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東京高等裁判所 昭和30年(行ナ)23号 判決 1958年6月24日

原告 アメリカ・ジンク・レツド・エンド・スメルテイング・コンパニー

被告 特許庁長官

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は、原告の負担とする。

原告のため、上告申立期間として二ケ月を附加する。

事実

第一請求の趣旨

原告訴訟代理人は、「昭和二十八年抗告審判第一六四号事件について、特許庁が昭和二十九年十月二十一日にした審決を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求めると申し立てた。

第二請求の原因

原告訴訟代理人は、請求の原因として、次のように述べた。

一、原告は昭和二十五年十月十一日、西暦千九百四十九年(昭和二十四年)十月二十八日アメリカ合衆国に対する特許出願による条約上の優先権を主張して、「含弗素廃ガスより弗素の回収法」について特許を出願したところ(昭和二十五年特許願第一三一八一号事件)、昭和二十七年十一月十八日拒絶査定を受けたので、昭和二十八年二月九日右査定に対し抗告審判を請求したが(昭和二十八年抗告審判第一六四号事件)、特許庁は昭和二十九年十月二十一日原告の抗告審判の請求は成り立たない旨の審決をなし、その謄本は同月三十日原告に送達された。(なお右審決に対する訴訟提起の期間は、昭和三十年五月二十九日まで延長された。)

二、審決の要旨は、次のとおりである。

原告の出願にかかる発明の要旨は、「含弗素廃ガスを、粉砕されたマグネシウム珪酸鉱層と接触通過せしめて、珪弗化マグネシウムを生成せしめることを特徴とする、右廃ガスより弗素の回収法」であるが、含弗素廃ガスが有害な工場廃ガスで、しかも、弗素が有用なものであり、かつ、一般の有害工場廃ガスを、ガスを吸着する団体粉末層を通して、この粉末にガスを吸着させた後、これから有用なガス成分を抽出回収することは周知であるから、含弗素廃ガスを弗素を抽出回収するに適する特態において、吸着する物質の粉末層と接触通過させた後、これから弗素を抽出回収するようなことは、化学工業上の技術常識に属する。

本件出願の発明は、上記の実施手段においてマグネシウム珪酸鉱を含弗素廃ガスの吸着剤とし、珪弗化マグネシウムを生成させるものに相当するが、マグネシウム珪酸鉱が含弗素ガス(弗化水素ガス)を吸着して珪弗化マグネシウムの生成に用いられるものであること、及びこの珪弗化マグネシウムが、水に甚だよく溶解し、ために弗素分の抽出回収に最適する形の化合物であることは、本件出願優先日以前国内に頒布せられた刊行物である。

(A) Gmelins, Handbuch der anorganischen Chemie, 8 Auflage, Systemnumber 27. Magnesium Teil B, Lieferung 3. S. 391(以下第一引用例と呼ぶ。)

(B)  特許第一三〇八一一号明細書(以下第二引用例と呼ぶ。)の記載事項から見て明らかである。

してみれば本件出願の発明は前記公知の事実に基き、発明を構成するに至らない。

三、しかしながら審決は、次の点において違法であつて、取り消されるべきものである。

(一)  審決は、本件発明の要旨の認定において、マグネシウム珪酸鉱を「粉砕されたマグネシウム珪酸鉱」と認定しているが、これは「破砕されたマグネシウム珪酸鉱」でなければならない。そのことは優先権証明書の全文を通じcrashedと記載されており、powderedと記載されていない事実及び出願明細書の実施の態様に、「例えば塔に装入する場合鉱石層の厚さは六ないし八呎、その粒子の大きさは直径一ないし二・五吋が適当である」としている事実に徴しても明白である。

