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東京高等裁判所 平成9年(う)411号 判決 1997年7月16日

主文

本件控訴を棄却する。

当審における未決勾留日数中一六〇日を原判決の刑に算入する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人鎌田正聰作成名義の控訴趣意書に記載されたとおりであるから、これを引用する。

第一  控訴趣意第一について

論旨は、要するに、原判決が有罪認定をした原判示第二及び同第四の各強姦の事実について被害者がした本件各告訴は、いずれも被害を受けたときから六か月の期間経過後になされたものであるところ、被害者は、原判示第二の被害当時、犯人の顔、姿などを目撃し、犯人が何人であるか気をつければ特定し得る状況にあったとみられるし、仮にその時点では特定できなかったとしても、遅くとも原判示第四の被害当時には、これを知っていたか又は極めて容易に知ることができる状況にあったから、右各告訴は、いずれにしても告訴期間経過後にされた無効のものというべきであり、結局両事実については公訴提起の手続がその規定に違反し無効であって、その公訴を棄却しなかった原判決には不法に公訴を受理した違法がある、というのである。

そこで、検討するのに、関係証拠によると、原判示第二の犯行日は平成七年四月一五日で、これに対する告訴は同八年五月一六日に、また同第四の犯行日は同七年一〇月二二日で、これに対する告訴は同八年五月二二日にそれぞれされているから、両告訴とも、犯行時から六か月以上の期間経過後にされていることは明らかである。ところで、親告罪の告訴期間は、「犯人を知った」日から六か月と定められているところ(刑訴法二三五条一項本文)、本件被害者は、右各被害当時、犯人と顔を合わせ、その人相、風体等を認識したと認められるから、本件では右の各被害時に「犯人を知った」と認めるべきではないかという疑問が生じないではない。

思うに、刑訴法が親告罪の告訴期間の始期を「犯人を知った」日からと定めた趣旨は、告訴をするかどうかを決めるに当たっては、犯罪の内容と並んで、犯人が誰であるかが実際上重要な判断要素となることを無視できないためと考えられる。そうだとすると、この告訴期間は、告訴権者が、告訴するか否かを通常決めることができる程度に犯人についての知識を得ていることを前提として、その時から進行を開始すると考えなければならない。もっとも、そのように考える場合にも特別の事情がない場合には、犯人が何人であるかを特定し得る程度に認識すれば、それだけで、告訴するか否かを通常決めることができる程度に犯人についての知識を得たとされる場合がほとんどであろうから、告訴権者が犯人の人相、風体等を実質的に認識したときは、それ以上に犯人の氏名、住所等を知らなくても、通常は刑訴法二三五条一項にいう「犯人を知った」ときに当たると考えてよいと思われる。しかし、親告罪のすべてを通じて常にそうであるとは限らない。一口に親告罪といっても、その罪の内容、親告罪を親告罪たらしめている理由等は様々であって、告訴するか否かを決める判断の複雑さとそのために必要とされる知識の範囲も実際上同じではない。特に、親告罪の犯行に脅迫行為が用いられ、そこに犯人と告訴権者やその身辺の者との特殊な関係を暗示させる内容が含まれているような場合には、告訴するかどうかを決めるに当たって、単に犯人が誰であるかを特定し得る程度に認識するだけでは十分でなく、それ以上に、犯人は告訴権者やその身辺の者とつながりがある者であるかどうか、告訴が告訴権者やその身辺の者の社会生活に危害その他の影響を及ぼすことがないかどうか等の点についても、概括的な判断をすることができる程度の知識が必要だと考えられる。したがって、このような特別の事情があるときは、このような点を含めて犯人が誰であるかを知ったときにはじめて、告訴するか否かを通常決めることができる程度に「犯人を知った」と判断するのが相当であると考えられる。もっとも、このように考えるときは、右のような特別の事情がある場合には、そうでない通常の場合と較べて、事実上告訴期間が伸張する結果となり、犯人の地位をそれだけ不安定にする面がないではない。しかし、告訴するか否かの判断を難しくしている原因が、主として犯人が用いたとされる脅迫行為の内容にあるとされる右のような場合には、告訴権者と犯人との利害を右のとおり調整することに十分な理由があると考えられる。

