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東京高等裁判所 昭和45年(う)1582号 判決 1971年7月20日

本籍

東京都江東区深川新大橋三丁目四番地

住居

右に同し

鮮魚仲買業

伴三喜男

大正七年二月二〇日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和四五年五月二七日東京地方裁判所が言い渡した有罪判決について原審弁護人斉藤尚志から適法な控訴の申立があつたので、当裁判所は、検事古谷菊次公判出席の上審理をし、つぎのとおり判決する。

主文

本件控訴を棄却する。

当審の訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

(控訴の趣意)

本件控訴の趣意は、弁護人斉藤尚志提出の控訴趣意書、同補充書、同訂正書各記載のとおりであり、これに対する答弁は検事古谷菊次提出の答弁書、同補充書各記載のとおりであるから、いずれもこれを引用する。

所論は要するに、被告人は、昭和三五年中に静岡県焼津市の水産業株式会社カネトモ商店こと服部友吉に対し鮪取引の前渡金として金三、〇〇〇万円を前渡し、それが昭和三八年度期首においてそのまま残存していたから、被告人の同年度期首貸借表において借方三、〇〇〇万円、元入金三、〇〇〇万円が計上されるべきものであるのに、原判決は、これを計上しなかつた点で事業を誤認した違法があり、破棄を免がれない、と主張する。そして、右三、〇〇〇万円の計上洩れの結果、昭和三八年度および同三九年度中にカネトモ商店から仕入れた三、〇〇〇万円相当の鮪鉢フイレの仕入代金が経費として認められず、一方、右仕入に基く鮪の売上の成果のみが両年度の各期末貸借対照表に計上された結果、実際の所得以上の所得金額が認定されたものであるとし、右三、〇〇〇万円の前渡金の存在を詳細に陳述する。

しかしながら、原審記録ならびに押収にかかる被告人方帳簿類等証拠物、およびカネトモ商店の帳簿類等証拠物をし細に調べても、所論の前渡金の存在を確認しうるものは一もない。この点につき、被告人は、カネトモ商店に前渡金を渡す都度同店代表取締役服部友吉から預り証を受け取つていたが、昭和三八年になつてから鮪代金を右前渡金で相殺支払いをするようになり、三、〇〇〇万円全額が相殺ずみとなつた際、預り証をカネトモ商店側に返却したので、現在手もとに存しないと供述し、一方、服部友吉の実子であつて昭和四〇年二月二八日同人の死後カネトモ商店の代表取締役となつた服部敏夫の原審公判廷の証言によると、昭和三五年当時被告人方との取引は、先代友吉が当り、敏夫は、その取引には関与せず、したがつて、右のような前渡金や預り証のあることは知らず、また、そのころの帳簿類は、事務所移転の際に廃棄して現存しない、と供述している。

所論(控訴趣意五)は、被告人は、三、〇〇〇万円の前渡金は、服部友吉個人に渡したものであるから、カネトモ商店の帳簿にその記載がないのは当然である、と主張するが、関係証拠に照らすと、被告人の取引の相手方は、株式会社カネトモ商店であつて服部友吉個人でないことは明白であり、仮りに、三、〇〇〇万円を一応服部友吉個人に預けたとしても、同人と株式会社カネトモ商店間の関係で、会社の帳簿に何らかの記載があつてしかるべきものと思われるのに、それに相応する記載も見当らないから、右所論は採用できない。

被告人は、原審第九回公判廷で、検察官ならびに裁判官から前渡金につき質問を受けた際、昭和三五年四月一一日から同年一二月一〇日までの間に合計三、〇〇〇万円をカネトモに前渡金として交付した、と言いながら、その交付の日時、金額については別に資料があるわけではなく、たんに記憶に基づくものである旨、あいまいな供述をしていること、昭和三五年当時が所論のように鮪について売手市場であり、売主たるカネトモ商店から買主である被告人に対し前渡金の要求をすることがありえたとしても、所論によると、その後、被告人は、カネトモ商店から鮪の仕入れをするに当たつて右のいわゆる前渡金なるものはそのままとし、その都度別に代金の支払いをなし、(その支払いを遅延したとか、あるいは不払いにしたとかの状況は窺えない。)その前渡金は、昭和三八年期首にいたるまでそのままカネトモ商店に預けたままにしてあつたというが、そのようなことは、取引の実際からみて到底通常の状態とは思われない。また、前渡金三、〇〇〇万円の金額は、所論による被告人方の三八年度中の鮪鉢フイレの総売上高(カネトモ以外の仕入分を含めて。)一三〇、七八二、六一〇円に比し高額に過ぎる、と思われること、服部敏夫は、原審公判廷で証人として、所論のように被告人から金三、〇〇〇万円の前渡金を受け取つたような供述をするけれども、右は、国税局により本件違反事実の取調開始後になつて被告人から聞知したことを供述したものであつて、結局、被告人本人の供述以外に右前渡金の存在を証明するに足るものはないといわなければならない。

しかも、被告人は、国税局係官の取調の当初から現金取引による簿外仕入の存在を主張し、前渡金の存在には触れず、原審第五回公判期日の後に行なわれた昭和四三年七月三〇日の準備手続期日にいたつて、はじめて三、〇〇〇万円の前渡金の主張をしたものであつて、右主張のおくれた理由として、昭和四一年三月一六日ころ国税局員が、焼津市に赴きカネトモ商店の取調べをしたころ、同商店から電話で被告人に対し、被告人方と同商店間の取引については国税局に内密にしてほしい、との申出を受けたので、商人の道義として前渡金の主張をしなかつた、と弁疏する。しかしながら、前渡金を預かつたという服部友吉は、その前に既に死亡しているのであるから、その当時被告人方との取引になんの関係もしなかつたという服部敏夫が、とくに被告人に対し右のような依頼をする理由にとぼしいばかりでなく、同人は、原審証人として、被告人に対し右のような口止めをした趣旨のことはすこしも述べていないことからしても、右弁解は、にわかに採用し難い。

所論は、昭和三九年春ころ、服部友吉が東京聖路加病院に入院中、被告人から同人に金二〇〇万円の支払をした事実があり、これは、当時の被告人とカネトモ商店間の取引量からみて鮪代金の一部に過ぎず、その余は前記前渡金によつて相殺した、と主張する。なるほど原審証人服部敏夫の供述によると、そのころ聖路加病院で被告人と服部友吉間に二〇〇万円くらいの金賃の授受の行なわれた事実はあつたようであるが、右供述によつても二〇〇万円授受の目的ないしその性質ははつきりせず、いわんや、それによつて当時両者間において鮪取引の残代金が前渡金の対当額において相殺されていた、と推認することは困難である。また、所論は、昭和三八年八月三一日付南協冷蔵の領収証付保管料請求書に「整理済」なる赤鉛筆の記載があることをもつて、これは、前渡金と相殺したことを意味する、と主張するが、この点も、原判決の説示するとおり、南協冷蔵の保管料につき整理ずみであることを記載したものであり、これによつてカネトモ商店の鉢フイレ代金の支払が相殺によつて整理がすんだ趣旨、と解するのは無理である。

以上を総合して考察すると、被告人の供述をもつてしても、また、その他所論のすべてを参酌しても、三、〇〇〇万円の前渡金の存在は、これを窺知するに足りる合理的な証跡がないから、原判決には事実誤認はもちろん採証法則違反の事実もない。論旨は理由がない。

所論は、被告人方の昭和三八年度、および同三九年度の各売上については、国税局によつて完全捕捉がなされたが、一方、仕入については完全捕捉がなされず、押収にかかる請求書、領収証綴(当裁判所昭和四五年押第四一六号の二)によつて認められる数量、金額によると、三八年度の鮪鉢フイレの売上総量は一、〇七五トン四〇九・八キログラム、その金額一三〇、七八二、六一〇円であるに対し、仕入総量は六七三トン六七六・二キログラム、その金額七六、五四五、四七三円しかなく、数量において四〇一トン七三三・六キログラム、金額において五四、二三七、一三七円いずれも売上に比し仕入が不足しており、三九年度については、売上総量は五二七トン四四四キログラム、その金額六五、九五〇、七三四円であるに対し、仕入総量は四四一トン九四九キログラム、その金額五一、三八五、一二五円であり、数量において八五トン四八四キログラム、金額において一四、五六五、六〇九円いずれも売上に比し仕入が不足しているのであつて、右の不足分は、結局、カネトモ商店に対する三、〇〇〇万円の前渡金により昭和三八年同三九年にわたつて相殺して仕入れたものにほかならないと主張する。

