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東京高等裁判所 昭和38年(行ナ)15号 判決 1964年8月28日

原告 時岡弘

訴訟代理人 江村高行 外二名

被告 日本弁護士連合会

訴訟代理人 若林清 外二名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、「被告が昭和三七年一一月二八日付被告資格審査会の議決にもとづいてした弁護士名簿登録進達拒絶に対する異議申立棄却の処分を取り消す。被告は原告が東京弁護士会を経て被告に対してした弁護士名簿登録請求によりその登録手続をすべし。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、請求の原因として、かつ被告の主張に対して、つぎのとおり述べた。

原告は昭和二八年四月一日拓殖大学(新制)助教授に、昭和三六年五月一九日同大学教授に任命され、助教授任命以来今日まで同大学政経学部で憲法、行政法を担当してきた。

拓殖大学は大正一一年六月旧大学令による旧制大学として設置され(ただし、昭和三五年三月廃止される)、昭和二四年四月学校教育法により新制大学となり、昭和二六年四月大学院商学研究科等(修士課程)を置いた。この大学院商学研究科には、科目として、商学関係四科目、経済学関係四科目、法律学関係四科目があり、法律学関係四科目の内訳は、経済法特論、労働法特論、租税法特論、工業所有権論である。すなわち、右の大学院商学研究科は「法律学を研究する大学院」である。

したがつて、原告は弁護士法第五条第三号、弁護士法第五条第三号に規定する大学を定める法律(以下大学指定の法律という)により弁護士となる資格を有する者である。

原告は弁護士となることを希望し、昭和三五年一〇月二二日、被告日本弁護士連合会(以下日弁連という)へ進達すべき登録を請求する書面を、原告が入会しようとする東京弁護士会(以下東弁という)へ出したところ、東弁はその資格審査会の昭和三六年一一月二七日付「被審査人時岡弘の登録請求のための進達を拒絶するのを可とする」との議決にもとづき、昭和三六年一二月二二日原告に対し、右登録請求の進達を拒絶する旨通知した。原告はこれに対し、昭和三七年一月一五日被告日弁連に異議の申立をした(改正前の弁護士法第一四条)ところ、被告はその資格審査会の昭和三七年一一月二八日付「異議の申立を棄却する。」との議決にもとづき異議申立棄却の処分をし、昭和三七年一二月二三日これを原告に通知した。

しかし、被告日弁連の右の処分は、のちにも述べるとおり違法であるから、その取消しと、原告を弁護士名簿に登録すべきことを求める。

大学指定の法律にいわゆる「法律学を研究する大学院」とは、「主として法律学を研究する大学院」を指すと解釈することは、大学指定の法律に理由のない限定を加えるものである。ある大学院で一科目でも法律学を実質的に研究していればその大学院は法律学を研究する大学院といえる、と解釈しなければならない。その理由はつぎの(一)ないし(四)のとおりである。(一)司法修習生の修習を終えた者は一般法律事務には通じているのであろうが、専門の法律学には通じていないのが普通である。大学の学部等において法律学の教授又は助教授の職にあつた者は専門の法律学に精通しているのが普通である。弁護士法第五条第三号は右の後者に弁護士資格を与えることによつて同法第四条を補おうとしたのである。したがつて、右第五条第三号においては一定期間大学の学部等において法律学の教授又は助教授の職にあつたということこそ重要であり(それによつて個人の能力はわかる)、その勤務する大学を、主として法律学を研究する大学院を置く大学と、主としてではなく法律学を研究する大学院を置く大学とに分け、後者を大学指定の法律の大学から外すというようなことは無用なことである(個人の能力を判定する方法という点からみると、そんなことは意味のないことである)。(二)旧大学令による大学の学部等において法律学の教授又は助教授の職にあつた者は、法律学を研究する大学院を置く大学というような制限を受けることなく、弁護士の資格を与えられるのである。それとの均衡からいつても、主としてではなく法律学を研究する大学を、大学指定の法律の大学から外すことは、不合理な差別を設けることになるのである。(三)判事、検事の任命資格には大学院の附置されている大学において一定期間教授又は助教授の職にあつた者もはいつているが、右の大学院には「法律学を研究する大学院」というような制限はつけられていない。これとの均衡からいつても、主としてではなく法律学を研究する大学院を置く大学を大学指定の法律の大学から外し、その結果弁護士の任命資格が狭くなるような解釈にもつていくことは不当である。(四)旧制大学において一定期間法律学の教授又は助教授の職にあつた者は、その大学が法律学の講座としてはその一科目しか設けていなかつたとしても、弁護士の資格を有することになる。しかるに、もし、「法律学を研究する大学院」を被告のいうように制限的に解釈し、主としてでなく法律学を研究する(法律学を研究するが、それは主としてでない)大学を大学指定の法律の大学から除外すべきであるとすると、そのような大学の学部等において法律学の教授又は助教授の職にあつた者は、弁護士資格取得という点については、「主として法律学を研究する大学院」の附置されている大学の学部等において法律学の教授又は助教授の職にあつた者より不利な扱いを受けるのはもとより、旧制大学において法律学の教授又は助教授の職にあつた者よりも不利な扱いを受けることになる。これは弁護士たらんとする者の能力判定に何ら関係のない基準によつて差別待遇をするのであつて、不当である。したがつて、「法律学を研究する大学院」の意義がどうしても被告のいうとおりでなければならないとすると、大学指定の法律は憲法第一四条に反して無効というほかない。それよりも「法律学を研究する大学」というのは、研究科目として法律学をもち(一科目でもいい)、それを実質的に研究している大学院を指すと解すれば、全然問題がなくなる。これが正しい解釈の態度である。

