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東京高等裁判所 昭和41年(う)926号 判決 1966年11月29日

被告人 小原保

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人松本包寿が差し出した控訴趣意書に記載してあるとおりであるから、これを引用し、なお、原審弁護人小松不二雄、同土屋公献が差し出した控訴申立書に控訴の理由として「一、被告人が深く反省改悟していることを認めながら死刑に処したことは、社会感情、即ち復讐と威嚇に重点をおいたもので、改過遷善という刑罰目的を逸脱しており、残酷な刑を禁止した憲法の精神に反する。二、改悛の情が認められても、罪責を軽減する理由とならないとして、死刑に処したことは、死刑制度の濫用であるか、若くは量刑不当である。三、自白しなければ公訴事実を認定しえない本件において、改心して、全部を自白したから証明十分として死刑に処することは、否認を有利とするものであつて、公平の観念に反し、刑事政策上も妥当でない」と記載しているから、当裁判所は、これらに対して次のように判断をする。

弁護人松本包寿の控訴趣意について

一、所論は、原審において被告人に対し死刑を科したのは、苛酷にすぎると述べ、その理由として第一に、被告人は現在、全く改悛し一切の物欲、生命欲を捨て去り、被害者村越吉展の冥福を祈願し、仏の心境に達しているが、刑の目的は犯人の改過遷善にある以上、被告人に対して更に刑を加えずとも、教育刑の目的は達せられているので、死刑を科する必要はないこと、第二に、被告人の所為は、悪質かつ重大な犯罪であるが、これを犯すに至つた最大の原因は、被告人が少年時代跛になつたこと、そして被告人を取巻く周囲の人々及び社会状況が被告人を傷めつけたりなどして、自暴自棄にさせたことにあるから、犯情は大いに憫諒されるべきであるのに、原審のこの点に対する理解が不充分であることを挙げているのである。

二、まず第一の所論について検討する。

記録及び証拠物を検討し、かつ当審の事実取調の結果をも斟酌するとき、被告人は原審公判で公訴事実を認め、罪の償いとして刑に服したいと述べたこと、このような心境になつた経緯として、被告人は、昭和三八年三月の犯行直後の同年五月、容疑者として取調をうけたが、頑強に否認して釈放されたものの日々を良心の苛責に苦しめられて送つているうち、別件の確定判決によつて、昭和三九年四月より前橋刑務所で服役するに至つたが、刑務所内で宗教家の講演をきいたり、経文、仏典に親しむなどして自己の犯した罪の深さを痛感し、一旦は自殺により苦しみを逃れようと決意したが、どうせ死を選ぶならばすべてを告白し、死する前にただの一時なりとも、人間本来の姿に立ちかえり、法の裁きをうけて、被害者、その家族、また一般社会にお詑びをして償いをしたい気持から、担当取調官の尋問に対し進んで、被害者吉展の死体を寺院の墓石の石室内に隠匿したことなど一切の事実を自白し、急転直下に事件を解決に導いたこと、原審の死刑判決に対して被告人本人は不服の念をもたず、原審弁護人が控訴して、事件は当審に係属したこと、当審においても、被告人は朝夕、被害者の冥福を祈り、たとえこの罪を匿しおおせて、五〇年、一〇〇年と生き長らえたとしても、現在のような心の安らぎは到底得られないと訴え、平静な心の用意を整え、裁きを持つ心境に達していることを認めうるのである。

以上のように被告人の改悛は、真底からのものであつて、自己の刑の軽からんことを願い、わざと改悛を示す偽装的なものでないことは明かであるが、後述のごとき天人ともに許さざる大罪を犯したものが、このように人間性を再生復活し、贖罪を望んでいることは、人間の心情の尊貴さを覚えさせるものである。

もし所論のごとく、極端な特別予防主義を採れば、再び罪を犯す虞れのないであろう被告人を罰することは不必要であろうが、本来、一般予防も特別予防も共に社会の感情を破らない程度において行われることが必要であり、量刑にあつては両者の調和、即ち犯人、被害者、一般人を人格者として取扱う正義性の調和を見出さねばならない以上、所論をそのまま採用する訳にはいかないのである。

刑法改正準備会発表の昭和三六年「改正刑法準備草案」四七条一、二項が「刑は犯人の責任に応じて量定しなければならない」、「刑の適用においては犯人の年齢、性格、経歴及び環境犯罪の動機、方法、結果及び社会的影響並びに犯罪後における犯人の態度を考慮し、犯罪の抑制及び犯人の改善更生に役立つことを目的としなければならない」と定めているのも、量刑の各要素を綜合勘案して、一般予防、特別予防の調和を図ることを要請しているのであり、被告人の改悛の情も、右の「犯罪後における犯人の態度」として考慮されなければならないことは当然であるが、所論のごとく、このことのみを強調し、量刑における他の要素を考慮しないのは不当であり、許されないのである。

