても全く同様である。しかも、患者によっては、スモン又はその類似疾患の二つ又はそれ以上の疾患に同時に罹患している場合のあり得ることも否定することができない。そして、右の各証拠によれば、右に述べたような非定型的疾患又は軽症疾患や、二つ又はそれ以上の疾患が併存している場合についての鑑別診断こそが非常に困難とされているのであるが、右診断指針においては、そのような場合についての指針は全く示されていないし、右の必発症状及び参考条項としての症状中、最少限度どれだけの症状を具備すればスモンと診断し得るかについても明らかにされていない。

5  以上のとおりであるから、特定の患者に神経疾患ないし神経症状が発現した場合に、ただ単に「スモンの臨床診断指針」に照合して検討、考察するだけでは、その神経疾患がスモンであるか否かを的確に診断することはかなり困難であると認めざるを得ない。特にその神経疾患が非定型的疾患又は軽症疾患である場合や、類似疾患の二つ又はそれ以上が併存している場合においては、その的確な診断は一層困難というべきであろう。従って、特定の患者に発現した神経疾患がスモンであるか否かを的確に診断するためには、後述するとおり、その前提として、詳細かつ慎重な問診、診察、経過観察や各種の臨床検査等を実施し、これらの所見、結果を総合勘案することが不可欠であるといわなければならない。

6  なお、「スモンの臨床診断指針」の内容ないしその改変に関する問題について付言するに、同診断指針は、前記認定のとおり、昭和四五年五月八日に設定、公表されたものであるが、<証拠略>によれば、右診断指針が設定、公表された当時は、学者及び医師の間において、スモンは、脊髄、視神経及び末梢神経の三部位又はその一部に病変が生じる中枢性及び末梢性の神経疾患であると解されており、また、その発症の原因については、諸説が併存、対立して定説がなく、その一般的な原因がキノホルム製剤の服用であるという見解もいまだ公表されるに至っていなかったことが認められる。従って、右診断指針は、スモンの病理及び病因に関する右のような学説状況を前提として、それに基づいて設定されたものであることは明らかである。

そうすると、右診断指針設定の前提となった学説状況に変動、進展があれば、右診断指針自体も当然にこれを改変するのが相当であると解すべきところ、右各証拠によれば、右診断指針の設定後間もない昭和四五年九月五日に、スモン発症の一般的な原因はキノホルム製剤の服用であるとの見解が公表され、その後短期間内に、右見解が多数の学者及び医師の間で有力学説としての支持を受けるに至ったことが認められ、それに伴い、前記認定のとおり、昭和五一年三月一八日に開催のスモン調査研究班臨床分科会の昭和五〇年度分科会において、右診断指針に、キノホルムの服用に関連する情報と、キノホルム以外の原因による類似神経疾患との鑑別診断とを加えるべきであるとの統一的見解が確認されるに至った。

ところで、更に最近(少なくとも昭和五八年ころ以降)においては、わが国内外の学者の間で、スモンは、病理学的及び生理学的に、脊髄、特にその後索、側索及び後角に病変の生じる中枢性の神経疾患であることは明らかであるものの、スモン患者の末梢神経に発現する病変がスモンに特異的なものであるか否か、換言すれば、末梢神経の病変がキノホルム製剤の服用によって発現するものであるか否かは、現段階では確定しがたいという見解が強く主張されるに至っていることは、前記認定のとおりである(なお、前記のとおり、原告も、この見解を全面的に支持している。)。そうすると、スモンの病理に関する学説状況の右のような進展に対応して、右診断指針についても、その改変を検討する必要があるのではないかと思料されるが、本件の証拠上では、現在までのところ、その改変の検討された形跡は認められない。

二  スモンの鑑別診断とキノホルム服用の情報

1  <証拠略>によれば、昭和四五年九月以降、椿忠雄らにより、スモン発症の一般的な原因はキノホルムの服用であり、スモンはキノホルムの中毒であるという見解が発表された後においては、スモン鑑別診断にキノホルム製剤服用の前歴の有無ないしその服用に関する情報を考慮又は重視すべきであるとする見解がかなり有力になっているように認められる。そして、これに伴い、前記認定のとおり、昭和五一年三月、スモン調査研究班の臨床分科会においても、前記の「スモンの臨床診断指針」にキノホルムの服用に関連する情報を加えるのが相当であるとされ(もっとも、それと同時に、同診断指針に、スモン以外の類似神経疾患との鑑別診断をも加えるべきであるとされた。)、前記認定のとおりの統一的見解が確認されるに至ったことが認められる。そこで、考えるに、スモンはキノホルムの中毒であるという見解に立つ限り、スモンの鑑別診断に当り、キノホルム製剤服用の前歴の有無を調査する必要があるのは当然であり、特定の患者がその神経疾患の発症前にキノホルム製剤を服用していないことが確認され得た場合には、その神経症状がスモンのそれと類似しているときでも、その疾患はスモンではないと診断すべきであろう。しかしながら、右のような見解に立ったとしても、特定の患者がその神経疾患の発症前にキノホルム製剤を服用していたことが確認され得た場合に、その一事だけで、その疾患はキノホルム製剤の服用によって発現したものであると推定し、従って、その疾患はスモンであると断定するのは相当でなく、そのような場合にも、更に慎重な診察、臨床検査や経過観察を実施し、それらの所見、結果を総合勘案して、他の類似疾患との鑑別診断を行う必要があるというべきであろう。そして、その理由は、以下に述べるとおりである。

2  まず、キノホルム製剤を服用しても、その服用者がすべてスモンに罹患するものではなく、むしろ、スモンに罹患しない者の方が圧倒的に多いのである。すなわち、<証拠略>によれば、スモン調査研究班の班員である山本俊一は、昭和四九年三月、右調査研究班によるスモンの疫学調査の成績のまとめとして、キノホルム服用者群からのスモンの発病率は、調査対象によりかなり変動するが、例外的な場合を除き、一般的には、一パーセントないし五パーセントの範囲内にあることが多いと報告しており、また、右調査研究班の班員である片岡喜久雄も、同年九月及び一一月に静岡地方裁判所で行われた証人尋問において、キノホルム服用者からのスモンの発病率は、一般的には、一パーセントか二パーセントであり、多くても五パーセント位にすぎないと証言していることが認められる。しかも、右スモンの発病率は、わが国の大きな病院だけでの調査資料に基づくものにすぎないとともに、キノホルム製剤を服用していながらスモンに罹患しなかった者の人数やキノホルムの服用量についての十分な調査資料は存在しないから、調査範囲を更に広げ、キノホルム製剤を服用してもスモンに罹患しなかった者の人数を詳細に調査すれば、スモンの発病率は更に低下することが考えられる(なお、<証拠略>によれば、山本俊一も、このことを肯定している。)。従って、キノホルム製剤を服用しても、その服用者がすべてスモンに罹患するものではなく、スモンに罹患するのは、その服用者のごく一部にすぎないといわなければならない。

なお、<証拠略>によれば、スモン調査研究班の班長である甲野礼作は、昭和四八年四月当時において、キノホルムを同じ用量、同じ期間服用してもスモンの発症しない例も少なくないこと、スモン発症後キノホルムの服用を続けても軽快した例のあること、スモンは中年以降の女性に多いこと、欧米ではまれであることなどから、スモンの発症には、キノホルム+αが必要であることを認めなければならない、これは、結核菌に感染しただけでは結核が発病せず、それが発病するには、更に+αの要因が必要であるのと同じで、一般にあらゆる病因についていえることであり、スモンだけに特別な現象ではないと説明している。また、<証拠略>によれば、山本俊一は、前記の疫学調査の成績のまとめに続けて、キノホルムについては、大量服用者中に非発病者が存在すること、非服用者中にも発病者が存在すること、臨床経過が服用者、非服用者間及び大量服用者、少量服用者間で大差がないこと、服用から発症までの期間のバラツキが大きいこと、服用中止後にも再燃が残ること、一部にみられる背景疾患の影響、キノホルム製剤間にみられる発病率の差などのあることを挙げて、これらをどのように説明するかは、今後の解明に残された問題であるとしている。

3  また、前記認定のとおり、スモンの類似疾患としては、各種の代謝障害、中毒性疾患、脱髄疾患、感染症、その他、多種、多様の疾患が存在し、かつ、その原因も多種、多様である(なお、原因が不明の疾患も少なくない。)ところ、キノホルム製剤を服用した者はスモン以外の類似疾患には罹患しないという理由は全く考えられない。のみならず、特定の患者についてキノホルム製剤を服用していた前歴が認められる場合には、その患者にはキノホルム製剤服用の原因ないし縁由となった腹部疾患罹患の前歴の認められることが多いのであるが、その腹部疾患はスモン以外の神経疾患の前駆症状ないし合併症状であったり、また、その腹部疾患が原因となってビタミンの欠乏等の栄養障害が発生し、その栄養障害に基づきスモン以外の神経疾患が発現したりすることも十分に考えられる。更に、その腹部疾患の治療に当り、その患者に対し、キノホルム製剤とともに、それ以外の各種薬剤が投与されている場合も少なくないのであるが、それらの薬剤の中にはキノホルム以外の中毒性物質が含まれており、それを服用したために、スモン以外の神経疾患が発現するという可能性も無下に否定することはできない。

4  以上のとおりであるから、特定の患者がその神経疾患の発症前にキノホルム製剤を服用していたことが確認され得た場合であっても、その一事だけで、その疾患はキノホルム製剤の服用によって発現したものであると推定し、その疾患はスモンであると断定することは困難であり、そのような場合においても、その疾患をスモンと認定するためには、その患者につきスモン以外の類似疾患が除外され得るか否かについての詳細かつ慎重な鑑別診断を行う必要があるといわなければならない。

因みに、<証拠略>によれば、高橋晄正は、キノホルムが処方されている場合でも、必ずしもキノホルムによる神経障害であるとはいえないから、臨床症状と臨床検査を基礎とした類似疾患との鑑別診断を厳密に行う必要があると述べており、<証拠略>によれば、C・パリスは、私は、スモンとキノホルムの大量服用との間に相関関係があるとは考えているが、しかし、キノホルムを服用してその後に神経症状の発現した患者のすべてがその薬剤に起因する疾患に罹患しているといえないことは明らかであると述べている。更に、<証拠略>によれば、F・クリフォード・ローズは、スモンの臨床診断は、患者がその発症前にキノホルム製剤を服用していたか否かを考慮して行われるべきではないと断言している。

三  スモンの鑑別診断のための検査方法及びその実施時期

1  後記の第四で認定、考察するとおり、スモンとその類似疾患との鑑別診断は、神経医学の専門家にとっても、かなり困難なものとされており、また、そのため、スモンの臨床診断においては、かなり高率の誤診のあることも報告されている。特に鑑別診断の対象となる神経疾患の臨床像が非定型的又は軽症である場合や、特定の患者に二つ又はそれ以上の疾患が併存している場合においては、なお更である。そこで、スモンの鑑別診断に関しては、その検査方法の種類、内容等が相当にして十分なものであるとともに、その検査等の実施時期の選定が適切なものでなければならない。そこで、本件の証拠に基づき、右の点に関して識者の指摘するところを二、三取り上げると、次のとおりである。

2  鑑別診断の方法ないし進め方

(一) およそ、疾患の種類、内容やその症度についての正確な鑑別診断を行うためには、その患者の病歴、症状等についての正確かつ豊富な情報の獲得、収集が必要であることはいうまでもない。そして、このことは、スモンに限らず、すべての疾患について共通である。そこで、<証拠略>によれば、有賀槐三は、内科診断の進め方につき、「まず、予診をとり診察を行ない、重点的に検査を行ない、これ等により大部分は診断がつけられるが、なかにはさらに経過を観察し、あるいは治療による反応をみて初めて診断出来るものもある。ときには経過観察中に適宜検査を行ない、あるいは同一検査をくり返し、これ等により診断することもある。これ等によってもなお推定診断にとどまり、死後剖検により初めて診断が付けられることもしばしばある。」として、臨床診断の困難性に言及し、かつ、その方法として、「<1>まず、問診(予診)により原因的事項(この中には、既往歴、家族歴等も含まれる。)と主要自覚症状およびその経過を知る。<2>診察により主要他覚所見を知る。<3>経過観察により主要症状の推移を見る。<4>検査所見を得る。以上から得られた主要所見を選別し、その組み合せからそれぞれの症状に関係のある疾患を鑑別し、主要所見を最大公約数的に満足させる症状をきめ、その他の疾患との鑑別をし、診断を下す。」と説明している。

(二) <証拠略>によれば、伊東亨は、神経疾患の診断方法につき、「神経疾患を取り扱う神経内科医にとって、病歴の正確な記録は、他系疾患の場合と同様極めて重要なことであるが、著者は、神経疾患では他系の疾患に比較して特殊の精密検査が偉力を発揮するということが少なく、ベッドサイドの日常の神経診断法によって、僅かの異常を捉えて疾患の特徴、診断に結びつけることが多いことを忘れてはならないと考えている。したがって、実際上、経過上の記録の不備、不正確、誤りは、診断上重大な判断の誤りに直結すると思われる。」として、病歴の正確な記録の重要性を強調するとともに、神経学的一般検査法として、<1>全身的観察、<2>脳神経機能検査、<3>運動機能検査、<4>反射検査、<5>知覚検査、<6>精神機能検査、<7>言語機能検査、<8>自律神経機能検査を挙げ、「これらの諸検査を熟練した手技を用いて自由に駆使することによって、必要なまた異常なサインを見出すわけである。これによって神経疾患患者の所見を総括的に概観し、臨床診断に導くわけである。したがって以上の検査をどのような順序で行なうか厳密なルールはないとしても、必要な検査の実施もれのないことが肝要である。」としている。そして、同人は、更に、こうして得られた所見を裏付けるための検査として、神経学的特殊検査、すなわち髄液検査、筋電図検査、脳血管写、超音波脳診断法、脳アイソトープスキャンニングなどを挙げている。

(三) 証人椿忠雄の証言によれば、同人は、スモンの診断につき、スモンに限らず、あらゆる病気は患者を問診しないとわからないし、患者の病状の全過程を見ないで診断することはあり得ないと述べ、また、<証拠略>によれば、塚越広らは、スモンとその類似疾患との鑑別につき、「勿論、スモン類似疾患の中には、中毒や代謝障害中の若干の疾患にみられるように、神経障害だけからはスモンとほとんど鑑別の困難なものがあることは事実である。しかし、個々の症例について、病歴を検討し、神経症状と全身状態を観察し、検査所見と経過、病理所見をみればスモンとの鑑別は可能であると考えられた。」として、いずれも、患者の問診、経過観察及び臨床検査等の重要性を強調している。

(四) 更に、前記認定した、スモンが、病理学的及び生理学的に、脊髄、特にその後索、側索及び後角に病変が生じる中枢性の神経疾患であることは明らかであるものの、スモン患者の末梢神経に発現する病変がスモンに特異的なものであるか否かは確定しがたいという最近の見解に立つ場合には、特定の疾患がスモンであるか否かの鑑別診断に当り、その疾患が脊髄に病変のある中枢性の疾患であるか、単に末梢神経のみに病変が存在するにすぎない末梢性の疾患であるかを慎重に検討する必要があるというべきであろう。そして、そのためには、その患者に、脊髄後索障害としての深部知覚障害の出現、永続や、脊髄側索障害としての錐体路徴候の出現が認められるか否かについても十分に調査、検討する必要があるというべきであろう。

因みに、前記した「スモンの臨床診断指針」においてのみならず、多数の識者がそれぞれに設定したスモンの診断基準においても、次のとおり、脊髄後索及び側索における変性像の存在や、深部知覚障害(又は体節性障害)及び錐体路徴候の出現がスモンの診断のための重要な基準ないし症候として取り上げられているが、スモンが単なる末梢性の疾患ではなく、中枢性の疾患であるという前記の見解に立つ場合には、これらの基準ないし症候の重要性が一層強調されなければならない。

(1)  高崎浩の診断基準(<証拠略>)

病理組織学的に脊髄後索及び側索に強い変性像を認める。

(2)  椿忠雄の診断基準(<証拠略>)

<1> 体節性障害

<2> 錐体路徴候(病的な深部反射亢進を含む。)

<3> 視力障害

(3)  祖父江逸郎の診断基準(<証拠略>)

<1> 深部知覚障害が強い。

<2> 大腿四頭筋反射亢進、下腿三頭筋反射低下例が約半数ある。

<3> バビンスキー系病的反射の出現は比較的少ない。

(4)  楠井賢造の診断基準(<証拠略>)

<1> 下肢の深部知覚障害を呈することが多い。とりわけ振動覚が低下する。

<2> 錐体路徴候を呈し、下肢腱反射亢進、バビンスキー現象などを認め、痙性麻痺性歩行を呈することが多い。

(5)  花篭良一の診断基準(<証拠略>)

<1> 深部反射の病的亢進

<2> バビンスキー反射の出現

<3> 深部知覚障害の永続

<4> 膀胱直腸障害

(6)  C・パリスの診断基準(<証拠略>)

<1> 下肢の腱反射亢進

<2> 屈筋足底反射

<3> 体節性知覚障害

3  鑑別診断のための臨床検査方法

(一) 前記認定のとおり、スモンの類似疾患としては、多種、多様の疾患が存在するし、その原因も多種、多様である(なお、原因不明の疾患も少なくない。)。従って、特定の患者に出現した疾患がスモンであるか否かの鑑別診断に当っても、それに必要な臨床検査の方法は、その疾患の症状、特徴等に応じて多種、多様にわたることが考えられる。そこで、本判決において、これらの多種、多様の臨床検査方法を詳細に認定することは困難であるから、ここでは、本件証拠上認められる臨床検査方法のうち、二、三の識者の指摘する臨床検査方法を列挙すると、次のとおりである。

(二) <証拠略>によれば、高崎浩、金丸正泰は、スモンの鑑別診断のための臨床検査方法として、次のものを挙げている。

(1)  血液検査

<1> 白血球数、赤血球数その他の血液像の検査

<2> 血清たんぱく像の検査

<3> 赤沈値、CRP、ASLO等の検査

(2)  肝機能検査

(3)  髄液検査

(4)  筋電図検査、末梢神経伝導速度検査

(5)  脳波検査

(6)  消化管のX線検査

(7)  ビタミンに関する検査

<1> ビタミンB1負荷試験

<2> ビタミンB12に関するシーリング試験、尿中メチルマロン酸排泄試験

(8)  免疫学的検査

(三) <証拠略>によれば、花篭良一は、スモンの確定診断のために参考となる臨床検査の方法として、次のものを挙げている。

(1)  まず、スモンの診断の手始めとしての一般検査として、

<1> 体温は、他の合併症のない限り、ほぼ正常であること。

<2> 白血球数の検査、血沈などで感染症の所見がないこと。

<3> 検尿、血糖検査で糖尿病性又は腎炎後ニューロパチーのないこと。

<4> 血液所見の結果悪性貧血に伴う索性脊髄症でないこと。また、白血病性ニューロパチーでないこと。

<5> 各種血清反応から膠原病性ニューロパチー、脊髄梅毒でないこと。

<6> 癌性ニューロパチーの鑑別として、肺のほか疑われる各臓器の検査をすること。

<7> 胸部X線検査など結核の検査をし、抗結核剤のほか、ニューロパチーを起し易い薬を用いていないかを確認すること。

<8> 頚椎、腰椎のX線検査で変形性脊椎症、腫瘍がないかを確認すること。

(2)  また、スモンの診断のための特殊検査として、

<1> 腰髄穿刺で圧、細胞数のほか著明な変化が認められないこと。

<2> 眼底検査で腫瘍の所見がなく、視神経萎縮の所見を認める例があること。

<3> 知覚検査で、特に深部知覚としての振動覚低下が認められること。

<4> 筋力テストでは特殊パターンで筋力の低下している例が多いこと。

<5> 筋電図、神経伝導速度、脳波を参考にすること。

<6> 脊髄腫瘍、脊髄膜癒着など鑑別困難なときは、脊髄造影をすること。

<7> 腓腹神経などの末梢神経の生検所見が参考になること。

<8> 緑舌、緑尿からキノホルムを検出すること。

<9> 血液、髄液から細菌学的、ビールス学的検索で既知の病原体が発見できないこと。

<10> 二、三の心理・性格テストが参考になることもあること。

(四) <証拠略>によれば、高橋光雄らは、スモンに類似する亜急性脳脊髄神経炎症の病像を示した悪性貧血の鑑別診断につき、次のとおりの検査を行ったことを報告している。

(1)  一般検査

<1> 検尿、検便、赤沈検査

<2> 胸部レ線検査

<3> 血液化学検査

<4> 肝機能検査

<5> 血清蛋白分画検査

<6> 血清学的検査

<7> 一グラム定量検査

(2)  神経学的検査

<1> 脊髄液検査

<2> 脳波検査

<3> 脛骨神経伝導速度検査

<4> 腓腹神経生検

(3)  血液学的検査

<1> 末梢血検査

<2> 止血検査

<3> 骨髄穿刺検査

<4> メガロブラスチン等の検査

(4)  特殊検査

<1> 血清ビタミンB12値検査

<2> FOLATE

<3> 胃液遊離塩酸検査

<4> 血清ガストリン検査

<5> 胃内視鏡検査、生検

<6> シーリングテスト

<7> 血清抗壁細胞抗体、血清抗内因子抗体検査

(五) 更に、<証拠略>によれば、C・パリスは、スモンの鑑別診断に最少限度必要な検査として、次の検査方法を挙げるとともに、ビタミンB12欠乏症との鑑別診断につき、シーリング試験は信頼できないので、血清中ビタミンB12濃度は微生物学的手段によって検定すべきであるとしている。

(1)  血清中ビタミンB12の濃度の検査

(2)  脂肪、キシロースあるいは葉酸塩の吸収についての試験、更には空腸生検

(3)  患者の栄養状態、特に水溶性ビタミンB群欠乏症の臨床症状に力点をおいた記述

(4)  血液及び脊髄液についてのトレポネーマ試験

(5)  十分な胸部X線撮影

4  鑑別診断のための観察、検査等を行うべき時期

「スモンの臨床診断指針」によれば、スモンは、その必発症状である神経症状が急性又は亜急性に発現する疾患であるとされているが、スモンの類似疾患認定のための前記第二の三1に掲記の各証拠によれば、スモンの類似疾患の中にも、スモンと同様に、その神経症状が急性又は亜急性に発現する疾患は少なくない(なお、通常、慢性に発現するとされている疾患であっても、時には、急性又は亜急性に発現することがあり得る。)。そして、右各証拠や、<証拠略>によれば、スモンやこれらの類似疾患のごとく、神経症状が急性又は亜急性に発現する疾患においては、その発症後数週間ないし二、三か月間が経過すると、その症状が一応完成ないし固定し、その間にその疾患が完治しない場合には、以後慢性期に入り、後遺症状として持続することになるのが通常であるとされている。更に、右各証拠や、<証拠略>によれば、スモンやこれらの類似疾患の発症後長期間が経過すると、その間に、年齢の増加に伴う症状の自然的増悪が生じたり、当初の疾患とは別個の各種疾患が発生、合併したりすることも少なくないことが認められる。(むしろ、右各証拠によれば、スモンの後遺症状自体は、徐々にではあるが軽快することが多く、少なくとも悪化することはなく、スモン患者における症状の悪化は、年齢の増加や合併症の発生が原因となっていることが多いので、症状が悪化している事例については、その悪化の原因の鑑別が必要であるとされている。)

