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東京高等裁判所 平成7年(う)1136号 判決 1996年9月30日

国籍

大韓民国

住居

東京都江戸川区平井一丁目七番七号 ノヨネフィル平井二〇五号室

会社役員

利川守信こと任守信

一九五〇年一二月一七日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、平成七年四月一四日東京地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から控訴の申立てがあったので、当裁判所は、検察官井上隆久出席の上審理し、次のとおり判決する。

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、主任弁護人権藤世寧、弁護人山田宰連名の控訴趣意書及び同補充書に、これに対する答弁は、検察官井上隆久名義の答弁書に各記載のとおりであるから、これらを引用する。

論旨は、要するに、被告人を懲役一年一〇月及び罰金一億五〇〇〇万円に処した原判決の量刑は重すぎて不当であり、懲役刑についてはその刑の執行を猶予し、罰金刑についてはその金額を減じるべきであるというのである。

検討するに、本件は、単独で三〇店舗、他と共同して三店舗においてパチンコ景品交換業等を営む被告人が、単独経営店舗のうち約三分の二の店舗分につき売上金の全部、その余の店舗分についても売上金の一部をそれぞれ除外し、さらに共同経営店舗分の分配収入金の全部を除外するなどの方法により、平成元年と同二年の二年度にわたり、自己の所得を合計一三億三一八二万円余少なく見せかけて確定申告をし、合計六億六五九一万円余の所得税をほ脱したという事案である。

被告人は、将来自らパチンコ店を経営するための開業資金を備蓄するほか、前記の業務を円滑に行うため暴力団関係者に簿外で支払う多額の現金を捻出することを主たる動機として本件各犯行に及んだと述べているが、このような動機は酌量の余地に乏しい。また、脱税額は高額に上り、ほ脱率も平成元年度が約九四・九パーセント、同二年度が約九一・一パーセントで、通算約九二・六パーセントの高率に達している。

そうすると、本件脱税の手段が比較的単純であること、ほ脱所得を個人的遊興等に費消してはいないこと、被告人は国税当局の査察を受けて以来、調査及び捜査に協力し、事実を認めて真摯な反省の態度を示していること、本件二年度分につき修正申告し、所得税及び地方税を附帯税を含めて完納していること、本件後は、景品交換業を法人組織とし、同社に金融マンをブレーンとして迎えるとともに、顧問税理士を採用して、二度と脱税事件を起こさないような経理体制を確立し、暴力団関係者への支払も止めていること、罰金前科一犯以外の前科がないこと、その他被告人の健康状態など所論指摘の被告人のために酌むべき事情を十分考慮し、さらに、これまでの裁判例における量刑状況をその事例に則して検討し、本件事犯と比較してみても、懲役刑についてその刑の執行を猶予すべき事案とは考え難く、被告人を懲役一年一〇月及び罰金一億五〇〇〇万円に処した原判決の量刑は、懲役刑の刑期及び罰金刑の金額の点でも、まことにやむを得ないものであって、これが重すぎて不当であるとはいえない。論旨は理由がない。

よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 香城敏麿 裁判官 佐藤公美 裁判官 坂井満)

控訴趣意書

所得税法違反

被告人 利川守信こと任守信

被告人に対する頭書被告事件につき、平成七年四月一四日、東京地方裁判所刑事第八部が言い渡した判決に対し、弁護人が申立てた控訴の理由は、左記のとおりである。

平成七年一〇月三一日

右弁護人 権藤世寧

同 山田宰

東京高等裁判所第一刑事部 御中

第一 被告人を実刑に処した原判決は、本件事案と被告人の諸情状に対するものとしては、重きに過ぎて不当であり、破棄を免れない。被告人は執行猶予に付せられるべきであるとともに、罰金刑は減刑されるべきである。

原判決は、<1>脱税手段が比較的単純であること<2>各店舗の売上票は、破棄せず残していること<3>ほ脱所得は、自己の個人的遊興費に費消していなかったこと<4>国税当局の査察を受けて以来、事実を認めて調査及び捜査に協力し、公判廷においても真摯な反省の態度を示していること<5>本件二年度分の所得税及び地方税を、附帯納税を含め完納していること<6>被告人は、有限会社を設立して、顧問税理士を採用し、二度と脱税事件を起こさないような経理体制の確立に努めていること<7>被告人には、古い罰金前科以外には前科がないこと<8>本件につき二〇日余り身柄を拘束されたこと<9>起訴後クモ膜下出血により倒れ、その後も後遺症が残り、通院加療を受け続けていることなど、被告人にとって有利な情状が存すると判示した上で、結局<1>ほ脱率が九二・六パーセントであること<2>脱税額は、その種事犯の中でも高額の部類に属し、<3>動機に酌むべき点があるとはいえないこと<4>一般予防の必要性も高いことから実刑が相当と判示している。

