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東京高等裁判所 昭和53年(う)1557号 判決 1979年6月14日

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金二〇、〇〇〇円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金二、〇〇〇円を一日に換算した期間、被告人を労役場に留置する。

原審及び第一次控訴審における訴訟費用のうち、その二分の一を被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、検察官提出の控訴趣意書に、これに対する答弁は、弁護人大野正男外九名連名提出の答弁書に、それぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。

一控訴趣意第二(法令解釈適用の誤の主張)について

所論は、要するに、原判決は、昭和二五年東京都条例第四四号集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例(以下「本件条例」という。)について、「本件条例がその指導者等を処罰することにより禁圧しようとする無許可集団示威運動とは、暴力的行動にまで発展する具体的危険性を帯有するものをいう」との見解に立ち、被告人らの本件集団行動は、証拠上、右のような集団示威運動と評価するに足りないから、被告人がこれを指揮誘導するような行動に出たとしても、その所為をもつて被告人に刑責を問うことはできず、結局犯罪の証明がないことに帰するとして、被告人に無罪を言い渡したが、右見解は失当であり、従つて原判決には、この点において、判決に影響を及ぼすことの明らかな法令解釈適用の誤がある、というのである。

そこで検討すると、まず、本件条例一条に違反し、同五条によつてその指導者等が処罰されることとなる集団示威運動が、暴力的行動にまで発展する具体的危険性を帯有することを要件とするものであると解すべき文理上の根拠は存しない。

また、集団行動(集会、集団行進及び集団示威運動をいう。以下同じ。)に関して、本件条例のように、許可を原則とし、不許可の場合が厳格に限定された許可制を設けること、及びその実効性を確保するため、無許可集団行動の主催者、指導者又は煽動者に対し、本件条例の程度の罰則を設けることは、憲法二一条、三一条を含む憲法秩序に違反するものでなく、このような許可制に違反して行なわれる無許可集団行動は、それ自体実質的違法性を有するものというべきであり、換言すれば、その間に、公共の安全や秩序に対する実害ないし具体的危険の発生の有無を問う余地のないことが、最高裁判所屡次の判例及びその趣旨により明らかである(昭和三五年七月二〇日大法廷判決・刑集一四巻九号一二四三頁、昭和四一年三月三日第一小法廷判決・刑集二〇巻三号五七頁。なお、昭和五〇年一〇月二四日第二小法廷判決・刑集二九巻九号七七七頁参照。)から、原判決のいうような限定解釈を加えるべき実質的根拠もまた見出しえない。

それ故、本件に即していえば、本件条例一条に違反する無許可集団行動の指導者を処罰することとする同五条の罪の成立には、公安委員会の許可を受けない集団行動が行なわれた事実と、被告人においてこれを指揮誘導した事実があれば足り、それ以上に、右集団行動が暴力的行動にまで発展する具体的危険性を帯有していることを要しないと解するのが相当である。

論旨は理由がある。

二控訴趣意第一(事実誤認の主張)について

所論は、要するに、原判決は、「被告人らが、公安委員会の許可を受けることなく、羽田空港国際線出発ロビー内外において行なつた本件集団行動は、そのあとに予定されていた別の場所での集団示威運動に突き進む手まえの予備的段階における勢ぞろい的な行動に過ぎず、集団示威運動として評価するに足りない」と認定し、被告人がこれを指揮誘導しても罪とならない、としているが、これは判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認である、というのである。

そこで、記録及び原審取調にかかる証拠を調査し、第一次及び第二次の控訴審における審理を含む当審における事実取調の結果をもあわせて検討すると、関係証拠、なかでも後記自判部分挙示の諸証拠により、本件起訴状記載の日時場所において、被告人が無許可集団示威運動を指揮誘導した事実を認めるに十分である。

詳言すれば、証拠により、原判決が右判断の基礎として二の(一)ないし(四)において摘示する諸事実、すなわち、

(一)  被告人は、日本中国友好協会(正統)中央本部(以下「日中正統」という。)の常任理事、教宣委員長をしていた者で、右団体は、昭和四二年一一月一二日佐藤首相が米国首脳と会談するため訪米することとなつたことについて、日本国際貿易促進協会(以下「国貿促」という。)とともに、右は日本と中国との友好関係を損なうものであるとして反対の態度をとることとし、これを阻止するため、当日羽田空港に参集するよう、両団体関係者に対し、機関紙などを通じて広く呼びかけていたこと、

