大判例

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東京高等裁判所 昭和51年(ネ)910号 判決 1977年2月24日

控訴人

三枝由美

右訴訟代理人

工藤舜達

被控訴人

土屋重成

右訴訟代理人

小田切秀

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実《省略》

理由

一被控訴人の本訴請求は、被控訴人が昭和一〇年六月一一日本件不動産の所有者である半二から右不動産の贈与を受けたこと、次に、仮に右贈与契約が認められないとしても、右の日から、又は半二が死亡し、次いでその妻かんが昭和二五年一月一八日死亡した時から、被控訴人が本件不動産を占有しており、右各時点からそれぞれ起算して一〇年又は二〇年の期間の満了とともに時効によつて右不動産の所有権を取得したことを理由として、半二及びかんの各遺産の共同相続人として本件建物の二分の一の持分権を主張する控訴人に対して右建物が被控訴人の単独所有に属することの確認を求め、また、本件土地については、第一次的に半二の権利義務を承継した控訴人に対し贈与契約上の義務の履行として所有権移転登記を求め、仮定的に上記各時効によつて取得した所有権に基づき右二分の一の共有持分権移転登記を求めるものであるところ、原判決は贈与の主張及び昭和一〇年六月一一日以降の占有による時効取得の主張を排斥し、結局かん死亡後二〇年の期間満了による被控訴人の所有権の時効取得を認め、本件建物についての被控訴人の単独所有権確認請求を認容し、あわせて控訴人に対し、本件土地につき右時効取得を原因とする二分の一の共有持分権の移転登記手続を命じたものであり、控訴人の控訴にかかる当審においては、専ら被控訴人による右時効取得の成否のみが争われているので、以下においてこの点につき判断する。

二半二が本件不動産の所有者であり、本件土地について大正九年二月二四日付で所有権取得登記を経ていたこと、半二が昭和二二年九月一八日死亡し、その妻かんと半二、かん夫婦の養子である被控訴人及び同じく右両名の養子であつた恵子(昭和一四年三月六日死亡)の代襲相続人である控訴人がそれぞれの法定相続分に従つて半二の権利義務を承継したこと、次いでかんが昭和二五年一月一八日死亡し、被控訴人と控訴人が共同相続人としてかんの権利義務を二分の一ずつ承継したことは、いずれも当事者間に争いがない。

三原判決は、被控訴人がかん死亡後本件不動産を単独で占有してきたことを認定し、さらに原判決理由摘示の具体的事実関係を認定したうえ、被控訴人による本件不動産の右占有を前記のような共同相続関係にもかかわらず、被控訴人の単独所有の意思による自主占有であり、かつ、善意、平穏、公然のそれと判断し、ただし単独所有と信ずるにつき過失があつたものと認め、右占有の開始の時から二〇年の経過により、被控訴人が本件不動産の単独所有権を時効取得したと判断した。当裁判所もまた、原判決の右判断をその結論において正当と考えるものであり、その理由は、次のとおりである。

1  <証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

(1)  被控訴人が半二、かん夫婦と養子縁組をするに至つた経緯については、原判決の判示(原判決八枚目表末行から同九枚目裏末行まで)のとおりであるから、これをここに引用する。

(2)  被控訴人は、半二、かん夫婦と養子縁組をしたのち、直ちに本件建物に入居して半二夫婦と生活を共にし、本件不動産をその家族の一員として占有、使用していたが(その間の状況については、原判決の判示(原判決一二枚目表一〇行目から一三枚目表一行目の「行つて来た。」まで)のとおりであるから、これをここに引用する。)、半二に次いでかんが死亡したのちは、専ら被控訴人が、その妻春子及び五人の子らとともに、本件不動産を生活の本拠として独占的にこれを占有使用収益し、かつ、自己の出捐と責任において管理し、現在にいたつている。

