大判例

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東京高等裁判所 昭和51年(ネ)969号 判決 1981年1月28日

控訴人

有限会社伊沢製作所

右代表者清算人

伊沢健蔵

控訴人

伊沢義春

右両名訴訟代理人

鈴木稔充

被控訴人

伊奈大禮

右訴訟代理人

葉山水樹

外二名

主文

原判決を取消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実《省略》

理由

一<省略>

二<証拠>を総合すれば、

1  本件家屋は、木造亜鉛鋼板葺二階建居宅(総二階建であつて、その一階の床面積は一七〇平方メートル余)であつて、その西南角には木造塩化ビニール波板葺平家建の下屋(床面積4.8平方メートル余)が付置されていたが、本件家屋の間取、右家屋及び下屋に設置された構造物の配置状況並びに本件家屋の南面及び西面の外観は、概ね別紙図面(一)ないし(三)のとおりであつたこと、そして、これを更に詳説すれば、

(一)  本件家屋の外壁は、トタン板張り部分もあつたが、その南側部分の外壁は、厚さ七ミリメートルの白ペンキ塗装を施したベニヤの羽目板であつて、下屋の外壁も同様のベニヤ板であつたこと。

(二)  下屋は、主として物置として使用されていたが、そのほかその内部の本件家屋に接する部分には都市ガス用循環式湯沸器(風呂釜)が設置され、これに附属する排気筒は、下屋南側外壁の床面から約二メートルの高さの位置に設けられた貫通口から曲り管によつて外部に導かれていたが、この貫通口は、次に述べる鉄製の外階段の西側に比較的近い場所に位置していたこと、そして右風呂釜の位置及びこれにほぼ接する本件家屋一階の風呂場の外壁面の構造は、別紙図面(四)のとおりであつたこと。

(三)  本件家屋の二階部分は、その東側の和室八畳間をのぞき、当時被控訴人が相良守次から使用借していたのであるが、その玄関は前記風呂場のほぼ真上に位置し、その出入には玄関から直接地上に降りる鉄製の外階段を使用していたこと、また玄関タタキの西側に接して設けられた洋服掛及び物入れは、その床面の西側の約半分に当る幅約四五センチメートルの部分が本件家屋の一階より更に西側にハミ出すように造りつけられ、このハミ出した部分の外側の底面はベニヤ板張りで当初は露出していたが、それが見苦しかつたため二階の板製外壁を下屋の屋根にほぼ接するまで延長して、この露出部分を蔽つたこと。

2  控訴人会社は、昭和四七年一一月中旬に前記外階段の掛替工事を請負つて同年一二月初旬に着工し、まずその本体の掛替工事を終え、本件火災当日は、外階段踊場の西側部分を幅約四五センチメートルにわたつて拡幅し、手摺を取つける作業とその総仕上作業を行つたのであるが、控訴人義春は、当日午後五時過頃右の作業現場に到着し、その場で午後六時頃まで電気熔接作業を行つたが、そのうちの約二〇分位は階段踊場上での別紙図面(三)の朱線部分の熔接作業及び踊場と玄関の間に生じた約七センチメートル幅の間隙を鉄板で埋めるための熔接作業であり、同控訴人は、右作業に引きつづき同所でサンダー仕上作業をも行つたが、右の作業によつて生じたかなり多量のほぼ鉛筆の芯大の火花(熔断スラッグ)が、熔接箇所を中心に三〇センチメートルないし四〇センチメートル四方にわたつて飛散したこと。

以上の事実が認められる。当審証人保田幸子は、右の熔断スラッグの飛散状況について、小指頭大の赤熱したスラッグが熔接作業の行われた場所から二メートル余も離れた(右の作業場所と被控訴人の隣家に当る同証人宅までの距離が二メートル以上あることは、別紙図面(一)によつて明らかである。)同証人方の庭にまで落ちた旨供述し、<証拠>中にも一部これと趣旨を同じくする記載部分があるけれども、右の供述並びに記載部分は、<証拠>に照らして措信できないし、他に右の認定に反する証拠はない。

三ところで、本件火災の発生原因については、<証拠>を総合すれば、放火による出火の可能性は絶無であつて、失火であるとしても漏電による可能性はなく、考えうる原因は、(一)前記外階段踊場における熔接等の作業によつて生じた焔が直接本件家屋の構造材に作用して無焔着火させたか、あるいは右の作業によつて前記のように多量に発生飛散した熔断スラッグが本件家屋の外壁面その他の部分に滞留して着火させ又はビニール波板を貫通して下屋の内部の落下し可燃物に着火させたか、(二)若しくは、風呂釜の使用による前記排気筒の過熱によつてその貫通口附近の板壁に蓄熱され、その結果無焔着火するにいたつたか、以上のいずれか以外にはないことが認められるから、以下項を改め、右の出火の可能性につき逐次検討を加えることとする。

