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東京高等裁判所 昭和25年(う)4573号 判決 1951年8月08日

控訴人 原審検察官及び原審弁護人 桃井[金圭]次

被告人 猪野千惠子

検察官 軽部武関与

主文

本件控訴は、いずれもこれを棄却する。

理由

弁護人並びに検察官の控訴趣意並びに答弁は夫々末尾添附の控訴趣意書又は答弁書と題する各書面記載のとおりであつて之に対し当裁判所は次のように判断する。

第一、弁護人の控訴趣意第一点について

しかし被告人の昭和二十五年四月十六日附司法警察員に対する第一回供述調書の記載及び原審第五回公判調書中証人大竹タツエの供述記載を総合すると被告人は所論大竹タツエから本件麻薬の譲渡方を依頼される以前既に曹某からその売捌方を頼まれ同人が置いて行つたものをそのまま所持していたところ偶々右大竹の申出により之を売渡したものであつて本件は右譲渡直前の麻薬の不正所持を違反所為として起訴せられたものであること極めて明瞭である。従つて右大竹が仮りに所論に所謂「オトリ」であつたとしても同人の行為に因り直接本件違反行為を誘発したものでなく既になされた犯行につき単に犯罪検挙の端緒となつたに過ぎないと謂わなければならない。そしてかような事実関係の下にあつてはその捜査手続を目して刑事訴訟法第一条の精神に反する非合法のものであるとは断じ難く、少くとも本件捜査乃至公訴提起を通じ刑事訴訟法上適法且つ有効であるは勿論その犯罪の成否に何等の消長を及ぼすものでないこと多言を要しないところである。

而して原判決挙示の各証拠を総合すると前記起訴に係る原判示事実は優に之を肯認し得るのであるから被告人がその罪責を負うのは当然であつて原判決には所論主張のように判決に影響を及ぼすこと明らかな事実の誤認乃至罪とならない事実につき罪責を帰せしめた違法はない。

(その他の判決理由は省略する。)

(裁判長判事 中西要一 判事 山田要治 判事 坂本謁夫)

弁護人の控訴趣意

第一点原判決は事実の誤認があり破棄を免れない。本件の被告人は所謂「おとり」捜査により罪責を問われたものであるが謂うまでもなく「おとり」捜査とは捜査の手段であつて「おとり」を使つて麻薬を所持しているものをつきとめる限度に於て許さるべきものであつて「おとり」を用いて何等罪なき者に犯罪を犯させることを許容するものでない。このことは刑事訴訟法第一条の精神によつても明白である。三年前横浜に於てCIDの刑事二人が二カートンの進駐軍煙草を所持し一人が之を売却し他の一人が之を検挙し順次数人の不法所持の被疑者を逮捕したのであるがこれ等の者は間もなく無罪釈放された実例がある。「おとり」捜査に於ては麻薬等所持者をつきとめるまでの者は基本的人権を尊重する建前からも捜査の手段方法即ち正当業務行為の範囲内に属するものと我が刑法上は解釈すべきである。原審証人大竹タツエの証言によれば「自分が麻薬で加賀町に同行された時子供が病気で勾留されると非常に困ると云うとCIDの人が誰か麻薬を取扱つて居る人を知らせれば帰してやる云つたので猪野方に行き断はられたが再三頼み込んだ」(四二丁)旨、「何でもない人を罪に落した事は私のあさはかな考えからだと思い申訳ないと思つて居る」四四丁旨の供述記載を見ても被告人は全然罪なきものが罪に落され刑責を問われていることが明白である。仍つて同証人大竹が本件につき刑責を問われないと同様に被告人も処罰さるべきでない。然るに原判決は右事実を閑却し被告人に対し麻薬取締法違反の事実のみを認定し断罪したことは重大な事実の誤認であり破棄を免れないものと信ずる。尚右事実の誤認は処罰出来ないものを処罰したものに帰するから判決に影響を及ぼすものであることは謂うまでもない。

(その他の控訴趣意は省略する。)

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