以上のとおり述べた。

被告訴訟代理人は、原告の請求を棄却する旨の判決を求め、つぎのとおり答弁した。

原告主張の事実のうち、原告がその主張のとおり拓殖大学の助教授、教授に任命され、助教授に任命されて以来同大学政経学部で憲法、行政法を担当してきたこと、拓殖大学が原告主張の時期に旧大学令による旧制大学として設置され(ただし、昭和三五年三月廃止される)、原告主張の時期に学校教育法により新制大学となり、原告主張の時期に大学院商学研究科等(修士課程)を置いたこと、この大学院商学研究科の科目が原告主張のとおりであること、原告がその主張の日にその主張どおりの登録請求の書面を東弁に出したところ、東弁が原告主張どおりの資格審査会の議決にもとづき原告主張の日原告にその主張どおりの通知をしたこと、原告がこれに対しその主張のとおり被告日弁連に異議の申立をしたところ、被告日弁連が原告主張どおりの異議申立棄却の処分をし、原告主張の日これを原告に通知したことは、いずれも認めるが、右の大学院商学研究科が大学指定の法律にいわゆる「法律学を研究する大学院」にあたるという点、被告のした右異議申立棄却の処分が違法であるという点は否認する。

拓殖大学の大学院商学研究科は商学を研究する大学院であり、法律学を研究する大学院ではない。すなわち、同大学院は商学研究を目的として設けられたものであり、その科目としては商学関係の科目が四科目、経済学関係の科目が四科目、それに法律学関係の科目が四科目(その内訳は原告主張のとおり)がある。その実体は主として商学を研究するものであり、主として法律学を研究するものではない。大学指定の法律に「法律学を研究する大学院」というのは、法律学研究を目的として設けられた大学院又は主として法律学を研究する大学院を指すものと考えなければならない。大学院で研究する科目の中に一つでも法律学があれげその大学院は法律学を研究する大学院になるというようにいうのは、大学指定の法律の立法者意思にそわないのはもちろん、弁護士たるにふさわしい人を弁護士に得ようとする同法の立法精神にも反するものである。

原告のいう(一)ないし(四)は理由がないが、これに関連してなお一、二の点を指摘したい。新しい学制のもとで、従前、医学、薬学、農学等を研究目的としていた高等専門学校が多数新制大学となり、もとの師範学校すら学芸大学に昇格した。これらの大学で、例えば、医学、薬学、教育学等を研究目的とする大学院が設けられ、その研究科目に関連する法律学科目(医事法、薬事法等)が定められた場合、その大学院の法律科目の教授、助教授又は大学学部の法律科目の教授、助教授に弁護士の資格を認めなければならないことになると、他の基準に従つて弁護士資格を取得する場合に比較して、著しく均衡を失することになる。また、原告は弁護士資格は個人の能力に基礎を置かなければならないと強調するが、個人の能力の測定、比較が困難であるからこそ「主として法律学を研究する大学院」の有無を判定の基準としているのである。法律学の研究を目的とする学部と、薬学、教育学等の研究を目的とする学部とを比較すると、法律学に関する人的物的施設の点において前者がまさり、前者の法律学の教授、助教授の方がより権威があるとみられることは常識である。この考え方からすると、「法律学を研究する大学院」というのは「主として法律学を研究する大学院」のことをいうと解釈するのが妥当であることがわかるはずである。