一方、右各証拠によれば、これらの急性又は亜急性の疾患の中には、その神経症状の発現当初もしくはその症状が完成ないし固定するに至るまでの間に限り、又はその間に多く、その疾患に特有の臨床症状ないし臨床検査所見が出現ないし持続したり、特異的な臨床症状の増悪、緩解が反復したりするなど、その疾患に特有の臨床症状ないし臨床検査所見を示す症例の少なくないことが認められる(なお、スモンについていえば、右の間における血液像、髄液所見にそれほど著明な変化の認められないことが、その特徴の一つとされている。)。更に、右各証拠によれば、スモンやこれらの類似疾患の発症後長期間が経過し、その症状が固定して、後遺症状が持続しているにすぎない段階となった後においては、特に年齢の増加や合併症の発生等により状況の著しい変化が生じた後においては、当初の疾患がいかなる疾患であったかを鑑別するための臨床検査はも早無意味ないし不可能となり、経験の豊富な神経医学の専門家にとっても、そのような時点で当初の疾患がいかなる疾患であったかを正確に鑑別することは、かなり困難な仕事であるとされている。

以上のとおりであるから、特定の患者に出現した特定の神経疾患がスモンであるか否かを正確に鑑別診断するためには、何よりもまず、その疾患の発現の当初からその神経症状が完成ないし固定するまでの間において、その患者の臨床症状ないし臨床検査所見を正確に把握することが必要であるといわなければならない。従って、右鑑別診断の正確性を期するためには、右の間における患者の臨床症状の特徴ないし推移を詳細に観察するとともに、その間随時、鑑別に必要な各種臨床検査をもれなく実施し、それらの経過ないし結果を正確に記録することが何よりも重要であるというべきである。

四  スモンの鑑別診断とスモン患者の早期救済

スモン患者の早期救済ないしスモン事件の早期解決のためには、スモン患者の認定(すなわち、その患者の疾患がスモンであることの認定)は、これを簡易、迅速になすべきであって、神経医学の専門家による詳細、慎重な鑑別診断は不必要であるとするかのごとき見解も一部にないわけではない。もとより、スモンのみならず、いかなる疾患であっても、その患者の早期治療ないし早期救済が肝要であり、そのためにはその疾患病名の認定が可及的迅速になされなければならないことは明らかである。しかしながら、鑑別診断の第一の目的は、特定の患者の特定の疾患につき、その病名、症状やその原因をできる限り正確に把握し、もって、その疾患の特質に応じた最良、最適の治療を施すことにあるのであり、ひいては、そのような最良、最適の治療を通じて、その患者の早期救済を図ることにあるのである。従って、特定の患者に対する適切な治療、そして、それによる早期救済は、専ら、その疾患について適正な鑑別診断が行われることにかかっているといっても過言ではない。特定の患者の特定の疾患について、いかに迅速な診断がなされ、それに基づく迅速な治療がなされたとしても、その診断が結局誤診であり、診断病名が間違っていた場合には、それに基づく治療がその効果を奏せず、却って症状を悪化させ、その回復を困難ないし不可能にすることさえ起こりかねないのである(例えば、<証拠略>によって認められる。中尾喜久らの内科学書第二巻は、悪性貧血の診断について、「その存在に気づかず、神経疾患としてビタミンB12以外の治療をうけ、本症の診断(悪性貧血であるとの診断)の確定したときには、神経症状は回復不能の状態にまで進行するような症例のあることを銘記すべきである。」と述べている。)。

そこで、スモンに限らず、いかなる疾患であっても、その発症の初期の段階において、できる限り適正な鑑別診断を行う必要があるのであって、そのためには、多少の時間と手間を要しても、詳細、慎重な問診、診察、経過観察及び各種の臨床検査を実施しなければならないのは当然である。特にスモンとその類似疾患との鑑別診断がかなり困難なものであることは、先にも述べたし、また、後にも述べるとおりであるから、その鑑別診断については、このことが一層強調されなければならない。従って、スモン患者の早期救済等のためであるとして、スモン患者の認定の簡易、迅速のみをいたずらに強調することは、スモンに関する誤診例の多発やその看過、黙認をも招きかねず、特定の患者に対しその疾患の特質に応じた最良最適の治療を施し、もって、その患者の早期救済を図るという目的に逆行する結果をも惹起しかねないことを警戒すべきである。

第四スモンの鑑別診断の困難性

一  スモンの鑑別診断の困難性についての識者の意見

前記の第二の三で認定したとおり、スモンの類似疾患としては、各種の代謝障害、中毒性疾患、脱髄疾患、感染症、その他、多種、多様の疾患が存在し、その原因も多種、多様である(なお、原因不明の疾患も少なくない。)。しかも、<証拠略>によれば、このようなスモンの類似疾患は、本件疾患発現時の前後を通じ、現実にも多数発生していることが認められる。従って、スモンとこれらの類似疾患との鑑別診断は非常に重要であるが、しかし、前記の第三で考察したとおり、この鑑別診断は必ずしも容易ではなく、むしろ、相当に困難な仕事であるといわなければならない。特にその対象となる疾患が非定型的疾患ないし軽症疾患である場合、又は二つもしくはそれ以上の疾患が併存している場合における鑑別診断は一層困難である。そこで、次のとおり、多数の識者がこの鑑別診断の困難性について言及している。

1  <証拠略>によれば、椿忠雄は、昭和四二年当時において、スモンの鑑別診断につき、「腹部症状に神経症状が加わるという特異な事実に加えて、本症に特有な神経症状に注目すれば本症の診断は困難ではない。」としながら、「最近われわれのところへ紹介されてくる患者のほとんどは、すでに本症と診断されている。むしろ、本症は診断されすぎる危険さえある。すなわち、本症と診断されて紹介されてくる患者のなかには、しばしば脊髄腫瘍、頚部脊椎症、ビタミンB12欠乏による脊髄障害、脱髄疾患、多発性神経炎などが含まれている。これらの症状を分析すると、第一には腹部症状が定型的でない場合が挙げられ、第二には腹部症状は定型的であっても、神経症状が定型的でない場合が挙げられる。」として、スモンの濫診について警告し、神経症状がスモンによく類似しているビタミンB12欠乏による脊髄障害や、スモンの不全型又は軽症例と症状が類似している多発性神経炎(特にギラン・バレー症候群)の症例について検討、説明している。そして、多発性神経炎については、「実際に、わたくしも両者の鑑別の困難な例を何例も体験しているし、剖検例においてさえ、中間型と考えてよいような例もある。いずれも原因不明の疾患であるし、この両者のオーバー・ラップが起こるのは避けえぬところであろう。」と述懐している。

更に、<証拠略>によれば、同人は、昭和四四年一二月当時においてスモンの鑑別診断について説明したうえ、「かつてはいろいろの診断が下されたスモンも、最近ではかなり正確に診断されるようになった。しかし、スモンの臨床的概念も未だ完全に明確にされた訳ではなく、ことにギラン・バレー症候群との鑑別には多少問題を残していると思われる。それはともかく、スモンの臨床的概念もある程度拡大しうるものであろう。しかし、スモンの診断があまり安易に下されることは注意しなければならない。」と述べ、また、<証拠略>によれば、同人は、昭和四五年の前半期において、非定型的ではあるがスモンと疑われる症例及びスモンに類似した症状を呈するが他疾患と認められた症例のいくつかについて比較、検討し、このような非定型的症例についての鑑別診断は、同人のような神経医学の専門家にとってもかなり困難な仕事であると述べている。

2  <証拠略>によれば、高崎浩は、昭和四四年一月当時、「スモン診療の問題点」についてなされたアンケートに対する各識者からの回答のまとめにおいて、「ここで問題になるのは類似疾患の鑑別であるが、各筆者ともこの点には充分な考慮をはらわれているようである。ただ一部の報告をみると、診断基準を拡大しすぎたため、除外さるべき疾患をも包含しているきらいがないではない。さて最も鑑別の困難と思われるものは、多発性神経炎ではなかろうか。腹部症状に続発した下肢のしびれ感、知覚異常、深部覚の低下のみでは、本症との鑑別は難しい。まして前駆症状に上気道感染まで含めることには問題があると考えている。本症が論じはじめられた当時には、運動障害を伴い、視力障害がつよく失明に至る程の重症例が多かったが、最近では軽症例が多く、ますます鑑別の困難さが感じられる。この点については椿教授も指摘している如く、体節性障害、錐体路徴候、視力障害などの併存が診断には欠かせないものといえるであろう。・・・その他、除外すべき疾患としてギラン・バレー症候群、ビタミン欠乏症、脱髄疾患、膠原病、ボルフィリン症、INH長期投与によるニューロパチー、胃切除後、准熱帯性スプルーによる索性脊髄症、悪性貧血によるニューロミエロパチーなど多くのものが挙げられているが、その臨床像を詳細に検討し経過を追えば鑑別は必ずしも不能ではない。」などと述べたうえ、「最後にご注意願いたいことは、最近本症を余りにも拡大して解釈する傾向にあることである。従って診断に際しては診断基準を厳守していただきたい。」と述べ、スモン(特に軽症スモン)とその類似疾患(特に多発性神経炎)との鑑別診断の困難性に言及するとともに、スモンの診断基準の拡大解釈される傾向に警告を発している。

3  <証拠略>によれば、祖父江逸郎は、昭和四五年一月当時において、「腹部症状に伴う脊髄炎症(スモン)は最近本邦で注目されてきた新しい疾患であり、多数の症例がみられる。新しい疾患であるだけに、本症を診断するにはどのようなとらえ方をしたらよいか、まだ十分な整理がなされていない。臨床病理的に一つの疾患単位と考えられているので、特徴的なものであり、診断は、容易のようであるが実はなかなか難しい場合も少なくない。」としたうえ、スモンの臨床特徴、症候のあり方(積極的診断の手がかり)について述べ、更に、その検査所見につき、次のとおり述べている。

「本症では髄液をはじめ諸検査所見では特に異常所見に乏しく、本症を特徴づけるものが見出されていない。したがって現在のところ検査所見から本症の診断を裏付けることはむずかしい。われわれのところでは、下肢知覚神経の生検を行ない他の類似するノイロパチーとの比較研究を行なっており、若干の差異を見ているので、病態診断の面からは参考になると考えられる。発病初期にみられる一過性の赤沈亢進、血糖上昇、血清アミラーゼ、血圧上昇、尿糖、尿蛋白などの所見は診断上の参考になるとともに、経過に伴う変化は病態の理解に有益である。血清免疫グロブリンの態度をしらべておくことも間接的に参考となるが、診断を決定するものではない。検査所見にそれほどの特徴のみられないことは、逆に他の類似疾患を除外する有力な根拠になるわけで、むしろ重要なことであり、鑑別上一応の裏付けを行なっておく必要がある。本症についての診断は容易なようで実際にはなかなかむずかしいといわれる。われわれのところへ、本症ではないかとして紹介されてくる症例をみると、まったく別な疾患である場合も時々経験する。本症の診断を、ただ単に腹部症状と神経症状との組合わせに過ぎないものとの理解だけで表層的な見方をしていること、他の多くの類似症候を示す疾患(例えば各種原因による多発神経炎、多発根神経炎、脊髄根神経炎、亜急性脊髄連合症、視束脊髄炎、多発性硬化症、癌性ノイロパチーなど)についても深い理解と経験の少ないことなどによると考えられる。これまでに述べたように、本症の症候について細かな点でその特徴を浮きぼりにする積極的な診断過程とともに、やはり類似した症候を呈する他疾患については、その疾患の立場から臨床所見、検査所見を中心に除外するようにすることが是非必要である。このほか診断上注意を要することは、最近、本症に対する恐怖性的心理から類似の症状を呈する症例、末梢神経や脊髄障害のある場合に本症が併存している症例、不全型や一過性の本症類似症候を示す症例、類似疾患との移行型と考えられる症例などのみられることで、これらの場合はよほど慎重に取り扱う必要があろう。」

4  <証拠略>によれば、鬼頭昭三は、昭和四五年三月当時において、「腹部症状を伴う非特異性脳脊髄炎、いわゆるスモンについては、これを単一疾患単位と考える立場から椿、祖父江らの診断基準がある一方、単なる症候群であるとする学者も多い。また、椿は腹部症状を欠如しても神経症状が本症の診断基準に合うならば、やはりスモンの診断を下すべきであるとしている。このようなスモンの概念の拡大に伴って他の類似疾患との鑑別診断はますます困難をきわめている現状であり、流行地に多発したスモンと最近各地の病院でスモンの散発性として診断されている症例が同一疾患であるか否かは疑わしい。・・・」と述べたうえ、スモンとまぎらわしい二、三の疾患として、悪性貧血に伴う亜急性脊髄連合性変性症(ビタミンB12欠乏症)、デビック病、ギラン・バレー症候群などを挙げ、「亜急性脊髄連合性変性症とスモンとは臨床的にも病理学的にも極めて類似しており、特にその鑑別は殆ど不可能ですらある。・・・結論的には現在の段階ではビタミンB12欠乏症の診断のきめ手となるものは、血中のB12測定の他にはなく、スモンとの鑑別もこれなくしては最終的にきめにくい症例のあることも確かである。」、「ギラン・バレー症候群とスモンとの鑑別は時に非常に困難である。」などと述べて、その鑑別診断の困難性を強調している。そして、同人は、最後に、「スモンに似て非なる症例が社会的な雰囲気にひきこまれるようなかたちでスモンと濫診されることを厳にいましめるべきであると思う。ことに腹部症状を伴わないスモン、腹部症状と自覚的知覚異常のみで他覚的神経症状の殆どないスモンと思われるような症例を科学的にスモンとして把握することは、神経学的な深い見解を必要とする高度の診断テクニックであり、実地医家の方に特に慎重を期するようおねがい致したい。」と述べて、スモンの濫診に警告している。

5  <証拠略>によれば、森田久男は、昭和四五年三月当時において、スモンとまぎらわしい疾患として、悪性貧血の神経障害である索状脊髄症を挙げ、「最近、わが国に特異な疾患として重視され、社会問題としてもかなり注目されているスモンの神経系の病理学的所見が、悪性貧血のそれに極めてよく似ているとされ、悪性貧血の神経症状がスモンの症状と著しく類似した例のあることも報告されている。」として、悪性貧血の神経障害の頻度、障害機序、症状等について説明したうえ、その診断につき、「神経症状のみにより、本態を的確に診断することは、時として困難である。血液形態学的に悪性貧血と診断された場合には、神経症状の診断も一般に容易である。ビタミンB12が奏効すれば診断は確定される。貧血が明らかでないと診断に注意を要する。骨髄に巨赤芽細胞の増殖が証明されれば、診断が決定されるが、血液像および骨髄像がともに典型的でないと、神経症状の判定も困難となる。造血障害はしばしば輸血に多少とも反応して巨赤芽細胞の増殖が不明瞭となることがある。また、多種ビタミン剤を含む薬剤が広く用いられているが、葉酸または神経障害には不充分な量のビタミンB12を含有する製剤を服用することにより造血障害が改善されていることがある。本症が疑われた場合シリーリング試験が有用となる。すなわち、少量のCo60-B12を経口投与し、次いで非放射性B12の大量(一〇〇〇ガンマー)を筋注し、尿の放射能を測定する。二四時間内に尿中に排泄されるCo60-B12の量は、正常者では径口投与量の七~二二パーセントに達するが、真性悪性貧血患者では三パーセント未満である。また、ビタミンB12の大量投与は、少なくとも新しい障害に対しては有効で、この事実が診断の補助となる。」と述べている。

6  <証拠略>によれば、宮崎元滋は、昭和四五年三月当時において、スモンとまぎらわしい疾患の一つとして多発性神経炎を挙げ、その原因につき、「多発性神経炎の原因は多岐にわたるが、概括的にはビールス感染ないしアレルギー性のもの、細菌毒素によるもの、栄養障害ないし代謝異常、化学薬物による中毒に大別される。しかし実際の臨床では、原因不明のものがかなり多い。」と述べるとともに、その一般的な症状につき、「多発性神経炎の最初の症状として最もよくみられるのは、知覚刺激現象である。すなわち、知覚過敏、ジセステジー(自覚的な異常知覚)の出現であり、これらは四肢にいわゆる手袋、靴下状の分布を示す。同時にあるいはこれにつづいて四肢のいたみ、とくに灼熱性の疼痛をともなうことがしばしばある。知覚障害の型は、これらの自覚症状のみを呈する例の他に、他覚的知覚障害、すなわち湿痛触覚障害をともなうものと、自覚症状なく検査によってはじめて知覚障害の見出される場合とがある。他覚的知覚障害も手袋・靴下状に左右対称性に出現するが、末梢ほどその障害の程度が強い。さらに表在知覚のみならず、深部知覚障害をともなう場合もある。また、障害が下肢にのみ限局している場合がかなりある。知覚障害の境界は明瞭な場合と、そうでない場合とがある。さらにまれに知覚障害が四肢のみならず鼻の先や口唇周囲、躯幹の背部、腹部の中央、すなわち肋間神経、腹壁神経の末端部障害をともなうこともある。運動障害は知覚障害よりおくれて現われることが多いが、筋力低下、筋萎縮、筋緊張低下、深部腱反射の減弱がみられる。また、その程度は末梢ほど強い。しかし、これらの運動障害の程度はさまざまであり、知覚障害のみで運動障害をともなわない場合が少なくない。」と述べたうえ、スモンとまぎらわしい栄養障害による多発性神経炎、代謝異常による多発性神経炎、膠原病にともなう末梢神経障害、癌にともなう神経障害等の症例について説明し、最後に、「近年スモンが大きな社会的関心をあつめている折柄、その診断には充分慎重でなければならない。そのためには正確な鑑別診断が必要であり、誤った診断で患者に不要の心痛を与えないよう充分留意する必要がある。」と述べている。

7  <証拠略>によれば、矢幅義男は、昭和四六年一一月当時において、実際にはスモンに罹患していないのに、自らスモン患者であると思いこんで不安、恐怖に陥っている。いわゆるスモンを恐れる神経症の症例について検討する中で、「原因不明、症状重篤、予後不良、治療法未確立というイメージのなかで、感染説が高まったかと思うと、キノフォルム説が出現するなど、「現代の奇病」としてセンセーショナルに取り上げられている社会状況において、他覚的所見の乏しい診断基準にたよらざるを得ない医師の曖昧な診療態度が、この疾病に罹患することを恐れる特異な神経症の発生を促している事実に注目せざるを得ない。」と述べ、更に、「スモンは端的にいって症状が非特異的であり、かつ診断の客観的指標が殆んどない。そのために、時に医師によって診断が異なったり、あるいは医師によってみだりにスモンと診断しがちな傾向すら認められる。このことが患者を不安に陥れ、かつ容易に疾患に対する懐疑を呼び起こすことにもなる。この際、患者の側に心気的態度の構え(準備状態)があれば、容易に心気的念慮を形成する。すなわち、本来正常心理に属する懐疑が、患者の病前性格並びに周囲の状況によって、病的なまでに強められ、修飾され、さらには懐疑を心的機制の核とする神経症の発生すらもたらしうるのである。」と述べている。

8  <証拠略>によれば、スモン調査研究班の昭和五〇年度プロジェクト研究「スモン診断と病状判定の指針への寄与」において、スモンの鑑別診断については最高の専門家であり、右プロジェクト研究の研究班員である安藤一也、藤原哲司、片岡喜久雄、祖父江逸郎、杉山尚、椿忠雄、豊倉康夫すら、スモンの診断に迷った症例のあることを解答し、そのような症例として、<1>スモンか多発性硬化症かの判断が困難なもの、<2>きわめて軽症例、<3>キノホルム製剤の服用歴が不明で、腹部症状が乏しいもの、<4>感覚障害が少なく、痙性麻痺が主体となっているもの、<5>キノホルム製剤服用前より神経症状があり、同剤服用中に症状が増悪したもの、<6>キノホルム製剤の服用は否定されるが、神経症状等からスモンが疑われるもの、<7>慢性胃腸障害があり、下肢のしびれの上行をみるものを挙げている。そして、右のうち安藤一也、杉山尚、椿忠雄、豊倉康夫は、「スモンの臨床診断指針」の細則をつくる必要があるとしている。

また、<証拠略>によれば、C・パリスは、昭和五一年一月開催のホノルルシンポジユウムにおいて、スモンの鑑別診断における問題点を指摘する中で、「スモンを構成する自覚的並びに他覚的な神経症状群は複雑である。訓練を積んだ神経科医でも、末梢神経障害の存在下で上位運動ニューロンの衰弱を見分けたり、脊髄由来の知覚症状のある状況下で、末梢知覚神経障害を見分けることは難かしい。」と述べ、更に、スモンの臨床診断は、「臨床神経病学の全体の中で最も微妙で高度な知識を必要とする判断ではないかというのが、私の意見である。」と述べ、スモンとその類似疾患との鑑別診断は、神経医学の専門家にとっても相当に困難なものであることを強調している。

9  <証拠略>によれば、中西孝雄は、知覚障害の種類を知ることができれば、神経系の故障箇所を推定することができるから、知覚障害の検査は神経疾患の診断に不可欠の検査法であるとしながら、その検査は、最終的な判断を患者の主観に基づいて下さざるを得ないので、臨床検査の中でも最も困難な検査の一つであるとし、その検査に由来する誤診の要因を、患者側に由来するものと、医師側に由来するものとに分け、次のとおり述べている。

「(一) 患者側の要因

患者側に由来する誤診の要因は、医師側に由来する誤診の要因よりも、知覚障害の検査に関する限り、むしろ大きいと言える。患者が意識障害におちいっている場合には、患者から刺激に対する何の反応も得ることができないし、精神症状、知能障害、失語症等を有する場合は、たとえ返答を得てもそれを信用することはできない。しかしこの場合には、検査する医師がそのことをよく認識していれば、知覚検査の成績を診断の資料とすることはできないが、知覚検査によって誤診をひきおこすこともない。一番困るのは、意識障害もなく、精神症状もなく、患者の陳述をそのまま受入れなければならない時に、患者が真実を話してくれない場合である。それは患者が検査の意味を十分理解していない場合とか、長時間検査をうけて患者が疲れた場合などの時によくみられる。子供とか老人では特にその傾向が強い。その他に注意しなければならないのは、患者がヒステリー性の性格を持っており、しかも知覚障害を訴える場合である。また最も困難に感ずるのは、賠償問題がからみ、患者がもっともらしいうそを陳述する場合である。

