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東京高等裁判所 昭和51年(う)2073号 判決 1977年2月23日

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人伊藤正義が差し出した控訴趣意書に記載してあるとおりであるから、これを引用し、これに対して当裁判所は、次のように判断する。

弁護人の控訴趣意第一点について

所論は、原判決が(量刑の理由)の項において、(尚自供によれば昭和四五年頃にも酒気帯び運転で罰金二〇、〇〇〇円を支払ったことがある由である。)と説示している点を捉え、右事実については自白だけで補強証拠がないことは明白であるところ、刑訴法三一九条二項は、罪となるべき事実の認定のみならず、刑罰権の範囲を画する前科の事実についても、広い意味における「罪となるべき事実」に該当するものであり、本件のように刑を加重する方向に前科の事実を認定する場合には、自白のほかにこれを補強する証拠を必要とする趣旨であると解すべきであるから、原判決が被告人の自供だけに基いて前科の事実を認定したのは明らかに前記条項に違反し、原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな訴訟手続の法令違反があるというのである。

そこで検討するに、原判決の判文に所論指摘の記載があること、原判決が本件刑の量定にあたって、所論指摘の前科を被告人に対し不利益な情状として考量していると認められること、右前科には被告人の自供があるだけで補強証拠のみるべきものがないこと、以上の諸点は所論のいうとおりである。

ところで、前科の事実を刑を加重する方向に用いる場合、とくにそれがいわゆる累犯前科であるときは、罪となるべき事実に準じて取り扱うべきものとするのが判例、学説の大勢であり、本件のように単に被告人に対する不利益な情状の一つとして取りあげる場合においてもその取扱いを厳格にするのが実務の趨勢であるということができる(実質的に考えても前科の内容は種々様々であるだけに被告人の自供だけではその認定に誤りなきを保し難いものがある。)。この点において、本件の場合その自供が原審公判廷において弁護人の質問によりなされたものであり、またその記載の方法につき括弧を用いて単なる参考に過ぎないことを表示する等一応の配慮が施されているものであるにしても、それを掲げて量刑の資料とすることは、違法とまでは云わないにしても、少なくとも妥当を欠く措置であるとしなければならない。もっとも被告人には前科調書、調書判決謄本によって証明可能な、後記の道路交通法違反の前科があるのであって、所論の前科を除くこれらの前科の存在とその他の諸般の情状によっても原判決の量刑は相当であると認められ、この意味においても原判決の説示が判決に影響を及ぼすとまでみることはできない。論旨は理由がない。

同第二点について

所論は、原判決の量刑不当を主張し、再度刑の執行を猶予せられたいというのである。

そこで、原審記録を精査し、当審における事実取調の結果をも合わせて所論の当否につき検討するに、本件は、原判示のとおり、一回の酒気帯び運転ではあるが、その量刑にあたり考慮すべき事項は、おおむね原判決が(量刑の理由)の項(ただし、前記括弧内を除く。)で説示しているとおりであって、被告人はすでに昭和四八年一〇月一九日本件と同種の道路交通法違反(酒酔い運転)により罰金五〇、〇〇〇円に処せられたほか、同五〇年三月一八日には本件と全く同じ道路交通法違反(酒気帯び運転)により懲役二月、三年間刑の執行猶予の判決言渡しを受けているのであって、本件は右執行猶予中の犯行にかかるものであり、法無視の態度は厳しく責められるべきである。所論が縷々主張し、記録上も明らかな、被告人の反省の態度、本件を犯すに至った事情、営業・家庭の情況等、有利な情状をできる限り斟酌してみても、原判決の量刑はまことにやむを得ないところであって、重きに過ぎて不当であるとは考えられず、まして再度刑の執行を猶予すべき事案とは認められない。論旨は理由がない。

よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 服部一雄 裁判官 藤井一雄 中川隆司)

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