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東京高等裁判所 平成9年(行ケ)56号 判決 1997年9月24日

静岡県清水市島崎町151番地

原告

はごろもフーズ株式会社

代表者代表取締役

後藤康雄

訴訟代理人弁理士

新垣盛克

鳥取県倉吉市越殿町1409番地

被告

倉吉市農業協同組合

代表者代表理事

森博光

訴訟代理人弁理士

渡辺三彦

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第1  当事者の求めた判決

1  原告

特許庁が、昭和63年審判第5876号事件について、平成9年1月24日にした審決を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

2  被告

主文と同旨。

第2  当事者間に争いのない事実

1  特許庁における手続の経緯

被告は、別紙1に示す構成からなり、第32類「食肉、卵、食用水産物、野菜、果実、加工食料品(他の類に属するものを除く)」(平成3年政令第299号による改正前の商標法施行令の区分による。)を指定商品とする登録第2016576号商標(昭和59年8月6日登録出願、昭和63年1月26日設定登録、以下「本件商標」という。)の商標権者である。

原告は、被告を被請求人として、本件商標につき登録無効の審判の請求をした。

特許庁は、同請求を昭和63年審判第5876号事件として審理したうえ、平成9年1月24日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をし、その謄本は、同年3月1日、原告に送達された。

2  審決の理由

審決は、別添審決書写し記載のとおり、本件商標と、請求人(原告)引用の、別紙2に示す構成(ただし、色彩は省略)からなる第45類「鳥獣、魚介類、蔬菜、果実、きのこ類の味付、水煮の罐詰」(旧商標法施行規則〔大正10年農商務省令第36号〕15条の区分による。)を指定商品とする登録第434506号商標(昭和27年6月26日登録出願、昭和28年11月11日設定登録、以下、審決と同じく「引用A商標」という。)のほか、それぞれ「羽衣」、「はごろも」又は「Hagoromo」の文字を含む構成からなる登録第377187号の2商標、登録第453348号商標、登録第594187号商標、登録第594188号商標、登録第1248192号商標、登録第1859406号商標(以下「引用B~G各商標」という。)とは、外観、称呼、観念のいずれの点においても相紛れるおそれのないものであって、非類似の商標であるから、本件商標は、商標法4条1項11号(平成3年法律第65号による改正前のもの、以下同じ。)に違反して登録されたものではなく、同法46条1項の規定により、その登録を無効とすることはできないとした。

第3  原告主張の取消事由の要点

審決の理由中、引用B~G各商標と本件商標とが非類似の商標であること、本件商標と引用A商標の各構成及び指定商品の認定、引用A商標の外観の認定、同商標から「はごろも」の称呼及び「羽衣」の観念が生ずることは、いずれも認める。

審決は、本件商標の称呼及び観念の認定を誤る(取消事由1)とともに、引用A商標と本件商標との外観の対比判断を誤り(取消事由2)、両商標が類似しないと判断したものであるから、違法として取り消されなければならない。

1  本件商標の称呼及び観念の誤認(取消事由1)

引用A商標は、審決認定のとおり、羽衣伝説の天人又は天女が三保の松原の上空で羽衣を身につけて舞を舞っているところを表したものである。この羽衣伝説は、わが国で広く知られるところであり、謡曲「羽衣」に由来すると思われるその一般的な内容は、「駿河の国の三保の松原に住む漁師の白竜(はくりょう)が松の枝にかけてある美しい羽衣を見つけて持ち帰ろうとする。すると、天人が現れ、その羽衣を取られると自分は天上へ帰れなくなると悲しむので、白竜が、衣は返すからその代わり天上の舞を見せてほしいと頼むと、天人は羽衣を身にまとい、三保の松原の春景色を愛でながら月の世界の舞を舞い、富士を見下ろして空高く舞い去る。」というものである。

