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東京高等裁判所 平成5年(う)274号 判決 1993年8月09日

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役七年に処する。

原審における未決勾留日数中一三〇日を右刑に算入する。

押収してある切り出しナイフ一本(当裁判所平成五年押第九二号の1)を没収する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人明石守正作成名義の控訴趣意書に記載されたとおりであるから、これを引用する。

第一  控訴趣意第一(事実誤認の主張)について

一  原判示第一の事実について

論旨は、要するに、原判決は、その認定判示する原判示第一の事実につき、被告人の完全責任能力を認めて、被告人を有罪としているが、被告人は同判示の犯行当時、体調不良に加えて、睡眠薬の長期濫用により心身耗弱の状態にあつたものであるから、原判決は責任能力の判断の基礎となる事実を誤認したものであつて、破棄を免れないというのである。

そこで、所論にかんがみ、原審記録を調査して検討するのに、原判決が右判示の事実につき、被告人に完全責任能力を認めた点はこれを正当として是認することができ、当審における事実取り調べの結果によつても右の結論は左右されない。すなわち、

まず、原審で取調べ済みの関係各証拠によれば、次のような事実が認められる。

1  被告人は、埼玉県所沢市内にあるパチンコ店で働いていた際、客として来店した原判示A子と知り合い、平成四年一月末ころ、間もなく夫とは離婚することになつているとのA子の言葉を信じて同女と結婚の約束をし、同年二月二〇日ころから、A子と同居するために借りた同県富士見市内の賃貸マンションでA子及びその子供二人とともに生活するようになつた。

2  被告人は、スナック勤めをしていたA子が休日でも炊事や洗濯など主婦としての仕事をしなかつたことなどに不満を感じていたものの、A子と結婚したいという思いは変わらず、その後同女から多額の借金をかかえていることを打ち明けられても、右の借金を二人で返済してゆくことにした。しかし、二人の稼ぎだけでは借金の返済をしながらの生活は苦しく、しかもA子は夫との離婚話を進めようとはしないばかりか、この話をすると被告人を避けるような態度をとることさえあつた。

3  同年三月の終わりころ、被告人は、A子が右借金の返済で苦しいのに被告人に相談することもなくスナック勤めを辞めたり、一向に夫と離婚しようとしなかつたことなどから、A子と口論することが多くなつた。そこで、被告人とA子は冷却期間を置くため別居することにしてA子はその母親のもとで生活し、被告人は勤務先の寮に転居したが、別居した後もA子は別のスナックに勤めるようになり、被告人方にも出入りしていた。

4  同年五月三一日午前零時四〇分ころ、仕事を終えて帰宅した被告人は、同月二九日にささいなことからA子と口論したことが気になつて、A子の勤務するスナックに同女を迎えに赴き、同月三一日午前一時一〇分過ぎころ仕事を終えて出てきたA子とその所有の自動車に乗つたが、車内で右の口論のことで言い争いとなり、同女の顔面を二、三回殴るなどの暴行を加えた。

5  A子とともに被告人方に帰つた被告人は、同日午前二時過ぎころ、不貞腐れた態度のA子に対して寝るように言い、同女はいつものように睡眠薬を飲み、下着姿になつてそのままベッドに横になり寝入つてしまつた。被告人は、A子の傍らでウイスキーの水割りを飲みながら、A子とその夫との離婚問題が進展しないこと、同女の借金のこと、さらには同女が炊事、洗濯、掃除をしないことなどであれこれ思い悩んでA子との将来を悲観するとともに、被告人自身睡眠薬が離せなくなり、体調も良くないことを手伝つて、いつそのことA子を殺して、自分も自殺しようと思い詰めるに至つた。

6  かくして、被告人は、同日午前三時ころ、A子が睡眠していることを確認し、自宅に置いていた切り出しナイフ(当裁判所平成五年押第九二号の1)を手にし、A子を苦しませずに死なせるには心臓を狙うしかないと考えて、同女の心臓部目掛けて右ナイフを一回突き刺し、その頃同女を死亡させた。次いで、自殺するため右ナイフで自己の身体を刺したが痛くて果たせなかつたことから、睡眠薬で痛みを麻痺させるべく睡眠薬を飲んだうえ、更にナイフで自殺を図つたが、自殺することができなかつた。そこで被告人は、更に睡眠薬などを多量に飲んで自殺を図つたが、結局死ぬことができなかつた。