(二)  同日午後二時四〇分ころ、被告人は、東京都大田区羽田空港二丁目三番一号東京国際空港ターミナル・ビルデイング(以下「空港ビル」という。)二階にある国際線出発ロビー(以下単に「ロビー」ということがある。)において、両団体関係者多数が参集したと見てとり、ロビー北西寄りに備え付けてある高さ約一メートルの人造大理石製たばこ吸いがら入れの上に立ち上がり、「佐藤訪米阻止の目的で来た人は集まつて下さい」と呼びかけると、約三〇〇名の者がこれに応じてその周囲に集合したので、被告人は、これらの者に対し、みずから「首相の訪米を断固阻止しよう」との趣旨の演説をしたのち、司会者役となつて、右集合した人たちに対し、まず日中正統の会長として黒田寿男を、ついで関西の代表として国貿促関西本部友好商社部会副委員長山本庄八を、最後に青年代表として森川忍を順次紹介し、これらの者において、次々と右吸いがら入れの上に立ち上がつて「首相訪米阻止」「蒋経国来日反対」などの趣旨の演説を行なつたが、被告人は各演説終了の都度、右吸いがら入れの上に立ち、こぶしを高く突きあげながら、「佐藤訪米反対」「蒋経国来日反対」「毛沢東思想万歳」などのシユプレツヒ・コールの音頭をとり、参集者一同に唱和させたこと、

(三)  森川の演説に引き続き、最後のシユプレツヒ・コールを終えた被告人は、同日午後三時四分ころ、右扱いがら入れの上から、参集者一同に向かつて「行動を開始します」と宣言し、これに応じて参集者中一部の者が、ロビー北側中央案内所前付近で、西方を向き、横に、五、六列、縦に一〇数列に並び、先頭部分の者はスクラムを組んで直ちに走り出し、すぐ左に向きを変えてロビーを半周する形でロビー南東隅から東に通じる職員通路に向かい、残余の者も大部分がこれに続き、その際「ワツシヨイ、ワツシヨイ」とか「訪米阻止」などとかけ声をかける者もあり、たちまち右集団は、右職員通路を駆け抜け、階段を降りて一階階段わきのレストラン「オアシス」前付近にいたつたところ、おりから同所で待機中であつた警官隊に阻止され、これと小ぜりあいを繰り返すなどしたが結局規制され、それ以上の集団行動に出ることはなかつたこと、

(四)  右のようなロビー内外における集団行動については、東京都公安委員会に許可申請はなされておらず、従つてまた同委員会の許可もなかつたこと、

が認められるほか、さらに、次のような諸事実も認められる。すなわち、

(五)  被告人らが(二)(三)摘示のような本件集団行動をしているころ、佐藤首相出発に際しての混雑防止のため、ロビーから歓送迎者用フインガーに通じるコインパツサーやロビーに接する有料待合室の業務は停止されていたものの、国際線航空機の発着業務自体は平常通り行なわれることとなつており、本件集団以外に一〇〇名以上の一般乗客及びその見送り人等がロビー内に居合わせ、ロビーの周囲の店舗等も平常通りに店を開いて営業をしていたが、本件集団の動きに伴い、空港会社職員らが、警戒のため、前記コインパツサーや有料待合室の前に人垣を作り、また、ロビー周辺の花屋やギフトシヨツプ等の売店の中には、店頭の商品を片づけ、シヤツターをおろすものもあり、空港としての搭乗案内も本件行動による騒音のため時には聴取できないような事態が生じ、また、本件集団がロビーから走り出たあとには、被告人がその上に立つて演説をし、シユプレツヒ・コールの音頭をとつていた人造大理石製、高さ約一メートルで相当な重量があると認められる前記たばこ吸がら入れがその場に押し倒されていたのであつて、以上のような事態は、従前、ロビーにおいて見られたことがないこと、

(六)  その間、空港ビル管理者は、場内放送設備により、業務放送の合間を縫い、特に音量を大にして、同ビル内での集会やデモ等は禁止されているから直ちに中止されたい旨、制止の呼びかけを再三繰返していたこと、

(七)  当時、ロビーに臨場していた制服、私服の警察官一〇名余は、被告人らの本件行動に対して警告、制止の措置をとらなかつたが、それは、これらの警察官の主たる任務が警備情報収集ないし状況視察にあり、三〇〇人もの人数による予想を超える集団行動に対して即時実力規制をもつて対応できるような態勢にはなかつたため、不用意に警告、制止等の措置をとるときは、かえつて摩擦と混乱を招き、重大な結果を生ずることを危惧し、かつは国会議員も参加していることであるから、被告人らが節度を保ち、空港側の制止に従つて直ちに行動を中止することをも期待していたことによるものであつて、本件行動は平穏で整然としており、容認されるべきものであると判断したのではないこと、

