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東京高等裁判所 平成9年(う)322号 判決 1997年9月17日

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役一年六月に処する。

原審における未決勾留日数中二七〇日を右刑に算入する。

この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

原審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人髙野隆、同萩原猛、同堀哲郎、同村木一郎、同坂下裕一連名の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。

控訴趣意第一の訴訟手続の法令違反の主張について

論旨は、原判決は、弁護人の弁護活動を不当な弁護活動であると非難し、それを理由として被告人の公判供述の信用性を否定したが、これは、弁護人による効果的な弁護を受ける権利を侵害するものであり、憲法三四条及び三七条三項、市民的及び政治的権利に関する国際規約一四条三項(d)に違反する、というのである。

そこで記録を調査すると、原判決は、その事実認定の理由についての(説明)において、被告人の公判における供述の信用性を判断するに当たり、弁護人の弁護活動に触れ、「弁護人の弁護活動は、例えば、被告人に対し検察官調書、警察官調書について弁護人の立会いのない限り署名押印をしないよう指示したり、証人に対して不当といえる誘導尋問をし、かつ、検察官の反対尋問のみならず裁判官の補充尋問に対しても異議を申し立て、弁護人提出の証拠物であるダイアリーの作成経緯についての被告人質問の中で不当といえる誘導尋問をし、さらに、検察官が覚せい剤使用の時期、場所、方法を限定しない予備的訴因を追加請求したのに対して意見を求められながら、意見を述べず、訴因追加について殊更釈明を求め、あるいは釈明しないことに対する異議等を申し立てているが、これらの弁護人の弁護活動は、相当とは言い難く、このような弁護活動によって、被告人ないし被告人側証人から真実性のある供述が得られるとは思われない。」旨説示し、その上、被告人の公判での供述内容を検討して、「以上によれば、被告人の身分関係、その供述の変遷とその変遷の経緯、公判における供述内容に、弁護人の右不相当な弁護活動等を合わせ考慮すると、被告人の公判における供述は、その記憶のまま供述されたものとは到底思われず、信用することができない。」と説示する。

原判決の弁護人の弁護活動を非難する右説示は、被告人の原審公判における、九月三〇日朝自宅で当時の被告人の夫であるAに強制的に覚せい剤を注射された旨の供述の信用性を、判断するに当たってなされており、被告人の右公判供述は、弁護人の弁護活動からしてその影響を受けており、その記憶通りではなく動かされ、信用性に欠けるという趣旨であると解される。しかし、原判決が不相当な弁護活動として挙げている各例も、被告人が右公判供述をするように(殊に、原審で争点となった覚せい剤の注射が強制的か否かという点について)、直接働きかけをしたというものではないので、原判決は、捜査段階及び原審公判等で見られる弁護人の弁護活動からして、その活動が被告人の供述に直接あるいは間接に影響を与え動かした可能性があるという推測の領域にとどまることについて、取り上げたものと理解せざるを得ない。そこで思うに、被告人や証人等の供述が他から影響を受けることがあるのは否定できないところであるが、供述の信用性の判断は、まず、当該供述の内容自体の検討、あるいは当該者の他の供述との比較、さらには他人の供述や他の証拠との比較などから、合理的な経験則に従ってなすべきであり、他人から影響を受けた顕著な痕跡や明白な因果関係が認められる場合は別として、他人が影響を与えた可能性があるとの推測から、それを理由に供述は信用性に欠けると判断することはたやすくなすべきでなく、ましてや影響を与えた可能性があると推測する他人の諸活動について、その当、不当を評価するようなことは、右の影響を与えたか否かの判断に多くは必要ないことであり、不適切とのそしりを免れないというべきである。原判決は前記のように、弁護人の不相当と評価できる弁護活動からして、その活動が被告人の供述に影響を与えていると判断するのであるが、影響を与えた明確な痕跡を挙げその因果関係を指摘しているわけではないので、単なる影響を与えている可能性があるとの推測に立った判断に過ぎず、その点ですでに妥当性を欠き、ましてや弁護活動が不相当であるとの評価は、右の影響の推測をなすのにさえ不必要であるから、原判決の右説示は不必要かつ不適切というべきである(なお、原判決は不相当な弁護活動の影響もあるから、被告人の公判供述は信用できないと説示しながら、一方では、有罪認定の証拠としては、被告人の公判供述及び公判調書中の供述部分、さらには前記のとおり弁護活動の影響を受けているかのように説示する被告人の検察官調書及び警察官調書をも挙げているのであって、被告人の公判供述がどこまで信用できずあるいは弁護活動がどこまで影響していると見ているのか不明であり、原判決の態度には矛盾が見られる。)。

