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東京高等裁判所 昭和43年(う)1069号 判決 1969年6月16日

主文

本件各控訴を棄却する。

当審訴訟費用中、証人平川良三に支給した分は被告人後沢信吾の負担とし、証人野中テル、同山口政子に支給した分はいずれもこれを二等分し、その各一をそれぞれ被告人栗田千足、同後沢信吾の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、被告人栗田千足については弁護人田中治彦、同小島利雄、同萩原菊次、同箕山保男四名連記の、被告人後沢信吾については弁護人小島利雄、同星二良両名連記の、各控訴趣意書記載のとおりであるから、これらをここに引用し、これらに対して当裁判所は次のとおり判断する。

被告人栗田千足関係

控訴趣意第一点、事実誤認の主張について。

所論は原審公判廷にあらわれた全証拠を検討すれば、被告人栗田千足の妻が川脇常信より歳暮品として当日菓子折一箱、ジヨニーウオーカー黒一本を受取つた事実を認めることはできるが、その菓子折に現金一〇万円が入れられていたと認定することはできないので、原判決には事実誤認があり、被告人は無罪である、としその理由を縷々詳述している。

よつて、所論にもとずき本件記録を精査検討し、なお、当審における事実取調の結果を参酌して案ずるのに、原判決挙示の関係証拠(栗田千足の検察官に対する昭和四一年三月二一日付供述調書の任意性のあることについては後記のとおりである)を綜合すれば、優に原判示第一事実を認めることができる。すなわち、原審第一五回公判調書中の原審相被告人川脇常信の供述部分、平山賢一の検察官に対する供述調書、原審第二回公判調書中の証人山口政子の供述部分を綜合するときは、川脇常信は昭和四〇年一二月九、一〇日頃経理部次長平山賢一に対し後沢信吾と栗田千足にお歳暮として一〇万円宛もつて行くからこれを用意しておくことを命じ、平山賢一はその命に従い裏金の二〇万円を出し、一〇万円宛二個の封筒に入れて山口政子に渡し、同女はこれをそれぞれ二個の菓子折に入れて包装し川脇に示したうえ手許に保管し、後日それぞれ川脇の命によりこれを、一はジヨニーウオーカーの黒を、他はカシミヤのシヤツを添えて、川脇の命ずる都度同人に渡し、川脇において、前者を原判示日時頃被告人栗田宅に持参して同人の妻を介して被告人栗田に交付したことが認められるのであつて、その間、右菓子折に包装された封筒が現金入りのものであり、これが間違いなく川脇の手に渡り栗田宅に届けられたことは、山口政子の供述より認められる、同女の職務上の経験および責任感よりする慎重な取扱いぶりからいつても間違いのないことが認められるのであつて、弁護人の論ずる包装紙等に関するくいちがいの点は右骨子を覆えすに足るものではなく、また、山口政子の供述はそれのみでは一見具体性がないように見受けられるが、原判決挙示の前掲川脇常信の供述、同人の検察官に対する昭和四一年三月一四日付供述調書第六項、平山賢一の検察官に対する供述調書と彼比照合し、当審における証人山口政子の証言をも参酌するときは、尋問者の質問、これに対する山口政子の答え、ともにいずれも本件栗田、後沢に対する原判示第一、第二の一に関する問答をその内容としているものと理解できるし、以上の山口政子の経験、責任感、事務取扱態度よりして、当時山口保管の現金入りの歳暮品が他にあつたとしても、弁護人主張のような誤記の可能性はなく、また平山賢一の検察官に対する供述調書中の、川脇より一〇万円の一ト口はあとに廻すから預つておいてくれといわれ、そのまま金庫に返した旨の供述よりして栗田方へ持参された菓子包には現金は入つていなかつたものであるとの弁護人の主張は、右平山賢一の供述は「返したように思います」というのであり、これが必らずしも真実に合致したものであるとは認めることができず、他に原判決の認定を覆えすに足る証拠は存しない。所論は理由がない。

