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東京高等裁判所 昭和42年(う)463号 判決 1971年2月22日

本店所在地

東京都台東区上野五丁目一番三号

プラチナ万年筆株式会社

(旧商号プラチナ産業株式会社)

右代表者代表取締役

中田俊弘

本籍

東京都豊島区西巣鴨二丁目二、二七七番地

住居

同都台東区寿二丁目八番七号

会社員

牛山一

大正九年五月一日生

本籍

岡山県上道郡上道町沼一、四七〇番地

住居

東京都台東区上野一丁目二七番三号

会社員

三宅申夫

大正五年五月一一日生

右被告会社および被告人両名に対する法人税法違反各被告事件いついて、昭和四一年一二月二七日東京地方裁判所が言い渡した判決に対し、東京地方検察庁検察官検事大江兵馬から控訴の申立があったので、当裁判所は、次のとおり判決する。

主文

原判決を破棄する。

被告会社を判示第一の事実につき罰金二、〇〇〇、〇〇〇円に、判示第二の事実につき罰金三、〇〇〇、〇〇〇円に各処する。

被告人牛山一、同三宅申夫を各懲役四月に処する。

被告人牛山、同三宅に対しいずれも本裁判確定の日から二年間右各懲役の執行を猶予する。

原審および当審における各訴訟費用は、全部被告会社、牛山、同三宅の連帯とする。

理由

本件控訴の趣意は、東京高等検察庁検察官検事塚谷悟提出の東京地方検察庁検察官検事河井信太郎作成名義の控訴趣意書は、これに対する答弁は、弁護人松宮隆、同平松勇、同仁科哲の連名作成名義の答弁書(その一、その二)および答弁の補充並びに再釈明請求書と題する書面にそれぞれ記載されているとおりであるから、ここにこれらを引用し、これに対し当裁判所は、事実の取調を行なったうえ、次のとおり判断する。

一、 検察官の所論は、本件公訴事実は、

被告会社プラチナ産業株式会社(なお、同会社は、昭和四〇年三月一〇日プラチナ万年筆株式会社と商号を変更した。)は、本社を東京都台東区北稲荷町二九番地(当時、現在は同都同区上野五丁目一番三号と地番変更)に設け、文房具の製造販売を営業目的とする資本金四〇〇万円(当時、現在は八、〇〇〇万円)の株式会社であり、被告人中田俊一(なお、同被告人は、昭和四三年一〇月九日に死亡し、同年一一月六日公訴棄却の決定があったが、便宜上、以下被告人中田という。)は、右会社の代表取締役として右会社の業務一切を統轄するもの、被告人牛山一は、右会社の工場長で技術部門を総括担当するもの、被告人三宅申夫は、右会社の経理部長であるが、被告人ら三名は共謀のうえ、右会社の業務に関し、法人税を免れる目的をもって、預金を簿外にする等の不正の方法により、

第一、 昭和二九年一二月一日から昭和三〇年一一月三〇日までの事業年度において、被告会社の実際の所得金額が一七、二八二、一六六円であったのにかかわらず、昭和三一年一月三一日、所轄下谷税務署において、同税務署長に対し、所得金額は六、九七六、三〇九円である旨の虚偽の所得申告をなし、もって同会社の右事業年度の正規の法人税額六、八八七、八四〇円と右申告税額二、七六五、五二〇との差額四、一二二、三二〇円をほ脱し、

第二、 昭和三〇年一二月一日から昭和三一年一一月三〇日までの事業年度において、被告会社の実際の所得金額が二六、〇一六、二九四円であったのにかかわらず、昭和三二年一月三一日前記下谷税務署において、同税務署長に対し、所得金額は八、〇二九、三三九円である旨の虚偽の所得申告をなし、もって同会社の右事業年度の正規の法人税額一〇、三八一、四八〇円と右申告税額三、一八六、七二〇円との差額七、一九四、七六〇円をほ脱したものである。

というにある。

これに対し、原判決は、勘定科目のすべてにわたり検討した結果、検察官の主張するような虚偽の所得申告の事実は、これを認定することができず、したがって、公訴事実第一、第二の法人税ほ脱の事実は、いずれもこれを認めるに足る証拠がないとして、各被告人に対し無罪の言渡をしている。

しかしながら、本件公訴事実は、原審で取り調べた証拠を精査すれば、ゆうに認めうるところであって、これに対し、無罪を言い渡した原判決には、事実の誤認があり、この誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、破棄を免れないものと思料するという旨の主張であり、その理由の要旨は、第一、簿外預金の帰属について、原判決は、被告人中田の不合理かつ非常識な法廷供述を中心にして、これに符節を合わせた相被告人三宅、牛山の供述、被告会社と密接な取引関係のある参考人の証言および明らかに後日作成されたと思料されるいわゆる太田ノートなどを採用して被告人らの虚偽の供述、主張そのままに、検察官において、本件ほ脱所得の内容の大宗を成すものと主張する被告会社の簿外銀行預金が、被告人中田個人の所有に帰属する旨を認定したのは、事実を誤認したものであり、第二、簿外銀行預金の発生源について、本件簿外銀行預金の発生が、被告会社の架空仕入、架空経費の計上を手段とするものであることは、原審で取り調べた証拠によってゆうに認められるのに、原判決が、これら積極的証拠については、なんらの判断を加えることなく排斥し、右架空仕入、架空経費計上の事実がない旨を認定したのは、事実を誤認したものであり、さらに、棚卸材料の計上洩、支払手形の架空計上、買掛金の架空計上、現金の計上洩、事業税の認定損、当期分事業税否認、輸出所得控除、寄附金認定損については、いずれも本件簿外銀行預金が被告会社の簿外資産であるか否かによって決せられるべきであるから、右預金が被告会社のほ脱所得による簿外資産であることが明らかである以上、当然に認定されて然るべき事実であるので、前記各勘定科目によるほ脱所得の事実を否定した原判決の認定も明らかに事実を誤認したものである。そのほ脱所得の内容をなす勘定科目は、起訴第一年度においては、(別紙第一「修正貸借対照表昭和三〇年一一月三〇日現在」参照)

イ  預金の計上洩 二五、九三五、四九九円

ロ  棚卸材料の計上洩 △一一、〇七八、九九〇円

ハ  支払手形の架空計上 三、二九六、七二〇円

ニ  買掛金の架空計上 △六三〇、〇三三円

ホ  事業税の認定損 △五、八四〇、九五〇円

ヘ  輸出所得の控除 △一、三六七、六七六円

ト  寄附金の損金認定 △八、七一三円

以上差引ほ脱所得合計 一〇、三〇五、八五七円

であり、起訴第二年度においては、(別紙第二「修正貸借対照表昭和三一年一一月三〇日現在((その一))」参照)

イ  預金の計上洩 一七、九三二、〇八二円

ロ  棚卸材料の計上洩 △五、三一八、六九八円

ハ  支払手形の架空計上 五七四、二〇〇円

ニ  事業税の認定損 △一、二三六、六九〇円

(検察官引用の右別紙第二の記載に徴すると、△一、二三六、六九〇円とあるのは、△一、二三七、三八〇円の誤記と認める。)

ホ  輸出所得の控除 △二、〇七六、四七九円

ヘ  現金の計上洩 七、七〇〇、〇〇〇円

ト  当期分事業税の否認 四一三、二三〇円

以上差引ほ脱所得合計 一七、九八七、六四五円

であって、被告会社の預金計上洩となっている簿外銀行預金は、起訴第一年度の期首現在(昭和二九年一二月一日現在)においては、一一二、四六五、五六六円存在し、これが起訴第一年度の期末現在(昭和三〇年一一月三〇日現在)においては、一三八、四〇一、〇六五円に増加し、さらに、起訴第二年度の期末現在(昭和三一年一一月三〇日現在)においては、一五六、三三三、一四七円に増加していることが認められるところ、起訴第一年度の期首に存在した一一二、四六五、五六六円の預金および起訴第一年度の期中に増加した二五、九三五、四九九円と、起訴第二年度の期中に増加した一七、九三二、〇八二円の預金は、いずれも被告会社において、原材料の架空仕入を計上したり、加工賃、広告宣伝費、厚生費、接待費等の経費の架空支払いを計上したりなどして、その代金等を簿外とし、これを銀行預金して所得のほ脱を行なったものであると主張するのである。

二、 そこで、記録を調査して検討するに(なお、以下、被告会社の昭和二九年一二月一日から昭和三〇年一一月三〇日までの事業年度を昭和三〇年一一月期と略称し、昭和三〇年一二月一日から昭和三一年一一月三〇日までの事業年度を昭和三一年一一月期と略称する。)

(一)  まず

1  法務事務官平井実作成の登記簿謄本

2  被告人中田の原審第六三回公判調書中の供述記載

3  被告人牛山の原審第六五回公判調書中の供述記載

4  被告人三宅の原審第六七回公判調書中の供述記載

5  押収にかかる法人税申告書(二九、一二~三〇、一一)一冊(東京高等裁判所昭和四二年押第一六〇号の第三一号、以下かかる証拠物の表示については、単に証第三一号という略号を用いる。)

6  押収にかかる法人税申告書(三〇、一二~三一、一一)一冊(証第三二号)

によれば、被告会社が本社を当時の東京都台東区北稲荷町二九番地に設け、文房具の製造販売を営業目的とする資本金四〇〇万円(当時、現在は八、〇〇〇万円)の株式会社であり、被告人中田は、右会社の代表取締役として右会社の業務一切を統轄するもの、被告人牛山は、右会社の工場長で技術部門を総括担当するもの、被告人三宅は、右会社の経理部長であることおよび被告人中田は、被告会社の代表取締役としていずれも所轄下谷税務署長に対し、昭和三〇年一一月期において、昭和三一年一月三一日被告会社の所得金額が六、九七六、三〇九円である旨、また、昭和三一年一一月期において、昭和三二年一月三一日被告会社の所得金額が八、〇二九、三三九円である旨の各所得申告をしたことを認めることができる。

(二)  つぎに、前記各勘定科目ごとに、所得ほ脱などがあったかどうかについて考察する。

(1)  預金の計上洩について。

7 証人武笠好雄、同江崎武の原審第二回公判調書中の各供述記載の一部

8 証人大友一郎の原審第三回公判調書中の供述記載の一部

9 証人歌門英雄の原審第四回、第五回、第七四回各公判調書中の各供述記載

10 原裁判所の証人田中一男、同島田要一(第一回)、同今西武、同岩橋福太郎、同梅原好三郎、同富岡正勝、同兼俊実夫、同福田芳治(第一回)に対する各尋問調書

11 証人金木利夫、同伊藤幸雄、同染谷邦雄の原審第六回公判調書中の各供述記載

12 証人加藤文雄、同日下勇、同上野好一、同柴田泰作の原審第七回公判調書中の各供述記載

13 証人彦根実、同大杉健夫の原審第八回公判調書中の各供述記載

14 証人高柳秋雄の原審第九回公判調書中の供述記載

15 証人高橋広治の原審第三三回公判調書中の供述記載

16 富士銀行上野支店作成の残高証明書(付預金証明願)八通

17 富士銀行上野支店長植田元作成の証明書(定期預金)三冊

18 三菱銀行上野支店作成の残高証明書(付証明書、普通預金勘定照合票等)九通

19 三菱銀行下谷支店長江崎武作成の証明書(定期預金)一冊

20 日本勧業銀行上野支店長南隆春作成の残高証明書及び預金元帳写の証明書提出についてと題する書面一綴

21 日本勧業銀行下谷支店長南隆春作成の証明書(定期預金)三冊

22 大蔵事務官歌門英雄作成の銀行調査元帳一綴

23 通産省調査統計部鉱業統計課編、本邦鉱業の趨勢(写)

24 札幌通産局作成の累年鉱業統計(写)

25 札幌通産局長阿部久一作成の捜査関係事項の照会回答書

26 財産税、富裕税調査簿写

27 大蔵事務官歌門英雄作成の昭和三二年六月二一日付中田俊一所得税申告状況調

28 鈴木記三郎右衛門の検察官に対する供述調書

29 武笠好雄、大友一郎、江崎武の検察官に対する各供述調書

30 舟橋要、土谷誠一、田中一男、市川孝平、今西武、梅原好三郎、石田一郎、水野伊三郎、島田要一の検察官に対する各供述調書

31 被告人中田の大蔵事務官に対する昭和三二年二月七日付質問顛末書

32 被告人三宅の大蔵事務官歌門英雄に対する昭和三二年二月七日付質問顛末書二通

33 押収にかかる総勘定元帳(昭和三一年)九冊中の五(証第二号)

34 押収にかかる総勘定元帳一冊(証第三号)

35 前記証第三一号(5)、証第三二号(6)の各押収物件

36 押収にかかる富士銀行下谷支店プラチナ産業取引状態調一袋(証第八号)

37 押収にかかる担保差入証一二通(証第三三号)

38 押収にかかる念書二五通(証第三四号)

39 押収にかかる手形貸付元帳(担保明細)二葉(証第三五号)

40 押収にかかる往復文書(証第四〇号)中の1の文書

41 押収にかかる雑記帳六冊(証第四四号)

42 押収にかかるイリドスミン等の在庫帳二冊(証第一一九号)

43 押収にかかる在庫帳一冊(証第一二〇号)

44 押収にかかる貴金属受払簿一冊(証第一二一号)

45 押収にかかる古物台帳一冊(証第一二二号)

46 押収にかかる富裕税申告書等五綴(証第一二三号)