以上の観点から本件各告訴の効力を検討すると、本件の場合、被害者が原判示第二及び同第四の犯人を知ったのは、被告人が逮捕された平成八年四月二日以降のことと認めるのが相当である。すなわち、関係証拠によると、被害者は、右各被害当時、犯人と顔を合わせ、その人相、風体等を認識したことは間違いなく、加えて、犯人である被告人は、平成七年三月以降、暴力団関係者で田代という偽名を名乗って、現金をせびり取るために度々被害者を呼び出して会っていて、そうした機会が原判示第二の姦淫の犯行の前に一回、同第四の姦淫の犯行の前に四回程度はあったとみられるから、被害者にとって、犯人の識別という点に限ってみれば、知識が不足していたとは思われない。しかし、本件犯行では、脅迫行為の内容として、被害者の娘の家庭生活に対する加害行為を暗示する脅し文句が用いられており、そのため被害者としては、犯人と被害者の娘との関係や、あるいは告訴が娘の家庭生活に及ぼす影響等について多少とも知識を得た上でなければ、告訴するか否かを決めることができない状況にあったと考えられる。すなわち、関係証拠によれば、被告人は、昭和六二年ころから被害者の娘の花子と情交関係を持ち、同人がその後他の男性と婚姻して子供を産んだ後もその関係を続け、そうした関係の中で、花子の弟が交通事故で死亡して両親に多額の保険金が入ったとの事情を聞き覚えていたためにその金に狙いをつけ、暴力団関係者で田代と偽名を名乗って被害者を呼び出し、脅迫していたものであること、その際被告人が用いた主たる脅迫文言は、被害者の娘である花子が、実は暴力団員の「甲野太郎」(被告人の旧姓が甲野である。)という者と不倫関係にあり、産まれている子供も本当は不倫相手の甲野との間の子供であるとし、これを種に夫への口止め料を要求するというものであったこと、そこで被害者としては、これを断れば既に結婚して子供も産まれている娘の平穏な家庭生活を壊す結果になるのではないかと畏怖し、金員交付に応じてきたこと、ところがそうした一連の恐喝行為の途中、金員喝取と同じ機会に原判示第二、第四のとおり強姦の被害を受けたこと、それらの犯行時に、被告人の思惑の中には、強姦しておけば被害者本人から警察に被害届をする心配が少なくなるだろうとの計算が加わっており、被害者においても自らの強姦被害を夫に知られたくなく、そのことのために届け出をし難い気持ちが強まっていたこと、しかし基本的には、犯人から聞かされた花子と「甲野」との間の情交関係のことを花子からも聞かされた事情があったために、もし警察に強姦や恐喝の被害を届け出れば右の関係が花子の夫などに知れて、その家庭生活を壊す結果になるのではないかと恐れ、そのためもう少し犯人の素性とか告訴が娘とその家庭に及ぼす影響等の点が分かるまでは告訴するかどうかを決めかねるといった状態のまま日時を経過し、被告人の逮捕を迎えたものと認められるのである。

右の事実によると、原判示第二及び同第四の犯行当時、被害者が既に犯人の人相、風体等の外形的特徴を他の者と区別できる程度に認識していたことは明らかといえるが、その時点では、まだ、犯人は花子とその不倫相手である暴力団員甲野との関係を知る暴力団関係者であるという以上にはその人物についての知識を得ておらず、また、告訴が被害者本人やその娘の花子あるいはその家庭生活に及ぼす影響等について判断するのに必要な知識を得ていなかったもので、結局のところ告訴をするか否かを決するに足りるだけの知識を実質的に得ていなかったというべきであるから、被害者が「犯人を知った」のは、被告人が逮捕された平成八年四月二日以降のことであり、本件各告訴は犯人を知った日から六か月以内になされた有効なものと認めるのが相当である。なお、原判決は、「弁護人の主張に対する判断」の二の項において、「被害者が犯人について告訴をするかどうかの意思決定をするについては、犯人の立場や自己と犯人との関係が大きな意味を持つことにかんがみると、犯人が何人であるかを特定しうる程度に認識するというのは、犯人の立場や自己と犯人との関係を知り得る事情を認識することをいうものと解される」と判示し、この判断は、前述したような特別の事情がある場合であるか否かに関わりがないかのような判示をしている。一般的にこのようにいうことが適当であるか否かはしばらく措くが、さしあたり本件は、先に述べたとおりの特別の事情がある場合であるから、具体的事例に即して考えれば、原判決の判断は、結論において正当ということができる。

所論は、被害者が原判示第二及び同第四の各被害当時、少し気をつけて娘の花子と協議すれば犯人が花子の交際相手本人であることは容易に分かった筈であるから、その時点で犯人を知ったと認めるべきではないかと主張する。しかし、刑訴法二三五条は、「犯人を知った日」からと規定していて、「犯人を知り得べき日」からとは規定していないし、実質的にみても、気をつければ容易に犯人を特定し得る状況があったとしても、現実にまだ犯人を知らない以上、告訴するか否かを決めることはできないから、本件において、被害者がもっと早く花子と協議すれば犯人が花子の交際相手であることを容易に知ることができたと仮定しても、そのことは前記の判断結果に影響を及ぼすものではない。所論は採用できない。