おもうに、国税局においては、被告人方の帳簿類の整理、作成が不完全で、損益計算法による各年度の所得を把握することが困難であつたため、貸借対照表による財産計算法によりその所得を算出したものであり、そのこと自体もとより正当として許容されるところである。しかるに、被告人は所得の申告をするに当つて、三八年度期首にカネトモ商店に対する三、〇〇〇万円の前渡金の存在する旨の申告をせず、また、原審記録ならびに証拠物を調べても、三、〇〇〇万円の前渡金の存在を証明するに足るものが存しないから、国税局において所論のいう前渡金を計上しないで、修正貸借対照表を作成したのは当然であり、その作成に過誤があつたとは認められない。所論は要するに、証拠上認められない三、〇〇〇万円の前渡金の存在を前提とし、独自の損益計算をすることにより、国税局のした財産増減法による所得計算の結果の不当を主張するものであるから、その主張自体からみて相当とは思われないのであるが、一応、右の点に関する当裁判所の判断を示すこととする。

所論は、国税局が被告人方の売上帳、預金出納帳、当座預金出納帳等によつて確定した売上および前記押収にかかる請求書、領収証綴によつて作成した昭和四六年五月四日付控訴趣意書訂正申立書添付の鮪鉢フイレの売上、仕入の一覧表に基づき、昭和三八年度中における鉢フイレの売上は数量において一、〇七五トン四〇九・八キログラム、金額にして一三〇、七八二、六一〇円であるのに対し、右売上に対応する請求書、受領証綴により仕入をひもつき計算すると、対応する仕入のない売上が四一三トン五三八・八キログラム、金額にして四八、三五四、一一三円あり、三九年度においては、売上総量五二七トン四三三・九キログラム、金額六五、九五〇、七三四円につき、同様対応する仕入のない売上が数量において六九トン八二七・六キログラム、金額にして八、三五八、〇四一円あるが、右のように仕入のない売上が生じたのは、前渡金との相殺による仕入を認めない結果である、という。しかし、右一覧表をし細に検討すると、たとえば、昭和三八年度において一月二五日丸福水産から仕入れた鉢フイレ九八二・九キログラム(記号、い、3)が、同日<和>に五三一・〇キログラム、同月二七日同じく<和>に七〇八・〇キログラムの二回に売上げられたことになつており、仕入数量より売上数量が多く、また、八月三日丸福水産から仕入れた鉢フイレ三一八・五キログラム(記号、の、14)が、一〇月七日<和>に対し四七〇・〇キログラム売上げられたことになつており、さらに一月一一日丸福水産から仕入れた鉢フイレ二七一・五キログラム(記号、い、2)が、七月一〇日<和>に対し六一六・〇キログラム売上げられたことになつているなど、いずれも仕入の数量以上の売上があつたことになつており、他方、昭和三九年度についても、二月四日丸福水産から仕入れた鉢フイレ八・六一四・〇キログラム(記号、イ、5)が、同日アンデスハムに対し一〇・六三三・〇キログラム売上げられたことになつており、四月二三日丸福水産から仕入れた鉢フイレ一四・八一九・〇キログラム(記号、イ、16)が、同日丸善へ一六・三九五・四キログラム売上げられたことになつているのであつて、これらの例からみても、右一覧表の記載したがつて、その基礎資料とされている押収にかかる請求書、領収証綴り、およびこれら資料からの鉢フイレ分の抽出は必ずしも正確とは認められない。それになお、数量の点を別にして考えてみても、売上金額の合計が仕入金額の合計を超過するのは、商人が利益をえて売買するものである以上、むしろ当然のことであるから、売上金額が仕入金額を超過するからといつて仕入のない売上があるとは速断できない。昭和三八年度における所論の総売上高一三〇、七八二、六一〇円から所論の仕入高七六、五四五、四七三円と、なお三菱銀行築地支店の丸美食品当座預金元帳写(記録三冊一二五丁)、および当座勘定帳(押第四一六号の一一)によりその支払が認められる昭和三八年五月二七日の支払二〇、二五二、七三二円、同年八月二四日の同一三、五六六、〇五三円、および同年九月一一日の同三、九九三、〇一三円とを差引くと、一六、四二五、三三九円となり、これを売買利益とみると、前記売上に対し約〇・一二五の利益率となつて、必ずしも不相当な利益である、とは思われないから、右程度の売上額と仕入額との差額があつても、これが不合理であるとはいえない。また昭和三九年度についてみると、所論による仕入額五一、三八五、一二五円と、売上額六五、九五〇、七三四円との差額一四、五六五、六〇九円を売買利益とみると、売上に対する利益率は約〇・二二となり利益としてはやや過大の感がないでもなく、なんらかの簿外仕入が存在することも考えられないではないがそれがただちに三、〇〇〇万円の相殺分についての所論を裏づけるものになるとは思われない。(ちなみに、所論自体昭和三九年度の利益率が三八年度のそれより多いことを認めている。)

次に、数量の点から観察してみると、所論は、前記一覧表に基づき仕入れのない売上があつて不合理である、というが、前記のように右一覧表の記載が必ずしも正確なものとは思われないから、所論をそのまま認容することはできない。また、仮りに、証拠上認められる仕入のほかになおなんらかの簿外の仕入があつたとしてみても、右のような不正確な資料によつてはその数量を確認することができないし、それに、この分についても相当の売上げ利益を見込む必要があるのは当然であるから、いずれにしても、右一覧表の売上金額と仕入金額との差額がすなわちカネトモ商店に対する前渡金との相殺による仕入に相当する、との所論の立論は、到底これを維持することができない。

次に、当審で取調べた昭和三八年度、同三九年度分各仕入調査書および原審証人緒方多賀雄の供述によると、国税局において三八年度の損益計算を試算するに当つて、証票書類の存する仕入のほか、預金出納帳、当座預金出納帳により支払は認められるが、その支払先不明の分の、合計二四、六二三、三三四円と、さらに財産計算法と損益計算法とにより試算した結果生じた不突合分四、七三九、三四〇円との合計二九、三六二、六七四円を仕入に認定していることが認められる。この中には所論の主張する同年度の鉢フイレの売上と仕入との差額のうち昭和三八年五月二七日の丸美食品口座よりの支払二〇、二五二、七三二円が含まれるからこれを差引いてもなお九、一〇九、九四二円を仕入として認容していることとなる。また、昭和三九年度については三九年度仕入調査書によると現金仕入とみられるもの七、〇九七、二三二円、不明出金分九九九、〇〇四円、不突合分三、五四四、一八二円以上合計一一、六四〇、四一八円を仕入として認容している。右仕入認容額は所論の売上、仕入の差額三八年度一六、四二五、三三九円、三九年度一四、五六五、六〇九円には及ばないが商取引上当然存在すべき売買利益を考慮した場合、それがただちに所論のいう三、〇〇〇万円の相殺分の存在を認容しなければならない理由になるものとは速断できない。

最後に、所論は、原判決が前渡金の存在についてはその証明がないとしながらも、仮りに、前渡金があつたとしても、弁護人主張の相殺は客観的資料と相容れず、理由がないとし、その理拠として、カネトモ商店からの仕入が六、二四三フイレ、一五七、八三六・七キログラムであることは証拠上明らかであると判示するが、右数字は昭和三八年八月三一日付南協冷蔵株式会社の保管料金請求書に表われたもののみであつてこれのみをもつてカネトモ商店との取引と断定することに誤りがある。また、原判決が、弁護人の主張する鮪仕入単価をキログラム当り一一一円とするのは相当でなく、同年八月二四日支払分の単価はキログラム当り一三〇円となり弁護人主張の相殺債権の対当金額も正確でない、と判示するけれども、右はごく一部の証拠をもつて判決の資料とした誤りがある、と主張する。しかしながら、原判決の趣旨とするところは、結局、カネトモ商店から前渡金と相殺して仕入れたと主張する簿外仕入を認める証拠がなく、弁護人主張の相殺債権の対当金額そのものも正確でないことを判示したものであつて、これはもとより相当であり、採証法則違反などの誤りを犯したものではない。論旨は理由がない。

よつて本件控訴は理由がないから、刑事訴訟法三九六条によりこれを棄却し、訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項本文によりこれを被告人に負担させることとし、主文のとおり判決する。

(裁判長判事 樋口勝 判事 目黒太郎 判事 伊東正七郎)

控訴趣意補充書

被告人 伴三喜男

右の者に対する、所得税法違反被告事件につき、次のとおり控訴の趣意を補充する。

昭和四六年三月五日

右弁護人弁護士 斎藤尚志

東京高等裁判所第二刑事部 御中

第一、検察官の答弁書について、

一、検察官は、被告人の弁解である前渡金の主張が、調査開始後三年一〇ケ月を経てなされたことは、合理的根拠のない、弁解のための弁解であると主張する。

右期間が経過していることは争わないが、被告人の供述にもあり、弁護人も原審以来主張しているとおり、カネ友商店の要請があり、右主張を提出することの了承を求めるために時間を要したのであつて、他意はないのである。

