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東京高等裁判所 平成9年(ネ)5334号 判決 1998年12月03日

控訴人・附帯被控訴人(以下「控訴人」という。)

美倉不動産株式会社

右代表者代表取締役

右訴訟代理人弁護士

細田良一

江村正之

被控訴人・附帯控訴人(以下「被控訴人」という。)

住友不動産株式会社

右代表者代表取締役

右訴訟代理人弁護士

遠藤英毅

今村健志

戸張正子

主文

一  控訴人の控訴及び被控訴人の附帯控訴に基づき、原判決を次のとおり変更する。

1  控訴人と被控訴人との間の別紙物件目録≪省略≫二記載の建物についての賃貸借契約における一か月当たりの賃料及び駐車場使用料(いずれも消費税相当額を含む。)は、次のとおりであることを確認する。

(一)  平成五年四月一日以降

賃料 六四七万八五六九円

駐車場使用料 一〇万一一五九円

(二)  平成七年四月一日以降

賃料 五二九万六一五三円(ただし、平成九年四月一日以降五三九万八九九一円)

駐車場使用料 一〇万一一五九円(ただし、平成九年四月一日以降一〇万三一二三円)

2  控訴人のその余の本訴請求及び被控訴人のその余の反訴請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は、第一、二審及び本訴反訴を通じてこれを二分し、その一を控訴人の負担とし、その余を被控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一当事者の求めた裁判

一  控訴人

1  原判決を次のとおり変更する。

控訴人と被控訴人との間の別紙物件目録二記載の建物(以下「本件建物持分」という。)についての賃貸借契約(以下「本件賃貸借契約」という。)における一か月当たりの賃料及び駐車場使用料(いずれも消費税相当額を含む。)が次のとおりであることを確認する。

(一) 平成五年四月一日以降

賃料六四七万八五六九円、駐車場使用料一〇万八二四〇円(合計六五八万六八〇九円)

(二) 平成七年四月一日以降

賃料六九三万二〇六九円、駐車場使用料一一万五八一七円(合計七〇四万七八八六円)

2  被控訴人の附帯控訴を棄却する。

3  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

二  被控訴人

1  控訴人の控訴を棄却する。

2  原判決を次のとおり変更する。

本件賃貸借契約における一か月当たりの賃料(消費税相当額を含む。)が次のとおりであることを確認する。

(一) 平成五年一〇月一日以降 四四四万四一九二円

(二) 平成七年四月一日以降 三九九万九七七三円

3  訴訟費用は、第一、二審とも控訴人の負担とする。

第二事案の概要

本件の事案の概要は、原判決の「第二 事案の概要」記載のとおりであるから、これを引用する。

控訴人及び被控訴人の当審における主張は、専ら原判決の認定及び判断を非難するものであるから、次項において必要に応じて摘示した上、判断を加える。

第三争点に対する判断

一  本件の経過

前記争いのない事実等、証拠(≪証拠省略≫、原審における控訴人代表者C、原審証人D、原審における鑑定(第一、第二回))及び弁論の全趣旨によれば、次の事実を認めることができる。

1  本件建物の建築及びその賃貸計画

(一) 控訴人は、昭和四一年末ころ、Eら四名(以下「Eら」という。)からその所有にかかる東京都千代田区<以下省略>宅地六六一・九一平方メートル(以下「本件土地」という。)の一部一一五・五平方メートルを賃借して、その地上に、木造二階建の建物を所有していた。

昭和六二年ころ、Eら、控訴人及び我が国有数の不動産業者である被控訴人の三者の間で、控訴人及びEらが建築費を負担して本件土地上に共有の賃貸用オフィスビルを建築した上、これを被控訴人に一括して賃貸し、被控訴人がテナントに転貸する内容の事業について交渉が行われた。その結果、まず、控訴人及びEらは、昭和六三年一一月七日、賃貸用オフィスビル(本件建物)の建築に関する合意書を取り交わし、本件建物を共有とすることとした(控訴人の持分は別紙物件目録二記載のとおり)。

(二) 次いで、控訴人は、被控訴人との間で、本件建物持分(控訴人の持分)についての賃貸借契約の交渉を進め、平成元年二月、一か月当たりの賃料(以下賃料及び駐車場使用料の額は、一か月当たりの額をいう。)を三・三平方メートル当たり三万四〇〇〇円とし、賃料は二年ごとに七パーセント増額する旨の予約契約書を取り交わした。