(八)  被告人は、前記放送による制止の呼びかけを聴取理解したけれども、あえてこれを無視して司会を続け、さらに前記警察官らの臨場を認めて、その動向を注視していたが、特段の動きがないことを見きわめると、前示森川忍の演説に引き続き、「警察官の面前で、首相訪米反対の意思を堂々と表示することができたのは、われわれの偉大な力である」旨述べて本件集団の士気を鼓舞したうえ、「これから抗議行動に移ることとするが、青年が先頭になり、他の人々はその後についてくれ」などとの指示を与えたのち、右手を挙げて、右(三)摘示のとおり「行動を開始します」と宣言し、集団行進の発進を促したこと、

(九)  羽田空港ビル内外の要所要所には、同ビル内での集会やデモ等を禁止する旨の注意書が平素から掲出されているばかりでなく、本件当日は、午前中から、ロビー中央付近の生花台の前をはじめ空港ビル各所に「空港ビル内での集会やデモ行為はお断り致します」との趣旨を記載した立看板多数が、見易いように設置されていたこと、

(一〇)  本件行動の事実上の主催者ともいうべき前示日中正統及び国貿促の各機関紙(日中正統発行の「日本と中国」一九六七年一一月二〇日号、国貿促発行の「国際貿易」同月一四日号、国貿促関西本部友好商社部会発行の「友好と貿易」同月一五日号、当庁昭和四五年押第六八号の九、一〇、一八)は、いずれも本件行動を羽田空港ロビーにおける「抗議集会」「デモ行進」「デモ」「デモ隊」などとして報道していること、

が明らかである。

以上の事実に徴すれば、昭和四二年一一月一二日午後二時四〇分ころ、前示羽田空港ビル二階国際線出発ロビーにおいて、被告人の呼びかけに応じ、約三〇〇名の者がその周囲に集合して以後、同日午後三時五分ころ、同空港ビル一階レストラン「オアシス」付近で、警察官の規制により集団行進を阻止されるまでの被告人ら本件集団の一連の行動は、単なる勢ぞろい的な行動に過ぎなかつたものとはとうてい言うことができず、全体として本件条例一条にいう集団示威運動に該当するものであり、かつ、被告人は、これを指揮誘導したものであることが明らかである。もとより、本件行動は、旅行者歓送迎に際しての単なる儀礼的日常的行動とはその性質を異にし、同条但書二号の「慣例による行事」にあたるものではない(なお、前示のような本件の経過、態様、その間における被告人の言動のほか、本件の証拠上あらわれている被告人の経歴、地位、知識、経験に照らせば、本件行動にあたり、被告人の違法性の意識に欠けるところがなかつたことも認めるに足りる。)。

それ故、本件行動を本件条例一条の集団示威運動と評価するに足りる証拠がないとし、被告人に対して無罪を言い渡した原判決は、重要な状況事実を看過し、あるいはその評価を誤つた結果、判決に影響することの明らかな事実誤認をしたものとしなければならない。

論旨は理由がある。

三そこで、刑訴法三九七条一項、三八〇条、三八二条により、原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に従い、被告事件について更に判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和四二年一一月一二日午後二時四〇分ころから同三時五分ころまでの間、東京都大田区羽田空港二丁目三番一号東京国際空港ターミナル・ビルデイング内国際線出発ロビーにおいて、日本中国友好協会(正統)関係者ら約三〇〇名が集合し、同都公安委員会の許可を受けないで、一団となり、「佐藤首相の訪米阻止」、「蒋経国の来日阻止」等のシユプレツヒ・コールや同趣旨の演説を行なつて気勢をあげたうえ、約五列の隊列を作つてスクラムを組み、「ワツシヨイ、ワツシヨイ」とかけ声をかけながら、かけ足行進をするなどの集団示威運動を行なつた際、同日午後二時四〇分ころ、右ロビー北西寄りに備え付けてあるたばこ吸いがら入れ(人造大理石製、高さ約一メートル)の上に立ち上がり、「佐藤訪米阻止の目的で来た人は集まつて下さい」と呼びかけて、その周囲に右の者らを集合させ、「佐藤首相訪米を阻止しよう」との趣旨の煽動演説をし、引き続き司会者役となつて関係者三名にも同様の演説をさせ、その間、繰り返し前記シユプレツヒ・コールの音頭をとるなどしたのち、同日午後三時四分ころ、右吸いがら入れの上から参集者の集団に向かい、さらに集団の士気を鼓舞する発言をしたうえ、「これから抗議行動に移ることとするが、青年が先頭になり、他の人々はその後についてくれ」と指示し、最後に、右手をあげ、「行動を開始します」と宣言して、右参集者らにスクラム行進を開始させ、もつて無許可の集団示威運動を指導したものである。