(二) 審決は、含弗素ガスを吸着物質の粉末層を接触通過させた後、これから弗素を抽出回収することは、化学工業上の技術常識に属するとしているが、このことについては何等の証拠も示さず、かつ右は真実ではない。右の断定がいかに根拠のないものであるかは、米国雑誌Industrial and Engineering Chemistry 1955年2月号(甲第一号証)に、「燐酸工場における煙突ガスから弗素を除くために現在使用されている方法は、廃ガスを噴霧水と向流接触させて得られる弗化水素を石灰床中に通じて中和し、これを廃水池に放流するにある。」旨が記載されていることによつても明らかで、当時における真の「技術常識」はこの程度に止まる。本件の方法(「マツキンタイヤの方法」と呼ばれる。)が報告に値する新規有用な、常識以上の方法として、技術界に認められていることは、同誌の記載によつても明白である。

従来慣用されていた弗素回収法は、含弗素廃ガスを塩化ナトリウム又は他のナトリウム塩の溶液に通じ、以て弗素を弗化ナトリウム又は珪弗化ナトリウムとして「塩析」するにあつて、最近にいたりコライト状石灰石の使用が提案されるまで、含弗素廃ガスの吸収剤として回形材料を使用したことはない。この点に関し通常の石灰石は有効な吸収剤ではないことは注目されなければならない。そして比較的多孔質のコライト状石灰石は満足すべき効果を奏するけれども破砕石灰石の床は絶えず攪拌されて、生成される弗化カルシウムの被覆を脱落させ、新しい石灰石の表面を露出させなければならない。弗化カルシウム形成法は、ある大企業において利用されているが、この方法は、廃ガスを噴霧水と向流接触させてできた弗化水素酸を、水酸化カルシウムと接触通過させて中和するにある。

以上二つの方法のいずれにおいても、結果は弗化カルシウムと炭酸カルシウムとの低級混合物(第一法)であるか、または弗化カルシウム、水酸化カルシウム及び炭酸カルシウムの混合物(第二法)である。

(三)  審決がマグネシウム珪酸鉱が含弗素ガスを吸収して、珪弗化マグネシウムの生成に用いられることが、前記第一及び第二引用例に記載されているとしたことは、全然事実に反する、第一引用例においては、H2SiF6ガスが珪酸マグネシウムの熱水溶液と反応して珪弗化マグネシウムを形成する旨が記載され、また第二引用例においては、螢石CaF2が硫酸の存在において加熱されてHF及びSiF4を生成し、これらのガスは、弗化マグネシウム、マグネシヤ又は炭酸マグネシウムを含む塔に通されるのであつていずれの場合においても、本件発明において処理されるような含弗素廃ガスを処理するものではないのみならず、固形粉砕珪酸マグネシウムを吸収出発材料として使用しているものでもない。

第一引用例に記載されたH2SiF6は、ガスではなく、水溶液の状態で使用されるのが常態である。すなわち第一引用例における反応は、液と液との反応であるのに対し、本件発明におけるそれは、ガスの固体への反応吸収である。

また第二引用例に記載されている弗化水素酸製造法には螢石が二度使用される。最初の螢石は濃硫酸で分解して目的の弗化水素ガス(弗化珪素ガスSiF4が夾雑する。)を発生させるためのものであり、本件発明の破砕マグネシウム珪酸鉱と比較すべき筋合のものではない。精製のために夾雑弗化珪素を弗化マグネシウムMgF2(弗化水素と作用してこれを生ずるマグネシアすなわち酸化マグネシウム、炭酸マグネシウム等は、結局弗化マグネシウムを使用するのと同等であるから、別に論ずる必要はない。)と化合せしめて、珪弗化マグネシウムMgSiF6に変化せしめる際に使用される螢石粉(粉砕物であることは、実施例に徴し明白である)は、ガスとガスとの化合を物理的に補助するために使用される接触補助剤に過ぎず、或は中和剤に過ぎないことは、明細書の記載から明白である。

