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東京高等裁判所 昭和30年(う)3172号 判決 1956年5月30日

控訴人 被告人 日野月末弘

弁護人 田中正司

検察官 八木胖

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金一万円に処する。

右の罰金を完納することができないときは金五百円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

原審の訴訟費用中、昭和三十年二月十二日の出頭につき証人中島信一、同久保勝年、同石井大助に同月二十六日の出頭につき証人中島信一、同石井大助に同年三月二十六日の出頭につき証人矢野啓志に同年五月二十四日の出頭につき証人土居恒に同年六月十八日の出頭につき証人太田要同新沮誠康に支給した分を除きその余の分並びに当審の訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣旨は末尾添附の弁護人田中正司の差し出した控訴趣意書記載のとおりである。

田中弁護人の控訴趣意第一点について

原判決の挙示引用に係る標目の各証拠を綜合すれば原判示の事実はこれを肯認するに足り事実誤認の疑はなく当審における事実取調の結果によつても右の認定を覆えすことはできない。そして叙上の各証拠を綜合して原判示の事実を認定することは論理の法則にも経験則にも反するところはなく、所論の如く審理不尽の違法もなく、また採証の法則に違反したところもない。なるほど原判示二の同年四月下旬頃とあるのは同年四月上旬頃とするのが正しいと認められるがかくの如きは、未だ判決に影響を及ぼすこと明らかな事実誤認とは認め難い。すなわち原判決の挙示する証拠を綜合すれば原判示弁護士青柳長次郎は昭和二十七年十二月頃から被告人の管理に係る原判示建物の三階の一室を平穏且つ公然にその法律事務所として使用していたことは明らかであり、被告人においてもしも右青柳の該室の使用をもつて法律上の根拠なく、被告人の権利を侵害するものであるとするならば、これを排除するためには須らく国家機関の保護を求むべきであつて、自ら原判示の如く威力を用いて同人の業務を妨害するが如きことは法の認容しないところでありこれをもつて正当行為、放任行為となすことを得ないのは勿論正当防衛緊急避難にも該当しない。論旨は仮りに被告人の行為が犯罪を構成するとしても原判示一の所為に対しては原判示青柳は被告人に対し自己の非を深く陳謝して争わず、被告人の所為を容認したのであるから、かくの如きは被害者の承諾があつたものとして違法性を阻却するものであり、また原判示二の所為は盗難防止のため戸締りとしてなしたものであつて家屋管理人たる被告人の正当行為として違法性はないと主張するけれども、前段被害者青柳が被告人の原判示一の所為を容認しこれを承諾したものであるとの点もまた後段被告人の原判示二の所為は被告人が家屋管理人として単に戸締りのためになしたものであるとの点もこれを認めるに足る証拠はないから所論はいずれもその前提を欠き採用することはできない。更に論旨は本件の発生するに至つた経過及び当時の雰囲気に鑑みれば被告人の原判示の所為は一に原判示青柳の悪質な不法行為により誘発されたものであつて、被告人に対し右の如き行為に出でないことを期待することは、一般社会通念上よりして不可能であると主張するけれども固より独自の見解であり到底採用することはできない。また論旨は被告人は原判示青柳を立退かすとか、その業務を妨害するとかその他青柳の業務の遂行を困難ならしめる具体的事実の予見即ち業務妨害罪の故意を欠いているから犯罪は成立しないと主張するけれども、刑法第二百三十四条業務妨害罪にいう業務の「妨害」とは現に業務妨害の結果の発生を必要とせず、業務を妨害するに足る行為あるをもつて足るものであり、またその「業務」とは具体的個々の現実に執行している業務のみに止まらず、広く被害者の当該業務における地位に鑑みその任として遂行すべき業務をも指称するものと解すべきところ(最高裁判所昭和二八年一月三〇日第二小法廷判決参照)被告人は原判示青柳が原判示一室を同人の法律事務所として使用していることを知りながら、原判示一、二掲記の如く新沼誠康、高木松夫等をして右室に通ずる階段の中程を幅約三尺、長さ約六尺の木机一個を逆さにしてふさぎ、約二時間右室への人の出入を阻止させ、あるいは前記階段の中程を幅、長さとも前同様のベニヤ板一枚でふさぎ約一日間にわたり、右室への人の出入を阻止させたものであり、被告人が右の事実につき認識があつたことはいうまでもないところであるから被告人に威力業務妨害罪の犯意がないといえないことは当然である。従つて原判決には所論の如き憲法第十一条第十三条第三十六条の精神に違反するところはない。それゆえ各論旨はいずれも理由がない。

