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東京高等裁判所 昭和44年(う)2117号 判決 1971年11月08日

被告人 佐藤虎実

主文

原判決を破棄する。

被告人を死刑に処する。

理由

本件控訴の趣意は、東京高等検察庁検察官検事山口裕之の提出にかかる横浜地方検察庁検察官検事蒲原大輔作成名義の控訴趣意書に記載されているとおりであるから、ここにこれを引用し、これに対し当裁判所は、事実の取調を行なったうえ、次のとおり判断する。

控訴趣意第一点について。

所論は、原判決は、

「被告人は、昭和四二年一月一三日午後九時四〇分ころ、藤沢市藤沢五、九六一番地付近道路を帰宅途中のM子(一九歳)を見かけるや、俄かに劣情を催し、背後から同女に襲いかかり、右腕で同女の頸部を扼す等の暴行を加え、揉み合いながら共に道路脇土手下に転落したが、同女において激しく抵抗を続けるので、同女を死に致しても情欲を遂げようと考え、更に同女にのしかかって両手で同女の頸部を強く扼し人事不省に陥れ、その反抗を抑圧して、強いて同女を姦淫したうえ、再び、同女の頸部を強く扼し、その場で同女を窒息死させて殺害したものである。

との公訴事実に対し、

『被告人は、同日午後九時四〇分ころ、同市藤沢五、九六一番地付近路上において、帰宅途上にあった高校生M子(当時一九年)を認め、「今晩は寒いですね」などと声をかけたところ、同女が「寒いのはあたり前じゃないの」などといって逃出したのを見て、愚ろうされたと思いかっとなり、その仕返しのため同女を追いかけたが、付近は暗くて人通りも少なく、両側は田圃で人家も離れていたところからこの際同女を強いて姦淫しようと決意し、背後から同女の肩を掴み、悲鳴をあげた同女の口を手で塞ぎその首を腕でしめあげ、逃げようとしてあばれる同女と揉み合いながら同女もろとも道路(土手状)下に転落したが、同女がまた悲鳴をあげたため通行人に聞きとがめられるのをおそれ、同女の口を手で塞いだものの、同女の必死の抵抗にあうや、同女を死に致してもやむなしと決意し、両手で同女の頸部を強く扼して失神状態に陥れ、その反抗を抑圧したうえ、同女のパンティを引き裂き強いて同女を姦淫し、その場を立ち去ろうとした際、同女が蘇生して叫び声をあげるや、通行人に聞きとがめられるのをおそれて直ちに同女の口を手で塞いだうえ、首尾よく逃走するため同女を死に致してもかまわないと決意し、両手で同女の頸部を強くしめつづけた結果、即時その場で同女を窒息死させて殺害したものである。』

との事実を認定したうえ、

「その強姦行為は、被害者を認めた当初から被害者を強姦しようと考え、被害者をつけ狙った末に実行されたものでなく、判示の如く、当初被告人が被害者に声をかけたところ、被害者が口答えをして逃げ出したのに憤慨し、その仕返えしのためこれを追いかけたが、付近が暗く人通りも殆んどなく、周囲も田圃で人家からもやや離れていたところから、情欲を遂げんと強姦を決意し被害者を襲ったもので、このような偶発的犯意に基く犯行であり、また、その殺害行為は、右強姦に際して敢行されたものであるが、その殺意は、被害者を右のように襲いかかる時から抱いていたものではなく、その殺害の内容も、殺害したうえ強姦しようといった積極的、意欲的なものではなく、判示のように、強姦を決意して被害者を襲い、被害者もろとも道路下に転落したのち、被害者が悲鳴をあけたので通行人に聞きとがめられるのをおそれ、被害者の口を手で塞いだが、なおも被害者が必死に抵抗したため、同女の頸部を両手で強扼して人事不省に陥れるに際し、これに付随的に、且つとっさに被害者を死に致してもやむなしと決意し、かくて失神状態に陥った被害者を強姦した直後、立ち去る際、被害者が蘇生して突如叫び声をあげたのに驚き、通行人に発覚されることなく首尾よく逃走するため、再び被害者を人事不省に陥れんとし、これに付随して同女を死に致してもかまわないと決意し、前同様被害者の頸部を強扼した結果、遂に被害者を窒息死させて殺害したものであり、…………中略…………右殺人行為は未必的故意に基く犯行である。」と説示している。

しかしながら、原裁判所で取り調べた証拠により犯行当時における被告人の心情、扼頸にいたる経緯、扼頸の方法、犯行後の状況等を総合して検討すると、被告人が確定的殺意をもって本件を実行したことが十分認定しうるのであるから、これを認めなかった原判決は、証拠の取捨選択を誤り、証拠の評価を誤った結果、事実を誤認したものであって、右誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかであるという旨の主張である。