控訴趣意第二点、自白調書の違法採証等の主張について。

所論は原審は弁護人らが証拠能力なしとして強く証拠とすることに異議をとなえたところの、検察官申請にかかる被告人の供述調書を全部証拠として採用し、その一部を有罪認定の資料として証拠の標目に掲記した点において、訴訟手続における法令違反があり、遡つて憲法第三八条第一、二項に違反し、その違法が判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は当然破棄を免れない。すなわち、被告人の司法警察員に対する供述調書は、逮捕以来連日長時間に及ぶ取調、被告人に対する罵詈誹謗と脅迫のうちに明け暮れ遂にその精神的身体的苦痛に堪え切れず昭和四一年三月五日に至り虚偽の自白をしたものであり、その自白調書を含め各調書は任意性を疑うに足る状況の下に作成されたものであり、被告人の検察官に対する供述調書は司法警察員の取調のような強制、拷問、脅迫はないとしても、警察官同室の上での取調であり、自白を撤回すれば再び司法警察員の取調に戻され前記のような違法な取調を受けるおそれがあるという心理的影響下の供述であり、従つて被告人栗田の検察官に対する供述調書も結局は任意性がないことに帰する。されば、被告人の自白調書は司法警察員および検察官に対するものいずれも任意性につき疑があり採用すべからざるものであるのにこれを採用し、その一部を証拠の標目に引用し有罪認定の資料とした原判決は訴訟手続の法令に違反し、延いては憲法に違反する。また、これら司法警察員に対する供述調書は、訴訟法上司法警察員作成の供述調書と認定できないものを証拠として採用している点で原審には訴訟手続における法令違反がある。すなわち、調書の作成名義人は当該取調官でなければならないのに、昭和四一年三月六日付、同年三月二二日付各供述調書は、田島勉、平国節男西巡査部長がいずれも交替で被告人の取調にあたつていたことは間違いないのに、前者は作成名義人は田島勉、立会代筆者平国節男、後者は作成名義人平国節男、立会人田島勉となつており、最少限両名連記作成名義人の供述調書でなければならない調書にかかる記載のなされている供述調書は法律上の形式を充足した供述調書とはいい得ず、結局法律上の規定する供述調書とはいい得ないから、これを採用した原審には訴訟手続上の法令違背がある、となし縷々論述する。

よつて案ずるのに、所論にもとずき記録を精査検討するときは、原判決挙示の被告人の検察官に対する供述調書の任意性のあることについては、原判決が(主な争点についての判断)の項において説示していることは十分これを肯認するに足りるところである。原審が証拠として採用取調をした被告人の司法警察員に対する供述調書九通、上申書三通、検察官に対する供述調書七通については、被告人栗田の取調に当つた警察官正木実、田島勉、板垣多木治、平国節男、検察官田中豊の原審における各証人尋問調書よりは何ら所論のような、被告人栗田を取調べるに際しての罵詈誹謗、脅迫その他被告人栗田に精神的圧迫を加え、これにより虚偽の自白をなさしめるに至つたと疑うに足る事実は認め難いし、検察官の取調に当つて捜査警察官の立会はない。また、その取調の時間の長さが被告人栗田に虚偽の自白をなさしめるに至つた肉体的苦痛を与えたものと疑うに足る点も存しない。むしろ、被告人栗田の前記各供述調書の体裁、内容および前記原審における各取調官の供述とによれば、被告人栗田の本件に関する自白は被告人により任意になされたものであることを認めるに足りる。この点に関する被告人の原審ならびに当審における供述は措信し難く、他に記録を検討してみても自白の任意性につき擬問を懐かせるに足る証拠は存しない。