(二) 医師側の要因

知覚障害には、外界から何も刺激が加わらないのに感ずる異常感覚(ジセステジー)と、外界からの刺激をありのままに感じないで、違った性質としてうけとる異常知覚(パレステジー)と、さらに外界からの刺激をありのままの強さで感じない知覚異常とがあるが、患者は多くの場合、これらを一括して「しびれ」という言葉で表現する。従って検査する医師はこれらの違いをよく分析しておかなければならない。また知覚検査には、蝕刺激、、痛み刺激、温刺激、冷刺激、振動刺激、深部刺激(指趾の位置を変える)などを加えなければならないが、あまり多くの刺激方法があるため、面倒な刺激を与える検査をつい省略する傾向が生ずる。また脊髄障害などの際には知覚障害の高さと脊髄障害の高さとが必ずしも一致しない。従って患者の訴えを十分理解せず、検査を省略したり、また検査所見を注意深く判断しないと、これらのことは医師側に由来する誤診の原因となる。」

なお、<証拠略>によれば、渡辺誠介も、「スモンの重要な愁訴である異常知覚は、かなり患者の主観によって左右され、客観的に評価することが困難である。」として、その異常知覚を客観的に把握するための検査法として臨床神経生理学的な検査法の研究を開始している。

10  因みに、<証拠略>によれば、スモン調査研究協議会が実施した第一回、第二回スモン患者全国実態調査に基づくスモンの患者数は、昭和四七年三月末現在で九二四九名であるが、その中には、スモン容疑の患者数三四一〇名(三六・九パーセント)が含まれており、また右実態調査について昭和四七年四月から昭和四八年二月までの間に追加報告されたスモンの患者数は一一七名であるが、その中には、スモン容疑の患者数五一名(四三・六パーセント)が含まれていることが認められる。そして、右実態調査に基づくスモンの患者数の中に、このように多数の容疑患者数が含まれていることは、スモン鑑別診断が臨床医師にとっていかに困難であるかを物語るものであるということができる。

二  スモンと誤診

いかなる疾患であっても、診察、臨床検査等のみによって、その疾患の実態を完全に把握することは困難であるから、臨床診断において誤診の生じることは、本来不可避であり、また、やむを得ないことでもあるが、その他の疾患と比較して臨床検査が困難な神経疾患の臨床診断における誤診率は、他の内科疾患の臨床診断におけるそれよりも一般に高いといわれている。例えば、<証拠略>によれば、わが国における神経内科の権威者の一人とされている冲中重雄も、同人がその臨床診断に関与した患者に関する剖検の結果から判断して、内科疾患全体についての臨床診断の平均誤診率は一四・二パーセントであったのに対し、そのうち神経疾患についての臨床診断の誤診率は一八・三パーセントであったと報告している。ところで、このような誤診は、神経疾患の一つであるスモンの臨床診断においても起り得ることは否定することができないが、前記認定のとおり、類似疾患が非常に多く、しかも、その類似疾患との鑑別診断が相当に困難なスモンの臨床診断においては、次に述べるとおり、かなり高率の誤診のあることが報告されている。そして、スモンの臨床診断についてこのように誤診率が高いことは、逆に、スモンとその類似疾患との鑑別診断がいかに困難であるかを物語るものということができるであろう。

1  <証拠略>によれば、小川勝士、堤啓は、<1>昭和四八年末までに岡山地方で剖検した臨床診断スモン患者二八例(うちスモン容疑五例)のうち非スモン患者は五例であり(誤診率一八パーセント)、剖検によりスモン患者と診断された三〇例のうち七例は臨床診断では非スモン患者と診断されていた(誤診率二三パーセント)、そして、剖検した三五例中病理診断と臨床診断とが合致しなかったものは一二例であった(誤診率三四パーセント)、<2>昭和四一年から同四四年までの四年間に全国で剖検された脊髄疾患患者七三一例中記載の正確な六〇六例では、臨床診断の誤診例が一八四例であり(誤診率三〇パーセント)、そのうちスモン患者一二〇例では、臨床診断の誤診例が三二例であった(誤診率二七パーセント)と報告し、以上の事実から臨床診断によるスモン患者の中にはかなり高率に非スモン患者が含まれているものと推定されると述べている。

2  <証拠略>によれば、江頭靖之、松山春郎は、昭和四八年から同五二年までの五年間に全国で剖検されたスモン関係の症例につき、臨床診断名がスモン(スモン容疑を含む。)であった一二例中三例は病理診断の結果スモン以外の疾患であることが判明し(誤診率二五パーセント)、また、臨床診断名がスモン以外の疾患であったもののうち二例は病理診断の結果スモンであることが判明したと報告している。

3  <証拠略>によれば、桑島治三郎は、昭和四一年一〇月当時の報告として、内科的診断によりスモン病ないし非特異性脳脊髄炎症と診断され、またはそのように疑われて、同人の眼科的検索に回わされてきた視神経病変を伴ったスモン症候群患者五二例について、同人が眼科的検索を行った結果、右五二例のうち、多発性硬化症を代表とする脱髄疾患群の病型に属するとみられるもの及びそれにクモ膜炎の合併したものが二八例、クモ膜脊髄症とみられるものが一五例、更に脳腫瘍及び脊髄癆とみられるものが三例あって、最後までスモン病として残ったものは、内科の診断をそのまま尊重して眼科的検索を差し控えたものをも含めて、六例にすぎなかったと述べている。

なお、同人は、右結論に付言して、器質的中枢神経疾患においては、その病型診断に応じて病因の推定、検索、診療方針の決定等がなされるのが原則であるが、スモンの鑑別診断においても、その症候診断だけで満足すべきではなく、少なくとも一歩進めて、問題の疾患が白質疾患であるか、軟膜系疾患であるか、それとも灰白質疾患であるかなどの病型診断をできるかぎり早期に行うことが最も重要な課題であると思うとして、スモンの鑑別診断における病型診断の重要性を強調している。

4  <証拠略>によれば、桑島治三郎らは、昭和四三年一月当時の報告として、臨床診断によりいずれも視力障害を伴うスモン病と診断された患者で脂肪後組織学的検索のなされた結果、多発性硬化症と瀰漫性髄膜癌腫症であることが判明した二例について報告し、「近年わが国で流行のいわゆるスモンの症例については、同じような神経障害症状群のもとに、腫瘍、炎症、変性、中毒症、循環障害、その他、まったく異質の疾患が混同、誤診されることがある。かような混同、誤診は、臨床医家がその診断基準をみずから独特かつ安易な症候診断のワク内に求めて満足しているかぎり、今後も避けがたいものである。・・・」と述べている。

5  <証拠略>によれば、藤原哲司らは、昭和四八年七月当時の報告として、はじめは腹部症状、神経症状などからスモンと診断されたが、その後キノホルムの服用がなく、ニトロフラゾーンの服用のあることが判明し、結局ニトロフラゾーン・ニューロパチーであると診断された事例について報告し、「本症例は臨床的にはスモンの診断基準をよく満しているが、鑑別診断として他の原因によるスモン様症状を呈する疾患を十分考慮せねばならぬことを示唆している。」と述べている。

6  <証拠略>によれば、高屋豪瑩らは、昭和四八年八月当時の報告として、臨床経過が腹部症状で始まり、末梢神経症状、眼症状などスモン様の症状を呈したため、臨床診断でスモンを疑われて治療を受け、約三年の経過後尿毒症で死亡した患者につき、その死亡後組織学的検索をなされた結果、アミロイドニューロパチーの誤診であったことが判明した事例について報告し、スモンとアミロイドニューロパチーとの鑑別診断が困難であることを指摘している。

7  <証拠略>によれば、松山春郎らは、スモン調査研究班の昭和五〇年度研究業績中の研究報告において、長期間にわたるキノホルムの服用歴があり、臨床診断においてもスモンと診断されていた患者の神経疾患につき、剖検の結果、病変がほとんど末梢神経の末梢部のみに限局されていた(但し、腰髄前角細胞の一部に軽度の中心性色質溶解像が見られた。)ので、病理学的には、ニューロパチーとしかいいようがないとして、急性化膿性腸膜炎及び慢性ニューロパチーと診断された症例のあることを報告している。

8  なお、<証拠略>によれば、甲野礼作は、昭和五四年に、「およそスモンという臨床診断には約二〇パーセントの誤診率があることが病理解剖学的にはっきりしており、・・・協議会が行ったキノホルム服用状況調査の対象となったスモン患者の中にも相当数の誤診があっても止むを得ないことであった。」と述べており、また、<証拠略>によれば、ウイリヤム・エス・ベックも、同年に、「スモンが臨床的特異性を欠くことは明らかである--すなわち、診断の根拠にできる単一の検査がないこと、また、診断要件に関する見解が一致せず、他の神経学的障害と大きく重なり合う症候群であること--から、かなりの頻度で誤診があったはずである。」と述べている。

第五本件疾患発現の経緯及びその後の経過

一  本件疾患発現の経緯

<証拠略>に、弁論の全趣旨(特に原告の提出にかかる昭和四八年七月九日付準備書面添付のスモン罹患経過表及び昭和六〇年六月二四日付準備書面中の三の各記載)を総合すると、原告につき本件疾患が発現するに至るまでの経緯及びその発現当初の状況は、次のとおりであったことを認めることができる。そして、この認定を左右するに足りる証拠はない。

1  原告は、戦後昭和三〇年ころまでの間は、食糧公団の職員等として米穀販売の業務に従事し、その後は、地図の製作、不動産業者の手伝い、バーの共同経営等の仕事を転々としていたが、昭和四一年春ごろからは、妻との老後の生活の安定を図るため(なお、原告夫婦には子供はなかった。)、将来そば店の経営者として独立しようと考え、当時東急東横線の菊名駅構内にあった誠和食品株式会社経営のそば店に売店責任者(人事管理責任者)として就職し、妻も一緒に、同店で勤務することになった。しかし、同店での勤務は、仕事の責任が重大であるばかりでなく、きわめて多忙で、早朝から深夜まで(原告本人の当審第一回供述によれば、業務の忙しい時には、朝の五時ごろから翌朝の一、二時ごろまで)働かなければならず、休みも月に一日位しかとれなかったため、原告は、無理を重ねて、過労と睡眠不足に陥り、夜眠るためには酒を飲まなければならず、酒を飲まなければ眠れないという日々が続いた(なお、原告は酒は好きであった。)。その結果、原告は、胃腸の調子が悪くなり、同年七月ごろから慢性の胃腸炎に罹り、その後昭和四二年五月ごろまでの間、週に二、三回の割合で断続的に神経性の下痢をするという状態が続き、また、そのため、栄養がついてゆかず、体もやせていった。なお、その間に原告がいかなる食事生活をしていたか、すなわち、その間に原告が健康の保持に必要な三大栄養素や各種ビタミン等を十分に摂取していたか否かは不明である。

2  原告は、その間、市販の薬品(ワカマツ等)を服用するなどして、自家療養に努めていたが、症状が快癒しなかったため、昭和四二年五月二〇日に、同人の妻が以前に補助婦として勤務していたことがあり、原告自身も以前に痔核の手術を受けたことがある社会保険中央総合病院(東京都新宿区西大久保三丁目三七番地所在)において、内科医師銅直利之(以下「銅直医師」という。)の診察を受けた。そして、その際、原告は、銅直医師に対し、約二か月前より下痢と腹痛、特に心窩部圧痛があり、げっぷはないが、食欲はあまりよくなく、軟便が一日二、三回ある、既往症としては、胃痙攣二回と痔核の手術を受けたことがある、嗜好品としては、酒は三、四合、煙草は一日一五本であるなどを述べ、同医師から、栄養状態は良好で、脈搏は七二、規則的であり、眼瞼結膜には異常がないが、舌には厚い白苔がある、頚部、胸部、脾臓には異常がないが、肝臓には3/2横指の腫大ないし肥大があり、回腸末端部からS字状結腸部にかけてやや圧痛が認められるなどとして、病名は慢性胃腸炎(又は慢性腸炎)であるとの診断を受けた。

3  原告は、昭和四二年五月二〇日に銅直医師から右診断を受けた際、その処方として、いずれも一日当り重曹二・〇グラム、エマホルム一・五グラム、ビオスリー三・〇グラム、アドソルビン三・〇グラム、タンナルビン一・〇グラム、ベラドンナエキス〇・〇四グラム、及び塩酸パパベリン〇・一グラム各七日分の投与を受けて、これを処方どおりに服用し、更にその後同年五月二九日及び六月五日にも同病院において内科医師澤直樹(以下「澤医師」という。)から右と同種同量の薬剤各七日分及び各一四日分の投与を受けて、これらも処方どおりに服用していた。ところで、原告は、同年六月一五日午後、たまたま早く帰宅することができたので、入浴して知人と一緒にビールを飲むなどしているうち、呼吸が速迫し、両足が冷え冷えとして、感冒(流感)に罹ったような症状を覚えるとともに、同日から翌一六日にかけて中、下腹部、腰部から両下肢、足部に及ぶ表面のしびれ感を感じ、更に一六日には軽い胃痙攣様の心窩部痛もあって、本件疾患の発現を自覚するに至った。そこで、原告は、同月一七日、同病院において、銅直医師の診察を受けたところ、同医師から本件疾患は腹部症状を伴った脊髄炎症(スモン)である旨診断され、処方として、いずれも一日当りブレンドニン一〇ミリグラム、ブスコパン六錠、ドセラン三〇〇〇ガンマー、重曹三グラム及びビオスリー三グラム各三日分の投与を受けるとともに、強力ユモール二CCの注射を受け、同月一九日に入院するよう指示を受けた。

4  なお、昭和四二年五月二〇日及び同年六月一七日に原告を診察し、本件疾患が腹部症状を伴った脊髄炎症(スモン)である旨最初に診断した銅直医師は、血液疾患、とりわけ臓器鉄、鉄代謝等の研究を専門とする内科医師である。

二  その後の経過

一の冒頭に記載した各証拠に、<証拠略>と弁論の全趣旨を総合すると、原告が昭和四二年六月一九日に社会保険中央総合病院に入院してから今日に至るまでの経過の概略は、次のとおりであることを認めることができる。そして、この認定を左右するに足りる証拠はない。

1  原告は、銅直医師の前記指示により、昭和四二年六月一九日に社会保険中央総合病院に入院し、その後同病院において、ネオラミン、ハイコバール、アリナミンF、ベストン、ビタノイリン、アデノシン三リン酸ナトリウム、ブドウ糖及びATP等の注射並びにブレンドニン、ブスコパン、ドセラン、MB(健胃酸)、ラックピー、シナール、ピドキサール、ビタミンB2、イリコロンM、アリナミン、ハイコバール及び酸化マグネシウム等の服薬のほか、低周波、マッサージによる治療等をも受けた結果、腹部症状は消失するとともに、神経症状も漸次好転し、入院後約一か月間で異和感(しびれ感)が足底部、膝関節のみに限局し、軽度の倦怠感、疲労感を残すだけとなり、経過良好として、同年八月一四日に退院した。

因みに、原告の右第一回入院中、本件疾患についての診察、治療を主として担当した医師は、澤医師である。そして、澤医師は、消化器系が専門の内科医師であり、原告が第一回退院後の通院、第二回入院及び第二回退院後の通院を経て昭和四五年二月二七日に右病院での診療を終了するに至るまでの全期間を通じ、原告の主治医として、本件疾患の診察、治療を担当している。

なお、原告の右第一回入院中の症状及びその経過等は、後記の第六の二において詳述する。

2  原告は、右退院後も右病院に通院し、プレンドニン、アリナミン、胃散、ラックビー、イリカロンM、ビタミンB2、酸化マグネシウム、アデノシン三リン酸ナトリウム、コランチル、ビタノイリン、ペルサニットB2、カシワドール、ダンリッチ、スルキシン、アミノピリン、アレルギン及びアスドリン等の服薬並びにブドウ糖及びビタノイリン等の注射を受けるとともに、一時右病院外で、温泉療法、指圧療法等をも受けた結果、症状はやや軽快し、経過良好と見られていたが、その後、原告が前記そば店での職務に復帰し、過労と睡眠不足を重ねたのに加え、昭和四二年一〇月下旬ごろから寒さが増すとともに、下肢のしびれ感、倦怠感等が強くなり、同年一一月上旬には再び下痢、腹痛が生じ、同年一二月中旬及び昭和四三年二月下旬には風邪で発熱するなどのこともあって、症状が次第に悪化し、昭和四三年四月八日から再び入院することになった。

なお、<証拠略>によれば、原告は、第一回退院時から第二回入院時までの間に下痢をしたが(原告が平成二年四月五日受付で当審に提出した上申書によれば、その時期は昭和四三年一月下旬か二月の寒いころとなっている。)、仕事が忙しくて病院へ行く暇がなかったので、薬局で下痢止めの売薬複合ワカマツ三瓶位を買い求めて、これを服用せざるを得なかったかのごとく述べている。しかしながら、<証拠略>によれば、原告は、右の間、昭和四二年中は、九月四日、一五日、一〇月二日、一三日、一六日、二〇日、二三日、二七日、三〇日、一一月六日、二〇日、一二月一日、八日、一八日、昭和四三年になってからは、一月一三日、一九日、二五日、二六日、二月九日、一六日、二六日、三月四日、一一日、一八日、二三日、二五日、二六日、二七日、二八日、二九日、四月一日、五日に、それぞれ右病院に通院して投薬を受けていることが認められるから、原告が右のころ忙しくて病院へ行く暇がなかったため、売薬を買い求めて服用せざるを得なかったという記述ないし供述はにわかに信用しがたい。

3  原告は、昭和四三年四月八日から社会保険中央総合病院に再入院し、カシワドール、ネオラミン、ヌトラーゼ、スルピリン、ビタノイリン、ブドウ糖及びアデノシン三リン酸ナトリウム等の注射並びにプレドニン、ビタノイリン、アデノシン三リン酸ナトリウム、MP(健胃散)、ラックビー、ペンサネート、ビタミンB2、コランチル、E・A、シノミン、アミノピリン、フェナセチン、メトロン、カピラン、ビオスリー、トランコロン、タカブレックス、重曹、アドソルビン、ロートエキス、カリクレイン、コバマイド、アリナミン、グルミン及びビフテノン等の服薬のほか、同年八月二日から同年九月一〇日までの間に六回にわたり、ヌトラーゼの髄腔内注入をも受け、更に右入院期間中に、低周波、マッサージによる治療や歯科における抜歯治療等をも受けたが、経過は一進、一退の状態で、効果的治療法がないまま、同年九月二七日に退院した。

なお、原告の当審第一回本人尋問の結果によれば、原告は、その疾患の症状が一番悪化したのは右第二回入院のころからである旨供述しており、また、<証拠略>によれば、原告は、右第二回入院中の出来事として、退院間近になって、やっと入浴することが許された旨記述している。しかしながら、<証拠略>によれば、原告は、右第二回入院中、四月に四回、五月に一二回、六月に五回、七月に六回、八月に八回、九月に四回外出するとともに、五月に一回、六月に二回、七月に二回、八月に三回、九月に四回外泊しており、また、五月に二回、六月に一回、七月に三回、八月に一回、九月に二回入浴していることが認められる。従って、第二回入院中の原告の症状等に関する原告の右供述ないし記述部分は、そのとおりには採用することができない。

4  原告は、右退院後も昭和四五年二月二七日までの間、月に平均二、三回の割合で右病院に通院し、ビタノイリン、MP(健胃散)、ペンサネット、ビオスリー、ビフテノン、アデノシン三リン酸ナトリウム、ダンリッチ、ピタ五〇、グルミン、ノルモザン、サネターゼ、カシワドール、トランコパール、キョーリンAP、プラリオン、コバマイド、ジセタミン、ヘキサニシット、コメタミン、ドラミド、アドソルピン及びベラドンナエキス等の服薬の投与を受けた。しかし、その間の症状の経過は一進、一退であって、よく風邪をひき、時々腹痛があり、両膝関節部に痛み感、圧迫感があり、力仕事をした後に下肢のしびれ感が軽度に感じられるという状態のまま、昭和四五年二月二七日に右通院による診療を終了した。

5  原告は、昭和四五年五月ころから昭和四八年ころまでの間、社会保険横浜中央病院(横浜市中区山下町二六八番地所在)に転院して診断、治療を受け、その間の昭和四六年一〇月七日から一八一日間右病院に入院して、ATP・ニコチン酸大量点滴療法等による治療を受けた。そして、昭和四六年九月七日に右病院の医師本多悟(以下「本多医師」という。)から、原告の疾患はスモン病であって、両側下肢にしびれ感、神経痛様疼痛、倦怠感の異常知覚があるが、上肢の知覚異常はなく、視力障害も認めない、昭和四六年八月からやや増悪の傾向がある旨の診断を受けている。しかし、右病院における右以上の治療の内容、症状の経過等については、これを確認する資料が提出されていない。

6  原告は、昭和五〇年七月九日から昭和五一年九月一五日までの間合計一二回にわたり、川崎幸病院(川崎市幸区都町三九番一所在)に通院して、内科医師杉山孝博(以下「杉山医師」という。)の診察を受け、原告の全身倦怠感、両下肢等の知覚異常、筋力低下、歩行障害、直腸膀胱障害等の症状はスモンによるものであり、また、原告の右上腕、肩のしびれ等の症状は右上腕神経叢神経炎によるものであるとの診断をうけている。そして、杉山医師は、原告のスモンについては、薬物療法は適当でないので、針、マッサージ等の理学療法と安静療法を主として施行し、感染症等の合併症の発生の予防にも留意したと述べている。しかし、右病院における治療の具体的内容やその治療による症状の推移等については、その詳細を確認するに足りる資料がない。

7  更に、原告は、昭和五七年六月八日、昭和六〇年八月二〇日及び平成二年三月一三日の三回、東京都立府中病院(東京都府中市武蔵台二丁目九番地二号所在)において、神経内科医師別府宏圀(以下「別府医師」という。)の診察を受け、原告の疾患はスモンである旨診断されたとして、その旨の診断書を提出している。

8  付言するに、本件の全証拠を検討しても、少なくとも昭和四五年二月二七日に社会保険中央総合病院での診療を終了したころ以降における原告の生活歴ないし職業歴の詳細を確認するに足りる資料は提出されていない。また、少なくとも昭和五一年九月一五日に川崎幸病院での診療を終了した後における原告の受診歴ないし療養歴については、右7で認定した府中病院での三回の受診を除き、これを確認するに足りる資料は存在しない。更に、本件の全証拠を検討しても、昭和四二年六月一九日に原告が社会保険中央総合病院へ第一回入院をした時から平成二年四月九日に当審の口頭弁論を集結した時までの間において、原告が右病院又はその他の病院でキノホルム製剤の投与を受けて、これを服用した事実は認めることができない。