(3)  他方、恵子と半二夫婦との関係は、恵子が前記のように被控訴人との婚姻の挙式当日家出したのちは、半二夫婦において恵子をいわゆる勘当し、親子の共同生活関係を廃絶し、別居していたが、恵子は、その後三枝栄策と知り合い、同人の子を宿し、同人と婚姻するため、昭和一二年一月一〇日ころ被控訴人の結婚の仲人であつた井上慶三とともに半二夫婦を訪れ、婚姻費用や出産費用などにあてるための金員の贈与を懇請し、これに対し半二夫婦、特に半二は自己に手持余裕がないため結局被控訴人に依頼せざるをえずさりとて自己の口から被控訴人に話をすることもできないので、井上に説得方を依頼し、井上において上記事情及び恵子と土屋家との縁を切るためにはこの際五〇〇円程度の金員を与えることもやむをえない旨を被控訴人に説明して説得に努めた結果、被控訴人は結局恵子と土屋家との関係を絶つ手切金の趣旨においてその支払を承諾し、自己の預金から払い戻して即日半二を通じて恵子に金五〇〇円を交付した。その後恵子は同年三月一六日被控訴人を出産し、同年九月三日三枝栄策と婚姻の届出を了したが、結核にかかり、しばらく療養後昭和一四年三月六日死亡した。その間、かんが控訴人出産の際及び恵子死亡の際に三枝家を訪れ、また半二もそのころ一度三枝家を訪れたことがあるほかは、半二夫婦及び被控訴人と恵子の前には相互に交渉がなく、また恵子死亡後は控訴人及びその父栄策もまた、半二夫婦、被控訴人と全く没交渉のまま推移した。

(4)  被控訴人は、さきに半二が被控訴人との養子縁組をするに恵子を勘当する旨言明していたことに加えて、前記のような経緯で恵子に五〇〇円を支払つたこともあつて、半二夫婦と恵子との間の養親子関係は法律上も全く解消したものと信じていた。そして半二が「日本国憲法の施行に伴う民法の応急措置に関する法律」の施行により旧民法の相続に関する規定の適用がなくなつた後間もない昭和二二年九月一八日に死亡したときは、旧民法どおり自己が家督相続をしたものと考え、控訴人が恵子の代襲相続人として共同相続人となるなどということにはもとより思いもいたらず、その後かんが昭和二五年一月一八日に死亡した際も全く同様であり、したがつて少くともかん死亡後は、自己が本件不動産の唯一の所有者であると信じていた。そして本件不動産の固定資産税についても、昭和三六年度分までは半二名義で、その後は被控訴人名義で課税されたが、いずれも被控訴人において自己の資金から出捐してこれを支払つてきた。また、半二死亡後かん生存中の昭和二三年三月ころ本件建物の移築改造を行つた際にも、被控訴人の名義で建築の許可申請をし、その許可を得て、自己の出捐でこれを行なつたこともあつた。ところが昭和四七年三月に被控訴人において本件不動産を担保として他から借金するため登記上の所有名義を自己に変更する必要を生じた際、他から指摘されて始めて、被控訴人は自己と控訴人とが本件不動産の共同相続人の関係にあることを知るにいたつたのである。

(5)  他方、控訴人及びその父三枝栄策は、前記のように半二夫婦及び被控訴人らと全く没交渉に生活していたため、土屋一家の動向には全く関心がなく、前記のように共同相続関係を知るにいたつた被控訴人が前記日ころ本件不動産の所有名義人を被控訴人に移すことにつき控訴人に承諾を求めたため、ここにおいて始めて半二、かんの死亡と各相続の開始の事実を知つた。それ故、控訴人は、かん死亡の昭和二五年一月一八日以後の被控訴人による本件不動産の単独占有使用に対しては、もとより異議を述べる機会はなかつた。

以上のように認定することができ<る。>控訴人は、被控訴人が婚姻届出、子五人の出生届出等の際に戸籍謄本を調査し、恵子と半二夫婦との離婚届出が済んでおらず、控訴人が恵子の子として相続人の一人であることを知つていたはずであるというが、これに沿う証拠はなく、<証拠>によると、被控訴人は恵子が離婚されたと思つていたため、上記各届出の際にも戸籍の記載を精査して離縁届出の有無を確めたこともなかつたことが認められるから、右控訴人の主張は採用できない。また、控訴人は、半二死亡後税務署からの通告により被控訴人において本件不動産の相続税を納付したが、右納付はかんと被控訴人及び控訴人の三者の名でされており、したがつて被控訴人はこのような共同相続関係を知つていたものであるというが、原審及び当審における被控訴人尋問の結果によれば、被控訴人は半二死亡の翌年所轄税務署から呼び出されて相続税の申告、納付を督促され、署員に申告書を代筆してもらつて自己の出捐により相続税を納付したが、その際相続関係が具体的にはどのようになつているかを深く意に介することなく、自己の印章を係員に手渡して申告書に押印してもらい税金を支払つたものであることが認められるから、右事実から被控訴人が控訴人もまた共同相続人の一人であることを認識したとの事実を推断することはできない。他に上記認定を左右すべき証拠はない。