四1  まず本件火災の出火場所について検討すると、

(一)  <証拠>を総合すれば、本件火災による焼毀部分のうち、最も激しい焼毀の痕跡が残された部分は、本件家屋と下屋の接する部分のうち、下屋内の風呂場焚口のモルタル塗壁面からうえで、しかも下屋の南側壁及びこれに接する部分(別紙図面(四)参照)であつて、この部分からその上に位置する洋服掛が焼け抜け、更に本件家屋の屋根のうち、この上部のみが焼け抜けていて、下屋の内部から洋服掛等にかけての燃え上りの方向性が観取されたほか、前記外階段には、排気筒の貫通口からの燃え上りによる変色が見られ、また風呂場南側の外壁は、その内側からの焼毀が強く、その外側の焼毀がすくなかつた事実が認められ、

(二)  <証拠>を総合すれば、本件火災発生当時控訴人義春は、外階段踊場で二階玄関に背を向けた姿勢でサンダー仕上作業をしていたのであるが、出火は、外階段下において跡片付をしていた控訴人会社の従業員耘野左近が本件家屋二階内部の異常に気づいたことによつて発見され、耘野左近及び同人と一緒にいた西山由一の「二階の内部が変だ」という声によつて、控訴人義春が二階玄関の扉をあけたところ、火はすでにその内部にまわつていたこと、相良守次の妻元子は、本件火災発生当時、本件家屋の階下にいたが、控訴人義春による出火の知らせによつて屋外に出た際、下屋の上部から火が吹き出し二階に燃え上つているのを目撃し、またその頃隣家の保田幸子も同様な状態で本件家屋が燃えているのを目撃した事実が認められる。

(三) 以上(一)、(二)において認定した事実によれば、本件火災の出火場所が下屋の内部であつた蓋然性は極めて高いのみならず、前記二の2において認定した事実関係によれば、熔接作業等によつて生じた多量の熔断スラッグが外階段踊場と玄関の間隙その他から本件家屋及び下屋南側の壁面に降りそそがれた可能性があつたことは見易いところであるが、右の壁面が白ペンキ塗装によつて保守されていたことは前記認定のとおりであるから、右のように熔断スラッグが飛散したとしても、それらは殆んど反射して壁面に滞留する可能性は少なかつたものと推認され、<証拠>中本件家屋の柱の表面は、かなりくさつていて熔断スラッグが滞留する可能性があつたとする部分は、<証拠>に照らして措信できないし、また熔接作業の行れた階段踊場の比較的近くに排気筒の貫通口が存在したことは前記認定のとおりであるが、<証拠>によれば排気筒の曲り管の部分には鍔様の金具が取つけられ、排気筒及びこの金具によつて貫通口を完全に塞ぐようになつていたことが認められるのであつて、熔断スラッグが貫通口から下屋の内部に落下した可能性も、貫通口部の板壁断面に熔断スラッグが滞留した可能性もまたあまり高かつたとは考えられない。そして他の本件全証拠を検討して見ても熔接作業による焔又は熔断スラッグによつて本件家屋又は下屋の外壁にまず着火し、それが内部に燃え移つたと認めるに足る証拠はないから、本件火災の出火場所は下屋の内部であつて、その位置は具体的に確定することはできないけれども、風呂場焚口上部ないし排気筒を含めたその周辺部であつたと推認するほかない。

2 以上の可能性のほかに、前記認定のように飛散した熔断スラッグが下屋のビニール波板を貫通してその内部に落下し、可燃物に着火させた可能性をも忘れてはならないが、前記桜井証人の証言によれば、本件火災後の捜査において、下屋の内部から熔断スラッグが発見されなかつた事実が認められるのみならず、<証拠>を総合すれば、鉛筆の芯大の熔断スラッグがビニール波板を貫通した場合、その帯有する熱エネルギーは右の貫通によつて消耗され、たとえ落下しても可燃物に着火させる可能性は殆どないことが認められるのであつて、この可能性もまた極めて微少なものであつたと云わざるを得ない。なお、当審証人伊奈幸子は、前記のように二階洋服掛の外壁を下屋の屋根に接するまで延長する工事をした際に生じたカンナ屑等が右板壁の内側に残置されこれに熔断スラッグが接触して着火した可能性がある旨供述するけれども、この供述は、前記四の1の(一)において認定した本件家屋の焼毀状況に照らして採用の限りではない。