第六社会保険中央総合病院における診断の結果について

一  はじめに

前記認定のとおり、原告は、昭和四二年六月一七日以来、社会保険中央総合病院、社会保険横浜中央病院、川崎幸病院及び府中病院において、本件疾患ないし各診断時における原告の疾患につき、いずれも腹部症状を伴った脊髄炎症ないしスモンであるとの診断を受けている。従って、原告が昭和四二年六月一五日に罹患したという本件疾患がスモンであることは、一見、問題がないかに見える。しかしながら、被告は、本件疾患はその症状が「スモンの臨床診断指針」等に合致しないなどと主張して、本件疾患がスモンであることを強く争っているので、以下、右各病院における各診断の結果の当否について検討しなければならない。

ところで、原告が本件疾患の発現後最初に診断を受け、かつ、入院又は通院によりその治療を受けた病院は、社会保険中央総合病院である。しかも、原告が本件疾患につき右病院で診断、治療を受けた期間は、本件疾患発現当初の昭和四二年六月一七日から昭和四五年二月二七日までの二年八か月余であるところ、スモンは、前記認定のとおり、その神経症状が急性又は亜急性に発現する疾患であって、発症後数週間ないし二、三か月間でその症状が完成ないし固定し、以後慢性期に入るのが通常であるから、もし本件疾患がスモンであったとすれば、原告の右病院での入通院期間は、その神経症状が完成ないし固定するに至るまでの期間及びそれが慢性期に入ってからの初期の期間に該当し、従って、その期間内における本件疾患の症状の内容、推移や臨床検査所見等は本件疾患の病名を確定するための最も重要な資料になるというべきである。

そこで、まず、社会保険中央総合病院における診断の結果の当否から検討する。

二  本件疾患と「スモンの臨床診断指針」との合致性

1  原告が社会保険中央総合病院において本件疾患が腹部症状を伴った脊髄炎症であるとの診断を受けた昭和四二年六月一七日当時はもとより、原告がその後二回にわたり入院及びその前後の通院を経て右病院での診療を終了した昭和四五年二月二七日当時においても、スモン調査研究協議会による「スモンの臨床診断指針」はいまだ設定、公表されていなかったし、また、スモン発症の原因はキノホルムであるという見解もいまだ発表されていなかったことは、前記の認定に照らして明らかである。従って、右病院における本件疾患の診断や治療に当り、右の診断指針や見解が参酌されたということはあり得ない。また、本件疾患につき最初の診断のなされた昭和四二年六月当時においては、高崎浩、椿忠雄、祖父江逸郎等の作成した各診断基準は既に公表されていたが銅直医師及び澤医師が本件疾患の診断及び治療に当り、これらの診断基準を参照したか否かは、証拠上、明らかでない。

しかし、「スモンの臨床診断指針」が設定、公表された後においては、従って、現時点においては、特定の疾患がスモンであるか否かを判断するためには、まず、その疾患の臨床症状等が右診断指針に合致するか否かを検討しなければならない。そこで、本件疾患についても、原告が右病院で診断、治療を受けた当時の本件疾患の臨床症状等が右診断指針に合致するものであったか否かについて検討する。

2  腹部症状

(一) 「スモンの臨床診断指針」によれば、スモンの必発症状の一つとして「腹部症状(腹痛、下痢など)・おおむね、神経症状に先立って起こる。」を挙げている。そして、<証拠略>によれば、スモン患者における腹部症状は、これを<1>神経症状の発現前に慢性的に存在するもの、<2>神経症状の発現時期と密着した時点で見られるもの、<3>神経症状の発現後に慢性的に見られるもの、の三つに区分し、このうちの<2>をスモンに特有な腹部症状であるとし、通常「前駆的腹部症状」と称している。なお、<証拠略>によれば、椿忠雄、花篭良一らは、腹部症状はスモンの必発症状から除いた方がよいとの見解を採っているが、仮にそのような見解に立ったとしても、前駆的腹部症状が顕著に出現した場合には、スモンの鑑別診断に当り、それが一つの重要な資料となり得ることは争いがない。そこで、まず、本件疾患の発現当初に右のような前駆的腹部症状が出現したか否かについて検討する。

(二) <証拠略>によれば、銅直医師は、昭和四二年六月一七日原告を診察した際、原告には、足から腰にかけての表面のしびれ感があるとともに、胸から上腹部にかけてしめつけられる感じがあり、心窩部痛(圧痛)が激しく、食欲が低下しており、S字状結腸部の一部が鉛のように固くなっていたので、原告にはスモンに特有の腹部症状があると判断したと述べている。しかし、<証拠略>に照らして考えると、右のような症状が直ちにスモンに特有の腹部症状(すなわち、他の類似疾患には通常見られない腹部症状)であるといえるか否かは検討の余地があるのみならず<証拠略>によれば、原告には、同年五月二〇日当時(社会保険中央総合病院での初診時、従って、同病院からエマホルムの投与を受ける以前)においても、右と類似の腹部症状、すなわち、下痢、腹痛と上腹部ないし胃部の圧迫感があり、食欲は不振で、回腸末端部ないしS字状結腸部に圧痛のあったことが認められ、また、それ以前にも胃痙攣を二回起こした経験のあることが認められる。従って、昭和四二年六月一七日に原告に認められたという腹部症状がスモンに特有の腹部症状(キノホルムを服用しなければ通常発現しない腹部症状)であったというべきか否かは疑わしい。

(三) しかも、銅直医師が昭和四八年七月七日付で作成した本件疾患の病状記録(<書証番号略>)にも、昭和四二年六月一七日当時の腹部症状の具体的な内容は全く記載されていないし、原告が原審に提出した昭和四八年七月九日付準備書面添付のスモン罹患経過表記載の本件疾患罹患時の症状の中にも、腹部症状に関する記載は全くない。また、社会保険中央総合病院の第一回目の入院診療録(<書証番号略>)にも、腹部の一般所見として、抵抗、圧痛のみが(+)で、その余は(一)とされ、各部所見として、小腸末端部から下行結腸部に圧痛があるとされているだけであり、同看護記録(同上)にも、入院時の現症として、食後に腹痛があるが、下痢はなく、軟便程度で、時々胆汁様のものが少量あり、口内不快と記載されているだけで、その後第一回目の退院時に至るまで、腹部症状に関する記載は全く見られない。そして、第一回退院時までの経過要約(同上)にも、退院時には腹部症状なしと記載されているにすぎない。

(四) 以上を総合して考えると、本件疾患の発現当初における原告の腹部症状に、スモンに特有の前駆的腹部症状として特記しなければならない程の症状が見られたか否かは甚だ疑わしい。

3  神経症状

(一) 「スモンの臨床診断指針」によれば、スモンの必発症状の一つとして「神経症状・a、急性または亜急性に発現する。b、知覚障害が前景に立つ。両側性で、下半身、ことに下肢末端につよく、上界は不鮮明である。とくに、異常知覚(ものがついている。しめつけられる、ジンジンする、その他)を伴い、これをもって初発することが多い。」を挙げている。そして、前記第五の一で認定した事実に、<証拠略>を総合すれば、昭和四二年六月一五日午後から同月一六日にかけ、原告には、突然に(従って急性又は亜急性に)、中、下腹部、腰部から両下肢、足部に及ぶ表面のしびれ感(一種の知覚障害ないし異常知覚)が出現したことは明らかである。

(二) しかしながら、<証拠略>でも批判されているとおり、右診断指針は、その表現が不正確ないし不明確であって、個別的具体的症例の診断のための客観的指標ないし他覚的所見に乏しいから、原告に出現した右知覚障害(異常知覚)が果して右診断指針に記載された症状に該当するといえるか否かは必ずしも明らかではない。のみならず、前記第二の三1に掲記したスモンの類似疾患認定のための各証拠によれば、原告に出現した右知覚障害(異常知覚)程度の神経症状は、スモンに限らず、その他のスモンの類似疾患中のかなりの疾患、例えば、亜急性脊髄連合性変性症、多発性神経炎(この中には、脚気、ペラグラ、アルコール性ニューロパチー等の代謝障害ないし栄養障害性疾患が含まれる。)、多発性硬化症、デビック病、ギランバレー症候群等にも共通して出現し得る症状であるにすぎない。しかも、原告の第一回入院中の診療録(<書証番号略>)によれば、右入院中に原告に出現した知覚障害は、表在知覚のみの障害に限られ、深部知覚は正常(+)であるとされており、しかも、そのしびれ感は、皮膚のしびれ感のみで、痛みとは異なるとされている。従って、本件疾患の発現当初に原告に出現した知覚障害がスモンに特有の知覚障害であり、そして、そのしびれ感がスモンに特有の、ものがついている、しめつけられる、ジンジンするようなしびれ感であったとは認めがたい。

なお、前記の認定によれば、原告には、右神経症状(中、下腹部、腰部から両下肢、足部に及ぶ表面のしびれ感)の発現の際、それと同時に、呼吸が速迫し、両足が冷え冷えするなど感冒(流感)に罹ったような症状も発現したとされているのであり、また、<証拠略>によれば、原告は、第一回入院の当初においても、風邪気味で、全身熱感、頭痛感、倦怠感等のあることを訴えていることが認められる。ところで、このような症状はスモンに特有の症状であるとは解しがたいが、このような症状はいかなる原因に基づいて生じたものであろうか。また、このような症状は右神経症状といかなる関係があるのであろうか。これらの点の解明は、本件疾患の病名を正確に判断するための一つの重要な検討課題ではなかったかと思料されるが、本件の全証拠を精査しても、銅直医師等によってこれらの点が十分に検討、解明された形跡は認められない。

(三) 更に、第一回入院中の入院診療録及び看護記録(<書証番号略>)によって右入院中の原告の神経症状の経過の概略について見ると、次のとおりである。

六月一九日(入院日)腰部から両下肢にかけてのしびれ感、下肢の倦怠感がある。

同二〇日 下半身ないし下肢の倦怠感、しびれ感があり、軽度の歩行困難が認められる。知覚異常は、腰部ではやや下がってきている。なお、四、五日前から風邪気味で、頭痛感、頭部熱感が軽度に持続する。

同二二日 下半身ないし下肢のしびれ感は軽度に持続するが、腰部のしびれ感(自覚症状)は消失する。

同二六日 両下肢の冷感、しびれ感は軽度にあるが、しびれ感は漸次軽快する傾向にある。歩行時、足底部より下肢の倦怠感がある。

同二八日 足背部のしびれ感、倦怠感がある。

同三〇日 足底部にしびれ感が強く、上下腿内側にしびれ感が軽度にある。

七月一日 下肢のしびれ感が持続する。

同四日 格変ないが、下肢のしびれ感は消失する。

同一〇日 格変ないが、足底部のみのしびれ感があり、歩行時、下肢に倦怠感がある。

同一四日 下半身のしびれ感軽度に感じる程度。その他格変なし。

同二七日 両足底のしびれ感が軽度にある。

同二八日 足底部、下腿部のしびれ感が軽度にあるが、その他格変なし。ビタノイリン一瓶の静注にて経過良好。足の裏の紙が一枚一枚はがれていくようだ。

同二九日 両足底のしびれ感が持続する。

八月四日 外泊後、軽度の疲労感、しびれ感があるだけで、他に格変なし。

同九日 軽度の疲労感、下肢のしびれ感を訴える。

同一〇日 少々風邪気味にて頭痛感がある。

同一一日 軽度の咽頭痛及び咳がある。

同一三日 外泊後疲労感を軽度に訴える。

同一四日 (退院日) 格変なし。

以上のとおりであって、右入院中の原告の下肢ないし下半身の神経症状は比較的に軽度であって、スモンに特有とされる上向性ないし進行性は認められない。

なお、<証拠略>によれば、高橋晄正らは、スモンにおける知覚異常の三つの特徴として、<1>足裏の異常知覚-「紙がはりついたような」感じ、「熱い砂の上を歩く」「剣山を歩く」ような感じ、<2>しびれ感-じんじんする、正座したあとのしびれより強く、痛い、<3>しめつけ感-足全体が強くしめつけられる圧迫感がある、「鎖でしばったような」「鉄でしめつけられたような」と表現される、を挙げ、かつ、これらの三つの特徴がともにあるのはスモンだけだといってよいと述べているが、右の入院診療録及び看護記録に記載された原告の症状から見る限りでは、第一回入院中の原告に右の<1>ないし<3>に挙げられているような知覚異常が生じていた形跡も認められない。

そして、右看護記録によれば、原告は、右入院中、六月三〇日以降五回入浴しており、また、七月七日(一二時三〇分から一三時三〇分まで)、同八日(一三時から一九時一〇分まで)、同一五日(一〇時三〇分から二〇時まで)、同一六日(一四時から一七時まで)、同二二日(一一時から二〇時まで)、同二三日(一一時から一八時まで)、同三〇日(時間不明)、八月三日及び四日(三日一五時から四日一三時三〇分まで外泊)、同六日(一三時から二〇時まで)、同七日(時間不明)、同一一日(一四時から一九時まで)、同一二日及び一三日(一二日九時から一一時まで外出、同日一七時三〇分から一三日一七時まで外泊)に外出又は外泊していることも認められる。

(なお、以上の認定事実に照らして考えると、後記川崎幸病院杉山医師作成の病状記録(<書証番号略>)中の、原告は本件疾患の発症時半月位は歩行が全くできなかったという記述部分及び原告の当審第一回本人尋問の結果中の、原告は第一回入院中の退院間近にやっと入浴することができたという供述部分はいずれも採用することができない。)

(四) 以上のとおりであって、本件疾患の発症時から第一回退院時ころまでの約二か月間(この期間は、もし本件疾患がスモンのごとき急性ないし亜急性の疾患であったとすれば、その疾患の症状が一応完成ないし固定するまでの期間に該当すると考えられる。)における原告の神経症状は、右に認定した症状の内容及び経過から見る限り、その知覚障害(異常知覚)が表在知覚の障害(中、下腹部、腰部から両下肢、足部にかけての表面のしびれ感)に限定されるとともに、スモンに特有の異常知覚(ものがついている、しめつけられる、ジンジンするなどの異常知覚)が認められず、しかも、その症度が比較的軽度で、経過もかなり良好であるとともに、異常知覚の上向性や進行性も格別に認められなかったということができる。そして、この点に関し、原告の第一回入院中にその主治医として本件疾患の診察、治療を担当した澤医師も、その第一回入院中の経過を要約して、「入院後プレドニン、ビタミンB12、低周波、マッサージ等により漸次好転。約一か月間にて足底部、膝関節のみに異和感の限局と歩行後倦怠感のみとなり、経過良好のため外来通院とする。尚腹部症状なし。」と記述している(<書証番号略>)。

4  参考条項

(一) 「スモンの臨床診断指針」は、前記の必発症状に付加し、これと併せて診断上極めて大切であるとされるいくつかの参考条項を掲げている。そこで更に、本件疾患につき、右参考条項として掲げられた症状等が認められるか否かについて検討する。

(二) 下肢の深部知覚障害

人間の体性知覚は、表在知覚(触覚、痛覚、温度覚)、深部知覚(振動覚、関節覚、深部痛覚)及び複合知覚(二点識別覚、立体覚、左右同時刺激識別覚)に分類されるが、スモンでは、下肢の深部知覚の障害を呈することが多いとされている。前記認定のとおり、スモンにおける知覚障害の責任病巣の主座は脊髄の後索にあると解されているから、スモンに罹患した場合には、その患者の深部知覚が侵害されるのは当然である(<証拠略>参照。)。

しかるに、本件疾患について見るに、<証拠略>によれば、本件疾患の発症時及び原告の第一回入院時における原告の知覚障害は、皮膚の表面のしびれ感、すなわち表在知覚の障害だけであって、深部知覚は正常(+)であるとされている。更に、原告の第二回入院当日の昭和四三年四月八日及び第二回退院後一年以上を経過した昭和四四年一二月一一日当時においても、両下肢のしびれ感等はあるものの、知覚は(+)ないし正常であったとされているから、深部知覚も正常であったものと解される。そして、少なくとも原告が社会保険中央総合病院での診療を終了した昭和四五年二月二七日までの間に、原告に下肢の深部知覚障害が出現したことを認めるに足りる診断書ないし診療録等の証拠資料は存在しない。

(三) 運動障害

(1)  下肢の筋力低下

原告の第一回及び第二回各入院時の診療録(<書証番号略>)中の身体部位別現症記載欄を見ても、「一般状態」欄(この中には「筋肉」が含まれている。)には、ほぼ所見なし、又は所見なしとの記載があるのみであり、また、「四肢」の「運動障碍」欄及び「歩行」欄には、全く記載がない。しかし、前記の認定によれば、原告の第一回入院中、原告には下肢の倦怠感や軽度の歩行困難が見られたというのであるから、原告に下肢の筋力低下があったこと自体は否定することができないであろう。しかし、右記載状況や前記認定の事実関係からすれば、その筋力低下の程度は軽度のものにすぎなかったというべきであろう。

(2)  錐体路徴候

スモンに罹患すると、錐体路徴候(下肢腱反射の亢進、バビンスキー現象など)を呈することが多いとされている。前記認定のとおり、スモンにおける責任病巣の一つは脊髄の側索(錐体路)にあると解されているから、スモンに罹患すると、錐体路が侵害され、その結果、錐体路徴候を呈することが多いのは当然である。そして、<証拠略>によれば、スモンに罹患すると、その発症時ないし症状の進行時においても、かなりの患者(多い場合には八〇パーセント以上、少なくても五〇パーセント以上)に錐体路徴候としての膝蓋腱反射の亢進が出現し、更に、<証拠略>によれば、スモンの症状が慢性固定化した後においても、約七〇パーセントの患者に錐体路徴候としての膝蓋腱反射の亢進(そして、その多くの症例においてアキレス腱反射は減弱ないし消失する。)が出現することが認められ、これがスモンの鑑別診断のための重要症状の一つとされている。

ところで、本件疾患について見るに、<証拠略>によれば、原告の社会保険中央総合病院への入通院中の、原告における錐体路徴候の出現の有無に関する検査の結果は、次のとおりである。

昭和四二年六月一九日(第一回入院日)ごろ 膝蓋腱反射両側減弱、バビンスキー、オッペンハイム、チャドックの反射なし。

同年一〇月二日 膝蓋腱反射左減弱、右正常。

同月一三日 膝蓋腱反射左減弱、右軽度減弱。

昭和四三年四月八日(第二回入院日)ごろ 膝蓋腱反射両側減弱、アキレス腱反射減弱、バビンスキー、オッペンハイム、チャドックの反射なし。

同年九月二日 膝蓋腱反射両側軽度に出現。

昭和四四年一〇月九日 腱反射両側減弱。

同年一二月一一日 反射減弱。

以上のとおりであって、原告には、右入通院中、スモンにおける重要症状としての錐体路徴候は出現しなかったものというべきである。

(因みに、<証拠略>によれば、右のごとく、膝蓋腱反射及びアキレス腱反射が両側性に減弱ないし消失することは、末梢性の神経疾患である多発性神経炎(多発性ニューロパチー)に特有の症状の一つであることが認められる。)

(四) 上肢の知覚、運動障害

原告の社会保険中央総合病院への入通院中の診療録、看護記録等(<書証番号略>)を見ても、右入通院中の原告に、本件疾患の症状としての上肢の知覚、運動障害が出現したことを認めるに足りる記載は見当らない。もっとも、<証拠略>によれば、原告は、右病院へ第二回入院中の昭和四三年八月二日から同年九月一〇日までの間に六回にわたり、ルンバールによるヌトラーゼ(ビタミンB1)の髄腔内注入を受けたところ、四回目の髄腔内注入を受けた翌日の八月二九日に、左肘関節部に走行性の電撃様疼痛が生じるなど、上肢の疼痛が出現した旨の記載のあることが認められる。しかし、この上肢の疼痛は八月三〇日には軽減した旨の記載があるから、これはルンバールによって生じたものであって、本件疾患自体に基づく症状ではないと認めるのが相当と考えられる。なお、<証拠略>によれば、原告の社会保険横浜中央病院における昭和四六年九月七日付の本多医師の診断書においても、右日時現在原告には、上肢の知覚異常はない旨記載されている。

(五) 両側性視力障害、脳症状、精神症状、緑色舌苔、緑便、膀胱・直腸障害

原告の社会保険中央総合病院への入通院中の診療録、看護記録等(同前)を見ても、右入通院中の原告に、右のような諸症状が出現したことを認めるに足りる記載はない。却って、右入院中の診療録によれば、「眼」、「精神状態」については所見なしと記載されているし、「膀胱直腸障碍」については(一)と記載されている。また、舌苔については、前記認定のとおり、昭和四二年五月二〇日の初診時に厚い白苔が見られた旨診察されているが、その後これが変化した旨の記載はない。更に、原告は、昭和四二年五月三一日、同年六月二〇日及び昭和四三年五月一五日の三回にわたり糞便検査を受けているが、その際原告に緑便が見られた旨の記載はない。むしろ、原告の第二回退院後の通院中の診療録によれば、昭和四四年一二月一一日及び昭和四五年一月九日に白色便が見られた旨の記載がある。従って、原告の右病院への入通院中には、原告には右のような諸症状は出現しなかったものと解するのが相当である。

(六) 経過

本件疾患発現後の経過は、前記の第五で認定したとおりであって、本件疾患は、一見、遷延し、再燃を繰り返しているかのごとくに見える。しかし、それが単純に本件疾患自体の遷延、再燃であるというべきか否かは、必ずしも明らかではない。すなわち、後記認定のとおり、原告における症状の遷延、再燃については、原告の前記病院入通院中のプレンドニンその他の薬剤の服用等による影響も否定することができないし、また、その間に本件疾患とは別個の合併症等が発現している可能性も否定することができない。

従って、本件疾患発現後の前記認定の経過が本件疾患自体の遷延、再燃であるというべきか否かについては、専門家による慎重な調査、鑑別をまつほかない。

(七) 血液像、髄液所見

後記認定のとおり、原告は、本件疾患の発現後、社会保険中央総合病院において、何回かにわたり、各種の血液検査、血清免疫学的検査、血清脂質検査、糞便検査、尿検査を受けている。これらの検査が原告の血液像に関する検査として相当にして十分なものであったか否か、また、その結果をいかに評価すべきかについては、最終的には、医学の専門家による検討、鑑別をまつほかないが、一見、それほど著明な変化はなかったように考えられる。しかしながら、本件疾患の発現前における原告の血液像についての資料は全くないから、本件疾患の発現の前後における原告の血液像の正確な比較は困難であるし、また、ビタミンB12欠乏症(悪性貧血)の鑑別診断に必要な赤血球像についての検査もなされていない。更に、右各検査の結果についても、これを子細に検討すると、後記認定のとおり、種々の問題があるように考えられる。

