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東京高等裁判所 昭和40年(行コ)44号 判決 1968年8月29日

控訴人 宮川洋治

右訴訟代理人弁護士 近藤忠孝

同 西村昭

被控訴人 長野県

右代表者知事 西沢権一郎

右訴訟代理人弁護士 宮沢増三郎

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決を取消す。控訴人が長野県警部補たる身分を有することを確認する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張および証拠関係は、左記のほか原判決事実欄記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

一、被控訴人は当審において本案前の抗弁を撤回したから原判決事実摘示中右抗弁(原判決五枚目裏五行目から同六枚目裏八行目まで)およびこれに対する控訴人の主張(同四枚目裏四行目から同七行目まで)を除く。

二、控訴人は本訴請求の原因につき次のとおり付加主張した。

昭和二三年五月六日長野市警察長島田正美が控訴人に対してなした本件懲戒免官処分は、懲戒委員会を適法に開催することなくなされ、また辞令の交付もないもので、手続上重大な瑕疵があり、違法無効のものである。すなわち、進駐軍の査察についての控訴人の事前通報が進駐軍長野地区憲兵隊の知るところとなるや、島田警察長は速やかに控訴人を厳重処分に付さなければ累が自分に及ぶ結果となるものと考え、急拠市警察職員で懲戒委員でもあった小平次席、日詰警部補と協議し、内内控訴人を懲戒免官とすることによって右事態を切り抜けようとした。しかし、当時警察職員懲戒委員会については委員の正式任命がなされていたとは認められず、たとい任命されていたとしても署外の民間懲戒委員には懲戒委員会開催の通知をしていない。従って右の島田警察長、小平次席、日詰警部補らの協議をもって適法な懲戒委員会の開催ということはできない。また、事件発生後自宅で謹慎待機していた控訴人に対し、懲戒委員会への出席が要請されたことはなく、懲戒免官処分の辞令の交付もなかったのである。

三、被控訴人は従前の答弁に次のとおり付加した。

昭和二三年五月六日当時、長野市警察職員懲戒委員会の委員五名は既に任命されており、本件懲戒委員会は既述の三名により適法に開かれたのである。また、控訴人が同委員会に出席しなかったことは委員会の決議の効力に影響を及ぼすものではない。なお辞令は右五月六日に署長室において島田警察長から控訴人に直接交付されている。

四、証拠関係≪省略≫

理由

一、控訴人が昭和九年五月一日長野県巡査を拝命後、昭和一九年三月三〇日同巡査部長、昭和二二年一一月一九日同警部補となり、昭和二三年三月七日旧警察法(昭和二二年法律第一九六号)の施行に伴い、長野市警察警部補となり、爾来長野市警察防犯統計課主任の職にあったこと、しかるところ、昭和二三年五月一日に聯合国占領軍長野軍政部の指示で行われた長野県国家地方警察による長野市内の生鮮食料品、魚介類取扱業者に対する臨検査察を控訴人が同統計課員の大沢一郎巡査に命じて事前に業者に漏洩したという理由で、同月六日当時の長野市警察長島田正美は控訴人を懲戒免官処分に付したこと、右処分は旧警察法第五〇条に基づいて制定された長野市警察職員の任免、分限、服務、懲戒、給与条例(昭和二三年長野市告示第二〇号。以下単に「市条例」というときはこれを指す。)第一条所定の「従前の例」として行なわれていた官吏懲戒令(昭和二一年四月一日勅令第一九三号)第二条に該当するものとして行なわれたものであることは、いずれも当事者間に争いがない。

二、市条例が無効であるとの主張について

控訴人は、本件懲戒処分の根拠規定である市条例は、旧警察法第五〇条第一項により、同法附則第四条で当時既に施行されていたものとみなされる国家公務員法(昭和二二年法律第一二〇号)の精神に則って定められるべきであったにもかかわらず、同条例は専ら官吏懲戒令を踏襲し、懲戒処分の種類、基準において国家公務員法と異なり、また懲戒処分に対する不服申立手続に関する規定を欠いていたから無効であると主張する。よって検討すると、