この点につき、現金「仕入集計表」(国税局符第一七九号、地検領符八二号、高検領第一三八号符一号)を根拠として、簿外仕入を主張し、査察官から矛盾を指摘されたため、「前渡金との相殺による仕入」を主張したと推察しているが、被告人は、検察官の推察のように、調査当時矛盾を指摘され、「前渡金との相殺」を主張した事実はなく、単に、「相当額の仕入」が洩れて認定されており、課税決定額に不満であることを主張したが、右のとおり、カネ友よりの要請があつた為、その主張が出来なかつたのである。

二、検察官は、一般論として、財産計算法による立証の場合は、資産の帰属年度等を争う、いわゆる持込資産の主張がなされる例があるが、いずれも査察当初から主張されるとし、本件のように、査察後長期間を経てなされる例は皆無であるという。

又査察官、財政係検察官は、財産計算法によつて立証する場合、持込資産の弁解を予測し進んでその有無を問いただしているという。

しかしながら、査察官の作成した顛末書、検察官の作成した供述調書をみると、本件については、持込資産の弁解を予測して取調べを進めた形跡は全くないのである。即ち、

持込資産の弁解であるからには、昭和三八年期首の資産について、右予測を窺わせる取調べがなければならないが、二三七丁には、被告人の供述として、

「昭和三八年および三九年末において裏に手持していた現金があつたかとのお尋ねですが、年末に集金した金がかなり入つて来ますが云々」とあり、二四五丁には、

「その三八年一二月末の仕入代金の未払分は云々」とあり、又一九九丁には

「問、今日現在で貸付金(時貸を含む)借入金はありませんか

答、貸付金に相当するものは、現在過去ともありません云々」

とあり、又三上正幸に対する取調においても、修正申告の際の、買掛金、売掛金の操作について、昭和三八年期首の応答が出て来ても、何ら、右弁解を予測して取調べた形跡はないのである。この点については、国税局において、貸借対照表、損益計算書を作成した際、現金集計表(前記高検領第一三八号符一号)を裏付けるものがないとの見込により被告人の、簿外現金仕入(実は前渡金)を無視し、反証は出来ないものと盲断して調査を進めたものを、検察官において、国税局の専門家がやつたもの故間違いはないものと是認し、もし言い分があれば、裁判所で申述べよといわれたという、被告人の公判廷における供述が、真実に合致しているとみるべきである。

被告人に対する、大蔵事務官の調書中には、持込資産の弁解を予測して取調を進めた形跡は毫末もなく、あるのは、裏付けがないものは逋脱に結びつけるべしとの、形式主義以外の何物もないのである。

三、検察官は、P/LとB/Sの不突合が、現金仕入(前渡金)を認めないため生じたものと弁護人が主張するかの如く答弁するが、弁護人は、不突合が、被告人の弁解を認めない結果として発生したと主張したことはないのである。

検察官も「仕入に関する証拠物が不備である」と認めておられる(答弁書七丁表末尾)ように、本件においては、仕入については、更に、調査をすれば、経験豊かな、国税局査察官が、被告人の弁解を単なる弁解としてでなく、カネ友商店を調査することにより、真相は明らかになつたのである。

原審において、刑事訴訟法第三二八条により、証人服部敏男の証言の弾該証拠として提出された、昭和四一年三月一六日付大蔵事務官富田有作成にかかる、質問顛末書によると、カネ友商店と被告人の取引は、「昭和四〇年六月以前、直接の取引はない」「昭和三七年頃から横浜冷蔵を通じて、せいぜい数回位のものである」「被告人からカネ友へ昭和三七年九月八日、一千万円、昭和三八年八月二四日千五百十四万九千百七十八円、昭和三八年九月一一日四百四十五万八千六百十一円の現金払があるがどうか、?そういつた大きな金額の取引はないと断言できる」どの記載があるのは、証人緒方多賀雄が、公判廷において、カネ友との取引は、預金出納帳から承知していた」(一八一丁)といゝ、預金出納帳にも焼津カネ友として昭和三八年八月約二千万円の支払が明記されているのに、右顛末書の記載は、全く別件の調書であるかのような内容であつて、むしろ、調査当時、国税局においては、カネ友との取引を知つていながら、故意にこれに眼を覆い、被告人の帳簿の不完全に乗じて、不当な課税を企んだものとみられてもやむを得ないのではないかとの感すら抱くものである。

四、被告人は、国税局の査察の最終段階において、顧問税理士より、P/LとB/Sの不突合額を仕入と認めて貰つたとの話はきいたが、それ以外はきいておらず、被告人が、簿外仕入の全部が認められたにも拘らず、公判廷において、右の外に更に仕入を認めて戴きたいと主張しているかの如く答弁されることに対しては、如何に考えても到底理解することが出来ない。

検察官は、当審に至つて、修正損益計算書を提出され、昭和三八年度において七、一〇二万円余、昭和三九年度において二億一九三万円余の公表外仕入を認容し、これらは、現金集計表において集計されている、昭和三八年度五、四二三万円余、昭和三九年度五、一九七万円余を上廻つているから、被告人等の主張以上を認めており言い分以上を認容していると答弁書に述べておられる。

しかし、右損益計算書は、当審において提出された、三八年分仕入調査書および三九年仕入調査書によつて明らかなとおり、両年共、「証拠のあるもの」「不明出金」「不突合分」の合計である差引修正金額と、被告人の公表金額との差額にすぎないのであつて、被告人の主張は、「証拠のあるもの」は勿論のこと、不明出金も何らかの証拠により認められるものであるから、それ等以外に、簿外仕入があつたというところにあるのであつて、証人緒方多賀雄の証言によつても、現金集計表を本件調査の考慮の外においたというのであるから、右認容額は、現金集計表を認めた以上の認容額であるといえないことは明白である。

検察官は、簿外現金仕入を集計したと称する現金仕入集計表の金額のみを捉えて反論されるが、現金集計表は、「仕入表、この中には預金からのころがしによる仕入も含まれていると変つております」(緒方多賀雄の証言、一七八丁末尾から)とあり、被告人の公判廷における供述には「現金仕入とメモでうたつてあるから、それは当然集計表から差引かないと重複になりますよと申し上げました」(一四四丁)とあつて、現金仕入メモが現存しない以上、現金集計表による立証は不可能となつたのであつて、その為に、被告人は、当審において商品そのものの追跡により、売上のみあつて、仕入のない商品の存在を立証して、前渡金の存在を明らかにしようとしているのである。

五、昭和三九年春頃、服部友吉が聖路加病院に入院中被告人と友吉間に、現金二〇〇万円の授受があり、その金額は、実際取引金額以下であるとしても、その差額が前渡金との相殺とは認められないというが、被告人と友吉の取引は、証拠にあらわれているどれをとつてみても、四四〇万円余が最低であり、一千万円又は二千万円の多きにのぼるのであるから、二〇〇万円の授受は、被告人と友吉との取引の一般からみて、その一部であろうことは容易に推認できるところであり、且、その差額の支払がないとすれば、前渡金(借入金の場合もあり得ようが)が存在していたからと推定するのが、極めて自然であると主張するのは、果して論理の飛躍であろうか。

被告人は、資金欠乏のため一部支払をした例は全くないのである。

第二、

一、控訴趣意書、第一六丁裏八行目、「書等よりひろつて算出すると一〇八円となる」とあるを、「書等よりひろつて算出すると一〇九円となる」と訂正する。

二、原審は、昭和三八年期首の、売掛金公表金額、一四、〇八四、一七八円、買掛金一、六二二、〇七八円として、同年期末の財産増減を算出し、所得額を認定している。

他方、三上正幸の、検察官に対する供述調書によると、(一八丁)

昭和三十八年九月頃から京橋税務署の調査が始まりアンデスハムの会社に対する売上がおちていることを指摘されました。アンデスハムの会社に対する売上は、全部手形で受取つておりましたが、受取手形の勘定帳をつけておらず、そのために三十七年末現在における、アンデスハムの受取手形の内期日の到来しないものを、売掛金として一三、四七三、一八〇円の額を修正申告することになりました。

他方アンデスハムに対する売り上に対して仕入の方はほとんどが、現金仕入れであり、買掛金の残というものは出て来ないわけでありますが、右に申しましたように、売掛金の修正をするようになつたため、これをそのまま修正に計上すれば、それだけ利益が増大するので、社長に言われて、右の売掛金の修正分に見合つただけの架空の買掛金を修正申告の中に計上することになりました。

とあり、右期首の売掛金、買掛金の金額を修正申告した結果により、被告人は、修正後の納税を了しているのである。

従つて、修正貸借対照表により、ほ脱額を算出するについては、修正申告との差額でなければならない。

若し、原審のように、算定すると、当初の公表金額と修正申告によつて納付したその差額金に更に、本件で当初の公表金額と本件修正金額を算定されることとなり、重複して課税額を決定されることとなる。