三、次に第二の所論は、被告人が少年時代、跛になり、周囲の環境が同人を傷めつけたりなどして、自暴自棄にさせて、本件犯罪に導いたというのであるが、このような事情があれば、「改正刑法準備草案」四七条二項にいう、被告人の「性格、経歴及び環境、犯罪の動機」として量刑の要素を形ちづくるのであるが、原審がこの点を充分に理解していたかどうかを考察する。

記録及び証拠物を検討するのに、原審の認定したように、被告人は、本籍地で貧農の五男として生まれたが、同地の国民学校四年生の頃、下肢骨髄炎を患つたのがもとで、左右の股関節及び右足首の機能を損ない、以来、正常な歩行が不自由となり、いわゆる跛となり、学校も二年遅れて卒業したこと、昭和二四年一〇月仙台市の宮城身体障害者職業訓練所に入所して、一年半時計修理の技術を習得した後、仙台市、平市などの時計店に働いていたが、その間窃盗罪を犯して服役後、東京都内の時計店に雇われ、月二万四千円位の給料をうるかたわら、個人で時計類の売買などをして、収入をえていたこと、なお被告人は、飲酒を好み、殊に昭和三七年春都内荒川区荒川一丁目三一番地飲食店「清香」の経営者成田キヨ子に馴染んで以来、飲酒代もかさみ、他方知人に時計を持ち逃げされていたことなどによる損失もあつて、次第に金銭に窮し、このため修理に預つた時計を勝手に処分し、或は仕入れた時計類の代金支払を滯るなどして負債を重ねたが、二、三の債権者から強硬に返済を迫られ、金策のため、昭和三八年三月二七日、郷里の福島県石川郡石川町に帰つたこと、しかし金策の当てもなく、やむなく野宿しながら、同町やその近郷で盗みを企てたものの、失敗し、結局金策ができないまま、同月三一日午後二時頃国電上野駅に着いたが、小心な被告人は金策ができないことを苦慮した挙句、幼児を誘拐して、その親から多額の身代金を獲得し、一挙に窮境を打開しようと企図し、実行の機会を窺いながら、同日午後五時すぎ頃、上野公園から徒歩で浅草方面に向い、間もなく午後五時四五分頃、都内台東区入谷町三七二~五番地の台東区立入谷南公園を通りかかつた際、被害者の村越吉展(昭和三三年四月一七日生)を見かけて、遂に本件犯行に及んだこと、また被告人の知能は普通の段階に属し、性格は、偏向固執的、自己中心的で情緒安定性及び刺戟に対する抑制抵抗力が乏しく、爆発的即行的に無情冷酷な行動に及ぶ傾向をもち、情操面でも、粗野野性的で、自恣的な欲求追求性があり、これらによつて形成される被告人の人格特徴は、いわゆる性格偏倚があるものに属することを認めうるのである。

以上のような被告人の経歴、環境、犯行の動機と被告人の性格とを対比考察するとき、性格の偏倚性が、多分に、少年時代に跛になつたこと、その後の経歴、環境と関連性をもつことは容認しなければならないが、性格の醸成を、これらのすべてに帰せしめるのは不当であり、被告人はこれらの環境の中にあつても、自由な意思をもつており、努力をすれば、正常な人間として立ち直りうる素質はあつたことを推認しうるのである。

そして原判決も「被告人は、幼児より恵まれない環境に育ち一〇才余にして不具者となり、社会に出てからも再三、病気するなど、不遇な生活歴の持主であり、これら諸条件の複合により、その性格偏倚が形成され、本件のような大罪を犯す心理的源泉となつたことは、被告人にも同情すべき一面があるといえる」と説示して、充分に環境と被告人の性格形成との関係に考慮を加え、量刑の一資料としていることが明かであるから、原判決には所論の主張するごとき違法ないし不当は存しないのである。