(一)  成立に争いのない甲第一号証により、右市条例の懲戒に関する規定部分をみると、同条例は、長野市警察員の懲戒処分につき、処分権者(第二条、第一〇条)並びに官吏懲戒令による懲戒委員会の職務を行うための警察職員懲戒委員会の設置、その組織、委員の任命および委員会の運営手続(第一一条)に関し規定するほか、人事委員会規則施行並びに地方財政確立に至るまでの間、なお従前の長野警察部職員の例による、従前の例によることのできない部分については警察長は長野市警察の組織に適合するように運用する(第一条)こととなっていたことが認められる。そして、前記争いのない事実および≪証拠省略≫によれば、懲戒処分の事由および種類についての従前の例とは、官吏懲戒令の定めるところであったと認められ、同令は官吏が懲戒を受くべき場合として「一、職務上ノ義務ニ違背シ又ハ職務ヲ怠リタルトキ二、職務ノ内外ヲ問ハス官職上ノ威厳又ハ信用ヲ失フヘキ所為アリタルトキ」(第二条)と、また懲戒処分の種類として「一、免官二、減俸三、譴責」(第三条)と定めていた。

(二)  そこで、右の市条例および官吏懲戒令の規定するところと当時既に公布されていた前記国家公務員法の規定とを懲戒の事由、種類に関して対比すると、後者は懲戒の種類につき前者が定める「免官、減俸、譴責」に相当する「免職、減給、戒告」の外なお「停職」を認め、懲戒事由についても前者の第二条一号と同旨の事由の外国家公務員法所定の服務規律違反や国民全体の奉仕者たるにふさわしくない非行を挙げている等文言上や理念の相違を否定はできないが、その差異は、処分権者である警察長が官吏懲戒令の前記諸規定を国家公務員法の精神に則って解釈運用することに支障を来たす程のものとは認められないから、この点においては、市条例の定めるところが国家公務員法の精神に則っていなかったとの控訴人の非難は当を得ないものである。

(三)  また、市条例や官吏懲戒令には、国家公務員法第八九条以下に定めるような不利益処分に関する審査についての規定(処分説明書の交付や審査請求及びこれに基づく調査等)を欠いていたのは事実であって、この点において、市条例は懲戒処分を受けた者に対し国家公務員法と同一内容の救済手段を与えていたものということはできないけれども、元来不利益処分の客観的妥当性を保障する制度としては、不利益処分の事前審査制度と事後審査制度が考えられ、官吏懲戒令によって認められていた懲戒委員会による審査は前者に属し、国家公務員法は後者を採用するに至ったものであるが、いずれも同一目的に奉仕する制度であること、また日本国憲法の施行に伴う民事訴訟法の応急的措置に関する法律(昭和二二年法律第七五号、第一九八号、昭和二三年法律第一〇号、第一四九号により一部改正)第八条または行政事件訴訟特例法(昭和二三年法律第八一号)により、右市条例に基づく懲戒処分の取消、変更等を求める行政訴訟の提起が可能であったことおよび右市条例が制定告示された昭和二三年当時は、終戦後の公務員制度、地方自治制度の大幅な変革の時期に当り、特に地方公務員制度に関しては、右変革に伴う法律整備が遅れ、都道府県吏員についても地方自治法および同法施行規程により官吏懲戒令が準用されていた等の諸事情を勘案すれば、右市条例が国家公務員法の不利益処分についての不服申立及びその審査に関する規程を設けていなかったからといって、旧警察法第五〇条に反し、国家公務員法の精神に則っていなかったものというのは相当でない。