三、控訴趣意書には、仕入のない売上を摘出し、前渡金の存在なくしては、右不合理を説明できないことを述べたが、昭和三八年中の鉢フイレの総売上、総仕入を累計してみると、

総売上 一、〇六八トン六七九、八キロ 一二九、八六三、一〇〇円

総仕入 六九一トン三五七、一キロ 七九、九九〇、〇二九円

その差は、三七七トン三二二、七キロ四九、八七三、〇七一円となる。

右金額のうち、原審がカネ友に支払つたと認定した、

昭和三八年八月二四日 一五、一四九、一三八円

同 九月一一日 四、四五八、六一一円

計 一九、六〇七、七四九円

を差引いても実に、三〇、二六五、三二二円の売上金に対応する仕入が帳簿外に存在していると推定できるのである。

38年 鉢フイレ仕入

<省略>

38年 鉢フイレ仕入

<省略>

38年 鉢フイレ仕入

<省略>

38年 売上鉢フイレ

<省略>

38年 売上鉢フイレ

<省略>

38年 売上鉢フイレ

<省略>

別表(三) 昭和39年 丸善分仕入

<省略>

別表(三) 昭和39年 アンデス分仕入

<省略>

別表(三) 昭和39年 付込その他

<省略>

別表(四) 昭和39年 丸善 No.1

<省略>

別表(四) 昭和39年 丸善 No.2

<省略>

別表(四) 昭和39年 アンデスハム

<省略>

別表(四) 昭和39年 付込

<省略>

控訴趣意書訂正

被告人 伴三喜男

右の者に対する、所得税法違反被告事件につき、控訴趣意書ならびに控訴趣意補充書中の金額を左のとおり訂正します。

昭和四六年五月四日

右弁護人弁護士 斎藤尚志

東京高等裁判所第二刑事部 御中

一、控訴趣意書第一〇項を次のとおり訂正する。

原審においては、前述した如く損益勘定による立証を許されなかつた為主張しえなかつたが、仕入、売上の間には次のような矛盾があり、被告人の主張する、いわゆる前渡金仕入を認めなければ、如何なる説明もつけられない。即ち、

カネ友よりの鉢フイレを把握するため先ず、符7.売上記入帳に基き、昭和三八年分の「丸善」「雪印食品」「アンデス」「付け込」等鉢フイレ(但しヨリ鉢は除く)の売上を摘出すると、その総合計は一、〇七五トン四〇九、八キロ、金一三〇、七八二、六一〇円となる(別表一―一、二、三)。

又符2.請求書領収書綴に基き、同年中の鉢フイレ(前同様ヨリ鉢は除く)の仕入を摘出すると、総合計六七三トン六七六、二キロ、金七六、五四五、四七三円となる(別表二―一、二)。

次に、前記売上を一表にまとめ、この売上に対応する仕入を、符2、請求書領収書綴により、記号を付し、いわゆる、ヒモ付き計算をやつてみると、

「付け込」三月四日都水産に対する鉢フイレは、同綴中昭和三八年三月五日付弥生食品株式会社の請求書により、“三、四、目鉢、一一三枚N三、一四五、八単価一二四円、金額三九〇、〇七九円”フレイ枚数、キロ数とも符合し、

「付け込」五月一〇日丸福水産に対する鉢フイレは、同綴中五月一三日付旭食品株式会社の請求書中、五月一〇日の欄に鉢F四一五枚、N五〇四七kg単価一一五円、金額一、一六八、六九九円と同じく符合し、

「丸善」に対する八月一日付売却した鉢フイレ二四一枚は、同綴中、8/1付倉橋仕入メモ記載、鉢F二四一枚、N五五二七、二kgとあつて、フイレ枚数キロ数共符合する。

又右のように仕入と売上が直接結びつかず、いつたん倉庫に入庫して売上げたもの又は、ひとつの仕入を二以上の得意先に売渡したり、二以上の仕入先からの合計をひとつにまとめて売渡したものも、キロ数等により符合するものを、ひろい出し記号をつけ、このように、仕入先の判明する「鉢フイレ」を検討して行くと、別表三-一、二、三、四の記号欄に記号の付されたものは、仕入先が明確であり、且被告人方において証拠上支払を了しているものであつて、同表中記号の付されてない分は、請求書領収書綴若しくは預金出納帳又は当座預金出納帳の何処をみても仕入れた形跡もなく、従つて又出金もされておらず、国税局において仕入とは認容の方法がないとして認めなかつたもの(尤も南協冷蔵、日本冷蔵焼津支店等の保管料金請求書があり且、昭和三八年八月二四日、同九月一一日に三菱銀行丸美食品口座より焼津カネ友あて支払の認められる金一五、一四九、一三八円および金四、四五八、六一一円についてはそれはそれとして右無記号より控除する方法を考える)とならざるを得ない。

二、昭和三八年における、鉢フイレの総売上と総仕入は、前記のとおり、

売上 一三〇、七八二、六一〇円

仕入 七六、五四五、四七三円

その差 五四、二三七、一三七円であるが、前記のとおり、

同年八月二四日、一五、一四九、一三八円および

九月一一日 四、四五八、六一一円が丸美食品口座よりカネ友商店に支払われていることが明かであるからその分は、右差額から差引かなければならないが、右支払の中には、ヨリ鉢(鉢フイレの内から剌身等に向けられる上物をヨリ出したもので、単価がキロ当り一三〇円乃至一九〇円であつて、一般の鉢フイレよりも遙に高い)が含まれており、原審が認定した符2綴中「焼津カネ友倉前渡と題するメモ記載からみると、ヨリ鉢合計四六五、五九八円で右支払金四、四五八、六一一円に対する割合は一〇、四五パーセントであるから、右一五、一四九、一三八円の内にもその一〇、四五パーセントである金一、五八三、〇五八円のヨリ鉢が含まれていることが推定できる。

又、昭和三八年五月二七日三菱銀行築地支店丸美食品口座からの金二二、六〇三、四九五円の出金は、右二件の支払と異り、カネ友商店に対する支払とは確認できず、原審以来5/26整理ズミの記載ある南協冷蔵株式会社と日本冷蔵株式会社焼津工場からの請求書と右五月二七日の出金が、月日の違い等から関係ないことを、一貫して主張し続けて来たが、仮りに百歩譲つて、カネ友商店に対する支払であるとしても、その中にはヨリ鉢が含まれており、二二、六〇三、四九五円の支出の内には、右一〇、四五パーセントの割合による、二、三五〇、七六三円のヨリ鉢が含まれていると推定され鉢フイレの仕入代金は二〇、二五二、七三二円となり(右支払に見合うと思われる38、5、16付南協冷蔵株式会社の保管金請求書に表れた一四八、三九〇、四キロの仕入値をキロ当り一一一円とみても―前記メモ帳からはキロ当り一〇五円との記載がある―一六、四七一、三九九円にしかならず、38、4、30付日本冷蔵株式会社焼津工場の一六、七八七、四キロをキロ当り一一一円とみた一、八六三、四〇一円を加えても一八、三三四、八〇〇円にしかならず、右から鉢フイレを差引くと一五、九八四、〇三七円となり、被告人にとつて更に有利となる)。右二〇、二五二、七三二円が前記差額から差引くべきものであつて、前記出金二二、六〇三、四九五円をそのまゝ差引くべきではない。

そうすると、前記差額五四、二三七、一三七円から、前記二口のカネ友に対する鉢フイレ支払合計一七、六〇九、〇六六円および右二〇、二五二、七三二円を差引くと昭和三八年の鉢フイレ売上、仕入の差額は一六、三七五、三三九円となる。

次に昭和三九年の鉢フイレ売上と仕入の差は、

売上 六五、九五〇、七三四円

仕入 五一、三八五、一二五円

差 一四、五六五、六〇九円

となり、仕入のない売上は右一四、五六五、六〇九円となる。

三、数量の面から売上と仕入をみると、

昭和三八年 昭和三九年

(別表一―一、二、三、別表二―二、三) (別表四―一、二、三、別表五―一、二)

売上 一〇七六トン五六一、四kg 売上 五二七トン四三三、九kg

仕入 六七三トン六七六、二kg 仕入 四四一トン九四九、一kg

差 四〇二トン八八五、二kg 差 八五トン四八四、八kg

(別表三―一、二、三、四) (別表六―一、二、三)

有記号 六六三トン〇二二、六kg 有記号 四五七トン六〇六、三kg

無記号 四一三トン五三八、八kg 無記号 六九トン八二七、六kg

右無記号と「売上、仕入の差」の異同は 右無記号と「売上、仕入の差」の異同は

無記号が 「売上、仕入の差」が

一〇トン六五三、六キロ多い 一五トン六五七、二キロ多い

しかしながら、営業年に区切ることは継続的一連の活動を一部で切断するものであるから、昭和三八年に総仕入に計上されたものが、昭和三九年に売上とされることもあり、無記号として、ヒモ付き計算を行つた場合鉢フイレの総売上と総仕入の差と若干異同が生ずるのは当然のことであり、昭和三八年では、無記号の方が一一トン六五三、六キロ多く、他方昭和三九年では総量の差が一五トン六五七、二キロであつて、相互の入り交りは、その差、四トン〇〇三、六キロであつて、両年の売上合計一六〇三トン九九五、三キロからみると誤差〇、三一パーセントであつて、前記各表の精確度は高いものと認めうるのである。