(なお、付言するに、被告人に対する本件起訴状記載の公訴事実は、被告人が、ほか数名と共謀のうえ本件犯行に及んだというのであり、原審における検察官の釈明によれば、右の共謀とは、原審相被告人山本庄八のほか、森川忍及び氏名不詳者二、三名との現場共謀を意味するものであるところ、本件証拠上は、右のような共謀の事実を必ずしも認定しえないものではないけれども、さきに被告人及び右山本についてなされた本件第二次控訴審判決(東京高等裁判所昭和五〇年(う)第二二九三号同五一年六月一日第四刑事部判決)は、被告人が単独で本件所為に及んだものとし、右山本については、被告人その他の者との共謀が認められず、同人が単独で本件集団行動を指揮したとも考えられないとして無罪を言い渡し、右判決山本に関する部分に対しては検察官の上告がなく、その確定を見ている状況にあり、かつ、被告人の本件所為は、それだけで無許可集団示威行動の指導の実行行為と評価するに十分であつて、他の者との共謀の有無は、構成要件該当性に消長を来たすことがないのはもちろん、犯情においても特段の差異を生ずるものでもないから、右のとおり、単独犯行を認定するにとどめる。また、右審理経過にかんがみれば、このような認定をしても当事者に対し攻撃防御上の不利益を与えるものではないと考えられるので、当審において特に訴因変更等の措置はとらない。)

(証拠の標目)<省略>

(法令の適用)

被告人の判示所為は、昭和二五年東京都条例第四四号集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例一条本文後段、五条に該当するところ、所定刑中罰金刑を選択し、所定金額の範囲内で被告人を罰金二〇、〇〇〇円に処し、刑法一八条により、右罰金を完納することができないときは金二、〇〇〇円を一日に換算した期間、被告人を労役場に留置することとし、刑訴法一八一条一項本文を適用して、原審及び第一次控訴審における訴訟費用のうち、その二分の一を被告人に負担させることとする。

(量刑について)

本件は、被告人も加わつて立案した計画に従い、前示のとおりあらかじめ発せられていた日中正統及び国貿促関係の機関紙等による要請に応じて、当日、「首相訪米阻止行動」のため羽田空港ロビーに参集した関係者三〇〇名以上に対し、被告人が呼びかけて一か所に集合させ、これを指導して本件一連の無許可集団示威運動をさせ、その結果、多数公衆の出入する公共的性格の強い本件ロビーにおいて、一時的とはいえ、騒音や激しい行動により、空港、売店の業務に支障を来たし、一般公衆にも迷惑を及ぼし、従来見られなかつた程度の不穏な事態を招来するにいたつた事案である。しかも、被告人らは、空港管理者のあらかじめ設置した、右のような行動の禁止されていることを明示する立看板や、行動開始後、空港管理者が場内放送設備により繰返し放送した警告、制止を認識したうえ、臨場警察官の動向を注視しながら、あえて本件行動を遂行しているのであつて、右のような規模、態様の行動が容認されないものであることは熟知していたとしなければならない。

のみならず、本件集団示威運動は、公安委員会の許可を受けることなく実施され、被告人もそのことを知悉していた。この点に関し、被告人は、本件のような行動に右許可を要するとは考えなかつた旨弁解する一方、被告人らとしては、本来、そのあとで、訪米出発のため空港に入る佐藤首相とその一行に近づき、直接、訪米反対の気勢をあげる集団示威運動をするようなことを漠然と企てており、むしろこのことに主眼があつたかのようにも言うのであるが、もしそのような計画があつたとすれば、これについては当然公安委員会の許可が必要であることは明らかで、そのための時間的余裕も十分にあつたにもかかわらず、被告人らにおいて、なんらそのような手続を履践していないのであるから、結局、被告人らとしては、当初から、当日の「首相訪米阻止行動」は、一切無許可のまま敢行する意図であつたと見るほかはない。