(四)  よって、国家公務員法の精神に反する市条例は無効でこれに基づく本件懲戒処分も無効であるとの控訴人の主張は採用できない。

三、本件懲戒処分事由の不存在ないし処分苛酷の主張について

前記の当事者間に争いない事実のほか、≪証拠省略≫によれば、前記のとおり長野市警部補として同警察防犯統計課主任の職にあった控訴人は、昭和二三年五月一日朝長野県国家地方警察上水内地区警察署経済統計副主任平賀昇から、長野軍政部の指示により同日国警県本部防犯統計課が上水内地区署員の応援を得て長野市内の生鮮食料品、魚介類取扱業者の取締り(臨検)を行うことを知らされたので、直ちに、控訴人と同じ課に勤務する大沢一郎巡査に対し、市内の冷蔵庫保有の右業者に進駐軍による冷蔵庫の臨検があるから衛生に注意するよう電話連絡することを命じたこと、同巡査は右命令に従って同市居町「みすず豆腐」古牧園ほか数軒の業者に対し右の趣旨の電話をしたところ、右「みすず豆腐」店宛に連絡した際、たまたま右取締りのため同店に立寄った上水内地区署員がその電話に出たことより、右の事前通報の事実が長野軍政部アームストロング中尉および長野地区憲兵隊長ストラットン少佐の知るところとなり、同少佐より長野県警察長および長野市警察長に宛て右の通報をなした者を処分するよう指示があったことを認めることができる。右認定を左右するに足る証拠はない。そして控訴人に対する本件懲戒免官処分の事由が、控訴人において大沢巡査に命じて右通報をさせたことにあることは、前記のように当事者間に争いがない。

右のように、昭和二三年五月一日の生鮮食料品、魚介類取扱業者に対する取締りは、当時統制経済下にあったこれら物品に対し国警県本部が長野軍政部の指示により上水内地区署員の応援を得て行ったもので、控訴人が属していた自治体警察である長野市警察の行ったものではないが、国家地方警察と自治体警察の相互協力関係(旧警察法第五四条ないし第五六条)に鑑み、同一地区の長野市警察職員である控訴人にとっても、右取締りに協力しこれを実効あらしめることはその職務であったというべきであるから、右取締りのあることを事前に業者に通報し、その実効を妨げる措置に及んだ控訴人の所為は、控訴人の職務上の義務に違背したものといわねばならない。

控訴人は、当時進駐軍の行なう臨検については、業者との間の問題発生を避けるため、業者に対し右臨検のあることを事前に通報するのが通例であった旨陳弁するが、原審及び当審における控訴人本人の尋問の結果中右と同旨の部分は、≪証拠省略≫に照らし措置できず、他に控訴人主張のごとき慣例のあったことを認めるに足る証拠はない。

そうしてみれば、控訴人が大沢巡査に命じて前記取締りを事前通報させたことをもって官吏懲戒令所定の懲戒事由に該当するとしてなした本件懲戒免官処分に、控訴人主張のように処分事由不存在の違法があったものと認めることはできない。

また、右のように控訴人につき懲戒事由たる職務上の義務違背が認められ、右違背の内容が前記認定のごときものであってみれば、これに対し免官処分をすることが社会観念上著しく妥当を欠くものとは認められないから、控訴人に対する本件懲戒処分として免官処分を選ぶかどうかは懲戒権者の裁量により決せられるべき事項というべく、それが苛酷であるか否かにより処分自体の効力を左右するものとは解されない。

よって、本件免官処分が苛酷であるとの理由でその無効をいう控訴人の主張も理由がない。

四、懲戒手続に関する瑕疵の主張について

控訴人は、本件懲戒処分には市条例、官吏懲戒令に従って適法に懲戒委員会が開かれなかった違法ないし処分書たる辞令不交付の違法があるから、本件懲戒免官処分は無効である旨主張する。

そこで、本件懲戒免官処分に至る経過についてみると、≪証拠省略≫を総合すれば、前記のように、長野市警察長であって控訴人の直属上官であった島田正美は昭和二三年五月一日長野軍政部および長野地区憲兵隊長より取締りの事前通報者があった旨の連絡を受けるや、同日控訴人および大沢巡査を呼び出し、右事前通報に関する事情を聴取したうえ、控訴人に対し執務を止めて、自宅で謹慎し、処分の結果について新聞をみているようにと申し渡し、なお、とりあえず辞職願を提出するよう勧奨したこと、控訴人は島田警察長の言に従い、拳銃、警棒などの貸与品を返却するとともに辞職願を提出し、以後自宅において謹慎していたこと、市条例に基づき長野市警察職員の任命権者兼懲戒権者であり、かつ懲戒委員長に任命されていた島田警察長は、さらに真相究明に当った結果、懲戒事由に当るべき行為があったものと考え、同月六日市条例に基づく警察職員懲戒委員会を招集したこと、同日市警察署長室に右島田正美の外当時既に任命されていた懲戒委員である小平武平、日詰尚の三名(市条例による同会議の定足数を超える人数)が参集して、審議の結果、控訴人の懲戒免官処分を相当との議決に達したこと、島田警察長は右懲戒委員会の議決に基づいて、同日ごろ控訴人を前記取締りの事前通報の事由により懲戒免官に付する旨決定し直ちに長野県警本部、長野軍政部等関係諸機関にその旨連絡するとともに、同日中ないしはその後これに近接した日時に控訴人を長野市警察署長室に呼び出して控訴人に対し懲戒免官の旨を記載した辞令を交付し右処分の結果を告知したこと、同月八日ごろには、信濃毎日新聞等に控訴人が懲戒免官処分に付された旨の報道が掲載されたことをそれぞれ認めることができる。

