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東京高等裁判所 昭和30年(う)800号 判決 1955年7月25日

控訴人 被告人 辻竹夫

弁護人 松永謙三 外二名

原審検察官 軽部武

検察官 山口一夫

主文

本件各控訴を棄却する。

当審において生じた控訴費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、末尾添付の検察官軽部武、弁護人松永謙三各作成名義及び弁護人吉田勧、同飯塚信夫連名作成名義の各控訴趣意書と題する書面記載のとおりであつて、これに対して当裁判所は次のとおり判断する。

吉田、飯塚両弁護人控訴趣意第一点について、

案ずるに刑法第二一一条に所謂業務とは各人が社会生活上の地位に基き反覆継続して行う事務を謂うものにして、その本務たると兼務たると又その事務が報酬若しくは利益を伴ふと否とを問はないのである。

本件について見るに、被告人が普通乗用自動車の運転を社用による外出先又は居宅附近の広場等において反覆継続していたものであることは、原判決挙示の証拠中高木嘉一の検察官に対する供述調書、被告人の検察官に対する弁解録取書及び供述調書の各記載を綜合して容易に認めることができるのであるから、原判決が被告人の本件自動車の運転を以つて業務行為と認定し業務上過失致死罪に問擬したのは洵に相当であつて、原判決にはいささかも法令適用の誤は存しない。論旨はその理由がない。

前同第二点について

然し乍ら自動車運転の資格なくして普通乗用自動車を運転して無謀な操縦をした行為と、該行為により業務上の注意義務を欠き他人を死に致したる行為とは、前者は道路交通取締法違反罪を構成し、後者は業務上過失致死罪を構成するのであつて、互いに独立して別罪を構成し両者の間に手段結果の関係若しくは一所為数法の関係は存しない。

本件起訴状記載の公訴事実を仔細に検討するに、二、の記載によれば「前記日時場所において、前記の如く運転の資格なく前記普通乗用自動車を運転して無謀は操縦を為したものである」と謂うにありて、這は正しく一、に記載する業務上過失致死と別個に道路交通取締法違反罪の訴因を明示したものであることは、その罰条の記載と相俟つて極めて明かであつて、原判決がこれに対応して、原判示二、に明示するところの「飲酒して酔余正常な運転ができない虞(心神耗弱に至らず)があり且法定の運転資格を持たないに拘らず右一、記載の如く前記日時場所(宇都宮市一条町地内から事故現場まで)において前記普通乗用自動車を運転し、以つて無謀な操縦を為したものである」との事実との間には、公訴事実の同一性において毫も欠くるところなく、原判決には所論の如く審判の請求を受けない事件につき審判をしたと謂うが如き違法その他法令適用の誤はいささかも存しない。論旨は総べてその理由がない。

(その他の判決理由は省略する。)

(裁判長判事 中野保雄 判事 尾後貫荘太郎 判事 渡辺好人)

弁護人吉田勧、同飯塚信夫の控訴趣意

第一点原判決は法令の適用を誤り、その誤が判決に影響を及ぼすこと明らかであるから破棄を免れない。

原判決の認定した事実によれば被告人は織物類の販売を業とする有限会社辻金商店の常務取締役社長であるが、自動車運転の普通免許を受ける為、その練習として仮免許も受けないで社用による外出先又は居宅附近の広場等に於て、しばしば普通乗用車の運転をしていたものであるとし、本件被告人の行為を業務上過失致死罪に問擬して刑法第二百十一条前段の適用しているものである。