2  本件賃貸借契約の締結

(一) 控訴人は、被控訴人との間で、平成元年一二月二二日、本件建物持分について次の内容の本件賃貸借契約を締結した(≪証拠省略≫)。

(1) 控訴人は、Eらとともに、本件土地に賃貸用オフィスビル(本件建物)を建築し、これを被控訴人に対し一括して賃貸する(一条一項)。

被控訴人は、自己の責任と負担において本件建物を他に転貸し、賃貸用オフィスビルとして運用する(一条三項)。

控訴人及び被控訴人は、本件賃貸借契約の開始以前であっても、これを解約することができない(一九条)。

(2) 賃貸期間は、本件建物の竣工時から満二〇年間とする(三条一項本文)。本件賃貸借の期間中は、控訴人及び被控訴人は、天災地変等不可抗力によって本件建物が損壊した場合以外は、解約することができない(三条二項)。

(3) 賃料は、控訴人の持分比率に相当する五八七万八三八七円(消費税相当額を含めると六〇五万四七三八円)とする(五条一項本文)。

右の賃料は、本件建物の竣工時から満二年経過ごとに、直前賃料の七パーセントの値上げをする(六条一項)。

被控訴人の転貸条件が被控訴人の賃借条件を増減しても、控訴人及び被控訴人は、それを理由として、前項の値上げ率の変更を申し出ない(六条二項)。

急激なインフレ、その他経済事情に激変があったときは、六条一項の値上げ率を別途協議の上変更することができる(六条三項)。

(4) 駐車場は、被控訴人が一括賃借するものとし、その使用料は控訴人の持分比率に相当する九万八二一三円(消費税相当額を含めると一〇万一一五九円)とする(五条五項)。

(5) 被控訴人は、控訴人に対し、敷金として、総額一億七四〇六万八七四〇円を預託する(七条)。

(二) 本件賃貸借契約が締結された平成元年頃は、都心部のオフィスビルの賃料水準は、景気の拡大や東京への一極集中化などによる需要の増大が原因となって、大幅に上昇していた。このような状況もあって、控訴人と被控訴人は、本件賃貸借契約に至る交渉において、賃料の値下げについて具体的に検討したことはなかった。

3  本件建物の竣工

(一) 控訴人は、本件建物持分の建築資金を全額銀行から借り入れ、本件賃料増額特約に基づいて得られる賃料収入を前提として、その返済計画を立てた(もっとも、この建築資金の借入れないし返済計画の具体的な内容を認定するに足りる証拠はない。)。

(二) 本件建物(○○ビル)は、平成三年三月三一日、竣工した。

本件建物は、鉄骨鉄筋コンクリート造陸屋根地下一階付八階建、延べ面積三八三六・一〇平方メートルの建物で、一階ないし八階を事務所として、地下一階を駐車場としてそれぞれ使用する構造となっている。

本件建物は、靖国通り沿いに所在し、その近隣地域は高層オフィスビルが連なる準高度の商業地域である。

4  控訴人の賃料増額請求

控訴人は、被控訴人に対し、本件賃料増額特約(前記2、(一)、(3)記載の特約)に基づき、次のとおり、本件賃料及び駐車場使用料の増額請求の意思表示をした(いずれも消費税相当額を含む。)。

(一) 平成五年四月三〇日(平成五年四月一日以降)(≪証拠省略≫)

賃料 六四七万八五六九円

駐車場使用料 一〇万八二四〇円

合計 六五八万六八〇九円

(二) 平成七年三月二二日(平成七年四月一日以降)(弁論の全趣旨)

賃料 六九三万二〇六九円

駐車場使用料 一一万五八一七円

合計 七〇四万七八八六円

5  被控訴人の賃料減額請求

(一) 被控訴人は、控訴人に対し、平成五年四月二二日頃に、本件賃料及び駐車場使用料(いずれも消費税相当額を含む。)について次のとおり通知し(≪証拠省略≫)、右通知にかかる金額を支払った。

(1) 同年四月一日から同年六月末日まで

賃料 六〇五万四七三八円(据置き)

駐車場使用料 一〇万一一五九円(据置き)