このように多くの人に広く知られている上記物語の存在によって、空中を飛翔する天女の図形を目にした者は、直ちにその最後の場面、すなわち、天女が空に舞い上がる部分を想起するものであり、天女が手をどのような位置に置いているか、手に何か持っているかというようなことは、看者の注意を惹くところではない。本件商標を目にした者も、その細部がどのようなものであれ、羽衣伝説のクライマックスである昇天途上の天女であると認識し、これを「はごろも」と称呼し、「羽衣」と観念するものと考えられる。また、仮にこのような称呼及び観念を生じないとしても、少なくとも「てんにょ」の称呼、「天女」の観念が生ずるものと考えられ、この点において、引用A商標と同一ということができる。

したがって、本件商標の天人(天女)が笙の笛を吹いていることを理由に、本件商標から「はごろも」の称呼及び「羽衣」の観念が生じないとする審決の認定(審決書15頁17~24行)は誤りであり、本件商標は、称呼及び観念において引用A商標と同一のものである。

2  外観の対比判断の誤り(取消事由2)

一般に取引の場において、商品の取引者・需要者は、必ずしも正確に商標全体の外観を想起しえないものであるから、商標の類否判断は、各別に時と所を異にしてなすいわゆる離隔的観察によった場合を標準とし、登録商標の全体的構成に対する観察によるべきであって、単に商標を構成する一部分のみを切り離した部分観察によるべきではない。

そして、わが国では、前示のとおり、羽衣伝説は著名な物語であって、そのクライマックスである天女昇天の情景は、多くの人が頭の中に想い描くことのできるほどのものであり、その場合の天女以外の付飾的部分は捨象される。したがって、本件商標が商品に付されている状態を目にした取引者・需要者は、天女が描かれる場合の特徴である風にたなびく髪飾りや衣を含めた全体の構成から、これを天女として認識するものであり、笙の有無というような細部についての相違点には、重きを置かないのである。

そうすると、本件商標と引用A商標は外観において類似するものであり、両商標が外観上充分区別して認識されるとする審決の判断(審決書16頁1~4行)は、取引の実情を無視した著しく経験則に反するものである。

第4  被告の反論

審決の認定判断は正当であって、原告主張の取消事由はいずれも理由がない。

1  取消事由1、2について

本件商標を隔離観察した場合、笛が図の左端部から上方に向かって突出するように目立って描かれているから、大多数の人は、笙の笛である否かはさておき、笛を吹いていることは容易に理解できるものである。また、本件商標中の天人は、胸が前方へ突き出た姿勢であり、リボンや衣服も下から上方へたなびいており、これから想像できるのは、天人が笛を吹きながら天から舞い降りてきている姿である。さらに、本件商標は、色彩が付されていないために、リボンや衣服、羽衣は殆ど判別し難く、羽衣は全く強調されていないし、羽衣伝説に必要な富士山や松の木の絵も存在しない。ちなみに、本件商標は、岡山県倉吉市の象徴ともいうべき打吹山にまつわる天女伝説を表したものであり、原告の主張する静岡県の三保の松原を舞台とする著名な羽衣伝説とは出所が異なるものである。

また、本件商標は、衣服は女性のようであるが、顔つきを見ると男性であるとも見えるので、仮に本件商標から称呼及び観念が生ずるとしても、「ふえをふくてんにん」の称呼と「笛を吹く天人」の観念が生ずるものとみるべきである。

これに対し、引用A商標は、左下方に富士山や多数の松の木が描かれ、右上方に天女が下方に目をやりながら手を広げて羽衣を大きく後方へたなびかせながら舞を舞っている姿が示されており、羽衣がよく認識できる。その色彩(願書に添付した商標登録を受けようとする商標を表示した書面・乙第1号証)からみても、天女は全体的に赤系統の裾の長い衣服や薄緑色の羽衣をまとっており、霞のかかった富士山や緑色の松の木は鮮やかに描かれているから、一般需要者は有名な羽衣伝説に基づく商標と認識できる。また、衣服及び顔つきから、商標に描かれた人物が女性であることは容易に判断できる。