47 被告人中田の原審第六三回公判調書の供述記載の一部

48 被告人三宅の原審第六七回公判調書の供述記載の一部を綜合すれば、被告会社の簿外銀行預金高は、昭和二九年一一月三〇日現在(昭和三〇年一一月期の期首)では、合計一一二、四六五、五六六であり、昭和三〇年一一月三〇日現在(昭和三一年一一月期の期首)では、合計一三八、四〇一、〇六五円であって、昭和三〇年一一月期の期中に二五、九三五、四九九円増加し、さらに、昭和三一年一一月三〇日現在では、合計一五六、三三三、一四七円であって、昭和三一年一一月期中に一七、九三二、〇八二円増加していること、右昭和三〇年一一月期の期首に存在した一一二、四六五、五六六円の銀行預金は、被告人中田個人の所有に属するものではなく、被告会社に帰属するものであること、右昭和三〇年一一月期と昭和三一年一一月期の各期中にそれぞれ増加した二五、九三五、四九九円および一七、九三二、〇八二円の各銀行預金は、後記のように被告人ら三名が共謀のうえ、被告会社の業務に関し法人税を免れる目的をもって、後記(い)ないし(ほ)のとおり、イリドスミンやイリドスミン以外原材料の架空仕入を計上したり、架空経費を計上するなどの方法により得た資産を簿外とし、その一部を簿外銀行預金として蓄積したものであって、右各銀行預金は、すべて被告会社に帰属するものであることならびに右各簿外預金の内容は別紙第三『計上洩預金の内容』記載のとおりであることを認めることができる。

ところで、右簿外銀行預金の発生源となったものについて、次の(い)ないし(へ)において検討する。

(い) イリドスミンの架空仕入計上について。

被告会社の公表帳簿である押収にかかる材料簿三冊(証第六号)、買掛帳(昭和二九年)二冊(証第九号)、金、銀、金ペン、金張部品在庫帳(昭和三〇年)(証第一七号)によれば、被告会社の昭和三〇年一一月期におけるイリドスミンの仕入計上高は、三貫二五二匁七分二厘で、一六、八一七、五四一円であることが認められ、また、右会社の昭和三一年一一月期におけるイリドスミンの仕入計上高は、四貫一四八匁一〇分で、二六、六六八、八七五円であることが認められる。しかし、

49 前記9.10.11.12.13.15.32の各証拠

50 証人川村寛の原審第五回公判調書中の供述記載

51 証人栗田新一の原審第八回公判調書中の供述記載

52 証人小田政辰、同田中幹郎、同水野伊三郎の原審第一六回公判調書中の各供述記載

53 証人菊池幸江の原審第三二回、第七四回各公判調書中の供述記載

54 証人伊東半次郎の原審第五九回、第六〇回公判調書中の供述記載

55 警視庁科学検査所長作成の鑑定結果回答についてと題する書面(付鑑定書)

56 造幣局東京支局長作成の昭和三二年五月一〇日分析報告書一五通

57 大蔵事務官布施木昭ほか六名作成の検査顛末書一綴

58 鑑定人伊東半次郎作成の鑑定書、昭和四〇年四月二〇日付鑑定に対する釈明書(その一)(転写試験判定標準物等添付)、昭和四〇年六月二一日付鑑定に対する釈明書(その二)(資料3の1ないし3の5添付)中証第三七号(イリヂューム配合合金ノート(小)一冊、いわゆる太田ノート(小))に関する部分

59 証人蛭田貞雄、同中島健蔵、同渡辺勝平、同上田武夫、同黒川竜吾、同梶博文、同佐藤譲次の当審公判廷における各供述

60 証人川崎利秋、同斉藤正雄、同森田又二郎の当審公判廷における各供述

61 当裁判所の証人横山始、同西田耕一郎、同梅原好三郎、同今西武に対する各尋問調書

62 小林清一、舟橋要、土谷誠一、田中一男、市川孝平、今西武、梅原好三郎、島田要一の検察官に対する各供述調書

63 茂手木豊三郎、藤田進、石川清作の検察官に対する各供述調書(当裁判所においてはじめて取り調べたもの)

64 被告人中田作成の昭和三二年九月二一日付上申書

65 押収にかかる総務部長手帳(証第一号)中の四号、一〇号

66 押収にかかる材料簿三冊(証第六号)

67 押収にかかる未払金領収証二一冊(証第一二号)

68 押収にかかる金、銀、金ペン、金張部品在庫帳(昭和三〇年)一冊(証第一七号)

69 押収にかかる在庫帳(金張その他)(昭和二九年)一冊(証第一九号)

70 押収にかかる買掛帳(昭和二九年)二冊(証第九号)

71 押収にかかる領収証、納品書等用紙一袋(証第二三号)

72 押収にかかる昭和三一年度買掛金、納品書、請求書等綴二綴(証第二五号)

73 押収にかかる昭和三一年度買掛金、納品書、請求書等綴一綴(証第二六号)

74 押収にかかる昭和三一年度未払金、納品書、領収書綴一綴(証第二七号)

75 押収にかかる白金属使用明細帳三冊(証第二八号)

76 押収にかかるイリヂユーム配合合金ノート(大)一冊(証第三六号)中の記載の一部

77 前記証第三一号(5)、証第三二号(6)、証第一一九号ないし第一二一号(42ないし44)の各押収物件

78 押収にかかる鑑定書のメモ写(菊池幸江)一冊(証第一二九号)

を綜合すれば、右各イリドスミンの仕入計上高のうち、昭和三〇年一一月期においては、二貫六七二匁一分で、一三、六三六、二一〇円が、昭和三一年一一月期においては、二貫五七五匁で、一八、七六八、〇〇〇円が、中田俊一を除きいずれも相手方の実在しない架空の仕入であることを認めることができ、その形式上の仕入先名、計上年月日、品名、数量、金額などは、別紙第四『イリドスミンの架空仕入明細表』に記載されているとおりであることが認められる。

(ろ) イリドスミン以外の原材料の架空仕入計上について。

被告会社の公表帳簿である押収にかかる買掛金台帳三冊(証第四号)、買掛金帳(昭和三〇年)一冊(証第一八号)、買掛金帳(昭和三〇年)二冊(証第二一号)によれば、被告会社は、水谷商店などから、イリドスミン以外の原材料を昭和三〇年一一月期に金額合計四、四三七、五七六円で、昭和三一年一一月期に金額合計八、八五四、六六〇円でそれぞれ仕入れたことを計上していることが認められる。しかし、

79 証人歌門英雄の原審第四回、第五回各公判調書中の供述記載

80 前記32.51.55.57の各証拠

81 東京国税局調査査察部から発送した水谷商店宛封筒外一綴

82 東京国税局調査査察部から発送した松川昇一宛封筒外一綴

83 東京国税局調査査察部から発送した中野商店宛封筒外一綴

84 大蔵事務官歌門英雄作成の昭和三三年一一月二七日付上申書

85 押収にかかる昭和三〇年買掛金及未払金領収証二六冊(証第一一号)中の一号、一一号

86 押収にかかる昭和三〇年未払金領収証二一冊(証第一二号)中の一四号

87 押収にかかる未払金綴一綴(証第二二号)

88 前記証第二三号(71)、証第二五号(72)、証第二六号(73)、証第二七号(74)の各押収物件

89 押収にかかる昭和二九年度買掛金領収証一冊(証第四六号)

を綜合すれば、右イリドスミン以外の原材料金額合計四、四三七、五七六円および金額合計八、八五四、六六〇円相当のものは架空仕入の計上であることを認めることができ、その形式上の仕入先名、計上年月日、品名、数量、金額などは、別紙第五『イリドスミン以外の原材料の架空仕入明細表』に記載されているとおりであることが認められる。

(は) 架空経費の計上のうちの加工賃の架空計上について。

被告会社の公表帳簿である押収にかかる買掛金帳(昭和三〇年)二冊(証第二一号)中の二号によれば、被告会社においては、昭和三〇年一一月期に、小西ペンほか四名に対し、ペン先の加工賃として合計一、一九四、一二〇円の支払を計上していることが認められる。しかし、

90 前記32.51.57.79の各証拠

91 押収にかかる昭和三〇年買掛金及び未払金領収証二六冊(証第一一号)中の一号

92 前記証第二三号(71)、証第一二号の一四号(86)の各押収物件

を綜合すれば、右合計一、一九四、一二〇円の加工賃の支払は、いずれも架空の取引を計上したものであることを認めることができ、その形式上の支払先名、計上年月日、品名、数量、金額などは、別紙第六「架空経費明細表」のうち<1>「加工賃の架空計上」欄に記載されているとおりであることが認められる。

(に) 架空経費の計上のうちの広告宣伝費の架空計上について。

被告会社の公表帳簿である押収にかかる未払金台帳四冊(証第五号)中の二号および未払金帳(昭和三〇年)三冊(証第二〇号)の一号、二号によれば、被告会社は、松川商店ほか九名に対し、のぼり、のれん、ポスター、カタログなどの広告宣伝費として昭和三〇年一一月期に合計三、三一五、〇八二円および昭和三一年一一月期に合計六、六八一、二四〇円の支払を計上していることが認められる。しかし

93 前記32.51.55.57.79.81.82.84の各証拠

94 東京国税調査査察部から発送した山川印刷所宛封筒外一綴

95 押収にかかる昭和三〇年買掛金及未払金領収証二六冊(証第一一号)中の二号

96 前記証第二二号ないし証第二七号(8771ないし74)の各押収物件

を綜合すれば、右合計三、三一五、〇八二円および合計六、六八一、二四〇円の広告宣伝費の支払は、いずれも架空の取引を計上したものであることを認めることができ、その形式上の支払先名、計上年月日、品名、数量、金額などは、別紙第六「架空経費明細表」のうち<2>、<3>各「広告宣伝費」欄に記載されているとおりであることが認められる。

(ほ) 架空経費の計上のうちの厚生費および接待費の架空計上について。

被告会社の公表帳簿である押収にかかる未払金台帳四冊(証第五号)中の二号によれば、被告会社は、昭和三一年一一月期において、沢田衣料店から購入した作業衣などの代金九四二、〇〇〇円を厚生費として、また、松井菓子店ほか一名から購入したつめ合せ、浅草のりの代金合計一、二〇〇、〇〇〇円を接待費としてそれぞれ計上していることが認められる。しかし、

97 前記32.51.55.57.84.94の各証拠

98 前記証第二二号(87)、証第二三号(71)、証第二五号(72)、証第二六号(73)の各押収物件

を綜合すれば、右九四二、〇〇〇円の厚生費および合計一、二〇〇、〇〇〇円の接待費の各支払は、いずれも架空の取引を計上したものであることができ、その形式上の支払先名、計上年月日、品名、金額などは、別紙第六「架空経費明細表」のうち<4>「厚生費」欄および<5>「接待費」欄に記載されているとおりであることが認められる。

(へ) 簿外銀行預金の利息、割増金につて。

前記16ないし22の各証拠によれば、別紙第七「簿外銀行預金の利息割増金の発生明細表」(富士銀行上野支店支払利息等、三菱銀行下谷支店支払利息等、日本勧業銀行下谷支店支払利息等)中支払年月日、証券番号、氏名又は印鑑、元本金額、支払割増金、支払利息の項目ごとに、それらの内容が記載されているとおり、被告会社の簿外銀行預金から、昭和三〇年一一月期において、合計五、五一七、五五六円、昭和三一年一一月期において、合計六、三〇九、二八三円の各割増金、利息が発生していることを認めることができる。すなわち、昭和三〇年一一月期中においては、同期中に増加した前記預金額二五、九三五、四九九円のうちから預金利息による右増加額五、五一七、五五六円を差し引いた二〇、四一七、九四三円が預金として預け入れられたものであり、昭和三一年一一月期においては、同期中に増加した前預金額一七、九三二、〇八二円のうちから預金利息による右六、三〇九、二八三円を差し引いた一一、六二二、七九九円が預金として預け入れられたものである。

(2)  棚卸材料の計上洩について。

被告会社の公表帳簿に、イリドスミンの架空仕入が計上されていることは、前示のとおりであり、当裁判所は、被告会社のイリドスミンを管理していた被告人牛山が記帳した押収にかかる白金属使用明細表三冊(証第二八号、以下、牛山ノートという。)に記載されているイリドスミンの使用量が、被告会社の実際のイリドスミンの使用量であると認める。そして、牛山ノートに記帳されているイリドスミンの使用量は、別紙第八「牛山ノートによるイリドスミン使用量明細表」に記載されているとおり、昭和二九年三月分から昭和三一年一一月分までであって、昭和三〇年一一月期は、合計二貫三三匁であり、昭和三一年一一月期は、合計二貫二三八匁であるところ、被告会社の公表帳簿である押収にかかる材料簿三冊(証第六号)、買掛帳(昭和二九年)二冊(証第九号)、金、銀、金ペン、金張部品在庫帳(昭和三〇年)一冊(証第一七号)に仕入計上されているイリドスミンのうち、架空仕入分を除外すると、真実のイリドスミンの仕入数量は、昭和三〇年一一月期は、合計五八〇匁であり、昭和三一年一一月期は、合計一貫五七三匁であるにすぎないものであり、また、前記(昭和二九年一一月期)からのイリドスミンの繰越数量は、わずか四七匁であるから、牛山ノートに記載されている使用量だけでは、右各事業年度における実際の期中仕入数量に足りないので、被告会社では、昭和二九年一一月期からの繰越数量において、簿外のイリドスミンが存在したものといわなければならない。

そこで、昭和二九年一一月期におけるイリドスミンの受払い関係を検討すると、

期首在高 一五匁

期中実際仕入高 北海道産 八八匁

輸入品 三貫九八二匁

合計 四貫 八五匁

となるので、牛山ノートに記載されている右期中の使用量を算出すると、約一貫五七八匁となる(なお、前記のように牛山ノートは、昭和二九年三月分から記載されているので、昭和二八年一二月から同二九年二月までの間の使用量は、これを推計計算した。)

したがって、牛山ノートの期中使用量を差し引くと、昭和二九年一一月末には、二貫五〇七匁のイリドスミンが存在していたわけであるが、被告会社の公表帳簿には、わずか四七匁だけしか期末在庫高が計上されていないので、これを差し引いた二貫四六〇匁のイリドスミンが簿外在庫高として昭和三〇年一一月に繰り越されたものであることが明らかである。

そこで、昭和三〇年一一月期、昭和三一年一一月期におけるイリドスミンの実際受払い関係をみると、

昭和三〇年一一月期は、

前期繰越実際数量 二貫五〇七匁

(うち公表分四七匁)