つまるところ、原判決は、被告人にいくら有利な事情が存しても、ほ脱率と脱税額の多寡によって、その量刑を決めたことを自認しているものであって、機械的量刑との謗りを免れず、到底首肯できないところである。

脱税額の多寡のみで、量刑を機械的に決めることは、受刑が極く通常の一般人に対して及ぼす多種多様の影響や、計り知れない不利益についての真剣な熟慮を欠いたものであって、必ずしもこの種事犯の一般・特別予防の両面からみて、合理的処理とは言えないことは、弁護人がつとに主張してきたところである。

被告人の深い反省と、再犯の可能性もなく、本税・地方税・附帯納税額を完納して徴税権の回復がなされている本件において、その脱税額からみて、実刑を科せざるを得ないとの原判決は、まことに融通性のない硬直した判決であって、個々の事件に内在する多種多様な事情を黙視するものである。

これは租税事犯における、修正後の本税等の納付を軽視していることに起因するもので、他の一般刑事犯と比較しても刑のバランスを欠いたものとなっていることを否めない。

本件で被告人は、修正後一三億三八六七万円を納付しており、これは本件ほ脱税額の二倍を超えるとともに、本件所得額の約九二パーセントという高率に達しているのである。

これを原判決の罰金刑について見れば、検察官の「罰金二億円」という求刑は、右の納付状況を勘案しない異常なものであり、これに追従して被告人の所得の全てを収奪するに至っている原判決の「罰金一億五〇〇〇万円」とする処断は、これまた苛烈なものであると確信するのである。

いたずらに厳刑に処することで、この種事犯の根絶は期し難く、むしろ個々の事犯に内在する諸事情を斟酌してなされる量刑の運用にこそ、一般予防の妙味が発揮されるものであり、税制や徴税の公平性についてわだかまる国民の不満を解消し、この種事犯の多発を防ぐ結果になると確信する。

第二 原判決は、前記のとおり、要するにほ脱率と脱税額が高額であることを重視した結果の実刑判決であるが、然らば、いかほどのほ脱率と脱税額をもって実刑の処断に値するものであるのかについては明言を避けており、この点においてその理由には重大な不備があると言わざるを得ず、以下に例示するかなりに高額な脱税額の事案について執行猶予の処断にとどまった判決例と照らし合わせると、その不合理性が明らかであるとともに、法の下の平等に反するおそれすら存するのである。

原判決がどの程度を高額な脱税額であるとするのかは不明であるが、脱税額が五億円程度を超える事犯であっても、被告人に対して執行猶予の処断にとどまった判決事例の主なものとしては、

A 逋脱額約七億二三〇〇万円の法人税法違反事件

処断 懲役二年六月 執行猶予五年

(東京地方裁判所 昭和五七年六月九日判決)

B 逋脱額約四億四八〇〇万円の法人税法違反事件

処断 懲役一年六月 執行猶予三年

(佐賀地方裁判所 昭和六三年一月二九日判決)

C 逋脱額約五億一七〇〇万円の法人税法違反事件

処断 懲役三年 執行猶予四年

(名古屋地方裁判所 昭和六三年三月二五日判決)

D 逋脱額約四億九六〇〇万円の所得税法違反事件

処断 懲役二年六月 執行猶予四年

(東京地方裁判所 昭和六三年六月一五日判決)

E 逋脱額約五億五〇〇〇万円の所得税法違反事件

(いわゆるタテホ事件)

処断 懲役二年 執行猶予三年

(神戸地方裁判所 昭和六三年六月二七日判決)

F 逋脱額約四億三九〇〇万円の法人税法違反事件

処断 懲役二年 執行猶予四年

(那覇地方裁判所 平成元年一一月九日判決)

G 逋脱額約七億一六〇〇万円の所得税法違反事件

処断 懲役三年 執行猶予四年

(東京地方裁判所 平成元年一二月二五日判決)

H 逋脱額約五億円の所得税法違反事件

処断 懲役一年六月 執行猶予三年

(大阪地方裁判所 平成七年六月一九日判決)