2  以上のとおり、本件商標からは、「はごろも」の称呼及び「羽衣」の観念が生じないことが明らかであり、本件商標と引用A商標は外観においても相違するものであるから、両商標が外観、称呼、観念のいずれの点においても相紛れるおそれのないものであって、非類似の商標であるとする審決の判断(審決書16頁14~17行)に、誤りはない。

第5  証拠

本件記録中の書証目録の記載を引用する。書証の成立については、いずれも当事者間に争いはない。

第6  当裁判所の判断

1  審決の理由中、本件商標と引用A商標の各構成及び指定商品の認定、引用A商標の外観の認定、同商標から「はごろも」の称呼及び「羽衣」の観念が生ずることは、当事者間に争いがない。

2  本件商標は、別紙1のとおり、文字の併記されていない図形のみからなるものであり、天女又は天人と思われる人物が、上方に向かって突出する笙と思われる大型の笛を腕に抱え込んで吹きながら、羽衣様の衣服並びにリボン状の髪飾り及び布を下方から上方へたなびかせて、やや左下方向に向かって空中を飛翔している姿が示されており、その背景には何も描かれていないものと認められる。

これに対し、引用A商標は、別紙2のとおり(ただし、色彩は省略)、図形部分と図形部分の左上方に図形中の人物とほぼ同等の大きさでブロック体で横書きされた「はごろも」の仮名文字部分とを組み合わせた構成であり、その図形部分には、冠を付けた天女が下方を眺めながら羽衣及びリボン状の布を大きく後方へたなびかせ、手を広げて舞を舞うように空中を浮遊している姿が示されており、左下方に霞のかかった富士山と多数の松の木からなる松原と海岸が描かれて、これにつき色彩が施されている(願書添付の商標登録を受けようとする商標を表示した書面・乙第1号証)ものと認められる。

そうすると、引用A商標の図形部分である富士山と三保の松原と思われる海岸の上空を舞を舞うように浮遊する天女の姿からは、同地を舞台とする羽衣伝説が容易に想起され、これと「はごろも」の仮名文字部分とは密接な関連を有することから、引用A商標に接した一般需要者・取引者は、図形部分と仮名文字部分が不可分に結合したものと理解し、当事者間に争いがないとおり、同商標を「はごろも」と称呼するとともに「羽衣」の観念を認識するものと認められる。他方、本件商標は、笙を吹きながら空中を飛翔する人物の姿が示されているだけであり、富士山や三保の松原を想起させる風景の記載はないので、この天女又は天人と思われる人物の姿からは、仏画等にも描かれている一般的な「天女」又は「天人」の観念が生ずるとしても、三保の松原を舞台とする羽衣伝説を直ちに想起することは困難であり、しかも、引用A商標のように「はごろも」の仮名文字部分が併記されているわけではなく、羽衣様の衣服も図形中において特に強調されるものでもないから、同商標から「はごろも」の称呼及び「羽衣」の観念が直ちに生ずるものと認めることはできず、したがって、この点において引用A商標と相違するものといわなければならない。

原告は、三保の松原を舞台とする羽衣伝説が広く知られていることから、本件商標に接した一般需要者・取引者は、同商標を「はごろも」と称呼するとともに「羽衣」の観念を認識すると主張する(取消事由1)。しかし、三保の松原を舞台とする羽衣伝説は、それが広く知られた物語であるだけに、かえって、一般の天女や天人とは区別された上記羽衣伝説を観念させるものと認められ、一般の天女や天人を想起させるにすぎない本件商標から、直ちに「はごろも」の称呼及び「羽衣」の観念が生ずるものと認めることは困難であり、原告の上記主張は採用できない。

また、原告は、審決における本件商標と引用A商標の外観の対比判断も誤りであると主張する(取消事由2)。しかし、本件商標と引用A商標とは、前示のとおり、天女の姿自体が相違するだけでなく、背景となる風景の有無及び図形部分と密接な関連を有する仮名文字部分の併記の点でも相違するものであるから、両商標は、外観においても相違するものと認められる。原告の上記主張も採用できない。

