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東京高等裁判所 平成9年(ネ)1905号 判決 1997年9月18日

控訴人(附帯被控訴人。以下単に「控訴人」という。)

株式会社あさひ銀行

右代表者代表取締役

野尻肇

右訴訟代理人弁護士

木村一郎

被控訴人(附帯控訴人。以下単に「被控訴人」という。)

泉田儀則

右訴訟代理人弁護士

坂本兆史

主文

一  原判決中、控訴人敗訴部分を取り消す。

二  右部分に関する被控訴人の請求及び当審における追加請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、第一、第二審とも被控訴人の負担とする。

事実及び理由

一  当事者の求めた裁判

1  控訴の趣旨

主文と同旨

2  附帯控訴に基づく被控訴人の当審における追加請求の趣旨

(一)  控訴人は、被控訴人に対し、金三〇万円及びこれに対する平成九年五月二日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

(二)  当審における訴訟費用は、控訴人の負担とする。

(三)  仮執行の宣言

二  事案の概要

次のように付加、訂正するほかは、原判決の事実及び理由の「第二 事案の概要」欄に記載のとおりであるから、これを引用する。

1  原判決三頁六行目の「遅延損害金」の次に「並びに債務不履行に基づく弁護士費用相当額の損害金」を、同四頁四行目の「預金通帳」の次に「(以下『本件通帳』という。)」を加え、同七行目の「本件預金通帳」を「本件通帳」に改め、同一一行目の「銀行印」の次に「(以下『本件届出印』という。)」を加え、同五頁一行目の「乙一、以下『副印鑑』という。」を「本件通帳の『お届印欄』に顕出された、乙一の『泉田』の印影と同一の印章(本件届出印)による印影。以下『本件副印鑑』という。」に、同六頁二行目、同七行目及び同一〇行目の「副印鑑」を「本件副印鑑」に改め、同六頁五行目の次に次のように加える。

「3 払戻請求書に押捺された印影は、新しい印鑑によるものではなく、しかも、泉田というめずらしい名称であるため、当時、三文判として売られている類の印鑑によるものではなかったこと、犯行時刻と払戻請求時刻との間に新しく印鑑を注文して作ることは不可能であったとみられること、被控訴人及び邦子は、控訴人の従業員に対し、本件届出印と同じ印鑑屋で作った似た印鑑がもう一つあって、認印として使用していたと述べていたことなどからすると、本件払戻請求書の印影は、被控訴人所有の右の届出印類似の印鑑により押捺されたものである。

本件は、右届出印類似の印鑑が通帳とともに盗難に合い、払戻しに使用されたものであるから、被控訴人のこれらの保管並びに管理の責任は重大であり、被控訴人側にも重大な過失があったというべきである。したがって、損害につき八割の過失相殺をするのが相当である。

4  被控訴人主張の弁護士費用は、控訴人の債務不履行と相当因果関係の範囲にある損害とはいえない。」

2 同七行目の冒頭に「1」を加え、同八行目の次のように加える。

「2 控訴人は、被控訴人に対し、本件預金等の返還義務として一一五万円の支払義務があるにもかかわらず、これを争ったため、被控訴人は、被控訴人代理人弁護士に訴訟依頼を余儀なくされ、同弁護士に対し、着手金として一五万四五〇〇円を支出し、報酬金として三〇万円を支払う約束をしている。

したがって、右弁護士費用のうち、少なくとも三〇万円は、控訴人の債務不履行と相当因果関係にある損害というべきである。

3  控訴人の過失相殺の主張は、時機に遅れた攻撃防御方法として却下されるべきである。」

3  同一一行目から同七頁一行目にかけての括弧書きの次に「、控訴人主張の過失相殺の可否及び被控訴人の弁護士費用相当の損害金請求の可否である」を加える。

三  争点に対する判断

1  前記争いのない事実及び証拠(甲一ないし四、乙一ないし一〇、証人田沼敏子、同泉田邦子、同柿沼隆)並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(一)  被控訴人は、平成七年二月一五日当時、控訴人加須支店に本件口座を有し、その預金残高は四八万二四二七円であった。同日午前八時五〇分ころ、何者かが当時の被控訴人方(埼玉県加須市礼羽六七九―一シルクハイム)に侵入し、被控訴人所有の実印を含む印章三個を及び本件通帳を窃取した。ただし、本件届出印に係る印章は邦子が所持して外出していたため、盗難を免れた。