等があるのであって、これらを通覧すればする程、原判決の量刑判断は具体的根拠を欠いた独断的なものであり、合理性、普遍性をもった判断であるとは言えないのであるから、この点において既に極めて不当なものであり、これが破棄されなければ著しく正義(普遍性)に反することとなる。

翻って、右の各判決事例は、それぞれの脱税額にもかかわらず、これ以外の諸事情、情状を勘案した結果、前記の各処断に達したものと考えられ、一個の人間に対する処断は、単に数値、数額のみに拠るべきものではないという極く当然な基本認識に立ったものであると言える。

原判決は、前記のとおり、被告人にとって有利な情状を累々列挙するのであるから、右の各判決事例と同一の結論に達し得た筈であり、これらの判決事例との間の不公平性は顕著であるから、不当な量刑であり、到底、被告人を納得させ得るものではない。

原判決の指摘した被告人に有利な情状や後記第三以下に要約した諸事情を合わせ考えれば、別異の処断がなされて然るべきであると確信するのである。

控訴審裁判所には、この不公平性に関する慎重な検討と明解な判断をされるように認めるものである。

第三 景品交換業は、パチンコ業界のいわゆる換金商品の金システムへの移行に伴い、大きく変容しようとしていることは周知の事実である。右情況下で、被告人の実刑処分は、新設した有限会社信聖商事の浮沈にかかわり(第二回公判森証言、同深津証言)厳しい経済状況下で従業員を路頭に迷わせる結果となることは必至である。

国家財政への寄与という見地からも、企業を崩壊させる厳刑は是認できるものではない。企業維持と公正な経理処理を決意して、仕事に打ち込もうとしている被告人の再起の足掛かりを外す結果となる処分は、被告人にとっても納得できるものではない。

第四 被告人は、クモ膜下出血という重篤な病に倒れたが、緊急手術により一命を取り留めたものの、現在もなお、手の痺れ、頭痛、不眠症などの後遺症で通院治療を受けている。

被告人には術後、痙攣発作の可能性があるため、継続的投薬で、こうした発作をおさえているが、実刑処分を受けたことにより、懲役労働に服した際の健康維持には大きな不安を抱かざるを得ない。(弁第一号証)。

右病変の発症は、被告人の素質を基礎とするものの、これに本件による処罰への不安が重なり、心身を苛む毎日が続いた末の結果であって、深い反省の日々を過ごす被告人に対して、更にこれ以上の苦しみを与える量刑は、苛酷と言わざるを得ず、原判決は破棄されるべきである。

第五 原判決は、本件につき二〇日余り身柄を確保されたことを、被告人に有利な事情である旨判示しているが、被告人の社会的制裁は、単に二〇日間余り逮捕勾留されたということに尽きるものではない。

被告人は、本件で国税局の査察が入った後、判決を受けるまで約三年半にわたり、嫌疑者、被疑者、被告人として針のむしろに座らされる毎日が続いていたのである。こうした被告人の謹慎の毎日は、決して軽視されるべきではない。原判決に至る裁判も、決して短いものではなかったことを考慮すると、長期間被告人が精神的にも、また経済活動の上でも不安定な状態にさらされていたことは、量刑にあたって十分反映されなければならないところである。

こうした事情が量刑で考慮されないとすれば、理に叶わぬ事実上の制裁が先取りされていたと評価されても止むを得ない。

第六 被告人は、実父が昭和六三年三月に急死したため、急遽父の仕事を引き継ぐこととなったが、社会的に十分認知されていない景品交換業という特殊な業界に身を置くこととなったのは、被告人の意思によらない運命的なものであった。

国籍の違いによる少年時代の苦しい体験と、地回りや、暴力団との折衝を通じて身を守らなければという守勢の経験が、ひいては本件の脱税にもつながっているのであり、こうした背景事情を十分に汲みとれば、原判決のように「動機に特に酌むべき点があるとはいえない。」との判示は、一面的評価であって、本件を深く洞察した結果とは到底言えない。

以上のごとく、原判決の量刑は重きに過ぎ、不当であると思料されるので、原判決を破棄し、被告人には執行猶予が付されるべきであり、加えて罰金刑について減刑されるべきである。

以上

弁護士 権藤世寧

平成七年(う)第一一三六号

控訴趣意補充書

所得税法違反 利川守信こと

被告人 任守信

控訴趣意書中の控訴の理由につき、後記のとおり、これを補充する。

平成八年九月六日

主任弁護人 権藤世寧

弁護人 山田宰

東京高等裁判所第一刑事部 御中

第一 「かなりに高額な脱税額の事案について執行猶予の処断にとどまった判決例」について

控訴趣意書の第二項に記載した控訴の理由につき、そこに「かなりに高額な脱税額の事案について執行猶予の処断にとどまった判決例」を例示したところであるが、平成二年以降に言い渡され、確定している右の趣旨の判決例があるので、これらを付加して理由の補充をする。