四、進んで本件犯行の罪質、態様、被害状況、本件犯行の社会的影響など量刑の資料となるべき情状を考察するのに、原判決の説示のごとく、(一)、被告人が幼児を誘拐して身代金の入手を図つた動機は、数人の債権者に対する負債の返済に窮したことにあつて、小心な被告人は、債権者の追求を極度に恐れていたが、この負債の相当部分は、自らの放縦な生活に基因すること(二)、被告人は、昭和三八年三月三一日午後五時四五分頃、前示の入谷南公園を通りかかつた際、同所で遊ぶ村越吉展を誘い、同日午後八時すぎ、都内台東区南千住六丁目二四番地の曹洞宗円通寺の墓地内に至つたが、吉展が、人なつこく、終始被告人を信じて、そのいうままになり、遂には被告人の腕に抱かれてあどけなく眠つたが、被告人は身代金を安全容易に入手するため、拐取後わずかに三時間たらずの後に、これを殺害し、死体を墓の石室内に押しこんで隠匿したものであつて、残忍無慈悲の極に達していること、(三)、更に被告人は、吉展の両親の憂慮に乗じて、同家に対し八回に亘り電話をかけ吉展が恰も生存しているごとく装つて身代金を要求し、同年四月七日午前一時すぎ、五〇万円を取得して目的を達したが、その犯行をみると、吉展の殺害後であるにもかかわらず、平然として電話による脅迫を反覆し、電話の際は、わざと声の調子をかえ、受話器に指紋が残らないように用心し、また身代金入手にあたつては親の子を思う情愛を利用して巧妙機敏な方法を用いたほか、警察の動静を探るなど、喝取方法は極めて執拗、慎重、かつ狡猾であること、(四)、他方、被害状況としては殺害された吉展は、村越家の長男として、一家の寵愛をあつめ、健康で明るく、人なつこい性格の幼児であつたのに、僅か五歳たらずにして、なんの罪科もなく生を奪われ、白骨同然となるまで墓の石室内に遺棄放置されたのであるし、また両親は、最愛の吾児を誘拐され、多額の身代金まで奪われながら、その後昭和四〇年七月、被告人の自白により死体が発見されるまで、二年余の長きに亘り、同児の生死すら判明せず、その間堪えがたい憂慮と心痛の日々を過ごしたこと、(五)、本件のごとく、幼児を誘拐し、近親者がその安否を憂慮するのに乗じて多額の身代金を要求する犯行は、伝播性、模倣性をもつているので(被告人も本件犯行を思い立つについて、幼児誘拐をテーマとした映画「天国と地獄」に示唆をうけている)、相当の処罰を加えて、一般警戒を与える必要があることなどを考慮するとき、被告人の罪責は誠に重かつ大といわねばならず、前掲二、三で述べたごとく、被告人の改悛の情の顕著なこと、被告人の不遇な生活歴が、その生活に偏倚を生ぜしめ、本件犯行の心理的源泉となつたことを充分に斟酌するとしても、また死刑の適用は、特に慎重でなければならないことを念慮しながらも、原審の死刑はやむを得ないものであつて、苛酷にすぎることはないから、論旨は理由がない。

原審弁護人小松不二雄、同土屋公献が差し出した控訴申立書の理由記載の一、二について

所論に対する判断は、弁護人松本包寿の控訴趣意に対する判断と同一であるので、これを引用するものであり、原審の量刑は、前示説示のように、復讐と威嚇に重点をおいたものでなくまた改悛の情が顕著なことは、被告人に有利な情状として、罪責を軽減せしめるものではあるが、本件の場合、被告人に不利な量刑の情状が余りに強く大きいため、万やむをえず死刑判決を容認するものであり、論旨はいずれも法令違反の前提に欠き採用できない。

同三について

記録を検討するのに、被告人が本件捜査当時主張していたアリバイが曖昧であつたこと、被告人は、本件犯行後、莫大な金員をもつていたが、その金の出所が不明であつたこと、被害者方にかかつた電話の声が被告人の声によく似ていたことなどのため、被告人は有力な容疑者として取調べられてはいたが、被告人が進んで被害者の死体を隠匿した場所を含めて一切の事実を自白したため、急転直下に事件が解決したこと、被告人は原審でも前示のごとく任意の自白をして原審はこの自白のほかに補強証拠を掲げて有罪の認定をしたことが明かである。

ところで現行の刑事訴訟法は、被告人が、自由な意思により、かつ自己の責任において自白するか否認ないし黙秘するかを決定し、検察官の立証活動も、被告人の自白、否認ないし黙秘の差によつて異なつた訴訟形態をとることを予定しているところ、被告人が原審で公訴事実を認めたために原審訴訟記録に現われている訴訟経過を辿つて審理は終結したのであつて、何ら不当の点はなく、しかも前説示のごとく、原審は、被告人が改悛をして自白した点をも充分に斟酌して、死刑判決をしたものであるから、所論のごとき非難は当らず、論旨は理由がない。

よつて本件控訴は理由がないから、刑事訴訟法第三九六条により本件控訴を棄却し、なお当審の訴訟費用は、刑事訴訟法第一八一条第一項但書に従い、その全部を被告人に負担させないこととして、主文のように判決をする。

(裁判官 白河六郎 河本文夫 藤野英一)

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