しかし、原判決挙示の証拠のうち、とくに被告人の検察官に対する昭和四二年一月一九日付、同月二六日付、同年二月一日付(その供述記載の要旨、「この女とやったあと、私はすぐ立上って、自分の“もの”をしまい、飯場に帰ろうと思って道路上に上がるため歩き出そうとしたら、女が腰から上を起して、“わあっ”というような声を出しました。私が立上った時には、人が来ることには気がつきませんでした。私は女が声を出したので、びっくりして女の上に乗りかかって、手で口を塞ぎましたが、そうやっている時、私の来た方から話声が聞え、人の来ることがわかったので、気付かれないために、又首を締めました。両手を輪にして最初の時と同じような形で締めたのです。この時は、前の倍位の時間締めていました。女を無理にやったのですから、見付かれば掴まりますから掴まらないで逃げるために相手を“おとそう”と思って、首を締めたのです。しばらく締めている間に、又ぐったりしたので手を離しました。」)、同月五日付(二通、記録五冊一九五丁以下のものの供述記載の要旨、「女をやって射精してから、とんでもないことしてしまった、とうまく説明できないけども、おっかないという気持になりました。悪いことをしてしまったとか、掴まったら大変だとか、いう気持で、おっかなくなったためだと思います。それで、私はともかく、早く逃げて飯場へ帰ろうという気になったのです。おちた人を放っておけば死んでしまうかも知れない、という気もおきましたが、もしかしたら、一人で気がつくかも知れない。とにかく、人に気付かれないうちに逃げたい一心で、その場から歩き出そうとしたのです。その時、女の人が息を吹き返し、頭を持ち上げて、アーッという声を出しました。私は、仮に息を吹き返しても、そんなに早く吹き返すとは思わなかったので、びっくりしてしまい、家も近いし、声を立てられては困ると思い、すぐ女の上に覆いかぶさって口を塞ぎましたが、その場から逃げてしまうまでは声を立てられては困るので、前と同じようにおとそうと思い両手を輪にして力を入れて首を締めました。一度締めて落し、息を吹き返したすぐあとですから、それを又締めて落し、そのままにしておいたら、死ぬだろうということは、わかっていましたが、その場から逃げるためには仕方がないと思い、逃げたい一心で又首を締めたのです。首を締め始めて間もなく、話声が聞えてきました。私は道路に向って女の首を締めていましたが、声は藤沢本町駅の方から聞えました。男の声だったと思います。話声で人が来たと判ったので、そのまま気付かれないように締め続けました。前の倍位の時間締めていました。女が、いつ頃おちたか判りませんでしたが、手を離した時にはおちていました。それから、すぐ逃げて帰ろうと思って土手に上がりましたが、前より長く締めたし、死んだんじゃあないかと思って、下に又おりて、女の鼻に耳を当ててみました。息をしていなかったので、今度は体をゆすってみましたが、だらんとしたままでした。思ったとおり死んでいたので、それまで張りつめていた気持が、がっくりきて、その場に座り込んでしまいました。」)、同月七日付(その供述記載の要旨、「一回目と二回目の首の締め方は同じで、違うのは、あとの方が時間が永かったということだけです。締めた時間は、あとの方が五分位、最初の方は、その半分位の時間です。」)同月八日付各供述調書、被告人の司法警察員に対する昭和四二年一月一九日付(第七項)、同月三〇日付(ただし四項まである分、その供述記載の要旨、「私は女を強姦してから、そのまま飯場へ帰ろうと思って立ち上ったときに、誰かが土手の上の道路を藤沢本町駅の方から来て通り過ぎたように思いました。私が、この通行人の通り過ぎた後で歩き始めようとした時に、私の背後に倒れていた女が急に立ち上って、ウワーッと異様な叫び声を出したものですから、私は、びっくりしてしまって、ここで騒がれたら、いま上の道路を通行人が歩いて行ったばかりだし、すぐそばに人家があるので、誰かに見つかると困るなと考えて、あわてて振り返り、立ち上っている女の正面からとびかかって、左手で女の後頭部を押さえ、右手で女の口を塞いだら、女が苦しがって暴れ出したので、私は一旦両手を離して、両手の親指が女の咽喉元に揃うような恰好で力一杯に締めあげたのです。この時の私の気持は、私が、その場を逃げるためには、女を静かにさせるよりほかに方法がないので、夢中で力一杯に締めてしまったのです。