一方、原告は、後記認定のとおり、昭和四三年七月二九日(但し、決定は同月三〇日)に髄液検査を受けているが、それは本件疾患の発症後一年一か月余を経過した後にはじめて実施されたものにすぎない。しかも、髄液検査はこの一回だけであって、それ以前にも、それ以後にも実施された形跡はない。そして、この一回限りの髄液検査においても、髄液の外観、比重、反応の検査と、ノンネアペルト、パンディの検査がなされただけである。従って、本件疾患の発症後一年一か月余の間における原告の髄液所見は不明というほかなく、この点には、後記考察のとおり、検討を要する問題が存在する。

5  以上に検討したところからすれば、本件疾患の症状、特に社会保険中央総合病院第一回入院中の症状は、「スモンの臨床診断指針」に掲記された必発症状についても、また、参考条項についても、これを十分に充足しているといえないばかりか、スモンの鑑別診断のための重要な症状において合致しない点がかなり多いといわざるを得ない。むしろ、本件疾患について出現した前記認定の内容及び程度の症状であれば、スモンの類似疾患の多くのもの(この中には、ビタミンB群の不足、欠乏ないしアルコールの摂取等に基づく脚気、ペラグラ、アルコール性ニューロパチー等の多発性神経炎や亜急性脊髄連合性変性症等も含まれる。)に共通して認められる症状にすぎないものということができる。しかも、もし本件疾患がスモンであったとすれば、スモンは、前記認定のとおり、脊髄、特にその後索、側索及び後角に病変の発現する中枢性の神経疾患というべきであるから、右のような脊髄病変に基づく深部知覚障害、錐体路徴候、膀胱直腸障害等の症状の一つ又は二つが出現するのが当然又は通常ではないかと考えられるにもかかわらず、右のような症状は、少なくとも社会保険中央総合病院への入通院中の原告には全く出現していないのである。そうすると、前記認定の内容及び程度の症状しか認められない本件疾患について、これがスモンであって、それ以外の疾患ではないと診断することはよほど慎重でなければならず、これを肯定するためには十分な鑑別診断を必要とするものと解すべきである。

三  キノホルム以外の原因又はスモン以外の疾患の可能性

1  右二で認定、考察したところから明らかなごとく、本件疾患の症状は「スモンの臨床診断指針」に列挙された臨床症状を十分に充足しているとはいえないばかりでなく、本件疾患について出現した内容及び程度の症状は、スモンの類似疾患認定のための前記第二の三1に掲記の各証拠に照らし、スモンの類似疾患の多くのものにも共通して見られる症状であって、本件疾患が脚気、アルコール性ニューロパチー等の多発性神経炎や亜急性脊髄連合性変性症等であったとしても格別に矛盾するものとはいえない。そこで、以下、本件の証拠に照らし、本件疾患についてキノホルム以外の原因又はスモン以外の疾患の可能性が考えられないか否かについて検討する。

2  スモン以外の代謝障害ないし栄養障害

(一) 前記の第五で認定したところからすれば、原告は、昭和四一年春ごろからそば店の責任者として勤務していたものであるところ、仕事の責任が重大であるばかりでなく、きわめて多忙で勤務時間も長かったことから、無理を重ねて、過労と睡眠不足に陥り、夜眠るためには酒を飲まなければならず、酒を飲まなければ眠れないという日々が続いたため、胃腸の調子が悪くなり、昭和四一年七月ごろから慢性の胃腸炎に罹り、その後社会保険中央総合病院で初診を受けた昭和四二年五月ごろまでの間、週に二、三回の割合で断続的に神経性の下痢をするという状態が続き、体もやせていったというのであるから、その結果、原告に、主要栄養素、特に各種ビタミン(その中でも、特に水溶性ビタミンであるビタミンB群やビタミンC等)の不足、欠乏が生じた可能性は十分にあると考えられる(<証拠略>参照。)。

(二) しかも、胃、腸、肝臓等の臓器は、各種ビタミンの吸収、代謝、貯蔵等のための重要な臓器であって、これらの臓器に疾患があると各種ビタミンの不足、欠乏が生じ得る(例えば、胃に疾患があると、胃粘膜から分泌される内因子が不足、欠乏し、ビタミンB12の吸収が困難ないし不可能となることがあるし、腸に疾患があると、腸内細菌叢によって行われるビタミンの合成が阻害されたり、菌交代症のためにビタミンの異常破壊が生じたりすることがある。また、肝臓に疾患があると、各種ビタミンの正常な貯蔵、代謝が阻害される。<証拠略>参照。)ところ、前記の第五で認定したとおり、原告は昭和四二年五月二〇日、社会保険中央総合病院で初診を受けた際に、すでに、慢性胃腸炎(又は慢性腸炎)に罹患しており、心窩部(胃、十二指腸等の存在部位)及び回腸末端部ないしS字状結腸部に圧痛が認められるとともに、肝臓にも3/2横指の腫大ないし肥大がある旨診断されているのである。そうすると、原告は、右病院での右初診当時、従って、右病院でエマホルム等の投与を受ける以前に、すでに各種ビタミン(特にビタミンB群やC等)の不足、欠乏した状態が生じていた可能性のあることを否定することができない。

(三) 更に、前記の第五で認定したとおり、原告は、社会保険中央総合病院への第一回入院中に、かなり多種、多量の各種ビタミン剤(特にビタミンB群及びビタミンCの製剤)の投与、すなわち、ネオラミン(B1)、ハイコバール(B12)、アリナミンF(B1)ベストン(B1)、ビタノイリン(B1、B6、B12混合)の注射及びドセラン(B12)、ビドキサール(B6)、シナール(C)、ビタミンB2、アリナミン(B1)、ハイコバール(B12)の内服によって、その神経症状が漸次好転し、約一か月間で、異和感(しびれ感)が足底部、膝関節のみに限局し、軽度の倦怠感、疲労感を残すだけとなり、経過良好として、二か月足らずで退院しているのであるから、原告は、右入院当時、各種ビタミンの不足、欠乏の状態にあったと推定しても、格別に不自然、不合理であるとはいいがたい。

(四) ところで、原告は、前記認定のとおり、右病院での初診時に栄養状態は良好である旨の診断を受けている。しかしながら、右診断は単なる外観診断によるものであり、かつ、原告が、右初診時にも、その後においても、各種ビタミンに関する定量検査や骨髄穿刺検査、胃液検査、シーリング試験等を受けていないことは、後記認定のとおりであるから、原告が右病院での初診時に右のような診断を受けているとの一事だけで、その当時原告には各種ビタミンの不足、欠乏状態は生じていなかったと速断することは困難である。従って、栄養状態良好との右診断も、それだけでは、前記の各判断を左右するものとはいえない(なお、<証拠略>によれば、問題の患者の入院時の身体状態が「栄養良」と診断されているにもかかわらず、各種検査の結果、著明な索性脊髄症を呈し、一時的にはスモン類似の亜急性脳脊髄神経炎症の病像を示した悪性貧血の症例のあることが報告されている。)。

(五) また、前記の第五で認定したとおり、原告は、酒が好きである(酒量は、三、四合)とともに、昭和四一年にそば店に勤務するようになってからは、夜眠るためには飲酒しなければならず、飲酒しなければ眠れない状態となり、しかも、同時に喫煙(一日一五本)をも続けていたというのであるから、このような飲酒、喫煙の継続は、前記の各種ビタミンの不足、欠乏と相まって、原告にアルコール性ニューロパチー等が出現する原因となった可能性の存在することも否定することができない(<証拠略>によれば、アルコール性ニューロパチーは、慢性アルコール中毒患者に多く出現するが、アルコール中毒自体との関係は必ずしも明らかでなく、むしろ、栄養障害との関係が強く、下痢が長期間続き、栄養素としてのビタミンB1の吸収不足が生じたときなどに、アルコールの摂取量、飲酒期間、年齢等とは無関係に出現するとされている。)。

(六) しかも<証拠略>によって認められる、ビタミンB1、B2、ニコチン酸等の不足、欠乏を原因とする脚気、ペラグラ、アルコール性ニューロパチー等の多発性神経炎やビタミンB12、葉酸等の不足、欠乏を原因とする亜急性脊髄連合性変性症の発現の経過やその症状等と、前記認定の本件疾患の発現の経過やその症状等とを対比、照合して考察すると、本件疾患がスモンではなくして、右に挙げたような多発性神経炎や亜急性脊髄連合性変性症であったとしても、格別に矛盾するものではない。因みに、<証拠略>によれば、宮崎元滋は、スモンにまぎらわしい疾患の一つとして多発性神経炎を挙げるとともに、栄養障害による多発性神経炎の一症例について説明したうえ、その患者の疾患をスモンではなく、栄養障害による多発性神経炎と診断した理由として、「この症例は、下肢の深部知覚障害を欠如するのみならず、膝蓋腱反射の亢進もなく、眼症も全くみられなかった点、スモンと異なり、ビタミン剤により症状の軽快をみとめている」ことを挙げているが、この症例における疾患発現の経過、その症状及びその推移は、本件疾患の発現の経過、その症状及びその推移と多分に類似していることが注目される。

(七) なお、原告は、当審第二回本人尋問において、同人はこれまでに貧血という診断を受けたこともなければ、そのように感じたこともない旨供述しており<証拠略>によって認められる、原告の社会保険中央総合病院入院中の昭和四二年六月二〇日、昭和四三年四月九日及び同年五月一五日になされた血液検査の結果を見ても、原告が格別の貧血状態にあったことを認めるに足りる資料はない。しかしながら、<証拠略>によれば、ビタミンB12等の不足、欠乏を原因とする亜急性脊髄連合性変性症においては、その神経障害の程度は必ずしも貧血の程度と並行せず、貧血が軽度であるか、又は貧血が全く見られないにもかかわらず、神経症状の発現が顕著である場合も少なくないとされており、しかも、そのような症例こそがスモンとの鑑別がまぎらわしく、そのような症例の鑑別診断には注意を要するとされているのである。従って、原告に格別の貧血状態が認められなかったとしても、そのことだけで、本件疾患が亜急性脊髄連合性変性症である可能性を否定することはできない。

(八) 以上に検討したところを総合して判断すると、本件疾患は、その発現の経緯、その症状及びその後における治療の経過等からして、スモン以外の栄養障害を原因とする疾患、特に各種ビタミンの不足、欠乏を原因とする脚気、ペラグラ、アルコール性ニューロパチー等の多発性神経炎や亜急性脊髄連合性変性症であった可能性も十分にあるのであり、これを否定するためには、詳細かつ慎重な鑑別診断を行う必要があったというべきである。

3  脊髄前柱細胞の障害

(一) <証拠略>によれば、原告は、社会保険中央総合病院への第一回入院中の昭和四二年七月一二日及び同年八月九日並びに同病院への第二回入院中の昭和四三年四月一〇日及び同年七月一〇日の四回にわたり、高振幅神経筋電位測定のための筋電図検査を受けたところ、昭和四二年八月九日の検査を除く、他の三回の検査において、いずれも大きい波形の高振幅電位が記録され、原告には、脊髄前柱細胞の障害のあることが考えられる旨の診断を受けていることが認められる。しかしながら、右証拠及びその余の証拠を精査しても、このような脊髄前柱細胞の障害がいかなる疾患ないし原因によって発生したものであるか、また、その障害がいかなる程度のものであったかなどについては、十分に検討された形跡がない。

(二) ところで、スモンは、前記認定のとおり、脊髄の後索、側索及び後角に主たる病変の生じる中枢性の神経疾患ではあるが、脊髄の前柱(前角ともいう。)にまで主たる病変の生じる疾患であるとはいえない。すなわち、<証拠略>によれば、スモンの患者の中にも、筋電図検査の結果、高振幅電位が記録され、その脊髄前柱細胞に障害の存在する者のあることが認められるけれども、それはむしろ例外的な症例であるとともに、その障害の程度も比較的に軽度であり、脊髄前柱細胞の障害がスモンにおける特異的な障害であるということはできない。しかも、<証拠略>によれば、本来末梢性の神経疾患である脚気、ペラグラ、アルコール性ニューロパチー等の多発性神経炎においても、脊髄前柱細胞に障害(変性)の生じる症例のあることが認められるとともに、<証拠略>によれば、脊髄前柱細胞(前角細胞)に障害の生じる典型的な疾患としては、急性灰白髄炎(急性脊髄前角炎)や筋萎縮性側索硬化症等の存在することが認められる。そうすると、社会保険中央総合病院における筋電図検査の結果、原告に前記のような高振幅電位が記録され、脊髄前柱細胞の障害のあることが疑われた場合には、更に詳細な臨床検査等を行って、その障害がいかなる疾患ないし原因によって発生したものであるのか、また、その障害がいかなる程度のものであるのかなどの点を、十分に調査、検討する必要があったものというべきであろう。しかるに、前記認定のとおり、これらの点についての十分な調査、検討はなされていない。

(三) 更に付言するに、スモンは、前記認定のとおり、代謝障害ないし中毒性の疾患であり、従って、<証拠略>によっても認められるごとく、発熱ないし感冒様の症状が前駆することはほとんどないとされているのに対し、<証拠略>によれば、急性灰白髄炎は、感染性の疾患であって、発症時に、発熱、頭痛、倦怠感等の感冒様症状の前駆するのが一つの特徴とされていることが認められる。ところで、本件疾患の発現時の状況について見るに、前記第五の一において認定したとおり、原告は、昭和四二年六月一五日の本件疾患の発現時に、呼吸が速迫し、両足が冷え冷えとして、感冒(流感)に罹ったような症状を覚えたことが認められるとともに、<証拠略>によれば、原告の社会保険中央総合病院への第一回入院時の入院診療録、看護記録や経過要約の中にも、本件疾患の発現時には原告に感冒(流感)様の症状があったこと、昭和四二年六月一九日及び二〇日の右入院当初においても、原告が風邪気味で、全身熱感、頭痛感、倦怠感等を訴えたことが記載されているのを認めることができる。しかも、本件疾患に関する前記認定のその余の症状やその推移を見ても、<証拠略>によって認められる急性灰白髄炎の症状ないしその推移に照らして、格別矛盾するところはない。そうすると、本件疾患については、前記認定の筋電図検査の結果と相まち、急性灰白髄炎又はそれに類似の疾患ではなかったかとの疑いをもにわかに否定することはできない(因みに、<証拠略>によれば、急性灰白髄炎は、スモンと同様、通常、腹部症状と神経症状とを呈する疾患であって、スモンの類似疾患の一つに挙げられている。)。従って、これを否定するためには、詳細かつ慎重な鑑別診断を実施する必要があったものというべきであるが、本件の全証拠によっても、そのような鑑別診断の実施された形跡は認められない。

4  キノホルム以外の薬剤投与等の影響

(一) <証拠略>によれば、原告は、昭和四二年五月二〇日に社会保険中央総合病院において初診を受けて以来、二回の入院及びその前後の通院を経て、昭和四五年二月二七日に右病院での診療を終了するまでの期間中に、本件で問題になっているエマホルム(キノホルム製剤)以外にも、実に多種、多量の薬剤を、内服、注射、更に髄腔内注入の方法によって投与されていることが認められる。そして、その薬剤は、前記第五の二で認定、列挙したとおり、無慮六〇種類以上にも上るとともに、常に数種の薬剤が同時に内服、注射等によって併合投与されていることが認められる。そこで、右病院においてなされた原告に対するこれらの薬剤の投与と、本件疾患の発現ないしその発現後の症状の推移との間に何らかの因果関係が認められるか否かについては薬学ないし医学上の専門的な見地から、十分な検討、究明をなすべき必要があったものと考えられる。けだし、一般に薬剤は、人体にとっては、多かれ少なかれ、薬物であると同時に毒物であり、効能の高い薬剤ほど毒性も強いといわれているから、特定の疾患の治療のために使用された薬剤の種類、性質、その投与量、投与方法、その薬剤の副作用や併用薬剤との相互干渉、投与中止後の反跳現象等は、常に人体に対し何らかの影響を及ぼす可能性を有しているからである。しかるに、本件においては、右因果関係の存否について、専門家による十分な検討、究明がなされていない。従って、このような状況のもとにおいては、本件疾患につきキノホルム以外の原因が除外されると断定することは困難というべきであろう。そして、右病院での原告に対する薬剤の投与に関して特に問題になり得ると思料される二、三の点を指摘すると、次のとおりである。

(二) プレドニンの長期投与

(1)  <証拠略>によれば、プレドニン(プレドニゾロン)は、副腎皮質ホルモン剤(副腎皮質ステロイド剤)の一種であって、抗炎症作用、抗体産生抑制作用等の薬効が顕著であるため、スモン、特にその腹部症状に対する治療薬として有効であるとの見解がかなり早くからあった反面、後記認定のとおり、その副作用等が多方面にわたり、かつ、強いことでも有名であるため、スモンの治療薬としての使用を否定する見解も少なくなく、また、前者の見解に立つ者でも、その使用による副作用等の出現には十分に注意しなければならないとしていることが認められる。そして、右各証拠によれば、その副作用は、副腎皮質の萎縮、感染症の増悪、誘発、消化性潰瘍、骨粗鬆症、動脈硬化、血管障害の発生、視力の低下、体重の増加、筋肉痛、関節痛、筋萎縮、筋脱力の出現等の多方面にわたるとともに、その長期投薬(一週間ないし二週間以上の投薬)後の中止又は減量による反跳現象ないし離脱症状(投薬前又は投薬中よりも症状が悪化することなどをいう。)が出現することも認められる(なお、副腎皮質ホルモン剤にこのような副作用等があることは、当裁判所に顕著でもある。)。そこで、<証拠略>によれば、スモンに対するプレドニン等副腎皮質ホルモン剤の使用は、スモン発症の初期又は再燃期に限定されるべきであって、その慢性期(固定期)にこれを使用することを推奨する者はいないとされるとともに、<証拠略>によれば、スモン調査研究班が昭和五三年度に行った「スモン後遺症の薬物治療」に関するプロジェクト研究の結果報告においても、スモンに対する副腎皮質ホルモン剤の一般的使用期間は二週間ないし一か月とされていることが認められる。従って、プレドニンは、スモン又はその類似疾患の治療薬としてこれを使用する場合においては、その使用時期、使用方法、使用量及びその副作用等の出現の有無に十分に注意する必要があるとともに、その長期使用、特に対象疾患の慢性期(固定期)における使用については厳戒する必要があるといわなければならない。

(2)  そこで、本件疾患に対するプレドニンの使用状況について見るに、<証拠略>によれば、本件疾患に対するプレドニンの一日当りの使用量は、五ミリグラムないし二〇ミリグラムであって、比較的少量ではあるが、その使用期間は、昭和四二年六月一七日から昭和四三年四月一八日までの一〇か月間にわたり(但し、昭和四二年七月二一日及び同年八月四日から各一週間と同年九月一八日から三五日間は投与が中止されている。)、しかも、その間(但し、右中止期間を除く。)連日投与されているのみならず、重複投与された場合(先に投与された薬剤の服用期間がいまだ終了していないにもかかわらず、次回分の薬剤を重ねて投与した場合を指す。)もあって、右全期間中に原告に交付されたプレドニンは延べ二九三日分にも達している。更に、その間、原告には、プレドニン以外の薬剤も多種、多量に投与されているのである。そこで、プレドニンのこのような使用状況を見ると、かなりの長期間にわたる使用になるとともに、もし本件疾患がスモンのごとき急性又は亜急性の疾患であったとすれば、その疾患が慢性期(固定期)に入った後においても使用されたことになるといわざるを得ない。

(3)  ところで、<証拠略>によれば、原告の社会保険中央総合病院への第一回入院中における本件疾患の治癒の経過は良好であって、昭和四二年八月一四日には退院して、外来通院となり、その後も二か月間余りは経過良好と見られていたが、同年一〇月下旬ごろから、再び下肢のしびれ感、倦怠感が強くなり、同年一一月上旬には下痢、腹痛が生じ、同年一二月中旬及び昭和四三年二月下旬には風邪で発熱するなどのことも重なって、症状が次第に悪化し、昭和四三年四月八日から再び入院することになったこと、そして、この症状の悪化の時期は、右に認定した原告に対するプレドニンの投与期間の後半期とほぼ一致していることが認められる。また、右各証拠によれば、原告が右病院への第一回入院当初の昭和四二年六月二〇日に受けた血液検査(1) 及び(3) では、赤血球数が四五三万個、白血球数が七一〇〇個であり、赤血球沈降速度が一時間値三ミリメートル、二時間値一〇ミリメートルであったのに対し、第二回入院後の昭和四三年五月一五日に受けた血液検査(1) 及び(3) では、赤血球数が四〇一万個、白血球数が九〇〇〇個であり、赤血球沈降速度が一時間値一四ミリメートル、二時間値三一ミリメートルとなって、いずれもかなり変化(悪化)していること、第一回入院前後の昭和四二年五月三一日及び同年六月二〇日に受けた糞便検査では、潜血反応が陰性であったのに対し、第二回入院後の昭和四三年五月一五日に受けた糞便検査では、潜血反応が陽性となっていること、更に、原告の体重は、第一回入院当初には五二キログラムであったのが、第二回入院時には五五キログラムとなり、第二回退院時には五七、八キログラムにまで増加していることが認められる。これらの原告の症状の悪化等が、原告に対するプレドニンの長期投与によるものであるか、その他の原因によるものであるかは軽々に判断することはできず、医学ないし薬学の専門家による慎重な検討を要する問題というべきではあるが、プレドニンには、前記認定のとおりの種々の注目すべき副作用や反跳現象、離脱症状が見られることからすれば、原告の右症状の悪化等には、プレドニンの長期投与も直接又は間接に何らかの影響を及ぼしているのではないかとの疑問が生じるのを禁じ得ない。そして、本件においては、この疑問を解消するに足りる証拠資料は存在しない。

(三) 各種薬剤の重複投与ないし過剰投与

(1)  原告は、社会保険中央総合病院への入通院中に、エマホルムやプレドニンのほかにも、実に多種、多量の薬剤の投与を受けており、その適否が問題になり得ることは、前記認定のとおりであるが、特に指摘しなければならないのは、薬剤の重複投与の問題である。すなわち、<証拠略>によれば、原告は、右病院への入通院中に、何回かにわたり、先に投与された薬剤の服用期間がいまだ終了していないにもかかわらず、次回分の薬剤(なお、この薬剤の中には、先に投与された薬剤と同種ものもあれば、異種のものもある。)を重ねて投与されているが、特に、第一回退院日の昭和四二年八月一四日から第二回入院日の昭和四三年四月八日までの二三七日間には、少なくとも延べ三〇〇日分以上の多種、多量の薬剤(但し、プレドニンについては、延べ二三一日分)の投与を受けていることが認められる。従って、もし原告が右期間中に右病院から投与された薬剤を現実に全部服用していたとすれば、明らかに過剰服用になるものと考えられるが、原告がこれを現実にどのように服用していたかについては、これを確認するに足りる資料がない。しかし、前記認定のとおり、右期間中に原告の症状が悪化していることを考えると、この間における薬剤の重複投与の問題を無視することはできない。