期中実際仕入誠量 五八〇匁

牛山ノートによる実際使用数量 二貫 三三匁

期末実際在庫数量 一貫 五四匁

(うち公表分二四匁)

(うち簿外分一貫三〇匁)

昭和三一年一一月期は、

前記繰越実際数量 一貫 五四匁

期中実際仕入数量 一貫五七三匁

牛山ノートによる実際使用数量 二貫二三八匁

期末実際在庫数量 三八九匁

(うち公表分一一四匁)

(うち簿外分二七五匁)

となることが認められる。

したがって、被告会社の公表帳簿および公表決算量においては、右のイリドスミンについて、各事業年度に棚卸計上洩があったことは明らかであるから、これを加算計上しなければ、被告会社の実際の所得金額を確定することはできない。

ところで、被告会社の公表帳簿である前記証第六号、証第九号および証第一七号の各押収物件によって、被告会社の各事業年度におけるイリドスミンの仕入原価を確かめ、一匁当りの平均原価を求めると、昭和二九年一一月期は、七、三七三円となり、昭和三〇年一一月期は、六、八五三円となり、昭和三一年一一月期は、六、四六八円となる。

したがって、右各期末における棚卸計上洩のイリドスミンの評価額は、昭和二九年一一月期は、二貫四六〇匁で、一八、一三七、五八〇円となり、昭和三〇年一一月期は、一貫三〇匁で、七、〇五八、五九〇円となり、昭和三一年一一月期は、二七五匁で、一、七七八、七〇〇円となるので、これらを被告会社の各事業年度の公表決算書(貸借対照表)の棚卸商品(棚卸材料が含まれている。)の科目にそれぞれ加算したものが、各事業年度の実際の棚卸高となる。

結局、本件両違反年度におけるほ脱所得額は、計上洩イリドスミン棚卸高の各期中減少額である昭和三〇年一一月期の一一、〇七八、九九〇円の減少および昭和三一年一一月期の五、二七九、八九〇円の減少を除算しなければならない。

(3)  支払手形の架空計上について。

被告会社の公表帳簿である押収にかかる総勘定元帳(昭和三一年)一冊(証第二号)、総勘定元帳(昭和三〇年)一冊(証第三号)、昭和三一年支払手形明細帳一冊(証第七号)、昭和三〇年下期元帳二冊(証第一五号)、昭和三〇年上期元帳二冊(証第一六号)および公表決算書である押収にかかる法人税申告書(29・12~30・11)一冊(証第三一号)、法人税申告書(30・12~31~11)一冊(証第三二号)によれば、被告会社の本件両違反年度の期末における支払手形の計上額は、昭和三〇年一一月期において、五一、一八二、八八二円であり、昭和三一年一一月期において、七四、九四〇、一四〇円であるところ、このうち架空支払手形の計上額は、昭和三〇年一一月期に、三、八五〇、三〇〇円であり、昭和三一年期に、四、四二四、五〇〇円であることが認められる。

この架空支払手形は、前述したとおりイリドスミンなどの架空仕入先および架空経費の支払先に対する支払手形の各期末計上分であって、イリドスミンなどの架空仕入や架空経費の計上が明白であるので、これら支払手形の計上もまた、架空計上であることが明らかであるから、これを被告会社の支払手形計上額から除算しなければ、真実の支払手形金額を算出することはできず、被告会社の架空支払手形の各期末計上分の明細は、別紙第九「架空支払手形の各期末計上分の明細」に記載されているとおりになっている。

したがって、これらの架空計上を被告会社の公表決算書の各期末の支払手形計上額から除算したものが、実際の支払手形金額となるのであって、本件両違反年度におけるほ脱所得金額は、各年度の架空計上分の期首と期末の増減額を加除算することとなり、昭和三〇年一一月期は、三、二九六、七二〇円増、昭和三一年一一月期は、五七四、二〇〇円増となるから、右各増加額がほ脱所得に加算されなければならない。

(4)  買掛金の架空計上について。

被告会社の公表帳簿である押収にかかる買掛帳(昭和二九年)一冊(証第九号)、買掛金帳(昭和三〇年)一冊(証第一八号)、未払金帳(昭和三〇年)三冊(証第二〇号)、買掛金帳(昭和三〇年)二冊(証第二一号)および公表決算書である押収にかかる法人税申告書(29・12~30・11)一冊(証第三一号)によれば、被告会社の昭和二九年一一月期末における買掛金計上額は、六、一一三、一〇二円であるが、このうち六三〇、〇三三円(その内容は、飯山製作分が二三二、八〇三円であり、浅川常治分が二二九、二三〇円であり、広沢商会分が、一六八、八〇〇円である。)は、架空買掛金の計上であって、これも前述のとおり、イリドスミン以外の原材の架空仕入計上または架空経費の計上であることが認められるのであるから、このような買掛金の計上は、架空であるといわなければならない。ところで、右架空買掛金は、昭和三〇年一一月期において、いずれも現金で支払われたように公表帳簿上処理されていて、結局、昭和三〇年一一月期末には、架空買掛金の計上はなく、また、昭和三一年一一月期末においても、架空買掛金の計上は認められない。したがって、前期である昭和二九年一一月期に否認した六三〇、〇三三円の買掛金計上を昭和三〇一一月期において認容することとなるので、この昭和三〇年一一月期のほ脱所得から右六三〇、〇三三円を差し引かなければならない。

(5)  現金の計上洩について。

さきに、二の(二)の(1)(現金の計上洩について)において述べたとおり、被告会社の簿外銀行預金は、昭和三一年一一月期の期末においては、合計一五六、三三三、一四七円であることが認められる。しかし、大蔵事務官歌門英雄作成の銀行調査元帳一綴、富士銀行上野支店作成の残高証明書(付預金証明願)八通、富士銀行上野支店長植田元作成の証明書(定期預金)三冊、三菱銀行上野支店作成の残高証明書(付証明書、普通預金勘定照合票等)九通、三菱銀行下谷支店長江崎武作成の証明書(定期預金)一冊、日本勧業銀行上野支店長南隆春作成の残高証明書及び預金元帳写の証明書提出についてと題する書面一綴、日本勧業銀行下谷支店長南隆春作成の証明書(定期預金)三冊によれば、その後の昭和三一年一二月一日から本件査察着手の昭和三二年二月七日までの間において、さらに、被告会社の簿外銀行預金は七、七〇〇、〇〇〇円〔この内訳は、昭和三一年一二月中において、日本勧業銀行下谷支店に、三、五〇〇、〇〇〇円、富士銀行上野支店に三、〇〇〇、〇〇〇円、三菱銀行下谷支店に七〇〇、〇〇〇円、昭和三二年一月中において、三菱銀行下谷支店に、四〇〇、〇〇〇円、昭和三二年二月中(二月七日まで)、日本勧業銀行支店に、一〇〇、〇〇〇円となっている。〕増加していることが認められる。そして、記録、証拠物を調査し、当審における事実取調の結果によっても、被告会社の公表帳簿などにおいては、右昭和三一年一二月一日から同三二年二月七日までの間において、イリドスミン、イリドスミン以外の原材料の架空仕入計上および架空経費計上の事実ならびに架空支払手形などの支払の事実は認められないばかりでなく、被告会社の経理上右銀行預金増加の源泉となるような不正経理の行なわれた事実も認められない。

してみると、右簿外銀行預金増加額は、昭和三一年一一月期中において、架空仕入の計上または架空経費の計上などによって簿外とした資金を、いわゆる簿外現金として被告人中田の手許に保留していたものを、順次銀行預金として預け入れたものといわなければならない。したがって、昭和三一年期末現在において、簿外現金として七、七〇〇、〇〇〇円が存在したことが明らかであるから、これを昭和三一年一一月期のほ脱所得に加算すべきものである。

(6)  事業税認定損について。

大蔵事務官歌門英雄作成の銀行調査元帳一綴、富士銀行上野支店作成の残高証明書(付預金証明願)八通、富士銀行上野支店長植田元作成の証明書(定期預金)三冊、三菱銀行上野支店作成の残高証明書(付証明書、普通預金勘定照合票等)九通、三菱銀行下谷支店長江崎武作成の証明書(定期預金)一冊、日本勧業銀行上野支店長南隆春作成の残高証明書及び預金元帳写の証明書提出についてと題する書面一綴、日本勧業銀行下谷支店長南隆春作成の証明書(定期預金)、三冊、前記証第六号、第九号、第一七号、第三号、第七号、第一五号、証第一六号、証第三一号、証第三二号、証第一八号、証第二〇号、証第二一号の各押収物件および押収にかかる昭和二九年度決算報告書二冊(証第一二五号)、買掛台帳(昭和二八年度)一冊(証第七七号)によれば、被告会社の昭和二八年一二月一日から昭和二九年一一月三〇日までの事業年度(以下、昭和二九年一一月期と略称する。)におけるほ脱所得金額は、

簿外預金増加額 三五、二七〇、八五〇円

棚卸材料計上洩増加額 一八、一三七、五八〇円

支払手形否認増加額 五五三、五八〇円

買掛金否認減少額 △ 二、三九八、一二七円

輸出所得控除認容額 △ 二、八八九、三二六円

を加除した四八、六七四、五五七円であるところ、これに同会社の公表所得金額である一三、八二〇、七九〇円を加算した被告会社の実際所得金額は、六二、四九五、三〇〇円(ただし、一〇円単位以下切捨て。)であることが認められる。

したがって、被告会社が、昭和三〇年一一月期において計上すべき前期、すなわち、昭和二九年一一月期の右実際所得金額に対する事業税は、昭和三二年法律第六〇号による改正前の地方税法第七二条の二二第一項の規定(所得金額のうち年五〇万円以下の金額、一〇%、所得金額のうち年五〇万円をこえる金額、一二%)によると、七、四八九、四三〇円であるのに、被告会社においては、一、六四八、四八〇円(この金額も、右地方税法の条項により訂正した。)を計上しているにすぎないので、その差額である五、八四〇、九五〇円を損金として認容すべきである。

また、被告会社の昭和三一年一一月期における実際事業税は、前期である昭和三〇年一一月期の実際所得一七、二八二、一〇〇円(一〇円単位、以下切捨で。なお、この金額は、被告会社の申告所得金額六、九七六、三〇九円と、ほ脱所得金額一〇、三〇五、八五七円とを合算したものである。)であるので、前記改正前地方税法第七二条の二二第一項の規定によると、二、〇六三、八五〇円であるのに、被告会社の公表計上事業税は、八二六、四七〇円(この金額も、右地方税法の条項により訂正した。)であるから、その差額である一、二三七、三八〇円を損金として認容すべきである。

なお、弁護人は、検察官が昭和二八年一一月期にも所得のほ脱をしたと主張しながら、昭和二九年一一月期のほ脱所得の内容をなす各勘定科目の中に事業税認定損を掲げていないのは不当である旨主張するが、事業税認定損の問題は、納税者から修正申告をしたとか税務当局が更正決定をしたとかして、納税者に事業税のあらたな具体的納付義務が発生した場合にはじめておこるものと解すべきところ、被告会社の昭和二九年一一月期においては、その前期の所得のほ脱に基因する事業税のあらたな具体的納付義務が発生していたとは記録上認められないから、弁護人の右主張は採用できない。

(7)  当期分(昭和三一年一一月期)事業税否認について。

検察官は、被告会社は、昭和三一年一一月期において、当期中間分事業税として、昭和三一年七月三一日に、二一八、二三〇円、同年八月三一日に、六五、〇〇〇円、同年九月二九日に、六五、〇〇〇円、同年一〇月三一日に、六五、〇〇〇円の合計四一三、二三〇円を所轄台東税務事務所に支払って当期損金に計上しているので、これを否認し、当期のほ脱所得に加算する旨を主張する。

しかし、「中間申告納付に係る事業税に対する法人税の取扱について」と題する国税庁長官、国税局長の通達(昭和三〇・九・一直法一-一六一)によれば、本件のような中間申告納付にかかる事業税を、当該法定事業年度の期間内に納付した場合は、これを当該法定事業年度の損金に算入することに取り扱うものとすることになっており、被告会社が右当期中間分事業税を損金に計上した措置は、右通達に従ったものであるから、検察官の主張は採用できない。

(8)  輸出所得控除について。

輸出の所得控除は、昭和三二年法律第二六号による改正前の租税特別措置法第七条の七の規定にもとづく特別の控除(損金算入)であるが、被告会社は、本件両年度の法人税申告書(前記証第三一号、第三二号)の別表八の二において、この控除額を、昭和三〇年一一月期は、一、〇〇六、三八〇円と、昭和三一年一一月期は、一、二七八、九九二円と算出しているが、これも、前に記載したように被告会社の実際の所得額を多額にほ脱したことによるものであり、これを実際所得額仮計にもとづいて本件各輸出所得控除を算出すると、昭和三〇年一一月期は、二、三七四、〇五六円となり、昭和三一年一一月期は、三、三五五、四七一円となるので、いずれもその差額である昭和三〇年一一月期の一、三六七、六七六円および昭和三一年一一月期の二、〇七六、四七九円を所得金額から控除しなければならない。

(9)  寄附金認定損について。

被告会社の公表決算書である前記証第三一号の押収物件によれば、被告会社は、昭和三〇年一一月期において、八、七一三円の寄附金を損金に算入していないことが認められる。ところで、これも前述したように被告会社が架空仕入計上および架空経費計上などの不正行為により、法人税申告書(右証第三一号)の別表六における寄附金の損金算入限度額の算出にあたって、実際所得金額の仮計が過少になっているため被告会社の計算による損金算入限度額は、一三一、二八七円となり、その結果、被告会社の寄附金損金計上額は、一四〇、〇〇〇円であるところ、被告会社は、その差額である八、七一三円を所得額に自己加算している。しかし、実際所得金額の仮計にもとづき限度額を算出すると、四二九、二三八円となって、右八、七一三円を所得に加算する必要はないので、これを損金に算出する。

