大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和45年(う)2758号 判決 1971年3月04日

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役二年に処する。

原審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

<前略>

一、弁護人の控訴趣意一、二、事実誤認の主張について

所論は原判示第二事実につき、被告人は原判示のとおり自己の運転する軽乗用自動車を被害者に衝突させて重傷を負わせ、同人を自車に乗せて原判示場所に運び、その場に降したまま放置して救護の措置をとらなかつたものではあるが、被害者は放置されたことにより死亡する可能性はなかつたのであるから、被告人が、被害者の死亡するかもしれないことを認識しつつこれを認容した趣旨の供述をしても、原判決が未必的故意による殺人未遂の事実を認定したことは事実の誤認であると主張する。しかし記録を精査すれば原判決の挙示する証拠に基き十分原判示事実を認定し得る。本件衝突事故による被害者の受傷程度は、受傷の二時間余り後に診断に当つた医師をして加療一〇ケ月を予想させた左大腿骨複雑骨折、頭部外傷、右下腿打撲傷等の重傷であり、被害者が放棄された日時は昭和四五年一月一一日午後一一時三〇分頃の深夜の気温は熊谷地方気象台の記録によれば、一二日午前〇時に2.6度、同三時に0.8度、同六時に0.2度を示し、その場所は旧中仙道より約1.000メートル横道にそれた陸田の端で、少くも朝まで人の通行を期待し得ない地点である。これらの厳しい条件下に放棄された被害者は衝突事故により道路の側溝内に転倒したため、背広服上下着用の左半身が濡れていたうえ、意識を失つて自ら救助を求める手段を断たれた状態にあつたことを思えば、衝突による身体内部の傷害情況を詳細に知り得ない者にとつても、被害者死亡の懸念を懐くことが常識であり、被告人が、被害者が死亡するかも知れないと認識したものと認められる。況や傷害の実情は、梅沢恂二医師の証言によれば、左大腿の複雑骨折に伴う広範に亘る多量の内出血による全身衰弱、受傷によるシヨックのため翌朝まで前示の如き情況下に放置された場合、殆ど生存を期待し難い状態にあつたのである。被害者死亡の可能性はなかつたという所論は根拠のない独自の見解で採るに足りない。

所論は、被告人の被害者に対する未必の殺意を否定する理由として、被害者の傷害が当初全治一〇ケ月の見込が現実には入院加療六ケ月であつたこと、被害者が放置された後二時間余で容易に発見されたこと、放置された場所から二、三十メートルの近くに人家のあつたこと、被告人が翌朝八時過頃には警察署に犯行を報告したこと等を挙げ、これらを考え合せると被告人に被害者を「殺そうとした」意識があつたものとすることはできないと論ずるのであるが、原判決は判文上明らかなとおり、被告人に被害者を「殺そうとした」意識があつたと認定しているのではない。被害者が死んでしまうかも知れないと認識したが、衝突事故の発覚を免れるためには、それも巳むを得ないと考えたと認定し、被告人がそのとおり自供していても、その具体的情況を離れては、必ずしも殺人罪の構成要件の予想する違法類型に当るとはいい難いが、前示の如き本件の具体的情況下においては違法類型に当る未必の故意に基づく殺人未遂を認定し得るとしているのであつて、正当である。所論の挙げる諸点は、いずれも先に認定の被告人の未必の故意を否定する理由にはなり得ない。所論は理由がない。

三、弁護人控訴趣意四、法令の解釈適用の誤りの主張について

所論は、原判示が原判示第二において認める道路交通法上の救護義務違反の所為は、同時に認める不作為による殺人未遂の作為義務違反であるから、前者は後者によつて成立する殺人未遂罪に吸収されて別罪を構成しないと解すべきであるのに、両罪の成立を認めて一個の行為で二個の罪名に触れるものとした原判決は法令の解釈適用を誤つたと主張する。

原判決の認定するところは、被告人が自動車運転者として人身事故に遭遇した場合に採るべき負傷者の救護義務に違反してこれを怠つた事実及び被告人がその過失により重傷を負わせた被害者を救護すべき義務に違反し、未必の殺意をもつて救護しないという不作為による殺人未遂の事実である。両者は全く罪質を異にし後者に対する法的評価が当然に前者に対する評価を包摂するものではないから、原判決が両者はそれぞれ別罪を構成し、一個の行為で二個の罪名に触れる場合と判断したことは相当であつて、法令の解釈適用を誤つた違法はない。所論は採用の限りでない。(その余の判決理由は省略する)

(関谷六郎 寺内冬樹 中島卓児)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例