次に所論(第二)司法警察員作成の供述調書はその作成名義の点において法律上の形式を充足していないから刑事訴訟法上所定の供述調書に当らないからこれを採用した原審には訴訟手続における法令違反がありその違反は判決に影響を及ぼすものであり、原判決は破棄を免れない、との主張については、所論昭和四一年三月六日付司法警察員作成の供述調書作成名義人は司法警察員巡査部長田島勉、立会代筆者司法警察員巡査部長平国節男となつており、昭和四一年三月二二日付供述調書作成名義人は司法警察員巡査部長平田節男、立会人司法警察員巡査部長田島勉となつておること所論のとおりである。しかしながら、記録を検討してみるに、右各取調にあたつては、当時の取調の目的、経過に照らし、何れがその時その取調に当るのが適当であるかを判断して前者は田島勉、後者は平国節男が適当としてそれぞれの取調に当り、他はその際これに立会人の役割をつとめたものであつて、この間一時的、部分的に立会人が被告人に問を発しその供述を求めたものとしても、これはそれぞれその取調の衝に当つた者の取調内容をなしているものと見るのを相当とするから、両名同一の立場、程度の取調と異り、その作成名義人に両名連記の必要はなく、前記各作成名義の供述調書はいずれも刑事訴訟法上の供述調書としては何ら違背する点はなく、従つてこれを証拠として採用した原審に訴訟手続に関する法令違反はなく、かつ、憲法第三八条第一、二項に違反する点もない。所論は理由がない。

控訴趣意第三点、理由不備、審理不尽の主張について。

所論は原判決の理由齟齬、理由不備若しくは審理不尽を主張し、その理由として、原審は被告人の司法警察員および検察官に対する前記各供述調書を証拠として採用し、原判決にはその証拠として、被告人栗田千足の検察官に対する昭和四一年三月二一日付供述調書を特に掲記した。しかしながら、右供述調書には何ら本件一〇万円を不法領得する意思が現われておらず、原判決の挙示する他の証拠をもつてしてもこれを推認させるものが存しない。故に原判決が有罪の認定をしたのは重大な理由不備ないし理由の齟齬があり、また、審理不尽の違法があつて判決に重大が影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄さるべきである、と主張する。

よつて記録を精査して案ずるのに、原判示事実はその挙示する関係証拠により、ゆうにこれを認めることができる。すなわち、被告人の供述調書の任意性のあること前記説示のとおりであつて、これにより本件一〇万円の使途等その処分状況あるいはその所在等について判然しないとしても、本件一〇万円が川脇常信より被告人栗田の妻栗田〓つの手を介して被告人栗田の手に渡つたこと前記説示のとおりであり、当時これを返却その他受領を拒否する措置にでたことを窺うに足る証拠は記録上何等存在しないから、結局被告人栗田は本件一〇万円の受領を容認したものと認めるのが相当であつて、これと同趣旨に出で判示事実を認めた原判決には何ら重大な理由不備ないし理由齟齬、審理不尽の違法は存在しない。論旨は理由がない。

結局被告人栗田に対する原判決には何ら控訴趣意記載のような違法はなく、本件控訴は理由がない。

被告人後沢信吾関係

控訴趣意第一、被告人後沢の職務につき、原判決に理由のくいちがい、法令の解釈適用の誤りがあり、ひいては事実誤認がある、との主張について。

所論は原判決は被告人後沢が国家公務員共済組合法第一三条にいう「組合に使用され、その事務に従事する者」であると認定したが、同被告人は国家公務員共済組合法第一三条、第三六条の適用を受ける連合会の職員ではなく、同被告人が停年退職後嘱託名義で毎日出勤し、仕事をし、かつ、手当を受領していた事実があるからといつて、法律上みなし公務員ではない。国家公務員共済組合法第一三条にいう、法令により公務に従事する職員とみなす、との規定は刑法第七条における職員と同様その任命が法令に根拠を有するものでなければならず、非現業共済組合連合会事務規程第二条、国家公務員共済組合連合会運営規則第一七条、同人事規程第二条、第二三条第一項第四項からは「嘱託」が法令の根拠を有するものとなすことはできず、従つて被告人後沢が昭和三三年一二月三一日停年により非現業共済組合連合会参事を停年退職後は連合会の職員たる身分を喪失したものであり、営繕課長ではなく、みなし公務員ではない。原判決はこれらの規程等の解釈を誤り、ひいては後沢がみなし公務員であるとして原判示の如く事実を誤認したものであつて、右誤りは判決に影響を及ぼすこと明らかであるから破棄を免れない、というにある。