合計 六一五万五八九七円

(2) 同年七月一日から平成七年三月末日まで

賃料 五四一万六六六六円(減額)

駐車場使用料 一〇万一一五九円(据置き)

合計 五五一万七八二五円

(二) 次いで、被控訴人は、控訴人に対し、平成五年九月一六日に、同年一〇月一日以降の賃料について次のとおり減額請求の意思表示をした。

賃料 四四四万四一九二円

駐車場使用料 一〇万一一五九円(据置き)

合計 四五四万五三五一円(端数調整をしたもの)

(三) さらに、被控訴人は、控訴人に対し、平成七年三月二日に、同年四月一日以降の賃料について次のとおり減額請求の意思表示をした。

賃料 三九九万九七七三円

駐車場使用料 一〇万一一五九円(据置き)

合計 四一〇万〇九三二円

6  賃料水準の動向等

(一) 本件建物の固定資産税額は、平成三年を基準とすると、次のとおり上昇した(本件鑑定(第一、二回))。

平成三年一月一日 一六七〇万五一三一円

平成五年一月一日 一九四八万〇二一一円(約一七パーセント上昇)

平成七年一月一日 二一五三万四四七四円(約二九パーセント上昇)

また、東京都区部の消費者物価指数なども、この間上昇した。

(二) しかし、賃貸用オフィスビルの賃料(実質賃料)は、千代田区、中央区、港区、新宿区、渋谷区の場合、三・三平方メートル当たり、次のとおりであった(本件鑑定(第一、二回)中に引用の株式会社生駒データサービスシステムの調査による。)。

平成三年 五万七一七四円

平成五年 五万一一一九円

平成七年 二万九四八〇円

平成八年六月 二万〇三七九円

このように、いわゆるバブル経済の崩壊とともに株価や地価が急激に下落していたが、とりわけ平成五年以降賃貸用オフィスビルの賃料水準が急激に下落するとともに、オフィスビルの空室化や賃借人からの賃料減額請求が多くなり、また、一定の期間の賃料を免除するいわゆるフリー・レント方式も採用されるようになった。

もっとも、本件鑑定(第一、二回)によると、右の賃貸用オフィスビルの実質賃料の推移のほか、本件土地の路線価、本件建物の固定資産税、消費者物価指数、継続賃料の値上げの実施状況、本件土地の地代等の各指標の変動率を総合したスライド賃料算定のための変動率は、平成三年四月一日から平成五年七月一日までの間に約四パーセント上昇し、平成五年七月一日から平成七年四月一日までの間に約九パーセント下落したことが認められる。

7  被控訴人の損益等

(一) 被控訴人が本件建物を転貸して得た賃料収入は、次のとおりであった。

平成三年度 四億八五八八万円

平成四年度 四億八五八八万円

平成五年度 一億三〇二六万二〇〇〇円

平成六年度 二億三七八一万八〇〇〇円

平成七年度 一億八二八一万五〇〇〇円

本件建物は、平成五年四月の時点では全室テナントが入居していたが、その後、テナントが賃料の低い他のオフィスビルに移転して、同年七月の時点では全室空室となった。そこで、被控訴人は、本件建物の四階ないし八階の転貸賃料の水準を三・三平方メートル当たり二万五〇〇〇円に下げてそれらのテナントを確保したが、三階については平成六年三月まで、一、二階については平成七年二月まで空室が続いた。(以上につき≪証拠省略≫)

(二) 被控訴人の各年度(いずれも三月期)の損益は、次のとおりである(≪証拠省略≫)。

(支払賃料による場合)

平成四年 三七〇九万七〇〇〇円

平成五年 三七〇九万七〇〇〇円

平成六年 マイナス三六三〇万五〇〇〇円

平成七年 マイナス 四九七万円

平成八年 マイナス一二二二万七〇〇〇円

(本件鑑定の賃料による場合)

平成四年 三七〇九万七〇〇〇円

平成五年 三七〇九万七〇〇〇円

平成六年 マイナス四六五四万五〇〇〇円

平成七年 マイナス二一七三万三〇〇〇円

平成八年 マイナス一八〇二万八〇〇〇円

8  本件鑑定による本件建物持分の適正賃料額

(一)(1) 本件鑑定(第一回)は、本件建物持分の平成五年四月一日及び同年七月一日における各継続支払賃料を求めるもので、差額配分法及びスライド法により鑑定評価をした。