してみればこの場合の反応は、

SiF4+MgF2→MgSiF6

に外ならず、本件出願明細書に記載する基本的化学反応とは全く異るものである。

更に第一引用例には、珪弗化マグネシウムMgSiF66H2の生成及び製法を、「珪酸マグネシウム(ヒユマイト、コンドロダイト)の熱溶液のH2SiF6との化合で生成……」と記載しており、右珪酸マグネシウムは、ヒユマイト、コンドロダイトすなわち弗素を含む塩基性珪酸マグネシウム2Mg2SiO・Mg(F.OH)2であり、本件発明において使用されるマグネシウム珪酸鉱ではなく、またその均等物でもない。

これに対し本件発明の弗素回収法は、マグネシウム珪酸鉱(橄攪石、蛇紋石、凍石等)を一ないし二・五吋程度の破砕物として層状に装填し、含弗素廃ガスを導通するものであり、その破砕物表面のマグネシウム珪弗素酸塩MgSiF6化されるに従つて、滴下水で浸出し回収するものである。

これを要するに特殊な塩基性珪酸塩の熱溶液と珪酸塩鉱の破砕物層とは、反応せしめる態様を顧著に異にするものであり、審決が第一引用例の断片的辞句から、本件発明の工業的方法が容易に推考し得るものと認定することは失当であり、経験則に違背するものである。

しかもこの第一引用例のようなハンドプーフすなわち便覧に記載されている断片的文句は、MgSiF6なるマグネシウム塩が、その遊離酸H2SiF6から生成され、製造されるというだけの記事に過ぎず、酸と塩との関係を示す当然自明の事柄である。

なお本件発明は種々の複雑な反応に基くものであるが、就中数種の反応を示すものとして、三場合の反応式を例示してある。第一引用例の便覧中の文句は、第二及び第三の反応式には全然無関係である。

(四)  弗素含有廃ガスを発生する諸工業において、マグネシウム珪酸鉱を使用した事実は、未だ嘗てない。これはアルミニウム工業においても、肥料工業においても、燐製造工場においても真である。永年の間諸工業は、含弗素廃ガスの処理を、ナトリウム塩との反応に依存し、カルシウム及びナトリウム化合物の使用に終始した。中和剤として水酸化カルシウムを使用する場合には、結果はカルシウム及び弗素の喪失に他ならない。しかるに本件発明によれば、吸収された弗素及び回収の役を受け持つマグネシウムは、完全に回収されるのみならず、珪素質残渣は、絶縁材料として有用である。審決記載の第一及び第二引用例にはもちろん他のいかなる文献においても、マグネシウム珪酸鉱を本件発明のように使用する提案ないし示唆は発見されない。

審決は、本件出願の発明の内容を知悉して了つた後において、前記第一及び第二引用例の片言隻句を捉えて、これに擬し、以て自からいわゆる「爾後発明」を「容易に」組み立てたものであつて、本件発明が、斯界において未だ曾て何人にも達成されなかつた新規有用な工業的効果すなわち含弗素廃ガスよりの弗素の完全回収(このこと自体が何人も希望することであるのは、審決の認めるとおりであるのにかかわらず、本件発明以前においては、何人も達成し得なかつたところである。)を達成した事実を無視して、軽卒に本件発明の新規性を否定した点は明らかに違法である。

(五)  被告代理人は、本件発明の場合も、第一引用例の場合もひとしく水分の存在のもとに反応させるものであり、珪弗化マグネシウムを生成する反応機構において、両者間に本質的な差異はないと主張するが、斯様な考え方では、原理的に新規性がなければ、新規な工業的発明ではないということになる。化学反応自体、反応機構自体の新規性の有無は、「発見」の問題であり、既知の化学反応、反応機構を工業に巧妙に効果的に利用することの新規性の有無が、「発明」である。