しかしながら、原判決の右説示は、判決自体の中で行われているのであって、それが、証拠の評価の誤りにつながり、ひいては事実誤認の結果となることがあるのは別として、判決に至る審理過程の中で弁護人の訴訟活動に対する訴訟指揮等として規制が行われたわけではないので、弁護活動に対する干渉としての実際上の効果、影響を持つものではなく、所論がいう弁護権の侵害としての憲法三四条及び三七条三項、国際規約一四条三項(d)違反の問題になるものとはいえず、ましてや判決に影響を及ぼすべき訴訟手続の法令違反には当たらない。

控訴趣意第二の訴訟手続の法令違反の主張について

論旨は、原審が検察官の予備的訴因の追加を許可し、またそれに対する弁護人の異議申立を棄却したのは、いずれも違法である、というのである。

起訴当初の訴因は、「被告人は、法定の除外事由がないのに、平成七年九月三〇日ころ、埼玉県八潮市《番地省略》の被告人方において、覚せい剤であるフェニルメチルアミノプロパンを含有する水溶液若干量を自己の右腕部に注射し、もって、覚せい剤を使用した。」というものであったが、原審第八回公判終了後の平成八年七月一五日検察官は、「被告人は、法定の除外事由がないのに、平成七年九月下旬ころから同年一〇月一日までの間に、埼玉県内及びその周辺において、フェニルメチルアミノプロパンを含有する覚せい剤若干量を自己の身体に摂取し、もって、覚せい剤を使用した。」との予備的訴因の追加請求をし、平成八年七月一七日弁護人から右の予備的訴因の追加請求について検察官に対する求釈明の申立てがあり、原審第九回公判期日で、これに対し検察官から若干の釈明があり、それ以上の釈明は必要ないとの裁判官の訴訟指揮に対し弁護人から異議申立があったが、裁判官はその異議申立を棄却し、続いて右の予備的訴因の追加請求を許可し、その許可決定に対し弁護人から異議申立があったが、裁判官はその異議申立を棄却した。

所論は、本件予備的訴因の追加は公訴事実の同一性を害する、あるいは本件予備的訴因は訴因として特定性に欠ける旨主張するが、当初の訴因と予備的訴因は、同一の尿から検出される両立しない関係にある覚せい剤の使用行為に関するものであるから、公訴事実の同一性を害することはなく、また、予備的訴因が訴因として特定性に欠けることはないと解される。

次に所論は、本件予備的訴因の追加請求は、訴訟追行上の信義則に違反し、権利を濫用するものである旨主張する。訴因の変更、追加請求は、検察官が主体的、自主的に行うものであり、それが相手当事者である被告人側に著しい防禦上の不利益を与えるものでない、あるいはそれまでの審理を無に帰するような著しく訴訟経済に反するものでない限り、原則として許されると解されるが、本件では、なるほど検察官側の一応予定された立証活動が終わり、被告人本人に対する弁護人からの質問が継続していた段階であるが、追加された予備的訴因を念頭に置いての防禦活動がなお可能であり、全く新たな立証活動が必要になるものではなく、いまだ被告人側に著しい防禦上の不利益を与え、あるいはそれまでの審理を無に帰するような著しく訴訟経済に反するものとは認められないので、本件での予備的訴因の追加請求が、所論がいうような訴訟追行上の信義則に違反し、権利を濫用するものであるとはいえない。

所論は、弁護人の意見を聞かないまま許可決定をしたことが違法である旨主張する。記録によると、原審第九回公判において原裁判所は予備的訴因の追加について弁護人に意見を求めるとし、弁護人に意見を述べる機会を与えたが、その後弁護人からの検察官に対する釈明要求があり、前記の経過で訴因の追加請求が許可されたのであるが、弁護人の右の釈明要求の中で予備的訴因の追加請求についての意見が実質的に述べられている上、右のとおり意見を述べる機会は与えられているのであるから、原審の訴因の追加請求の許可決定に違法はないというべきである。