すなわち、本件鑑定(第一回)は、① 賃貸事例を比較して基準階(四階)の比準賃料を一平方メートル当たり一万〇三〇〇円とし、右各時点における差額配分法による試算賃料を六三一万二五二〇円(駐車場使用料を含み、消費税相当額を含まない。)と算定し、② 千代田区、中央区、港区、新宿区、渋谷区における実質賃料、本件土地建物の固定資産税額の推移など八指標を総合的に勘案して変動率を求め、現行の実際実質賃料に右変動率を乗じて、右各時点におけるスライド法による試算賃料を六八一万九一〇二円(駐車場使用料を含み、消費税相当額を含まない。)と算定し、③ これらの試算賃料に、本件賃料増額特約の存在を含む本件の諸事情を総合的に考慮して、右各時点における実際実質賃料をいずれも六五五万六八〇〇円とした上、敷金の額を考慮して右各時点における実際支払賃料を五九七万六六〇〇円(駐車場使用料を含み、消費税相当額を含まない。消費税相当額を加えると、本件賃貸借契約における賃料額とほぼ同額の六一五万五八九八円となる。)と算定した。

(2) 本件鑑定(第二回)は、本件建物持分の平成五年一〇月一日及び平成七年四月一日における各継続支払賃料を求めるもので、第一回の鑑定評価額を前提とし、差額配分法及びスライド法により鑑定評価をした。

ア 本件鑑定(第二回)は、まず、平成七年四月一日時点における鑑定評価額を求めた。すなわち、① 賃貸事例を比較して基準階(四階)の比準賃料を一平方メートル当たり五六八〇円とし、右時点における差額配分法による試算賃料を四九六万五二八三円(駐車場使用料を含み、消費税相当額を含まない。)と算定し、② 千代田区、中央区、港区、新宿区、渋谷区における実質賃料、本件土地建物の固定資産税額の推移など八指標を総合的に勘案して変動率を求め、平成五年七月一日の実際実質賃料に右変動率を乗じて、スライド法による試算賃料を五九六万六六八八円(駐車場使用料を含み、消費税相当額を含まない。)と算定し、③ これらの試算賃料に、本件賃料増額特約の存在等の諸事情を総合的に考慮して、平成七年四月一日の時点における実際実質賃料を五四六万六〇〇〇円とした上、敷金の額を考慮して実際支払賃料を四八八万五八〇〇円(駐車場使用料を含み、消費税相当額を含まない。消費税相当額を加えると五〇三万二三七四円)と算定した。

イ 本件鑑定(第二回)は、次いで、右アを基に、平成五年一〇月一日における実際支払賃料を五八二万〇八〇〇円(駐車場使用料を含み、消費税相当額を含まない。消費税相当額を加えると五九九万五四二四円)と算定した。

(二) 本件鑑定には、採用された基礎数値や評価の手法等について格別不合理、不相当な点は認められない。

(三) 被控訴人は、本件鑑定(第一、二回)は、本件賃貸借関係に関する主観的事情に力点を置く余り、結果として各時点におけるオフィスビル賃料の市況とかなり乖離した評価をしていると主張するが、本件鑑定(第一、二回)は、オフィスビルの賃料水準を十分考慮しており、被控訴人の右主張は当たらない。

二  本件賃料増額特約の有効性

1  本件賃貸借契約の性質

前記一に認定した事実によれば、本件賃貸借契約は、賃料を対価として建物を使用収益させる契約であるから、文字どおり賃貸借契約であるが、被控訴人にとっては「オーナーに代わってビルを管理・運営する事業の受・委託が基本」である(≪証拠省略≫)という性格を有し、控訴人にとっては「テナント募集における危険負担を回避するための賃貸借契約である」(≪証拠省略≫)という性格を有する賃貸借契約であり、その性質を一義的に把握することはできない。

2  本件賃料増額特約の有効性

(一) 借地借家法三二条は、契約自由の原則を前提としながらも、賃貸人と賃借人の継続的な関係にかんがみて、事情の変更に応じ賃料の増額請求権を認めたものである。したがって、建物の賃貸借契約の当事者が賃料増額禁止の特約を除き、契約によって右の賃料増額請求権を全く否定することは同条に反し許されないと解する余地があり、その意味では同条は強行法規に類する面を有する(借地借家法三七条のような明文はないが、最高裁第三小法廷昭和三一年五月一五日判決、民集一〇巻五号四九六頁参照)。