(その他の判決理由は省略する。)

(裁判長判事 中村光三 判事 脇田忠 判事 鈴木重光)

田中弁護人の控訴趣意

第一点 原判決は審理を尽さず又は採証の法則に違反して事実を誤認した違法がある。

本件被告人の行為は、外見上階段の上り口に机やベニヤ板一枚を立て掛け、恰も青柳長次郎弁護士の業務を妨害したかの如く見え、原判決も形式的起訴に拘束されて事案の真相を究めることを怠り、被告人を有罪と誤判して了つた。しかし被告人はいさゝかも右青柳の業務を妨害し、又は貸室の明渡を促進する意思があつたのではなく、又そのような外部的圧力を加えたものではない。本件の実体は、被告人に非なく徹頭徹尾青柳の非行に基き青柳の非行が本件を誘発せしめていることは、普通の常識ある者ならば直ぐに判断できるものである。

一、そもそも本件の発端は、昭和二十七年十一月頃早藤とみ、青柳等が被告人、土居恒、和賀井正吾等を騙し共同事業に名を藉りて本件室を右者等と共同的に一時使用したことに始まる。しかも青柳等の本件室の使用関係が正式な賃貸借ではなく、共同事業契約に基く一時使用であつて、青柳は早藤とみの顧問として右目的の範囲内において被告人から同居を許されて居り、法律事務所の設置を認められたものではないことは原審においても検察官の右趣旨に同意する旨の釈明によつて明白にされている所である。(弁第一、十号証契約書、和賀井正吾、鈴木勇平、太田要、土居恒証人及び被告人の供述)

二、青柳は同年十二月頃同室の和賀井を本件二階の室から階下へ追払い、同年十二月頃山本鉱業株式会社社長山本栄造に無断転貸を策し、又青柳が右同居の口実とした共同事業は悉く虚偽であつた。(弁第十二号証千葉事実顛末書、和賀井、土居、太田証人及び被告人の供述)

三、青柳は右早藤の顧問として、昭和二十八年一月分の本件室の前払使用料壱万二千円を、昭和二十七年十二月末日支払うべきにも拘わらず屡々督促を受けた末、ようやく昭和二十八年二月十日に支払つたが、一月末日支払うべき二月分と二月末日支払うべき三月分合計弐万四千円を引続き滞納し、且つ昭和二十七年十二月末頃被告人から二、三日中に返すといつて寸借した二万円を不渡手形を交付したまゝ返済しない上、屡々の督促に対し、二、三日中に絶対支払う、明日必ず支払う等その場逃れの虚言を弄して少しの誠意もなかつた。三月に入ると青柳は殆んど出所せず、当初ふれ込みの共同事業や月島島民の啓発運動等はすべて実行しないし、本件室に見知らぬブローカーらしい者が多数出入りして電話を勝手に使う等のこともあり被告人及び土居は、ようやく早藤、青柳等からうまく騙されていたことがわかつた。(弁第二号証約束手形、弁第五号証ハガキ、土居、青柳、鈴木良吉、鈴木勇平、太田証人及び被告人の供述)

四、又本件二階の室は、一階との間に扉や仕切りがなく開放されて居り、又その隣の日本間(被告人の寝室)との間は薄い板戸一枚で仕切られているだけで戸締りに心配があつた。実際月島のこの附近はコソ泥の巣で、本件室にあつた和賀井所有の手提金庫一個、被告人の事務所内の大金庫内の現金約三十五万円、倉庫内の古金属類数十点はその頃盗難に罹つていた。(検証調書、土居、高木、新沼、和賀井証人及び被告人の供述)