すなわち、脱税額が四億五〇〇〇万円程度を超える事犯であって、なお被告人に対して執行猶予の処断にとどまった判決事例としては、控訴趣意書の第二項に例示したもののほかに、

<1> 逋脱税額約四億八六八二万円の所得税法違反被告事件

神戸地方裁判所 平成元年(わ)第五八七号

平成二年九月七日判決

処断 被告人 罰金一億一〇〇〇万円

懲役二年六月 執行猶予四年

出典 国税庁・税務訴訟資料一七九号三七六三頁

<2> 逋脱税額約四億五八六三万円の所得税法違反被告事件

名古屋高等裁判所平成二年(う)第四号

平成二年一〇月八日判決

(原審・名古屋地方裁判所)

処断 被告人 罰金八五〇〇万円

懲役一年六月 執行猶予四年

出典 国税庁・税務訴訟資料一七九号三八三二頁

<3> 逋脱税額約四億七六二三万円の所得税法違反被告事件

大阪地方裁判所 平成元年(わ)第二五〇九号

平成二年一一月一四日判決

処断 被告人 罰金一億円

懲役二年 執行猶予四年

出典 国税庁・税務訴訟資料一七九号四三五二頁

<4> 逋脱税額約五億四〇〇五万円の所得税法違反被告事件

札幌高等裁判所 平成四年(う)第七号

平成四年七月九日判決

(原審・札幌地方裁判所)

処断 被告人 罰金一億円

懲役一年六月 執行猶予四年

出典 国税庁・税務訴訟資料一九一号八二五頁

<5> 逋脱税額約四億六七四八万円の法人税法違反被告事件

大阪地方裁判所 平成三年特(わ)第一六六八号

平成四年一一月一三日判決

処断 被告法人 罰金一億円

被告人 懲役二年六月 執行猶予四年

出典 国税庁・税務訴訟資料一九一号一四一一頁

<6> 逋脱税額約四億七九三三万円の法人税法違反被告事件

浦和地方裁判所 平成四年(わ)第六七七号

平成五年三月三一日判決

処断 被告法人 罰金一億五〇〇〇万円

被告人 懲役二年六月 執行猶予五年

出典 国税庁・税務訴訟資料一九六号一〇二二頁

<7> 逋脱税額約四億五九一六万円の法人税法違反被告事件

札幌地方裁判所 平成五年(わ)第九七号

平成五年九月二八日判決

処断 被告法人 罰金一億五〇〇〇万円

被告人 懲役三年 執行猶予五年

出典 国税庁・税務訴訟資料一九七号二〇五一頁

<8> 逋脱税額約五億九四一九万円の法人税法違反被告事件

京都地方裁判所 平成五年(わ)第三五四号

平成五年一〇月四日判決

処断 被告法人 罰金一億円

被告人A 懲役二年六月 執行猶予四年

被告人B 懲役一年 執行猶予三年

出典 国税庁・税務訴訟資料一九七号二〇九九頁

<9> 逋脱税額約四億八八四三万円の所得税法違反被告事件

大阪高等裁判所 平成四年(う)第九二九号

平成五年一二月二二日判決

(原審・大阪地方裁判所)

処断 被告人 罰金一億円

懲役一年六月 執行猶予三年

出典 国税庁・税務訴訟資料一九七号二五一八頁

などがあり、原判決が、「被告人については酌むべき点が少なくない」としながら、「脱税額、ほ脱率等を軽視することはできないので、刑の執行を猶予するのは相当でない」との結論に達したことと対比すると、その不公平性はなおさらに顕著であると言わざるを得ない。

原判決は、数値、数額を重視しているのであり、そうであるならば、全国的な量刑状況との権衡が認められなければならず、これを欠く原判決の不合理性は明らかであって、法の下の平等に反するものであると言わざるを得ないのである。

第二 被告人には再犯のおそれがないものである。

被告人は、有限会社を設立して、経理体制の確立に努めてきているが、同社については本年三月所轄税務署の税務調査があったところ、その申告については特段の問題もなく終わっており、被告人には本件のごとき事案についての再犯のおそれはまったくないのである。

控訴審裁判所には、是非ともこの点についても斟酌をいただいた判断をお願いする次第である。

以上

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