よつて記録を検討して案ずるのに、被告人後沢が昭和二五年一二月一三日非現業共済組合連合会参事を命ぜられると共に営繕課長に補職され昭和三三年一二月三一日停年により参事を解かれ嘱託を命ぜられたが、ひきつづき営繕課長の地位にとどまつており本件犯行当時もその地位にあつたことはこれを認めることができる。所論停年後の被告人後沢が、いわゆる「みなし公務員」であるか否かはその地位の法的評価解釈の問題であつて、なるほど国家公務員共済組合連合会の職員についての規定は、国家公務員共済組合連合会運営規則、同連合会人事規程、非現業共済組合連合会事務規程を通して不備不明確な点があるけれども、被告人後沢の停年退職後も同人にその職務に従事させる必要上、任命権者において、関係法令諸規定の解釈上同人を嘱託となし引つづき営繕課長(その地位職務権限については右連合会事務規程にその定めがある)の地位にとどめておくことができるものとしてその任命をなしたものと認められる以上、たとえ任命につき瑕疵があるとしても、その任命処分の取消されるまではこれを有効と解するのが相当であり、従つてその有効期間における被任命者の職務権限、行為につき、これに相当する法令の適用を受けるものと解すべきであるから、所論「みなし公務員」にあらずとの主張はこれを容れることができない。原判示説示の点は右と同一趣旨のもとになされているものであつて、法令の解釈適用に結局誤りはなく、従つて所論のような事実誤認も理由のくいちがいも存しない。論旨は理由がない。

控訴趣意第二、野村工事株式会社関係について。

所論は原判決は経験則に反する証拠の採用をなし、事実を誤認し、その誤認が判決に影響を及ぼすこと明らかであるから破棄を免れない、と主張し種々理由を掲記しているのであるが、これを整理して次の各項に分けて判断する。

(一)、菓子包関係の所論について 所論は、原判決は理由中の主な争点についての判断二、において金一〇万円入りの菓子包が山口政子により二個一緒に作られたことを前提とし、うち一個は昭和四〇年一二月一三日頃、他の一個は同月二五日頃いずれも川脇が山口より出させ、後者にはカシミヤのシヤツをそえさせ、これを被告人後沢方において同被告人の妻の手を介して被告人後沢に手交した旨判断しているが、右菓子包は同時に二個作られたものではない。この点に関する川脇の原審公判廷における供述は原審証人平山賢一、同山口政子の供述に対比して措信することはできないし、さらに、原判決は、お歳暮等としてこのような現金を供与する場合は現金を封筒に入れたうえ、せんべい、クツキー等の品物と一緒に包んで贈与するのが慣例であるとし、山口はお歳暮、中元等の品を保管する場合には必らず「川脇扱い」等と記載したメモをつけ過誤のないようにつとめていたこと、山口によつて包装された歳暮品は各扱い者ごとに一括して保管され、この保管中「川脇扱い」なるメモがはずれて他の品物につけかえられることがあつても、それは結局川脇扱いの品物に附されたものというべく、しかも被告人後沢方に届けられた品物が菓子包であつた以上、右品物の保管中に同封されていた現金のみが抜きとられる等極めて例外的な場合を除いては右菓子包み中に金員が封入されていたと推認するに十分である、と判断しているが、右認定のうち、川脇扱い等のメモ、保管場所、扱い者ごと一括保管の点を除いてはすべて川脇の原審公判廷における証言を基としているものであり、原判断のうち現金を贈る場合の贈答品の種類に関する点はこれを支持することができず、原審証人川脇の供述に照してみても被告人後沢に対する本件菓子包の中に現金一〇万円入りの封筒が存在したとの原判示認定には論理の飛躍があり、結局本件菓子包に金一〇万円入りの封筒が入つていた事実は非常に疑わしいのであつて、むしろ存在しなかつたと認定するのが相当である旨主張する。