四、本件起訴に対し、被告人は、終始一貫仕入洩れを主張して来たが、当審に至つて、損益勘定につき検察官から昭和三八年、三九年の仕入調書が提出され、証拠上仕入として認め得るものゝ外、不明出金を加え、更に、B/SとP/Lの不突合額までも仕入として認め、被告人にとつて最大の利益となる計算を行つていると主張される。

本件が、証憑の不備により、国税局検察庁において、苦心されたことは諒解されるが、だからといつて仕入の認定がルーズであつてよい理由とはならない。

不突合額が発生すること自体、計算のムリがある証左といえるが、これを責めることは酷に失するとしても、次のような事実があり、被告人が主張している、国税局計算のムリを指摘せざるを得ない。即ち、仕入調査書中、

昭和三八年 二月 石井一、六六七、八〇〇円(預金出納帳)は、株式売買代金

同年 六月 小島勇六〇〇、〇〇〇円(〃)は、仕入代金の一部支払であつて、他と重複する。

同年 七月 浜田行雄三、九六〇、〇〇〇円(領収証綴)は、同年八月分と重複している。

同年 一〇月 三幸冷蔵三八〇、〇〇〇円(〃)は、保管料

同年 同月 渡辺 四九八、六三三円(〃)は、歩戻し

昭和三九年 一月 富士産業二一五、〇〇〇円(〃)は、運賃

同年 同月 伊藤ウロコ 九、二〇〇円(〃)は、長靴代

同年 三月 美島商店 一〇、八〇〇円(〃)は、ポリ袋代

その他にも保管料、歩戻し等の支払を仕入として、辻棲を合せているが、仕入の不合理をこのような形で糊塗しているが、被告人の、仕入洩れは、遂に認めないまま起訴に至つたものである。

五、右鉢フイレ売上、仕入のキロ当り平均単価をみると、

昭和三八年売上 一二一円五二銭 仕入一一五円七〇銭

昭和三九年売上 一二五円一五銭 仕入一一五円一四銭

となり、売上に対する荒利益率は、

昭和三八年 四、八パーセント

昭和三九年 七、九九パーセント

となつて、右荒利益率を控除しても、仕入のない売上があり、前渡金の存在なくしては考えられないことが推認しうるところである。

以上

別表1-1 38年 売上鉢フイレ No.1

<省略>

別表1-2 38年 売上鉢フイレ No.2

<省略>

別表1-3 38年 売上鉢フイレ No.3

<省略>

別表2-1 38年 鉢フイレ仕入 No.1

<省略>

別表2-2 38年 鉢フイレ仕入 No.2

<省略>

別表3-1 付込

<省略>

別表3-2 丸善

<省略>

別表3-3 雪印食品

<省略>

別表3-4 アンデスハム

<省略>

別表4-1 昭和39年 鉢フイル アンデスハム 売上

<省略>

別表4-2 昭和39年 鉢フイレ 売上

<省略>

別表4-3 昭和39年 鉢フイル 丸善 売上

<省略>

別表5-1 昭和39年 丸福水産 仕入 鉢フイレ

<省略>

別表5-2 昭和39年 仕入 鉢フイレ

<省略>

別表6-1 昭和39年 付込

<省略>

別表6-2 昭和39年 丸善 No.1

<省略>

別表6-2 昭和39年 丸善 No.2

<省略>

別表6-3 昭和39年 アンデスハム

<省略>

控訴趣意書

被告人 伴三喜男

右の者に対する、所得税法違反被告事件につき、左記のとおり控訴の趣意を述べる。

昭和四五年八月二四日

右弁護士 斎藤尚志

東京高等裁判所第二刑事部 御中

原判決には、明らかに判決に影響を及ぼす事実の誤認がある。

一、本件は原判決認定のほ脱金額全部を争つているのではなく、カネ友商店こと服部友吉に対し、昭和三五年中に前渡しした金三千万円が、昭和三八年期首において、借方三千万円、元入金三千万円と計上されるべきところ、これを認定しなかつたことが事実誤認であることを控訴の趣意とするものであつて、その具体的内容は以下のとおりである。

二、被告人は、カネ三商店なる商号により、東京都築地中央市場内に店舗を構え、肩書住所地である、東京都江東区深川新大橋三丁目四番地に事務所を置いて営業して来たものであつて、中央市場内においては主として被告人の妻美三代が、営業の主体となり、本場内の荷受機関から仕入れた、上物鮪等を料理屋、寿司屋等に卸売し、事務所においては、本場外の静岡県の問屋又は築地以外に入港する漁船等から大量にまとまつた鮪等を仕入れ、ハム、ソーセージ製造工場の原料として、まとめて卸売して来たものであるところ、昭和三五、六年頃まで、所得税の課税につき、標準所得率と称する、割当制的な方法で徴税されていたので、大物(鮪等)をハム、ソーセージ原料として大手メーカーに大量にまとめて売却して来た被告人方では、取引額に比し利益率は、他の仲買業者より数段低率であることは、経験則にてらしても、明白であるにも拘らず、それを認めることをしなかつた税務当局に対する防禦的手段として、仕入売上双方を裏取引として申告から除外せざるを得なかつたものであつた。

この動機の一部については、検察官の冒頭陳述にも述べられているところであるが、「売上の一部を除外することによりこれをまかなうこととなつた」とあるのは、顛末書、供述調書のどれをとつても、右除外は売上の一部を除外したのではなく、売上、仕入いずれも除外したものであることは明らかであつて、本件について国税局の調査が行われたのちの、売上については、証人緒方多賀雄(国税局の主任調査員であつた)が認めている(一七二丁終り、一八五丁)とおり、完全捕捉がなされたのであるが、仕入については帳簿類の不完全さもあつて被告人主張の仕入の認定が不完全であつた為、紛糾して来たものであつて、原審において反証の提出が、検察官提出の貸借対照表に依拠してなすべしとの制限が付された結果、仕入、売上の主張が会計学の、損益計算上のものである為、事業年度末の財産状況を表すところの貸借対照表とかみ合わなく、被告人の弁解が認められなかつたものである。

三、被告人の弁解が、理由のない、弁解のための弁解ではなく、何らかの根拠のあるものであるかもしれないとの心証は、原審裁判官も持たれたであろうことは、長期間にわたる審理がなされ、原判決中の(弁護人の主張に対する判断)二(三)において「本件は財産増減法による立証によつてほ脱所得金額を確定した事案であり、財産増減の原因を個々的にすべて把握しているわけではないから過年度の金額が当期増減金額に混入されるような可能性のあるものは、これを控除しなければならないにせよ、弁護人及び被告人の反証は上述したとおり」と判示しているところによつても窺い知ることが出来るが、反証の方法を制限し、なされた反証の採証に当つても、形式主義的且糺問主義的にみた為、判決理由中には後述のような不合理な理由を付しているのであつて、起訴された者に対する弁解に対して、血も涙もない判決を以て答えているといわざるを得ないところである。

抑々、被告人は本件における国税局の調査において、協力的態度で適正所得が算出されることを希んでおり(緒方証人の証言一九三丁初)、自ら押収洩帳簿を提出し(一五二丁終りから一五三丁)脱税を画つたことは重々悪いことであるが、国家の徴税機関の認定する税額は公正なものが必ず期待できるし、その結果に対しては潔く承服する覚悟を示していたのであるにも拘らず、国税局段楷、検察庁段楷そして原審裁判所においても遂に被告人の真実の叫びを認められなかつたものである。

四、被告人が、国税局段楷の当初から、現金仕入を認めてもらえず、そのため真実の所得が算出できないことを弁解しており、緒方多賀雄の証言によると、

それじや、伴三喜男のほうから仕訳の方法についてこうしなければ合わないんだというふうな申し出があつたことはありませんか。

むしろそれは私のほうから聞いたくらいです。本人のほうからそれに対する確答はありませんでした。といいますのは先程申しました一枚の現金仕入れと称する用紙なんですがこれをいわゆる伴さんがいうには現金仕入れであると、当初の伴さんの主張は一枚のメモ用紙に集計されているものと、それに出ています集計書綴それを合計すれば仕入れの総額であると伴さんは当初主張しておりました。それからのちになりまして、その主張が変りまして一枚の現金仕入れと称する仕入表、この中には預金からのころがしによる仕入れも含まれていると変つております。そこで私どもはどうすればそういうものが出るんだと、いわゆる純然たる現金仕入れというものはどういうふうにすれば出せるんだということを再度本人のほうへ尋ねていますが、それに対する具体的な計算は何ら聞かされませんでした。