そして、関係証拠によれば、羽田空港における集団行動は、一般に、許可申請をしても許可される見込みがなく、ことに本件当日においては、許可のえられるはずもなかつたことが明らかであり、被告人の経歴、地位、知識、経験等からみて、当然、被告人もそのことは認識していたと解すべきであるから、被告人が本件行動につき許可申請をしなかつたことは、許可される見込みが全くなかつたからであるとともに、なまじ申請することによつて被告人らの意図するところが当局側に明らかとなり、空港ロビーを中心として厳重な警備がなされ、不許可のまま行動を強行しようとしても、本件程度のことすらできなくなることを慮つたためであるとも考えられ、警備の虚をついて行動する利益を失うことをおそれたものと推測できるとの検察官の主張も、一理あるものということができる。

さらに、被告人らの本件行動は、前示のとおり、ロビーに臨場していた警察官らの手にあまる規模、態様のものであつて、同所での実力規制などもないまま、レストラン「オアシス」付近で、ようやく一般的警備のため待機していた警察部隊(本件ロビーでの行動を予知してこれに備えていたものとは認められない。)に阻止されるにいたつたが、しかもなお、一部の者は滑走路突入を図り、前示機関紙中には、後日、これを日中関係者の英雄的行動として報じているものもあるほか、本件前日の清水谷公園における集会が、訪米「反対」集会であつたのに対し、羽田空港における行動は訪米「阻止」行動と呼ばれていたことが、無意味ないし単なる修辞とは考え難いことをも考えあわせると、被告人らとしては、あわよくば全員が滑走路への通路ないし滑走路自体に突入し、実力をもつて首相の自動車の進行を妨げ、あるいは乗機の発進を阻止したい意図をも有していたと見て差支えないと思われるのである。成功の見込みが少なく、規制の結果、現に未発に終つていることは、意図の悪質さを軽減するものではない。

また、本件行動参加者がおおむね平服を着用しており、旗、プラカード、腕章、たすき等を所持していなかつた点も、当日、あらかじめなされていた規制の結果、このような状態でなければ空港ロビーへの立ち入りは不可能であつたことが明らかであるから、これをもつて、本件集団行動が特に平穏を旨とし、示威的要素を有しないものであつた証左とすることはできない。

このようにみてくると、本件集団示威運動が平穏で軽微なものであつたなどとは、たやすく言うことができず、このことは、被告人の犯情を考えるうえで軽視できないところである。

もちろん、集団行動の情状と、その指導者、煽動者の犯情とは、ただちに一致するものでなく、悪質と評価すべき指導、煽動があつても、集団行動自体には特段の問題がない場合もあり、その逆の場合もありうるけれども、本件に関する限り、本件集団の行動が、被告人の予期した程度に達しなかつたとか、反対に、被告人の意図に反する逸脱行動に走つたものであるとかは認められず、被告人は、本件集団行動につき、相応の責を負うべきものといわなければならない。

そのほか、被告人には、以上指摘するような点についての、自覚、反省のあとが見受けられない。

このような見地からすれば、被告人が本件につき公訴を提起されたことは、まことにやむをえないところであることはもちろん、原審において、検察官が、被告人に対し、懲役六月の求刑をしたことも理解できないではない。

しかし、その反面、本件の動機は、佐藤首相の訪米が日本と中国の友好を阻害すると信じた被告人が、これに反対する意思を何とかして表明しようとしたことにあるのであつて、本件は、日中友好を念願する被告人の真摯な政治的信念に基づく行為であり、私利私欲に出で、あるいは徒に社会秩序を乱すことを目的とするようなものでなく、その態様においても、ことさらに過激異常な破壊的行動をとつたとは言い難い。そのほか、本件審理は一一年有余の長きに及ぶ結果となつているところ、それは、従前三度の無罪判決に対し検察官が上訴したことによるものであり、被告人としては、その間、訴訟終結のためとることのできる手だてもないまま、有形無形の社会的不利益を受けているとしなければならない(もちろん、本件事案の特質に照らし、このことはやむをえない事情によるものであつて、憲法の要請する迅速裁判の理念に反するとして免訴を言い渡すべき場合にはあたらない。)。

以上の諸点をあわせ考えて、当裁判所は、被告人に対する処遇としては、罰金刑をもつて臨むことが相当であると認めたものである。

よつて主文のとおり判決する。

(西村法 高山政一 田尾勇)

<参考>第一審判決―――――――――

(東京地裁昭四三(特わ)五九〇号、六四七号、刑事第八部判決)