(2)  なお、<証拠略>によれば、原告は、右に述べた第一回退院時から第二回入院時までの間に下痢をしたが(原告が平成二年四月五日付で当審に提出した上申書によれば、その時期は昭和四三年一月下旬か二月の寒いころとなっている。)、仕事が忙しくて病院へ行く暇がなかったので、薬局で下痢止めの売薬複合ワカマツ三瓶位を買い求めて、これを服用した旨述べている。ところで、原告が右のころ病院へ行く暇がなかったという点がそのとおりに信用しがたいことは、前記認定のとおりであるが、その点はさて措き、もし原告が右のころ病院から投与された前記のごとき多種、多量の薬剤を服用したほかに、右のような売薬まで買い求めて、これをも服用していたとすれば、原告における薬剤の過剰服用の弊害はますます問題になり得るといわざるを得ない。

(四) ヌトラーゼの髄腔内注入

(1)  <証拠略>によれば、原告は、社会保険中央総合病院への第二回入院中に、まず昭和四三年七月二九日(但し、決定は同月三〇日)にルンバール(腰椎穿刺)による髄液検査(なお、その結果は、初圧一四〇ミリメートル、終圧一一〇ミリメートルで、血液の混入はなく、外観は透明であったが、ノンネ・アベルト反応及びバンデイ反応(いずれもグロブリン反応)は(±)であった。)を受けたうえ、同年八月二日、六日、一四日、二八日、九月三日、一〇日の六回にわたり、ルンバールによるヌトラーゼ(ビタミンB1・B1誘導体)の髄腔内注入(その量は、第一回目が二〇ミリグラムで、第二回目以降はいずれも四〇ミリグラムであった。)を受けていることが認められる。

(2)  ところで、本件疾患が仮にスモンであったとしても、ストラーゼの髄腔内注入療法がスモンの治療法として有効な方法であったか否かについては問題があるが<証拠略>によれば、補酵素型ビタミンB12の髄腔内注入療法については、それがスモンの治療法として一つの有効な方法であるとの見解があり、現実にもかなり実施されたことが認められるが、ヌトラーゼの髄腔内注入療法については、本件の全証拠を検討しても、それがスモンに有効な治療法であるとして、これを推奨した見解は見当らない。)、それはさて措き、<証拠略>によれば、補酵素型ビタミンB12の髄腔内注入を含め、一般に薬剤の髄腔内注入は、時として癒着生蜘蛛膜炎、脊髄障害、非細菌性髄膜炎等の副作用を惹起するおそれがあるので、濫りに実施すべきではないとされている。そして、スモンの治療法として一つの有効な方法であるとされる補酵素型ビタミンB12の髄腔内注入についても、<証拠略>によれば、右京成夫は、第一回目の注入が最も効果的で、反復するほど効果が落ちる傾向があるとし、楠井賢造は、症状の改善状態を見ながら、三か月から六か月に一回、原則として三回行うのがよいとしている(なお、右両名ともに、神経症状(知覚障害)が足関節部以下に限局している場合には、その効果が認められないとしている。)。従って、ヌトラーゼの髄腔内注入療法が本件疾患の治療法として一つの有効な方法であったとしても、十分に慎重に行う必要があったというべきである。

(3)  ところで、右に認定したところによれば、本件疾患に対するヌトラーゼの髄腔内注入は、四〇日の短期間内に六回も実施されている。また、<証拠略>によって認められる第二回入院中の看護記録によれば、右髄腔内注入については、第一回から第三回目での各注入後に、腰痛、頭重感、全身ないし下肢の倦怠感等が認められ、第四回の注入後には、腰痛のほかに、それまでに認められなかった上肢ないし左肘関節部の電撃様の疼痛が認められ、更に、第五回及び第六回の各注入後には、歩行時等にルンバール部位の疼痛が認められ、気分不良であったなどと記録されている。(なお、原告が平成二年四月五日受付で当審に提出した上申書にも、右ヌトラーゼの髄腔内注入は最初は効果があったと思うが、最後には逆にしびれがもとのようになり、担当医師も、右注入を続行しなければよかった、ルンバールを中止して、しばらく様子を見ようと述べた旨記述されている。)そうすると、右ヌトラーゼの髄腔内注入療法が本件疾患の治療法として有効な方法であったか否か、その施行時期、回数、方法ないし結果に問題はなかったか、特にその施行が本件疾患の症状のその後の推移に悪影響を及ぼすことはなかったかなどの疑問が生じるのであるが、これらの疑問を解明するに足りる証拠資料は存在しない。

四  臨床検査の当否

1  前記の認定から明らかなとおり、本件疾患は、その症状が「スモンの臨床診断指針」に掲記された症状等を十分に充足していないばかりでなく、スモン以外の疾患である可能性も十分にあり、また、本件疾患の発現の原因ないしその症状の悪化の原因としても、キノホルム以外の原因が十分に考えられる。従って、本件疾患がスモンであると断定するためには、詳細かつ慎重な鑑別診断を実施する必要があったものというべきである。そこで、原告が本件疾患につき最初に診断、治療を受けた社会保険中央総合病院において、それに必要にして十分な臨床検査等が行われたか否かについて検討する。

2  右病院で実施された臨床検査

<証拠略>によれば、原告の右病院への入通院中に同病院で実施された臨床検査は、次のとおりである。

(一) 第一回入院前

昭和四二年五月三一日 糞便検査(寄生虫、潜血反応)

同年六月一七日 血清免疫学的検査(ORP、ASLO、RAテスト)

(二) 第一回入院中

昭和四二年六月二〇日 血液検査(1) (血色素量、赤血球数、色素指数、ヘマトクリット値、白血球数、白血球像)、血液検査(2) (電解質、血清ムコ蛋白)、血液検査(3) (赤血球沈降速度)、血清脂質検査(総コレステロール値、血清クロロホルム反応、血清蛋白リポ蛋白分析)、尿検査(反応、比重、蛋白質、ビリルビン、ウロビリン、ウロビリノーゲン、糖、沈渣)、糞便検査(前同)

同年七月一二日 筋電図検査(高振幅神経筋電位)

同月二五日 血液検査(2) (血清ムコ蛋白)、血清免疫学的検査(前同)

同年八月九日 筋電図検査(前同)

(三) 第二回入院中

昭和四三年四月九日 血液検査(1) (前同)、血清免疫学的検査(前同)、尿検査(反応、比重、蛋白質、糖、沈渣)

同月一〇日 筋電図検査(前同)

同年五月一五日 血液検査(1) (前同)、血液検査(3) (前同)、血清脂質検査(血清蛋白分析)、血清免疫学的検査(ORP、RAテスト)、糞便検査(潜血反応)

同年七月一〇日 筋電図検査(前同)

同月二九日 穿刺液検査

同月三〇日 髄液検査(反応、比重、ノンネ・アベルト、パンデイ)

(四) 第二回退院後

昭和四四年三月三一日 胃レントゲン検査(間接撮影)

3  臨床検査等に関する疑問

(一) 本件疾患の診断及び治療に関し、右病院で実施された前記の各臨床検査が、その時期、種類、内容等において、必要にして十分なものであったか否か、また、右診断にとって、右各臨床検査の結果がどのような意味ないし価値を有するものであったかなどの点については、最終的には、医学の専門家による検討、判断をまつほかない。しかしながら、前記の第二ないし第四で認定、考察したところと、第五の一及び二で認定した事実関係に照らして考えると、右各臨床検査の時期、種類、内容等に関しては、医学の専門外の者にとっても、次に述べるとおり、いくつかの疑問が生じるのを禁じがたい。

(二) 本件疾患の病名診断と臨床検査等

前記第三の三で認定、考察したとおり、いかなる疾患であっても、その種類、内容、従ってその病名についての正確な診断を行うためには、その疾患の原因的事項(この中には、患者の既往歴、家族歴等も含まれる。)及び主要自覚症状等を知るための問診、その疾患に関する主要他覚所見等を知るための診察のほかに、診察後における主要症状の推移、治療の経過等を見るための経過観察及びその疾患の発現部位、原因、症状の特徴等を客観的に把握するための各種臨床検査を行う必要があるとされているが、前記の第二ないし第四で認定したとおり、類似疾患及びその原因が多種、多様で、しかも、その類似疾患との鑑別診断が困難なスモンの病名診断においては、このことが特に強調されなければならない。従って、本件疾患の病名の診断に当っても、その結論を出すまでには、原告に対して詳細な問診、診察を行う必要があるのはもとより、右に述べたような経過観察及び各種臨床検査を十分に行い、それらの結果を総合検討する必要があったものというべきであろう。

ところで、本件疾患の病名についてなされた最初の診断について見るに、<証拠略>によれば、原告は、昭和四二年六月一七日、本件疾患に基づくものと考えられる神経症状等の発現後としては最初に、社会保険中央総合病院で診察を受けたところ、同病院で原告を診察した銅直医師は、即日、本件疾患の病名が腹部症状を伴った脊髄炎症(スモンと同意義、銅直医師も、当時、スモンの病名をこのように表現していた。)である旨診断している。そして、同医師は、同日、原告に対し、同月一九日から同病院に入院するよう指示している。

しかしながら、銅直医師による右診断の経過からすると、右診断の時点においては、本件疾患、特にその神経症状についての経過観察が全く行われていないことは明らかであるし、また、右診断の前に行われた臨床検査としても、昭和四二年五月三一日に行われた糞便検査(寄生虫、潜血反応)及び右診断当日の同年六月一七日に行われた血清免疫学的検査(ORP、ASLO、RAテスト)があるのみである(なお、これらの検査の結果がいつ判明したかも不明である。)。そうすると、銅直医師としては、原告における本件疾患の発症後、原告に対する一回限りの問診、診察と右二つの臨床検査を行っただけで、その余の臨床検査や本件疾患、特にその神経症状についての経過観察は全く行わないまま、本件疾患の病名を腹部症状を伴った脊髄炎症、すなわちスモンと診断したものと認められるが、果してこれだけの診断資料で、本件疾患につき、多数の類似疾患を除外して、これをスモンと診断することが可能であったのであろうか。また、類似疾患除外の理由は、これを具体的に説明することができるのであろうか。更に、これだけの診断資料で、どうして急いで即日本件疾患の病名がスモンであるとの診断を下したのであろうか。前記の第二ないし第四で認定、考察したところに照らして考えると、右診断については右のような疑問が生じるのを禁じ得ない。しかるに、右各証拠をはじめ、その余の本件全証拠を検討しても、右疑問を解消するに足りる証拠は存在しない。また、右各証拠を検討しても、原告が右指示に従い昭和四二年六月一九日以降右病院に入院した後においても、その入院後に実施された本件疾患についての経過観察や各種の臨床検査の結果等をも総合勘案して、銅直医師による右病名診断の当否を十分に再検討した形跡を認めることはできない。

(三) 髄液検査について

<証拠略>によれば、次の事実が認められる。すなわち、髄液検査は、神経疾患、特に中枢性の神経疾患については、その診断、治療及び予後の判定上、極めて重要な検査の一つであるとされている。スモンも、前記認定のとおり、中枢性神経疾患の一つと解すべきであるが、「スモンの臨床診断指針」の参考条項でも指摘されているとおり、その髄液所見に著明な変化がないことを一つの特徴とする神経疾患というべきである。しかし、その類似疾患とされる神経疾患の中には、亜急性脊髄連合性変性症(ビタミンB12欠乏症)、ギラン・バレー症候群、多発性硬化症、急性灰白髄炎等、その発症時等に特異な髄液所見の認められる疾患も多いのであるから、スモンとこれらの類似疾患とを鑑別するためには、髄液検査は必須の検査であったというべきである。しかも、スモンその他、急性又は亜急性に発症する神経疾患については、これらの各疾患に特異な髄液所見は、その疾患の発症時からその神経症状が完成ないし固定するまでの間に認められることが多いのであるから、これら疾患の鑑別のための髄液検査は、右期間内に、かつ、疾患によっては、その間に所要回数を反復して実施する必要があるのであって、その神経症状が完成ないし固定した後に、はじめてその検査を実施しても、あまり意味がないとされている。以上の事実が認められる。

そこで、本件について見るに、本件疾患についての髄液検査は、前記認定のとおり、昭和四三年七月二九日(但し、決定は同月三〇日)に髄液を採取して実施されているが、髄液検査はこの一回だけであって、それ以前にも、それ以後にも実施された形跡はない。そうすると、右髄液検査自体の方法及び内容が相当なものであったか否かはともかく、本件疾患の発症後一年一か月余を経過した後にはじめて実施されたものにすぎないから、もし本件疾患がスモンのごとき急性又は亜急性の疾患であったとすれば、右髄液検査は、本件疾患がすでに慢性期(固定期)に入った後に実施されたものにすぎない。そうすると、右髄液検査はその実施の時期を失したものであって、その検査の結果は、本件疾患の鑑別診断の資料としてはも早あまり意味のないものにすぎなかったといわざるを得ないのではなかろうか。

(四) 腹部疾患に関する検査について

「スモンの臨床診断指針」によれば、腹部症状と神経症状とはいずれもスモンの必発症状であるとされているが(但し、前記認定のとおり、腹部症状はスモンの必発症状から除いた方がよいとする見解も一部にないわけではない。)、しかし、腹部症状と神経症状とが同時に又は相前後して発現する疾患がスモン以外にも多数存在することは、前記認定のとおりである。また、本件疾患に関する前記認定の事実関係から見て、本件疾患につきスモンか否かの鑑別診断が問題となり得る類似疾患、すなわち代謝障害ないし栄養障害性疾患としての脚気、ペラグラ、アルコール性ニユーロパチー又は亜急性脊髄連合性変性症や、感染性疾患としての急性灰白髄炎等がいずれも通常は腹部症状と神経症状とを共に呈する疾患であることも、前記認定のとおりである。

ところで、<証拠略>によれば、これらの疾患、特に代謝障害ないし栄養障害性の疾患においては、腹部疾患と神経障害とは、密接な相関関係を有しており、前者が後者の重要な原因となり得ることが認められるから、特定の患者に出現した神経障害がいかなる神経疾患に基づいて出現したものであるかを的確に診断するためには、その患者の腹部疾患の病変部位、内容、性質、程度等を詳細に調査、検討する必要があるといわなければならない。

そこで、本件疾患について見るに、前記の第五及び第六の二で認定したところからすれば、原告は、昭和四一年七月ごろから、慢性の胃腸炎(又は腸炎)に罹り、週二、三回の割合で下痢が続いていたこと、昭和四二年五月二〇日に社会保険中央総合病院で初診を受けた際にも、下痢と腹痛、特に心窩部と回腸末端部からS字状結腸部にかけての圧痛があるとともに、舌には厚い白苔があり、肝臓には3/2横指の腫大ないし肥大があるとして、慢性胃腸炎(又は慢性腸炎)であるとの診断を受けていること、更に本件疾患の発症後の同年六月一七日に右病院で診察を受けた際にも、右と同様に、心窩部と回腸末端部ないしS字状結腸部とに圧痛があったことなどが認められるのであるから、このような場合には、更に、原告の右腹部疾患がいかなる種類、内容、性質、程度の疾患であるかを詳細に検査するとともに、その腹部疾患と本件疾患、特にその神経症状との因果関係を十分に究明する必要があったものというべきではなかろうか。そして、そのためには、前記認定の各臨床検査のほかにも、胃液、十二指腸液の検査、胃部、腸部その他のレントゲン検査、内視鏡検査、細菌、ウイルス等の検査を実施し、更に必要があれば、胃部、腸部その他の組織、細胞検査や各種吸収試験等をも実施しなければならなかったというべきではなかろうか。しかるに、原告の右病院入通院中には、昭和四四年三月三一日に胃のレントゲン検査がなされたほかには、右のような検査が実施されたことを認めるに足りる証拠はない。

(五) 各種ビタミンの不足、欠乏に関する検査について

<証拠略>によれば、各種ビタミンは、三大栄養素である炭水化物(糖質)、脂肪(脂質)、蛋白質とは異なるものの、生体内の代謝及び生理機能に触媒的に作用することによって、生体の発育、成長や健康の維持に重要、不可欠な役割を果している有機化合物であるところ、その欠乏症、特にビタミンB群、C等の水溶性ビタミンの欠乏症は、食物中のビタミンの摂取不足によって生じるほかに、各種の消化器系疾患や薬物を原因とするビタミンの吸収障害、利用障害や必要量の増加等によっても生じる(食物を容易に摂取し得る近年では、むしろ、後者の原因によるものが多いといわれる。)とされており、四肢のしびれ、倦怠感、食欲不振や深部反射の消失、減弱等の症状が見られるときには、各種ビタミン、特にビタミンB群の不足、欠乏に注目する必要があるとされている。そして、各種ビタミンの欠乏症の存否を正確に診断するためには、問診、診察等により、食事歴、自・他覚症状等を調査するほかに、血液、髄液又は尿中における各種ビタミンの定量検査を実施する必要があり、また、ビタミンB12の不足、欠乏に関しては、更に骨髄穿刺検査、胃液検査、シーリング試験、尿中メチルマロン酸排泄試験等をも行う必要があるとされている。

ところで、先に認定、考察したとおり、本件疾患は、その発症の経緯、その症状及び治療の経過等から見て、各種ビタミン、特にビタミンB群の不足、欠乏を原因とする脚気、ペラグラ、アルコール性ニユーロパチー等の多発性神経炎や亜急性脊髄連合性変性症等であった可能性も十分に考えられるから、これらを否定、除外して、本件疾患をスモンと断定するためには、本件疾患発現後の初期の段階において、右に述べたような各種ビタミンの定量検査、その他の検査を実施する必要があったというべきではなかろうか。しかるに、右病院における本件疾患の病名の診断に当っては、右のような検査は全く実施されていない。

五  以上のまとめ

以上のとおりであって、原告が本件疾患の発現後二年八か月余の間入通院して診断、治療を受けた社会保険中央総合病院における診断の結果については、多面にわたり、しかも、いずれもかなり重大な疑問点のあることが認められるから、これらの疑問点が解明されない限り、右診断の結果をそのとおりに採用することは困難というべきである。しかるに、本件の全証拠を検討しても、これらの疑問点を十分に解明するに足りる資料は存在しない。従って、右診断の結果によって、本件疾患の病名がスモンであって、それ以外の疾患ではないと認定することは困難であるといわざるを得ない。

第七その余の病院における診断の結果について

一  社会保険横浜中央病院における診断

1  前記認定のとおり、原告は、昭和四五年五月ころから昭和四八年ころまでの間、社会保険横浜中央病院において診断、治療を受け、かつ、その間の昭和四六年一〇月七日から一八一日間、右病院に入院して、ATP・ニコチン酸大量点滴療法等による治療を受けている。しかしながら、原告の右病院における診断に関する証拠資料としては、同病院の本多医師が昭和四六年九月七日付で作成した診断書一通(<書証番号略>)が提出されているのみである。そこで、右診断書によって、原告の右診断当時の疾患について検討する。

2  まず、右診断書の記載について見るに、右診断書には、原告の病名として「SMON病」と記載され、その附記として、「頭書の疾病により現在治療中、両側下肢のシビレ感、神経痛様疼痛、倦怠感の異常知覚あるも、上肢の知覚異常はない、視力障害も認めない。四六年八月よりやや増悪の傾向あり。」と記載されているのみで、その余の事項は全く記載されていない。従って、右診断書の記載によっても、原告における右疾患発現時の状況はもとより、原告の右病院での初診時の状況、その後における症状及び治療の経過やその間に右病院で実施された臨床検査の方法及びその結果等は全く不明である。また、右診断の際原告に、脊髄後索障害としての深部知覚障害や脊髄側索障害としての錐体路徴候の出現が認められたか否か、どのような経緯ないし原因で原告の疾患が昭和四六年八月以降増悪の傾向に向ったのか、その増悪の傾向とは具体的にいかなる症状の変化を指すのかなどの点についても、全く不明というほかない。そしてまた、本多医師が原告の病名をスモンと診断した理由も全く記載されていない。

3  また、右診断書の記載から明らかなとおり、そこに記載された原告の神経症状についての説明は、原告自身の自覚症状を中心とした、きわめて簡略かつ抽象的なものにすぎず、その説明による神経症状の出現が認められるというだけでは、原告の右診断時の疾患が「スモンの臨床診断指針」に列挙されたスモンに特有の症状を相当程度に具備していると解することは困難である。従って、原告の右疾患が仮にスモンであったとしても、それが定型的なスモンであったということはできない。もとより、右説明の神経症状を見ただけでは、原告の右疾患が脊髄後索、側索等の病変に基づく中枢性の神経疾患であったと断定することは困難であろう。むしろ、右説明の神経症状の出現が認められたということだけからすれば、原告の右診断時の疾患がスモン以外の類似疾患、例えばビタミンB群の不足、欠乏やアルコールの摂取等に基づく脚気、アルコール性ニユーロパチー等の多発性神経炎又は亜急性脊髄連合性変性症等であったと診断しても何ら矛盾するものではない。

4  更に、仮に右診断にかかる原告の疾患が昭和四二年六月一五日ころに発症した本件疾患と連続性のある同一疾患であり、かつ、それがスモンのごとき急性又は亜急性に発現する疾患であったとすれば、右疾患は、右診断時には、その発症後四年間以上(右病院における初診時でも約三年間)を経過していることになるから、すでに慢性期(固定期)に入っていたといわざるを得ない。そうすると、すでに慢性期に入っていた右診断時点での症状や臨床検査の結果のみでは、四年間以上も前に発症した本件疾患がスモンであるか否かを正確に診断することはかなり困難であったといわなければならない。また、右診断時点までの間には、その間の治療のために投与されたキノホルム以外の各種薬剤による副作用等の影響が考えられるほか、当初の疾患とは別個の疾患が発症、合併していた可能性もにわかに否定することはできない。そうすると、右薬剤の影響や合併症の存否等を慎重に鑑別診断しない限り、右診断時の原告の神経症状だけから、昭和四二年六月一五日ころに発症した本件疾患がスモンであったか否かを正確に診断することは困難であったというべきである。しかるに、右診断時に右の点について慎重な鑑別診断がなされたことを確認すべき証拠は存在しない。従って、社会保険横浜中央病院における右診断も、前記の第六で指摘した社会保険中央総合病院における本件疾患の診断についての種々の疑問点を解明するに足りるものではないというべきである。