7  一方、被告人は、平成三年二月ころから、体の不調を訴え、末梢神経障害という病名で投薬治療を受け、同年九月ころには不眠を訴え、睡眠薬などの投薬も受けるようになり、そのころから、睡眠導入剤であるトリアゾラム(商品名ハルシオン、以下「ハルシオン」という。)等を毎日就寝時に服用するようになつていたところ、被告人が右犯行前に最後に服用したのは、同月二九日夜ハルシオン四錠などであり、その後は右犯行まで薬物の服用はしていなかつた。また、被告人は、右犯行直前ころウイスキーの水割りをコップ四杯位飲んだ。

以上の事実をもとに右犯行当時の被告人の精神状態について検討すると、もともと被告人には精神病を疑わせるような点は全く存しないのみならず、被告人が常用している睡眠薬等の薬物の影響についても、右のとおり最終服用から少なくとも二四時間は経過しているものと認められるし、服用後犯行までの間に被告人がとつた行動に異常とすべき点は見当たらないことからみて、服用にかかる薬物の影響が犯行当時まで存続していたものとは考えられない。そして、被告人の右犯行の動機は十分に理解することができ、また、被告人の犯行直前の行動に不自然なところは認められないし、犯行直後は自殺を試みるなどの行動をとつているものの、これもこれまでの経過からみて了解可能であり、加えて、犯行前後の行動についての被告人の記憶もよく保たれており、被告人の犯行時の意識は清明であつたものと認めることができる。

以上のことを総合すると、右犯行当時、被告人は是非善悪の弁別能力とこれに従つて行動する能力が全く欠けたり、これが著しく低下していた状態にはなかつたものと認められる。

所論は、<1>被告人は長期にわたつて前記の薬物を濫用してきたものであり、右の犯行前十数時間前にも前記の薬物を服用しているのであるから、被告人には、このような長期の薬物の濫用が、被告人の性格を可逆的に変化させている可能性を否定できない、<2>被告人には、被害者を殺害することについて、その動機が了解困難であり、この点はハルシオンがパラノイア傾向をもたらす点をふまえて理解できる、などという。

しかし、<1>の点については、前記のとおり、被告人はパチンコ店店員として通常勤務を継続してきていたものであり、また、その間特異な言動や了解できないような行動に出たことはないこと等からみて、被告人が睡眠薬の濫用により責任能力に影響を及ぼすような人格変化を来しているものとは考えられないのみならず、本件犯行前の最終服用にかかるハルシオン等の影響が犯行時まで存続していたものとは認められないこと前説示のとおりである。また、<2>の点についても、前記のとおり、被告人がA子を殺害し、自己も自殺しようと決意した動機には格別不自然な点は認められず、十分に了解することができることは前説示のとおりであると認められるから、いずれの所論も被告人の責任能力を左右するものとは考えられず、採用の限りではない。

以上のとおりであつて、原判示第一の犯行当時、被告人は心身喪失の状態になかつたのはもちろん、心身耗弱の状態にもなかつたものと認められるから、原判決が原判示第一の事実について、被告人に完全責任能力を認めたのは正当であつて、責任能力を基礎付ける事実についての事実誤認は認められない。論旨は理由がない。

二  原判示第二ないし第四の事実について

論旨は、要するに、原判決は、その認定判示する第二ないし第四の各事実につき、被告人の完全責任能力を認めて、被告人を有罪としているが、被告人は、右判示の各犯行当時は心身喪失の状態にあつたものであるから、原判決は責任能力の判断の基礎となる事実を誤認したものであつて、破棄を免れないというのである。

そこで、所論にかんがみ、原審記録を調査して検討すると、原判決は、その(量刑事由)の項において、原判示第二ないし第四の各犯行が、睡眠薬の多量摂取による意識朦朧状態の中で行なわれたと判示しながら、右各犯行について完全責任能力を認めた理由について特段の説明をしていないが、まず、原審で取り調べられた関係各証拠によれば、原判示第二ないし第四の各犯行及びその前後の状況は次のとおりであつたと認められる。すなわち、