本件発明は前記(一)で明らかにしたように、「粉砕」されたものでなく、「破砕」されたものを使用するのである。発明の独創と事後の批評との間には、著しい難易の懸隔がある。「当該技術者が諸条件を勘案して適宜に採択し得る。)となすならば、正当には特許されるべき大部分の発明が、この概念で不当に葬り去られる。液状で使用せず、固状でしかも破砕状態で利用する点に、本件発明の方法の一重要特徴が存する。液状では含弗素廃ガスを導通し難いばかりでなく、珪酸マグネシウムの溶液を製造するには多大の費用を要するのに反し、普通の珪酸マグネシウム鉱の単なる破砕物ならば、それ自体安価なるのみならず、粉砕するのでもなく、いわんや溶解するのでもないので、(弗素含有の塩基性珪酸マグネシウム鉱の如き特殊鉱ではないから、溶解し難い。)多大の費用を要せず、含弗素廃ガスが自ら流通し易く、しかも接触表面積に富んでいるので、廃ガスの処理の如き工業的方法に適切かつ効果的である。審決は、本件発明のこの工業的作用効果を無視している点においても違法である。

第三被告の答弁

被告指定代理人は、主文同旨の判決を求め、原告主張の請求原因に対して、次のように述べた。

一、原告主張の請求原因一及び二の事実は、これを認める。

二、同三の主張を否認する。

(一) 原告は米国雑誌Industrial and Engineering Chemistryの記事を引いて、当時の「技術常識」の程度を立証しようとしているが、右記事は、単に本件出願の方法についての一発表にすぎず、審決の認定の不当を立証するものではない。

含弗素廃ガスが有害な工場廃ガスで、しかも弗素が有用なものであること及び一般の有害工場廃ガスを、ガスを吸着する固体粉末層を通して、この粉末にガスを吸着させた後、これから有用なガス成分を抽出回収することが、従来周知である点から考えれば、「含弗素廃ガスを吸着物質の粉末層と接触通過させた後、これから弗素を抽出回収すること」は、当然化学工業上の技術常識の範囲に属するものである。

(二) 第一引用例の記載についてみるに、右は珪弗化マグネシウムの生成に関する記載で、これと本件発明とを比較すると、両者は「含弗素ガスを珪酸マグネシウムと反応させて珪弗化マグネシウムを生成する点において一致し、ただこの際使用する珪酸マグネシウムが、引用例においてはHumit chondroditのようなマグネシウム珪酸鉱の熱水溶液であるのに対し、本件出願の方法においては「マグネシウム珪酸鉱の固形粉末」である点において相違するに過ぎない。

しかしながら、含弗素廃ガスを弗素を抽出回収するに適する状態において吸着物資の粉末層と接触通過させた後、これから弗素を回収することが、化学工業上の技術常識の範囲に属することは、前述のとおりであるから、前記のようなマグネシウム珪酸鉱の相違は、「マグネシウム珪酸鉱が含弗素ガスを吸着して、珪弗化マグネシウムを生成せしめるものである。」という第一引用例記載の公知事実と、「珪弗化マグネシウムが甚だよく水に溶解し、ために弗素分の抽出回収に最適する化合物である。」という第二引用例記載の公知事実に基き、当業技術者が容易に実施し得る程度のものといわざるを得ない。

してみれば原告が本件出願発明の最重要点と主張する「含弗素廃ガスを、粉砕されたマグネシウム珪酸鉱と接触通過させて珪弗化マグネシウムを生成せしめる」技術思想は右引用刊行物に容易に実施し得る程度に記載されているものといわなければならない。

なお原告は、「第一引用例の珪酸マグネシウムは、ヒユマイト、コンドロダイトすなわち弗素を含む塩基性珪酸マグネシウム2Mg2SiO・Mg(F・OH)2であり、本件発明において使用されるマグネシウム珪酸塩ではなく、またその均等物でもない。」と主張しているけれども、原告の示した前記化学式は一般に信ぜられているヒユマイト及びコンドロダイト成分の化学式とは相違しており、ヒユマイト及びコンロダイトの成分は、それぞれ化学式Mg5(MgF)2(SiO4)3及びMg3(MgF)2(SiO4)2で表わされており、明らかに本件発明に使用するマグネシウム珪酸鉱の一種に属するものである。