理由

一本件公訴事実の要旨は、被告人両名は、日本中国友好協会関係者ら約三〇〇名が、昭和四二年一一月一二日午後二時四〇分ごろから同三時五分ごろまでの間、東京都大田区羽田空港二丁目三番一号東京国際空港ターミナル・ビルデイング内、国際線出発ロビーに集合し、東京都公安委員会の許可を受けないで、「佐藤首相の訪米阻止。」「蒋経国の来日阻止。」などのシユプレヒコールを行なうなどして気勢をあげたうえ、約五列になつてスクラムを組み、「わつしよい、わつしよい。」とかけ声をかけながら、駆け足行進をして集団示威運動を行なつた際、ほか数名と共謀のうえ、被告人両名において、それぞれ、集団中央部の台上から右シユプレヒコールの音どをとり、かつ、扇動演説を行ない、さらに、被告人坂田において、同集団に相対して右手をあげ、「ただいまから行動を開始する。」と指示し、スクラムを組ませて行進を開始させ、もつて右無許可の集団示威運動を指導した、というのである。

二<証拠>を総合すると、本件の概況として、つぎのような事実が認められる。

(一) 被告人坂田は、日本中国友好協会(正統)中央本部(以下単に日中正統と略称)の常任理事、教宣委員長をしていた者、被告人山本は、日本国際貿易促進協会(以下単に国貿促と略称)の関西本部友好商社部会副委員長をしていた者であるが、右の両団体は、昭和四二年一一月一二日佐藤首相が米国首脳と会談のため訪米することになつたことについて、これは日本と中国との友好関係をそこなうものだとして、反対の態度をとり、機関紙などを通して、首相の訪米阻止のため、当日羽田空港に参集するように、広く両団体の関係者に呼びかけていた。

(二) 被告人坂田は、同日午後二時四〇分ごろ、東京都大田区羽田二丁目三番一号東京国際空港ターミナル・ビルデイング(以下単に空港ビルと略称)二階にある国際線出発ロビー内に、すでに日中正統や国貿促の関係者がかなり多数参集したものと判断し、右ロビーの北西寄りにある高さ約一メートルたらずの大理石製のたばこの吸いがら入れのうえに立ちあがり、「佐藤訪米阻止の目的で来た人は集まつてください。」と呼びかけたところ、約三〇〇名の者が、これに応じて同被告人を中心にしてその周囲に集合した。そこで、被告人坂田は、これらの者に対し、まず、みずから、「首相の訪米を断固阻止しよう。」という趣旨の演説をしたのち、司会者役となつて、集合した人たちに対し、最初に日中正統の会長として黒田寿男を、ついで関西の代表として被告人山本を、最後に青年代表として森川忍を、順次紹介し、これらの者が次々に右たばこの吸いがら入れのうえにのぼつて、「首相の訪米を阻止する。」とか「蒋経国の来日に反対する。」などという趣旨の演説を行なつたが、被告人坂田は、それぞれの演説が終わるたびに、右吸いがら入れのうえに立つて、こぶしを高く突きあげながら、「佐藤訪米反対。」「將経国来日反対。」「毛沢東思想万才。」などという趣旨のシユプレヒコールの音どをとり、被告人山本も、自分の演説のあと、同様の音どをとつて、そのつど、集まつた者一同に大声で唱和させた。

(三) このようにして、森川の演説のあと、最後のシユプレヒコールを終えた被告人坂田は、同日午後三時四分ごろ、右吸いがら入れのうえから、参集者一同に向かつて、「これから行動を開始する。」と宣言し、これに呼応して、右のうち一部の者が、ロビー北側中央案内所のまえ付近で、西方を向きながら、横に五、六列、縦に一〇数列に並び、先頭部分の者はスクラムを組んで、ただちに走り出し、すぐ左に向きを変えてロビーを半周するような形で、ロビーの南東角にある職員通路の方へ向かい、その他の者も大半がこれに続き、その際、「わつしよい、わつしよい。」とか、「訪米阻止。」などとかけ声をかける者もあつた。そして一団は、あつという間に右職員通路を駆けぬけ、途中の階段を降りて、一階階段わきにあるレストラン「オアシス」まえ付近にいたつたところ、そこに待機していた警官隊に行く手をはばまれ、しばらくこれと相対じして小ぜりあいをくり返すなどしたが、結局、規制され、それ以上の行動に出ることができなかつた。

(四) 右のようなロビー内外での集団行動については、東京都公安委員会に許可の申請はなされておらず、したがつて同委員会の許可もなかつた。

三このように、当日空港ロビーに集まつて来た多数の者は、首相の訪米を阻止しようという呼びかけに応じて参集した人たちであつて、訪米反対の意思をなんらかの形で表明する目的をもつていたことは明らかであり、これらの人びとをその場に一団として集合させたうえ、その集団に向かつて演説をしたり、また、シユプレヒコールの音どをとつたり、あるいはまた、行動開始を宣言して行進に移らせたりすることについて、被告人両名が積極的に行動したことは前記のとおりであるが、当日の集団行動の実体を、その意図・目的ないしはその態様・規模・状態などに照らして、さらに詳しく検討してみることにする。