1  被告人は、前記一の1ないし6のような経過で原判示第一の犯行に及んだ後、自殺を試みたものの果たすことができず、五月三一日午前三時過ぎころ、ハルシオン四錠、精神安定剤であるデパス三錠を飲み、更に睡眠薬で自殺しようと思い、同日午前五時ころ再度ハルシオン二錠と鎮痛剤であるレボトミン五錠を飲み、そのまま寝入つてしまつた。

2  被告人は、同日午前一〇時ころ目を覚まして、血痕が付着した衣服を着替えたうえ、自宅近くの路上に停めてあつたA子の自動車に乗り込み、所持していた合鍵を使つて同車を発進させ、東武東上線みずほ台駅方向に向かつたが、途中約一〇〇メートル位進行したところで、道路脇の畑に突つ込み、農作業中の夫婦の自動車で牽引してもらつて畑から脱出し、さらに同駅方向へ進行し、右畑から約五〇メートル進行した地点で、同車をガードレールに接触させ、同所からさらに約四五〇メートル進行した地点で原判示第三の事故を惹起し、一旦停止したものの、被害者を救護することなくそのまま発進し、その間再度ガードレールに接触させるなどして一回りして、結局出発した地点付近まで戻り、同所付近にある被告人の同僚が借りている駐車場へ同車を駐車した。

3  被告人はそのまま自宅へ帰り、殺害したままの状態のA子の側で寝て、途中A子の子供と母親が訪ねてきたが、同人らにはA子はいないと嘘をついてそのまま帰し、また、出勤時間になつたころ勤務先のパチンコ店に電話をかけ、その際同僚にA子を殺したことを話した。同日の夕方ころ、自宅を出て電車で川越まで行き、ホテルを予約して宿泊した。

そこで、原判示第二ないし第四の犯行時被告人が心神喪失の状態にあつたかどうかの点について検討するのに、被告人は、右各事実について、断片的ながら記憶を有しており、また、その間の行動を見ても、自動車を運転するために自宅を出るときは、血痕が付着した衣服の着替えをしていること、被告人はごぼうが栽培されている畑に同車を突つ込ませた際、農夫に「ごぼうを傷めたな」と言われて「そんなことより、車を出してくれ。金は後でそこの甲野コーポへ取りに来てくれ」と言い、さらに同人の車で自車をけん引して引上げてもらつたときも「後は何だかんだと言われてもしようがないから、一万円でいいか」と言つて一万円を渡したうえ、「俺は薬を飲んでいる。無免許だ」と言つて走り去つていること、右の際や第三の犯行時の被告人の状態は、酔つている状態でふらふらしていたが、呂律が回らないということはなかつたこと、右自動車を運転の経験が殆どないのにギアを操作して曲りなりにも運転し、一回りするようにして職場の同僚の駐車場に駐車していること等からみると、被告人が右各犯行当時自己の行動の是非善悪を弁識し、これに従つて行動する能力が全く欠けていた状態、すなわち、心神喪失の状態にはなかつたものと認められる。