2  右に認定した事実関係によれば、被控訴人は半二の死亡によりその遺産をかん及び控訴人とともに共同相続し、かんの死亡によりさらにその遺産を控訴人とともに平等の相続分をもつて共同相続したものであつて、このような相続関係からみるときは、控訴人がかん死亡以後単独で本件不動産を占有していたとしても、この事実のみからは直ちにこれを被控訴人の単独所有の意思による自主占有とみることはできないけれども、(1)被控訴人は、前記認定のような事情から、半二夫婦と恵子との養親子関係は法律上も解消したものと考え、したがつて少くともかんの死亡後は自己が唯一の相続人として本件不動産の単独所有者であると信じてこれを占有していたものであること、(2)被控訴人は、かんの死亡後は本件不動産を自己一家の生活の本拠として使用収益し、その管理を行い、公租公課を含む一切の費用を支弁してきたこと、(3)恵子と半二夫婦との養子縁組は、法律上離緑とはなつていないものの、少なくとも恵子に五〇〇円の金員が交付された以降は、上記のように事実上協議離緑にひとしい状態になつており、控訴人一家は、土屋一家とはほとんど全く没交渉に生活し、同家の動向には全く関心がなかつたこと等の前記諸事情を総合するときは、かんの死亡とともに開始された被控訴人の本件不動産の占有は、右不動産に対する被控訴人の単独所有の意思による自主占有としての性格を帯有するものと認めるのが相当というべきである。控訴人は、被控訴人が相続による占有開始の際主観的に単独所有の意思をもつていたとしても、これを他の共同相続人である控訴人に対して表示しない以上控訴人との関係では右占有は被控訴人の単独所有意思による自主占有とはいえないと主張するが、上記のごとき事実関係が存する以上、たとえ控訴人のいうような表示がされなくても、被控訴人の右占有をその単独所有意思による自主占有と認めることに妨げない。また、控訴人は、控訴人が被控訴人の本件不動産の占有に対し異議を述べなかつたのは、その機会がなかつたためで、控訴人に過失はないのであるから、異議がなかつたことを理由として被控訴人の自主占有を認めることは許されないと主張する。しかし共同相続人の一人による単独自主占有の成立を肯定しうるためには、他の共同相続人がその責に帰すべき事由により右占有に異議を述べなかつたという事実の存在を常に必要とするものではなく、上記(1)から(3)まで摘示のような事実関係の存在のみによつて右の単独自主占有を認めるに妨げないのみならず、本件においては、控訴人がかんの死亡およびこれによる相続開始の事実を知らず、そのために被控訴人の本件不動産の単独占有に異議を述べる機会をもたなかつたのは、ひつきよう前記のように控訴人一家と土屋一家とが互に全く没交渉かつ無関心な状態のもとで生活してきたためであるから、これらの事情は、かえつて被控訴人の単独自主占有を肯定する理由にこそなれ、これを否定すべき理由となるものではない。よつて、控訴人の右主張も採用できない。

3  右の次第で、被控訴人は、かんの死亡とともに本件不動産につき単独所有の意思をもつて善意でその占有を開始し、以来平穏かつ公然とこれを継続してきたものであるところ、被控訴人が相当の注意をもつて相続関係を調査すれば、控訴人が被控訴人とともに共同相続人であることを知ることができたのに、被控訴人はこれを怠り、自己を唯一の相続人であり、したがつて本件不動産の単独所有者であると信じたことには過失があるというべきであるから、被控訴人は、右占有開始の時から満二〇年の昭和四五年一月一八日の経過をもつて、本件不動産の所有権を時効により取得したものというべきである。

四以上のとおりであるから、控訴人に対し本件土地の共有持分二分の一について昭和二五年一月一八日時効取得による持分権移転登記手続を求める被控訴人の請求及び控訴人においてその二分の一の共有持分権を主張している本件建物につき、同建物が自己の単独所有者であることの確認を求める被控訴人の請求はいずれも理由があり、これを認容した原判決は相当であつて、本件控訴は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(中村治朗 蕪山厳 高木積夫)

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