(1) 両団体の関係者は、その日、昼ごろから、三々五々、空港ビルに集まつて来て、かなりの数になつたが、他の多くの一般乗客と入り混じつた状態であつたので、被告人坂田としては、参集者を一団としてロビー内の一か所にまとめる必要を感じて、まず、参集した人たちに対して自分の近くに集まるよう呼びかけ、同被告人を中心にしてその周囲に集合させたわけである。したがつて、ロビー内における参集者の集合とそれに続く演説、シユプレヒコールなどの一連の行動は、参集した者たちお互いどうしの間で、その集団の一員であることを確認しあい、共通の気持ちや意思を相互間で鼓舞・激励しあうことにその主たる目的と意義があつたものと考えなければならない。もとより、公共の場所でのこのような行動が、その性質上、付随的に、集団の構成員以外の他の一般乗客などに対して、集団示威的な作用を営むことは当然考えられるところであり、被告人らもそのことは認識していたものと思われるのであるが、当日の集団行動は、少なくともロビー内での動きに関するかぎり、集団以外の他の一般乗客などを主たる対象とし、それに対する示威を主要な目的として行なわれたものとは、その具体的情況からしても、認めにくいところである。また、被告人坂田が、その前日清水谷公園で開かれた、同じような団体による佐藤訪米反対の集会やそれに引き続くデモ行進については、正規の手続きにより公安委員会の許可を受けて実行しているにもかかわらず、本件ロビー内の行動については、許可申請につき全く無関心とも思われる態度であつたこと、集会の終わりごろ、参集者一同に対して「これから行動を開始する。」と宣言して集団の移動を開始させたことなどからみても、同被告人としては、一般公衆に対する首相訪米反対のデモ行為は一応前日をもつて終了し、当日は首相やその一行に対する直接的な訴えに重点をおいた集団行動を考えて、そのため、まず人びとをロビー内の一か所に集合させたものと認めるのが相当であると思われる。そして、このロビー内における集会が、ことがらの性質上、たまたまそこにいあわせた一般公衆に対して若干集団示威的な性格を帯びた集団行動としての意味も兼ね備えることになつたとしても、本件では、被告人らが特にそのことを意図し、それを目的としてロビー内でその行動に出たと認めるにたる証拠はないのである。

(もとより、本件のロビー内での行動に続く次の段階の集団行動としては、首相やその一行、ばあいによつては、他の一般公衆に対する集団示威運動が予定されていたものと推認しなければならない。そして、そのような行動を公安委員会の許可なくして行なうことが許されないことはいうまでもないが、本件では、そのような行動に出るまえに、警察官によつて制止され、未発に終わつたのであつて、このことは、前記認定のとおりであり、それらの点については、さらに若干、あとで補足して説明する。)

(2) 空港ロビー内での日中正統や国貿促関係者の集団行動の態様・規模・状態など、外形的な面から観察しても、三、四名の者が演説したり、あるいはシユプレヒコールをくり返している段階では、それが、空港ビル側の業務の遂行にとつてある程度じやまになつたとしても、まだ、ひどくけん騒をきわめたり、いちじるしく常軌を逸したりするような状態にはいたつておらず、空港の出発ロビーという場所がらからして、一応、それほど極端に非常識だともいえない程度のやりかたとそうぞうしさで、事態は進行・推移して行つたのであつて、このことは、現場近くで警戒にあたつていた警察官が、特に警告を発したり、行為を制止したりなどしていない事実からもうかがえるところである。また、参集者のなかに、旗・プラカード・のぼり・マイクなどを持参したり、腕章・たすきなどをつけたりしている者がほとんど見あたらなかつたこと、ロビーにおける集団行動そのものはわずか二〇分間あまりの短時間で終わり、集団はあつという間にロビーから出て行つてしまつたこと、ロビー内にいた集団以外の一〇〇名くらいの一般公衆を特に対象にして、集団の思想内容や政治的主張を訴えるような言動や情況はなにもなかつたことなどを考えると、空港ロビー内でのこの集団行動は、空港ビル側の業務の遂行にひどく迷惑をかけるようなものに発展していたわけでもなく、また、集団以外の一般公衆に対して集団としての意思表示をすることを直接の目的とした示威的行動としての色彩も、この段階ではまだ、きわめて薄いものであつたといわなければならないのである。