しかしながら、他方、<1>被告人は、前記のように被害者を殺害したうえ、自らも自殺を図つてこれを果たせない状況にあつて、被告人の殺害後の精神状態は極めて不安定であつたと認められること、<2>被告人は、原判示第二ないし第四の犯行前に、ハルシオン六錠をデパス(精神安定剤)三錠、レボトミン(鎮痛剤)五錠とともに服用し、また、その際水割りのウイスキー四杯も飲んでいることが明らかであるところ、ハルシオンは、副作用として、ときに健忘、まれに朦朧状態が現れることがあり、また、飲酒を伴つた際にはその作用が増強されることがあるとされていること(小林節夫の検察官に対する供述調書に添付の日本医薬品集からの抜粋、当裁判所で取調べた臨床精神医学所収のトリアゾラムに関する論文(弁護人請求証拠等関係カード1、2)、<3>被告人の飲んだハルシオンは〇・二五ミリグラム錠のもの合計六錠であり、同人に対する医師の処方ではハルシオンの一回の使用が一錠ということになつており、また、治療用量の安全の上限が〇・五ミリグラムであり、一ミリグラムを越えれば重大な異常行動が出現する可能性が高いといわれていること(前記文献(同関係カード2))からすれば、その服用した量が甚だ多いといわなければならないし、同剤は薬効の持続時間自体は比較的短い薬品とされているものの(前記小林節夫の検察官に対する供述調書)、右各犯行前の約七時間前に四錠、その約五時間前に二錠を服用しているのであつて、右の服用から右犯行までに五時間から七時間程度しか経つていないことから、右のハルシオンが正常な精神機能に影響を及ぼしている可能性を否定することはできないこと(当審で取調べた前記文献参照)、<4>被告人は、右殺人の犯行後、右各薬物を服用して約五時間ほど眠り、目覚めた後に、A子所有の自動車を運転して右第二ないし第四の各犯行に及んだものであるが、被告人は、これまで全くといつていいほど自動車運転の経験がなかつたものであり、それにもかかわらずA子の自動車を運転した動機が不明であり、被告人自身も動機の点について明確な説明ができないでいること、<5>被告人は、原判示第三の重過失傷害の犯行直後自車から降りてその被害者の所に赴いていながら、その被害者が救助を求めているのに、被害者に対する気遣いを全く示さず、被害者が落とした小銭を拾い集めて同人に渡しただけで謝罪などをすることなく自車で走り去り、また、右各犯行後、自己の運転によつて前照灯のガラスを破損するなどして同車を傷つけた状態のまま、わざわざ勤め先の同僚の駐車場に駐車させて自宅に戻り、更に多量の睡眠薬等を服用して、A子の死体が横たわつたままになつているベッドに入つて眠つているなどのいささか理解し難い行動を取つていること、<6>殺人という重大な犯罪を犯し、その犯行後直ちに自首するなどの行動をとつているわけではないのに、罪証を隠滅したり、逃亡しようとしたりした形跡が全く窺われないこと、<7>被告人には被害者を殺害した後の行動、例えば被告人が自車をごぼう畑に突つ込ませるまでの経過、畑から自車を引上げてもらつた際の農夫との会話、途中ガードレールなどに三回位自車を接触させたこと等の、当然記憶しておいて然るべきと思われる状況についての記憶に欠落があること等の事情が認められる。そして、これらの事情を総合すれば、被告人は原判示第一の犯行後に服用した薬物の影響に被告人の健康状態及び右犯行直後の不安定な精神状態等の要因が加わつて、右第二ないし第四の各犯行当時、自己の行動の是非善悪を弁別し、その弁別に従つて行動する能力が著しく減弱した状態、すなわち、心神耗弱の状態にあつた疑いを払拭することができないというべきである。

そうすると、原判決が被告人に対して原判示第二ないし第四の各犯行当時、被告人に対して心神耗弱を認めず、完全責任能力を認めたのは事実を誤認したものであつて、これが判決に影響を及ぼすことが明らかであり、原判決は破棄を免れない。論旨は、右の限度で理由がある。

第二  破棄自判

そこで、その余の控訴趣意(量刑不当の主張)に対する判断を省略し、刑訴法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条ただし書により、当審において更に判決する。

(罪となるべき事実)

当裁判所が認定した罪となるべき事実は、原判決が認定する(罪となるべき事実)の末尾に「なお、被告人は、右第二ないし第四の各犯行当時、睡眠薬等の影響により心神耗弱の状態にあつたものである。」と付加するほか、右(罪となるべき事実)と同一(ただし、同第一の事実中「刃体の長さ約一三・五センチメートルの切出し(平成四年押第三二号の1)」にあるのを、「刃体の長さ約一三・五センチメートルの切出しナイフ(当裁判所平成五年押第九二号の1)」と、同第三及び第四の各事実中「同県富士見市《中略》一三番一号」とあるのを「同県富士見市《中略》一三番地一」とそれぞれ改める。)であるから、これを引用する。

(証拠の標目)《略》

(法令の適用)