(二) しかし、本件賃料増額特約は、前記のとおり、満二年経過ごとに直前賃料の七パーセントの値上げをするというものであり、これによって将来発生するおそれのある賃料の額をめぐる紛争を予防しようとするものであるから、一定の合理性を有することはもちろんであるし、本件賃貸借契約自体はなお存続するにもかかわらず、その一部である本件賃料増額特約のみを取り出して、将来にわたり一挙にこれを無効とすることは、かえって当事者の予想に反し、かつ、その間の衡平を欠くことにもなりかねないから、本件賃料増額特約が借地借家法三二条に違反し無効であるということはできない。

三  本件賃料増額特約の効力の及ぶ範囲

1  一般に、契約自由の原則は尊重すべきであるが、いわゆる事情変更の原則の法理にかんがみると、賃貸借契約及びこれに附随する賃料増額特約を締結した後に、当事者にとって予見することができず、かつ、当事者の責めに帰することのできない事由によって事情の変更が生じ、当該賃料増額特約をそのまま適用することが著しく不合理な結果となる場合には、当該賃料増額特約はその効力を失うことがあると解するのが相当である(最高裁平成九年七月一日第三小法廷判決、民集五一巻六号二四五二頁参照)。

そして、右の事情の変更が生じ、当該賃料増額特約をそのまま適用することが著しく不合理な結果となるかどうかについては、右にみた借地借家法三二条の趣旨及び及び前記二、1記載の本件賃貸借契約の性質のほか、前記一に認定したとおり、(1)本件賃貸借契約締結当時(平成元年一二月)は、都心部のオフィスビルの賃料水準は大幅に上昇しており、控訴人も被控訴人も本件賃貸借契約に至る交渉において賃料の値下げについて具体的に検討したことはなかったこと、(2)本件賃貸借契約には、最低賃料額を保証する旨の明示の条項は設けられていないこと、(3)本件賃貸借契約では、急激なインフレ、その他経済事情に激変があったときは、協議によるとはいえ、本件賃料増額特約を超える賃料の増額を認めており、本件賃料増額特約を絶対的なものとはしていないこと等を踏まえて個別に認定判断しなければならない(なお、最高裁昭和四四年九月二五日第一小法廷判決、裁判集民事九六号六二五頁参照)。

2  そこで、本件について検討する。

(一) まず、賃料水準の動向についてみると、本件賃貸借契約及びこれに附随する本件賃料増額特約は平成元年一二月に締結されたが、当時は都心部のオフィスビルの賃料水準はなお大幅に上昇する傾向を示していたし、多くの者が我が国の経済がなお成長、拡大を続けていくものと信じていた。したがって、控訴人も被控訴人も、その当時、その後にいわゆるバブル経済が崩壊し、賃貸用オフィスビルの賃料水準の急激な下落とその継続という著しい事情の変更が生ずることを予見することができたということはできない(このことは被控訴人が我が国有数の不動産業者であることを考慮しても左右されない。これに反する控訴人の供述は、採用することができない。)し、それが控訴人ないし被控訴人の責めに帰すべき事由によって生じたということもできない。

(二) そして、前記一、6の認定によれば、千代田区、中央区、港区、新宿区及び渋谷における賃貸用オフィスビルの実質賃料の水準は、平成三年から平成五年にかけて若干低下したが、その後平成五年から平成七年にかけて急激に下落したことが明らかである。

また、本件鑑定(第一、二回)における前記一、6のスライド賃料算定のための変動率は、平成三年四月一日から平成五年七月一日までの間にむしろ約四パーセント上昇し、平成五年七月一日から平成七年四月一日までの間に約九パーセント下落している。

(三) また、前記一、8に認定したように、本件鑑定の結果(第一、二回)によれば、本件建物の適正賃料額は、駐車場使用料及び消費税を含め、次のとおりとされている。

(1) 平成五年四月一日及び同年七月一日 六一五万五八九八円(本件賃貸借契約締結時の賃料額とほぼ同額)