二  川崎幸病院における診断

1  前記認定のとおり、原告は、昭和五〇年七月九日から昭和五一年九月一五日までの間に合計一二回にわたり、川崎幸病院において、杉山医師の診察を受け、原告の疾患はスモンであると診断され、かつ、同医師により、針、マッサージ等の理学療法と安静療法を主とした治療を受けている。そして、原告の右病院における診断に関する証拠資料としては、杉山医師が昭和五一年九月一五日付で作成した病状記録(<書証番号略>)、原告訴訟代理人が平成元年五月二二日付で作成した同医師からの聴取書(<書証番号略>)、同病院における原告の診療録(<書証番号略>)、なお、この中には、社会保険中央総合病院における原告の診療録の一部の写も含まれている。)及び同診療録中の血液検査等の結果の判読証明書(<書証番号略>)がある。

2  ところで、右聴取書(<書証番号略>)によれば、杉山医師は、原告の疾患をスモンと診断した根拠の一つとして、同医師が行った原告への問診及び原告から参考資料として受領した社会保険中央総合病院における原告の診療録(但し、この中には、簡単な入院中の経過の要約を除き、原告の第一回及び第二回各入院中の診療録、看護記録等は含まれていない。)の写の記載によって認められた、原告における本件疾患発症の経緯(この中には、キノホルムの服用が含まれる。)並びに社会保険中央総合病院入通院中の原告の症状及び治療の経過等を挙げている。しかしながら、これらの原告における本件疾患発症の経緯、社会保険中央総合病院入通院中の原告の症状及び治療の経過等から、原告の本件疾患の病名をスモンと認定することについて種々の疑問があることは、前記の第六において、すでに詳しく検討したとおりである。従って、杉山医師による右診断についても、これと同様の疑問が存在するといわなければならない。

なお、右診断の基礎となった事実関係について付言するに、杉山医師が作成した病状記録中には、同医師の原告に対する問診の際に、原告が本件疾患の発症当初においては半月間位歩行が全くできなかったと述べた旨の記載がある。しかしながら、前記第六の二の3で認定した原告の本件疾患発症当初(第一回入院の当初にあたる。)の神経症状の程度ないし経過に照らして考えると、原告の右陳述は、事実にそわないものであるといわざるを得ない。

3  また、右聴取書によれば、、杉山医師は、原告の疾患をスモンと診断したもう一つの根拠として、同医師が昭和五〇年七月九日から昭和五一年九月一五日までの間に原告を診察した際、原告にスモンに特有の知覚障害、運動障害、視力障害及び直腸膀胱障害等の症状が認められたこと並びに本件疾患の発症時の症状とこれらの症状との間には連続性があると認められることを挙げている。そこで、これらを根拠とする右診断の当否について検討すべきところ、杉山医師が右の間川崎幸病院において原告を診察した結果は、同医師作成の病状記録(<書証番号略>)に要約されているので、まず、この病状記録によって、右の間の原告の病状の経過等を列記すると、次のとおりである。

(一) 病名 スモン

(二) 初診年月日 昭和五〇年七月九日

(三) 病状の経過 昭和四二年五月二〇日、下痢と腹痛を主訴として社会保険中央総合病院を受診し、キノホルム剤を投与され、足から腰部におよぶシビレ感が出現し、同年六月一九日、スモンと診断され、同病院に入院した。

昭和五〇年七月九日、全身倦怠感、主として下肢の知覚異常、歩行障害、風邪等をひきやすいという訴えで、当院内科で初診。同年一二月一七日、右腕、肩のシビレを訴え、当院整形外科を受診し、右上腕神経叢神経炎と診断される。杖をついているため、機械的な刺激を受けたためと考えられた。

昭和五一年九月一三日、主訴はほとんど変化なく、むしろ、全身倦怠感等は増強している。血液生化学検査、血算、検尿等の結果は異常なし。

(四) 昭和五一年九月一五日現在の症状

主たる症候は、次のとおりである。

(1)  全身倦怠感、易疲労感

外出するとよく寝込むことが多い。

(2)  四肢の筋力低下、歩行障害

両足立ちは辛うじて可能であるが、杖を使用しなければ、歩行不可能である。片足立ちは不能。なお、発症時の昭和四二年六月ごろ半月位は、歩行が全くできなかったという。

(3)  知覚障害

両下肢等に足底部のシビレ著明。検査のため足底部をこすると激痛あり。両下肢の痛覚、温覚過敏、通常の五、六倍。深部知覚過敏、錯感覚あり。触覚低下。

(4)  膝蓋健及びアキレス腱反射

両側性に低下

(5)  膝足関節の疼痛及び両腓腹筋の筋痛

これらの痛みがある。

(6)  直腸膀胱障害

排尿後不快感、残尿感あり。排尿力低下、下痢、便秘常習。

(7)  視力低下

右〇・四、左〇・七、スモンになる前は一・五位であったという。色神正常。

(8)  肝腫大

約三横指触知。

4  そこで、杉山医師の診察による原告の右症状について検討するに、この症状は、本件疾患が発症したとされる昭和四二年六月一五日からすでに九年間以上も経過した後の昭和五一年九月一五日現在で認められた症状にすぎない(なお、原告が川崎幸病院で最初に診察を受けた昭和五〇年七月九日でも、本件疾患の発症後八年間以上を経過している。)。従って、仮にその時点まで本件疾患が完治せず、その後遺症状が遺っていたとしても、それまでの間には、本件疾患とは別個の疾患(キノホルム以外の各種薬剤の投与による中毒等を含む。)が発症、合併したり、年齢の増加等に伴う症状の自然的増悪が生じたりしている可能性もにわかに否定することはできない。しかも、右診察による原告の神経症状には、前記認定の社会保険中央総合病院及び社会保険横浜中央病院での診察による原告の神経症状とかなり異なっている点が認められるのみならず、これらの病院での診察の際には認められなかった症状ないしその診察の際には否定されていた症状が加っているが、これらの新しい症状がいつから原告に出現したかについては、本件証拠上不明というほかない。そうすると、杉山医師の診察によって見られた原告の各症状がいずれも昭和四二年六月一五日ころに発症したとされる本件疾患自体の症状ないしそれと連続性のある後遺症状であるといえるか否かはかなり疑わしいといわざるを得ない。従って、右診断によってこれらの症状が見られたことから、遡って、右診察時より八年間ないし九年間以上も前に発症した本件疾患がスモンであって、それ以外の疾患ではないと断定することは困難であるというべきであろう。

なお、前記認定のとおり、「スモンの臨床診断指針」によれば、両側性視力障害及び膀胱・直腸障害は、スモンの診断上、きわめて大切な症状であるとされているが、<証拠略>によればスモンにおける視力障害ないし視力低下は、一般に知覚障害の出現よりも遅れて出現するが、大多数は六か月以内に、遅くとも一年数か月以内に出現するとされており、また、<証拠略>によれば、スモンにおける膀胱・直腸障害は、一般に軽度で一過性のものが多く、比較的早期に消失するとされている。従って、これらの事実に照らせば、杉山医師が原告を診察した際に、原告に直腸膀胱障害及び視力障害(視力低下)の各症状(これらの症状は社会保険中央総合病院及び社会保険横浜中央病院での診察の際には認められないか又は否定されていた症状である。)が見られたとしても、それによって直ちにそれがスモンの症状であると認定し、右診察時よりはるか以前に発症した本件疾患がスモンであるとまで診断することは困難であろう。

更に、念のため付言するに、杉山医師による原告の右神経症状の診察は、その診察の日時から見て、本件訴訟が原審に係属中の後半期になされたものであることは明らかである。ところで、前記第四の一の9で認定したとおり、神経疾患の患者の知覚障害の検査においては、その最終的な判断を主として患者自身の主観に基づいて下さざるを得ない性格のものであることを考慮すると、杉山医師の診察にかかる原告の神経症状、特にその知覚障害の内容及び程度については、その診察時における原告の主観が多少とも影響を及ぼしている可能性のあることは否定することができない。従って、右診察にかかる原告の神経症状を検討するに当っては、そのことを十分に考慮する必要があるといわなければならない。

5  のみならず、杉山医師による右診察の際に原告に見られた症状がスモンの後遺症状に特有の神経症状であるということができるか否かも疑わしい。すなわち、前記第二の三1に掲記したスモンの類似疾患認定のための各証拠及び<証拠略>によれば、右診察の際原告に見られた四肢遠位部の筋力の低下、各種の知覚障害及び膝蓋腱反射の低下等の症状は、むしろ抹消性の神経疾患である多発性神経炎(多発性ニユーロパチー)の特徴ともいうべき症状であって、脚気、ペラグラ、アルコール性ニユーロパチーや、亜急性脊髄連合性変性症等の各疾患にも共通して見られる症状であり、スモンに特有の症状であるということはできない。また、<証拠略>によれば、右診察の際原告に見られた深部知覚や温覚の過敏、膝蓋腱反射の低下等の症状は、スモンの症状としては、例外的な症状というべきである。そして、右診察の際原告に見られた神経症状だけから、その当時の原告の神経疾患が脊髄後索、側索等の病変に基づく中枢性のものであるか、単なる抹消神経のみの病変に基づく抹消性のものにすぎないか、又は右双方の病変に基づくものであるかを的確に判定することは困難というべきであろう。従って、このような症状診断のもとにおいて、その診断時点より八年間ないし九年間以上も前に発現した本件疾患がスモンであったと遡って断定するためには、十分に詳細かつ慎重な鑑別診断の実施が必要であったというべきであろう。しかるに、川崎幸病院において、原告の疾患につき、スモンとその類似疾患とを鑑別するための十分な臨床検査等が実施されたことを確認するに足りる証拠はない(むしろ、前記の聴取書によれば、杉山医師は、原告の疾患につき、スモンとその類似疾患とを鑑別することを目的とした臨床検査は特別に実施していないと述べている。)。そうすると、前記のような症状診断のもとにおいて、スモンとその類似疾患とを鑑別するための臨床検査等を特別に実施することなく、しかも、八年間ないし九年間以上も前に発現した本件疾患がスモンであると断定した杉山医師の診断には疑問が残るといわざるを得ない。

6  なお、前記認定事実に、<証拠略>を総合すると、原告は、すでに昭和四二年五月二〇日当時、社会保険中央総合病院において、肝臓に3/2横指の腫大ないし肥大があるとの診断を受けているが、川崎幸病院においては、昭和五〇年七月九日、同年九月二六日及び昭和五一年九月一五日の三回にわたり、肝臓に約三横指触知の腫大がある旨の診断を受けていること、同病院での昭和五〇年七月九日の診察の際には、手掌紅斑が認められたこと、昭和四二年六月二〇日には七一〇〇個、昭和四三年五月一五日には九〇〇〇個であった白血球数が、昭和五〇年七月九日には一〇〇〇〇個、昭和五一年九月一三日には一〇五〇〇個に増加していること、更に、原告は、右病院において、全身倦怠感、易疲労感や風邪等をひきやすいことなどを訴えていることが認められる。そこで、これらの事実に、前記認定の原告の飲酒、喫煙歴ないし飲酒、喫煙量や薬剤の過剰服用等の事実をも総合すると、原告には、川崎幸病院での右診断を受ける以前から何らかの肝臓疾患ないし肝臓障害があったのではないかとの疑いが生じる。<証拠略>によれば、この点について杉山医師は、右病院で行った原告の血液生化学検査及び血球算定検査の結果に格別の異常がなかったことと、右診断当時原告には腹水、浮腫、黄疸、振せん等の症状が見られなかったことから、原告には肝臓疾患等はなかったものと判断している。しかしながら、右各証拠によっても、右病院において、肝組織検査、RI検査、CT検査等の肝臓疾患に関する精密検査が行われた事実までは認めることができないから、杉山医師の右判断によっても、なお前記の疑いを完全に払拭することはできないというべきであろう。

三  都立府中病院における診断

1  前記認定のとおり、原告は、昭和五七年六月八日、昭和六〇年八月二〇日及び平成二年三月一三日の三回にわたり都立府中病院において、別府医師の診察を受け、原告の疾患はスモンであると診断されたとして、その旨の診断書を提出している。そして、<証拠略>によれば、別府医師が平成二年三月一三日付で作成した右診断書の記載内容は、次のとおりである。

(一) 診断 スモン

(二) 脳神経領域に異常を認めない。

(三) 上肢は筋力、筋緊張正常、腱反射も正常で、左右差なし。

(四) 下肢は全体に筋萎縮を認め、筋力としては近位筋4-4-、膝の伸展4、屈曲3+、足底屈、背屈はともに3、いずれも左右差はない。筋緊張は膝伸展屈曲に軽い痙性をみる。下肢腱反射は、膝蓋腱反射右(+)、左(±)、アキレス腱反射右(-)、左(-)、バビンスキー反射、チャドック反射等はいずれも(-)。

(五) 感覚障害としては、臍のレベル以下、遠位程著しくなる。触覚、温・冷覚の低下、痛覚はむしろ敏感で、また、パレステジーを訴える。振動覚は下肢で5-6秒とやや減弱しているが、上肢は10秒程度、足趾の位置覚は判断に少し時間がかかるが、正しく反応。ロンベルグ試験陽性。歩行は筋力低下と痙性及び深部覚の低下により、不安定であり、ロフストランド杖を使用、片足立ちは不可。

(六) 膀胱障害(-)。

2  そこで、右診断書記載の診断内容の当否について検討すべきところ、別府医師による原告の診断に関する資料としては、右診断書以外にはなく、同医師がいかなる経過で原告を診察したのか、その診察の際、原告における本件疾患発現の経緯及びその後の経過等を、いかなる方法で、その程度調査したのか、原告の疾患がスモンであるとの診断を、右診断書記載の原告の症状以外にいかなる資料を調査、勘案して行ったのかなどの点については、これを確認すべき証拠資料が全く提出されていない。従って、右診断書だけで、その診断書記載の診断内容の当否を検討することは、本来、不可能であるといわざるを得ない。

しかも、別府医師による原告の右診断は、その診断の日時からみて、本件訴訟が当審に係属中になされたものであり、特に右診断書の作成は、その作成日付から見て、当審口頭弁論の終結の直前になされたものであることは明らかである。そうすると、先に川崎幸病院における原告の診察について述べたところと同様、右診断にかかる原告の神経症状、特にその知覚障害の内容及び程度については、その診断時における原告の主観が多少とも影響を及ぼしている可能性のあることは否定することができない。従って、右診断書に記載さた原告の神経症状を検討するに当っては、そのことをも十分に考慮する必要があるといわなければならない。

3  しかし、右の点はさて措き、少なくとも、右診断書に記載された原告の症状だけから、原告の右診断時の疾患をスモンと断定することは困難というべきであろう。すなわち、前記第二の三1に掲記したスモンの類似疾患認定のための各証拠によれば、右診断書に記載された原告の症状程度の下肢の筋萎縮、筋力低下、腱反射及び感覚障害(知覚障害)は、スモンに限らず、その他の類似疾患、例えば亜急性脊髄連合性変性症や多発性神経炎にも通常認められる症状にすぎない(なお、<書証番号略>には、スモンに認められるのと同様の強いパレステジーを呈したアルコール性ニユーロパチー等の症例が報告されている。)から、詳細な鑑別診断を行わないで、右症状だけから、他の類似疾患を除外して、原告の右診断時の疾患をスモンと断定することは困難というべきであろう。しかるに、右診断の際に、右のような類似疾患を除外するための詳細な鑑別診断が行われたことを確認するに足りる証拠は提出されていない。

4  のみならず、原告の右症状は、本件疾患が発現したとされる昭和四二年六月一五日ころから約一五年間ないし二三年間を経過した後に診察された症状であるにすぎない。従って、仮に右診察の当時まで本件疾患が完治せず、その後遺症状が遺っていたとしても、その間に、本件疾患とは別個の疾患(キノホルム以外の薬剤の投与による中毒等を含む。)が発症、合併したり、年齢の増加等に伴う症状の自然的増悪が生じたりしている可能性は、さきに述べた川崎幸病院における診察時以上に大であるといわざるを得ない。しかも、原告の右症状には、前記認定の社会保険中央総合病院及び社会保険横浜中央病院での診察による原告の症状とはもとより、川崎幸病院での診察による原告の症状とも異っている点が多々認められる(川崎幸病院の診察では両下肢の温覚及び深部知覚はいずれも過敏で、膝蓋腱反射は両側性に低下しており、直腸膀胱障害及び視力低下も認められるとしていたが、府中病院の診察では、両下肢の温・冷覚及び深部知覚はいずれも低下しているが、膝蓋腱反射は右が正常で、左がやや減弱しているとし、膀胱障害は否定するとともに、視力低下については触れていない。)とともに、これらの症状の変化がいつから生じたかも不明である。そうすると、別府医師の診断による原告の右症状は昭和四二年六月一五日ころに発現したとされる本件疾患自体の症状であったといえるか否かは大いに疑問であり、従って、その症状だけから、遡って、当初に発現した本件疾患がスモンであり、それ以外の疾患ではなかったと断定することは困難であるというべきであろう。

5  なお、右診断書の本件証拠資料としての提出時期に関して付言するに、原告は、右診断書を平成二年四月九日の当審における最終口頭弁論期日に至って突如提出したものである。ところで、右診断書の末尾には、「以上の所見は昭和五七年六月八日及び昭和六〇年八月二〇日の診察時と変化していない。」と付記されているから、もし右付記の事実がそのとおりであるとすれば、原告は、右診断書と同旨の診断書をもっと早期に当審に提出して、その診断の当否に関する審理を尽すことが可能であったものと考えられる。しかるに、原告は、そのような方法は講ぜず、かつ、昭和六一年一二月一五日に実施された原告本人尋問(当審第一回)においても、被告訴訟代理人から、本年(昭和六一年)でも、昨年でも、二年前でもよいが、原告の下肢の神経疾患について医師の診察を受けたことがあるかと質問されたのに対して、妻の薬を取りに(病院等に)行ったことはあるが、原告自身は医師の診察を受けたことがない旨返答している。原告が府中病院で右診断を受けたこと及びその診断内容は、本件訴訟上、原告にとって利益になっても、不利益になることはないから、原告が昭和五七年六月八日及び昭和六〇年八月二〇日にも右病院で診断を受けたことが事実であるとすれば、これを隠す必要はなかったものと考えられるにもかかわらず、原告は、どうして右のような返答をし、また、どうしてもっと早期に右病院での診断書を当審に提出しなかったのであろうか。この点の疑問を解消するに足りる説明も資料も提出されていない。そうすると、右診断書の末尾に付記された診断の事実自体についても、それがそのとおりであるか否かに関する疑問が生じるのを禁じ得ない。

四  以上のまとめ

以上の三病院においてなされた原告の疾患がスモンである旨の各診断については、いずれも以上に述べたとおりの種々の疑問点が存在するというべきところ、本件の全証拠を検討しても、これらの疑問点を十分に解明することは困難である。しかも、以上の三病院における各診断の相互間には、スモンとその類似疾患との鑑別診断上重要とされる症状についてかなりの差異のあることも認められる。従って、右各診断によっても、昭和四二年六月一五日ころに発症した本件疾患につき、キノホルム以外の原因及びスモン以外の疾患を除外して、これがスモンであって、それ以外の疾患ではないと断定することは困難であるといわざるを得ないであろう。

第八原審鑑定の結果について

一  原審鑑定の結果及びその鑑定資料

1 原審は、原判決添付鑑定人名簿記載の安藤一也外一四名の共同鑑定人(以下「原審鑑定人」という。)に対し、(1) 原告の罹患している本件疾患はスモンであるか否か、(2) それがスモンである場合には、その重症度はどうかについて鑑定を命じたところ、原審鑑定人は、昭和五一年九月付の鑑定結果報告書によって、(1) 原告の罹患している本件疾患はスモンであり、(2) その症度はI度であると報告している。そして、これが原審鑑定の結果である。

2 ところで、原審鑑定は、右鑑定結果報告書により、まず一般論として、右鑑定における診断病名のスモンとは、被鑑定人の臨床症候(臨床症状と同意義)がスモン調査研究協議会の設定した「スモンの臨床診断指針」に合致し、かつ、神経症候(神経症状と同意義)の発現前におけるキノホルムの服用が証明又は推定され、更にキノホルム以外の原因およびスモン以外の疾患が除外される場合を指すと説明し、また、その症度とは、主として下肢筋力の低下、歩行障害、知覚障害及び視力障害の四項目のそれぞれの程度を判断したうえ、これらを総合して昭和五一年九月現在における被鑑定人の症度を0度、I度、II度及びIII 度に四区分したものであり、そのうちの0度は現在全くスモンの症候が見られず、日常生活に障害がないと考えられる者を、I度は現在の日常生活に軽度の障害があると考えられる者を、III 度は現在の日常生活に高度の障害があり、介助を要する者を、II度はI度とIII 度の中間程度の者をそれぞれ指すと説明しているが、原告の罹患している本件疾患につき具体的に右(1) 及び(2) のとおりの結論を出すに至った個別的な判断理由については全く説明していない。

また、原審鑑定は、その鑑定をなすに当り、その基礎資料として、(1) 医師風戸豊(以下「風戸医師」という。)が昭和四八年七月一日付で作成した社会保険中央総合病院における原告の病状記録(<書証番号略>)、(2) 銅直医師が同年同月七日付で作成した同病院における原告の病状記録(<書証番号略>)及び(3) 本多医師が昭和四六年九月七日付で作成した社会保険横浜中央病院における原告の診断書(<書証番号略>)の三点を使用しており、前記報告書でもその旨の報告をしているが、それ以外の資料は全く使用しておらず、原告本人に対する問診、診察や右各病院からの診療録の取寄せ等も行っていない。(なお、一件記録中の、原審相原告らの各疾患に関する原審鑑定(この鑑定は、原告の本件疾患に関する原審鑑定と同時になされたものである。)の結果報告書によれば、それらの鑑定においては、相原告らに関して作成された各本人の事情録取書、聴取書、陳述書等が鑑定資料として使用されているが、原告に関する原審鑑定においては、そのような書面すら使用されていない。)そして、原審鑑定は、その鑑定実施に当り、原告本人に対する問診、診察、各病院からの診療録の取寄せ等を行わなかった理由につき、原審鑑定人代表の祖父江逸郎が原審に提出した「鑑定書の説明補充方の要望について(回答)」と題する書面(以下「説明補充書」という。なお、この書面は、前記鑑定結果報告書の提出後に被告からの要望に基づいて原審に提出されたものであるが、その形式及び内容から見て、右報告書の説明内容を補充する書面であり、右報告書と一体となるべき書面であると解される。)において、右三点の鑑定資料は右各病院の診療録と同価値と認められ、本件疾患につき、鑑定人が原告本人を問診することによって得られるであろう資料も、スモンの診断及び症度の判定に必要にして十分な情報も、右鑑定資料に含まれていると判断したためであると説明している。