なお原告は、珪酸塩の熱溶液を使用する第一引用例記載の場合と珪酸塩鉱の破砕物層を使用する本件発明の場合とは、反応させる態様を異にすると主張するが、本件発明においても、水分の存在のもとに反応させるものであるから、珪弗化マグネシウムを生成する反応機構においては、両者間に本質的な差異はない。一般に化学工業においては、その反応を液状のもとに進行させるか、固状で行うかは、当該技術者が諸条件を勘案して適宜に採択し得る程度のことであるばかりでなく、本件発明において一方を固状としたことによる、その作用効果も何等特別のものでなく、化学操作上、当然予期できる範囲のものに過ぎないことは、本件出願書類における記載より明らかである。

なお原告は第一引用例のものは、液と液との反応であるのに反し、本件発明のものは、ガスと固体との反応であると主張するが、第一引用例のH2SiF6は必ずしも液状ではない。またたとい液状であるとしても、本件発明の場合にも、含弗素物を溶液の状態で使用する一例が推奨されているから、H2SiF6の使用態様においては、両者に明確な差異はない。

(三)  更に原告は、「含弗素廃ガスよりの弗素回収に、マグネシウム珪酸鉱を使用した事実は、いまだ嘗てない。」と主張しているが、およそある技術的発明が、特許に値する発明を構成するものであるかどうかは、それが出願当時において、既知の技術から専門技術者が、理論的に推理し得ない程度のものであるかどうかによるべきものであつて、それが出願前に工業的に実施し得る状態にあつたかどうかによつて決せられるべきのものではないから、右の主張も理由がない。

第四証拠<省略>

理由

一、原告主張の請求原因一及び二の事実は、当事者間に争がない。

二、右当事者間に争のない事実とその成立に争のない甲第二号証、乙第一号証の一、二、乙第二号証によると、次の事実が認められる。

(一)  本件出願にかかる発明の要旨は、「含弗素廃ガスを破砕されたマグネシウム珪酸鉱層と接触通過せしめて、珪弗化マグネシウムを生成せしめることを特徴とする右廃ガスから弗素を回収する方法」である。(明細書中特許請求範囲の項には、「粉砕されたマグネシウム珪酸鉱層」と記載してあるが、同書中発明の詳細な説明の項における、「右廃ガスを任意の適当な方法で粉砕されたマグネシウム珪酸鉱の荷即ち層を下方より上方に向つて通過せしめて、含弗素廃ガスを右鉱石と充分接触せしめる。右鉱石の塊の大きさは、上記廃ガスから弗素成分が除去できるような、ガスの容易に通過し得るものでなくてはならない。」との記載によれば、右にいわゆる「粉砕」は鉱石を微細粉末にするものでないことは明らかであるから、これをむしろ前述のように「破砕」すると認定するが相当である。そして審決に使用された「粉砕」の文字が、この「破砕」を意味するものであることは、その記載からみて十分知ることができる。)

なお本件発明明細書には、本件発明においては、マグネシウム珪酸鉱として、橄欖石、蛇紋石、凍石を使用することが記載されている。

(二) 審決が引用した第一引用例(大正十五年十一月二十六日特許局陳列館受入のGmelins, Handbuch der anorganischen Chemie, 8 Auflage, Systemnumber 27. Magnesium三九一頁には、「弗化珪素酸マグネシウムMgSiF6・6H2Oは珪酸マグネシウム(ヒユマイト、コンドロダイト)の熱溶液と弗化珪素酸H2SiF6との化合によつて生ずる」ことが、また三九二頁には、「弗化珪素酸マグネシウムは、非常によく水に溶解する」ことが記載されている。

(三)  同第二引用例(昭和十四年四月五日公告された特許第一三〇八一一号明細書)には、「珪酸物質を含んだ螢石を濃硫酸で加熱分解し発生するガスを、高温のまま直接弗化マグネシア、炭酸マグネシウム等のような弗化水素ガスと作用して直ちに弗化マグネシウムを生成すべきマグネシウム塩と螢石粒とを充填したものの中に導き弗化珪素ガスを珪弗化マグネシウムとして捕集し、残留した弗化水素ガスを水に吸収させて弗化水素酸を製造する方法が記載されている。