(二)  同日午前一一時二八分ころ、四〇歳位の氏名不詳の男性が控訴人加須支店に現れ、本件通帳及び本件届出印以外の印章による「泉田」の印影が押捺された払戻請求書(乙二。以下「本件払戻請求書」という。)を田沼に提示し、預金四八万二四二七円の払戻請求及び六六万七五七三円の貸越請求を行った。田沼は、同日朝から窓口業務に就いていたが、右の請求は、田沼の同日第四五番目の業務であった。なお、右貸越請求金額は、被控訴人の定期預金を担保とした貸越限度額の範囲内(定期預金残高の九〇パーセントで、最高二〇〇万円まで)のものであり、また、右男性の挙動に特に不審感を抱かせるようなものはなかった。

(三)  田沼は、昭和四一年四月に控訴人に入行し、平成六年二月に控訴人加須支店勤務となり、その間約一一年預金窓口業務に従事して印鑑照合業務を行ってきたものである。田沼は、印鑑照合業務についてはベテランの部類に属し、これまで、本件のような事故に遭ったことはなかった。田沼は、銀行内の指導に従い、印鑑照合をする際には、払戻請求書に押捺された印影と預金通帳に顕出された印影(副印鑑)について、その大きさ、字体、字の特徴等を対比するいわゆる平面照合を行い、右照合により、同一性に疑義が生じた場合には、折り重ね照合等を行い、それでも不十分と考えるときは、他の職員に見てもらう、あるいはもう一度別の払戻請求書に押捺してもらって再確認する等していた。なお、預金者の中には、自宅等で払戻請求書に押捺してこれを持参する者も在したため、控訴人においては、朱肉の色の違いについては特段問題としない取扱いであった。

(四)  田沼は、本件通帳及び本件払戻請求書を預かり、本件払戻請求書に押捺された印影と本件通帳に顕出された印影である本件副印鑑とを平面照合した結果、両印影の大きさ、字体、字の特徴等の類似性からほぼ即座に、両印影は同一の印章による印影であると判断し、計一一五万円の払戻し及び貸越し(本件払戻し等)を行った。

(五)  本件通帳は、本件払戻し等の後、前記氏名不詳の男性が持ち帰ったため、現在、本件副印鑑そのものを参照することはできないが、被控訴人が控訴人に対してした印鑑届(乙一)の印影は、本件届出印によるもので、本件副印鑑との同一の印章による印影であるから、本件副印鑑と乙一の印影はほぼ同一とみられる。ところで、本件払戻請求書に押捺された印影(乙二)と乙一の印影を比較対照した場合、前者はスタンプインクを使用したかのような若干のにじみが見られるが、両印影は、その大きさは同一で、字体もほぼ同一であり(したがって、いわゆる折り重ね照合をしても、ほとんど相違が感ぜられない。)、「田」の文字の両側の縦棒がやや丸みを帯びているなど字の特徴も概ね一致していることから、全体の印象は極めて似ていることが認められる。しかし、より詳細に対照すると、本件払戻請求書に押捺された印影は、乙一の印影と比較して、「泉」の文字の第四画目すなわち「白」の中横線部分の末端がやや太く、同第六画目すなわち「水」の縦棒部分の長さがやや短く、同第九画目すなわち「水」の右側の「払い」の部分がやや太いという相違がある。そして、右相違は、その大部分は両印影が別の印章により押捺されたことによるものとみられるのであるが、例えば、右の一番目の相違はにじみ又はほこりの付着によるともみられ、三番目の相違はにじみによるともみられるように、印章の使い込み、欠損等による印章自体の変化、朱肉の種類ないしその付き具合、押捺の仕方及び紙質の違いなどから、同一の印章によっても生ずる相違とみることのできる余地である。