かように述べた。

証拠関係につき、原告訴訟代理人は、甲第一号証から第三号証まで、第四号証の一、二、第五号証から第一八号証まで(ただし、甲第一三号証から第一六号証まで、第一八号証を除いては写で)を提出し、乙第一二号証が真正なものであること、その余の乙号各証の原本があり、それが真正にできたものであることを認め、乙号証全部を援用し、被告訴訟代理人は、乙第一号証の一、二、第二号証から第六号証まで、第七号証の一から三まで、第八号証から第一二号証まで(ただし、乙第一二号証を除いては写で)を提出し、甲第一三号証から第一六号証まで、第一八号証が真正にできたこと、その他の甲号各証の原本があり、それが真正にできたことを認めた。

理由

本件は弁護士法第五条第三号および大学指定の法律の問題である。

原告が五年以上拓殖大学の学部において法律学(憲法、行政法)の教授又は助教授の職にあつたこと、その拓殖大学が学校教育法による大学であることは当事者間に争いがないから、問題は、拓殖大学には「法律学を研究する大学院」が置かれているか否かにある。

この点について、原告は、「拓殖大学には昭和二六年四月大学院商学研究科(修士課程)が置かれた。この大学院商学研究科には、科目として、商学関係四科目、経済学関係四科目、法律学関係四科目があり、法律学関係四科目の内訳は、経済法特論、労働法特論、租税法特論、工業所有権論である。すなわち、この大学院商学研究科では法律学をも研究するから、この大学院は法律学を研究する大学院にあたる。」という。

これに対して被告のいうところは、「法律学を研究する大学院というのは、法律学の研究を目的とする大学院のことである。大学院で研究する科目に法律学があつても、大学院設置の目的が法律学の研究でなければ、その大学院は法律学を研究する大学院とはいえない。別な言い方をすれば、法律学を研究する大学院というのは、その実体からみて、主として法律学を研究する大学院のことである。拓殖大学院商学研究科について原告の主張する事実は認めるが、その大学院設置の目的は法律学の研究ではなく、その実体も主として法律学を研究するものでないから、右の大学院は法律学を研究する大学院とはいえない。」というのである。

当事者間に争いのない拓殖大学の大学院商学研究科の内容と弁論の全趣旨とを合わせ考えると、拓殖大学の大学院商学研究科は法律学の研究を目的として設けられたものでなく、その実体も主として法律学を研究するものでないことが認められる。結局、問題の要点は、大学院が置かれており、その大学院で一科目でも法律学を研究しておれば、その大学院は大学指定の法律にいわゆる「法律学を研究する大学院」にあたるといえるか、にある。

「法律学を研究する大学院」という文言を平明に受け取るならば、それは、その実体が法律学の研究を目的としているというに値いする大学院、あるいはその実体をみて主として法律学を研究しているといえるような大学院を指す、といえそうである。経済学を研究するのには法律学の知識を必要とする場合があり、法律学を研究するのにも経済学の援助を受けなければならない場合があるから、「法律学を研究する大学院」を、例えば「経済学を研究する大学院」から区別するには、右のようにでもいう外ないように思われる。

以上はことばの上のせんぎであり、あまり重要なことではない。つぎに実質的な検討をすることにする。

弁護士法をみると、弁護士の有資格者になるには原則として司法修習生の修習を終えることが必要であり(同法第四条)、特例として同法第五条各号該当者になることでもよい、としていることがわかる。そして、同法第五条第三号の立法理由が、五年以上一定の大学の学部等において法律学の教授又は助教授の職にあつた者は、司法修習生の修習を終えたばかりの者よりも専門の法律学に精通しているのが普通であるから、弁護士となるための特別の修習を終えなくても、なお弁護士の有資格者とするに値いする、とするにあることは、何人にもわかることであろう。

さて、新しい学制のもとにおいては、従前、医学、薬学、農学、工学等に関する高等専門学校であつた学校、はてはもとの師範学校すら大学に昇格することができることになつた(実際もそうなつたことは公知の事実である)。これらの大学の学部等において、医学、薬学、教育学等の専門科目に関連する法律科目(医事法、薬事法、教育関係法等)の教授又は助教授の職にあつた者全部に弁護士の資格を与えることは、同法第四条又は第五条の他の号との比較からいつて、適当でないので、大学にわくをはめることによつて大学の法律学の教授又は助教授の職にあつた者のうち真に弁護士資格を与えるにふさわしい者だけに弁護士の資格を与えることにしようとしたのが、大学指定の法律学の立法趣旨である、とみることができる。別な言い方をすると、大学指定の法律学は、大学の法律学の教授又は助教授であつた者の中から弁護士の資格を与えるにふさわしい者を選び出す方法として大学に格付けをしたということができる。さらにことばを加えるならば、「法律学を研究する大学院」が附置されているほどの大学であるならば、法律学研究に関する人的物的施設もととのつているのが普通であるから、そのような大学の学部等において五年以上法律学の教授又は助教授の職にあつた者は、一般的にいつて、弁護士となるにふさわしい力をもつているものとして扱うに値いするとしたのが、大学指定の法律の立法趣旨である、と理解することができる。この法律の定め方が立法技術としてできがいいものであるかという点はしばらく別として、この法律のねらいとするところはわからないことではない。