この女は、一度私に首を締められ土手下に落ちてから、私に強姦されてぐったりしていたのに、それが終ってから起き出したのですから、私がまた、力一杯に首を締めてぐったりしても、また生き返ってくれるだろうと思う気持もあって、力一杯に首を締めてしまいました。この時の状態は、私が女を殺そうとして締めたと思われても、弁解することはできませんが、私としては、女が生き返ってくれることを望んでいたことは事実です。」)各供述調書(以下証拠略)を総合して考察すれば、被告人が、再び原判示M子(以下同女という。)の頸部を両手で強くしめた際には、同女は、すでに被告人から原判示の暴行を加えられて失神し回復した状態にあったうえ、強姦された直後であるから、同女が蘇生したといっても、抵抗することのできない状態にあったこと、被告人は、同女が右の状態にあることを知りながら、仰向けに倒れている同女の上に馬乗りになり、両手を輪にして同女の首に巻き親指を同女の喉元にあて両脇から力一ぱい五分間くらいしめつけたこと、その直後被告人は、原判示飯場へ帰ろうとして道路上まで上がりながら、再び同女のところに戻り、同女の鼻に耳をあてたり、同女の身体をゆすったりして、その死亡を確認していること、さらに被告人は、同女の死体を埋めるため急いで右飯場に赴き、同所にあったスコップを持って同女の死体が放置されている犯行現場に引き返し、同女の死体を肩にかついで原判示崖下の荒地まで運び移し、同所において、右スコップで土中に穴を掘って同女の死体を入れ、その上に土砂をかぶせてこれを埋没したことおよび被告人が同女を認めた際、同女に対し自分は修道院前の飯場で働いている佐藤だと名乗っていることを認めることができ、このような事実関係のもとにおいては、被告人は、確定的な犯意をもって、再び同女の頸部を両手で強くしめつけたものと推認することができる。そして、いわゆる確定的故意と未必的故意とは、いずれも同一段階の故意責任を成り立たせるものであり、前者は、犯罪事実ことに結果の発生を確定的なものとして認識する場合であるのに対し、後者は、結果の発生をたんに可能なものと認識するにとどまる場合であって、後者は、故意の最下限に位するものであるから、両者は、その責任の程度において、まったく同じであるとはいえず、したがって量刑の実際において、いくらかの差等が認められるのを通例とするであろう。しかし、本件のような犯行において、被告人に二回にわたり未必的の故意があると認定するか、一回目はたんに未必的な故意で、二回目に確定的な故意があると認定するかについては、かなり微妙なもののあることを考えなければならないが、同一段階の責任形式を構成する両者について、その概念上の差異を重視して、つねに訴訟上の争いの的となることができるとすることは、必ずしも適当な策であるとは思われない。すなわち、未必的故意を確定的故意と認定した場合、厳密にいえば、事実の誤認にあたるとしても、本件のような事案においては、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認には属しないというべきである。なお、職権により調査すると、原判決は、判示第一の事実のうちで、被告人が、『帰宅途上にあった高校生M子(当時一九年)を認め、「今晩は寒いですね」などと声をかけたところ、同女が「寒いのは当り前じゃないの」などといって逃げ出したのを見て、愚ろうされたと思いかっとなり、その仕返しのため同女を追いかけたが』との事実を認定しているが、右事実を認めることができる証拠は、被告人の捜査機関に対する各供述書中および原審公判調書中の各供述記載部分だけであって、他にこれを裏付けするに足る証拠はないから、果して被告人が、夜半人家のとだえた人通りのない暗い道で、一面識もない当時一九歳のうら若い右M子に対し原判示のような声をかけ、同女がこれに口答えしたことを前記証拠のみで認定するについては、多大の疑問があり、前記各供述記載部分は信用することができない。してみると、右の点に関し、原判決には、事実誤認のかどがあるけれども、この誤認は、被告人が、原判示第一の強姦致死、殺人の犯意をいだくにいたる経緯、動機にすぎないものであって、右の点を除外した事実と除外しない事実を対比すると、前者に多少犯情の重いものが認められるにしても、このような認定の相違は、判決に影響を及ぼすことが明らかであるといえない。以上のとおり、原判決の認定した事実には、なんら事実の誤認がないことに帰するから、この点に関する論旨は採用できない。