以上の次第であるから論旨は理由がない。

第二  控訴趣意第二について

論旨は、要するに、被告人を懲役六年に処した原判決の量刑は重すぎて不当である、というのである。

そこで、原審記録及び当審における事実取調べの結果を合わせて検討するのに、本件は、被告人が、平成七年四月から同八年三月までの前後約一年位の間に、同一の被害者に対して次々と加えた強姦、準強姦等三件、恐喝、同未遂等三件、暴行の合計七件の犯行を内容とする事案である。そして、一連の犯行の最後に、被告人が共犯者らとともにまとまった現金を喝取しようとして六〇〇万円を要求したため、思いあまった被害者が夫に後事を託す趣旨の電話をかけ、それがもとで警察に届け出てようやく発覚したという経過のものである。

犯行の動機、経過と態様等の詳細は、関係証拠によれば、原判決が詳しく判示しているとおりと認められる。すなわち、被告人は、かつてトラックを保有し、運送会社と傭車契約を結んで稼働していたが、多額の負債を抱えて破産し、その際清算未了で残った妻名義の借金や義母からの借金等の返済資金、妻と四人の子供がいる家族の生活費等に窮したために、金策方法を思案するうち、かねて妻子がある被告人と不倫関係にあった女性から、同女の母親が息子の交通事故による死亡保険金をまとまって手にしたことを聞き覚えていて、これを奪いとることを企て、当初は娘の不始末を口実にして母親を呼びだし、本当は自分がその情交相手であるのにそのことを秘しつつ、娘はその夫以外の暴力団員と不倫関係にあり、同女の子供は実はその暴力団員との子供であるなどと告げて口止め料を要求し、そのことを娘の夫にわからないようにするためには黙って要求に従うほかないと被害者を畏怖させて六〇万円を喝取したのを手始めとして(原判示第一)、次々と金員の喝取(原判示第三)あるいは要求(原判示第七)を繰り返し、事故死した息子の生命に代わるとでもいうべき高額の金員を巻き上げたのである。自らの不倫関係を棚に上げ、これを脅しに使って金員を巻き上げようとする発想ははなはだ卑劣であるだけでなく、娘の家庭の平穏を願って被告人からの呼び出しに応じた母親をホテルに連れ込んで姦淫し(原判示第二、第四)、加えて同女が衣服を身につける姿態を写真にとるなどの手段まで用いて、同女の口から被害の届け出をし難い状態に陥れ、この状態につけこんで、長期間、原判示どおり一連の犯行を続けたのである。母親の対応にも問題がないとはいえないにしても、そういう弱い母親の心情を手玉にとって、強姦及び準強姦を繰り返したほか、起訴分だけで二六〇万円の恐喝と六〇〇万円の恐喝未遂をし、パワーリスト(布製袋の中に砂鉄を詰めた運動用具で、重量は約一キログラム)で多数回殴打するなど、いわばむごい仕打ちの限りを尽くしたともいえるのであって、犯行態様の非道さには唖然とさせられるものがある。姦淫の被害を夫に相談することもできず、一人苦しみ続けた被害者である母親の肉体的、精神的苦痛がいかばかりであったか、十分察せられる。また、喝取金は高額であるだけでなく、被害者にとっては息子の死亡と引き換えに手に入った性質の金員であってみれば、かけがえのないものであった筈で、これをなすすべもなく被告人に巻き上げられ、思いあまった同女が、こうなっては家に帰ることもならず、死ぬ以外に方法はないとまで思い詰めて、最後に夫に電話をかけ、後事を託そうとした心情はただただ哀れというほかない。それなのに、被害者に対して何ら損害賠償や慰藉の措置が講じられておらず、また今後講じられる見込みもない。被害者が被告人の厳重な処罰を希望しているのは当然といえる。このような事情に照らすと、被告人の責任がことのほか重大なことはいうまでもない。反面、被告人が今では本件を反省していること、前科前歴がないこと、被告人にも養っていかなければならない四人の子供がいることなど、酌むべき事情は十分考慮するが、それにしても、被告人を懲役六年に処した原判決の量刑はやむを得ないものであって、これが重すぎて不当であるとは到底いえないことが明らかである(なお、原判決が原判示第三の事実において、ホテル「サンパルコ」の所在地を神奈川県相模原市麻溝台三一〇六番地の一としているのは同市下溝三一〇六番地の一の誤りと認められるが、右の点は判決に影響を及ぼすものではもとよりない。)。論旨は理由がない。

よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却し、刑法二一条を適用して当審における未決勾留日数中一六〇日を原判決の刑に算入し、当審における訴訟費用は刑訴法一八一条一項ただし書を適用して被告人に負担させないこととし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 秋山規雄 裁判官 下山保男 裁判官 福崎伸一郎)

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