もっとも、控訴人に対し辞令を交付して処分の告知があったことについては、これを否定する原審および当審における控訴人本人の尋問の結果があり、また≪証拠省略≫は、右処分告知の日時等に関し詳細な点で一致を欠きあるいは不明確なところもあるが、それらの供述は控訴人に対する懲戒委員会の決議があった当時島田警察長から控訴人に対し辞令の交付がなされたとする点では概ね一致しており、その外、原審における証人大沢一郎の証言、就中同年五月一日の事件発生の数日後、大沢巡査が署長室附近で控訴人と出会い、控訴人から「君はしっかりやってくれ」と話しかけられた旨の部分を併せ勘案すれば、原審及び当審における控訴人本人の尋問の結果中の前記部分は措信できず、右認定のように懲戒委員会の決議がなされた日時に近接した時点において控訴人に対し本件懲戒免官処分が辞令の交付により告知されたものと認めるのが相当である。なお、右懲戒委員会の議事の内容を記載した議事録が現在証拠として顕出されていないことも、前掲各証拠に対比すれば、懲戒委員会が開催されたとする右認定を妨げるものではない。他に前記各認定を左右するに足る証拠はない。

右認定に反し、右懲戒委員会における委員の任命は未だなされていなかったとか、懲戒委員に対する招集通知がなかったとか、辞令の交付がなかったという控訴人の主張はいずれも採用できない。また官吏懲戒令の規定によれば、懲戒委員会の審査を要求するには、本属長官より証憑を具へ書面を以て懲戒委員会に対しなすことになっていたことは控訴人の主張のとおりであるが、右のように控訴人の本属長官であり且つ長野市警察職員懲戒委員長であった島田警察長の招集により懲戒委員会が開催され、その議決に基づいて懲戒権者である同警察長により本件懲戒処分がなされたものと認められる以上、他に格別の事情がない限り、右官吏懲戒令の規定に従った適式な審査要求があったものと推定され、右推定を左右するに足る事情の存在は認められないから、右の適式な審査要求がなかったとの控訴人の主張も理由がない。また、控訴人は、右懲戒委員会は控訴人に対し出頭を求め、その弁明を聞くこともしなかったと主張するが、官吏懲戒令第三〇条第二項は委員会は必要と認める場合において本人の出頭を命ずることを得る旨規定しているのであって、控訴人に出頭を命じその弁明を聞くか否かは同委員会の裁量に委ねられていたものと解せられ、かつ前記事実関係のもとでは控訴人に対し懲戒委員会への出頭を命じなかったことが、著しく妥当を欠くものとは認められないから、この点も右懲戒委員会の決議の効力を左右するものではなく、控訴人の右主張は採用できない。

結局、本件懲戒免官の手続に違法があるとして控訴人の主張するところは、その主張にかかる事由が認められないか、その主張事由がもともと本件懲戒処分を無効ならしめるものということのできないものであって、すべて採用することができない。

五、以上の説示によって明らかなように、控訴人が本件懲戒処分の当然無効事由として主張するところは、いずれも理由がなく、そうしてみれば、右処分が当然無効であることを前提として、その後の制度、法令の変更により、控訴人が現在なお長野県警察警部補たる地位を有するからその確認を求めるという控訴人の本訴請求は、失当であり棄却を免れない。右と理由は異なるが本訴請求を棄却した原判決は結局正当であるから、本件控訴はこれを棄却すべきものである。

よって、民事訴訟法三八四条、九五条、八九条により、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 岸上康夫 裁判官 小野沢龍雄 大石忠生)

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