二  原審鑑定資料の作成経過及び記載内容

1  原審鑑定の結果の当否を検討するためには、まず、その基礎資料となった前記三点の鑑定資料の作成経過及び記載内容とその記載内容の当否を問題にしなければならないところ、原告本人尋問(原審、当審第二回)の結果と<証拠略>によれば、右三点の鑑定資料の作成経過及びその記載内容は、次のとおりであることが認められる。

2  風戸医師作成の病状記録

(一) 作成経過

この病状記録(<書証番号略>)は、その作成日付である昭和四八年七月一日に当時社会保険中央総合病院勤務の内科医師であった風戸医師によって作成されたものである。なお、前記認定のとおり、原告は、昭和四二年五月二〇日から昭和四五年二月二七日までの間右病院に入通院していたものであり、その間原告の診察、治療を主として担当した医師は、銅直医師及び澤医師であったが、昭和四八年七月当時は、右両医師ともに右病院を退職していたため、風戸医師が当時右病院に保管されていた原告の診療録等の記載のみに基づきこの病状記録を作成したものである。

(二)記載内容

(1)  病名 昭和四二年五月二〇日 慢性胃腸炎、同年六月一七日 腹部症状を伴った脊髄炎症。

(2)  初診の年月日 昭和四二年五月二〇日

(3)  症状の経過 五月二〇日の初診時の主訴 腹痛と下痢、六月一七日の再診時の主訴 足から腰部に及ぶしびれ感を訴える(六月一五日に出現せりと)。

六月一九日から八月一四日まで五五日間入院、この間、ブレドニン内服、ビタミンB12内服、注射、低周波、マッサージ等の治療を加えて、次第に好転、足底部、膝関節の異和感の限局、歩行後の倦怠感を残すのみとなり、退院、腹部症状消失。

以後昭和四五年二月二七日まで通院加療。

(4)  スモン病と判明した年月日 昭和四二年六月一七日

(5)  キノホルム剤の薬品名と投与期間及び投与量

昭和四二年五月二〇日エマホルム一・五グラム等七日間、五月二九日同上七日間、六月五日同上一四日間、以上二八日間使用した。

(6)  診療終了時の症状 両膝関節部に重圧感あり、しびれ感軽度にあり、力仕事をしたのち、足のしびれ感増強、膝及びアキレス腱反射微弱。

(なお、右(3) の記載によれば、原告の社会保険中央総合病院第一回入院の事実は記載されているが、同病院第二回入院の事実は(従って、同入院中の原告の症状や治療の経過等の事実も)全く記載されていない。)

3  銅直医師作成の病状記録

(一) 作成経過

この病状記録(<書証番号略>)は、その作成日付である昭和四八年七月七日に、前記認定のとおり、かつて社会保険中央総合病院で原告の診察、治療を担当した銅直医師によって作成されたものである。なお、同医師は、昭和四五年一二月に右病院を退職し、昭和四八年七月当時は日本電信電話公社浦和逓信診療所に勤務していたため、原告が社会保険中央総合病院から借り受けてコピーした原告の診療録(<書証番号略>)と、同医師自身の原告の診察時の記憶とに基づいてこの病状記録を作成したものである。

(二) 記載内容

(1)  初診の年月日 昭和四二年五月二〇日

(2)  病名と症状の経過 慢性腸炎

約二か月前より下痢、腹痛と胃部の圧迫感あり、しかし、げっぷはなく、食欲もそれほどわるくはない、便通は軟、一日二、三回、酒一日三、四合、タバコ一五本、栄養状態良好、舌白苔あり、胸部所見なく、腹部肝3/2横指、回腸末端部とS字状腸部により圧痛をみとめ、上記診断のもとに下記投薬を行う。重曹二・〇、エマホルム一・五、ビオスリー三・〇、アドソル三・〇、タンナルビン一・〇、ロートエキス〇・〇四、塩パパ〇・一、いずれも一日三回に分服、七日分(エマホルム七日分の合計量一〇・五グラム)。

その後、他医により右エマホルム等が五月二九日に七日分、六月五日に一四日分投与され、六月一七日来院、二日前より足より腰まで表面のしびれ感あり、腹部症状を伴った脊髄炎症として処置、ブレドニン、ブスコバン、ドセラン、ビオスリー、重曹を三日間投与。

(3)  スモン病と判明した年月日 昭和四二年六月一五日

(4)  キノホルム剤の薬品名と投与期間及び投与量

エマホルム一日一・五グラム、昭和四二年五月二〇日より七日間経口投与、合計一〇・五グラム。

(なお、右(2) の記載によれば、原告の症状の経過等につき、昭和四二年六月一七日までの事実は記載されているが、その後の事実は全く記載されていない。従って、原告の社会保険中央総合病院への第一回入院時以降の事実は全く記載されていないことになる。また、右(2) の原告の初診時の主訴ないし症状に関する記載の中に「食欲もそれほどわるくはない、」との記載があるが、<証拠略>に照合して考えると、これは「食欲はあまりよくない」、「食欲不振あり」の誤認又は誤記によるものと認めるべきである。)

4  本多医師作成の診断書

(一) 作成経過

この診断書(<書証番号略>)は、その作成日付である昭和四六年九月七日に当時社会保険横浜中央病院勤務の内科医師であった本多医師によって作成されたものである。なお、前記認定のとおり、原告は、昭和四五年五月ころから昭和四八年ころまでの間右病院で診察、治療を受け、かつ、その間の昭和四六年一〇月七日から一八一日間右病院に入院して、ATP・ニコチン酸大量点滴療法等による治療を受けているが、その間における原告の症状及び治療の経過やその間に本多医師が原告の診察、治療につきどの程度関与したかなどの点については、これを確認するに足りる資料がない。

(二)記載内容

(1)  病名 SMON病

(2)  付記 頭書の疾病により現在治療中、両側下肢のシビレ感、神経痛様疼痛、倦怠感の異常知覚あるも、上肢の知覚異常はない。視力障害も認めない。四六年八月よりやや増悪の傾向あり。

三  原審鑑定の結果の当否

1  鑑定資料の記載内容の当否についての審査

(一) 原審鑑定人が、前記三点の鑑定資料(病状記録及び診断書)に基づき、本件疾患の病名及びその症度についての適正な鑑定を行うためには、まず、右三点の鑑定資料がそれぞれ適正に作成されたものであるか否か(例えば、それらが各病院での診療録等に基づき正確に作成されているか否か、重要な症状や治療の経過等についての記載もれはないか否か)、また、右各鑑定資料に記載された各病院での診断内容ないしその結果が適正なものであるか否か(例えば、各病院での診断やそのための検査等に誤りはなかったか否か)などの点について、詳細かつ慎重に検討し、審査する必要があったものというべきである(もしこれらの点を検討、審査するまでもなく、右鑑定資料記載の診断内容ないしその結果がそのまま適正なものとして採用し得ることが明らかであるというのであれば、少なくとも右鑑定資料に記載された本件疾患の病名についての鑑定を行うことは、本来無用であったということになるであろう。)。そして、右の点について詳細かつ慎重な検討、審査を行うためには、最少限度、右各病院での診療録等の取寄せ、検討や、原告本人に対する問診、診察等を実施する必要があったというべきであろう。しかるに、原審鑑定人がこのような方法、措置を講じていないことは前記認定のとおりである。

(二) ところで、この点に関し、原審鑑定人は、説明補充書において、右各鑑定資料は各病院における診療録と同価値と認められ、鑑定人が原告本人を問診することによって得られるであろう資料も、スモンの診断及び症度の判定に必要にして十分な情報も、右各鑑定資料に含まれていると判断したためであると説明している。しかしながら、右各鑑定資料とその作成の基礎になった各病院での診療録等とを現実に対比して検討しないで、どのようにして右のような判断をすることができるのであろうか。現に右鑑定資料である風戸医師及び銅直医師各作成の病状記録(<書証番号略>)とその作成の基礎になった社会保険中央総合病院における診療録(看護記録等を含む、<書証番号略>)とを対比、照合して検討すると、両者の間には、本件疾患の症状やその治療の経過等に関する情報の内容及びその量において格段の差異のあることが認められる。従って、右両者が鑑定資料として同価値であり、後者に記載されている鑑定に必要な情報のすべて又は大部分が前者にも記載されているとたやすくいうことができないことは明らかであろう。そうすると、原審鑑定は右両者の差異を無視して鑑定を行ったものといわざるを得ず、その右各鑑定資料の記載内容の当否についての審査には、多大の疑問が生じるのを禁じ得ない。

2  「スモンの臨床診断指針」との合致性についての判断

(一) 原審鑑定は、前記三点の鑑定資料に記載された本件疾患の臨床症状(臨床症候)は「スモンの臨床診断指針」に合致していると判断している。そこで、原審鑑定における右判断の当否について検討するに、もし右判断の趣旨が、本件疾患の臨床症状は「スモンの臨床診断指針」に積極的には矛盾しないという程度のことを意味するにすぎないものとすれば、特に取り上げて問題にすべきことはないかもしれない。しかし、右判断の趣旨は、これを通常の用語法に従って解釈すれば、本件疾患の臨床症状が、完全にとまではいえなくても、かなりの程度において、「スモンの臨床診断指針」に合致することを意味するものと解すべきであろう。そこで、以下、右判断の趣旨を右のように解釈したうえ、その判断の当否について検討する。

(二) まず、右三点の鑑定資料上、スモンの必発症状の一つとされる腹部症状に関する記載があるかについて見るに、原告のキノホルム服用前の腹部症状についてはともかく、原告のキノホルム服用後の腹部症状、特にスモンに特有とされるいわゆる「前駆的腹部症状」については、右三点の鑑定資料上には全く記載がない。僅かに風戸医師作成の病状記録中に、昭和四二年八月一四日の原告の第一回退院時の症状に関して、「腹部症状消失」との記載があるが、しかし、これだけでは、原告にいわゆる「前駆的腹部症状」が出現したことを認め得ないばかりでなく、この腹部症状が原告のキノホルム服用前からの腹部症状を意味するものか、そのキノホルム服用後に出現した腹部症状を意味するものかも全く不明であるといわざるを得ない。

(三) 次に、スモンの必発症状中の神経症状に関する記載があるかについて見るに、まず、本件疾患の発現当初(昭和四二年六月一五日ないし一七日)の症状としては、風戸医師作成の病状記録に「足から腰部に及ぶしびれ感を訴える」とあり、銅直医師作成の病状記録に「二日前(六月一五日)より足より腰まで表面のしびれ感あり」とあるのみであり、また、その後における原告の社会保険中央総合病院第一回入院中ないし同退院時の症状としても、風戸医師作成の病状記録に「(右入院中)次第に好転、足底部、膝関節の異和感の限局、歩行後の倦怠感を残すのみとなり退院」とあるのみである。更に、その後相当の期間を経過し、もし本件疾患が急性又は亜急性の疾患であったとすれば、すでに慢性期(固定期)に入っていたと解される、原告の右病院での診察終了時(昭和四五年二月二七日)の症状としては、風戸医師作成の病状記録に「両膝関節部に重圧感あり、しびれ感軽度にあり、力仕事をしたのち、足のしびれ感増強、膝及びアキレス腱反射微弱」とあり、原告が昭和四六年九月七日に社会保険横浜中央病院で診察を受けた時点での症状として、本多医師作成の診断書に「両側下肢のシビレ感、神経痛様疼痛、倦怠感の異常知覚あるも、上肢の知覚異常はない、視力障害も認めない、四六年八月よりやや増悪の傾向あり」とあるのみである。そして、右各記載の内容及び程度の症状であれば、スモンに限らず、その類似疾患の多くのものについても共通して認められる神経症状であるにすぎないといわざるを得ない。

(四) 更に、右三点の鑑定資料上に、スモンの診断上きわめて大切であるとされる参考条項に関する記載があるかについて見るに、僅かに、原告の下肢の運動障害(筋力低下)を意味するものと解し得る、「足底部、膝関節の異和感、歩行後の倦怠感」、「両膝関節部に重圧感あり、力仕事をしたのち、足のしびれ感増強」(いずれも風戸医師作成の病状記録)、「両側下肢の倦怠感」(本多医師作成の診断書)の各記載があるほかは、右三点の鑑定資料上には、右参考条項列挙の症状の出現を肯定すべき記載は全く認められない。却って、「足より腰まで表面のしびれ感あり」(銅直医師作成の病状記録)、「膝及びアキレス腱反射微弱」(風戸医師作成の病状記録)、「上肢の知覚異常はない、視力障害も認めない」(本多医師作成の診断書)など、右参考条項に列挙されている、下肢の深部知覚障害、錐体路徴候、上肢の知覚障害、視力障害の出現をそれぞれ否定すべき記載又はそれらの出現に疑問を生ぜしめる記載すら認められるのである。

(五) そうすると、右三点の鑑定資料に記載された本件疾患の臨床症状だけから、本件疾患の症状がかなりの程度において「スモンの臨床診断指針」に合致していると判断することは甚だ困難であるといわざるを得ない。従って、本件疾患の症状が右診断指針に合致しているとした原審鑑定の判断にはかなりの無理があり、これを相当として是認することはできないものといわなければならない。

更に、右三点の鑑定資料に記載された本件疾患の臨床症状だけから、本件疾患が単なる末梢性の神経疾患ではなく、脊髄の後索、側索等にも病変のある中枢性の神経疾患であると断定することは一層困難であるといわざるを得ないであろう。

3  スモンの類似疾患との鑑別診断

原審鑑定は、その鑑定結果報告書において、本件疾患はキノホルム以外の原因及びスモン以外の疾患が除外される場合に該当すると説明して、その病名をスモンと診断している。

ところで、右のような診断を的確に行うためには、本件疾患の発現前における原告の生活状況、健康状態、既往歴、家族歴及び服薬情報やその発現当初及び発現後における原告の症状の特徴、経過、原告の入通院した各病院における治療の内容、経過及び臨床検査の結果等を詳細かつ正確に把握する必要があったものというべきである。

しかるに、前記三点の鑑定資料には、右の点に関する事実関係ないし情報はきわめて簡単にしか記載されていない。すなわち、右鑑定資料には、本件疾患の発現前における事実関係ないし情報としては、昭和四二年五月二〇日の初診当時の原告の腹部症状、その当時の原告の飲酒、喫煙量、右初診の際原告に投与された薬剤の種類、量についての簡単な記載があるだけで、右初診時に至るまでの原告の生活状況、健康状態、既往歴、家族歴及び服薬情報等についての記載は全く存在しない。また、本件疾患の発現当初の情報としても、昭和四二年六月一五日以降原告に足から腰までの表面のしびれ感が発現した旨の記載があるだけで、それ以上の記載は全くないし、本件疾患の発現後における原告の各病院入通院中の症状ないし治療の経過等についても、きわめて簡単な記載があるだけである。もとより、原告の社会保険中央総合病院における診断の結果に関して、前記の第六で指摘したような種々の問題点を取り上げて、これを検討、解明するに足りる事実関係ないし情報は、右鑑定資料には全く記載されていない。

そうすると、当然のことながら、右鑑定資料に記載されていない本件疾患に関する事実関係ないし情報は、原審鑑定人には不明であったといわざるを得ないから、原審鑑定人が神経医学についての知識及び経験の豊富な専門家であったとしても、右鑑定資料に記載された程度の事実関係ないし情報のみに基づき、本件疾患につき、キノホルム以外の原因及びスモン以外の疾患が除外される場合に該当するか否かを的確に鑑別診断することは、甚だ困難なことであったと思料される。従って、原審鑑定人が原審鑑定において、本件疾患につき、キノホルム以外の原因及びスモン以外の疾患が除外される場合に該当するか否かを的確に診断するためには、最少限度、右鑑定資料作成の基礎になった原告の各病院での診療録等を取り寄せて、これに記載された原告の症状の特徴、経過、原告の各病院入通院中の治療の内容、経過及び臨床検査の結果等を調査、検討するとともに、原告本人に対する問診、診察等を行う必要があったというべきではなかろうか。しかるに、原審鑑定人が原審鑑定を行うに当り、右のような鑑定資料収集の方法、措置を全く講じていないことは、前記認定のとおりである。

4  本件疾患の症度についての判定

原審鑑定は、前記三点の鑑定資料のみに基づき、昭和五一年九月現在における原告の症度をI度と判定している。そして、説明補充書によれば、右判定にあたっては、合併症と加齢による症状の加重を当然に考慮したと説明している。しかしながら、右三点の鑑定資料に記載されている原告の症状は、昭和四六年九月七日以前のもののみにすぎない(風戸医師及び銅直医師各作成の病状記録の作成日時は昭和四八年七月一日及び同月七日であるが、そこに記載されている原告の症状は、いずれも原告の社会保険中央総合病院での診療が終了した昭和四五年二月二七日以前のものにすぎない。)。また、右鑑定資料には、原告の合併症や加齢による症状の加重に関する記載は全くない。しかも、右鑑定資料には、原告が本件疾患の発現後に入通院した各病院での原告の症状ないし治療の詳細な経過やその間に行われた臨床検査等の結果に関する記載は存在しないのみならず、原告の社会保険中央総合病院への第二回入院の事実、原告の社会保険横浜中央病院への入通院の事実(但し、本多医師作成の診断書に記載されている限度の事実を除く。)及び原告の川崎幸病院への通院の事実自体すら全く記載されていないのである。従って、右鑑定資料に記載されていない各事実は原審鑑定人には不明であったというほかない。そうすると、原審鑑定は、右鑑定資料に記載されていない右各事実を全く参酌せず、しかも、鑑定時より五年以上も前の原告の症状のみに基づき、昭和五一年九月現在における原告の症度を判定したことになるといわざるを得ないのであるが、それで果して右日時現在における原告の症度を適正に判定することができたのであろうか。医学上の診断に関する経験法則に照らして考えると、多大の疑問が生じるのを禁じ得ない。

5  まとめ

以上のとおりであって、原審鑑定には、その鑑定資料を前記三点の資料のみに限定している点においても、その鑑定資料の記載内容の当否の審査方法においても、更に右三点の資料に基づく鑑定内容自体においても、幾多の疑問点があるといわざるを得ないから、その鑑定の結果をにわかに採用することは困難である。そして、以上に検討、考察したところから明らかなとおり、原審鑑定の証拠価値は、専ら、前記三点の鑑定資料の証拠価値のいかんにかかっているというべきであるが、右三点の資料に記載された社会保険中央総合病院及び社会保険横浜中央病院における本件疾患の診断についても種々の疑問点のあることは、前記の第六及び第七の一において検討、考察したとおりであるから、それらの診断の結果をそのまま相当と判断して、原審鑑定の証拠価値を積極的に認めることも困難である。もとより、原審鑑定の結果と右各病院における診断の結果とが一致していることをもって、右各病院における診断についての疑問点が解明されたということはできない。そうすると、原審鑑定の結果をそのまま採用して、本件疾患がスモンであると認定することは困難であるといわなければならない。

第九結論

一  以上に認定、考察してきたところに基づき、本件疾患がスモンであるか否かについて判断するに、前記認定のとおり、原告が本件疾患の発現前に相当量のエマホルム(キノホルム製剤)を服用していること、原告がその後前記の各病院において本件疾患がスモンであるとの診断を受けていることなどからして、本件疾患がスモンであることを無下に否定することはできない。しかしながら、右各病院での各診断には、いずれも前記のとおりの種々の疑問点があるのみならず、前記認定の本件疾患発現の経緯、その発現後最初に社会保険中央総合病院で受診した際の原告の主訴ないし症状、その後における本件疾患の症状及び治療の経過、その他本件疾患に関する諸般の事情を総合して考えると、本件疾患がスモンではなくして、その類似疾患、特にビタミンB群の不足、欠乏やアルコールの摂取等に基づく脚気、アルコール性ニューロパチー等の多発性神経炎又は亜急性脊髄連合性変性症等である可能性も十分にあるのであって、この可能性をにわかに否定することは困難である。そして、本件の全証拠を検討しても、本件疾患がこれらのうちのいずれであるかを明確に判定するに足りる資料は存在しない。また、先に認定、考察したとおり、スモンは脊髄の後索、側索及び後角に主たる病変が発現する中枢性の神経疾患であると解すべきところ、本件疾患がそのような中枢性の神経疾患であると断定ないし推定し得る症状等が原告に出現したことを認めるに足りる証拠資料も存在しない。更に、本件疾患に基づく原告の当初の症状は、社会保険中央総合病院への第一回入院中に、漸次好転し、経過良好と認められて、二か月足らずで退院することができたにもかかわらず、その後も相当期間にわたり、原告の症状の消長が繰り返されていることは、前記認定のとおりであるが、それが当初に発現した本件疾患自体の遷延ないし再燃によるものであるのか、それとも、その後各病院での治療中になされたキノホルム以外の各種薬剤の投与、その他の原因、又はその後に発症、合併した別個の疾患によるものであるのかについても、これを確定するに足りる証拠資料は存在しない。

二  そうすると、本件について原審及び当審で提出された全証拠によっても、本件疾患につき、キノホルム以外の原因及びスモン以外の疾患を除外して、これがスモンであり、それ以外の疾患ではないと断定することは困難であるといわざるを得ない。換言すれば、本件疾患がスモンであるという原告の主張は、これを積極的に認定するための証明が不十分であることに帰するといわなければならない。

もとより、民事訴訟法上の事実認定における証明は、自然科学上の事実認定に用いられるいわゆる論理的証明ではなく、社会科学、特に歴史学上の事実認定に用いられるいわゆる歴史的証明であるから、その証明の程度は、事実審の口頭弁論終結当時の自然科学の水準に照らし、一点の疑いをも差しはさむ余地のない程度の絶対的な真実の証明までは必要とせず、右口頭弁論終結当時の社会通念ないし経験法則に照らし、社会の通常人がその日常生活において疑いを抱かず安心して判断や行動の基礎となし得る程度の真実の蓋然性の証明、すなわちいわゆる真実の高度な蓋然性の証明を必要とし、かつ、それで足りるというべきである。しかしながら、本件においては、原審及び当審で提出された全証拠を総合して判断しても、本件疾患がスモンであるという原告の主張についての証明は、いまだ右にいう真実の高度な蓋然性の証明の程度にまでは達していないと解するほかない。

なお、そこで、当裁判所は、本件の当事者、特に本件疾患がスモンであることの証明責任を負う原告に対し、前記の各疑問点を解明するため、更に証人尋問、鑑定等を実施する必要はないかと、その立証を促したが、原告は、これを不要として、証人尋問、鑑定等の申請をせず、審理の終結を求めた。

三  以上の次第であって、原告の本件請求は、その余の点について判断するまでもなく、その理由がないことに帰するから、これを棄却すべきである。

よって、昭和五三年(ネ)第一九八六号事件の控訴は理由があるから、原判決中、被告敗訴の部分を取り消したうえ、原告の請求を棄却することとし、また、同第二一二一号事件の控訴は理由がないから、同控訴を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 奥村長生 裁判官 前島勝三 裁判官 富田善範)

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