聞かされない結果どうしましたか。

一枚の用紙というものは私のほうとしては無視しました。

無視した結果損益計算書には不合理なものは出てきませんでしたか。

あります。

不合理なものを不合理なものとしてそのまま押し進めたんですか。

B/SとP/Lの差額といいますが交際費もしくは仕入れと、そういうかたちで認めております。

交際費としてどのくらい認めましたか。

数字は記憶ありません。

凡そのところはどうですか。

ちよつとはつきりしません。

仕入として認めたのは一年あたりどのくらいか記憶ありますか。

数字の記憶はありません。

局に帰ればいくら認めたかわかりますか。

わかります。

それは結局つじつまの合わないところを合わせるべく交際費と仕入れに認めたということですね。

そうですといいますのは貸借対照表の利益と損益計算書を比較すると損益計算書の利益のほうが高かつたとだからそれを貸借対照表の利益まで下げると。

差がどれだけあつたかということは後日出していただけませんか。

結構です。

それから本人から前渡金形式の仕入れというようなものはその当時いわれませんでしたか。

ありません。

調査の過程で焼津にあるカネ友商店という取引先が浮び止つたことはありますか。

あります。 (一七八丁乃至一八〇丁)

国税局においても、カネ友商店に係官を出張させて、被告人との取引の有無を尋ねているのであるが、当時カネ友商店より、同店との取引はないことにしてほしいとの要請を受けた為、被告人において、同店名が帳簿類に記載されているものは、単にカネ友商店の名前を借りただけであつて、取引はないと答えているのは事実であり、その為カネ友商店との取引に、真実と異る徴表が出て来て、事態の把握を困難にしたことは、被告人の責に帰すべき事由といえなくもないけれども、取引先からの強い要請があつた場合、商人道徳上、心ならずもこれに従わざるを得ないものがあることは、聖人君子を裁くのではなく、平均的人間を対象にする裁判所におかれては、充分御明察を戴けるものと信ずる。

仮りに、右カネ友との取引に対する被告人の供述又は答弁が真実に反したとしても国税局当局は、カネ友との取引の存在を確認しており、前記引用証言に続く緒方多賀雄の証言によると、

それはどういうことからカネ友商店が浮び上つたのですか。

それは預金出納帳にカネ友への支払いというのがありました。それで承知したわけです。

預金出納帳にあつた以外にカネ友商店というふうな取引先があるという確認の材料は出て来ませんでしたか。

それはそこの請求書綴りの中にもカネ友の札が一枚か二枚あると思います。(一八〇丁終りから一八一丁初めまで)

とあり、カネ友の服部敏夫に対する調査は専ら多額の現金のやりとりの有無を調査していたのである。即ち

(弁護人の質問に対し)

先程の国税局から四、五人きた調査官というのはお宅とカネ三との間に取引がないかといつて行つたのではありませんか

それはどうでしたか、私はお金のことを聞かれました

(二二五丁中頃)

(検察官の質問に対し)

その時の調べの内容として先程の説明では伴さんのところから現金を受取つたことがあるかというような点が中心とおつしやいましたね

ええ

そうじやなくてカネ三商店と鮪の取引があるかどうかということが中心だつたのではありませんか

そういうこともあつたかもしれません

(二二九丁初)

から真実の発見を使命とする刑罰法規の運用に当つては、被告人の供述に拘らず、真実を追究すれば、必ずや適正所得の算出が可能であつた筈のものであつて、被告人方の帳簿類の不備の故に、或は又被告人が、調査対象以前換言すれば、税法上の時効完成以前の年度にもほ脱があつたであろうとの推定のもとに、本件において、真実以上の所得に課税する暗黙の意図のもとに、調査につき、真実の追究を怠つたものがないとは断言できないのが本件である。

五、原判決は、その理由中、(弁護人の主張に対する判断)の二、「当裁判所の判断(一)、前渡金、元入金の過年度金額について」の冒頭において「弁護人主張の前渡金三〇、〇〇〇、〇〇〇円が真実カネ友商店に交付されたか否かについては、右主張にそう被告人の供述があるのみで、カネ友商店関係の帳簿類(符32号)や同店の代表者の証人服部敏男の証言によつてもこのような前渡金が存在したとは認められない」と認定する。

しかしながら服部敏夫の証言によると、

だから聖路加で偶々あなたが見たという時のことなんですけれどもね

その時は二〇〇万ぐらいじやなかつたかと思います。

払つたのが

ええ

品物は何トンぐらい送つた記憶がありますか。

当時はまとめてじやなくてちよくちよく送つたものが多かつたんです前はどうかよく知りませんがその当時はトン数といつても相当のトン数が出るには出ていましたがね。

二〇〇万円ぐらいのトン数だつたんでしようかね。

二〇〇万ということはなかつたですね。

送つた品物より少ない金額だつた。

はい。

あとで聞いたといいましたがどういうことを聞きましたか。

大分経つてお父さんが亡くなつてからでしたか、国税局の方が四人くらい見えまして、その当時丁度私、東京に用事があつて出ておつたんですが、きて私のおじの専務にも話をしたというんですけれども私がいなくてその明日私が一一時頃会つたんですその時は確か四人だと思いますが見えましてお金は現金でもつては行かないかと、何千万という金でしたけれども現金でもつては行かないかと…………。

あなたがもつて行かないかと。

ええこういうことで私はお金を現金でもつた覚えはないということの話を大分長く国税庁の方とやつたんです。四〇年秋頃でしたかね。聞かれました。

聞いたというのはあなたのほうは受取つていたというふうに答えたんですか。

受取つた覚えがないから受取つていないと、それで相当の時間も経ちまして私は持つて行つたか行かないか又どこから出たかそれもわからないと翌日も同じようなことを言われまして私は覚えてないから伴さんのほうへ電話をして直接聞いてくれとこういうことがあります。

聞いたというのはそのことですか。

そのことです。

だけどあなたのほうじや受取つてなかつたんですか。お父さんが受取つていたということは聞いていませんか。

それで私も気になつたもんですからカネ三さんのほうにおじやましました時に聞いてわかつたんです。

カネ三の伴さんから聞いて初めてわかつた。

そうです。

どういうことがわかりましたか。

昭和三四、五年頃だと思いますが現金でさかなをうちが買うからということで前渡金として三、〇〇〇万くらいよこしておいたと。それは一回によこしたんじやないでしようけれどもよこしてあとからさかなを送つておつたと。ところがお父さんが体の具合が悪くなつたために三八年ですか九年ですか徐々に金のやり取りよりも荷物でもつてあとの残つている分だけを送つてくれるようにというお話で………。

お金を補充しないで回収すると

そうです。 (二二二丁から二二五丁)

というのであり、昭和三九年、服部友吉が聖路加病院に入院中、被告人との間に二〇〇万円位の現金のやりとりがあつた事実があり、当時カネ友から送付されていた鮪は二〇〇万や三〇〇万のものではないことは同証人の供述にもあるし、請求書領収書綴(符2)当座勘定帳(符11)からも認定できるところであるから、約二〇〇万円と買入代金総額との差額は前渡金により相殺したとの推定は容易である。この供述内容について検察官の反対尋問も受けており、証拠として採用できないものではないにも拘らず、前渡金三千万円の交付につき「被告人の供述があるのみ」と断じており他方右に引続き、「同店(注カネ友商店)の代表者の証人服部敏男の証言によつてもこのような前渡金が存在したとは認められない」と判示するが右証言の引用部分を証拠価値のあるものとして採用できないというのであればともかく「前渡金が存在したとは認められない」とは採証法則を誤り、理由に食い違いがあるものといわざるを得ない。

又カネ友商店の帳簿類(符32号)に前渡金の記載がないと判示するが、被告人は服部友吉氏に渡したもので会社かどうかは区別しない旨供述し、原審の弁論においても詳論したが、会社であるカネ友商店の帳簿を引用することは何らの説得力のあるものではない。刑事々件においては真実の追究をなすべきであり、冒陳の文言を捉えて認定することが違法であることは明らかである。

六、カネ友商店は、焼津の問屋であつて、資金も豊富であり、検察官の主張によると、資金の豊かなカネ友に前渡金を渡す必然性がないというが、むしろ、資金の豊かなカネ友であり、信用できるから三千万円もの金を安心して前渡し出来たのであり、カネ友商店は、大手の問屋として、遠洋漁業に出漁する漁船が、出航前船主の要請により、乗組員の前渡給料、餌代、船の修理代等を前渡金の形式で交付し、帰港後の漁獲物に対し売買予約の形で契約し有利な取引の出来る立場にあつた。