(六)  控訴人の総合口座取引規定には、「この取引において払戻請求書、諸届その他の書類に使用された印影……を届出の印鑑……と相当の注意をもって照合し、相違ないものと認めて取扱いましたうえは、それらの書類に付き偽造、変造その他の事故があってもそのために生じた損害については、当行は責任を負いません。」との条項がある(以下「本件免責条項」という。)

2 ところで、本件免責条項においては、控訴人が払戻請求書の印影を届出の印鑑と相当の注意をもって照合すべきことが規定されているから、本件免責条項も、民法四七八条の定める債権の準占有者に対する弁済の一場合を注意的に規定したものにすぎず、銀行が免責されるには、民法四七八条に規定された場合と同様、銀行が払戻請求を行った者が正当な権利者であると信じたことに過失がなかったことを要するものと解するのが相当である。

そして、銀行の印鑑照合を担当する者が、払戻請求書に使用された印影と届出印の印影又は預金通帳に届出印により顕出された印影(副印鑑)とを照合するにあたっては、特段の事情のない限り、折り重ねによる照合や拡大鏡による照合までの必要はなく、肉眼による平面照合の方法をもってすれば足りるものと解される。この場合、担当者は、銀行の印鑑照合を担当する者として、社会通念上一般に期待される業務上の相当の注意をもって照合を行うことが要求され、そのような事務に習熟している銀行員が、通常の事務処理の過程で、限られた時間内にではあるが、相当の注意を払って照合するならば、肉眼をもって別異の印章による印影であることが発見し得るのに、そのような印影の相違を看過した場合には、銀行には過失があり、民法四七八条はもとより、本件免責条項の適用もできないこととなるのである。

3 これを本件についてみるに、前記認定のとおり、本件払戻し等の際に、行為者につき特に不審感を抱かせるような具体的状況はなかったのであるから、折り重ね照合等を要求すべき特段の事情は在せず、平面照合により印影の一致を確認すれば足りるものというべきである。そして、本件副印鑑は乙一の印影とほぼ同一であるとみられるから、本件払戻請求書に押捺された印影と本件副印鑑とは、その大きさは同一で、字体はほぼ同一であり、「田」の文字の両側の縦棒がやや丸みを帯びているなど字の特徴も一致していて全体の印象は極めてよく似ているうえ、本件払戻請求書に押捺された印影は、本件副印鑑と比較して、「泉」の文字の第四画目すなわち「白」の中横線部分の末端がやや太く、同第六画目すなわち「水」の縦棒部分の長さがやや短く、同第九画目すなわち「水」の右側の「払い」の部分がやや太いという相違が在するものの、これはさほど目立たない微妙な違いであり、しかも、右相違は、いずれも同一の印章によりながら、使用条件の変化等によって生じ得る相違の範囲内にあるものといえる余地があるのである。そうすると、右相違は、印鑑照合事務に習熟している銀行員が相当の注意を払って慎重に平面照合をしたとしても、別異の印章によるものであるということを容易には発見し難いものであったといって差し支えない。

したがって、本件印鑑照合を担当した田沼が平面照合によって本件払戻請求書に押捺された印影と本件副印鑑との相違が別の印章によるものであることに気付かなかったとしても、それにつき、同人には過失は在しなかったものといわなければならない。

4  以上によれば、本件払戻し等に付き控訴人の担当者である田沼に過失があることを前提とする被控訴人の請求(当審における追加請求を含む。)は、この余の点を判断するまでもなく理由がない。

四  結論

よって、これと異なる原判決の認容部分(控訴人の敗訴部分)を取り消したうえ、右部分に関する被控訴人の請求及び当審における追加請求をいずれも棄却することとする。

(裁判長裁判官鈴木康之 裁判官小磯武男 裁判官丸山昌一は、転補につき署名押印できない。裁判長裁判官鈴木康之)

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