大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和33年(ネ)1010号 判決 1959年2月28日

控訴人 林信一こと 石瑞桐

被控訴人 東京入国管理事務所主任審査官

訴訟代理人 横山茂晴 外三名

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人が昭和三〇年六月一一日附で控訴人に対してなした退去強制令書の発付はこれを取り消す。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」旨の判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張及び証拠関係は、控訴代理人において、「控訴人は現在ナイロン加工業に従事しているが、右業務はその加工に当り特別な技術を要するものであり、その技術は容易に通常においては習得利用できないものである。しかるに控訴人は右技術を習得利用して右業務に従事するものであつて、これにより日本国の産業及び技術に貢献しているのである。しかも右技術はその設備と業務の性質からして日本国においてのみ利用できるものであつて日本国外においては利用できないのである。従つて控訴人がその本国に退去せしめられる場合においては、控訴人の技術は日本国より逃避し日本国に不利益を及ぼすのみならず、控訴人の生存に重大な脅威を与えることは明らかである。」と述べたほかは原判決事実摘示のとおりであるから、ここにこれを引用する。

理由

控訴人は中華民国の国籍を有するところ、昭和二四年四月頃連合国最高司令官の承認を受けないで本邦に入国したので、昭和三〇年三月東京入国管理事務所入国審査官から外国人登録令(昭和二二年勅令第二〇七号)第一六条第一項第一号に該当する者と認定されたので、直ちに特別審理官に対し口頭審理の請求をしたが、入国審査官の認定に誤りがないと判定され、さらに法務大臣に対し異議の申立をしたが右は理由がないと裁決され、ついに被控訴人(当時主任審査官は小黒俊太郎であつた。)から昭和三〇年六月一一日附をもつて右裁決にもとずく退去強制令書の発付を受けるに至つたことは当事者間に争がない。

右事実によれば控訴人は外国人登録令第一六条第一項第一号に該当する者であつてこれに対し外国人登録法(昭和二七年四月二八日法律第一二五号)附則第四項、出入国管理令第五章による退去強制手続がとられることは当然であることが明らかであるが、控訴人は控訴人には出入国管理令第五〇条第一項第三号にいわゆる「特別に在留を許可すべき事情」が存するのであるから、法務大臣は右裁決に当つてはよろしく控訴人に在留特別許可を与うべきであるにもかゝわらず、漫然異議の申立を理由なしとする裁決をなすにとどまり在留特別許可を与えなかつたのはその裁量権を濫用したものというべく、右違法な裁決に基く本件退去強制令書の発付もまた違法として取消を免れないものであると主張する。そこで調べてみると、なるほど同令第五〇条は法務大臣は本件のように裁決に当つて異議の申立が理由がないと認める場合でも「特別に在留を許可すべき事情があると認めるとき」はその者の在留を特別に許可することができる旨定めているが、もともと外国人の入国及び在留をいかに規制するかは条約等で特別の規定をしないかぎり、国際慣習上当該国家の自由裁量に任せられており、わが国において右慣習に従い外国人登録令等を制定して外国人の入国等に関して規制していたにもかかわらず、敢てこれに反してわが国に入国した外国人は元来出入国管理令の規定上退去を強制され得べきものであつて、わが国に在留することの許可を求める権利を有しないのである。かような者に対し法務大臣が特別に在留を許可することあるも右は単なる恩恵にすぎない。従つて同令第五〇条の在留特別許可は法務大臣の自由裁量事項であると認むべきである。もとより自由裁量といえどもその範囲を逸脱して放恣専断に流れることは許されないところであるが、本件にあらわれたすべての資料によるも法務大臣の本件裁決が自由裁量の範囲を逸脱しているとは認められない。すなわち成立に争のない甲第一ないし第四号証、第一〇ないし第一三号証、乙第一号証、証人豊住輝長の供述により真正に成立したと認むべき甲第六号証、原審における証人豊住輝長、松本文子、高橋本司、松本金蔵、劉命祚、および控訴人本人の各供述を総合すれば、控訴人は大正一四年六月一日台湾において台湾人石陽青、石陳金枝の長男として出生し、八才のとき両親とともに大連市に移住し、同市の伏見台小学校大連第一中学校に日本人とともに学びさらに上級学校受験準備中終戦を迎え、大連市立病院に勤務した後、昭和二三年六月母とともに台湾に引揚げたが、控訴人は中国語をよく話すことができず日常生活に不便を感じ、旧友の引揚げた日本へ渡航すればなんとかなると思い立つたけれども所定の許可を得られないので昭和二四年四月頃単身密入国したこと(密入国の事実は争がない。)控訴人は本邦入国後大連時代の学友の援助を得て東京に居住し飲食店、菓子店、パチンコ屋の手伝をしているうち、昭和二九年五月松本文子と結婚し昭和三一年一二月六日長男輝をもうけ、現在ナイロン靴下加工業を営み月二・五万ないし三万円位の収入をあげ通常の家庭生活を営んでいること、控訴人は昭和三〇年七月一二日東京地方裁判所において外国人登録令違反の罪により懲役五月罰金一万円懲役刑について三年間執行猶予の言渡を受け右罰金を完納したほか前科のないことが認められ、以上の認定を左右するに足りる証拠はない。控訴人はその習得したナイロン靴下加工技術は甚だ高度のものであつてこれにより日本国の産業技術に貢献しており、しかも右技術は日本国においてのみ利用しうべく日本国外においては利用できないものであるから控訴人は国外退去によりその生存をおびやかされる旨主張するのであるが、原審における証人劉命祚供述によるも右主張を肯認するに足らず、その他右主張を認めるに足りる証拠はない。右のような事情のもとで法務大臣が出入国管理令第五〇条第一項を適用して控訴人に在留特別許可を与えるの措置に出なくても自由裁量の濫用であるとはいえない。

以上の理由により控訴人の異議の申立に対する法務大臣の右裁決は何ら違法の点はなく、法務大臣の右裁決ある以上、被控訴人はこれに従つて控訴人に対して退去強制令書を発付する以外に裁量の余地はないのであるから、結局、右令書の発付には違法はなく、控訴人の本件請求は理由がなく棄却すべくこれと同旨の原判決を相当として本件控訴を棄却し、控訴費用の負担について民事訴訟法第八九条第九五条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 松田二郎猪俣幸一 沖野威)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例