同第二点について。

所論は、原判決は、検察官の死刑の求刑に対し、無期懲役の判決を言い渡したが、右判決は、量刑がいちじるしく軽きに失し不当であるという旨の主張である。

そこで、記録を調査し、当審における事実取調の結果をも合わせて検討するに、被告人は、中学校在学当時の窃盗の非行歴があるほか、昭和三三年一二月三日盛岡地方裁判所一関支部において、強盗強姦、窃盗、傷害罪により懲役五年以上一〇年以下に処せられ、昭和四一年九月二〇日仮出獄を許されたにもかかわらず、右仮出獄中の同四二年一月一二日に本件犯行を敢行したもので、その犯行の態様は、ほぼ原判決の認定しているとおりであるが、要するに、被告人は、夜間人通りのない人家からもやや離れた暗い路上を帰宅途中のM子(当時一九年)を認めるや、背後から同女に襲いかかり、同女の首をしめるなどの暴行を加え、揉み合いながら同女とともに道路土手下に転落後、同所で同女が激しく抵抗すると、同女を死に致してもやむなしと決意し、同女の頸部を強扼するなどして失神状態に陥れて同女を強姦し、すなわち、処女である同女の貞操をじゅうりんしたうえ、その直後同女が蘇生するや、同女を殺害することを決意して、再び前同様その頸部を強扼し、同女を窒息死させて殺害し、そのうえ、右犯行を隠ぺいするため、同女の死体を殺人現場から約三五〇メートルのところにある荒地まで運搬し、同所の土中に同女の死体を埋没遺棄したというのであって、自己の情欲を遂げるためには人命さえもかえりみない自己中心的な無謀な行動であり、その動機には、なんら酌量の余地なく、また、犯行の手段方法も、きわめて残虐、執拗、かつ、大胆不敵であって、一瞬にしてうら若い乙女の生命を奪った被告人の本件所為は、天人とも許すことができないものといわなければならない。

被告人は、本件犯行のあと、従兄にあたる佐藤毅から自首をすすめられたのに、これを拒否し、「現場には証拠になるものは何も残していないから捕まらない。自分は、どうせ捕まれば最高の刑を受けるに決まっているから、もう少し逃げたい。時効は何年だ。」などと言って同人のもとを去り、また、被告人は、原審公判の当初においては、本件強姦致死、殺人の事実につき殺意だけを否認していたのに、その後検察官から死刑を求刑されるや、再開された原審公判で、本件各犯罪事実にはまったく関係がない旨を主張するなど、被告人の原審公判における供述は、転々と変化していて、いささかも改悛の情がなく、これは、被告人の自己中心的、反社会的性格の所産であると認められる。

他方、被害者は、その性格が冷静、快活、温和、かつ、真面目であり、本件の被害を受けた当時は○○中学校に事務員として勤務するかたわら、県立○○高校定時制四年に在籍して夜間通学し、同校を卒業後は保母になるため、通信教育を受けながら勉学していた一九歳の若い女性で、本件犯行の当夜も右高校からの帰宅途上自宅を目前にしながら、不意に被告人の毒牙にかかり貞操をじゅうりんされたうえ、尊い生命まで奪われたのであって、その恐怖、苦痛、無念さは察するに余りがある。また、瞬時にして被害者を失った遺族、ことに被害者を手塩にかけて育てあげてきた両親の精神的苦痛、悲嘆の情は計り知れないものがある。

これを要するに、以上に説示した本件犯行および結果の重大性に加えて、本件犯罪が社会に与えた深刻重大な影響、その他記録にあらわれた諸般の情状を十分に勘案すると、当裁判所においても、慎重に考慮を重ねたうえ、被告人に対しては、極刑をもって臨むことが、刑政の途にかなうゆえんのものであるとの結論に到達するにいたったのである。されば、原判決が、事ここに出てないで、被告人を無期懲役に処したのは、本件犯行の動機、罪質、態様および結果の重大性などに対する考慮を欠いたために、その量刑を誤ったものといわなければならない。それゆえ、この点に関する論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。

よって、刑事訴訟法第三九七条、第三八一条により原判決を破棄し、同法第四〇〇条但書により被告事件について、さらに判決をする。

原判決の確定した事実(ただし、原判決の判示第一の事実のうち、『「今晩は寒いですね」からその仕返しのため同女を追いかけたが、』までの部分および「通行人に聞きとがめられるのをおそれて直ちに同女の口を手で塞いだうえ、首尾よく逃走するため同女を死に致してもかまわないと決意し、」までの部分を削除し、「同女が蘇生して叫び声をあげるや、」の次に、「同女を殺害することを決意し、再び、」を挿入する。)に法令を適用すると、被告人の原判示第一の所為中強姦致死の点は刑法第一八一条、第一七七条前段に、殺人の点は、同法第一九九条に、同第二の所為は、同法第一九〇条にそれぞれ該当するところ、右判示第一の強姦致死と殺人は一個の行為で数個の罪名に触れる場合であるから、同法第五四条第一項前段、第一〇条により重い殺人罪の刑に従い処断することとし、所定刑中死刑を選択し、以上は同法第四五条前段の併合罪であるが、右殺人の罪につき死刑を選択したので、同法第四六条第一項本文により他の刑を科さないで、被告人を死刑に処し、なお、原審および当審における各訴訟費用は、刑事訴訟第一八一条第一項但書により被告人に負担させないこととして、主文のとおり判決する。

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