したがって、審決の「本件商標と引用各商標とは、外観、称呼、観念のいずれの点においても相紛れるおそれのないものであるから、非類似の商標といわざるを得ない。」(審決書16頁14~17行)との判断に、誤りはない。

3  以上によれば、審決が「本件商標は、商標法第4条第1項第11号に違反して登録されたものではなく、同法第46条第1項の規定により、その登録を無効とすることができない。」(審決書16頁18~21行)と判断したことは正当であり、他に審決を取り消すべき瑕疵はない。

よって、原告の本訴請求は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき、行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 牧野利秋 裁判官 石原直樹 裁判官 清水節)

別紙

<省略>

昭和63年審判第5876号

審決

静岡県清水市島崎町151番地

請求人 はごろもフーズ 株式会社

東京都豊島区巣鴨一丁目19番2号 ハイネス巣鴨601号 新垣特許事務所

代理人弁理士 新垣盛克

鳥取県倉吉市越殿町1409番地

被請求人 倉吉市農業協同組合

大阪府大阪市北区曽根崎2丁目11番16号 梅田セントラルビル

代理人弁理士 渡辺三彦

上記当事者間の登録第2016576号商標の登録無効審判事件について、次のとおり審決する。

結論

本件審判の請求は、成り立たない。

審判費用は、請求人の負担とする。

理由

1. 本件登録第2016576号商標(以下「本件商標」という。)は、別紙(1)に表示したとおりの構成よりなり、昭和59年8月6日登録出願、第32類「食肉、卵、食用水産物、野菜、果実、加工食料品(他の類に属するものを除く)」を指定商品として、同63年1月26日に登録されたものである。

2. 請求人が本件商標の登録の無効理由に引用する登録第434506号商標(以下「引用A商標」という。)は、別紙(2)に表示したとおりの構成よりなり、昭和27年6月26日登録出願、第45類「鳥獣、魚介類、蔬菜、果物、きのこ類の味付、水煮の罐詰」を指定商品として、同28年11月11日に登録されたものである。同じく登録第377187号の2商標(以下「引用B商標」という。)は、「羽衣」の文字を書してなるものであって、昭和23年1月15日登録出願され、同24年7月30日に登録された商標登録第377187号からその商標権が分割されたものであり、第45類「『鳥獣、魚介類、蔬菜、果物、きのこ類』ノ味付水煮ノ缶詰、瓶詰及ビ是ニ類スル商品」を指定商品とするものである。同じく登録第453348号商標(以下「引用C商標」という。)は、「羽衣」の文字を書してなり、昭和28年6月1日登録出願、第47類「穀菜類、種子、果物、澱粉」を指定商品として、同29年10月15日に登録されたものである。同じく登録第594187号商標(以下「引用D商標」という。)は、別紙(3)に表示したとおりの構成よりなり、昭和36年3月13日登録出願、第32類「鳥獣、魚介、蔬菜、果物、きのこ類の缶詰および瓶詰」を指定商品として、同37年7月24日に登録されたものである。同じく登録第594188号商標(以下「引用E商標」という。)は、別紙(4)に表示したとおりの構成よりなり、昭和36年3月13日登録出願、第32類「鳥獣、魚介、蔬菜、果物、きのこ類の缶詰および瓶詰」を指定商品として、同37年7月24日に登録されたものである。同じく登録第1248192号商標(以下「引用F商標」という。)は、「Hagoromo」の文字を書してなり、昭和45年8月5日登録出願、第32類「食肉、卵、食用水産物、野菜、果実、加工食料品(他の類に属するものを除く)」を指定商品として、同52年2月10日に登録されたものである。同じく登録第1859406号商標(以下「引用G商標」という。)は、「はごろも」の文字を書してなり、昭和56年5月6日登録出願、第32類「野菜、果実、肉製品、加工水産物(かつお節、削り節、とろろこんぶ、干しのり、焼きのり、干しわかめ、干しひじき、寒天を除く)加工穀物、加工野菜および加工果実、こうじ、酵母、イーストパウダー、ベーキングパウダー、麦芽」を指定商品として、同61年4月23日に登録されたものである。