そこで、帰港後、漁船一隻の品物を水揚すると、売買価格以上の漁獲物が搭載されている例が多く、漁獲物を全部売上に計上しては、利益が過大となるので、買入価格に応じた売上を或る限度で留め、その余は簿外品として裏取引を出来る立場にあり、信用できる相手方を見付けて代金を裏金による支払により取引し、前渡金は、裏取引を表面化させない保証として要求していたのであつて、右事実を裏付ける事実が最近発生している。即ち、丸福水産株式会社の社員倉橋宗臣は昭和四四年二月頃から新会社を設立すべく、カネ友商店、服部敏夫の援助を得ていたが、同年二月一二日、静岡県清水市な在庫している鮪フイレ約九〇トンを被告人方に売り込みに来たので、被告人はこれを買受け、大洋漁業株式会社に売却することとなつた。

右大洋漁業に対する売却につき現物を検収した小島勇は、立会つた時はじめて売主の在庫先がカネ友商店冷凍部(旧南協冷蔵株式会社)であることを知つたものであつたところ、その後、丸日水産株式会社として新会社を設立し切身加工を業として来た右倉橋は、昭和四四年一一月に至り右会社を倒産させた為債権者集会が開かれ、その席上服部敏夫は簿外貸付一千万円の主張をなし、結局簿外売りと主張を変えたが、丸福水産名義の取引はカネ友商店から言い含められて簿外扱をしていたことが判明した次第であつて、右倒産は昭和四四年一一月頃のことであるので本件と関連ないものと考え証拠として主張をしなかつたが、本件と類似しており、前渡金の形をとらず、自己の思うまゝに動かせる会社を設立したところが違つているだけで、被告人の弁解が荒唐無稽のものではないことが認められるところである。

原判決は、右判示に続き、「仮りに所論のように、昭和三五年中に何がしかの前渡金が存したにせよ、それは魚を買付ける代金の前渡しに他ならず、」と判示するが、仮定的判示ではあるが、「それは魚を買付ける代金の前渡しに他ならず」という証拠は全くなく、むしろ、原審裁判官としては、被告人の供述、服部敏夫の証言、後述する「整理ずみ」と記載されている会計処理等を総合し、被告人の主張である前渡金の存在につき心証を得て、検察官の公訴中、昭和三八年期首の前渡金(借方)三〇、〇〇〇、〇〇〇円、元入金三〇、〇〇〇、〇〇〇円が計上洩れではないかにつき疑を持つべきであつて、「疑わしきは罰せず」の法諺に従い、右部分について、被告人の弁解を認めることが十分可能であつたし、刑事々件としてあるべき判決であつたと信ずるものである。その心証形成の誤が「仮りに」以下となつたのであり、後述するように、意地の悪い姑が殊更なアラ探しのようなことをして、明らかな事実誤認に陥り、被告人の弁解を斥けているのであつて、到底被告人をして納得せしめることは出来ない。

七、原判決中、(弁護人の主張に対する判断)二(二)、によるとカネ友商店からの仕入が、六、二四三フイレ、一五七、八三六、七キロであることは証拠上明らかであると判示する。

しかしながら、右数字は昭和三八年八月三一日付、南協冷蔵株式会社の保管料金請求書に表れたもののみであつて、被告人の主張は、仕入については請求書領収書等の原始記録が存在しないものも珍らしくなく、それらの仕入を認めてほしいというのであつて、この主張は一貫して変らないのであつて、単に右保管料金請求書のみを以てカネ友商店との取引と断定することに抑々の誤りがある。

右に関し、弁護人が、保管料金請求書に記載されている数字のみを挙げて主張したとしても、本件は民事々件ではないのであるから、カネ友の仕入と認められるもの及び、カネ友と認定できないまでも仕入の詳細を検討すれば自ら売上のみあつて、仕入のない、換言すれば、売り上の数量が仕入の数量を超過する奇現象が表れ、カネ友との裏取引としての仕入があつたのではないかと推定できる資料が発見できた筈であつた。

この点につき、原審は、前述したように、反証はすべて検察官提出の修正貸借対照表に即してなすべしと強調したので、仕入、売上という損益勘定になる反証の提出には重きを置かなかつたが、帳簿類を検討すれば、必ず、前記売上と仕入の不符合が、証拠上明白に出来るのである。

原判決は、

三八、 八、二四 現払焼津カネ友8/2~8/15迄ヨリ鉢、鉢F代

一五、一四九、一三八仕

三八、 九、一一 現払焼津カネ友8/22~24分ヨリ鉢F代鉢F

四、四五八、六一一仕

の支払を認定し、相殺の主張を排斥するが、前記昭和三八年八月三一日付保管料金請求書によつても、右期間以外の出庫数は、多少期日のズレを除外しても

八月一八日 一八二フイレ (以下原審認定八、二四支払と九、一一支払の中間のもの)

八月二一日 一五〇フイレ

および

八月二五日 八三二フイレ (以下原審認定九、一一支払以後のもの)

八月二五日 五二八フイレ

〃 六フイレ (二葉目)

八月二六日 一二一フイレ

〃 三〇九フイレ (〃)

〃 一一七フイレ

八月二七日 一九九フイレ (〃)

〃 四二フイレ (〃)

〃 四フイレ (〃)

があり、原審が、現存証拠のみを根拠とするとしても、八月二四日以外の支払は何によつてなされたかを認定しなければ説得力のある判決とはいゝえないのである。

八、本件において、原判決が血も涙もない判決、意地悪な姑的判決と述べたのは、原判決が、被告人主張の仕入価格キロ当り一一一円と主張したのに対し、極く一部の証拠のみをとりあげて、「八月二四日支払分のキログラム当りの総平均単価は一三〇円と推計されるし、同月中の同単価は一二四円とならなければならない。」としている点である。

成る程、原判決の指摘するメモ記載によれば、正しく右の単価が算出されるであろう。

若し然りとするならば、被告人は所得税をほ脱したどころか、かえつて赤字経営を余儀なくされざるを得ないのであるから、本件の起訴が、国税局による極めて悪質な不当通告処分、検察庁による不当起訴もなりかねないのである。

何故ならば、

焼津カネ友の仕入分は、請求書領収書綴(符2)中昭和三八年八月一〇日付東武通運株式会社の請求書および売上記入帳(符7)の「付込」当該月日の個所に焼津倉前渡となつているところから、次のとおり売却したことが確認できる。

アンデスハムに対し

昭和三八年八月 三日 七七〇フイレ 二二、二一六キロ 単価一二〇円

同 九月 二日 六四〇フイレ 一一、八三六キロ 単価一二五円

同 九月 四日 五〇四フイレ 一一、四〇〇キロ 単価一二五円

横浜冷蔵に対し

昭和三八年八月 二日 一、七八〇フイレ 四五、〇〇〇キロ 単価一一四円

同 八月一五日 一、八一二フイレ 四六、一九五キロ 単価一一四円

同 八月二四日 一、五七〇フイレ 四〇、〇〇〇キロ 単価一一二円

こうしてみると売却値は、原判決の認定したキロ当り一二四円又は一三〇円より安い値段であつて、被告人はこのような取引をしていて、所得税を納め得るような経営者たりえないといわざるを得ないからである。

右判決は、極く一部の証拠を以て、判決の資料としたからに外ならず、いわゆる「樹をみて、森をみない」短見者流の判決であり、調査官が検察庁、国税局の顔を立ようと汲々として、刑事訴訟の基本原則を忘れ、それらに迎合して、アラ捜しをしたものを鵜呑みにしたとみられてもやむを得ないのではないかとの疑すら持つのも一概に責められないのではなかろうか。

事件を全体的に観察し、眼光紙背に徹する証拠判断をなし、且「疑わしきは罰せず」との法感覚を以て判決をされるならば、右のような判決理由は到底出てくる理由がないのである。

原判決が右の誤を冒したのは、認定に用いたメモ記載に、ヨリ鉢とあるものについて、原料用の下物と区別しなかつたからであり、ヨリ鉢とは、船凍物を冷凍倉庫に入れ、解凍したのち、その中から品物のよいものを、選別(ヨリ分け)て摘出したものをいうのであるから、当然原料用のものよりは値段も高いのであつて、数量も全体の一割にも充たないものであることは、メモ記載からも直ちに判然できるところである。

原判決は、これでみても明らかなとおり、審理をキメ細かくやらず、審理不尽のそしりは免れないものと信ずる。

九、被告人の弁解は、昭和三八年期首における、前渡金三千万円の存在であつて、昭和三八年中に相殺した具体的金額が何十何円の端数まで正確な反証を挙げる義務が、訴訟法上当然に出てくるものとは考えられない。