(2) 平成五年一〇月一日 五九九万五四二四円

(3) 平成七年四月一日 五〇三万二三七四円

右鑑定の結果からすると、本件賃料の第一回の改定時期である平成五年四月一日の時点では、本件賃料増額特約のとおり増額を認めても、その適正賃料額との差は約七パーセント(約四三万円)にすぎず、また、右平成五年一〇月一日の時点でも、本件賃料増額特約に基づく金額とそれほど大きな乖離を生じていないが、本件賃料の第二回の改定期である平成七年四月一日には、適正賃料額との差は約四〇パーセント(約二〇二万円)に達する。

(四) 以上を総合すると、本件賃料の第一回の改定期である平成五年四月一日の時点では、当事者にとって予見することができない事情の変更によって、本件賃料増額特約をそのまま適用することが著しく不合理な結果となるに至ったとまではいうことができないから、本件賃料増額特約は、いまだその効力を失っていないというべきである。そして、このことは、平成五年一〇月一日の時点においても同様である。

しかし、本件賃料の第二回の改定期である平成七年四月一日の時点においては、当事者にとって予見することができず、かつ、当事者の責めに帰することのできない事由によって事情の変更が生じ、本件賃料増額特約をそのまま適用することが著しく不合理な結果をもたらすに至ったというべきであるから、本件賃料増額特約はその効力を失ったというべきである。

3  そうすると、本件賃料は、平成五年四月一日以降、本件賃料増額特約に従って増額されたと認められる。もっとも、前記一、2に認定したところによれば、本件賃料増額特約の効力は、賃料のみに及び、駐車場使用料には及ばないと認められるから、平成五年四月一日以降の本件賃料及び駐車場使用料は、次のとおりである(いずれも下段は消費税三パーセント相当額を含むもの)。

賃料 六二八万九八七四円 六四七万八五六九円

(控訴人の増額請求額を上限とする。)

駐車場使用料 九万八二一三円 一〇万一一五九円

合計 六三八万八〇八七円 六五七万九七二八円

四  被控訴人の賃料減額請求

1  右三に説示したとおり、本件賃料増額特約は、平成七年四月一日以降、事情変更の原則によりその効力を失ったから、控訴人が主張する増額の効果は生じない。

付言すると、控訴人の右時点以降の賃料の増額請求は、従前の賃料額を適正賃料額に増額する旨の意思表示を含むと解されるが、既に認定した事実によれば、右時点において従前の賃料を増額することを相当とする事由があるということはできないから、右意思表示がその効力を生じたものということもできない。

2  かえって、これまで認定したところによれば、本件賃料増額特約は、平成七年四月一日にその効力を失った上、被控訴人は平成七年四月一日以降の賃料の減額請求の意思表示をしたこと、そして右の時点において借地借家法三二条の定める減額を相当とする事由が存在したことが明らかである。

そこで、平成七年四月一日以降の相当賃料額について検討するに、右の相当賃料額は、平成五年四月一日の賃料額に平成七年四月一日までの適正賃料額の減少の比率(本件鑑定(第一、二回)におけるもの)を乗じて算定するのが相当である。

そうすると、平成七年四月一日以降の賃料及び駐車場使用料は、次のとおりとなる(いずれも下段は消費税三パーセント相当額を含む。)。

賃料 五一四万一八九七円  五二九万六一五三円

駐車場使用料 九万八二一三円 一〇万一一五九円(従来どおり)

合計 五二四万〇一一〇円  五三九万七三一二円

3  なお、消費税法等の改正(平成六年法律第一〇九号、第一一一号)により、平成九年四月一日以降地方消費税を併せた消費税の税率が五パーセントに引き上げられたので、本件賃料及び駐車場使用料の額は、次のとおりとなる(いずれも下段は消費税相当額を含むもの)。

賃料 五一四万一八九七円  五三九万八九九一円

駐車場使用料 九万八二一三円 一〇万三一二三円

合計 五二四万〇一一〇円  五五〇万二一一四円

第四結論

以上によれば、控訴人の本件賃料の増額の確認を求める本訴各請求は前記三、3に記載の限度において、被控訴人の本件賃料の減額の確認を求める反訴各請求は前記四、2、3記載の限度においていずれも理由があるからこれを認容すべきであり、その余の部分はいずれも理由がないからこれを棄却すべきである。

よって、右と異なる原判決を変更することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 増井和男 裁判官 岩井俊 高野輝久)

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