3. 請求人は、「本件商標の登録は、これを無効とする、審判費用は被請求人の負担とする。」との審決を求めると申し立て、その理由及び答弁に対する弁駁を次のように述べ、証拠方法として、甲第1号証乃至同第7号証を提出した。

(1)本件商標は、舞を舞いつつ上昇していく天女を表した図形よりなり、第32類に属する商品全部を指定商品として、設定登録となったものである。

(2)わが国においては、いわゆる羽衣伝説は幼児を含めて大衆に広く知られている。しかし、その伝説は、地方によりさまざまで、細部において異なるところがある。これを、おおまかに分けると、次のとおりである。<1>「丹後風土記」逸文に見える話の系統<2>「本朝神社考」に見える話の系統<3>「朗詠抄」などに見える話の系統

しかし今日のように広く知られるに至ったのは、作者が不明の(一説には、世阿弥作といわれるが不確実)謡曲「羽衣」に由来するもののようで、この能の物語が一般的である。即ち、次のとおりである。「駿河の国の三保ノ松原に住む漁師の白竜(はくりょう)が松の技にかけてある美しい羽衣を見つけて持ち帰ろうとする。すると、天人が現われ、その羽衣をとられると自分は天上へ帰れなくなると悲しむので、白竜が、衣は返えすからその代わり天上の舞いを見せてほしいと頼むと、天人は羽衣を身にまとい、三保ノ浦の春景色を愛でながら月の世界の舞いを舞い、富士を見下ろして空高く舞い去る。」本件商標は、天人が羽衣を身にまとい空中を舞っている状態を描いて成るものであるから、多くの人々に広く知られている上記物語の存在により、この図形を目にした者は、直ちに上記「羽衣」の最後の場面を想起する。

(3)請求人は引用商標の商標権者である。この商標の構成は、三保ノ浦と富士山を左下に配しそのやや右上に羽衣を身にまとい舞い上がっていく天人の姿を表わし、左上に「はごろも」の平仮名文字を配して成るものである(甲第2号証参照)。

(4)本件商標と引用商標とを対比すると、両者は共に上記「羽衣」の物語の一場面を表わすものと見られるから、観念において全く同一であり、また、外観においても類似する。時と所を異にして観察するいわゆる離隔的観察によった場合、外観の相違を指摘しうる者は、ごく僅かであろう。更に称呼上も、前者から生じる称呼の1つに「はごろも」があるので、この点においても同一である。結局、両者は互いに類似する商標と言うべきである。

(5) 請求人は、引用商標と連合関係にある引用B乃至G商標をも有している(甲第3号乃至同第7号証参照)。これら各登録商標からは、いずれも「はごろも」の称呼および観念が生じるので、本件商標は、これらとも互いに類似するものである。以上述べたように、本件商標は、引用の各登録商標と類似するものであり、その登録は、無効とされるべきものである。付言すると、請求人は登録異議申立てに際し、上記と同趣旨の異議理由を提出したが、引用商標と本件商標とは、外観・称呼・観念のいずれにおいても類似しないとして、排斥された。しかし、この判断は商標の類否判断における基本的立場ともいうべき離隔的観察によらないものであって、著しく経験則に反し、説得力に乏しいものと考える。