被告人の判示第一の所為は、刑法一九九条に、同第二の所為は道路交通法一一八条一項一号、六四条に、同第三の所為は刑法二一一条後段に、同第四の所為中救護義務違反の点は道路交通法一一七条、七二条一項前段に、報告義務違反の点は同法一一九条一項一〇号、七二条一項後段にそれぞれ該当するところ、判示第四の救護義務違反と報告義務違反は一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により一罪として重い救護義務違反の罪の刑で処断することとし、所定刑中判示第一の罪につき有期懲役刑を、同第二ないし第四の各罪につき懲役刑をそれぞれ選択し、判示第二ないし第四は、心神耗弱者の行為であるから、同法三九条二項、六八条三号によりいずれも法律上の減軽をし、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により最も重い判示第一の罪の刑に同法四七条ただし書の制限内で法定の加重をし、その刑期の範囲内で被告人を懲役七年に処し、同法二一条を適用して原審における未決勾留日数中一三〇日を右刑に算入することとし、押収してある切り出しナイフ一本(当裁判所平成五年押第九二号の1)は、判示第一の殺人の用に供した物で、被告人以外の者に属しないから、同法一九条一項二号、二項本文を適用してこれを没収することとし、原審及び当審における訴訟費用については、刑訴法一八一条一項ただし書を適用していずれもこれを被告人に負担させないこととする。

(量刑の事情)

判示第一の犯行は、結婚の約束をしていた被害者A子が、夫との離婚を進めようとしないばかりか、多額の借金を抱えていたこともあつて、同女との将来を悲観するとともに、被告人自身睡眠薬に頼る生活を送り、体調もすぐれなかつたことも手伝つて、いつそのこと同女を殺害して自殺しようと思い詰めて右の犯行に及んだもので、その犯行の動機は甚だ自己中心的であり、また、犯行態様をみても、睡眠薬を服用して熟睡している同女の心臓部を確かめた上、鋭利な切出しナイフで一突きのもとに刺し殺したものであつて残忍なものであり、その結果、いまだ年若くして殺害された同女の無念はいうに及ばず、一瞬のうちに母親を奪われた二人の遺児に及ぼす影響には多大なものがあるというべきであつて、その犯情は悪質であり、以上に加えて、被告人は被害者の遺族に対する慰謝の措置を全くとつていないばかりか、その見込も乏しいといわざるをえない。また、判示第二ないし第四の犯行は、被告人が睡眠薬の影響により正常な運転ができない状態で、無免許でA子の自動車を運転して同第三の被害者に同車を衝突させて負傷させたのに、同人の救護等を尽くすことなく逃げ去つたものであり、被告人の右の運転自体危険なものであり、被害者に与えた傷害の結果も決して軽くはなく、同人に対する慰謝の措置も講じられていない。以上のような諸事情に照らせば、被告人の刑責は重大であるといわなければならない。

しかし、他方、判示第一の犯行については、被告人が被害者から夫とは近々離婚すると言われて結婚の意志を固め、勤務先にも話して正式に結婚できる日を待ち望んでいたのに、被害者において夫との離婚話を進めるために努力しようとはしなかつたばかりか、被害者の男性関係や生活態度からみて被害者には夫と離婚して被告人と再婚する意思が本当にあつたかどうか甚だ疑わしいところがあつて、被告人を前記のように追詰めた原因の一半は被害者にもあるといわざるを得ないし、また、被害者の有する多額の借金の返済に被告人としても努力していたのに、これが報われないという思いも加わつて、犯行を決意したものであつて、このような意味では被告人が犯行に及んだ背景に同情すべき点がなくはないこと、右の犯行は被告人が事前に計画して敢行したものではなく、とつさに思いついた犯行であり、その意味では偶発的な犯行といつてよいこと、被告人は体調不良や不眠を訴え、睡眠薬の常用によりその犯行当時の判断力にもある程度の影響があつたことは否定し難いし、判示第二ないし第四の犯行は、被告人が右のような状態にあつたことに加え、第一の犯行後睡眠薬を多量に服用して数時間後に自動車を運転し、右各犯行に及んだものであつて、前記のとおりその判断力が著しく減弱していた疑いがあり、心神耗弱の状態での犯行であること、被告人は本件各犯行を捜査及び原審公判においてすべて認め、自己の行為については真摯に反省していると認められること等の被告人に有利な事情も認められる。

そこで、以上の事情を総合考慮して、被告人に対しては主文の刑で処断するのが相当と認めた。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小泉祐康 裁判官 松尾昭一 裁判官 伊藤茂夫)

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