(三)  本件両違反年度のほ脱所得額とほ脱税額について。

前記二の(二)の(1)ないし(9)に記載したとおり、本件公訴の提起にかかる被告会社の昭和三〇年一一月期および昭和三一年一一月期におけるほ脱所得の内容をなす貸借対照表の各勘定科目の一つ一つを証拠にもとづいてその各金額を認定した。

要するに、昭和三〇年一一月期のほ脱所得の内容は、検察官主張のとおり

預金の計上洩 二五、九三五、四九九円

棚卸商品(材料)の計上洩 △一一、〇七八、九九〇円

支払手形の架空計上 三、二九六、七二〇円

買掛金の架空計上 △六三〇、〇三三円

事業税認定損 △五、八四〇、九五〇円

輸出所得控除 △一、三六七、六七六円

寄附金の損金認定損 △八、七一三円

以上差引ほ脱所得金額一〇、三〇五、八五七円(以上前記別紙第一および別紙第十「脱税額計算書自昭和二九年一二月一日至昭和三〇年一一月三〇日」参照)

となるのであって、公表所得金額六、九七六、三〇九円に加算した一七、二八二、一六六円が被告会社の実際所得金額であり、これに対する所定の法人税は、六、八八七、八四〇円であるので、被告会社は、その申告にかかる税額二、七六五、五二〇円との差額四、一二二、三二〇円の法人税をほ脱したこと(前記別紙第十参照)が明らかである。

また、昭和三一年一一月期のほ脱所得の内容は、

預金の計上洩 一七、九三二、〇八二円

棚卸商品(材料)の計上洩 △五、二七九、八九〇円

(検察官の主張は △五、三一八、六九八円)

支払手形の架空計上 五七四、二〇〇円

事業税認定損 △一、二三七、三八〇円

輸出所得控除 △二、〇七六、四七九円

現金の計上洩 七、七〇〇、〇〇〇円

当期分事業税の否認 なし

(検察官の主張は四一三、二三〇円)

以上差引ほ脱所得金額 一七、六一二、五三三円(以上別紙第十一「修正貸借対照表昭和三一年一一月三〇日現在」((その二))および別紙第十二「脱税額計算書自昭和三〇年一二月一日至昭和三一年一一月三〇日」参照)

となるので、これを公表所得金額八、〇二九、三三九円に加算した二五、六四一、八七二円が被告会社の実際所得金額であり、これに対する所定の法人税額は一〇、二三一、七二〇円であるので、被告会社は、その申告にかかる脱額三、一八六、七二〇円との差額七、〇四五、〇〇〇円をほ脱したこと(前記別紙第十二参照)が明らかである。

(四)  最後に、

99 前記2.3.4の各証拠

100 前記31.47の各証拠

101 被告人中田の検察官に対する昭和三三年一二月一九日付、同月二二日付各供述調書

102 被告人牛山の大蔵事務官に対する昭和三二年三月一九日付質問顛末書

103 被告人牛山の検察官に対する昭和三三年一二月五日付、同月六日付、同月一〇日付、同月一七日付各供述調書

104 前記32.48の各証拠

105 被告人三宅の検察官に対する昭和三三年一二月八日付、同月一八日付、同月一九日付、同月二二日付各供述調書

106 前記9の証拠

107 前記証第二八号の押収物件(75)

によれば、被告人中田、同牛山、同三宅ら三名が本件法人税法違反の犯行を共謀したことを認めることができる。

三、 以上二の(一)ないし(四)において説示したとおり、ほ脱の各勘定科目を含めて、本件各公訴事実(なお、第二の公訴事実のほ脱した法人税の金額に誤りのあることは、前示のとおりである。)は、原裁判所および当裁判所で取り調べた証拠によりゆうに認定することができ、記録、証拠物を調査し、当審における事実取調の結果に徴しても右認定を覆すに足る証拠はない。してみると、原審において、勘定科目のすべてにわたり検討した結果、検察官の主張するような虚偽の所得の申告の事実はこれを認定することができず、起訴状記載の公訴事実第一、第二の法人税ほ脱の事実は、いずれもこれを認めるに足る証拠がないとして、被告会社および原判決の言渡後に死亡した被告人中田と被告人牛山、同三宅の三名に対し、いずれも無罪の言渡をした原判決には、事実の誤認があって、その誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、検察官の論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。

四、 弁護人の主張に対する判断

(一)  所論は、財産計算法における所得金額の立証について、所得金額それ自体は、単に金銭的数値であって、実体的事実ではないから立証の対象たり得ないとし、要するに所得金額の立証とは、それが実際の所得金額であれ、ほ脱所得金額であれ、いずれも単なる金額的数値それ自体の立証ではなく、その所得計算の根拠となるべき益金及び損金の存在、即ちその金額、内容、帰属等の具体的事実、換言するならば、純資産の増加及び減少の原因となる事実の立証に外ならない、という見解のもとに、先ず起訴第一年度の期首の銀行預金一一二、四六五、五六六円が被告会社に帰属するものであることを主張し立証するにあたって、その発生原因である資金源を具体的に明らかにするためには、検察官が提出した三宅申夫の自白によれば、被告会社は昭和二五年頃より原材料の架空仕入、架空経費の計上をして資産を簿外とし、右資産を銀行に預金したと記載されているのであるから、検察官はその昭和二五年にまでさかのぼって架空仕入、架空経費について、その相手先氏名、数量、金額、品名、日時等の具体的事実を明らかにすべきは当然である、として、検察官が、被告会社の本件両事業年度のほ脱所得金額を含めた実際所得金額を財産計算法によって確定したことを論難する。

しかし、内国法人の各事業年度の所得は、各事業年度の総益金から総損金を控除した金額によるべきものとされており(本件当時の法人税法第九条第一項)、総益金とは、法令により別段の定めがあるもののほか、資本の払込以外においての純資産増加の原因となるべき一切の事実をいい、総損金とは、法令により別段の定めのあるもののほか、資本の払戻または利益の処分以外においての純資産減少の原因となるべき一切の事実をいうものと解すべきであるが、原審において取り調べられた証拠および当審においてはじめて取り調べられた証拠のうち、右二の(一)ないし(四)に掲げた各証拠が直接証拠、間接証拠ないし情況証拠となって、昭和三〇年一一月期と昭和三一年一一月期との実際の所得金額およびほ脱所得金額がそれぞれ右二の(三)記載のとおりであることを認定するに十分であることは、既に右三において説示したとおりであり、弁護人所論のように、被告会社のごとく真実の取引を記録した帳簿書類が不備であり、かつ帳簿類に記載された内容が正確性を欠いているような場合でも、右昭和三〇年一一月期と昭和三一年一一月期との実際の所得金額およびほ脱所得金額を立証するためには、損益計算法により昭和二五年までさかのぼって架空仕入、架空経費の内容を具体的に明らかにしなければならないという筋合ではないと解すべきである。したがって、所論は採用できない。

(二)  所論は、被告人三宅の大蔵事務官歌門英雄に対する昭和三二年二月七日付質問顛末書二通(前記32の証拠)は、強制誘導によるものであるから、証拠能力がない旨を主張する。

しかし、本件記録に徴すると、所論各質問顛末書(自白)が、収税官吏の強制誘導によりなされたものとは認められないから、所論は、その前提を欠き採用できない。

五、 よって、本件控訴は理由があるから、刑事訴訟法第三九七条、第三八二条により原判決を破棄したうえ、同法第四〇〇条但書に従い次のとおり自判する。

『罪となるべき事実』

被告会社(当時は、プラチナ産業株式会社と称していたが、昭和三〇年三月一〇日プラチナ万年筆株式会社と商号を変更した。)は、本店を東京都台東区北稲荷町二九番地(当時、現在は同都同区上野五丁目一番三号に地番が変更された。)に設け、文房具の製造販売を営業目的とする資本金四〇〇万円(当時、現在八、〇〇〇万円)の株式会社であり、被告人牛山一は、右会社の工場長で技術部門を総括担当するもの、被告人三宅申夫は、右会社の経理部長であるが、被告人牛山および同三宅は、右会社の代表取締役として右会社の業務一切を統轄していた中田俊一(被告人であったが昭和四三年一〇月九日死亡)と共謀のうえ、右会社の業務に関し法人税を免れる目的をもって、預金を簿外にするなどの不正の方法により、

第一、 昭和二九年一二月一日から昭和三〇年一一月三〇日までの事業年度において、被告会社の実際の所得金額が一七、二八二、一六六円であったのにかかわらず、昭和三一年一月三一日所轄下谷税務署において、同税務署長に対し、所得金額は六、九七六、三〇九円である旨の虚偽過少の所得申告をなし、もって同会社の右事業年度の正規の法人税額六、八八七、八四〇円と右申告税額二、七六五、五二〇円との差額四、一二二、三二〇円をほ脱し(なお、実際の所得金額、法人税額、ほ脱税額などの計算は、前記別紙第一および前記別紙第十記載のとおりである。)、

第二、 昭和三〇年一二月一日から昭和三一年一一月三〇日までの事業年度において、被告会社の実際の所得金額が二五、六四一、八七二円であったのにかかわらず、昭和三二年一月三一日前記下谷税務署において、同税務署長に対し、所得金額は八、〇二九、三三九円である旨の虚偽過少の所得申告をなし、もって同会社の右事業年度の正規の法人税額一〇、二三一、七二〇円と右申告税額三、一八六、七二〇円との差額七、〇四五、〇〇〇円をほ脱し(なお、実際の所得金額、法人税額、ほ脱税額などの計算は、前記別紙第十一および前記別紙第十二記載のとおりである。)

たものである。

「証拠の標目」

一、 証拠書類については、前記1ないし4、9ないし32.47.48.50ないし64、(ただし、62は、小林清一の検察官に対する供述調書のみ)、79、81ないし84、94、101ないし103、105の各証拠と同一である。

一、 証拠物については、

(イ)  前記証第三一号(5)、第三二号(6)、証第二号(33)、証第三号(34)、証第八号(36)、証第三三号(37)、証第三四号(38)、証第三五号(39)、証第四〇号(40)、証第四四号(41)、第一一九号(42)、証第一二〇号(43)、証第一二一号(44)、証第一二二号(45)、証第一二三号(46)、証第一号(65)、証第六号(66)、証第一二号(67)、証第一七号(68)、証第一九号(69)、証第九号(70)、証第二三号(71)、証第二五号(72)、証第二六号(73)、証第二七号(74)、証第二八号(75)、証第三六号(76)、証第一二九号(78)、証第一一号(85、95)、証第一二号(86)、証第二二号(87)、第四六号(89)の各押収物件と同一であるほか、

(ロ)  前記二の(二)の(1)の(ろ)ないし(ほ)、(3)、(4)、(6)に掲げた証拠物である買掛金台帳三冊(証第四号)、未払金台帳(昭和三一年)四冊(証第五号)、昭和三一年支払手形明細帳一冊(証第七号)、昭和三〇年下期元帳二冊(証第一五号)、昭和三〇年上期元帳二冊(証第十六号)、買掛金帳(昭和三〇年)一冊(証第一八号)、未払金帳(昭和三〇年)三冊(証第二〇号)、買掛金帳(昭和三〇年)二冊(証第二一号)、昭和二九年度決算報告書二冊(証第一二五号)、買掛台帳(昭和二八年度)一冊(証第七七号)

「法令の適用」

被告会社の判示第一、第二の各所為について。

昭和四〇年法律第三四号法人税法附則第一九条、昭和三七年法律第四五号法人税法の一部を改正する法律附則第一一項、昭和三二年法律第二八号法人税法の一部を改正する法律附則第一六項による順次改正前の法人税法(昭和二二年法律第二八号)第五一条、第四八条第一項、第二一条第一項、第五二条、刑事訴訟法第一八一条第一項本文、第一八二条。

被告人牛山、同三宅の判示第一、第二の各所為について。

右順次改正前の法人税法第四八条第一項(懲役刑選択)、第二一条第一項、刑法第六〇条、第二五条第一項、第四五条前段、第四七条本文、刑事訴訟法第一八一条第一項本文、第一八二条。

よって、主文のとおり判決する。

検察官検事 古谷菊次 公判出席

(裁判長判事 飯田一郎 判事 吉川由己夫 判事補 稲田輝明)

(別紙第一)

修正貸借対照表

昭和30年11月30日現在

<省略>

(別紙第一)

修正貸借対照表

昭和30年11月30日現在

<省略>

(別紙第二)

修正貸借対照表

(昭和31年11月30日現在(その一))

<省略>

(別紙第二)

修正貸借対照表

(昭和31年11月30日現在(その一))

<省略>

(別紙第三)

計上洩預金の内容

金額の単位は円

<省略>

(別紙第四)

イリドスミンの架空仕入明細表

(昭和30年11月期)

<省略>

(別紙第四)

イリドスミンの架空仕入明細表

(昭和31年11月期)

<省略>

(別紙第五)

イリドスミン以外の原材料の架空仕入明細表

(昭和30年11月期)

<省略>

(昭和30年11月期)

<省略>

<省略>

(別紙第五)

イリドスミン以外の原材料の架空仕入明細表

(昭和31年11月期)

<省略>

(別紙第五)

イリドスミン以外の原材料の架空仕入明細表

(昭和31年11月期)

<省略>

(別紙第六)

架空経費明細表

(昭和30年11月期)

<省略>

(別紙第六)

架空経費明細表

(昭和30年11月期)

<省略>

(別紙第六)

架空経費明細表

(昭和30年11月期)

<省略>

(別紙第六)

架空経費明細表

(昭和30年11月期)

<省略>

(別紙第六)

架空経費明細表

(昭和31年11月期)

<省略>

(別紙第六)

架空経費明細表

(昭和31年11月期)

<省略>

但し、笹原印刷所よりの戻り高2700円を合計金額より控除した。

(別紙第六)

架空経費明細表

(昭和31年11月期)

<省略>

<省略>

(別紙第七)

簿外銀行預金の利息割増金の発生明細表富士銀行上野支店支払利息等

(昭和30年11月期)

<省略>

富士銀行上野支店支払利息等

(昭和31年11月期)