(6) ある商標からいかなる称呼・観念が生じるかは、現実の取引の場において一般の取引者・需要者がその商標をどのように認識し理解するかによって決せられるべきものである。商標として採択した図形が、歴史的・考古学的あるいは美術的趣味などの面から生じる名称を有していても、一般の取引者には知られていない商標は、巷間、数多く見られる。また、特定の地域の居住者でなければ理解出来ないもの、あるいは、辞書・百科辞典を繙いてみて初めて知りうるようなものも多数ある。このような図形が商標として使用された場合、現実の取引の場において、上記歴史的・考古学的な面で有している名称によって正確に称呼あるいは観念されることは殆んど無く、一般常識的な理解のもとに称呼され観念されるのが普通である。被請求人は、本件商標は羽衣伝説における天女の舞を表現したものではなく、「打吹山天女伝説」による旨、述べているが、このような事実を知っているのは、鳥取県の当該地域に居住する一部の者のみで、これを除けば、一般には皆無と言っても過言ではないと思われる。また、かかる伝説を知っていたとしても、本件図形商標と羽衣伝説における天女図形との差を識別しうる者は、きわめて少数であろう(特に、離隔的観察において)。のみならず、本件商標は主に加工食料品その他の食料品を指定商品とするものであり、購買者は主として家庭の主婦であるから、本件商標を付した商品の取引者・需要者が、この商標を目にして、羽衣伝説の天女とは異なることの認識を持つことは無いと考えられ、むしろ、羽衣伝説の天女と理解するであろうことは、充分予測できるところである。以上の次第で、被請求人の反論に拘わらず、本件商標は引用商標と類似するものと考える。

4. 被請求人は、「本件審判の請求は成り立たない、審判費用は請求人の負担とする、」との審決を求めると答弁し、その理由及び弁駁に対する答弁を次のように述べ、証拠方法として乙第1号証及び同第2号証を提出した。

(1)本件商標は、乙第1号証から明らかなように、鳥取県倉吉市の長谷寺縁起、陰徳太平記及び倉吉市を含む伯耆地方の伯耆民談記の原典に記載されている天女を、倉吉市出身の故菅楯彦画伯が版画で表現したものである。また、長谷寺縁起、陰徳太平記に天女と共に現われている打吹山は、現在においても倉吉市の象徴であると共に、文化的にも科学的にも貴重な存在として知られている。本件商標権者は、このような事情に鑑み、本件商標の天女→打吹山→倉吉市→倉吉市農業協同組合を一般需要者に連想せしめ、商品の出所を明らかにしようとする意図に基づいて権利取得を図ったものである。従って、請求人の主張するような羽衣を連想させる意図は全く存在せず、鳥取県の倉吉市という自然に富んだ美しい町、ひいては倉吉市農業協同組合を連想させることを意図するものである。鑑みるに、本件商標の天女の図形は、故菅楯彦画伯の生前の了解を得て、倉吉市農業協同組合の玄関ホールの壁面に大きく画かれており、倉吉市農業協同組合の象徴ともなっている。

(2)さて、本件商標の構成は、天女が笙の笛を吹きつつ天から下りてくる図形である。請求人の云うような、舞いを舞いつつ上昇していく天女を表わした図形では決してない。その理由は、天女の胸が下方に突き出ている体全体の姿勢や衣服の裾が下から上方へなびいている状態を見れば、一目瞭然に判断できることである。この点において、請求人は、本件商標についての認識を故意的と思われるほど著しく誤認している。これに対し、引用商標の構成は、三保の松原と富士山を左下に配し、やや右上に羽衣をまとって舞い上ってゆく天人(天女)の図形と、左上に「はごろも」の平仮名文字を配してなるものである。したがって、この2つの登録商標は、外観上著しく相違し、一般需要者が誤認することはあり得ないと確信する。

(3)次に、観念・称呼の観点から、本件商標と引用商標及び甲第3号証乃至同第7号証の登録商標を比較すると、果して、本件商標からはごろも(羽衣)なる観念、称呼が一般需要者に惹起させうるものであるか否かという点の問題である。しかしながら、この点については、本件商標は前述した構成を採用しているので、もし敢えて観念・称呼が生ずるとすれば、笙の笛を吹く天人(天女)の観念、「ショウノフエヲフクテンニン」、「ショウノフエヲフクテンニョ」の称呼が生じるものであって、はごろも(羽衣)の観念・称呼は生じないものと確信する。