控訴趣意第三は、原判決は、体内から覚せい剤が採取された場合、特段の事情がない限り、故意に覚せい剤を摂取したと推認されるとした上、この特段の事情の存在することについて被告人に立証責任を負わせているが、これは憲法及び国際人権規約の規定に違反する訴訟手続の法令違反である旨主張し、同第四は、原判決が主位的訴因は認定しなかったが、被告人がAから強制的に覚せい剤を注射された旨の被告人及び弁護人の無罪主張を排斥し、予備的訴因を犯罪事実として認定したのは、事実誤認である旨主張し、同第五は、量刑不当を主張する。

そこで、右の各控訴趣意にかんがみ併せて職権で判断すると、以下のとおり原判決は破棄を免れない。

原判決は、前記主位的訴因については、検察官が主として依拠する証人Aの供述はにわかに信用できないとして、これを認めることができないとする。しかしながら、記録を検討すると、右Aは、原判決をその(説明)の三、1、(八)に掲記するとおりの供述をしており、原判決は、このAの供述について、特異なあるいは矛盾した、また疑わしい供述をし、その供述内容は全体的に曖昧であり、迫真性に乏しいとして、にわかに信用できないと評価するが、右Aの供述には、自己に累が及ぶのを防ごうとの意識が働いてか、ことさら曖昧にしあるいは追及をかわし、時には投げやりと思える部分があるものの、被告人が覚せい剤を無理強いされることなく使用したとの点及びその日時、場所については十分信用できるものであり、ただ、覚せい剤の使用方法の点は、後記のとおり信用できるものではない。

また、被告人自身の供述をみると、原判決がその(説明)の三、1、(七)に掲記するような変遷を示しているが、Aに強制的に注射されたとの点は措くとして、覚せい剤を摂取した日時、場所については、司法巡査に対する平成七年一〇月五日付(乙四号証・不同意部分を除く)及び同月一七日付(乙五号証)各供述調書、検察官に対する同月九日付(乙八号証)、同月一三日付(乙九号証)各供述調書、並びに原審公判において、いずれも、平成七年九月三〇日午前六時ころ自宅においてと述べており、この日時、場所の点については、信用してよいといえる。

そうすると、原判決が、Aの供述一切が信用できないとし、また、被告人の供述については特に顧慮することなく、主位的訴因に掲げられている日時、場所では被告人の覚せい剤使用の事実は、認定することができないとしたのは、その点ですでに事実誤認をしたものといわねばならず、右の主位的訴因に含まれている平成七年九月三〇日午前六時ころ、埼玉県八潮市《番地省略》の自宅(当時)において、被告人が覚せい剤を摂取した事実(その方法の点は、次に検討する。)は十分認定することができる。