然るに従来大審院の判例並びに学説の通説とするところは業務とは人が継続して或事務を行ふに付有する社会生活上の地位、或は同種類の行為を反覆する事実を指称するとしているのである。即ちここに云う業務という事の骨子は行為の反覆継続という事である。飜つてこれを本件についてみるならば、被告人が原判決冒頭に述べられている様に自動車の運転という行為を反覆継続したものであろうか本件運転の反覆継続といふ事実の認定に当り、その証拠を検討するならば、高木嘉一の副検事に対する昭和二十九年十一月十二日付供述調書には「………辻竹夫さんは………私が雇われる前に度々運転していた様で………」(記録一一四丁)と或は被告人の副検事に対する弁解録取書及び供述調書には「私は………自動車を社用で他出した時等………道路で運転を今迄度々やつて居りました………自動車で商売の為他出した時等や帰り等は何時も自動車を運転して居りました………」(記録二六四丁)とあるところから或は斯様に認定したのであるかも知れないのである。然し乍ら右に掲げた証拠からこの反覆、継続という事実の裏付となると思はれる用語は「度々」とか「何時も」という極めて漠然としたものである。これに対し、被告人は原審法廷で裁判官の問に対し「………商売に出た帰りに運転したのは十回か十五、六回やつたと思います。」(記録三二七丁)と答え、同法廷に於て証人高木嘉一は弁護人の「………この間に辻が運転した事がありますか」と質問したところ、商売の帰途辻が運転したのは「………三、四回位と思います」又学校の庭で運転したのは「七、八回から十回位と思います。」(記録三四五丁)と述べている。斯様な具体的な供述内容と辻が自家用車を購入したのが昭和二十七年秋であつた事実とを併せ考えると本件当時迄の二年間に被告人が運転したのはせいぜい三十回程度であつた事は推察に難くないのである。右の様な長期間に於ける運転回数を考えればこれを以つて刑法第二百十一条に云う業務上即ち反覆、継続した地位に被告人があつたかどうか疑問なしとしないのみかむしろ、これに当らないと考ふるのを妥当とする。されば原審が斯様な事実を看過し前記の各供述調書に於ける極めて漠然として供述のみを採つて以つて被告人を業務上過失致死罪に問擬したのは当しく法令の適用を誤つたものと云うべきであつて、本件は単純過失致死罪として刑法第二百十条を適用すべき事案であると考える。よつて以上の理由から原判決は頭底破棄を免れない。

第二点原判決は審判の請求を受けない事件について判決したが、法令の適用を誤り、その誤りが判決に影響を及ぼす事明らかであるから破棄を免れないと思料する。

本件起訴状によると二、前記日時場所に於いて前記の如く運転の資格なく前記普通自動車を運転して無謀な操縦をしたものであるというのである。この起訴状自体からみると犯罪、日時場所も公訴事実一、に記載してある本件業務上過失致死事件と全く同一と思われる。さればこの二個の公訴事実は起訴状の形態からみると併合罪としての起訴の様に思はれるが、斯様な公訴事実の実体をみれば、犯罪場所の同一から少くとも、一、二の事実は併合罪の関係に立つものではなく刑法第五十四条前段か或は同条後段に相当するものと考える。然るに原判決では突如として、本件公訴事実第一の過失傷害の前の行為を認定し、二、飲酒して酔余正常な運転が出来ない虞(………)があり且法定の運転資格を持たないのに拘らず、右一記載の如く前記日時場所(宇都宮市一条町地内から事故現場まで)に於て前記普通乗用車を運転し以て無謀な操縦を為したものである。と認定している。これを公訴事実に比較してみると、公訴事実は前記無謀操縦と過失致死との行為を一体と観ているのに対し判決ではこれを全然分離し本件事故現場以前の行為を捕えて道路交通取締法違反と断定したのであつて公訴事実とは少くとも場所的に全然別の事実を認定したものであるから、この点からも原判決は破棄を免れない。仮に然らずとしても、原判決二に於て認定した事実は一に於て認定した事実の原因をなす行為であつたものと考えられる。即ち本件の無謀操縦と過失致死と而かく分離さるべきものでなく、これを一体とした一個の事実の流れとみるのが極めて自然であつてこれを敢えて二個に分離するのは余りに行為を法技術的に観察したものと云うべきである。本件過失致死という結果は無謀操縦と後述の如き被害者の過失とがなかつたならば、絶対に生じなかつたのである。本件に限らず一般に過失傷害或は過失致死という事実の発生はその原因が交通機関にある場合必然的にその過失の内には道路交通取締法違反等の事実が内存するのである。換言すれば………過失は道路交通取締法違反の行為を前提とするものである。されば本件二個の行為は当然手段結果の関係に立ち牽連犯として刑法第五十四条後段に該当すべきものである。然るに原判決は昭和二十七年九月二十九日札幌高等裁判所函館支部の判決或は昭和八年六月二日の大審院判決をそのまま引用し、本件を併合罪として刑法第四十五条以下の規定を適用しているが、これは右に述べた如く法令の適用を誤つたものであるから、この点からも破棄せらるべきものである。

(その他の控訴趣意は省略する。)

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