(4)請求人は、本件商標の審査時における審査官の類否判断には離隔的観察が欠けているので誤りがあったとも指摘しているが、この指摘こそが誤りで、審査官の類否判断の中には、この点も含んだ正当なものであると確信する。これを補強するために乙第2号証を証拠方法として提出する。乙第2号証は、わが国で最も権威のある国語辞典として知られる「広辞苑」のはごろも(羽衣)の語句の意味の部分を複写したものである。ここにおいて、はごろも(羽衣)は2つの意味を有している。1つは、「鳥の羽で作った薄く軽い衣」の意味。他の1つは、「能の一。三保の松原で漁夫伯竜が羽衣をみつけたのを、天人が呼びとめて返してもらい、その礼に舞を舞って昇天する。」の意味。又、これに加えて、羽衣の図解がある。まず第1の意味におけるはごろも(羽衣)は、本件商標においては、天女が着飾っているもののどれが羽衣であってどれが帽子のリボンかあるいは衣服かの区別がっきにくく、しかも、この図形全体にしめるウエイトは少く、又、とくに強調された画き方がなされていない。特徴あるのは、笙の笛であり、天から下りてくる姿である。従って、離隔的観察を行った場合であっても、本件商標から、第1の意味におけるはごろも(羽衣)が観念されたり、称呼されることは皆無であり、その結果、一般需要者が甲第1号証乃至同第7号証の登録商標と誤認混同を生ずることは全くあり得ないものと確信する。第2の意味におけるはごろも(羽衣)は、本件商標とは更に大きく相違する。第2の意味におけるはごろも(羽衣)を表現するためには、甲第2号証のように、三保の松原、富士山、羽衣を着けた天人(天女)が舞い上がる姿を表示する必要がある。本件商標は、これらの重要な要件のすべてを欠いているので、これを離隔的観察を試みても、第2の意味におけるはごろも(羽衣)を観念されたり、称呼されることは全く生せず、まして一般需要者が甲第1号証乃至同第7号証の登録商標と誤認混同を生ずることは全くあり得ないと確信する。ちなみに、乙第2号証には羽衣の図解がある。これは第2の意味におけるはごろも(羽衣)の場面に出てくる人物の羽衣をまとった姿である。仮に、本件商標がこの図解される図形と近似した図形であるならば、能に興味のある一般需要者は、羽衣を観念し、称呼するかもしれないが、実際は前述したようにその構成は全く相違しており、この意味からも離隔的観察を行った場合でも、誤認混同の恐れはないものと確信する。

(5)請求人の弁駁書の要旨は、<1>図形が商標として使用された場合、現実の取引の場において、一般常識的な理解のもとに称呼され観念されるのが普通である。<2>本件商標を「打吹山天女伝説」として知っているのは、鳥取県の当該地城に居住する一部の者のみで、一般には皆無である。<3>この伝説を知っている者でも、本件商標と羽衣伝説における天女図形との差を識別しうる者はきわめて少ない(特に離隔的観察において)。<4>購買者は主として家庭の主婦であるから、とくに誤認混同を生じやすい。の4つに集約される。以上の弁駁書の要旨において、<1>の主張は、極めてもっともなことであるが、<2>以下の主張は、請求人が本件商標を誤って認識し、且つ、自己が所有する商標登録の類似範囲を著しく拡大解釈しだ結果、誤った結論を導き出した結果によるものである。