<省略>

三菱銀行下谷支店支払利息等

(昭和30年11月期)

<省略>

三菱銀行下谷支店支払利息等

(昭和30年11月期)

<省略>

三菱銀行下谷支店支払利息等

(昭和31年11月期)

<省略>

日本勧業銀行下谷支店支払利息等

(昭和30年11月期)

<省略>

<省略>

日本勧業銀行下谷支店支払利息等

(昭和31年11月期)

<省略>

<省略>

<省略>

割増金利息集計表

<省略>

(別紙第八)

牛山ノートによるイリドスミン使用量明細表

<省略>

<省略>

<省略>

<省略>

(別紙第九)

架空支払手形の各期末計上の明細

<省略>

(別紙第十)

脱税額計算書

自 昭和29年12月1日

至 昭和30年11月30日

<省略>

(別紙第十一)

修正貸借対照表

昭和31年11月30日現在(その二)

<省略>

<省略>

(別紙第十二)

脱税額計算書

自 昭和30年12月1日

至 昭和31年11月30日

<省略>

昭和四二年(う)第四六三号

控訴趣意書

法人税法違反 プラチナ万年筆株式会社

右同 中田俊一

右同 牛山一

右同 三宅申夫

右被告人らに対する各頭書被告事件につき、昭和四十一年十二月二十七日東京地方裁判所刑事第十八部が言い渡した判決に対し、検察官から申し立てた控訴の理由は、左記のとおりである。

昭和四十二年五月三十一日

東京地方検察庁

検察官 検事 河井信太郎

東京高等裁判所第五刑事部 殿

本件公訴事実は

被告会社は、本社を東京都台東区北稲荷町二十九番地に設け、文房具の製造販売を営業目的とする株式会社であり、被告人、中田は、右会社の代表取締役として右会社の業務一切を統轄するもの、被告人牛山は、右会社の工場長で技術を担当するもの、被告人三宅は、右会社の経理部長であるが、被告人等三名は共謀の上、右会社の業務に関し法人税を免れる目的をもって、預金を簿外にする等の不正の方法により

第一、 昭和二十九年十二月一日から昭和三十年十一月三十日までの事業年度において、被告会社の実際所得金額が一千七百二十八万二千百六十六円であつたのに拘らず、昭和三十一年一月三十一日、所轄下谷税務署長に対し、所得金額が六百九十七万六千三百九円である旨虚偽の所得申告をし、もつて同会社の右事業年度の正規の法人税六百八十八万七千八百四十円と右申告税額二百七十六万五千五百二十円との差額四百十二万二千三百二十円をほ脱し

第二、 昭和三十年十二月一日から昭和三十一年十一月三十日までの事業年度において、被告会社の実際所得金額が二千六百一万六千二百九十四円であつたのに拘らず、昭和三十二年一月三十一日、所轄下谷税務署長に対し、所得金額が八百二万九千三百三十九円である旨虚偽の所得申告をし、同会社の右事業年度の正規の法人税額一千三十八万一千四百八十円と右申告税額三百十八万六千七百二十円との差額七百十九万四千七百六十円をほ脱し

たものである

というにある。

これに対し、原判決は、勘定科目のすべてにわたり検討した結果、検察官の主張するような虚偽の所得申告の事実は、これを認定することができず、従つて、公訴事実第一、第二の法人税 脱の事実は、いずれもこれを認めるに足る証拠がないとして、各被告人に対し無罪の言い渡しをしたものである。

しかしながら、本件公訴事実は、原審で取り調べた証拠を精査すれば優にこれを認めうるところであつて、これに対し、無罪を言い渡した原判決には事実の誤認があり、この誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、この点において原判決は破棄を免れないものと思料する。

以下その理由を述べる。

第一、 簿外預金の帰属に関する事実誤認

原判決は、被告人中田の不合理かつ非常識な法廷供述を中心にして、これに符節を合わせた相被告人三宅、同牛山の供述、被告会社と密接な取引関係のある参考人の証言および明らかに後日偽造されたと思料されるいわゆる太田ノートなどを採用して被告人らの虚偽の供述、主張内容そのままに、検察官において本件ほ脱所得の内容の大宗を成すものと主張する被告会社の簿外銀行預金が、被告人中田個人の所有に属する旨を認定したのは、事実を誤認したものである。

一、 問題点の整理について

検察官は、被告会社の起訴にかかる両事業年度の実際所得金額の算定については財産計算法(貸借対照表)を採用し、ほ脱所得の内容をなす勘定科目は、起訴第一年度においては

1 預金の計上洩 二五、九三五、四九九円

2 棚卸材料の計上洩 △一一、〇七八、九九〇円

3 支払手形の架空計上 三、二九六、七二〇円

4 買掛金の架空計上 △六三〇、〇三三円

5 事業税の認定損 △五、八四〇、九五〇円

6 輸出所得の控除 △一、三六七、六七六円

7 寄附金の損金認定 △八、七一三円

以上差引ほ脱所得合計 一〇、三〇五、八五七円

であり、起訴第二年度においては

1 預金の計上洩 一七、九三二、〇八二円

2 棚卸材料の計上洩 △五、三一八、六九八円

3 支払手形の架空計上 五七四、二〇〇円

4 事業税の認定損 △一、二三六、六九〇円

5 輸出所得の控除 △二、〇七六、四七九円

6 現金の計上洩 七、七〇〇、〇〇〇円

7 当期分事業税の否認 四一三、二三〇円

以上差引ほ脱所得合計 一七、九八七、六四五円

であると主張するのである。

これらの勘定科目のうち、本件犯行の成否を左右するものは、預金の計上洩であり、これが発生源をめぐって右預金が中田個人のものが、被告会社のものかといういわゆる所得の帰属が争点の中心となった。

即ち、検察官は、被告会社の預金計上洩となっている簿外銀行預金は、起訴第一年度の期首現在(昭和二十九年十二月一日現在)においては

一億一千二百四十六万五千五百六十六円存在し、これが起訴第一年度の期末現在(昭和三十年十一月三十日現在)においては

一億三千八百四十万一千六十五円

に増加し、更らに、起訴第二年度の期末現在(昭和三十一年十一月三十日現在)においては

一億五千六百三十三万三千百四十七円

に増加していることが認められるところ、起訴第一年度の期首に存在した一億一千二百四十六万五千五百六十六円の預金及び起訴第一年度の期中に増加した二千五百九十三万五千四百九十九円と、起訴第二年度の期中に増加した一千七百九十三万二千八十二円の預金は、何れも被告会社において、原材料の架空仕入を計上したり、加工賃、広告宣伝費、厚生費、接待費等の経費の架空支払いを計上して、その代金等を簿外とし、これを銀行預金して所得のほ脱を行なったものと主張立証したものであつて、これを図示すると別紙『簿外銀行預金発生原因図表』のとおりである。

これに対し、原判決は、起訴第一年度の期首に存在した一億一千二百四十六万五千五百六十六円の預金については、

1 被告人中田は、戦前から金、銀、白金、ダイヤモンド、イリドスミンを相当多量に所有し、終戦当時には金約五貫、銀約百五十貫、白金約一貫五百匁、ダイヤモンド約四百個、イリドスミン約三貫五百匁を保有していた

2 終戦後、昭和二十一年秋さらに阿部締雄の妻からダイヤモンド約五百五十個を購入したが、それらの金、銀、白金、ダイヤモンドはすべて昭和二十二、三年頃から昭和二十八年頃までの間に被告会社に出入する外国人バイヤーに売却してその代金を入手した

3 イリドスミンは、終戦後から昭和二十九年頃までに合計約二貫八百匁を購入したが、そのうち百八十匁を昭和二十六年七月頃石川清作に売り、他は昭和二十八年頃から昭和二十九年十一月頃までに約二貫を被告会社に売却してその代金を受け取った

4 右以外に被告人中田は、土地、家屋、有価証券等を売却してその代金を取得し、また貸金の利息、株券の配当、不動産の賃貸料等をも取得した

5 同被告人は、以上の2、3、4によつて得た金員を富士銀行上野支店、三菱銀行下谷支店、日本勧業銀行下谷支店に逐次預金した結果、昭和三十年十一月期の期首にあるような一億一千二百四十六万五千五百六十六円の預金ができたのであって、右の預金は被告人中田個人の所有に属するものであると認定し(原判決書二十一~二十二頁)、起訴両年度の各期中に増加した預金についても

被告人中田が、自己所有のイリドスミンを被告会社に売つて同会社から受取つた代金、および同被告人がその所有の宝石、貴金属を売った代金、土地、家屋、有価証券の売却代金、貸金の利息、株券の配当、土地、家屋の賃貸料等を預け入れたもので、したがつて該預金はすべて被告人中田の個人所有に帰すべきものである

と認定したのである(原判決書七十三頁)。

このように、原判決は、本件簿外銀行預金は、被告会社の所得のほ脱によつて蓄積されたものではなく、被告人中田個人の資産処分等によつて蓄積したものであるから被告人中田個人の所有に帰属する預金であると認定したのであるが、右認定は、原審公判廷における被告人中田等の弁解をそのまま採用した結果によるものであるところ、右弁解には、これを裏付ける合理的な証拠は、何ら存しないし、また、被告人中田等の国税査察官に対する質問てん末書、検察官に対する供述調書及び公判廷における供述調書を通読精査すれば、原審における被告人等の供述は、非常識かつ矛盾に満ちた供述であって、到底措信できない虚偽の弁解であることが明らかであるから、かかる虚偽の弁解に基づいた原判決の右認定には承服することができない。

二、 被告人中田等の供述が虚偽であつて信用し得ない点について

原判決の前記認定は、被告人中田が個人で金、銀、白金、イリドスミン及びダイヤモンドを多量に買い集めて所持していたことを前提としているわけであるが、この買い集めを原判決の認定に従つて大別すると、終戦を境として、終戦前に買い集めたものと、終戦後に買い集めたものとに分けることができる。

即ち、終戦前においては、昭和の初め頃から昭和十一、二年頃までの間に、金約五貫、銀約百五十貫、白金約一貫五百匁、北海道産イリドスミン約三貫五百匁、ダイヤモンド約四百個を買い集めて終戦まで所持していたというのであり、終戦後においては、昭和二十一年秋頃、ダイヤモンド約五百五十個と、昭和二十九年十一月頃までの間に北海道産イリドスミン約二貫八百匁を買い集めたというのである。

ところで、原判決は、被告人中田が昭和二十一年秋頃、ダイヤモンド五百五十個を阿部締雄の妻から講入したと判示しているものの、その他の貴金属類については、誰から買い求めたかについては、何らの認定もしていないが、これは、その購入先について納得できるような証拠が全くないからである。

金、銀、白金について被告人中田は、東京の徳力、石福、水野、田中、松村などの貴金属店から買い集めたと主張するが、もし、これらの著名貴金属店から真実購入したのであれば、当然これらの購入先などの証言によってこれを裏付けられる筈であるのに全くその裏付がなく、ただ被告会社の社員塩谷重夫、岸本増次郎らが昭和の初め頃、数回右の貴金属店に金銀等を買いに行つたことがあつたという程度の証言をしている(記録第十四分冊二〇丁乃至三七丁、三五八丁乃至三六一丁、塩谷重夫および岸本増次郎の各証人尋問調書)に止まるのであって、これらの証言は、極めて漠然とした抽象的供述に過ぎない点よりしても、いかにも作りものの証言であることが窺われ、同証人らが現在なお被告会社の社員として勤務しているという事情を併せ考えれば、右各証人らの証言は、同証人らの立場上やむなく被告人中田の弁解に迎合してなされたもので、措信するに価しないというほかはない。

またダイヤモンドの購入先については、終戦前に買い求めた約四百個のダイヤモンドは、シンガポールで貿易商をしていた阿部締雄から買ったものであり、終戦後の昭和二十一年秋頃買つた約五百五十個のダイヤモンドは、シンガポールから引揚げ帰国した阿部締雄の妻から購入したものであるというのであるが、かように大量のダイヤモンドを購入したのが事実であれば、その購入先であるという右阿部夫妻についてその人物、本籍地、家族関係なども明白に主張、立証できる筈であるのに、阿部締雄なる人物がはたして実在したか否かも明らかでないし、その妻の名前さえ明らかにされていない始末であり、况んやシンガポールからの引揚に際して五百五十個という大量のダイヤモンドを日本に持ち帰ることがとうてい不可能であつたことは戦後の敗戦国の現状を知る者にとっては公知の事実であつてこれらの点に徴しても、ダイヤモンド購入の弁解は、全く虚構のものであることは明瞭である。

また、真実、被告人中田が合計九百五十個という大量のダイヤモンドを買い受け所持していたのであれば少なくとも被告人の妻子はこれを知つている筈であるのにその家族や被告会社の社員もだれ一人としてこれを知らなかったというのであるから、ダイヤモンド購入の主張が全く虚構にかかるものであることは明らかである。

次に、北海道産イリドスミンの購入について、被告人中田は、公判廷において、終戦前の約三貫五百匁は、昭和の初め頃から昭和十一、二年頃までの間に北海道のイリドスミンブローカーから買い集めて終戦まで所持しており、終戦後の約二貫八百匁は、昭和二十二、三年頃から昭和二十八年頃までの間に、北海道のイリドスミンブローカーから買い集めたと供述しているけれども、これを裏付ける積極証拠は皆無である。

ただ、北海道のイリドスミンブローカー島田千代松(同人は昭和十三年頃死亡している)の息子である島田要一が、証人として『父千代松の時代にプラチナ万年筆に相当量売ったと思う。父の死後は、終戦後、私がプラチナ万年筆の会社に百匁余り売ったことがある』旨証言している(記録第五分冊一八二丁乃至二二六丁、島田要一の証人尋問調書)が右の供述中千代松に関する証言部分は何らの証拠に基づかない同証人の想像的供述に過ぎないことは、右証言自体で明らかである。