そこでさらに、右の日時、場所において被告人が覚せい剤を摂取した方法についてであるが、この点については、まずAは、被告人が覚せい剤の水溶液を作り、自分で腕に注射した旨供述するが、この部分の供述は、被告人が覚せい剤を使用した経過やA自身が覚せい剤を使用した状況等、被告人が覚せい剤を使用した前後の状況を含めて、不自然さをぬぐい去ることができず、事実に反する疑いが残り、たやすく信用できない。一方、被告人は、捜査段階から原審公判を通じて、Aから無理に注射された旨述べ、その状況として、「主人は、注射器に吸い上げた覚せい剤水溶液を持ったまま、私の背後に回り込み、左手でお腹を押さえつけ、腕を出せと言ってきて、この時主人に止めてと言ったが、体を押さえられているのと、反抗すると怒り出し暴力を振るうので、半ば諦めた状態で、言われたとおり、左腕をこたつテーブルの上に出し、主人は、私の袖をめくり上げ、背後にいる格好のまま、私の左腕内側に覚せい剤を注射した。」旨警察官に供述し、また、「Aは、注射器に覚せい剤の溶けた水を吸い込むと、私の後ろにまわり、左手で私を押さえ付け、私の左腕に注射した。」「私が座っている時、私の後ろからかかえるようにして注射してきた。」旨検査官に供述し、原審公判では、「Aが、覚せい剤の水溶液を注射器に入れ、自分の後ろに来て手を出せと言った。」「Aが左手で私のお腹を押さえて、私はその時何か言ってAに殴られたり、蹴られるのが怖かったので、半分諦めた状態で、テーブルこたつの上に左腕を出した。」「押さえられた時、止めてと一言言った。」「Aが腕を出せと言った時、私は止めてと言ったが、お腹を押さえられていたし、反抗して暴行を受けるのが怖くて、しょうがなく腕を出したという形になった。」旨述べるのであるが、これらの供述から、少なくとも被告人がAから注射を受けたという事実は否定できないといえる。被告人及び弁護人はここで、被告人は抵抗できない状況下で無理に注射されたもので、被告人自らの意思で注射してもらったのではないから、被告人には覚せい剤使用の故意がなく無罪である旨主張するが、被告人自身がAから覚せい剤を注射された状況として右掲記のように述べるところからしても、強制的に意思に反してまで注射されたといえる状況は窺えず、さらに、Aと被告人は当時夫婦として一緒に生活しており、被告人の供述によれば以前にもAから覚せい剤の注射を受けたというのであり、被告人自身も覚せい剤の使用についての知識と経験があったことを考慮すると、物理的にも心理的にも被告人がAから、抵抗できない状態で無理矢理注射されたものとはいまだいえず、それは当審での事実調べの結果によっても変わりなく、注射を受けるについては最低限、被告人自身の最終的な承諾の意思があったものと認められる(なお、弁護人は、Aは被告人に罪を負わせて仕返しをするため、無理に注射したものである旨主張するが、そのように認定するに足りる証拠はない。)。したがって、被告人が覚せい剤を身体に摂取した方法としては、少なくとも、被告人が承諾してAから覚せい剤の水溶液の注射を受けて使用したものと認定できる。

したがって、原審が、その取調べた証拠によれば、主位的訴因を認定できるのに、それを認定せず、予備的訴因を認定したのは、事実誤認である。(なお、主位的訴因では、Aとの共犯事実を掲げていないが、原審審理の過程においても、その日時・場所での他の使用行為があったことは窺われず、使用方法についてはAの関与の有無が明白な争点となっているので、本件ではAの関与を主張する被告人側に不意打ち、不利益を与えることがなく、訴因変更をせずとも、Aとの共謀による覚せい剤の使用事実を認定できると判断する。)

よって、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により更に、次のとおり判決する。

訴訟記録中の、被告人の原審公判における供述及び原審公判調書中の供述部分、被告人の検察官に対する平成七年一〇月九日付(二通)及び同月一三日付各供述調書、被告人の司法巡査に対する同月五日付(一一丁綴りのもの・不同意部分を除く)及び同月一七日付各供述調書、証人Aの原審公判調書中の供述部分、司法巡査作成の平成七年一〇月一二日付実況見分調書謄本(不同意部分を除く)及び同月一三日付実況見分調書、被告人作成の尿の任意提出書、司法巡査作成の領置調書、司法警察員作成の鑑定嘱託書謄本、埼玉県警察本部刑事部科学捜査研究所技術吏員作成の鑑定書、司法巡査作成の電話聴取書の各証拠、並びに被告人の当審公判における供述によって、「被告人は、法定の除外事由がないのに、平成七年九月三〇日午前六時ころ、埼玉県八潮市《番地省略》の当時の被告人方において、夫であるAと共謀の上、同人から、覚せい剤であるフェニルメチルアミノプロパンを含有する水溶液若干量を、自己の左腕部に注射してもらい、もって、覚せい剤を使用した。」との罪となるべき事実を認め、右事実に覚せい剤取締法四一条の三第一項一号、一九条、刑法六〇条を適用し、所定刑期の範囲内で被告人を懲役一年六月に処し、同法二一条を適用して原審における未決勾留日数中二七〇日を右刑に算入し、殺人未遂に対する前刑の執行猶予期間中に本件を犯したものであるが、本件より五か月前に初めて覚せい剤を使用し、本件まで頻繁に使用していたとまでは認められないこと、本件を犯すについてはAの主導性が窺えること、本件後Aと離婚し縁を切っていること、本件で逮捕後相当期間勾留されていたことなどの事情を酌んで、同法二五条一項により三年間右刑の執行を猶予することとし、原審における訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により被告人に負担させることとする。

(裁判長裁判官 松本光雄 裁判官 松浦繁 樋口裕晃)

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