すなわち、請求人は、審判請求書の請求の理由の欄において、<1>本件商標は、「舞いを舞いつつ上昇していく天女を表わした図形より成る」と認識している点。<2>上記認識に基づいて、本件商標は、「三保の松原で漁夫伯竜が羽衣をみつけたのを、天人が呼びとめて返してもらい、その礼に舞を舞って昇天する、羽衣伝説の物語の一場面を表わす」と認識している点。<3>本件商標の外観上から「はごろも」の称呼が生ずると認識している点。である。以上の請求人の認識は、前項<1>の基準に照らしてみても、本件商標を正しく認識しているとは到底認め難く、故意に事実を歪曲させているものと認めざるを得ない。すなわち、<1>についての一般常識人が認識し得ることは、「天女が笙の笛を吹きつつ天から下りてくる図形」である。舞いを舞っているか否か、上昇しているか下降しているか、笛を吹いているか(笛を持っているか)否かは、家庭の主婦を含む一般常識人であれば、深く観察をしなくても通常の観察力でもって一見して判別できることである。間違っても、「舞いを舞いつつ上昇していく天女」という観念は生じないと確信する。このように、<1>についての認識が基本的に誤っており、この誤った認識に基づいて請求人は前記<2>の認識を導き出しているのであるから、一般常識人が<2>の認識に到達しないことは明らかである。又、本件商標から、<3>の「はごろも」の称呼が生ずると主張している点についても、本件商標の図形において、天女が着飾っているもののどれが羽衣であってどれが帽子のリボンかあるいは衣服かの区別がつき難く、しかも、この図形全体にしめるウエイトが少なく、とくに強調された画き方がなされていない。特徴のあるのは、笙の笛であり、天から下りてくる姿である。ここからは、「ショウノフエヲフクテンニン」の称呼・観念が生ずるにすぎない。従って、隔離的観察を行った場合であっても、本件商標から「はごろも」が観念されることはあり得ないと確信する次第である。

5. よって按ずるに、請求人は、本件商標が商標法第46条第1項の各号のいずれに違反しているものであるかを明記していないが、審判請求書及び弁駁書に記載された理由の全趣旨からみて、本件商標が商標法第4条第1項第11号に違反して登録されたことを理由に、その登録の無効を主張しているものと認める。

そこで判断するに、引用A商標は、別紙(2)に表示したとおり、天人(天女)とその左下に富士山と海岸の風景を描いた図形及び図形の左上に「はごろも」の文字を表示してなるものである。

しかして、引用A商標には、富士山と海岸の風景と天人(天女)とがまとまりよく一体のものとして表されており、その構成中の「はごろも」の文字と相俟って、羽衣伝説の天人(天女)が三保の松原の上空で羽衣を身につけて舞を舞っているところを表したものと容易に理解され、認識されるものということができる。

そうすると、引用A商標は、「ハゴロモ」(羽衣)の称呼、観念を生ずる商標とみるのが相当である。

一方、本件商標は、別紙(1)に表示したとおり、空中で笙の笛を吹いている天人(天女)を描いてなるものであって、天人(天女)が描かれている点については引用A商標と共通するが、笙の笛を吹いているところから、この天人(天女)は羽衣伝説の天人(天女)とは認識されないものと認められる。

そうとすると、本件商標からは、請求人が主張するような「ハゴロモ」の称呼、「羽衣」の観念が生ずるとみるべき相当の理由はないものといわなければならない。

また、本件商標と引用A商標の天人(天女)は、笙の笛の有無によりその外観が充分区別して認識されるものと認められるから、両商標は、その外観が紛らわしいものとはいえない。

そして、本件商標と引用B乃至G商標を比較すると、後者は前記及び別紙(3)、(4)に表示したとおりのものであるから、両者は、外観上相紛れるおそれはないものであり、また、引用B乃至G商標は「ハゴロモ」(羽衣)の称呼、観念を生ずると認められるものであるのに対し、本件商標は、前記認定のとおり、「ハゴロモ」の称呼、「羽衣」の観念が生じないものであるから、その称呼、観念を比較することができない。

してみれば、本件商標と引用各商標とは、外観、称呼、観念のいずれの点においても相紛れるおそれのないものであるから、非類似の商標といわざるを得ない。

したがって、本件商標は、商標法第4条第1項第11号に違反して登録されたものではなく、同法第46条第1項の規定により、その登録を無効とすることができない。

よって、結論のとおり審決する。

平成9年1月24日

審判長 特許庁審判官 (略)

特許庁審判官 (略)

特許庁審判官 (略)

別紙

<省略>

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