相殺分の主張は、期首三千万円の存在を、間接的に立証するものにすぎないのである。

原審における被告人の主張が、正鵠を得ていなかつたことは、被告人方の原始書類の不備により、まことにやむを得なかつたものであることは御賢察戴きたいところである。

原判決は、「符2号の綴中南協冷蔵の領収証(38、9、4)付保管料請求書(38、8、31付)に“9/11整理済”の赤エンピツ記載があり、これは前渡金と相殺した関係を意味するものである旨供述するが、右請求書には仕入代金の記載はなく、保管料の明細が記載されているのであり、“整理済”が直ちに相殺を意味するものとは文言上理解し難いのみならず、同旨の記載は他の保管料請求書(38、7、31付)にもみられるし、カネ友商店関係の仕入とみられる昭和三八年四月二八日及び同年五月五日~一六日の分にも“5/26整理済”の記載がみられる」と判示する。

しかし、被告人は、現金支払等の場合は「代スミ」と記載した旨の供述をなし(四七丁終りから四八丁)符2請求書領収書綴中の「代スミ」の分を、現金出納帳に当つてみると必ず、該当金額が記入されており、一方「整理済」の分を現金出納帳に当つてみても、何処にも保管料金として出金されている形跡はないのであつて、保管料金の額は右5/26整理ズミの分二五六、四一〇円、9/11整理済の分は、一二七、〇四八円および一七八、八一三円更に昭和三八年四月三〇日付および同年五月二九日付、日本冷蔵株式会社焼津工場よりの保管料金請求書はそれぞれ三三、一一三円、二二、六六三円であつて、その合計は六一八、〇四七円にのぼり、この保管料の出金がないことは、前渡金の相殺分ではないかとの疑を持つて当然なのである。

一〇、原審においては、前述した如く、損益勘定による立証を許されなかつた為主張しなかつたが、仕入、売上の間には次のような矛盾があり、被告人の主張する、いわゆる現金仕入を認めなければ、如何なる説明もつけられない。即ち、

カネ友よりの仕入を把握するため先ず、符7売上記入帳、昭和三八年分により「付け込」「丸善」「雪印食品」「アンデスハム」に対する「鉢フイレ」(目鉢フイレも同じ)の売上を摘出すると別表(一)のようになる。

これらは、被告人が、何処からか仕入たものであるべきであるから、その仕入先を、符2、請求書領収書綴によつてみると、

例えば、

(1) 「付け込」三月四日都水産に対する鉢フイレは、同綴中昭和三八年三月五日付弥生食品株式会社の請求書により、三、四、目鉢、一一三枚N三、一四五、八単価一二四円、金額三九〇、〇七九円“フイレ枚数、キロ数とも符合じ、

(2) 「付け込」五月一〇日丸福水産に対する鉢フイレは、同綴中五月一三日付旭食品株式会社の請求書中、五月一〇日の欄に鉢F四一五枚、N五〇四七kg単価一一五円、金額一、一六八、六九九円と同じく符合し、

(17) 「丸善」に対する八月一〇日付売却した鉢フイレ二四一枚は、同綴中、8/1付倉橋仕入メモ記載、鉢F二四一枚、N五五二七、二kgとあつて、フイレ枚数キロ数共符合する。

このように、仕入先の判明する「鉢フイレ」を検討して行くと、別表(一)の番号欄に番号の付されたものは、仕入先が明確であり、且被告、人方において証拠上支払を了しているものであつて、同表中番号の付されてない分は、請求書領収書綴若しくは預金出納帳又は当座預金出納帳の何処をみても仕入た形跡もなく、従つて又出金もされておらず、国税局において仕入とは認容の方法がないとして認めなかつたもの(尤も南協冷蔵、日本冷蔵焼津支店等の保管料金請求書により、相当期間の仕入をまとめて支払つた分があり、それはそれとして右無番号より控除する方法を考える)とならざるを得ない。

ところで、右無番号、つまり仕入として認容できないのではないかと思われる「売上」の売上金額は、総計六〇、五二一、六五九円となり、同期間中に、カネ友に対して支払つた額は五月二七日、三菱銀行築地支店、丸美食品名義により二二、六〇三、四九五円、同七月一六日、金四、四七八、五二八円および平和相互銀行本店平川武雄名義により同八月二四日一五、一四九、一三八円、同九月一一日、四、四五八、六一一円、合計四六、六八九、七七二円であつて、前記無番号の売上合計六〇、五二一、六五九円との差額は仕入としての証拠のないものを売上げた合計金額として一三、八三一、八八七円が算出される(右以外の高額支払はいずれも他へ支払つた証拠がある)。

右差額一三、八三一、八八七円は、売上の合計であるから仕入単価に幾程かの利益を見込んだものであり、そのまゝ仕入金額となるものではないので、利益率だけの金額を右売上合計金額から控除すれば、カネ友商店からの仕入価格が算出されてくることになる。

そこで、カネ友商店からの仕入価格であるが、カネ友商店の仕入価格で証拠上明確なものは原判決の指摘する一〇五円のみであつて、他に認定できる証拠はないが、他からの仕入単価平均を請求書等よりひろつて算出すると一〇八円となる。

次にカネ友商店から仕入れて、他へ売却した鉢フイレの売却平均キロ単価は一二四円となり(別表一、無番号の平均単価)、一〇五円との差は一九円、一〇九円との差は一五円であつて、その率は一五パーセントおよび一二パーセントとなる。

そうすると、カネ友商店からの仕入価格を一〇五円とみた場合の利益を控除した仕入合計は一一、七五七、一〇三円、一〇九円とみた場合は一二、一七二、〇六〇円となる。

カネ友商店からの仕入は右平均単価の一〇九円程度と考えられるが、それよりも、利益の多く出る一〇五円をとつてみても、右のとおり一千万円以上の仕入は、被告人方の帳簿中の何処をみても、そのカゲすらなく、この分は前渡金の存在なくしては説明できないのである。証人緒方多賀雄は、P/LとB/Sとの不突合額四、五百万を損金とみたといゝ(一九八丁中頃)、内容は不明のまゝ、仕入か、交際費か、その他の経費か確定できないと供述している(同丁)が、四、五百万は三八年か三九年か或は又二ケ年全部でか明確でない。

右と同じような作業により、昭和三九年分についても、約一千万円につき被告人が当初から弁解していた、現金仕入の計上洩れがあり、それは前渡金相殺分であるとの裏付はは明白になる。

以上、被告人の供述、服部敏夫の証言、支払われていない保管料金請求書(整理ずみとの記載あるもの)の存在および、右に述べた支払のない仕入が現実に存在することにより、前渡金三千万円の内相当額は、原判決が認容すべきであつたし、前記四に引用した緒方証人が、後日提出すると約したP/LとB/Sとの差額の計算書類に対しその提出を求め(検察官に対しては、不突合額四、五百万円と述べているが、前記のとおり、何年の分なのか不明である)て審理すれば被告人の納得する判決がなされたであろうと惜しまれ、検察官の起訴を正しいものとの予断し、国税局側を向いた姿勢のまゝ、判決を迎えたものと主張せざるを得ない。

一一、被告人方の総合的な荒利益率をみると、被告人に対する昭和四一年一二月一五日付検察官調書によると、

「昭和三八年乃至昭和三九年頃の事業の利益率について申しますと仕入高に対して大体一割程度の荒利益が場外売の場合に考えられ目切れを考えますと約八分位と考えており、場内の店売の場合は荒利益が約二割位を見当にしており従つて場外売りの純利益の率は四分から五分位、店売りの場合約一割位ではないかと考えております」(二三二丁終りから二三三丁)。とあり、場内売りは全体の二割位であるから、その荒利益は、場外四億一千万円の八パーセント三二八〇万円場内一億円の二〇パーセント二、〇〇〇万円合計五、二八〇万円となる。

右場外の荒利益は、前記一二パーセントと算出されたものより、二パーセント低いが、前記のものはいずれも、利鞘のあつた取引であるが、鮮魚仲買では、冷凍料金を軽減するため、仕入価格よりも安く販売して、同一物を買戻す例も珍らしくなく、冷凍物であるから目減りが必ずあるので、一〇パーセントの荒利益は、常識的なものといえるのである。

他方昭和三九年分必要経費の総計は五三丁以下によると、二五、六四九、六七六円である(昭和三八年分は提出されていない)から純利益として二、七二〇万円となり、昭和三九年の起訴金額三五、三七一、五六九円より、前記で計算した支出のない仕入分約一千万円を差引くと約三、五〇〇万円となり、大凡の数字は符合してくるのである。

このような観点からみても、本件判示金額は修正されて然るべきである。

一二、本件は、動機が、税務当局の不当な行政指導により、標準率を適用して来たことに対する防禦的な行為の延長であること、押収洩帳簿を自ら提出する等協力的であつたこと、本件後は偽りのない申告をなしていること、ほ脱額その他を完納していること、等の情状を加味して、原判決を破棄して、適正なる金額を判決されることを望むものであります。

以上

別表(一) 付込

<省略>

別表(一) 丸善

<省略>

別表(一) 雪印食品

<省略>

別表(一) アンデスハム

<省略>

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