(3) この集団が、被告人坂田の行動開始の宣言に呼応して、いわゆる行進を始めた際にも、先頭付近を除いては、必ずしも整然とした隊列が組まれていたとは認めがたいし、行進に要した時間は全部で、せいぜい一分くらいのものであり、走つた速度は、あとから追いかけた警察官が集団の姿を一たん見失うほど速く、走つた場所は、大半が職員専用の狭い通路で、そこでは示威の目的は全く達せられないようなところであつたことなどに徴すると、その間の行進は、その情況上、要するに、単なる急速な場所的移動としての性格が濃い行動であつたといわなければならない。

(4) 以上に述べたように、当日の集団行動については、少なくともそれまでの段階では、いかなる観点から見ても、集団示威運動としての特徴がそれほど顕著だとはいえないのである。では一体、この集団行動に続く次の段階としては、どのような行動が予定されていたのであろうか。集団がロビーを出たのち、それが向かつた方向や時間から考え、それは、首相が空港に到着する時刻をねらい、その通る道筋へおもむいたうえ、集団で首相の自動車を取り囲むなどしてその運行を妨げ、あるいは、滑走路などになだれこんで飛行機の発進に支障を生じさせるなど、集団の実力による首相一行の出発阻止を意図していたのではなかろうかという疑いがないわけではないが、当日の羽田空港内外における警察側の厳重な警戒態勢からみて、このような実力阻止の行動をとることは、まず、不可能に近かつたと思われるのであつて、この点からすると、被告人らを含む一団の人びとは、言葉のうえでは首相の訪米阻止ということを表明していたにしても、文字どおりに、物理的な実力で首相の出発を阻止するという具体的意図をもつて行動したわけではなく、むしろ、首相の一行にもつと近い場所に移動し、認識の射程距離内で、首相やその一行に対し、直接、訪米反対の気勢をあげ、抗議の意思を伝える程度の集団示威運動を企てていたにすぎなかつたとも思われるのである。そして、実際には、そのことすらも、警戒態勢をとつていた警察官にはばまれたため、果たせなかつたことは前示のとおりである。これを要するに、空港ビル内での集団の動きは、あとに予定された別の場所での集団示威運動に突き進む手まえの予備的段階における勢ぞろい的な行動にすぎなかつたといわなければならない。

四ところで、日中正統ならびに国貿促の関係者が、当日、行なおうとしていた集団行動は、未発の段階で阻止されたとはいえ、条例のうえでは、ともかく主催者側から公安委員会に許可の申請をしなければならない筋合いのものであり、また、空港ロビー内での行動にしても、予備的とはいえ、それ自体、ある程度の示威的要素を具備しており、また、事実、周囲の人びとに対して若干の示威的効果をあげたであろうことも否定できないところであると思われる。しかしながら、それだからといつて、東京都条例がその指導者などを体刑を含む重い刑罰で処罰することによつて禁圧しようとしている無許可の集団示威運動のなかに、本件のような予備的な行動までも含ましめ、罰則を適用することについては、大きな疑問があるといわなければならない。そもそも、貴重な表現の自由を犠牲にしてまで、刑罰をもつて集団示威運動を取り締まらなければならないおもな理由の一つは、それが「暴力に発展する危険性のある物理的力を内包している」からである。言いかえれば、それは、その集団に属している者だけにとどまらず、その周囲の者までが、示威運動に伴う刺激・興奮のため容易に暴徒化するおそれがある、ということであろう。本件のように、示威的色彩がまだ比較的希薄な予備的段階における集団の行為については、その危険は、それだけ少ないわけである。また、本件のばあい、その集団の行動が、勢いのおもむくところ、暴力的な行動にまで発展する具体的な危険性を帯有したものであつたとは、証拠上、断定しがたいところである。そしてまた、その集団の行動が空港ビル側や一般公衆などに対し、許される限度をこえて、不当な妨害や迷惑を与えたと認むべき証拠も不十分である。したがつて、当日のロビー内における集団の行動は、それ自体としては、まだ、都条例が刑罰による規制の対象として予想している集団示威運動の定型行為に合致した行動にまで進展していなかつたとみるほかはないのである。とすれば、被告人両名が、前示認定のように、空港ロビー内に参集した多数の者に対し、これを指揮・誘導するような行動に出たとしても、その行為をとらえて被告人らの刑責を問うことはできないわけである。このように、本件では、空港ロビー内の集団行動を集団示威運動として評価させるにたる明確な証拠が十分でないといわざるをえないのであるから、結局、被告人両名については、犯罪の証明がないことに帰着し、刑事訴訟法三三六条により無罪の言い渡しをする。

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