よつて記録を精査して案ずるのに、原判示第二の一の事実は、その挙示する関係証拠により、趣旨の点をも含めて、十分これを認めるに足りるところである。すなわち、本件野村工事株式会社より被告人後沢に対する菓子包が相被告人栗田千足に対する分をも含めて二個同時期に作られ、その中に封筒入りの現金一〇万円がそれぞれ加えられ、相被告人栗田に対する菓子包がジヨニーウオーカーの黒を添えられて先づ川脇が山口より受取つて持出し、残りの一個はそのまま山口に保管を続けられ、後日川脇の命によりこれにカシミヤのシヤツを添えられて山口より川脇に渡り原判示日時頃川脇より原判示の如く被告人後沢に贈られたことは原判決説示の主な争点についての判断のとおりこれを肯認することができる。原審公判廷における証人山口政子の供述の措信し得ること、その内容が本件栗田、後沢に対する原判示第一および第二の一に関するものであること、山口の本件歳暮品の作成、取扱、保管、提出の措置に誤があつたとは認められないこと等、前記被告人栗田千足に関する控訴趣意第一点に対する説示のとおりであり、当審における証人山口政子の供述に徴してもその確信がもたれるところであつて、他に記録を精査し、当審事実取調の結果を勘案してみても原判示認定に疑問を差しはさむに足る事由は認められない。

なお、所論川脇の被告人後沢に対する贈賄理由の有無、野村工業株式会社の裏金その背景についての主張は何ら原判示認定を左右するに足るものとは認めることができない。

(二)、被告人後沢の捜査段階における供述調書およびその任意性信憑性について、所論は要するに、被告人後沢の捜査官に対する供述は、司法警察員に対するものは、昭和四一年二月二八日午前九時頃から同日午後一〇時一五分逮捕されるまでの間、司法警察員村山長三郎の脅迫的取調態度、被告人の捜査官による取調当時の悪い健康状態等に照らし、心理的強制の下におけるものであり、また、検察官の取調は被告人の背後に取調警察官をおいたり、また、司法警察員に対する供述その他の証拠を吟味することなくなされたものであつて、被告人後沢は生命の危殆をさけるため早く釈放されることを念願してなした虚偽の自白であり、捜査官に対する被告人の供述調書はいずれも任意性も信憑性もない、旨主張する。

よつて記録を精査しかつ当審における事実取調の結果をも参酌して勘案するに、本件につき被告人の取調に当つた司法警察員川田良造、同村山長三郎、検察官田中豊の原審公判廷における供述によれば被告人に対する説得的言辞はあつたとしても脅迫的な言動があつたものとは認められないし、被告人後沢が当時高血圧等の病状があり医師の治療投薬を受けていたこと、その他被告人に胆石症、肝臓障害、高血圧症、心臓障害等の病歴があることは認めることはできるけれども、捜査関係者も被告人の健康状態と取調については十分に意を払つており、出来得る限りの措置を採つていたことは前記原審証人川田良造の供述および当審証人平川良三の供述によつても認め得るところであり、被告人後沢の司法警察員および検察官に対する供述調書に任意性および信憑性のあることは、原判決挙示の他の関係証拠に照しても十分これを認め得るのであつて、これに反する被告人後沢の原審および当審における供述は措信することができず、他に捜査官に対する供述調書の任意性および信憑性を疑はせるに足る証拠は存しない。論旨は理由がない。