大学指定の法律の立法趣旨が以上のとおりであるとすると、同法律にいわゆる「法律学を研究する大学院」というのは、その実体が法律学の研究を目的としているというに値いする大学院又はその実体をみて主として法律学を研究しているといえるような大学院をいう、と解するのが相当である。このように解してはじめて「法律学を研究する大学院」を置いてあるかどうかという基準を設けて大学に格付けをした趣旨が貫ぬかれるのである。もし「法律学を研究する大学院」の意義が原告のいうようなものであるとすると、例えば新制薬科大学に薬学の研究を目的とする大学院が設置され、その大学院の研究科目の中に一科目だけ薬事法という法律科目が入れられた場合、その大学の大学院等において薬事法の講座を担当した教授又は助教授には弁護士の資格を認めなければならないことになる。おそらくは弁護士法第五条第三号、大学指定の法律の精神からはなれるものであろう。

原告は個人の能力判定に関係ない基準云々というが、新制大学の学部等において法律学の教授等の職にあつた者すべてを弁護士の有資格者とするわけにいかないとする以上、弁護士とするに値いする人に弁護士資格を与えることにする方法として右のような基準(個人の能力判定に全然無関係な基準であるとはいえない)を設けることもいたし方ないところといわなければならない。

以上、当裁判所のみるところを説明した。これによつて原告の提起した問題の一部にふれたわけであるが、なおふれなければならない一、二の問題が残つているので、つぎに説明をつけ加えることにする。

判事、検事に任命される資格を取得した者でも当然に判事、検事になることができるものではない。任命権者は自由な裁量にもとづいて任命資格をもつ者の中から適任者を選んで判事、検事に任命することができるのである。これに反して、弁護士になることができる資格を取得した者は、弁護士になることを希望して登録を請求すれば、法定の特別事由がない限り、登録を受けて弁護士になることができるのである。ともに資格といつても両資格の間にはちがいがあるのであるから、判事、検事の任命資格と弁護士になることができる資格とにちがつた基準を設けてもこれを不当とすることはできないのである。この点に関する原告の論義は理由のないものである。

乙第五号証、同第七号証の二と弁論の全趣旨とを合わせ考えると、立法者は旧制大学で法律学の講座を設けていたものの実体を研究したうえ、これらの大学には専門的研究を主目的にした法律学についての独立的な教授科目があるから、その学部等において教授又は助教授の職にあつた者には弁護士の資格を認めるのが相当であるとし、かつ、これと同等にみることができるものと評価して、「法律学を研究する大学院」を置く新制大学の学部等において法律学の教授又は助教授の職にあつた者にも弁護士の資格を認めるべきであるとしたものであることが認められる(したがつて、理屈としては、専門的研究を主目的とした法律学についての独立的科目一科目をもつ旧制大学の学部等においてその法律科目の教授又は助教授の職にあつた者も、例えば、労働法学の研究を目的とし、研究科目が労働法学一科目だけである大学院をもつ新制大学の学部等においてその労働法学の教授又は助教授の職にあつた者も、ともに弁護士になることができるのである)。この扱いは理由のないこととはいえないから、主として法律学を研究する大学院を置いていない大学の学部等において法律学の教授又は助教授の職にあつた者が、旧制大学の学部等において法律学の教授又は助教授の職にあつた者に比較して、不当に不利な差別扱いを受けているとはいえない。

主として法律学を研究する大学院を置いてある大学の学部等において法律学の教授等の職にあつた者と、主としてでなく法律学を研究する大学院を置いてある大学の学部等において法律学の教授等の職にあつた者とを、弁護士資格を与えるべきかという点で差別待遇することが、合理的理由があるといえないわけでないことは、さきに説明したところによつて明らかであろう。

憲法第一四条を根拠とする原告の主張も採用することができない。

以上、当裁判所の見解はほぼ被告の意見と一致するものである。甲第六号証、第一〇号証から第一三号証まで、第一八号証、乙第一〇号証中の江村高行、清水繁一両名の意見の中には当裁判所の見解に反するものがあるが、これは採用することができない。

原告の請求はほかの点を判断するまでもなく失当であるから棄却することにし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 新村義広 裁判官 市川四郎 裁判官 中田秀慧)

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