しかも、右島田証人に対しては、被告人三宅等から再三に亘つて手紙や直接口頭で『プラチナの会社に成るべく沢山のイリドスミンを売つたように述べて貰いたい。』とか『父の時代からプラチナとは沢山の取引があったし、要一の時代になってからの取引も出来るだけ多く売つたようにしてくれ、仲買人も沢山いて終戦後、多数のブローカーが売込みに上京したように主張してくれ。』という偽証的工作を行なったことは証拠上明らかであつて(記録第二十一分冊一六七丁乃至一八〇丁、島田要一の検事調書)これらの点に徴し、右島田証言のごときは、被告人中田の北海道産イリドスミン講入を裏付ける証拠とするに価しないことは明らかである。

そもそも、被告人中田において、真実北海道のブローカーからイリドスミンを買い集めたのであれば、そのブローカーを特定し、取引事実を立証すればよいわけであり、かつまた立証可能である筈であるのに、右のような証人に対する工作を行なってまで、イリドスミンの購入事実を立証せんとすることは、とりも直さずイリドスミン買い集めの事実が全くの虚偽であることを物語るものである。

原判決は、右に述べた如く、被告人中田が終戦前後を通じ莫大な貴金属、宝石類を買い集めこれを所持していたと認定しているのであるが、いずれもその購入先が不明であり証拠に基づかないで右の事実を認定したものである。

被告人中田は、貴金属、宝石類の購入について公判廷において右に述べたような弁解をしているが、右の弁解は、本件査察着手の当初から一貫したものではなく、金特にイリドスミンの入手経緯については、被告人中田の供述が再三変転しているのであって、このことからも被告人の供述が単なる弁解に過ぎないものであることが明白である。

すなわち、被告人中田は、本件査察着手当日において、国税査察官から、本件簿外銀行預金の発生原因について質問された際は、戦時中社長をしていた東京兵器株式会社が終戦と同時に閉鎖となったが、その時、右会社に戦時金融金庫から借入れた現金が約三、四千万円残つていたものと、在庫品のイリドジユームが約二貫五百匁乃至三貫五百匁、純金が約四・五貫残つていたので、これを貰いうけ、イリジユームと純金は、昭和二十五、六年頃まで約三、四千万円で売却し、その代金等を銀行預金としたのであると述べている(記録第二十分冊八二丁以下、被告人中田の32・2・7付質問てん末書第十七問答)。

ところがその後、イリドスミンは、北海道のブローカーから買い集めたものであると供述を変えるに至り(記録第二十分冊八九丁以下、被告人中田の32・3・18付質問てん末書)、その購入先として当初札幌の山本、岡、旭川の田口、梅田等というイリドスミンブローカーの名前をあげていて、前述の島田千代松の名前を全然出していなかったのである。

被告人中田が、イリドスミンを島田千代松又はその息子の島田要一から買つていたと供述するに至ったのは、本件査察が始つてから約四ケ月経つてからのことであるが(記録第二十分冊九三丁、被告人中田の32・6・19付質問てん末書)このことは、島田千代松が戦前北海道においてイリドスミン王とよばれ、北海道で産出するイリドスミンの半分以上の取引をしていたことを知るに至り、前述のように、その息子島田要一に工作を行ない、被告人中田が、既に死亡している島田千代松から大量のイリドスミンを購入したことがあるとの事実を作為して、弁解を構えるに至ったものであることを推認せしめるに足るのである。

しかも、被告人等は、かかる大量のイリドスミンの購入先ブローカーを挙証することができないために、これらブローカー達は、何れも『アイヌ勘定』(果してそのような勘定があるとは考えられず、これは被告人等の創作であろう)と称して、実名を明らかにせず、また代金領収証等も書いてくれないので、真実の購入先ブローカーを明示することができないのであるとか、あるいは北海道では年間相当多量のイリドスミンが産出され、多数の密採者がおり、かつブローカーも多数いる等と主張し、問題の争点を巧みにすりかえようとしているのであるが、こうした被告人等の主張は、購入先を明らかにできないための苦しまぎれの弁解でしかない。

そもそも、イリドスミンは、わが国内では、北海道で産出するだけでその産出量も全道で年間僅か五百匁乃至六百匁程度の微々たるものである(記録第十三分冊四五丁、通商産業省調査統計部鉱業統計課編『本邦鉱業の趨勢』、四七丁札幌通産局保存の『明治二十五年以降永久保存書類累年鉱業統計』、五〇丁札幌通産局長阿部久一の『捜査関係事項の照会回答書』六丁以下高橋広治の証人尋問調書)。

右の統計資料などによると、昭和十六年頃から昭和二十年にかけて年間産出量は、数貫匁の大量を示しているが、それは、当時イリドスミンが軍需資料として利用されたため軍、官、民、共同で数千人を動員してその採掘にあたったからであつて、これは平常時における年間産出量の基準とすることはできない。

そこで、被告人中田が、昭和の初め頃から昭和十一、二年頃までの約十年間に三貫五百匁のイリドスミンを買い集めたということは、平均して一年に三百五十匁づつ買い集めたこととなり、つまり同被告人は、当時の北海道全域の産出量の約半分以上を買い集めたということに帰するわけであるが、当時被告人中田は、万年筆製造業者としては極めて小規模のものであり、他にパイロツト万年筆など大手メーカーを含め万年筆製造業者は全国に多数存在したわけであるから、北海道産イリドスミンの約半分以上が被告人中田の手元に買い集められたということは常識上とうてい考えられないところであり、この点からしても同被告人の弁解が虚偽であることは明らかである。

しかも、被告人中田は、戦前に買い集めた貴金属、宝石類は、昭和二十六年頃から順次売却換金したというのであるが、そうだとすれば買い集めてから売却するまで長いものについては約二十六年間、短かいものでも約十五年間に亘ってそのまま保管所持していたこととなるが、右のように極めて小規模な万年筆業者に過ぎなかった同被告人がそれほど長い間大量の貴金属、宝石類をたゞ買い集める一方でそのまま所持し続けたということは納得できないことである。

いうまでもなく、昭和十二年の支那事変勃発から太平洋戦争を経て終戦を迎えるまでの数年間、国民は銅像や寺院仏閣の吊り鐘をはじめとして生活必需品である鍋釜類に至るまで、およそ金属と名のつくものは殆んどすべてを供出したのである。

このような激しい戦争時代があったのに、被告人中田が莫大な貴金属、宝石類を隠匿所持していたことは、当時の世相に照らし、いかにしても、社会通念上首肯しがたいところである。

さらに、戦後においては、財産税制度が施行され、この種貴金属、宝石類を含む個人財産の調査徴税が厳重に行なわれ、また、昭和二十五年から昭和二十七年にかけては、右財産税と同種の富裕税制度が実施されたのである。

しかるに、被告人中田は、右の財産税、富裕税の申告納税においては、右のような大量の貴金属、宝石類の所有について、何らの申告、納税も行なつていないし、その調査において、これを所有していたとの形跡は全くない(記録第二十一分冊、九〇丁財産税、富裕税調査簿写、物一二三号富裕税申告書等五綴)。

しかも、被告会社の昭和二十一年から昭和二十七年までのイリドスミンなど貴金属原材料の受払、在庫帳が存在するが(物一一九号イリドスミンなどの在庫帳二冊、物一二〇号在庫帳一冊、物一二一号貴金属受払簿一冊)、これらの帳簿によれば、イリドスミンの取扱量は僅か十数匁乃至数十匁という極少量であることが認められるし、また、被告人中田個人の古物台帳(物一二二号)にも被告人中田が貴金属、宝石類を取り扱い所有していたことを窺わせるような記載は全く見当らないのである。

このような証拠からしても、被告人中田が貴金属、宝石類を多量に買い集めて十数年乃至二十数年に亘ってこれを所有していたとの弁解が全く措信するに足りないものであることは明らかである。

以上のように、被告人中田が多量の貴金属、宝石類を買い集めこれを所持していたとの供述は、如何なる観点からしても虚偽のものとしか考えられないのであるが、さらに、これら貴金属、宝石類を売却換金したという点についての被告人中田等の供述を検討すると、一層その供述が架空のものであることが判然とするのである。

即ち、被告人中田は、国税査察官および検察官の取り調べに対しては、終始、終戦前に買い集めた金約五貫、銀約百五十貫、白金約一貫五百匁、イリドスミン約三貫五百匁及びダイヤモンド約四百個と、昭和二十一年秋頃買つたダイヤモンド約五百五十個については、昭和二十一年頃から昭和二十六年暮までに全て中共、インド、朝鮮のバイヤーに売却換金した。その内訳は、金が約一千万円、銀が約四百五十万円、白金が約四百五十万円、イリドスミンが約三千五百万円、戦前から持つていたダイヤモンドが約四千万円、戦後購入したダイヤモンドが約七・八千万円で合計一億六、七千万円の現金となった。この売却代金を昭和二十六年頃よりぼつぼつと銀行に預金したのだが、大部分の現金は、石炭箱に入れ現住居の中二階の約三十畳敷の倉庫に入れておいた。昭和二十六年暮には、手持現金として千円札を入れた石炭箱が約四箱(約六千万円)百円札を入れた石炭箱が約三十三箱(約六千万円)あった。この現金を、その後銀行預金することになったが、一度に預金すると目立つので、時々、五十万円、百万円位を風呂敷に包んで被告会社の社長室に持ち運んで、銀行員を呼んで預金するようにしたものであると供述している(記録第二十分冊八六丁以下、被告人中田の32・2・13付質問てん末書、九三丁以下被告人中田の32・6・19付質問てん末書、一〇七丁以下被告人中田の33・12・4付検事調書、一一三丁裏以下被告人中田の33・12・6付検事調書、一二七丁以下被告人中田の33・12・8付検事調書、一六七丁以下被告人中田の33・12・19付検事調書)。

ところが、公判廷においては、右のような供述を遽かに飜して、所持していた貴金属、宝石類は、昭和二十六年までに全部売却換金したのではなく、昭和二十六年頃から昭和二十九年十一月頃までに順次売却換金し、その都度その代金を銀行預金として預けたものであつて、従つて、昭和二十六年暮に一億数千万円の現金を石炭箱に詰めて自宅で所持していたことはなかったと述べるに至つた(記録第十八分冊一六五丁乃至一七五丁、被告人中田の本人尋問調書)。

被告人中田は、検察官に対する供述において、数回に亘り、判然と昭和二十六年暮までに全部売却して現金化し、その現金を自宅において石炭箱に詰めて持っていたといつて、千円札、百円札の区別や石炭箱の数量まで具体的に挙示して説明しておりながら、公判廷に至るや突如としてこれを飜したことは検察官に対する右供述が甚だしく非常識で、何人に対しても到底納得し得られない虚偽のものであることが、余りにも明白であるために、自己に不利となることを察知した結果、供述を変更するの挙に出たものであると認められるのである。

この点について、被告人中田は、古い時期に売つたものには所得税がかからないということを小耳にはさんだので、検事に対しては、実際に売つた時よりも、もつと前に売つたと嘘の供述をしてしまったため、昭和二十六年暮には、一億数千万円の手持現金を所持していたと、さらに嘘を述べてしまったのであるといつて、その供述を変えた理由を説明しているが、これは、全く幼稚な弁解であり、かかる重要な事項について、余りにも見え透いた供述をしたり、これを簡単に変更したりしているということは、とりも直さず、貴金属、宝石類を売却換金したとの事実がないのに拘らず、かかる事実があったと弁解しているにすぎないのであつて、これ程被告人中田の供述の虚偽であることを雄弁に物語るものはないであろう。

しかも、被告人中田等は、これら貴金属、宝石類を売却換金したというけれども、その売却先は、中共、インド、朝鮮のバイヤーであって、ハダツト、王、宗、陳等という人であったというのみで(記録第二十分冊一〇七丁、被告人中田の33・12・4付検事調書、一八七丁裏、被告人中田の33・12・19付検事調書)、これらの売却先を鋭意探したが発見できないと言って、結局、約十年を経た現在に至るまでただの一人も挙証し得なかったのである。

およそ、被告会社に出入りしていたバイヤーに対して、真実右のような莫大な貴金属、宝石類を売却したものならば、少なくとも幾人かの買受人の住所、氏名は勿論のこと、具体的に売買した年月日、数量、金額等を示して立証できる筈であるが、これをなし得ないことは、かかる事実がなかったことの何よりの証左と見られ得るのである。

ただ、甚だ奇妙なことは、原判決は、右の貴金属、宝石類のうち、被告人中田が終戦後、買い集めたという約二貫八百匁のイリドスミンについては、その一部百八十匁を石川清作に売却した外、約二貫匁を昭和二十八年頃から昭和二十九年十一月頃までの間に被告会社に売却したと認定しているけれども、終戦前に買い集めたという約三貫五百匁のイリドスミンの処分については、何らの判断を示していないことである。

そもそも、イリドスミンは、いわゆるイリジユーム元素を含有した天然鉱物の呼称であるが、これが被告会社の万年筆のペン先に装着するいわゆるペンポイント(本ジユーム小玉)の原料として必要であることは争いのないところであり、従って、被告人中田も大量のイリドスミンを買い集めていたと主張するものと考えられるのであるが、そうだとすれば、同被告人が終戦までに折角買い集めて所持していたイリドスミン約三貫五百匁は、被告会社のペンポイント製作の原料として提供されたであろうと考えるのが当然であり、そのための買い集めであったというべきである。

然るに、被告人中田は、この三貫五百匁のイリドスミンについては、終戦後から昭和二十五、六年頃までに全て被告会社に売却したと供述したり(記録第二十分冊九四丁裏、被告人中田の32・6・19付質問てん末書)、そうではなく外国のバイヤー等に売却したとも供述しているのである(記録第二十分冊一〇七丁、被告人中田の33・12・4付検事調書、一二七被告人中田の33・12・8付検事調書)。