3  最後に前記の排気筒の過熱による出火の可能性について検討して見ると、右の排気筒が床面から約二メートルの高さに設けられた下屋の板壁の貫通口から外部に導かれていたことは前記認定のとおりであるが、<証拠>を総合すると、右貫通口には、もともとメガネ石、トタン板等の断熱物は取つけられないで、排気筒の支持金具によつて、その曲り管の部分が直接貫通口に接触しないように設備されていたが、前記の外階段の掛替工事の着工に当り、排気筒の外部の立ち上り管がその障害となつたため、これを取外すと同時に右の支持金具を取外し、曲り管の外部に出ていた部分を西側にねじ曲げた状態にしたこと、その結果排気筒は直接貫通口部の板壁に接触するにいたつたが、そのままの状態で本件火災にいたるまでの約二週間連日風呂が焚かれ、本件火災当日も午後四時頃から風呂釜のガスに点火されたことが認められる(なお、<証拠>によれば、本件火災当時風呂釜に接続する都市ガスの元栓は、完全に閉鎖されていたことが明らかであるから、都市ガスの漏洩が出火の原因でないことは自ら明らかである。)のであつて、排気筒の状態が右のとおりである以上、これが過熱して貫通口附近に蓄熱されれば無焔着火にいたる可能性がなかつたとは断定しがたいのであるし、この点について<証拠>によれば、排気筒の貫通口における温度は、七〇度以上に上昇することはないのであつて木材の着火温度四〇〇度に達することがないのはもとより低温着火の可能性も全くなかつたとするのであるが、同証人の証言によれば、右の貫通口の温度七〇度は、本件と同種の風呂釜及び排気筒の実験によつて得られた測定値ではなく、他の実験データをそのまま利用したにすぎないことが明らかであるにかかわらず、右データがいかなる条件下の実験によつて得られたものであるかは明らかにされていないのであるから、これをそのまま全面的に信用するわけにはいかないし、<証拠>を総合すれば、本件家屋内の風呂場に設置された浴槽はポリエチレン製であつたが、本件火災によつて、その一部分は底部にいたるまで熔解又は燃焼し、その内部に水が残留していなかつたことが認められ、前記伊奈証人の証言中この認定に反する部分は、右の証拠に対比して措信できないのであつて、この事実によれば、本件火災直前に、前記のように風呂釜に点火された際、それがいわゆる空焚であつて、排気筒の貫通口部における温度が通常予想される温度よりはるかに高温に達した可能性も否定することはできないのである。なお、<証拠>によれば、当日本件風呂釜に点火したのは被控訴人方の使用人である訴外田原八重子であつたことが認められるが、<証拠>中同人が午後三時四〇分ごろ点火し、二〇分程度で風呂が沸いたのでガスの火を消した旨の相良元子の供述部分は、前後の記載とあわせると田原がそのような日課に従つて行動していたから、当日もそうであつたろうとの推測にもとづく供述ではないかとの疑いがあり、他に田原の当日の行動についてこれを明らかにする資料は見当らず、結局本件において風呂のガス栓が何時何人によつて閉じられたのかを的確に知ることができない。

そうして見ると、本件火災の原因が排気筒貫通口附近の過熱によるものと積極的に断定し得ないにしても、右の事実と前記四の1の(一)において認定した事実とを総合して考えると右の過熱が出火の原因となつた蓋然性も一概に否定することができないものといわざるを得ない。

五そして、右風呂釜の過熱に基因する出火の蓋然性が否定できず、一方先に見たように控訴人義春がした熔接作業等によつて飛散させられた熔断スラッグによる出火の蓋然性が完全に否定できないまでも、かなり程度の低いものであることを彼此考量するときは、後者が本件火災の原因であつたとはにわかに断定できないし、他の本件証拠を検討して見ても、右の事実を確認できる資料はない。

六そうして見ると、被控訴人が主張する本件火災の出火原因は、その証明がないことに帰するから、被控訴人の本訴 各請求は、その他の争点について判断するまでもなく失当として棄却をまぬかれない。

よつて、これと趣旨を異にする原判決を取消し、被控訴人の本訴請求を棄却することとし、民訴法九六条、八九条の各規定を適用して、主文のとおり判決する。

(石川義夫 寺澤光子 原島克己)

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