三、よつて右認定に基いて、本件出願にかかる発明が、審決のいうように、公知事実に基いて容易に実施することができるものであつて、発明を構成しないものであるかどうかを判断するに、前記第一引用例によれば、珪酸マグネシウム(ヒユマイト、コンドロダイト)の熱溶液と弗化珪素酸との作用によつて、珪弗化マグネシウムが生成することが、本件発明の出願前公知であつたことが認められる。尤も右引用例において珪酸マグネシウム鉱として挙げているヒユマイト、コンドロダイトの組成は珪酸マグネシウムの外に弗素を含んでおり本件発明明細書に記載されている橄欖石、蛇紋石、凍石等のマグネシウム珪酸鉱とは、鉱物分類上区別されるものであることは、証人片山信夫の証言及びこれによつて真正に成立したと認める甲第六号証の記載によつて認められるが、第一引用例は、ひろく珪酸マグネシウムと弗化珪素酸との作用によつて、珪弗化マグネシウムが生成することを記載しており、右のヒユマイト、コンドロダイトも、その成分として含有している珪酸マグネシウムを利用する意味において挙示されたものと解せられる。

してみれば、右第一引用例と本件発明の方法とは、ともに珪酸マグネシウムを使用して含弗素化合物から珪弗化マグネシウムを生成せしめる点において一致し、ただ右珪酸マグネシウムの使用態様が、前者においては溶液の形においてなされるのに対し、後者においては、破砕した固体の形においてなされる点及び含弗素化合物を後者においてはガスと限定している点において相違するものと認められる。

一方ガス混合物からある成分を分離する手段として、分離せんとする成分を選択的に吸着或はこれと化合して捕集する性能のある固体の層に、ガスを通じて該成分を分離する方法が、化学工学上周知の手段であることは、当裁判所に顧著なところであつて、これらガス分離方式が広く工業用の各種原料ガス、廃ガス等からそのうちに含まれている有用(或いは有毒)成分を分離するのに適宜採用されていることはいうをまたないところであつて、現に前記第二引用例においても、螢石の分解によつて発生したガスを弗化マグネシウムに螢石を混じたものの層を通して、ガス中の弗化珪素を珪弗化マグネシウムとして捕集分離するものであることは、前に認定したところである。

すなわち本件発明において廃ガス中の弗素分を珪酸マグネシウム鉱の破砕物によつて珪弗化マグネシウムとして捕集分離する手段は、畢竟前記第二引用例に記載された手段の一適用に外ならないものと解せられる。

してみれば本件発明が第一引用例において知られたように、含弗素ガスと化合して容易に珪弗化マグネシウムを生成する橄欖石、蛇紋石、凍石等のマグネシウム珪酸鉱を適当の大きさに破砕して、第二引用例においても採用している公知のガス分離方式により、廃ガス中から弗素を珪弗化マグネシウムとして捕集する点は、前記公知の事実に基き容易に実施し得る程度のものと解するを相当とするから、未だ特許法第一条にいう新規な工業的発明を構成しないものといわなければならない。

なお原告代理人は、米国雑誌Industral and Engineering Chemistry 1955年2月号(甲第一号証)の記事を引用し、また弗素含有ガスを発生する諸工業において、マグネシウム珪酸鉱を使用した事実が嘗てなかつたことに基いて、本件発明が新規有用な工業的発明であると主張するが、すでに出願の発明が、出願前の公知の事実に基いて容易に実施することができるものと認められる以上、これが事実上工業化せしめられていなかつたという事実だけでは、前述の判断を覆えすに足りず、また甲第一号証もこれを左右するに足りる資料ではない。

四、以上の理由により、前記判断と同一に帰する審決は適法であつて、これが取消を求める原告の本訴請求は、その理由がないから、これを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条、上告期間の附加について同法第百五十八条第二項を適用して、主文のとおり判決した。

(裁判官 内田護文 原増司 高井常太郎)

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