このように、売却したと主張はするものの、その売却先が著しく変転矛盾を示しているし、若し、真実、昭和二十五、六年頃までに、全て被告会社に売却したとするならば、被告会社において、これを使用して当然イリドスミンの含有されたペンポイントの製造、装着がなされていたはずであるのに、被告人中田は、本ジユーム小玉をペン先に装着したのは、昭和二十七、八年頃からであり、代用ジユーム中に若干のイリドスミンを混入使用するようになったのも昭和二十七、八年頃からであると述べている(記録第二十分冊一一五丁被告人中田の33・12・6付検事調書)のであるから、被告会社に売却したとは考えられないし、若し、反対に全て外人バイヤー等に売却したとするならば、被告人が経営する被告会社において最も必要とし、しかも生産量が極少量で入手が困難なイリジユームを他に売却してしまったということは、到底考えられないことであって、このように、被告人中田の供述は、この点においても著しい矛盾があり、その供述態度は、その時々において、場当り的な供述をしていることが認められるのであって、かかる点からしても、被告人の供述は全く措信できないのである。

原判決は、被告人中田が終戦までに買い集めたという三貫五百匁のイリドスミンの処分についての判断を回避して、終戦後に買い集めた二貫八百匁のイリドスミンのうち約二貫匁を、昭和二十八年頃から昭和二十九年頃までに被告会社に売却したと認定しているが、後段において詳述するように、本件犯行の成否は、主として被告会社におけるイリドスミンの仕入量および消費量如何によって左右されるものであるといって過言ではない。そのため原審においてもその審理の大部分がこの点に費いやされたのであるから、右三貫五百匁のイリドスミンの売却処分先を確定すべきであったし、これが確定しなければ、その後の二貫八百匁の売却を確定することができない筈であるのに、敢えて右のような認定をしていることは到底承服できない。

さらに、原判決は、本件簿外銀行預金の発生原因の一つとして、被告人中田が、所有していた土地、家屋、有価証券を売却した代金や、貸金の利息、株式の配当、不動産の賃貸料収入を預金したものであると認定しているが、これとて被告人中田が、原審公判廷において、抽象的にそのような供述をしただけであって、これら土地、家屋、有価証券を売却した年月日、金額、相手方等等については、何ら具体的に主張も立証もしていないのであるし、また、貸付金や株式配当金や不動産賃貸料の収入についても具体的な主張、立証は行なわれていない。

かかる抽象的な被告人中田の供述をそのまま採用した原判決の認定は、唯、理解に苦しむのみである。

以上のように、原判決は、虚偽の供述であること明らかな被告人中田等の公判供述を全くそのまま採用し、これを裏付けるに足る合理的な証拠は一つもないのに、本件簿外銀行預金は、全て被告人中田個人の所有に帰属するものであると認定したことは、被告人中田等の虚偽の弁解を過信した結果、事案の真相を見失い重大な事実誤認を犯しているものであって、かかる原判決の認定には到底承服することができない。

第二、 簿外銀行預金の発生源に関する事実誤認

本件簿外銀行預金の発生が被告会社の架空仕入、架空経費の計上を手段とするものであることは、原審で取調べた証拠によって優に認められるのに、原判決が、これら積極的証拠については、何等の判断も加えることなく排斥し、右架空仕入、架空経費計上の事実がない旨を認定したのは、事実を誤認したものである。

一、 架空仕入、架空経費の計上について

すでに述べたように、検察官は、本件の起訴第一年度の期首現在にあった銀行預金一億一千二百四十六万五千五百六十円及び起訴第一年度の期中に増加した二千五百九十三万五千四百九十九円並びに起訴第二年度の期中に増加した一千七百九十三万二千八十二円の銀行預金は、全て被告会社において、原材料の架空仕入計上、加工賃、広告宣伝費、厚生費及び接待費等の架空経費計上によって簿外とした資金を蓄積したものであると主張し、これを立証する数多くの提出したのであって、これらの証拠によって、右主張に係る事実の証明は十分であると信ずる。

先ず被告会社において、架空仕入の計上、架空経費の計上をしていたことは、同社の経理部長である被告人三宅が、判然と自白していることを挙げなければならない。

即ち、被告人三宅は、本件査察着手の当日、国税査察官に対し、被告会社では、昭和二十五、六年頃から架空仕入を計上してそれを支払ったように帳簿上では処理し、実際はその代金相当額の現金、小切手、約手等を中田社長に渡し、社長が富士銀行や、三菱銀行下谷支店の人等を会社に呼んでこれを渡して預金していた。架空仕入を計上していた原材料は、主としてセルロイド、金属部品等である。また、経費の架空計上も仕入と同様にたてていた。その科目は、主として宣伝費、修繕費の科目である。これらの架空仕入、架空経費の計上は、社長の指示によってやったり、私自身で利益がですぎるような場合に社長に相談して計上したこともある。そして、私が、それに相当する請求書、領収書を作成記入して真実の取引の分と同じようにして証憑書類に綴り込んでおいたと明瞭に供述しているのである(記録第二十分冊一八二丁裏以下、被告人三宅の32・2・7付質問てん末書、一八八丁以下、被告人三宅の32・2・7付質問てん末書)。

ここで詳述するまでもなく、被告人三宅は、被告会社に長年勤務し、経理課長を経て経理部長の職にあったものでり、しかも同被告人は、経理部長として被告会社の経理決算は勿論のこと、被告人中田個人の収入、財産、所得税申告等も行なっていたのであるから、かかる地位にあってかかる職務を担当していた被告人三宅が被告人中田と未だ打合せのすまない査察当日右のように極めて明確かつ具体的に架空仕入、架空経費の計上をしていた、と述べていることは、本件事案の真相をありのまま述べたものというべきである。

原審は、何故にかかる被告人三宅の供述を措信しなかったのか判文上明らかでないが、被告人三宅は、その後、右供述を覆えし、右自白は、歌門査察官の強制、誘導に基づく虚偽の供述である、と弁解するに至ったので、おそらく、かかる弁解を採用し、右自白を措信しなかったものと推認されるのである。

しかし、歌門査察官の証言によると、被告人三宅の取り調べが決して強制、誘導によるものではなく、被告人三宅の供述内容が決して虚偽のものでないことは、原審における論告において詳述したところによって明らかである(記録第六分冊一二〇丁以下、歌門英雄の証人尋問調書二九二丁以下、同証人尋問調書)。

かえって、被告人三宅は、査察着手当日右のような自白をして帰社したところ、被告人中田ら被告会社の幹部数名が待っており、右自白をして来たことを知って被告人中田は三宅を強く叱責し翌日直ちに右自白を撤回して来るよう命ずると共に翌日の午前二時頃まで査察調査に対する今後の対策を協議した結果、被告人三宅はその後右自白をひるがえし、歌門査察官の強制、誘導による虚偽の自白であると主張するに至ったものであることが認められる(記録第二十分冊、二三九丁以下被告人三宅の33・12・10付検事調書)から、むしろ前記自白をひるがえした後の被告人三宅の供述こそ社長である被告人中田の強制、指示に基づく虚偽の供述であることが判然とするのである。

そして、検察官が架空仕入の計上、架空経費の計上であると指摘する取引については、その相手方が実在せず、架空名義の領収証、請求書等が存在するのである。

先ず、イリドスミンの架空仕入についてみると、その架空仕入先は、中田俊一、佐藤唯之助、神田辰一郎、岡部賢、成沢隆、内田信義、林商店、松下商店、中里商店なる名義が使用されているが、中田俊一を除き、その他は全て実在しない架空のものであることが明らかである(記録第八分冊七七丁乃至二二三丁、検査顛末書綴)。架空仕入の計上において、このように仕入先が実在せず、全く架空の名義を使用して真実の仕入があったように帳簿処理をすることは、この種犯行の典型的な形態であって、これほど架空仕入計上の事実を端的に証明しているものはないと考えられるのである。

被告人等は、このイリドスミンの架空仕入計上の事実を覆い隠すことができないために、前段で述べたように、被告人中田が、戦前戦後において、北海道イリドスミンを多量に買い集め、これを被告会社に売却したのであって、帳簿上、仕入先が架空名義となっているものの大部分は、被告人中田からの仕入であると弁解するに至ったのであるが、この弁解が虚偽であり、到底信用し得ないものであることは、既に述べたとおりである。

しかも、このような被告会社のイリドスミン架空仕入計上の事実を裏付けるものに、いわゆる『牛山ノート』と称する白金属使用明細帳三冊(物二八号)が存在する。

この白金属使用明細帳は、被告人中田の女婿であり、被告会社の工場長として、イリドスミン等の貴金属の仕入、保管、払出しを担当していた被告人牛山が(記録第二十一分冊、二七丁、二八丁、被告人牛山33・12・5付検事調書)イリドスミン等白金属を使用する度毎に正確に数量を秤量して、これをノートに記帳していたものであり(記録第二十一分冊六一丁以下、被告人牛山の33・12・17付検事調書、七一丁以下、被告人牛山の33・12・20付検事調書、七三丁以下、被告人牛山の33・12・22付検事調書)、しかも、これは、本件査察着手当日の昭和三十二年二月七日東京国税局による被告会社の家宅捜索の際に発見押収されたものである。

従って被告人牛山も、右ノートが被告会社におけるイリドスミン等白金属使用明細帳としては唯一のものであって他にこの種のノートが存在しない旨の供述をして来たし、右ノートが判然と『白金属使用明細帳』と表題がつけられてイリドスミンなどを使用した都度その年月日、白金属元素名、数量およびその結果製造されたいわゆるペン先に装着する本ジユーム玉の個数を明記し、しかも、それ以外の余事記載はなく、さらに一ケ月毎に使用した白金属の集計を算出し、その集計表まで貼付されているのであるから、かかるノートの記載型式、内容などに徴してもこのノートこそその当時における被告会社の真実のイリドスミンの使用量を記載していた唯一のものであることは疑う余地のないところである。

しかるに、原判決は、被告会社が昭和三十年十一月期(起訴第一年度)、および昭和三十一年十一月期(起訴第二年度)において使用したイリドスミンの数量を算出するためには、太田ノート(小)は必要でなく、太田ノート(大)と牛山ノート(前記白金属使用明細帳三冊)の双方を用いることが必要であり、かつこれで充分であるとして、右両ノートのうち、同一日付または接着した日付で、同一物と思われるものについては、そのうち一つを選び、太田ノート(大)に記載があって、牛山ノートに記載がないものは、これを計算のなかに入れ、逆に牛山ノートに記載があって、太田ノート(大)に記載がないものについても、これを計算の中に入れることとし、これを合計したものが当時の被告会社のイリドスミン使用量の総体である旨判示している(原判決書四三頁、四四頁)。

このように、原審は、牛山ノート(白金属使用明細帳三冊)以外に、太田ノート(大)を採りあげて、同ノートも被告会社のイリドスミン使用量算出の証拠とすべきであるというのであるが、この太田ノート(大)を記載していた太田亨は、当時、被告会社の技術課長として被告人牛山の配下にあって、専ら、技術的な研究のみに従事していたものであり、(記録第十一分冊、一二〇丁、太田亨の証人尋問調書)、従って、被告会社のイリドスミンの仕入、保管、払出し等には頓着なく、化学的研究結果を右ノートに記載していたに過ぎないものである。

このことは、右太田ノート(大)(物三六号)の記載内容や、記載要領をみれば明らかなところである。

従って、牛山ノート(白金属使用明細帳)は、明らかに、被告会社の毎月のイリドスミン等白金属を、どれだけ払出して使用したかを正確に秤量記載する意思をもって、その旨記載していたものであるのに反し、太田ノート(大)は、そのようなことにはかかわりなく、即ち、使用したイリドスミンが何処から払出されたものであるのか、それが、既に一度払出されて、使用明細帳に記載されているものを使用するのであるのか等については、何らの意を用いることもなく、単に熔解過程における化学的状態を記載したに過ぎないものであるから、牛山ノートと太田ノート(大)とは、本質的に別異な事項を記載したものであり、これを同列に扱って被告会社のイリドスミン使用量算出の根拠とすることは根本的な誤りであるといわねばならない。

しかも、この太田ノート(大)は、太田ノート(小)と共に本件査察着手当日の家宅捜索の際には発見されていなかったばかりでなく、その後約一年十ケ月を経た昭和三十三年十二月三日に地検において被告人らを逮捕すると共に、被告会社や太田亨の自宅などを再び家宅捜索した際においても発見押収されなかったものであるところ、被告人らが逮捕勾留されて数日を経た同年十二月八日に至り突如として被告会社の実際のイリドスミン使用量を記載していたノートはこの太田ノートであると言って地検に任意提出されたものであるが、もしかかる太田ノートが当初から存在していたものであるならば当然右二回の家宅捜索に際して発見押収されている筈であり、仮に押収洩れがあったにしても本件査察当初よりイリドスミンの使用量が問題となっていたのであるから、その当初において太田ノートの提出が出来た筈であるのに被告人らの逮捕勾留後において突如として提出されたということは、右ノートが本件査察着手後に作成されたものであることを疑わしめるのである。

このことは右太田ノート(大)と同時に提出され、同時期に作成されたと称している太田ノート(小)の記載時期について、ノートに書かれている年月日に作成されたものではなく、それは地検に右ノートを提出する直前の昭和三十三年頃に記載されたものであると鑑定されていることによっても明らかであるし(記録第十二分冊二四〇丁以下、警視庁技師菊地幸江の鑑定書、記録第十七分冊四二丁以下、徳島大学薬学部長伊東半次郎の鑑定書)また、右太田ノートは被告人中田、同牛山が小山長規代議士から『イリドスミンの使用量を書いたノートはないのか』と言われ、会社に戻って太田亨に聞いたら右太田ノートがあったので提出した(記録第二十分冊、一三八丁以下被告人中田の33・12・9付検事調書)というのであるが万年筆の専門家である被告人等が素人である小山代議士に注意されて初めて右ノートの提出を考えるにいたったということは全く常識に反することであって右の一事も右ノートが後日作成されたことを疑わしめるに足るものといわざるを得ない。

従ってこのような太田ノート(大)(小)の記載は、採ってもってこれを被告会社のイリドスミンの実際使用量を算出するための証拠とすることは到底許されないものと思料する。