控訴趣意第三、中田猛建築設計事務所関係について。

所論は原判決の事実誤認を主張し、その理由として、(一)被告人後沢は中田猛の請負施工した各種工事の統括責任者と認めることはできず、中田の施工した工事はいずれも共済組合連合会営繕課の田牧四郎参事である、(二)中田猛は建築界の者で組織する相川音頭同好会の家元であり、原判示第二の二の(一)の金三万円の贈答用小切手を贈つたのは中田が民謡のための発声方法を詩吟の伊藤吼遊から指導を受ける会を持つた際被告人後沢が負担した経費として持参したものであり、また、原判示第二の二の(二)の金二万円の贈答用小切手を贈つたのは、大成建設株式会社新潟支店長市川裕覩が中田猛家元に相川音頭同好会の師範に昇格させるよう迫つた際、被告人後沢がこれを断念させるため会談した費用として持参したものであつて、いずれも被告人後沢の職務外のことに関するものであり、(三)原審公判廷における証人中田猛の供述は措信することができないし、(四)被告人後沢の供述調書は任意性も信憑性もなく措信し得るのは被告人の原審公判廷における供述である、というに帰する。

よつて記録を検討して案ずるのに、原判示第二の二の(一)(二)の各事実は、原判決挙示の関係証拠により、優にこれを認めることができる。所論被告人後沢の捜査官に対する供述調書の任意性および信憑性の認められることは前記控訴趣意第二の(二)につき説示したとおりであつて弁護人の主張を容れることはできないし原審証人中田猛の供述もこれを措信し得ない何等の理由を見出し得ないばかりでなくその供述内容よりして十分措信することができ、かつ中田猛の施工した各種工事の直接の担当者が田牧四郎参事であつたことは記録上これを認めることができるが被告人も営繕課長として統括責任者の地位にあつたことも亦記録上十分認められる。これに(前記中田猛の供述中に認められる最初に被告人後沢に贈答品を贈るようになつた経緯)を併せ考えれば右中田が被告人後沢に贈つた本件各贈答用小切手が原判示趣旨の下になされたものであることを認めるに十分であつてこれらは所論の如く相川音頭同好会関係の会合等の経費支払とは認められず、他に原判示認定を覆えすに足りる証拠は存しない。

結局、原判決には所論の如き事実誤認はなく、論旨は理由がない。

控訴趣意第四、三平興業株式会社関係について、

所論は、原判決の事実誤認を主張し、その理由として、(一)原判示第三の(一)の反物については、被告人後沢夫妻は所持する和服も少く反物に対する評価力に乏しく、従つて単なる社交的儀礼による贈り物として受領したものであり賄賂としての認識を欠き、原判示第三の(二)の松井汝流揮毫の額入りの書についても賄賂の認識なく、原判示第三の(三)の木彫の「水辺」については、被告人後沢に木彫収受の意思がなかつたこと、いずれも諸般の事情に照し明らかであり、また、これらに関する被告人後沢の捜査官に対する供述調書は任意性も信憑性もない、というに帰する。

よつて記録を検討して案ずるのに、原判示第三の(一)(二)(三)の各事実はその趣旨の点を含めて、原判決挙示の関係証拠により優にこれを認めることができる。すなわち、被告人後沢の捜査官に対する各供述調書の任意性、信憑性については前記説示のとおりこれを認めるに十分であり、原審公判廷における証人望月秀夫の供述に徴してもその趣旨は十分認め得るところであり何ら単に社交的儀礼によるものではないこと明らかであつて、被告人後沢としてもこれを察知するに足りるところである。

原審ならびに当審における被告人の所論に添う弁解は措信できない。

結局、原判決には所論主張のような事実誤認があるとは認められず他に右認定を覆えすに足る証拠は存しない。論旨は理由がない。

よつて、被告人栗田千足、同後沢信吾の本件控訴はいずれもその理由がないから、刑事訴訟法第三九六条に則りいずれもこれを棄却することとし、当審訴訟費用中、証人平川良三に支給した分は刑事訴訟法第一八一条第一項本文に則り被告人後沢信吾の負担とし、証人野中テル、同山口政子に支給した分は、いずれも刑事訴訟法第一八一条第一項本文、を適用し、それぞれその二分の一を被告人栗田千足、同後沢信吾に負担させることとして、主文のとおり判決する。

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