五、そこで被告人はその姉の所有する本件家屋の一切の管理を一任されている責任者として、定収入がなく生活に困つていた姉の生計費に充てるべき本件室の滞納使用料や寸借名義の貸金二万円の催促及び第三者の室の使用禁止等につき、青柳と円満解決をしたいと思つていた所、偶々三月中旬青柳が来所したのを知り、このような話を同人の室で来客等の前でするのは弁護士の体面上気の毒と思い社員高木松夫を同人の室へやり「社長が話があるから事務室までお出下さい」と伝えさせると、青柳は来訪者二、三人の面前で高木に対し「馬鹿野郎、大家のくせに生意気言うな用があるならこつちへ来い」と怒号して、被告人を侮辱し、そのまゝ立寄らずに帰つて了つた。(高木、新沼、土居、鈴木勇平、太田、久保、石井、青柳証人及び被告人供述)

六、その翌日被告人はどうしても青柳に会うて諸懸案特に本件貸室が正式賃貸借ではなく、共同事業に基く一時使用であることについて話合をしたいと思つたが、普通の方法で呼びに行つても前日のように来ないから二階の入口に机を置けば青柳が来所した際前日の暴言のこともあるので、必ず被告人の許へ顔を出してくれるだろうと考え、階段に机を立て掛け青柳の来所を期待したにすぎないのである。かゝる円満話合という友誼を前提とした一種の戯行は威力にも業務妨害にも当らない。これは正当行為といわんよりもむしろ放任行為であつて何等違法性がないものである。しかしてまもなく一、二時間後に青柳の来訪により談笑の裡に円満解決し、青柳は引続き本件室に同居していたのである。又当時青柳自身深くその非を謝して争わなかつた。被告人の右正当行為を後日になつて全く的はずれな威力業務妨害罪として起訴しそれを又有罪と認定するが如きは、著しく法の精神に背き、一般社会通念上到底容認できない所であり、日本国憲法第十一、十三、三十六条の精神に反する違憲の裁判である。仮に百歩をゆずり被告人の行為が犯罪を構成するとしても、右青柳の陳謝及び容認行為は、所謂被害者の承諾があつたものとして違法性を阻却するものである。

七、又同年四月上旬被告人は当時青柳の使用人でない建築士不動産仲介業石井大助外見知らぬブローカーらしい多数の者が勝手に本件室に出入りすることは防犯取締上不都合であり、又青柳はその後も右金員の支払をせず、殆んど来室しないので困り抜いた被告人は右石井に対し「この事務室は貴君等第三者に貸したものではない、青柳氏が出て来ない以上戸締りをしなければならぬ」と云うと石井は「私は青柳の使用人ではなく別に仕事をしている者であるが青柳のために電話料二千円を立替えている被害者である。早速青柳に連絡してここへ来て貰うから待つてくれ」と云うので数日間待つと遂に石井は「青柳氏はこちらへ来て話をする誠意がないから戸締りをして貰いたい」と答え戸締に同意して荷物を持つて任意退去した。そこで被告人は空室となつた本件室を戸締りする必要上階段入口にベニヤ板一枚を立て掛けたが翌日之を取去り、しかも青柳は依然として平穏公然に同年五月下旬迄来室していたものである。(鈴木勇平、石井、土居、高木、新沼証人及び被告人の供述)従つて右被告人のベニヤ板立掛け行為も、家屋管理人の正当行為として何等違法性がなく、又被告人は青柳を立退かすとか業務を妨害するとかその他青柳の業務の遂行を困難ならしめる具体的事実の予見即ち故意を欠くから犯罪は成立しないのである。この点に於ても原判決は日本国憲法第十一、十三、三十六条等の精神に反する違憲の裁判である。

八、又仮りに被告人の右机及びベニヤ板立掛け行為が業務妨害罪を構成するとするも前記のような経過と雰囲気において発生した被告人の行為は、一に青柳の悪質な不法行為により誘発されたものであつて、被告人に対し右の如き行為に出でないことを期待することは、一般社会通念上よりして不可能であるから、その行為に対する責任を阻却するものである。

九、尚原判決はベニヤ板の件につき「四月下旬頃」と認定したが之は「四月上旬頃」の誤認であることは、石井、新沼、高木等証人の供述により明らかである。

(その他の控訴趣意は省略する。)

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