しかも原判決は、太田ノート(大)に記載されている用語について Iridosmin 本ジユーム粉末、Iridosmin Powder、北海道、本ジユーム粉末再熔解の本ジユーム粉末、本ジユーム再熔解の本ジユーム、再熔解本ジユームの本ジユーム、イリドスミン、粉末熔解の粉末、再熔解、再熔解ヂユームのヂユーム、粉末再熔解ヂユームの粉末ヂユーム、再熔解(粉末)ヂユームの(粉末)ヂユーム、粉末本ヂユーム熔解の粉末本ヂユーム、再熔解ヂユーム(粉末)のヂユーム(粉末)、Iridosmin 粉末、本イリヂユーム、本ヂユーム粉末 Powder とあるのは、全て北海道産イリドスミンの呼称であると認定し (原判決書四五頁)、さらに『再熔解』とあるのは、単なる熔解であって『再熔解』でないと判示しているのである(同判決四五頁裏)がかかる認定は、何らの証拠に基づかない原審裁判所の独断であるといわざるを得ない。

要之、原判決が検察官のイリドスミンの架空仕入の主張を排して、証拠とすることができない太田ノート(大)を採用し、かつ、その記載内容を独断的に解釈して、被告会社のイリドスミンの実際使用量を過大に算出し、それが、被告会社の公表帳簿上の使用量と概ね同量であるから、公表帳簿上の使用量が真実である旨を認定したことは、採証の法則に違背して事実を誤認したものであることが明白であるというべきである。

被告会社における本件起訴両年度のイリドスミン仕入に、多量の架空計上があることは、右に述べた証拠によって明らかというべきである。

次に、イリドスミン以外の原材料の架空仕入計上の事実についてみる。

この点について、検察官が架空仕入計上であると指摘する取引の明細は、論告添付の『別表第五』のとおりであり、その仕入先名として使用した架空名義は、水谷商店、飯山製作所、近藤樹脂工業、深沢伸銅所、長島伸銅所、関伸銅所、柳下伸銅所、宮内金属、谷商店、沢田商店、広瀬製作所、飯田商店、黒川製作所、和田商店、辻製作所、内田製作所、三木製作所、玉村製作所、松川昇一、山口金属工業、水谷製作所、近藤金属挽物の合計二十二件である。

これらの取引が架空仕入計上であることは、既に述べた被告人三宅の自白と相俟って、その仕入先が何れも実在しない全くの架空のものであることによって明らかというべきである(記録第八分冊七七丁乃至二二三丁、検査願末書綴)。

しかるに被告人等は、右仕入は、全て実際仕入であるが、仕入先が実名を挙げるのを嫌がったので架空名を使用したものであると弁解し、右架空名のうち飯山製作所からの仕入は、実在する斎藤製作所こと斎藤昭夫からの仕入であり、辻製作所なる架空先からの仕入は、実在する中尾金属製作所こと中尾保からの仕入であり、玉村製作所なる架空先からの仕入は、実在する柳橋長三からの仕入であり、沢田商店なる架空先からの仕入は、実在する田中貴金属工業株式会社からの仕入であるとし(記録第十三分冊一三七丁以下斎藤昭夫の証人尋問調書、一五八丁以下中尾保の証人尋問調書、一八一丁以下柳橋長三の証人尋問調書)、原判決もその旨認定しているのであるが、右斎藤昭夫、中尾保、柳橋長三のこの点についての各証言は、何故にかかる架空名を使用して取引するに至ったのか必ずしもその事情を明らかにしていないし、そもそも、これらの証人は、何れも現在なお、被告会社の取引先として被告会社から恩恵を蒙っているのであり、しかも、右証言はいずれも抽象的でこれに照応する帳簿伝票等の記載もないのであるから、これらの証人の各証言はいずれも措信するに足りないものといわねばならない。

しかも、右の仕入先以外の架空仕入先については、被告人は実際仕入先だと主張するのみで遂にその実際仕入先の所在を挙示し得ないのであるが、これら架空名義店からの仕入品目は、黒セルパイプ、プラスチツク材、銅板、ステンレス材、シヤープ中具、皮ムク、エボムク、婦人用万年筆キヤツプ、男子用万年筆キヤツプ、Wサヤ、リング等々のいわゆる万年筆又はシヤープペンシルの原材料又は部分品であるから、このような品物は、おそらく専門の町工場や専門の商店からの仕入と考えられるのであって、住所、氏名も判らない通りがかりのブローカーからの仕入とは考えられないから、被告人等が、実際の仕入取引があったと主張しながら、その取引先を挙示し得ないことは全くの架空引の計上であると断ぜざるを得ないのである。

しかるに、原判決は、この点についても被告人等の弁解のみを証拠とし、その弁解どおりの事実を認定しているのであるが、これまた、採証の法則に反して、事実誤認したものというべきである。

次に、加工賃、広告宣伝費、厚生費、接待費等の架空計上の事実についてみると、この点についても、前述の被告人三宅の架空経費計上をしていたとの自白と相俟って、検察官が指摘する各経費の支払先が何れも実在せず、全く架空のものであることによって極めて明白であると信ずる(記録第八分冊七七丁乃至二二三丁、検査願末書)

しかるに、原判決は、右架空経費計上のうち、加工賃については、小西ペンに対する支払い計上は、真実、小西ペンからのペン先仕入の計上であり、浅川常治、石井民治、猪熊正也、大野栄治なる架空先に対する支払い計上は、実在する合資会社秋本製作所から実際にペン先を仕入れたことの計上であり、広告宣伝費の架空の計上のうち、笹原印刷所との取引は、実在する協和製函株式会社との取引であると認定しているが、これらは、何れも被告会社の社員や実際の取引先と称する者達が、その旨の証言をしているからであろうと考えられるが(記録第十四分冊一一四丁以下志岐喜代次の証人尋問調書、二七八丁以下秋本芳蔵の証人尋問調書、三一五丁以下、渡部平八郎の証人尋問調書)、これらの証言も、仔細に検討すると、何故にかかる架空名を使用したのであるか、その事情が必ずしも納得できないし、証言内容も弁護人等に誘導されて一応その主張に副うような供述をしているに過ぎないと考えられる程度の、とってつけたような供述であり、これらの証人等が何れも現在なお、被告会社の下請仕事をしている者達であることを併せ考えるとき、右各証言は遽かに措信し得ないものである。

右しかも、原判決は、右以外の架空経費の支払い先についてまでも、あるいは、経費科目は異なるが、被告人中田の三男である中田俊弘や、被告会社大阪出張所長桜井礼吉に対する交際接待費として実際に支出したものであるとか、支払い先の相手方は分らないが実際に経費として支払ったものであるから、架空経費の計上は、一つもないとまで認定しているのであるが、これは、既に屡々述べたように被告人等の弁解のみによって認定したものと認められるところ、この種犯行の場合架空支払の事実を言い逃れるために会社の得意先等に対する特別な交際、接待費として費消したものであるとすることは、会社役員や、経理責任者が屡々弁解として用いる常套手段であるし、若し、真実交際接待費として支出したならば、態々、別の経費科目を用いてまでその支払いを仮装する必要はないと考えられるし、相手方が全く分らない取引も実際取引があったのだというが如きは、その取引内容が、何れも被告会社の製品である万年筆等の宣伝用カタログや、パンフレツト、あるいは解説書等であることからするならば、かかる印刷物を、住所、氏名も明らかでない者に依頼する等ということは到底あり得ないことであり、また考えられないことでもあるから、当然、真実の取引があるならば、その取引先を挙証できる筈であるのにこれを挙証できないことからして、それらが架空取引の計上であることは疑いの余地がなく、原判決の右認定を容認することはできない。

以上述べたとおり、被告会社におけるイリドスミン及びその他の原材料の架空仕入計上の事実や、加工賃、広告宣伝費、厚生費、接待費の科目における架空経費計上の事実は、原審顕出の諸証拠に照らして優に認定できるのにかかわらず、原判決が、合理的な裏付けもなく、かつその供述自体からして到底納得できない被告人等の弁解を無批判に措信して架空仕入、架空経費計上の事実はないとしていることは、事実誤認も甚だしいものがあるといわねばならない。

二、 本件簿外銀行預金の発生源は、右架空仕入、架空経費計上によるものであることについて

先ず、本件簿外銀行預金が全て、被告会社の架空仕入計上や架空経費計上によって簿外とした資金を預金したものであることは、前述のように、被告人三宅が、本件査察着手の当初において、判然と自白していることによって明白である(記録第二十分冊、一八二丁裏以下被告人三宅の32・2・7付質問てん末書、一八八丁以下、同被告人の32・2・7付質問てん末書)。

しかも、この被告人三宅の自白を裏付けるものとして、富士銀行上野支店から押収された念書二十五通、担保差入書十二通、手形貸付元帳二葉及びプラチナ産業株式会社取引状態調と題する書面(物三四号、三三号、三五号及び八号)の存在を指摘しなければならない。

これらの書類は、何れも被告会社が右富士銀行上野支店から融資をうける際に作成されたもので、融資の担保として、同銀行にあった本件簿外預金を提供したことに関する書類であるが、右念書二十五通には、判然と、『本件無記名定期預金債権は、プラチナ産業株式会社自身のものに相違ありません』と記載されており、その他の関係書類も、そのことを双方が認めた上で作成されていることが明らかである。

被告人中田は、右念書の存在が、自己の弁解を維持する一大障碍であることを知って、原審公判廷においては、右念書は、銀行の係員が被告会社の社長室に来て、取引関係書類に印鑑を貰いたいというので、印鑑を渡したところ、銀行員は、社長室の隣りの応接室で、渡した印鑑を何かの取引関係書類に押印してその書類も見せないで帰ったので、その時、自分の知らない間に作成されたものである旨弁解しているのである(記録第十八分冊一一〇丁裏以下被告人中田の本人尋問調書、一八一丁以下被告人中田の本人尋問調書)が、右のような極めて重要な書類につき、右弁解のような経緯によって作成されたということは、到底納得できないところであり、被告人の右弁解は甚だしく幼稚であり、それが虚偽であることは明らかである。

ところで、検察官は、前述した架空仕入及び架空経費計上によって簿外とした資金が、全額、本件簿外銀行預金に預け入れられたというのではなく、起訴第一年度中における架空仕入、架空経費計上額の合計は二千二百五十八万二千九百八十八円であるが、同期中に増加した預金額は二千五百九十三万五千四百九十九円であって、そのうち預金利息による増加額が五百五十一万七千五百五十六円あるから、これを差引いた二千四十一万七千九百四十三円が預金されたものであり、起訴第二年度においては、架空仕入、架空経費計上額の合計は三千七百十五万九百円であるが、同期中に増加した預金額は一千七百九十三万二千八十二円であって、そのうち、預金利息による増加額が六百三十万九千二百八十三円であるから、これを差引いた一千百六十二万二千七百九十九円が預け入れられたものであると主張しているのである。

このことは、架空仕入計上や、架空経費計上によって簿外とした資金が、直ちにその儘銀行預金となったわけではなく、その一部が他に流用されたり、あるいは相当期間経過した後に預金として預け入れられたりしていることが推認されるわけであるから、架空仕入、架空経費計上の年月日と同一年月日またはそれに接近した年月日において、しかも同額のものが預金として設定されていないからといっても、これは、寧ろ当然のことであり、怪しむ理由は毛頭存しないのである。

しかし、検察官は、原審第五十六回公判において提出した『冒頭陳述の補充説明ならびに証拠説明書その二』(記録第十六分冊、二五八丁以下)によって明らかなように、本件架空仕入、架空経費計上の年月日、金額と本件簿外預金の発生年月日、金額とは全体的にみると相当密接な関連を示しているのであって、しかもこれら預金の集金を担当していた日本勧業銀行下谷支店長大友一郎の証言や三菱銀行下谷支店長江崎武の証言や富士銀行上野支店の武笠好雄の証言(記録第四分冊、六丁以下、九七丁以下、一二五丁以下同人らの証人尋問調書)によれば毎月二、三回被告会社に集金に行き一回に五十万円乃至百万円程度の預金を預っていたというのであるが、本件簿外預金の設定状況は正しく右銀行員らの証言に照応する状態で設定されているのであるから、このことによっても本件簿外預金が架空仕入、架空経費の計上によって簿外とした資金を預金したものであることが明らかである。

以上のように、起訴第一年度の期首において、一億一千二百四十六万五千五百六十六円の簿外預金が存在し、その期中において二千五百九十三万五千四百九十九円の預金増加をみ、さらに起訴第二年度中において、一千七百九十三万二千八十二円の預金増加を示し、これらの預金の発生原因について、前段に詳述したように、被告人中田の個人資産の売却等によるとの弁解が全く虚偽のものであること明らかであるとともに、被告会社の架空仕入、架空経費の計上によるものであることが明確であるのに被告人等の弁解どおりの事実を認定した原判決は、正しく合理的な証拠によらない独自の認定であるといわざるを得ない。

三、 その他の勘定科目について

本件ほ脱所得の内容をなす勘定科目中、以上説明した預金の計上洩以外の棚卸材料の計上洩、支払手形の架空計上、買掛金の架空計上、現金の計上洩、事業税の認定損、当期分事業税否認、輸出所得控除、寄付金認定損については、何れも本件簿外銀行預金が、被告会社の簿外資産であるか否かによって決せられるべきであるから、前述のように、右預金が被告会社の所得ほ脱による簿外資産であることが明らかである以上、当然に認定されて然るべき事実であり、さらに詳述の必要はなく、よって、前記各勘定科目によるほ脱所得の事実を否定した原判決の認定も、明らかに事実を誤認したものであるといわねばならない。

以上述べたとおり、本件公訴事実の証明は洵に十分であるのに、原審は、被告人等の虚偽の弁解を過信し、事案の真相を看過して、公訴事実を否定し、無罪の言い渡しをしたことは明らかな事実誤認であり、この誤認が判決に影響を及ぼすことは明白であるから、到底破棄を免れないものと思料する。

よって、さらに、適正な判決を求めるため本件控訴に及んだ次第である。

別紙 簿外銀行預金発生原因図表

<省略>

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